「───最後に問うわ。情報は確かなのね?」
蝋燭に照らされた薄暗い洞穴内で、二人の人物が会話している。その部屋に出入り口らしきものは見当たらないが、確かに二人はそこにいた。
偉そうに腕を組む女性と、もう一方は跪いている男性である。
「…はい、間違いありません。ここ数週間、ヤツは毎日酒場へ通っています。そして今日、『エンジェルズシェア』にて、新酒が店頭に並ぶとのことですので、酒好きであれば間違いなく見逃すはずはありません」
そして女性の言葉に、男性は平伏したまま言った。その言葉を聞いた女性は目を細めると、ふん、と鼻を鳴らして踵を返す。そして一言だけ「実行は今日で決まりね」と言うのだった。
洞穴内のファデュイの部隊は、3つに分けられた。うち一つはモンドの強襲部隊、もう一つは洞穴───ことファデュイの拠点防衛のため、そしてもう一つは秘密兵器防衛に割かれている。ファデュイの計画は三段階、第一段階は秘密兵器を使用したモンド城付近での撹乱。第二段階は、その隙に侵入した執行官含む2つ目の部隊がモンド城へ突入し、風神バルバトスの力を簒奪する。そして最終段階はモンドにある全ての拠点を放棄してでも風神バルバトスの力をスネージナヤ本国へ持ち帰ること。
即ち、ファデュイの兵士達にとって、生きて帰ることさえできれば故郷へ帰ることができる作戦だった。故に、兵士ほぼ全員の士気は旺盛であり、失敗した場合は璃月へ逃亡する手筈となっている。
つまりファデュイにとって失敗しようが成功しようが、モンドから去ることは確定していた。その期間が無期限か、有限かの違いしかない。
そして時刻は21:00、作戦は開始された。後に言う、第一次氷風闘争の幕開けである。
ただし、この闘争は歴史の表舞台、即ち公式記録には残っていない。しかし、この闘争は僅か一日にも満たぬ時間で集結した稀有な闘争として、一部の文献によって語り継がれている。
〜〜〜〜
時は遡り。
モンド城では、ちょっとしたお祭り騒ぎとなっていた。理由は単純で、璃月から使節団が来るのである。というのも、貸し一つでディルックに少々協力してもらって呼び寄せているのだ。
モンドにある『エンジェルズシェア』はアカツキワイナリーが経営する酒場であり、アカツキワイナリーのオーナーであるディルックに頼んでお披露目する酒はないか聞いてみたのだ。すると、
───…本当は風花祭でお披露目予定だったものがある。本来であればそれは風花祭でお披露目することになっているのだけれど…代理団長の判断を信じよう。
と言ってくれた。つまるところ俺ではなく、ジンが信用されたわけである。無論、ジンの場所に最初に行って許可を取り付けてきたのはこれが理由だ。俺は暴走した前科があるため、信用に値しない。モンドの住民達は別としても、俺と少しでも関わりがあったものは別だからな。
さて、ディルックに協力してもらってアカツキワイナリー主催の新酒お披露目をしてもらっている。西風大聖堂やら風神像周りでお披露目会をしているのだが、今回璃月から貴賓を招いている。それもこれもディルックのコネと、西風騎士団の正式な要請がなければ不可能だっただろう。
「…第一段階はこれでいい。作戦の決行は間違いなく今日…その『仕込み』も終わらせてある。その代償は…まぁ恐らく高くつくだろうが…」
勿論タダで協力してもらったわけじゃないが俺が差し出せるモノといえばさほど多くない。一番大きな対価は労働力だろう。戦闘、肉体労働、警備任務となんでもござれだ。それこそ、料理とかでもいいし、なんでもやれる。だがそれはモンドの民で事足りるだろう。
となれば俺にしかできないことは何か、と考えてみたのだが、それはやはり…数千年、或いはそれ以上にも渡る経験だろう。それを対価に、彼等と交渉をして協力を勝ち取ったわけだ。お陰で自由を失うことにはなるだろうが…と俺は考えて、少し笑う。
「…自由の国で、自由を失う…なんという皮肉だろうか」
まだ、外は明るい。西風大聖堂の屋根の上からは、新酒を見てあれこれと評している人々が見える。時刻は既に17時を回り、日が傾いて橙色の光がモンド城の街並みを照らしている。
バルバトスが酒場に通っていた時間は21時以降。つまりファデュイの作戦決行まで最低でも四時間。執行官の実力はわからないが、やれるだけのことはやってある。
例えばディルックの協力しかり、モンドの騎士の中でも精鋭をモンド城付近に展開しているし、その理由も要人警護としているため抜かりはない。そして今日襲撃が起きる理由は、『エンジェルズシェア』で新酒が置かれる…というデマを流したからだ。これはただの噂であり、そしてアカツキワイナリーの身内によって行われたことだ。当然ファデュイの密偵はこの噂を聞き逃さなかっただろう。
そして肝心のファデュイの拠点は…俺の代わりにバルバトスに行かせる。当然、彼に直接頼んでは勘ぐられるだろう。故に、蛍を一緒に行かせることにした。
実は蛍には俺からとあるものを渡してあった。それは『指輪』の形をした聖遺物の一種であり、俺の想いから生まれたものである。聖遺物は、人の強い想いが込められているものであるため、死ぬ間際の俺の想いから生まれたモノだった。
一対しか持っていないのだが、まぁ…ペアリングというやつである。それはともかくとして俺は薬指に嵌めた指輪を弾くと、バルバトスと共に向かってほしい洞穴があることを伝えた。修行の一貫、と言えば理解してくれたようで二つ返事で了承してくれた。勿論、バルバトスを連れて行く口実に、バルバトスにとって大切なものがある、というのも付け加えておいた。
…ま、これは俺から彼への友情という想いであることは言わないでおく。どうせ、気づくだろうしな、癪なことに。
バルバトスの予定は既に確認してあるので、今日の夜に予定がないことは知っている。その上でバルバトスが蛍の誘いを断らない、或いは断れないこともわかっての上だ。
さて、一番の不安要素はファデュイの『秘密兵器』を騎士団が排除できるかどうかなのだが…まぁ、最悪バルバトスになんとかしてもらおう。ファデュイの拠点に仕掛けられている罠は既に危険なものは排除してある。彼等が気づかないように、仕掛けの一部を壊してあるので、蛍達がファデュイの兵士に負けない限りはやられることはないだろう…バルバトスもいるしな。
「…やれることはやった。あとは、待つだけだ」
〜〜〜〜
現在時刻は20:00。少し前まで風神像前に集まっていたモンドの民は皆、西風教会で行われるイベントに参加するため大聖堂の中に移動していた。そのため、モンド城内部は普段からは考えられないほど異様な静けさに包まれていた。
見張りすらいないモンド城内を歩く異質な女性がいる。忌々しげに城内の様子を見て、しかし何もせず、しっかりとした足取りで目的の場所へと歩みを進める。
女性はそのままモンド城の側門を抜けて大聖堂側へと歩いていく。そして、目標を見つけたのかその口元を歪めて笑った。その視線の先には木陰に座る人影があった。
「───来たな、ファデュイ執行官第八位『淑女』…待ってたよ」
だが、この言葉が聞こえた瞬間、女性───淑女の表情が凍りついた。人影はゆっくり立ち上がると淑女に視線を向けた。
「───何故…アンタが此処にいるの!!」
木陰から出てきた人影は月光に照らされてその姿が顕になった。全てを飲み込む黒衣に映える銀髪と赤い瞳が淑女をしっかりと捉えている。そしてその口元は、笑っていた。
「…『淑女』ね。お前が執行官か、直に会うのは初めてだな。自己紹介はいらんと思うが…」
そしてその男は慇懃無礼な態度で礼をすると、
「俺の名前はアガレス。かつては『元神』と呼ばれていた者だ」
そう名乗った。