ロン・ベルク外伝   作:ソニカ

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バランが超人的な力を発揮する現場をたまたま見てしまったジャンクは、ランカークス村の住人として一人思い悩む。少年バランの謎の真相を確かめるべく彼が向かった先とは…




【第8話】共振

 

 連日のように人間界の大地を覆い尽くしていた雪がこの日珍しく止んだことは、地上に住まう多くの人々の心に深い安堵をもたらした。雲ひとつない空の青さが、雪化粧の施されたギルドメイン山脈を名画のように美しく引き立たせている。

 但しその芸術的な景観の代償として、放射冷却現象によって大地は著しく冷え込み、人々は厳冬期始まって以来の極寒に見舞われることになってしまった。

 

 なぜ四季の存在しないこの世界において厳冬期があるのか————パプニカ王国内の気象研究所で様々な学説が発表されているが、これは地域によっても言い伝えが異なる。

 例えばランカークス地方においては、愛する女性に裏切られ、心の底まで凍てついた魔法使いの男が魔界の王にそそのかされて魔物(モンスター)に姿を変えられ、人間たちへの逆恨みとして100年に一度太陽光が最も弱まるこの時期を狙い、吹雪の魔法をかけ続けているのだと語り継がれている…

 

 そのランカークス村では、羊の毛刈り後に羊毛から糸を紡ぐ作業を女たちで分担し、ベンガーナ城下町の織屋へ巻き糸を卸すのが年間の恒例行事となっている。その高い断熱性によって敷物や衣類の材料として大陸全土で重宝されている羊毛糸であるが、特に今年はこの厳冬により、例年以上に毛糸の増産を求められた。

 大きな籠2つ分の羊毛の塊を担当することになったスティーヌは、小さな紡錘器(スピンドル)を操って少しずつ糸を紡ぎながら、この日は開店からずっと夫の代わりに武器屋の店番をしていた。国の施策で一時的に領民の短剣所持が許可されたことにより、あっという間に店の在庫をきらして制作に追われることになった夫は、この村で武器屋を始めて以来の多忙さに見舞われていたのである。

 

 昼下がりになって、店舗の裏の鍛冶作業場から鳴り響いてくる金属音を聞きながら糸を紡いでいたスティーヌは、ここ数日の間、その音が妙に不安定な拍子であることに気がついていた。

 

 こういうとき、たいてい夫は何かを悩んでいる。そしてこんな調子がしばらく続くと、決まって夫は作業を中断し、外へ出て行って気分転換をはかるものだが————そう思っていると、スティーヌが座っているカウンターの横の扉が勢いよく開き、筋骨逞しい体格の武器屋の店主・ジャンクが作業用前掛けを付けたままの格好で、のしのしと重量感ある足音を立てて店内に入ってきた。

 

 彼は何か煮え切らないような表情をして、「ちょっと出かけてくる」と低い声で無愛想につぶやくと、防寒マントを雑に羽織ってそのまま出て行ってしまった。

 何があったのかはわからないが、自分に出来ることはただ、夫が帰ってきたときに暖かい部屋と美味しい食事で迎えてあげるくらいのものだ。とりあえず夕食には彼の好きなお酒を用意しておこう。確か、この厳冬期が始まる前に村の広場の果樹で仕込んだ蜂蜜入り果実水が良い頃合いで酒精発酵しているはずだ————そんな風にスティーヌが考えていると、程なくして店の入り口から客が入ってきた。

 ————と思ったがそれは武器を買い求めに来た客ではなく、村のはずれの森小屋に一人で住む少年、バランであった。

 

 スティーヌが用件を聞くと、彼はどうやら工房の裏にある煉瓦を取りに来たらしい。ジャンクからいつでも自由に持って行っていいと許可を得たので、とのことだった。

 当の夫は今しがた工房を出てどこかへ行ってしまったばかりだが、好きなだけ煉瓦を持ち帰っていいと伝えてバランを店の裏に通すと、スティーヌはカウンターに戻って再び糸紡ぎの作業に没頭していった。

 

 スティーヌに深く礼を言って、店舗裏の屋外にある工房に入ったバランは、工房の物置の外に煉瓦が大量に積まれている山を見つけた。元々は木炭を焼く釜を造るために用意したのだが、なかなかに骨の折れる作業のため何年も手付かずのまま放置してしまっている、と先日バランが火炉見学に訪れた際にジャンクは話していた。

 

 煉瓦の接着剤として使用する膠灰 (こうかい)もその倉庫内で見つけたバランは、それをあらかじめ持参してきた大きな麻袋の中へ詰めた。そして改めて倉庫の外にある煉瓦の山を眺めた。

 さすがのバランでも、自分の背丈を越える程にうずたかく積まれた煉瓦を一度に森小屋まで運搬するのは厳しく、魔法を使ってこれらの物と一緒に瞬間移動するしか方法はないと彼は思った。

 

 瞬間移動呪文【ルーラ】は、全世界において扱える術者が非常に少ない難易度の高い魔法とされている。

 というのも、これは全魔法の中で最も術者の精神集中力が問われるもので、少しでも雑念がよぎるとたちまち失敗して、術者の記憶の中のどこかの土地へ飛ばされることになるからである。他人の家屋に不法侵入することになってしまったり、あるいは大海原や断崖絶壁へと落下してしまったり、術の失敗によって大きな危険を被る結果に終わってしまう修行者が後を絶たない。

 主には、非常事態が発生したときに国家間の伝達役として使者が発動するか、世界を放浪する冒険者が効率よく土地間移動するために用いられる。が、それもごく稀な例と言ってよいだろう。

 

 バランが数年前にシェーラからこの魔法を学んだときも「安定した魔法力が身につくまでは、緊急事態や社会的責任活動以外の用途で軽々しく使うべきではない」と釘を刺されており、実生活で使用するのはこれが初めてだった。

 シェーラはこれを呪文の詠唱なしに発動するだけでなく、通常不可能といわれている建物内からの瞬間移動をやってのけているあたり、世界的に見ても彼女が卓越した魔法の使い手であることをバランはしみじみ実感するが、自分にはやはり簡単ではなさそうだ。何しろ今回はこれだけの大量の煉瓦を同時に移動させなくてはならないのだ。

 彼は一呼吸おくと、煉瓦の山に片手を置き、もう片方の手を膠灰の入った麻袋に置いて、精神を集中させた。森小屋の映像を強く心に思い浮かべ、自分の全身が少し熱を帯びてきたきたところで、魔法力の高まりを意識したバランは呪文を詠唱した。

 

「二つの点は一つの点に————空間と次元の門番たる精霊達よ、心に思い描きし場所へと我を導きたまえ」

 

彼とその両手に置かれた荷物は次第に量子化を始め、光の粒子へと変化したところで、辺り一帯に空間の歪みが生じた。自らの体感覚が薄れゆくまで、バランは更に意識を集中し続けた————

 

 

 

 

 

 

 その頃、ジャンクは雪に厚く覆われた山道を歩いて、テラン国境近くにある誕生の神ギネを奉る神殿へと向かっていた。

 

 ランカークス村からギネの神殿までは、彼の足でおおよそ1時間ほどの距離であるが、標高の高い山岳地帯に位置するため、体力に自信のあるジャンクでも、神殿近くまで辿り着いた時にはその空気の薄さに息切れを起こすほどであった。

 もしこの日が晴天でなかったら、途中で諦めて引き返していたかもしれない。

 

 呼吸を整えながら一歩ずつ雪を踏みしめるように坂を登っていく途中で、ふとジャンクが目線を上げると、澄み切った紺碧の空の中に純白の建造物が聳え立っているのが見えた。

 いつの時代からこの神殿が存在するのかは分からないが、一体どれほどの数の名工たちがこの建築のために駆り出され、彼らの技巧と労力の限りを尽くして完成させたのだろうか。それを思うと、ジャンクは職人としてただ畏敬の念を胸の内に感じるのだった。

 

 ジャンクが神殿の入口にたどり着くと、その付近で清掃をしていた10代とおぼしき見習い神官が彼の用件を聞き、ジャンクは応接間へと案内されることとなった。

 

 折り目正しい見習い神官の後ろについて歩きながら、ジャンクはその通路の両脇に立ち並ぶ巨大な白い列柱を見上げ、建物内の荘厳な雰囲気にやや圧倒された。全体を白で統一した神殿には塵ひとつ落ちておらず、今朝方まで自分が作業していた金属の屑や灰が積もった薄汚ない工房とは、まったくもって別世界の清々しさである。

 

 簡素だが清掃の行き届いた室内にテーブルと椅子が置かれた応接間へと通されたジャンクは、見習い神官が来客をもてなすために運んできた酪茶を啜った。

 羊乳で淹れた薬草茶に塩を加えたこの酪茶と呼ばれる飲み物は、長寿国で知られるテランにおいて日常的に飲まれている物で、非常に栄養が豊富とされているが、ジャンクは何度飲んでも好きになれない味だと思った。

 

 応接間の窓の外に目線を向けると、純銀で彫り上げたように輝くギルドメイン山脈の連峰をはるかに見渡せた。もしここに妻のスティーヌを連れてきていたら、彼女はさぞ素晴らしい絵画を描きあげることだろう。

 俗世間から切り離され、時間の感覚すら溶けて失われていくような清まった空間にいるうちに、彼はあやうく自分が何のためにこの神殿まで訪れることになったか、その目的というものを思わず忘れそうになるところであった。

 

 しばらくすると、ジャンクにとって馴染み深い人物が応接間に現れた。

 孤児院で集団生活をしていた頃からの付き合いである彼女は、非常に繊細でちょっとしたことですぐに泣いてしまうため自分は「泣き虫シェーラ」と呼んでいたものだが————今やその頃の面影は全く残っていなかった。白と青を基調にした法衣を身に纏い、知性と美貌を兼ね備えた聖職者へと成長した。今やベンガーナの宮廷職も兼務し、独自に改良した破邪魔法を操り国家の防衛機構を担う才媛として、その名を国内外に知らしめている。

 成人してからはお互いに仕事が忙しくなり、村の行事で1年に1回顔を合わせるかどうかという頻度になっているが、時間の隔たりというものが二人の関係性を薄くすることはなかった。

 

 シェーラは応接テーブルのジャンクの正面に着席すると、ゆったりとした物腰で口を開いた。

 

「どうしましたか、ジャンク。あなたの方からこの神殿を訪ねてくるなんて、珍しいこともありますね」

 

 彼女の悠然たる雰囲気は聖職者としての落ち着きある性格を物語るものではあるが、今のジャンクにはそれがかえって苛立つのだった。どうもこうもねえよ、と腕組みしたジャンクは不機嫌そうに答えた。

 そんなぶっきらぼうな態度を取りながらも、彼がこの幼馴染みに対し大きな恩を感じているのは間違いない事実である————

 

 

 ジャンクは、13歳で鍛治職人となることを志し、ランカークス村の中にある鍛治工房に弟子入りをした。工房の親方はベンガーナ城下町の百貨店に武器を卸すことで生計を立てており、ジャンクはそこで武器職人としての土台を培った。

 独り立ちするまで15年はかかると言われる鍛治の世界であるが、修行生活を始めて5年経った頃、突然病に伏した親方の代理で急遽製作した長剣が城下町の百貨店で並ぶと、その品質が目の肥えた商人たちの目に止まり、彼の才能が国内でたちまち話題になった。そのことがきっかけで、ジャンクは弱冠18歳にしてベンガーナ宮廷直属の鍛治職人に登用された。それは異例の人事で大出世に等しく、軍隊の武器はもちろん、王族の権威を象徴する宝刀の製作にも携わるようになった。報酬も申し分なく、その頃の彼は非常に羽振りが良いことで城下町でも知られていた。

 そして執務中に知り合った宮廷画家スティーヌと婚約し、これから二人で豊かに暮らしていけるという希望に満ちていたのである。

 

 ところが、結婚してしばらく経ったある日のこと、突然彼のもとに軍務大臣から通達がきた。騎士団をはじめとする白兵戦部隊の人員を大幅に削減して大砲部隊を新設するという話になり、ジャンクら宮廷職人達が大量に制作していた剣や盾など武具の半分以上が無駄になってしまったのだ。納得のいかなかったジャンクは宮廷会議の場で、軍務大臣に対し怒り心頭で問い詰めた。

 

 大臣による説明は、「白兵戦部隊よりも、遠隔攻撃ができる大砲部隊の方が戦死者数を抑えることができ、且つ、より多くの戦果を挙げられる」とのことだった。

 しかしそれは表向きの理由であり、実際のところは「一部の鍛冶職人たちが報酬を独占するよりも、大砲を作る方が製造にかかわる職種と労働工が多くなり、全体的に経済が大きく回る」ということを優先した結果なのは明らかだった。

 真相のほどは確かめていないが、おそらく鋳造加工や弾薬の職人たちが大臣に賄賂でも渡したのだろうとジャンクは思った。

 実際にこうしたことはベンガーナではよくある話であったし、今のジャンクであれば「社会とはそういうものだ」と胸の内で割りきることができたであろう。

 しかし、日頃から尊大な態度で知られる軍務大臣———兵士や部下を駒のように扱いながらも自らは安全な場所で牛耳り利権を貪る———の姿に、当時まだ若かったジャンクは黙っていられなかった。「腰抜け野郎」という罵倒文句を浴びせて大臣を殴りとばし、大広間は乱闘騒ぎとなった。当然のことながら彼は即刻解雇され、妻ともども王城から永久追放される身となってしまったのである。

 

 無職となったジャンクは、自身の生まれ故郷であるランカークスの村に戻って小さな武器屋を営むことにしたが、辺境の田舎ということもあり、ごく稀に大陸を流浪している戦士や傭兵などが訪れる程度で、日々の安定した稼ぎには全くつながらなかった。妻のスティーヌが内職をすることで、なんとか細々と食いつないでいるという有り様で、領主への税金も時折滞納するほどの経済状態であった。

 

 生活費に困り果てていた頃、幼馴染みのシェーラが彼に「とある人脈」を紹介してくれた。彼女がカール王国の外れに住む学者の元で修行していた頃に知り合ったという騎士団長を通じて、武器をカール王国に直接卸すことができるようになったのだ。

 カールにも鍛治職人はいたが、近年は領土内の鉱床が枯渇し慢性的な材料不足に悩まされていた。そのためカール王国は、潤沢な鉄鉱資源を所有するベンガーナ王国に対し交易を申し出たが、相手に足元を見られた形で商談が始まったことで、「相手の欲するものは高く売りつける」ベンガーナ側のしたたかな遣り口によって、利鞘を通常の5倍に設定した価格契約をとられてしまったのだ。それによりカール王国は財政状態が次第に逼迫し、年々増えて行く騎士団の団員に対し武器を十分に供給することができずにいたという。

 シェーラの采配によってカール王国とジャンクの双方の利益が一致した。カール側としては、国を通さず職工と直接取引することによって適正価格で武器を確保できるようになり、ジャンクは安定した固定取引先を得た形で武器職人として生計を立て、妻を養っていくことが可能になった。

 

 この一件で、シェーラに大きな借りを作ってしまったジャンクは、それ以降彼女に対し全く頭が上がらなくなってしまった。しかし、先日のバランの一件については話が別で、真実をきちんと問い詰めなければならない。これは村全体の治安にも繋がる重要なことなのだから————

 

 ジャンクは、村にやってきたアルトガの傭兵たちをバランがたった一人で叩きのめした現場を目撃したことについて、彼の記憶に残っている限りの内容をありのまま、目の前の幼馴染みに話した。

 それを聞いたシェーラはひとつ呼吸を置くと、表情を崩すことなく落ち着いた態度で答えた。

 

「バランは意味もなく暴力を振るう子ではありません。きっとその傭兵たちに、何か彼に攻撃されるだけの理由があったのでしょう」

 

 それはジャンクも承知していた————バランは決して自分から喧嘩を売るような性格ではない。が、彼の話の焦点はそこではなかった。

 

「まあ、相手はアルトガの荒くれた傭兵達だ。たぶん喧嘩になったきっかけは奴らの方にあったとは思うが…俺は別にバランを責めているわけじゃねえ。ただ、あの人間離れした喧嘩っぷりを見ちまったらよ…なんだか怖くなった」

 

 シェーラは珍しく弱気なジャンクの言葉に眉をひそめ、彼の不安そうな表情を静かに見つめた。

 村社会というものが、その所在が田舎になればなるほど、村の治安を脅かす可能性のある存在を恐れ、排他的思考に陥る傾向にあることを、彼女は熟知していた。

 特にジャンクはここ数年ランカークス村の自警団の代表を務めていることもあり、そうしたことに敏感になるのも無理はなかった。

 

「あいつはきっと、普通の人間じゃねえ…お前はそれを知ってて、数年前にあの森小屋にバランを隔離したんだろう、違うか?!」

 

 言いながらジャンクは椅子から立ち上がり、両手をテーブルについてシェーラに詰め寄った。シェーラは目の前の相手の感情が高ぶってきたのを見て、それを牽制する意味もこめて少し間をおいてから答えた。

 

「…『隔離』という言葉は適切ではありませんね、ジャンク」

 

 ジャンクは、予想外の彼女の返答に片方の眉を跳ね上げた。

 

「バランの個性は、村社会の狭い枠には収まりきらないほどの器に拡大したのです————だから大いなる自然の中で自由に伸び伸びと育てあげるのが適していると…私はそう判断したにすぎません」

 

 彼女と幼少期からの付き合いであるジャンクにとっては、このシェーラという人間が少々変わった感性の持ち主だということは十分に理解していた。

 誰に対しても分け隔てなく優しい性格ではあるのだが、それはたとえば————孵化直後に巣から落ちてしまった異形の鳥(アカイライ)や、妖獣(グレムリン)に襲われて怪我をした吸血蝙蝠(ドラキー)を保護するために教会の孤児院に持ち込んだりするなど、魔物(モンスター)にまで慈愛の精神を注ぐ有様なので、村の中でちょっとした騒動になったこともある。

 

 そんな彼女が「全ての生命は対等の価値であり、独自の役目をもつ」と唱える誕生神ギネの教えに惹かれ、聖職者としての道に入ったのは自然な流れではあったが————しかし、今はそんな彼女のおおらかで博愛的な思想と言動が、ランカークス村を不穏に陥れようとしている。正直なところ、ジャンクにはそんな風にしか思えなかった。

 

「あれを『個性』と呼ぶなんざ、お前の感覚もつくづくぶっとんでやがるな」

 

 ジャンクは再び椅子に座って腕組みをすると、大きなため息をついた。

 

「ただよ…俺が一番危惧してるのは、そのアルトガの連中の死因が、今逃走中の魔族の仕業だとみなされたってことだ。その噂が広まれば、『魔族狩り』を目的とした冒険者どもがこの村に集まってくる可能性が高くなる。————そうなると、俺も村の自警団の代表として、何らかの手段を下さざるを得んぞ」

 

 冒険者、という言い方をしたジャンクだったが、そこに好意的な感情は微塵もなかった。

 この世界を旅するように渡り歩く戦士や魔法使いの類いは、物資の購入や宿の利用などで多少は村にお金を落としてくれるかも知れないが、礼節を知らない輩も多く、過去には村の若い少女が暴行される事件が起きたこともあった。そんな経験から、このランカークスの村人たちは特に外部からやってくる人間たちに対し、強い警戒心を抱く傾向にある。

 ジャンクの懸念は、シェーラには痛いほど伝わってきた。

 

 彼の不安を一掃するかのように、シェーラは毅然とした態度で答えた。

 

「もしこのことが発端となって村のみんなに危害が及ぶようなことがあれば————そのときは私が全ての責任を持ちます」

 

 ジャンクは目を細めて、相手の意図を探るべくシェーラを睨んだ。「責任をもつ」とは一体どういうことなのか。村を出るつもりか、それとも————

 

「…でもそんなことが起こる前に、おそらく————時代が『彼』を放っておかないでしょう」

 

 彼女のその言葉の意味を、ジャンクは理解できずに少しばかり呆気にとられたが、再び大きなため息をつくと彼はこう答えた。

 

「…わかった、お前の裁量に任せる。俺はもう何も言うまい」

 

 そして「バランのことは、村のみんなには黙っておいてやる」とも付け加えたジャンクだったが、仮に村人たちに真相を明らかにしたところで信じてもらえない可能性の方が高いであろうことも、彼には分かっていた。

 

 結局のところ、この問題はジャンクにはどうしようもなく、今回の訪問で彼はこの幼馴染みが自分の記憶以上に信念の強い性格だということを思い知らされただけだった。彼女の説明に納得したというより、その覚悟の程に降参した、という方が近い。

 

 ただ、おそらく彼女は自分に対して何か隠していることがある、ということだけは何となく察知した。長年の付き合いである自分にも話せない事情とは一体何なのか……まるで見当がつかないが、今日のところはこれ以上真相を追求したところで無駄な一方通行に終わる予感しかなかった。

 

「忙しいところ邪魔したな」とジャンクはシェーラに軽く詫びると、供された酪茶を半分以上残したまま席を立った。

 

「あなたも戒厳令の影響で短剣作りの仕事に追われているのでしょう。今から歩いて帰れば日が暮れてしまいます。村まで送りますよ」

 

 シェーラも立ち上がり、神殿の出口までジャンクを案内すると、彼に片手をかざし、魔法を発動した。

 それは瞬間移動魔法をシェーラが独自に改良して編み出した「転移魔法」であり、術をかけられた相手のみが目的地へ転送されるものである。

 

 次第に光に包まれ、目の前の視界から消えていくジャンクの様子を見届けながらシェーラは思った。

 彼には、バランの正体が竜の騎士だということは言えない。ましてや今、バランの住む森小屋に魔族を保護していることなど————

 今はまだ彼も武器の製作に追われており、あの森までバランの様子を見に行く余裕もないであろうが、この厳冬期が終わる頃には、彼が何かの機会に森小屋まで訪れる可能性もある。もしそこで魔族のロンを匿っていることがわかれば、これは村として————否、大陸全土を巻き込む大問題となろう。何か対策を講じなければならない————

 

 神殿の外に広がる白銀の山脈を遠くに眺めながら、シェーラは先行きの見えない未来に思いを馳せた。

 

 自分が魔族のロンを匿った判断は間違っていない。それによって一時的に混乱が生じることになっても、未来には全てが良い結果に変わるはずだ————そう信じてきた気持ちが、今日久しぶりに顔を合わせた幼馴染みの不安そうな表情を見たことによって、僅かに揺らいでしまった。

 

 しかしそれでも自分は、聖母竜から与えられた「竜の騎士を育てる」という使命を全うしなければならない。竜族・魔族・人間の運命を象徴するといわれる三つの天体———オルファンの蒼き星、サイナスの紅き星、アーカサスの翠の星———による宇宙の導きは、もう既に始まっているのだ。

 

 かつて自分が師事したカール地方の学者・ジニュアール一世は、星の動きと地上の運気を支配する電磁気学との関係性に着目し、それを独自に分析したことで数々の未来予測を可能にしたが、特にこの三つの星が一直線上に位置するときに地上に与える力は強力なため、仮にこの時期に3つの種族が何かしらの協定を結んだ場合には、未来永劫決して揺らぐことはないだろうと師は話していた。

 

 ロンがバランの剣術の師になる契約を交わしたあの日————寄り添うように夜空に並んでいたあの三つの星は、自分が使命を果たすことを加護してくれるだろうか。

 日暮れの訪れとともに、星明かりが次第にその存在感を増していく。シェーラは数億光年先から届けられたその光の源を、しばらくの間、すがるような面持ちで見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 一方、ジャンクとシェーラが自分の起こした事件を巡って面談しているとは思いもよらない少年バランは、自身の発動した瞬間移動魔法【ルーラ】によって————目的地として設定した森小屋の前に降り立っていた。

 何とか無事に魔法が成功したようだ。ジャンクの小屋でもらってきた煉瓦も、膠灰の入った麻袋も、きちんと手元にある。

 

 ただ、これだけ多くの物資と共に一度に移動したためか、バランは少なからず気力的な疲労感と全身の微弱な痺れに襲われた。

 まだまだ、自分の魔法の腕は未熟だ。シェーラから今一度、魔法について指導してもらう機会を得たいという気持ちになるのだった。

 

 煉瓦の山と膠灰の袋を裏の物置に格納し、この日作業する分だけを両腕に抱えてバランは小屋の中に入った。すると、屋内の床板が全て外されて土が剥き出しの状態となっており、同居人のロンはどこにいるかと思い小屋の中を見渡すと、彼は自分の寝床を改造しているところだった。

 ベッドの4本の足を取り、壁面とベッドに蝶番を取り付け、吊り下げ用の鎖を壁からベッドの両端につなげることによって、就寝時以外はベッド本体を壁側にたたんで固定し壁面収納ができるようにした。

 これはバランの発案によるもので、鍛冶作業場を新しく作ることで屋内の面積が取られてしまうため、少しでも居住空間を広くとるための工夫であった。

 

 壺の中へ膠灰と水を入れて混ぜ合わせ、煉瓦を設置するための接合材をこしらえたところで、バランが完成させた設計図を元に、二人は壁面に煉瓦を積み始めた。

 

 しばらく黙々と作業に取り組んでいた二人であったが、ふと、バランが口を開いた。

 

「…この間、村に下りた時に、よそからやって来た傭兵たちと喧嘩をしてしまった」

 

 正確には、喧嘩をしたというより圧倒的な力量差をもってバランが傭兵数人を再起不能にしたのだが、あえてそのようには言わなかった。ロンは無言で煉瓦を手際よく壁面に設置していきながら、バランの言葉の続きを待った。

 

「奴等が、この村やシェーラを侮辱するような発言をしたんだ。それで黙っていられなかった。…ロンだったら、こういうときどうする」

 

 バランは、ロンの方を見た。この冷静な男であったら、あの場面で一体どのように男たちに対処するのかを知りたかった。しかし、ロンが返した言葉はバランの予想したものとは大きくかけ離れた内容だった。

 

「別にどうもせん。そもそも、なぜそこで喧嘩になるのかが俺には理解できない」

 

 ロンには不思議だった。その傭兵たちの言動が何故、バランをそこまで腹立たせることに繋がるのか————

 

「別にその傭兵たちの言葉によって、村やシェーラの価値が下がるわけでもあるまい。言いたいことは勝手に言わせておけばいいだけの話だ」

 

 実際には、ロンの言うことは正論だった。しかしそれでも、バランには彼らを許せないという気持ちが先に立った。

 

「…そうかもしれない。でも、俺には我慢できなかった」

 

 もしここに第三者がいれば、バランの性格というのは「女性を大切に扱い、弱きを助け強きを挫く」とする騎士道精神に象徴されるものだと指摘したことだろう。

 

 ロンは、苦々しい表情を浮かべたバランの横顔を見て、ふと気がついた。自分は魔族としての当然の感覚を述べただけだが、この少年のもつ「怒り」というものが人間特有の感情なのだということに————バランは人間ではなく竜の騎士だが、れっきとした「人間の心」を持っているのだ…

 

 人が人を想う気持ちというのは、何故こんなにも真っ直ぐなのであろう。特にこの目の前の少年からは、強烈なまでの純粋さを感じる。

 

「…それで、その傭兵たちはその後どうなった」

 

 ロンが問うと、バランは作業の手を止めて少し俯いた。

 自分が傭兵たちを殴ったその翌日、村では彼らの凍死体が発見されて大騒ぎになったということを、ジャンクの工房へ行く前に立ち寄った金物屋の主人から聞いた。

 その原因を作ったのが自分だということを誰にも言えずにいたバランだったが、この魔族の男には不思議と打ち明けることができた。

 

 バランの話を聞いたロンは、この少年がどのように傭兵たちを倒したかについて、ふと興味が湧いた。彼は手元にあった最後の一つの煉瓦を壁に設置すると、少年の方を向いて言った。

 

「…バランよ。試しに、俺をその傭兵たちだと思ってかかってこい」

 

 バランは驚いた表情でロンを見た。

 

「剣の指導を始める前に、お前がどの程度の力量なのか知っておきたい」

 

 ロンの言葉の内側には、武術家としての純粋な興味があった。伝説の竜の騎士というものが、一体どれだけの戦闘力を秘めているのか————

 

 かかってこい、と突然に告げられたバランは困惑した。いくら相手が人間よりも遥かに頑強な魔族であったとしても、理由もなしに相手に攻撃を仕掛けるなど出来るわけがない。

 

 言葉を失ったまま立ち尽くし反応を示さないバランを見て、彼をけしかける必要があるとみたロンは、青肌の拳をバランの顔の前へ鋭く突きだした。間髪入れずに足で蹴りを繰り出すと、バランは当たる寸前で上体を捩ってかわした。ロンの蹴り足はバランの後ろにあった物置棚に命中し、棚に収納されていた壺や器が次々に床に落下して割れた。棚そのものも大きな亀裂音をたてて破壊されてしまったが、ロンは構わず更なる攻撃をバランに向けて放ち続けた。

 

 さして広くもない小屋の中で突如始まってしまった格闘に、バランは戸惑った。先日自分が相手をした傭兵たちとは比べものにならないほどに洗練されたロンの動きに驚くとともに、止めどなく押し寄せてくる徒手空拳に対してどう対処すべきか分からずにいた。

 

 バランは、軽業師のような身軽さと俊敏さをもって、ロンの手足から容赦なく繰り出される連続攻撃をすれすれのところでうまくかわし続けた。それだけでも、少年の身のこなしは常人離れしたものだということを十分に証明するものにはなった。

 しかし、自分の攻撃をただ避けるだけで防戦に徹するバランの様子を見たロンは、何か少年の怒りを引き出す挑発が必要なのを知った。彼の理性を失わせるためのきっかけ————それはロンの思い付く限り、ただ一つしかなかった。

 ロンはふと動きを止めると、格闘によって少し乱れた長い黒髪を指でかきあげ、不敵な笑みを浮かべた。

 

「…お前の養育者たるシェーラ、あれはつくづく偽善者もいいところだな。全ての生命は平等だと言って俺を城の牢屋から脱獄させたが、つまるところは彼女自身の目的のために俺を利用したに過ぎん。澄ました顔をしてとんでもない狡猾な詐欺師だ。人間界の聖職者とやらが、聞いて呆れる」

 

「…なんだと…」

 

 ロンの読みは当たった。バランの表情からみるみる冷静さが消えていく。

 

「あんな女に育てられて、お前も人生の半分損したというものだな」

 

「…彼女を侮辱することは…誰であろうと絶対に許さないぞ」

 

 最後の言葉を言い終えるか否か、バランは裂帛の気合とともに拳を繰り出してきた。それを片手で受け止めたロンは、腕に大きな衝撃と痺れが走るのを感じた。

 

 ロンがそのバランの拳を手のひらで受け流すように払うと、バランは間髪入れず相手の延髄を狙った上段蹴りを放ってきた。ロンは上体を反らして避け、続いて彼を襲ってきた回し蹴りもひらりと跳躍してかわした。バランによって繰り出される連続技は、相手が人間でなく魔族であったとしても、ロンほどの身体能力がなければ避けることは不可能であっただろう。

 

 先程と状況が一転して、今度は自分に向かって間髪入れず襲ってくる攻撃を受け流しながら、ロンは見た。少年の額に、うっすらと何かの形をした光が浮かび上がるのを————

 

 その瞬間、ロンは身震いし、全身が高揚するのを感じた。

 魔界にいた頃、武人たちからは決して感じることのできなかった覇気を、今のこの目の前の少年から感じている。これが噂に聞く『竜の騎士』の力なのか————

 

 今は自分の言葉の挑発に乗った形での闇雲な攻撃であるが、もし彼が自身の感情をうまく手なづけることができれば、この強さは更に驚異的なものに進化するだろう。ましてや、彼は歴代の竜の騎士たちの戦闘力を受け継いでおり、そしてそれはまだ真に覚醒したわけではなく————まだ原石の状態に過ぎないのだ。

 

 少年の伸び代の大きさを悟ったロンは、この戦闘に蹴りをつけるべく、バランの左拳をかわしたところで不意に彼のみぞおちに一発拳をくらわせた。軽い一撃のつもりだったが、思いのほか「当たりどころ」に命中したらしい。バランは気を失って床に倒れてしまった。

 人間ならいざ知らず、竜の騎士であればこの程度は大したダメージではないはずだ。放っておけばじきに意識は戻るだろう。

 

 気がつけば、日が暮れて小屋の中が真っ暗になっている。ロンは火打ち石を使い照明蝋燭に灯をともした。自分が破壊してしまった棚と、床に散乱した壺や器の残骸を片付けつつ、この棚の修理についてはまた後日考える必要性があると感じた。

 そして卒倒した少年が目覚めるまでの間、彼がやり残していた分の煉瓦積みの作業を代わりに続けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 程なくして、ロンの予想通りバランは自然と意識を取り戻した。

 なぜ自分が倒れているかの理由を思い出した彼は、そもそもこの格闘の原因を作ったロンに対して改めて憤慨した。するとロンは、しれっとした顔で答えた。

 

「なに、ちょっとした小手調べだ。結果としては及第点といったところか。もっとも『徒手の面に限って言えば』の話だが」

 

 バランは自分が試されていたと知って、唖然とした。何となく癪に感じるが、これから剣術を教わる師に対し怒ったところで何もならない。憮然とした様子でバランは立ち上がり、転倒したことで衣服に付いてしまった土埃を手で払った。

 気がつけばもう夜だ。作業も程々にして、そろそろ夕食の準備をしなければ————

 

 そう思っていると、天井からドスン、と何かが屋根の上に落下したような大きな衝撃が走った。

いったい何事だろうか。驚いたバランが小屋の外に出て、梯子を使って屋根の上にあがってみると、キメラの亜種がぐったりと屋根の上で倒れているのを見つけた。

 「空の殺し屋」と言われるキメラ種が、寿命死以外の理由で地上に身を落とすなど珍しいことだ。キメラの肢体に近づいてみると、ただ白目をむいて気絶している様子だった。

 外傷らしきものも特に見当たらないことを確認したその瞬間————キメラは突如目を見開き、バランに向けて口から大きな炎を吐いた。

 

 バランは咄嗟に身を反らしてその炎を避けたが、屋根の雪に足を滑らせてしまい、バランスを崩してそのまま屋根から地面へと真っ逆さまに落ちてしまった。

 その落下音を聞いて小屋の外に出てきたロンが、気絶した状態から息を吹き返して襲いかかってきたキメラと対峙した。

 

 そのとき、ロンは目の前の怪鳥獣(キメラ)から漂う気配に、既視感があった————それが何かを咄嗟に思い出すことはできなかったのだが、とにかく「自分はこの感覚を知っている」と彼は思った。

 

 翼を広げたキメラが次なる炎を獲物に浴びせんと呼気を溜めている僅かな隙に、ロンは自らの剣帯に装着していた隠しナイフを素早く抜いて投げ、キメラの心臓部に命中させた。嘴に溜められていた炎はあえなく虚空に放出され、キメラは断末魔の奇声を上げて地面の雪の中へと落下していった。

 

 一瞬のうちに絶命したキメラの屍を見下ろしながら、ロンは思い出した。人間界にやって来て数日、この穏やかな大気に次第に馴染んできたことで、すっかりその感覚を忘れかけていたが————この魔物(モンスター)から漂っていたもの、これは間違いなく魔界の支配者が魔物をコントロールする際に放つ独特の邪気だ…………

 

 屋根から勢いよく落ちてしまったバランだが、積雪が緩衝材になってくれたおかげで特に怪我もなくすぐに起き上がると、ロンの仕留めたキメラを見た。ナイフの刺さったところから血液が滲みだして、辺りの雪がじんわりと青緑色に染められていく。

 

「キメラが気絶して屋根に落ちてくるなんて、初めてのことだ」

 

 そもそも、野生のキメラはこの界隈における食物連鎖の頂点に位置しており、天敵に攻撃されることなどないはずだ。仮に体力的に弱って落下したのだとしても、帰巣本能と警戒心が非常に強い魔物(モンスター)として知られているキメラが、人家に不時着するというのも考えにくい。

 

 このキメラの件に限らず、数日前にロンがこの小屋に来たばかりの時は、この雪の時期に見ることのないアルミラージも現れた。あのときは単なる偶然だと思っていたが————「何か」がこの自然界に起き始めているのかも知れない…そんな風に思うバランだった。

 

 とりあえず、キメラは精巣の部分に生体毒があるため食用にするには危険を伴うが、脳味噌には薬効効果があり、羽は城下町の素材屋に売ることができる。先日仕留めたアルミラージの毛皮や角も一緒に売ればしばらくお金に困ることはないだろう。

 

 バランは狩猟用ナイフを持ってきて、キメラの解体を始めた。その様子を眺めながら、ロンは思った。この野生のキメラは、おそらく地底の魔界から発せられた邪気に当たってやられたのだ。大魔王バーンの魔力が高まってきて、いよいよ侵攻をかけてくる時期が迫っているのか…或いは、バーン以外の勢力、冥竜王ヴェルザーなのか————

 

 

 

 キメラの解体作業が終わった後、二人はごく簡易的な夕餉————前日の食事の残りの汁物に、水で練った大麦の粉を丸めて団子状にしたものと、干し野菜と赤豆とを入れて煮込んだもの————を食した。

 

 ロンがこのバランの住む森小屋に居候をすることになって1週間ほどが経つが、二人の間で交わされる会話というのはごく必要最小限の意思伝達にとどまるものであり、相手のことをよく知ろうといった友好的な歩み寄りはほとんど見られない無機質な関係性が続いていた。

 お互いに口数少なく、無駄話を好まない傾向にあるため、ある意味、基本的な性質が似通った二人でもあったのだが————

 

 しかし、先日の傭兵との喧嘩の一件で、バランはロンに対し少しだけ心を開きつつあった。普段は自分から会話を切り出すことの少ないバランであるが、この日の食事の席では、珍しく彼の方からロンに尋ねた。

 

「…なぜ、ここに火炉を作りたいと思ったんだ。ロンは鍛冶仕事ができるのか」

 

 その素朴な問いに、ロンは少年に対し初めて自分の経歴について語る必要を感じたため、やや間をおいて答えた。

 

「…俺は魔界で生まれて10歳で剣の奥義を極めたが、自分の必殺技に耐えうる剣がこの世に存在しなかった。それを自分で作るために鍛冶職人になったが————その製作がまだ終わっていない」

 

 相手の意外な経歴にバランは驚いた。10歳で剣を極めたとは、本当なのであろうか————しかし、先程の徒手格闘であれほど洗練した動きを見せた彼が言うと、あながち誇張にも聞こえない。もしそれが事実なのだとしたら…自分はいまだかつてない技量の人物を、師と仰ぐことになる。バランは少しばかり緊張感を覚えた。

 

「鍛冶職人…ということは、今ロンが持っているあの両手剣は、ロンが自分で作ったものなのか」

 

 そうだ、とロンが答えると、バランは向かいの壁に立て掛けてある彼の長剣を見た。鞘に納められている状態ではあるが、やはり何か独特の「気」を強く感じる。

 あの剣では、そのロンの編み出した必殺技に耐えられないのだろうか。その事をロンに問うと、彼は少し黙した後に答えた。

 

「そうだな、今のあの剣では無理だろう————神魔剛竜剣に匹敵するくらいのものでなければ————」

 

「神魔…剛竜剣?」

 

「神々が創ったと言われる伝説の剣だ。俺の武器職人としての目標でもある…それを一度この目で見てみたいと思い、俺はここ数十年の間ずっと、この世界のどこかにあるといわれる神魔剛竜剣を探し続けている…この人間界にやって来たのも、その探索が目的のようなものだ」

 

 バランは、その伝説の剣の名前の響きに、全身が大きく脈打つのを感じた。

 

「…そうか。その剣を探しに人間界へ————」

 

 ロンが魔界からこの人間界にやってきた理由を初めて理解したバランは、少しだけ安心した気持ちになった。

 シェーラからの依頼で共同生活をするようになったとはいえ、やはり魔族に対しては警戒心を崩すことはできず、もしロンが村に危害を加えるようなことが起これば、自分が彼を始末しなければならないと思っていたのだ。

 

 しかし、この数日共に同じ屋根の下で暮らしているうちに、彼には「欲」というものが全くなく、そして善悪の概念もない、ただ純粋に強さを追求する生粋の武人なのだということをバランは理解し始めていた。

 何より、先ほど小屋の中で繰り広げてしまった徒手格闘において、この魔族は自分の拳を片手で受け止めた。それまでの人生で、自分の攻撃をまともに受けて無事だった相手など存在しなかっただけに————シェーラがこのロンという男に自分の剣術の師を依頼した判断はやはり間違っていないのかもしれないと、改めて思うバランだった。

 

 

 そして食事を終えた後に、先ほどロンによって破壊されてしまった物置棚の残骸を見たバランは、その板の断面を見て、彼の武人としての実力の片鱗を知ることになった。

 単に力任せに蹴りつけただけでは、木材はこのような割れ方をしない。力が一点に集中したことで、木目より更に微細な繊維に至るまでくっきりと真っ二つに割れており、足技の精度がおそろしく高いことが伺える。これがもし自分に当たっていたらと想像すると————思わず冷や汗を感じるほどであった。

 

 当のロンは、シェーラが持ってきた書物を自らのベッドの上で読みふけっていたが、バランが物置棚の残骸を小屋の外に廃棄して再び小屋の中へ戻ってきた頃には、横になって深い眠りに落ちていた。

 

 

 自らも休息をとるべく、バランは照明蝋燭を吹き消して自作の簡易ベッドに潜った。そして窓から差し込む月明かりに顔半分を淡く照らされながら、少年は、ふと先ほどロンが話していた伝説の剣のことが気になり始めた。

 この感覚は、一体何なのだろう————昔からその存在を知っているような、どこか懐かしくもあり、そしてそれを忘れてはならないとも言われているような…………

 

 ロンが憧れ、理想としている剣。彼ほどの男が認めるものであれば、確かに凄いものなのだろう。自分にはまるで想像がつかないが————

 

 神魔剛竜剣。そう小さく呟いたバランは、自分の胸の内に疼きつづけるこの妙な感覚を、気のせいだと思うことにして眠りについた。

 

 

 

 

 

 

 

————ランカークスから見て北西の位置に存在する、森と湖に包まれた風光明媚の国として知られるテラン。

 大きな湖のほとりにひっそりと佇む王城では、国王のフォルケンがテラスに出て夜空に浮かぶ月を一人眺めていた。

 

 一国を治める立場の人間としては随分と地味な身なりの初老の男で、特に隣国ベンガーナの王・クルテマッカⅥ世の華美な出で立ちと比較すれば、彼の身に纏っている衣服は極めて質素なものだった。もし頭上の王冠がなければ、彼を平民と勘違いする者もいるかもしれない。そしてそんな彼の一つの信条を貫いた形ともいえる価値観こそが、今の彼自身の悩みを生じさせてもいた。

 

 彼はここ十年ほどの間、国民たちが国の消極的な運営方針に見切りをつけて国外へ移住していく人口流出の問題を憂いていた。

 

 その原因を作った施策とは、武器や道具の開発を禁止することだった。フォルケン自身は、隣国ベンガーナの影響で物質文明に溺れてしまった自国の民に、テランの精神————大自然に宿る精霊たちと共生することの大切さを思い出してもらうつもりであったのだが、結果は裏目に出た。この施行に踏み切ったことにより、国外の一部の政治学者達からは「人類有史以来の愚策」と評される結果となり、その不名誉がテラン国内にも広まったことで国民たちは失望し、ますます人口流出に歯止めがかからなくなってしまった。ある程度文明の発展を遂げた人類が望むこととは、生活水準の更なる向上であり、昔回帰ではなかったのである。

 

 外部の人間から理解されないであろうことは、フォルケンも承知していた。しかし、まさか国民にまで見放される結果になろうとは————ベンガーナと長きに渡って続いてきた交易が、ここまでテランの民の純真な心を侵食していたことは、彼にとって想定外だった。

 

 フォルケンとしては、自分が間違ったことをやっているつもりはなかった。

 もともとこの地上は、創世記においては精霊たちの棲まう美しき緑の星であったのだが、やがて人間や魔族、竜族が誕生し、彼らが覇権を巡り三つ巴の熾烈な争いを始めるようになって以降、戦争や凶器を嫌う精霊たちは地上に住み場所を無くし、天界へ避難せざるを得なくなったのである。

 元々この星の先住者であった精霊たちに敬意を表し、彼らを再び地上に呼び戻して平和的に共生していくことがフォルケンの願いであり、そしてこの施策が正しかったことが未来には証明されるはずだと彼は純粋に信じている。しかし、文明の進展によって得られた物質的繁栄を一度享受してしまった人間には、この自然思想に立ち返ることがどうにも難しいようだ。

 

 今年62歳となるフォルケンは、この年齢まで伴侶をもたずに独身を貫いたことで後継者と呼べる者もおらず、自分の死後は国自体が自然消滅する可能性が高くなった。そうした心労と年齢的な体力の衰えから体調を崩し、今は薬湯を服用しながら療養生活をしている。

 自分の理念を真に理解してくれる者といえば、城内の数少ない近衛兵や侍女たち、そして国教であるギネの聖職者たちくらいのものである…………

 

 

「陛下、この寒い中あまり夜気に当たりますと、ご体調に響きましょう。そろそろ部屋の中へお戻りください」

 

 背後から声をかけられたフォルケンが振り返ると、そこには若い近衛兵が心配そうな面持ちで国王を見つめていた。

 長年国のために尽くした中堅の親衛隊すらもあっけなく自分の元を去っていく中で、この少年兵だけは城に残ることを選んだ。彼は元々ベンガーナ王国の戦士団出身らしいが、数年前に軍が再編成されるに伴い解雇され、行き場を失ったことでテランに移民してきた。腕力以外に何の取り柄もない自分でもこうしてお役に立つことができて嬉しい、と王家に生涯の忠誠を誓ってくれている。

 

 その近衛兵に身体を気遣われながら、フォルケンが室内に戻ろうとしたその時————目の前の湖から、空に向かって一条の光が大きく放たれるのを見た。それによって湖一帯が明るく照らされ、テラスにいた二人はその眩しさに思わず手で目を覆った。

 そしてその光は一瞬のうちに止み、周囲は再び漆黒の闇に包まれた。

 

「陛下、あの光は一体————」

 

 フォルケンはその近衛兵の言葉には応えず、ただ黙して湖の方面を見つめた。あれはおそらく、湖底に眠る『竜の神殿』が発生源だろうと彼は思った。

 

 竜の神殿といえば、ギネの女神官が聖母竜から竜の騎士を授かってそろそろ15年が経とうとしている。彼女が当時その報告のために王の間を訪れて以来、今日に至るまで何も音沙汰がないが、きっと立派に育ててくれているはずだ。成人を迎えた竜の騎士がこの湖に訪れるとき、あの竜の神殿の入り口は開かれることとなろう。それはきっと、後世に長く語り継がれる英雄譚の序章となるに違いない————

 そんなことを思いながら、フォルケンは近衛兵とともに室内に戻っていった。

 

 

 

 テラン国王のフォルケン以外にも、五大陸の各地で夜空を観測していた天文士たちがこの夜空を貫く光を見た。

 その稀有な現象について、特に賢者の多いパプニカ王国内においては大きな議論となり、学会の中で様々な憶測が飛び交った。

 

「地磁気の乱れによって発生した光源で、近いうちに大地震が起きる」

「魔王軍から発せられた地上侵攻の予告状ではないか」

 

 実際には、地磁気にも魔界にも関係のないところで、それは起きていた。

 

 テランの湖底に眠る「竜の神殿」の内部に鎮座する竜水晶。そこに封印されている神器————伝説の金属・オリハルコンから創造した『神魔剛竜剣』が、竜の騎士の声の波長に呼応したのだ。

 

 そして、それを誰よりも正確に察知したのは、地底に潜伏する冥竜王ヴェルザーであった。自らの覇権を最も脅かすであろう伝説の神器と、その正統な(あるじ)である竜の騎士が、これから邂逅のときを迎えようとしていることを————

 

 

 

(続)

 

 

 

 

 





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