そしてジャンクは真実を問いただすためにバランの住む森小屋へと向かうが…新展開の第3部スタートです。
【第12話】西から吹く暁風
…まだ地上の民が一日の活動を始める前の、朝靄が気怠く立ち上る時刻———百年に一度の厳冬期は、ギルドメイン大陸を雪で白く覆い、空を物憂げな色彩へと変えていた。しかし、この日は珍しく太陽がその存在感を控えめながら地上に伝え、厚い雲の切れ間からうっすらと光の梯子を下ろしている。
そんな中、アルキード方面から北東へ向かう冒険者たちの姿があった。
彼ら全員が、防寒対策としてフード付きのマントを頭から被っているためにその出で立ちまでは確認できないが、歩を進める毎に微かに響く金属音は、彼らが剣や鎧で武装した旅人———つまり冒険者稼業だということを示していた。勇者、戦士、僧侶、魔法使いの四人構成である。
「凶暴な
そして手持ちの資産を更に増やすべく、彼らは賭博の街へとやってきた———はずだった。しかし、彼らの前に広がっていた光景は、予想とかけ離れた…というよりは、まるで現実感がないものであった。
「なんだ、ここは…?辺り一面灰じゃねぇか」
一陣の風が吹き抜け、大地の灰が大きく煽られる。その白い粉塵を真っ向から浴びせられた冒険者たちはたまらず
「ちょっとぉ、方角を間違えたんじゃないの?だいたい、あんたはいつもそそっかしいんだからさぁ。この間だって、アルキードの外れに安くて良い宿屋を見つけたって言うから信じて付いて行ったのに、あんたときたら地図の東と西を間違えたのに気付かなくて、あたしたち真っ暗闇の森の中で何時間も迷子になったじゃない!?」
僧侶の服装をした女が、おおよそ聖職者らしくないぞんざいな振る舞いで仲間の男をなじった。すると戦士風の大柄の体格をした男が、世界地図の巻物を広げながら言った。
「いや、この地図によれば、ここがアルトガのはずなんだが…」
そこは、確かに傭兵街アルトガが存在していた場所であり、彼らの進路に間違いはなかった。一体何がこの地に起こったのか———
すると、魔法使いとおぼしき初老の男が、足元の白い灰を少し摘まみあげて呟いた。
「ふむ、この灰の感触からすると、恐らく何か強大な力によって塵になったか……色からして、まだあまり時間が経っていないようだの。もしかしたら、我々が一番最初に発見したかも知れんぞい」
その分析に、一行の先頭を歩いていた勇者らしき男は快活な声で仲間達に提案した。
「よし!じゃあベンガーナ城へ行って、この事を報告しようぜ。あそこは情報料もそこそこいい金になるからな!」
女僧侶は、その勇者の言葉に強く賛同した。
「そうね!ついでに城下町の市場で掘り出し物があるかどうか見ましょうよ!都会のがらくたは田舎に行けば高く売れるしね!」
実際には、女僧侶はここ何日もこの粗野な男たちと田舎村の貧相な宿で雑魚寝していたため、久しぶりに城下町の小綺麗な宿で寝泊まりしたいという魂胆もあったのだが———ともかく、手持ちの
その日、少年バランは暖炉で薪がかすかに爆ぜる音によって目を覚ました。
自分の傍らで、養育者のシェーラが心配そうな表情をしてこちらを見ている。彼女は自分が目を覚ましたのに気付くと立ち上がり、暖炉で温められた薬草茶を木椀に注いで、そっと手渡してくれた。
半身を起こして湯気がほのかに立ち上るお茶を啜ってみると、ほんのりと甘味を感じた。薬草を煎じたお茶に蜂蜜が加えられている。まだ幼かった頃、自分が知恵熱を出して寝込むと、彼女はこうして蜂蜜入りの甘い薬湯を飲ませてくれた。その懐かしい味だった。
「昨夜、
バランは、養育者にそう問われて思わずきょとんとした。痺れ、とは何のことか。そのようなものは感じないし、今の自分の体におかしいところなど何もないが———しかし、日頃から多忙を極める彼女がこうして自分が目覚めるまで見守っていてくれたなど、何か余程のことが自分の身にあったのだろう。
「あなたにその
そう言われて、バランは思わず自分の胸元に下げられた
昨夜、自分はこの小屋を出てアルトガへと赴いた。そして頭領の男に直接会って交渉した。
その同居人の魔族、ロン。彼は今、腕組みをして小屋の窓辺にもたれかかったまま、顔を背けて窓の外を見ていた。
シェーラの青い石———アルトガの頭領の手に渡ってしまったはずの至聖石が、彼女の頭上の神官帽に元どおりにおさまっている。自分が頭領の手から取り戻した記憶はないが、彼の手から奪還できたのだろうか。いったいどうやって———そんな疑問が浮かんだバランに、シェーラは語りかけた。
「バラン。ロンが、あなたを…そしてジャンクも助けてくれたのですよ。私が昨日ロンに渡したキメラの翼を使って、彼はこの小屋にあなた方を連れて戻ってきたのです。おかげで間一髪、あなたを
バランは驚きに目を大きく見開いた。少年の反応を見つつ、シェーラは言葉を続けた。
「私はこのことで、ロンは人間界に危険を及ぼすような存在ではないと確信しました。ですからバラン、どうか———ロンへの疑いの気持ちが依然としてあるのなら、それは今日ここで終わりにしてください」
養育者の口から出た言葉に、バランは呆然とするばかりだった。自分が絶対的な信頼を寄せる彼女が、ロンを危険人物ではないと判断した———キメラの翼を、自分とジャンクを助けるために使ったとは、本当だろうか。しかし、確かに今自分はこうして無事にランカークスの小屋に戻ってこれている……
ロンは、目線を変わらず窓の外に向けており、自分とは目を合わせようとしない。
「とはいえ、それまで強く警戒心を抱いていた相手にいきなり心を許せ、というのも難しいかもしれませんね。特に人一倍正義感の強いあなたのことですから…それに今後あなた方二人が仲良くなっていったとしても、一緒に住んでいれば意見の違いから喧嘩をすることもあるでしょう。先日、薬草を収納した棚が一つ犠牲になったことですし———」
魔族と少年の二人を見やりながら、シェーラは言葉を続ける。
「あなた方に喧嘩をしないおまじないを授けましょう。『どんなに自分が正しいと確信していても、その正義を相手に強要したとき、それは暴力に変わる』———諍いを起こしそうになったら、このことを思い出してください」
養育者の言葉が、少年の胸に刺さる。自分は確かに今まで、自分の正義に基づいて生きてきたが、それがきっかけとなって起こした騒動も多い。いまだロンに対しあまり好意的な感情を抱けないのも、彼が自分を試す目的でシェーラを侮辱する発言をしたことに対する怒り———つまり自分の正義で相手を粛正したいという気持ちが心の奥底にあるからだ……
「私が、城下町で少し薬草を調達してきましょう。今後こうしてバランの身に何かあったときには、ロンが手当てできるようにならないといけませんから…そして私は準備が整い次第、数日ほどカール王国へ行ってきます。今回は調査が目的ですので、すぐに戻りますが———どうか二人とも、私が帰るまでの間、昨夜のような物騒な事件は起こさないでくださいね」
「カール王国へ…?」
バランは、懐かしい響きに思わず眉を上げて反応した。幼少期に、シェーラの修行に伴って一年ほど滞在したことのある国だ。
「古代魔法を習得するため、破邪の洞窟にもう一度入る必要がありそうなのです。初めてあなたと一緒に入窟してから十年近く経っているので、少し周辺の情報収集をしなければならないのと、それともう一つ———私も詳しいことはわかりませんが、宮廷内の噂によると、カール王国で何かが起きているようなので…その事実を確かめてきます」
バランは、シェーラの言葉を聞きながら思った。彼女の人生には、休息の時間というものはあるのだろうか、と。彼女がのんびりと羽を休めている姿というのを、自分は生まれてこのかた見たことがない。特に宮廷役職に迎え入れられてからは、寝る間も惜しんで執務にあたっているということを、ジャンクから聞いたことがあった。
こうして周囲に貢献することが彼女の信仰するギネ神の教えに沿った生き方だと言われればそれまでだが、それにしても彼女は多忙すぎる———
「ロン、あなたがバランを助けるためにキメラの翼を使ってくれたことに、私は心から感謝しています」
シェーラは窓際の魔族に向かって礼を伝えた。ロンは目線を一瞬だけこちらによこしたが、返答はない。
「しかしながら、もうキメラの翼は当分の間手に入れられそうにありません。私があなたに昨日渡したものは、実はベンガーナ市場に残っていた最後の一つでしたので……ロン、しばらくはこの小屋で隠遁生活を続けて、そして最初に交わした契約どおり、バランに剣術を指導していただけますか?」
その女神官からの問いに、ロンは目を細めて言った。
「…目下、魔界に帰る手段がない以上はやむを得まい」
ぶっきらぼうな口調で、そして昨夜と変わらず斜に構えた態度を貫く魔族に少し苦笑いしながら、シェーラは小屋の隅の建設中の火炉を見やった。
「火炉の完成も想像以上に近そうですし、修行用にどんな剣を仕込むかをぜひ二人で話しあってくださいね。バランの剣術の稽古が終われば、あなたも晴れて自由の身になれるのですから」
そう言い残すと、シェーラは瞬間移動魔法でベンガーナ城に戻って行った。男二人だけになった小屋の中をしばし沈黙が包み、薪の爆ぜる音だけが彼らの聴覚に静かに響いてきた。
「…カール王国というのは、どんな国だ」
窓の外に視点を置いたまま、ロンはそう少年に尋ねた。
ロンは、数日前にシェーラから渡された人間界の資料によって、この地上に複数の国家が存在すること、そしてそれぞれ自治制をとっていることは理解していた。今こうして人間界で生活し、かつ当面のあいだ魔界に戻ることができないのならば、この地上の情勢というものをつぶさに知っておく必要があるだろう———そうした考えから出た問いであった。
「カールは、ここから西に向かって三日ほど歩いたところにある国で、この人間界で最強といわれる騎士団を有している。俺も昔シェーラに連れられて少しだけ滞在したことがあるが…そのときはまだ幼かったから、あまりよく覚えていない」
バランの脳裏に残っているカール王国の記憶はといえば、シェーラの従事した学者の館で一年ほど寝泊まりしたこと。その館に住んでいた学者の孫と一緒に、シェーラの魔法授業を受けたこと。そしてシェーラ、カール騎士団長コバルト、学者の孫とともに破邪の洞窟へ入ったこと———そのくらいのものであった。
ごく短い間、魔法を共に学び、森で一緒に遊んだりもしていた「学者の孫」。確か自分と同じくらいの年頃で、名前は覚えていないが…屈託無い笑顔が印象的だったあの少年は、今頃どうしているだろうか……
バランがそんな思い出に耽る一方で、ロンはそのカールという国に対して少しばかり興味を感じていた。この少年の剣術指導を終えたら、自分はこの小屋を出ていく予定であり、そのために最適な居場所を探す必要がある。北の大地は寒く、魔族の居住地には適していないとシェーラは言っていた。ならば、西のカールはどうか。
…だが所詮、自分は魔族狩りの賞金稼ぎたちから追われる身だ。一つの場所に腰を据えるというよりは、定期的に住まいを変えることになる可能性が高いかもしれない———
それぞれに思案する男二人の間に、再び虚無の時間が流れる。その沈黙を破ったのは少年のほうだった。
「…ロン、昨夜はなぜあの場に———アルトガまで来ていたんだ。小屋を出た俺の後を、ずっと付いて来ていたのか」
「ここ数日、狭い小屋の中に篭りっきりで体が鈍ってたものでな。闇夜の散策なら人間に見つかることもそうあるまい」
ロンはそう答えながら、窓から差し込んでくる陽の光に眩しそうに目を細める。昨夜から一睡もしていない彼であるが、多少の睡眠不足が魔族の高い生命力をすり減らすことは微塵もないようであった。
そしてバランは、一番気になっていることについてロンに尋ねた。
「あのときロンは、体の麻痺で動けなくなった俺を助ける形で、アルトガの傭兵たちに一太刀を浴びせたな———その後、一体どうなった…?」
その少年からの問いに、思わずロンは沈黙した。傭兵達の集落を一瞬にして灰にしてしまったことを言うべきか否か———事実を言えば、シェーラの配慮によって構築され始めた信頼の橋が崩れさってしまうかもしれない。それはそれで別に構わないとも思ったロンだったが、何となく彼は言葉を飲み込んだ。
「…気になるなら、自分の目で確かめてこい」
少年と目線を合わせずにそう言い放つと、ロンは小屋の扉を開けて外へと出て行った。
小屋に一人残されたバランは、一呼吸おいてからゆっくりと寝台から起き上がった。アルトガで意識を失ってからどのくらい眠っていたのか分からないが、太陽がかなり高い位置まで昇っている。シェーラの飲ませてくれた薬草茶のおかげか、体の調子はとてもすっきりとしていた。
自分で確かめてこい、とは一体どういう意味だろうか。
昨夜に見た、あのロンの剣鞘の発光には、傭兵たちはおろか、集落のひとつくらいは軽く消し去るほどの莫大な力がこめられていたような気がした。おそらく、今頃アルトガは街ごと消えているに違いない……
もしロンが、シェーラの話したとおりに自分とジャンクを助けてくれたのだとしたら、もう彼に対して不必要に警戒をせずとも良いのかもしれない。しかし———あれだけの破壊力をもつ剣士は、地上の人間にとって驚異の存在であることには変わりがない。今後彼が自分たちを裏切ることだって十分あり得るのだ。
そのために、やはり何かあったときには自分が彼にとどめをさせるほどに強くならなくてはならない。少年は、そう想いを新たにした。ロンから剣技を教わることによって、彼の戦術というものを学べば、それは自ずと彼自身の弱点を分析することにもつながるだろう。村の安全のためにも、早くこの小屋の火炉を完成させて剣を作らなければ…
少年は、小屋の奥にある建設中の火炉を見た。村の金物屋に製作を依頼している炉の部品ができるまでの間、他に何ができるだろうか。テーブルの上に鍛冶用火炉の設計図を広げて眺め、しばし熟考に耽るバランだった。
この日のベンガーナ城では、太陽の位置が最も高くなる正午の時刻より、再び宮廷会議が開かれていた。南のアルキード方面から放浪してきた冒険者たちから、アルトガ傭兵街が跡形もなく消滅したとの報告を受けたためである。
真偽のほどが分からない目撃情報には基本的に取り合わない方針の宮廷であるが、今回の冒険者からの報告内容は、ベンガーナ城の見張り塔に夜通し常駐していた衛兵の一人が「夜半過ぎに南の空が強く光ったのが見えた」と証言していたことと一致していた。
協議の結果、この日のうちに現地へ調査隊を派遣することが決まった。
表向きは傭兵街、実態は賭博と売春が盛んな歓楽街とされるアルトガという存在は、ベンガーナ王国にとっては非常に微妙な位置付けの集落であった。というのも、大陸を放浪する冒険者稼業の人間たちが多額の
会議終了後———他の出席者たちにともに大広間から退出した宮廷魔術師イザムは、会議に同席していた宮廷神官シェーラと肩を並べながら、城の東塔へと繋がる通路を歩いていた。
「やれやれ、魔族逃亡事件の次はアルトガ消滅か……とんでもない事件が次から次へと起きるものだ。ところでシェーラ、たしか君は国防会議の議案書を作成するために昨夜遅くまで城に残っていたな。東塔からはアルトガ方面がよく望めるはずだが、何か爆発だとか、空が発光するような現象は窓から見えなかったか」
「…いいえ、昨夜は執務室にこもって書類作成に集中しておりましたので、何も」
シェーラはイザムと視線を合わせること無く伏し目がちに答え、そして言葉を続ける。
「しかしながら、この世界に異変の潮流が起きていることは間違いなさそうですね。私たちとしてはできることを地道にやっていくしかないでしょう。魔術師団の魔法訓練も今日で二日目になりますが、皆だいぶコツを掴めてきたようですし。これなら私も安心してカール王国へ調査に行けます」
「古代魔法【ミナカトール】を習得するためのまずは第一歩か。カールは最近、軍備の増強に向けて動き始めたらしい。それが我が国の大砲部隊に対抗意識を燃やしてのことなのか、或いは
カール王国は、ギルドメイン大陸の中でも最強の騎士団を抱える軍事国家として名を馳せている。今現在、この世界の国家間において紛争はないとはいえ、政治の中枢たる宮廷にいる人間にとっては、近隣諸国が軍備に力を注ぎ始めると自ずと緊張感が走るものである。
「留守は引き受けたから、君は現地での調査と情報収集に専念してくれ。ただ申し訳ないことに、旅の資金援助はできそうにない。先日陛下に直接進言してみたのだが———君の言ったとおり、軍務大臣の側近が財務に根回ししたのか、予算に余裕がないから出せないと却下してきやがった。せこい連中だ」
宮廷特有の陰湿な嫌がらせに苦々しい表情のイザムだが、シェーラ当人は落ち着き払っていた。
「カールまでは瞬間移動魔法で行けますし、現地では
そう微笑みとともに答える宮廷神官の頭上に、イザムはふと目線がいった。
「その神官帽の青い石…昨日夕方に会ったときにはなかった気がしたが———」
彼は昨日、国防会議の打ち合わせの際に、彼女の被る神官帽から至聖石が失われていることに気付いていた。ギネの神官にとって、至聖石は自らの立場と矜持を示す一つの象徴である。それが失われた神官帽を彼女が気にする様子でもなく被っていたことが、イザムの脳裏に違和感として残っていた。日頃から身だしなみを隙無く整える彼女にしては、それは非常に珍しいことだったからだ。
「…ええ、実は昨日、
そうか、とイザムは納得した。ギネの神官の戒律やしきたりについて詳しくない彼は、このとき彼女のついた「嘘」について気づくこともなく、アルトガ消滅の報に完全に意識が向いていた。そのために、このとりとめのない会話はしばらくの間、彼の記憶から流れて消えていったのだが———この小さな「嘘」の芽が、後において彼女に対する大きな疑惑の蔓として育っていくなど、このときの宮廷魔術師はまだ想像だにできなかったのである。
一方、この日のランカークス村でも、中央広場に隣接する集会所において朝から会議が開かれていた。
アルトガ消滅の報は、まだこの辺境の村までは届いていなかった。そのため、この日の議題は、昨日の傭兵騒ぎについて、そしてそれに対する村の自衛のあり方についてであった。六十代以上の年配者が村人口の過半数を占めることもあり、村人たちにとって治安に対する危機感は深刻である。そこへアルトガの傭兵達が大挙して村に現れたことで、その不安はこの上ない高まりを見せ、その警戒心の矛先は傭兵以外の要素へも向けられた。
「昨日はシェーラが何とか傭兵たちを退散させてくれたが…しかしだ。あのバランが、広場の前で確かに言った。俺が傭兵たちを倒したって…先日の傭兵たちの死体は、バランの仕業だったというのか」
「信じられないわ、あのバランが…純朴で優しい子だと思っていたのに…」
「バランはこの村で唯一、魔法が使えるからな。傭兵たちを魔法で仕留めたのかもしれん」
「まったく、あの坊やは昔からいつも厄介な騒動を起こしてくれる。バランさえいなければこんなことには———」
そのとき、集会所の大テーブルを勢い良く拳で叩きつけたのはジャンクだった。彼の喝で、一気に場が静まり返る。
「おいお前たち!バランが今まで村のためにどれだけ尽くしてくれたと思ってんだ。この村にとって、あんなに有望で頼りになる奴はいねぇ。まだ成人にもなってないのに、農作業も、建物の大工仕事も、大人顔負けのはたらきをしてくれているじゃねえか。バランがいなかったら今のこの村の基盤はなかったと言ってもいい。それは皆が一番よくわかってるだろう!」
村人たちは、言葉が出なかった。それは間違いない事実であり、自分たちの気弱で閉鎖的な精神を批判されたような気がしたからである。高齢者の多いランカークス村にとって、未成人ながら多大な貢献をしてくれるバランはかけがえのない存在である。それは分かっているのだが———
「元はといえば、この一連の事件の発端は魔族だ。今後も、大陸全土の傭兵や冒険者が魔族狩りでこの村に訪れるだろう。バランをこの村から追い出したところで事態は何も変わりゃしねぇ。とにかく今は村の自衛対策を考えるべきだ。そうだろ!?」
ジャンクは次第に声を荒げていった。村の自警団をまとめる立場としての責任感が、彼を激しい口調にさせるのだった。
「…そのために、城から門番兵が派遣されておるが、今回のことを受けて、宮廷に増員を要請しようと思う。まずはそれで、様子を見ようではないか」
会議の進行を見守っていた村長は、荒ぶるジャンクをなだめるようにそう発言した。ランカークスの村長・モルトは穏健派の人物だが、領主や王政の言いなりになっている一面もあり、ジャンクは日頃からあまり好感を持っていなかった。
「賄賂一つで簡単に傭兵たちを通すような腐った門番だがな」
ジャンクは皮肉をこめて言葉を吐き捨てた。そして今この時、集会の場で一番苦々しい思いでいるのはジャンクだった。
昨夜、店の全財産をもってアルトガの頭領デルトンに交渉した。彼に差し出した十万ゴールドは一笑に付され、しかも奪われた挙句に、それ以降の記憶が全くないのだ。幼馴染みのシェーラの話によれば、バランが自分を助けに来てくれたそうだが…それが事実なら、自分はあの後彼らの人質にとられてしまったということだろう。旧知の仲であるデルトンとなら、少しはまともな話し合いができると思っていたのだが———それが完全に裏目に出てしまった。自分の甘さと浅はかさが露呈された格好となり、不甲斐なさと情けなさで完全に心が打ちのめされていた。
結局、その日の集会では、門番兵の増員以外にはさして建設的な案が何も出ないままに終了した。村の広場にある日時計は、いつのまにか夕刻の位置に影を落としている。
ジャンクは、とぼとぼとした足取りで集会所から家に帰る途中、ふと思った。バランが人質になった自分を助けに来てくれたということは、彼はまたあの超人的な力で集落の連中を倒したのだろうか———やりかねない。バランのあの怪力なら、頭領のデルトンをすら拳一発で倒してしまうだろう。仮にデルトンが殺されたとしたら、またその仇討ちとして傭兵達が村に現れるに違いない……
村をこの手で守りたい。この国は
ジャンクは大きなため息をついた。数年前にベンガーナ城を追い出された時と同じように、自分はまた無一文になってしまったのだ。もう二度と妻を路頭に迷わせないと誓ったにもかかわらず———
集会が終わった後、ジャンクはそのまま家に戻る予定であったが、ふと彼は進路を変えて村の裏手の出口へと向かった。そして、雪化粧の厚く施された森の中へと入っていった。
この木々の群れの奥深くには、バランの住む小屋があるという———昨夜の事の顛末をあの少年に直接確かめたい。ジャンクは、足元の雪を踏みしめながら森の中へと一歩ずつ足を進めていった。
その頃、ロンは小屋の外の森を散策していた。この日、雪は降っていないものの空気は冷え込んでおり、口から吐く息が白く霧散していく。人間界に来て数日が経過し、だいぶ体がこの寒さにも慣れてきたのを感じる。
昨夜、自分は人間界の街を一瞬にして灰に変えた。しかし、シェーラはそのことについて何一つ言及しなかった。魔法で遠隔透視していたのであれば、それに気づいていないはずはなかろうが……。魔界でも、勢力抗争の巻き添えになる形で街が消えることはあるが、そのことが地底界全体に波及する影響というものは少なくない。か弱き人間たちの住まう地上の大陸ならなおさらだろう。竜の騎士であるバランを一人前に育てあげるためならば、多少の過失や、それに伴って生じた犠牲には目を瞑るということか———人間界にも、なかなかに腹の座ったやつがいるものだ……
そう思いながら散策をしていると、遠くの方から微かに何者かが雪の中を歩いてくる足音が聞こえてきた。魔族特有の長い耳で周囲に感覚を澄ませると、それは小屋とは反対の方向から生じている音で、その主がバランではないことがわかった。
ロンは己の気配を消して大木に身を隠した。そして木の影からそっと伺い見ると、遠くの方で人影が動いており、こちらに向かって歩みを進めている。あれは、昨夜バランが身を呈して助けた人間の男だ。そして自分がキメラの翼で小屋まで連れ帰った男———あのとき、相手は気を失っていたし、自分の姿は知られていないはずだ。とはいえ、今ここで人間に見つかるわけにはいかない……若干の緊張感を伴って、ロンは男の気配に意識を集中した。
すると、男が歩いている一帯から、何やら魔力が漂っているのを感じた。もしや、あれは———
白い山道に足跡の窪みをつけながら、ジャンクは森の中へと進んでいく。
前方に、人が通ったらしき形跡がある。あれはおそらくバランのものだろう。きっと、少年の住む小屋はこの奥にあるはずだ。そう確信して、ジャンクはさらに歩みを進める。
ところが、彼はどこまで奥に入り進めても、しばらくすると同じ場所に戻ってきてしまうのだった。帰り道の目印として、森の入り口にある大きな樫の樹木の枝に布を結んでおいたのだが、その目印を三度目に見かけた時点で、ジャンクはようやくその事実に気がついた。これはいったいどういうことだ。一向に目の前の景色が変わらない……まるで紙の端と端とを繋ぎ合わせたかのように、永遠に同じところをぐるぐると廻っているような———そんな錯覚をおぼえたジャンクは、次第に眩暈がしてくるのを感じた。やがて陽が落ち始めているのに気づいた彼は、この日の森の探索を断念したのだった。
この錯視現象が、ロンの住む森に魔族狩りが侵入するのを防ぐためにシェーラがかけた幻影魔法【マヌーサ】の作用によるものだということを、ジャンクは知る由もなかった。その効果は術を施した当人の予想を超えて二十年近くものあいだ持続し、のちにこの一帯はランカークスの村人から「迷いの森」と称されることになったのである……
そうして無駄な徒労に終わったジャンクを自宅で迎えたのは、家の調理場から漂ってくる妻の料理の香りだった。まだ夕食の時間には早いはずだが———と思ったものの、今日は食事をとる暇もなく村の集会に出かけていったため、朝から何も食べていない。空腹感からその香ばしい匂いに誘われて、ジャンクは家の厨房を覗いた。
そこでは妻のスティーヌが、水で練って成型した小麦生地を窯の中に入れようとしているところだった。テーブルの上にあるのは、野菜と肉を香辛料で煮込んだ鍋と、茸と香草に乾酪をまぶして焼き上げたタルト、そして村の広場で昨年収穫して仕込んだ黒
妻が料理に腕をふるう時というのは、たいてい誰かを元気付けようとするときなのだが、今回の場合、その対象は自分以外に他ならなかった。なにしろ自分は昨夜、彼女に黙ってこっそり家を出て失踪した挙句、朝方になって意識不明の状態でシェーラによって家まで運び込まれたのだ。さぞ心配をかけたことだろう。
そんな妻に対して、まさか店の全財産をアルトガの頭領に渡したとは言えるはずもなかった。その罪悪感をなじるかのように、夫への愛情に満ちた温かい料理皿の数々がテーブルの上でゆったりと湯気を立てている。純粋無垢に自分を信じてくれている妻に、ジャンクは目を合わせることができなかった。
「おかえりなさい、あなた」
スティーヌの言葉に対してジャンクは無気力に、ああ、とだけ答えた。
「あなたが留守の間に、発注書が届きましたわ。カール王国から」
ジャンクはその言葉に驚き、目を大きく見開いた。
「ごめんなさい、急ぎの注文かもしれないから、先に私が開封して読んでしまったんですけど…納品予定の見込みが立ったら、至急手紙で連絡をくれと書いてありました。お店のカウンターに置いておきましたから、あなたも目を通しておいてくださいね。これでますますお店が忙しくなりそうだし、とにかくあなたに元気をつけてもらわなくちゃと思って…今日の夕食はちょっと豪勢にしましたわ」
スティーヌはそう言ってにっこりと笑った。
ジャンクの店には、一年に数回ほど、カール王国より騎士団用の武器の製作依頼が来るが、今年は例年より時期が早い。
ジャンクは、その妻の言葉を確認するために、自宅と繋がっている店舗のバックヤードに入り、カウンターテーブルの上の封書を開けてみた。するとその文書には、今年は騎士団の人員を増やすことになった関係で、可及的速やかに対応願いたいという旨が書かれていた。そして、今回はまとまった数の発注になるので、代金は前払いにする、とも。
通信文の最後にカール王国の財務大臣と騎士団長の署名がなされており、二枚目には長剣と短剣のそれぞれの納品希望数が書かれていたが、それは前年の倍以上に相当する数だった。
このカール王国からの大量注文の知らせは、経済的窮地に陥っていたジャンクにとって大きな希望の光となった。ランカークス村の中でもとりわけ信仰心の薄い現実主義で知られるジャンクではあるが、このときばかりは商いを司る神・イシュに対して、深い感謝の祈りを捧げるのだった。
そういえば、村人の自衛用の短剣も、まだ再生産が追いついていない。バランのことも気になるが、愛する妻を二度と路頭に迷わさないと誓ったからには、目の前の大事な取引先の仕事をまずこなさなければ———
そうしてジャンクは、これまで以上に鍛治仕事に精を出すことになったのである。
正円の状態から少しずつ欠けていく月が、夜空を照らしだした頃。
この日の執務を終えて、ベンガーナ宮廷の官吏宿舎棟——宮廷に仕える単身者のために用意された官舎——に戻ったシェーラは、食堂で用意された簡素な夕食を終えて自室に向かおうとしたところを、宿舎の管理人に呼び止められた。
「もし、シェーラさん。あんたに手紙が来ているよ」
かれこれ四十年以上、このベンガーナ官吏宿舎の管理に携わるその女性は、ふくよかで貫禄のある体を揺らしながら宮廷神官の元へ近づいてきた。
「おやあんた、また少しやつれたんじゃないのかい?仕事も程々にしないと体を壊すよ。昨日だって一晩中官舎に帰ってこなかったし、それはもう心配したんだから。今日こそちゃんと寝なくちゃだめよ!ほら、目の下に隈なんか作っちゃって…せっかくの美人が台無しじゃないか。そんなことじゃ、ますます婚期が遠のくよ」
苦笑いで答える宮廷神官の肩を小突きながら、世話好きで知られる管理人は一通の封書を手渡した。
「カール王国からだって。カールといえば、最近なんか不穏な噂が立ってるところじゃないかい?またあんたが遠方に駆り出されるような事態にならなきゃいいけどねぇ」
管理人から薄い封書を受け取ったシェーラは、裏面の署名欄を見た。そこに書かれていた名前は、「アバン・デ・ジニュアール三世」———
これからまさに訪問を予定していた国、それも彼女にとって懐かしい響きのその差出人からの便りは、新たな事変の風をベンガーナに届けようとしていた。
(続)
※冒頭の冒険者四人組は、原作のニセ勇者たちをリスペクトしたオリキャラです(笑)
続きが気になる方は、お気に入り登録して頂けると大変励みになります☆
ここまでお読みいただきありがとうございました!
「ロン・ベルク外伝」1話〜11話までを収録した紙媒体の同人誌と、副読本の頒布はこちらから。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
☆BOOTH 同人誌(ダイの大冒険)カテゴリ
【ロン・ベルク外伝(一)星に導かれし者たち】
【ロン・ベルク外伝 旅紀行(一)】
https://soratonica.booth.pm/item_lists/rYETpzzr