サルデニア王国のこの時期、夜は冷え込む。
短い夏が終わり、途端に日中と夜の寒暖の差が激しくなる。天気も曇天の割合が多くなり、陰鬱とした雰囲気が国中を支配する。
アレイナも、使用人の用意した厚手の服装に身を包み、窓際のテーブルで、温かい紅茶に口をつけていた。
コンコンと、部屋をノックする音が響く。誰が来たのか、アレイナには当然のように見当がついている。自室への入室を許可している人間は数少ない。そして、当人に、この時間帯に来てもらうよう、事前に頼んでいたからだ。
「失礼します」の掛け声とともに、扉が開く。
入室者は、昼間とは異なり、今はラフな格好に身を包んでいる。アレイナが何度もラフな格好でよいと伝えたことによって、ようやく最近正装をしてくることはなくなった。
赤を基調としたカジュアルな室内用ドレスを着用している。ただ、残念なことに本人が、あまりおしゃれに興味関心を持っておらず、少々やぼったさが残る印象である。
顔立ちは悪くない。だが、短く切りそろえた赤毛と、鼻筋が通る様から、シャープで男性的な印象を受ける。軍人として、体つきは引き締まっており、余計な贅肉は一切ない。
肌は濃い肌色をしており、女性特有のしなやかさと軍人としての覇気から、まるでヒョウのようなイメージを想起させる。
しっかりとした、体感の強さがうかがえる足取りを伴って、入室者である騎士団長のサラが、アレイナのそばまで近づいた。
「よく来てくれました。サラ。訓練後に疲れているところ、すみません」
「いえ、とんでもないことです」
そう答えるサラに対して、二人きりの時ぐらい、いい加減、どうしたらサラの硬さがとれるのだろうか、とアレイナは一人苦笑していた。
王族であるアレイナの私室に、家族でもない一騎士団長が入室を許可されていることは、サルデニア王国の中でも異例中の異例である。その段階で、彼女たち二人が、如何に特別な間柄であることがうかがいしれる。
多少、愉快さを感じつつ、アレイナは続けて質問をした。
「早速、聞きたいのですが、どうですか、
その質問に対し、サラは明らかに苦虫を嚙み潰したような顔をした。返答することをためらっている様子である。
「サラと私の仲でしょう? 言伝にはもちろん報告を聞いております。でも、実際に彼と三日ほど関わってみたサラの正直な感想を、本人の口から聞きたいのです。ここには私しかいませんから、遠慮はいりません」
そういわれたサラは、多少の沈黙の後に、重い口を開いた。
「……まず、彼の人となりですが、一言で言えば可もなく不可もなく、といった印象です。愛想のよさはあまりありませんが、こちらの言うことには素直に従いますし、こちらに対してむちゃな要求を伝えてくることもありません。メイドに対しも紳士的であると聞いております。質問などもすれば答えます。ただ……」
「ただ……?」
「
話すうちに、サラの言葉にだんだんと熱が宿り始めた。
「アレイナ様も、彼とまみえた時にご覧になったでしょう! 奴のまったくやる気を感じさせないお姿を! 実際に対峙してみるとよくわかります。相手を倒そうとする気迫を全く感じない! あれでは到底戦士とは呼べません! この国の未来をあんな無気力な男に任せてしまって、本当によろしいのでしょうか!?」
「サラ、落ち着いて」
アレイナの言葉に対し、サラは少しバツが悪いような顔をしながら、話を続けた。
「……申し訳ありません。少々感情的になってしまいました。しかし、私はあいつを勇者とは到底認められません。軍人としての能力は普通。愛国心もなく、やる気もない。戦士としての気概も感じられない! これであれば、私や、私の部下たちでも十分問題ないと愚考いたします」
友人の纏う熱を、かき消すかのように、「ふう」と言葉を吐いて、アレイナは答える。
「サラ、あなたの気持ちもわかるつもりです。しかし、彼がここにきてまだ3日しかたっていないのです。結論を出すには時期尚早でしょう。いろいろとまだ、わからないことや、不慣れな点も多いのだと思いますし」
サラは、アレイナのかばうような言葉に対し、若干の不快感を隠すことなく言葉を返す。
「しかし、ウラテアとの外交関係はもはや修復不可能です。また、次にいつ大規模な戦闘が発生するか、予断を許さない状況です。いえ、近いうちに間違いなく、向こうは大規模な攻勢にでることでしょう。同盟国であるルトキアの存在によって、どうにか今の綱渡りの関係を保っておりますが、今やウラテアの軍事力は、サルデニア、ルトキアの両国を合わせたものよりも強大です!」
サラのその言葉に対し、重たい気持ちになりながら、アレイナは答えた。
「……もちろん、状況は把握しております。事態はひっ迫していることも。ただ、今日・明日にも大規模攻勢が開始される、ということはないでしょう。私の見立てでは、おそらく少なくとも、まだ
「大丈夫なのでしょうか? ルトキアも、現在国内の問題でごたついていると聞いておりますが……それがいつまでも収まらなければ、ウラテアに付け入るスキを与えてしまいます」
「そこは、ルードヴィッヒ殿下を信じるしかありません。先日の書簡では、ようやく国内問題の解決のめどがついたと書いてありました。もちろん、すべてをうのみにはできませんが、殿下は優秀です。近いうちにルトキアの国内問題も解決することでしょう。そうすれば、ウラテアからの侵攻も、さらに先の話になるはずです」
アレイナは、サラに安心させるように、優しく言葉を投げかける。そんなアレイナに対し、サラはその場に跪いて言葉を返す。
「アレイナ様、王族に対する数々の不敬な発言、お許しください。国の方針に異を唱えるなど、騎士として、あるまじき行為です。いかなる処罰も受ける所存です」
「まあ! サラ、何を言うのかしら。あなたはサルデニアを思って発言してくれたのでしょう? そんなあなたに処罰など、どうして与えられますか?」
「ですが……」
「何度も言うように、私とあなたの仲なんですから、ここでは本音で話してくれていいのです。何だったら、昔のように、アリーと呼んでくれもいいんですよ?」
「!! ……それはっ……申し訳ございません。なにとぞご容赦を」
途端に慌てふためく友人の様子がおかしく、アレイナは思わずふふっと笑った。
「さて、なんだかこの時期の天気のように、暗い雰囲気になってしまいましたね。仕事の話はこれくらいにして、最近の街での流行りなどを聞かせてくれますか?」
そう言って、アレイナは話題を切り替えた。
外の様子はいまだ暗いままだが、アレイナの部屋はその後、しばらく明かりがともされることとなった。
2時間ほどたって、サラが自室に戻った後、アレイナはすっかり冷めてしまった紅茶のティーカップに口をつけた。温度を失った紅茶の茶葉の苦みが、彼女の口に直接伝わり、思わず、かすかに顔をしかめる。
アレイナは誰もいなくなった自分の部屋で大きなため息をついた。
何も、勇者に対して「残念」に思っているのはサラだけではない。アレイナも同じか、それ以上の気持ちでいた。
なぜなら、彼をこの国へ召喚するための儀式を、強く推し進めたのは、ほかならぬアレイナであった。誰よりも勇者に期待していたのは、アレイナ自身であったのだ。
しかし、立場上、あれは失敗だったと口にすることはためらわれる。
最優先第一級事案として、国の方針を第一王女が直接主導し、勇者の召還に必要な労力と、予算と、時間と、物資と、設備を大量に消費した。
いまさら、それが間違っていたなどと言ってしまえば、他の政敵に付け入るスキを与えてしまう。同盟国のルトキアが国内問題で揺れている中、新たなサルデニア国内の問題の火種を生み出すことは、何としても避けなければならない。
そして、何より、自分の行為がもしかしたら失敗だったかもしれないことに、彼女自身の小さなプライドが認めることを拒否していた。
ふと、アレイナは、サラには本音で話せと言っておきながら、自分は全く本音で話をしていないことに気づき、内心自嘲した。
(残された時間は少ないですが、ないわけではありません。それまでに何とか打開策を考えなければ……)
彼女の小さな肩に、「
(いっそのこと、すべてを投げ出して、国内から出て行ってしまいたい……その時、私について来ようとする人はいるかしら? ……もしそうなったら、サラは……サラはこんな私についてきてくれるかしら)
苦い紅茶の水面に映る、ゆらゆらと揺れて、姿が定まらないアレイナの姿は、アレイナの今の内面を表しているかのようだった。
ひとまずここまで投稿します。