長編シリアスの2話目です。
両手両足に鋼鉄製の枷をかけられ、牢屋の中で横たわった状態のロンであったが————手足の自由が思うようにきかないながらも、うまく体勢を立て直して何とか起き上がることに成功した。息を潜めて、こちらの方へ近づいてくる相手を注意深く観察する。
やがて目の前に姿を現したのは、神官服を身にまとった一人の人間だった。
相手は自分よりも頭一つ分以上は背丈が低く、よく見ると性別は女性だ。
人間の年齢はだいたい魔族の1/10で換算できると聞いたことがあるが、そこから推測すると、この女性はおそらく30年も生きていないようにロンには思えた。
遠目からは松明を片手に持っているように見えたが、実際には照明魔法【レミーラ】を自らの左手に施すことで光を灯していた。女神官はその手を牢屋の鉄格子ごしにロンの方へ向けてかざした。
松明よりも数倍光度の高い安定した明かりによって、ロンの顔が照らされる。
「…なるほど、魔族を捕獲したというのは本当だったようですね」
レミーラの光によって、ロンの方も女性の容姿を明確に観察することができた。
青緑色の瞳と白い肌の持ち主で、白と青を基調とした法衣を身にまとい、神官帽の下からのぞく薄い金色の長い髪を後ろで一纏めにしている。
自分に今すぐ危害を加えてきそうな殺気や敵意は相手からは感じられなかったが、ロンは警戒心を崩さなかった。
「…誰だお前さんは」
そう問われた女神官は、相手に礼儀を示す形でロンに対し軽く会釈をした。
「夜分に失礼します。私はこのベンガーナ王国に仕える宮廷神官シェーラ。あなたを捕らえたあの魔法陣は、実は私が張ったものです」
ロンは合点がいったがごとく感心して、深くため息をついた。
「そうか、神に仕える聖職者か…どおりでやけに強力な魔法陣なはずだ。それも邪気のみならず魔力を無効化する仕掛けつきとはな。どうやら俺も人間界の住人を少し甘くみていたようだ」
シェーラと名乗る神官は、皮肉が込もったロンの言葉に対し、少し困ったような顔で苦笑いした。
「どうか悪く思わないでください。近頃、野生
シェーラの話では、世界中のあちこちで野生の
「私としては、魔法の研究の一環で王宮に協力しただけで、もし野生の
「それで、この俺はどうなるんだ」
「…先ほど終わった軍部会議の結果報告によれば、明朝、あなたは調査官により事情聴取を受けた後、ベンガーナ城の中央広場で公開処刑される予定とのことです」
なんとなく予想がついてはいたが、ほぼ想定どおりの処置となりそうだ。ロンは肩をすくめた。
「やれやれ…で、あんたはそのことを牢屋にいる俺にわざわざ報告しに来たのか。ご苦労なことだ」
二人の間に少し沈黙があったのち、シェーラは小声で何かを唱えた。
すると、カチッと金属が動く音がし、牢の扉に掛けられていた鉄錠と、ロンの手足の枷が開いた。それは解錠魔法【アバカム】の作用によるものだった。
手枷が床に落下し、高い金属音が牢屋のフロア全体に響き渡る。
その音の振動が止むと、牢屋は再び沈黙に包まれた。
ロンは、怪訝な眼差しをシェーラに向ける。
「どういうつもりだ」
若き女神官は、ひとつ呼吸を置いてから静かに答えた。
「私の信仰する誕生の神・ギネは、生きとし生けるもの全ての母です。私たち人間も、あなた方魔族も、そして
錠の外れた牢の格子扉を外に開きながら、シェーラは言葉を続けた。
「私も長い宮仕えで、上流階級の人間たちが堕落していく様子を近くで見てきましたが…種族の違いだけで死刑に処される事態を黙認できるほど、私も腐ってはいないつもりです」
その時、ロンの脳裏にひとつの記憶がよぎった。
魔界の大魔王バーンに献上した光魔の杖を絶賛された自分は、バーン自らが開いた宴席に招かれ、美酒と美女の接待を受けた。彼の元に仕えていたらベルク流を受け継ぐ鍛冶職人として退化すると強く確信した、数十年前の記憶。
「俺は、腐りたくない」————— そう大魔王に告げて、自分はバーンの居城を去ったのだ。
どうやら、どの種族であっても、上流階級に身を置けば下衆に成り下がっていく道を辿るのは同じなのかも知れない…そんなことをロンは思った。
両足を繋いでいた枷も取り外し、身体の自由がきくようになったロンの様子を確認したシェーラは、両手を軽く広げて言った。
「さあ、これであなたの身は自由です。どこへでもお行きなさい」
と申し上げたいところですが、とシェーラは付け加えた。
「いま人間界は数百年に一度の厳冬期を迎えています。地域によっては身の丈を超えるほど雪が厚く積もっている上に、この大陸の最南にある温暖なデルムリン島でさえも、大寒波が襲っているといいます。地底の暖かい気候に慣れた魔族のあなたには、この時期1人で流浪の旅を続けるのは無理があるでしょう。人脈などツテがあれば話は別ですが」
どうやら旅人にとって不利極まりない時節に、自分はやってきてしまったらしかった。
魔界では人間界の情報がごく限られていたとはいえ、自分の浅はかさと運の悪さを少しばかり呪い、ロンは彼女の次の言葉を待つことにした。
その様子を察したのか、シェーラは続けた。
「もしあなたがこの人間界で生きることを望むのであれば…あなたの気に入るかはどうかは分かりませんが、最適な場所を知っています。どうしますか?」
これまでの250年余りの人生を、自分の力量のみで単身生きてきたことに多少の自尊心を持っていたロンは、今ここで生まれて初めて「他人に頼る」————しかも魔族よりはるかにひ弱で短命な人間に助けられるという形で————若干の恥を忍ぶ必要性に迫られているのを感じた。
しかし、このまま牢屋に残っていても良い未来が自分を待っているとは思えず、彼女の話が事実なら、翌日広場で多くの人間たちの前で公開処刑される。
今はただ、最凶の事態を避けるための選択肢しか自分の手の内に残されていないことを悟った。
「…この城での接待よりは、いくらかマシな話のようだな。お前さんの信ずる人間界の神とやらの教えに、今回だけすがるとしようか」
ロンから警戒心が少しばかり和らいだのを見て、シェーラは微笑んだ。
「私の故郷の村へ行きましょう。ベンガーナの領地ではありますが、その村の外れの森は、城の監視対象からは外れているので、身を隠すには良い土地です」
そう言うと、シェーラはロンの腕に左手をおくと、右手の指で何か図形のようなものを空中に小さく描いた。
すると、ロンが虹羽飛石を使ったときと同じように、2人の体が光の粒子に変化し、空間の歪曲と同時に転移波動が生じた。
囚人を失ったベンガーナ城の地下牢は、床に転がる鋼鉄製の枷を残したまま、再び深い沈黙と漆黒の闇に包まれた。
シェーラとロンが瞬間移動魔法によって降り立った場所は、厚い雪に包まれた常緑樹が一面に広がる森の中だった。辺りは闇に包まれていたが、すぐ目の前に木造の小屋がひっそりと建っているのが見える。
ロンがこの世界に転移してきた時と変わらず、依然として横殴りの猛吹雪が続く中、シェーラは白い息を吐きながら、厚い雪を踏みしめつつ小屋の入口に向かって歩いた。ロンも彼女の後ろに続いた。
シェーラの首元で結われた金色の髪が強風で激しくなびくのを後ろで見ながら、ロンはこの女神官のもつ魔法力について考察を巡らせていた。
本来僧侶の習得呪文ではない解錠魔法【アバカム】を操れることは勿論、呪文の詠唱をすることなく魔法を発動させ、そのうえ城内の地下牢獄からいきなり外界山間部への瞬間移動をやってのけている。
自分の知る限り、脱出魔法【リレミト】と瞬間移動魔法【ルーラ】は同時には使えないはずだ。
この神官の魔法力が並外れて高いのか、あるいは人間というのは、我々魔族とは扱う魔法の種類が異なるのだろうか…
シェーラは小屋の扉を軽く叩いた。
木製の扉には覗き窓がついており、ロンからもわずかに中の様子が伺えたが、小屋の内側は暗いままだった。
が、しばらくして、扉の奥で小さい明かりが灯り、物音と人影が動く気配がした。扉が内側から開くと、蝋燭をもった人物が二人の前に姿を現した。
それは、人間界の年齢でいうなら15歳ほどの少年だった。
シェーラよりも背丈は若干高く、均整のとれた体格をしている。
眠っていたのを起こされた様子か、蝋燭を持っていない方の手で軽く目をこすっている。そのことに気付いたシェーラは、少年に詫びた。
「真夜中にすみません。緊急事態が発生したので、あなたにお願いしたいことがあります。入っても良いですか?」
少年は無言のまま、真夜中の訪問客2人を小屋の奥に迎え入れた。
ロンは、少年からの視線が自分に鋭く刺さるのを感じたが、気がつかないふりをして小屋の中を少し観察した。
そこは平屋建の構造で、自分がかつて魔界で住んでいた工房とほぼ同じくらいの広さだが、生活に必要な調理場や物置棚にベッド、テーブルと椅子、暖炉以外に、若干大きすぎる戸棚や窯なども備わっており、少年一人が住むにはその機能性を持て余している感はある。もしかしたら元々は裕福な人間の別荘として建てられたものかも知れなかった。
「…シェーラ、その人は?」
2人の客人と一緒に小屋の中に若干入りこんでしまった雪を軽く手で払いながら、少年はシェーラの方を向いて問うた。
シェーラが暖炉の前で少し屈み、炉の中に向けて指で何かを描くと、ポッと小さく音を立てて火種が生まれた。中にある焚き木に火が燃え移り、闇に包まれた部屋の中を次第に明るくしていく。
暖炉の中の炎が大きくなり、小屋の中が少しずつ温められていく様子を確認してから、シェーラは少年の方を振りかえって答えた。
「先日、私がベンガーナ領の境界付近に張った魔法陣によって捕らわれた魔族の男性です。軍によって城の牢屋に投獄されていたのですが、私の方で身柄をかくまうことにしました。」
少年は驚きの顔を見せたが、すぐに元の表情に戻り、ロンの方を見た。ロンは、少年からの目線に気がつかない素振りを貫いた。
そんなロンの元にシェーラが歩み寄って問いかけた。
「そういえば、まだあなたの名前を聞いていませんでしたね」
「…ロン。ロン・ベルクだ」
「ロン、私はまだ城に用事があるのでこのまま戻ります。あなたは今日はここで休んでください。そして私が戻るまで、決してこの小屋から外に出てはなりません」
行動を他人に指図されることは彼にとっていささか不本意ではあったが、この際致し方ない。ロンは無言の頷きをもって応えた。
「バラン、こちらの男性は異世界からの旅人なので、客人として丁重に扱ってください。寒さに弱い種族でいらっしゃるので、暖炉の火を絶やさないように」
バランと呼ばれた少年は、少し何かを言いたそうにシェーラの方を見ていたが、それを察したシェーラは少年を安心させるようににっこりと微笑んだ。
そして「朝方には戻ります」という言葉を残し、彼女は再び瞬間移動魔法を使って空間から1人姿を消した。
小屋のなかに残された男二人の間に、しばしの沈黙が流れた。なんとなくばつが悪い空気が漂う。
バランは、小屋の奥の物置に何かを取りに行ったかと思うと、毛布を二枚ほど持ってきて、暖炉のそばの床に広げた。
そして彼は無表情のまま、ロンに向き合って言った。
「俺はこの毛布を使ってここで寝るから、今日はあのベッドに寝てくれないか。このランカークスでは旅人を丁重に扱うのが習わしなんだ」
丁重に扱うとは言いながら、まるで愛想がない口調ではある。
「気遣いなどいらん。少なくとも、俺たち魔族の体はお前たち人間よりはるかに頑丈にできてる」
ロンはそう言うと、暖炉のそばに座り込み、バランの持ってきた毛布をかぶって体を横たえた。
魔界で真魔剛竜剣を探す旅に出ていた頃は、荒野や砂漠、岩山で野宿するのも当たり前だった。それに比べれば、ここは上等すぎる宿だ。
バランはまた何かを言いたげな様子であったが、頑として動こうとしないロンの姿を見て、一つため息をついた。
そして無言のまま、薪を少し多めに暖炉にくべて、明け方まで炎が絶えることのないように火加減を整えてから、先程まで少年自身が寝ていたベッドへと戻っていった。
…それにしても、異世界間をまたぐ移動というのは思っていた以上に肉体に負担をかけるものらしい。全身のところどころの筋肉の内側が微細に痙攣している。
ロンは、今日1日に起きた出来事の数々が疲労感へ変わっていくのを感じながら、闇に沈みこむような深い眠りに落ちた。
…一方その頃、ベンガーナ城に戻った神官シェーラは、先程までロンが投獄されていた牢屋の入口に降り立っていた。
宮廷神官といえど、軍の許可なしに囚人と面会することは許されないため、彼女は番兵に世間話をするふりをして睡眠魔法【ラリホー】を発動し、相手が昏睡した隙に牢屋へ入ってロンを脱獄させることに成功したのだった。
数時間たった今もまだその魔法の効果はしっかりと効いているようで、当分夢の世界から戻ってきそうにない番兵の様子を確認したのちに、シェーラは目を閉じて意識を集中した。
「ギネよ、この魔法を利他愛の心で使うことを誓います。どうかご加護を」
そう小さく呟くと、探索魔法【フローミ】と【レミラーマ】を発動し、城の内部をくまなく透視し始めた——————
(続)