スペシャルウィークたちがトレーナー契約を結んで5日がたった。
本格化したトウカイテイオーはあれから3日間、筋肉痛に悩まされていたが、今ではすっかり走ることができる。
ラバーコーディングされたトラックの上で準備運動をしていた。
トレーナー契約したウマ娘は練習時間の申告をすれば、練習場優先権が与えられる。今までの他のウマ娘たちがごちゃごちゃとしていた中を走っていたのと比べれば、貸し切りにも近い状態だ。
周りにウマ娘の姿はほとんどなく、そのため、本格化の特訓も気にせずできる。
「よし、まずは今後のレースについての整理だ」
トレーナーが声をかける。
契約したウマ娘たちがトレーナを中心に、半円の弧の形で集まった。
首掛けタイプのホワイトボードを全員に見えるように置くと、今後の第一目標である100階越えと、直近レースの情報を書き込んだ。
「スペのレースが3日後にある。その2日後にはライスが60階レース、スカーレットとウオッカがそれぞれ40階のレースがある」
階層とコースの距離をそれぞれ書き込んでいく。
「この4人はそれぞれのレースの調整だ。スぺはエキシビジョンマッチから8日後とはいえほぼ連戦だ。負担少な目に距離の感覚をつかむ事を優先しろ。マーチャンはテイオーの馮特訓の手伝いをしてもらう」
アストンマーチャンとトウカイテイオーがうなずいた。
「マックイーンもテイオーの補佐に回ってくれ」
「わかりましたわ。早く練習相手として育っていただきたいですし」
メジロマックイーンが了承する横で、ゴールドシップがどさっと鞄を地面に置くと、さっそくといった風体でハリセンを取り出している。
使い込まれた様子で、先端が少し折れ曲がっている。
「トレーナー。あとヘルメットはいるか?」
「いらん」
「トレーナー。防弾チョッキはいるか?」
「・・・いらん」
「水中ゴーグルは? シュノーケルは? あ、いやみなまで言わなくてもわかってる。重石をつけて川に沈めるんだろ? 生命エネルギーを放出して川から脱出しろって修行ぐらいこのゴルシちゃんにはお見通し」
「そんなことはしない。というかお前はけがの治療に専念してろ」
「ブーブー」
自分の提案を否定されてむくれっ面になるゴールドシップ。
彼女の鞄の中は一種の四次元空間につながっているのか、本当に、防弾チョッキ、シュノーケル、ボーリングの玉が顔をのぞかせている。
練習場のライトの光で照り返している様子が、出番がなくて少し寂しそうにしているようにも見えた。
「じゃあ、何をするんだ。あ、もしやマックイーン飛びか。あの有名な『マックイーン転がし』よりも危険な」
「そんなことしませんわ。なんですの。その怪しげなネーミングの練習は」
呆れた口調でメジロマックイーンがゴールドシップを制した。
しかし、トレーナーは顎に手を当てて少し考えると、うん、とうなずいた。
「いや、近いかもしれない」
「近いんですの!?」
予想外の答えに驚きを隠しきれないメジロマックイーン。紫がかった芦毛の尻尾が逆立っている。
ゴールドシップはしたり顔だ。
トレーナーは、簡単な絵をホワイトボードに書いた。デフォルメされたトウカイテイオーが座っている。
「テイオーが座禅を組む。その上をマーチャンがこうやって」
テイオーが座っている絵の上にペンを走らせる。放物線を描いて2本。
アストンマーチャンがトウカイテイオーを飛び越えていることを伝えているしぐさだった。
「マーチャンは跳び箱みたいにテイオーを飛び越える。を何度も繰り返す。その時脚は閉じておく」
「なんでそんなことを」
トウカイテイオーは頭にはてなが浮かんでいる。それは自分に危険がおよびそうな練習内容なのに、その結果で得られるものが見えないからだ。
「テイオーはマーチャンが来る気配で動じない集中力を養う。同時にマーチャンのトモを鍛える。あとテイオーの芽吹く気配を近くで感じてもらう」
「もし、マーちゃんが跳ぶの失敗してボクにぶつかったらどうするのさ」
「避けろ」
「そんな、無茶な」
「危険察知能力を鍛える、わけですわね」
そうだ、とトレーナーは言い、その隣でメジロマックイーンが同じく座禅を組んで見本を見せる、という流れになった。
「支配系と走り系を融合させると、次に自分に降りかかるなにかに気づける。まぁ虫の知らせってやつだな。この前のエキシビジョンマッチでナイスネイチャの馮に気づいたマックイーンのように」
「数々の馮の中で自分を守るためには、一番欲しいスキルですわよ」
「そうだ。200階で自分を守るのに必要だが、複合スキルは難易度が高い。今から少しずつ習得のための練習を組み込む予定だ。隣で本物の動きをしているんだ。これ以上ない環境だぞ」
ぐぬぬ、とトウカイテイオーが歯をかみしめていると、アストンマーチャンが寄ってきて、ポン、と肩に手を置いた。さわやかな笑みだ。
「テイオー。ごめんなさい」
「謝らないで、ぶつかるの前提でしょ、そのごめんなさいは!?」
「大丈夫です、先に謝ったので。テイオーに跡、残します」
「良くないよーっ」
むんっ、と気合を入れるアストンマーチャン。やる気は最高潮だ。
半面トウカイテイオーのやる気がみるみる下がっていっている。
その様子を見ていたダイワスカーレットが、レースを入れておいてよかった、と心に思ったことは内緒だ。
アストンマーチャンが跳ねる。メジロマックイーンの上を。
メジロマックイーンは涼やかな顔をしている。ウマ耳に靴が当たりそうになればぺたんと耳を倒し。尻尾が横顔に当たりそうになれば体をそらして避ける。
当たらないときは動かない。
「あんな感じだ」
「できないよ! っていうか意味わかんない。ボク馮初心者だよ。もっと順序ってのがあるんじゃないの。なんかほら水に手を当てて波動を感じる。とか」
「いや、お前ならできる」
トレーナーは確信していた。その自信がどこから来るのかトウカイテイオーにはわからなかった。
自身の危機である。アストンマーチャンは十数回に一度は足をもつれて全身で当たりそうになっている。すれすれをメジロマックイーンは避けている。が、それが意味することは、自分の番になれば必ずぶつかる。ということだ。
「どうしてそういえるのさ」
「エキシビジョンマッチの際にテイオーは炎の翼の生み出していた。あの羽で2つ、違う系統の馮を使っていた。1つはナイスネイチャの霧をかき消した。これは支配系の力だ。そのあとにスぺを一気に追い越した力。あれは走り系の加速力だ」
「でもあの時、馮を使ったって感覚、全然ないよ。なんか体が軽くなって走れるって気がしただけで」
「無意識だったにせよ、お前には実績があるんだよ。あの感覚を呼び覚ますほうが圧倒的に早く習得できる」
「うぅー」
しぶしぶ、トウカイテイオーが座禅を組む。その様子を見ていたアストンマーチャンが、構えを整えた。
「テイオー、覚悟っ」
「覚悟って何さ!」
今日の練習は、各自目標に向かって順調だった。時折、ギャフン、と悲鳴が上がる以外は。
宿で消毒液を塗られているトウカイテイオーは、少し涙目だ。
塗っている相手はスペシャルウィーク。いつも田舎で擦り傷をいっぱい作って母親に消毒させられた経験から、まかせてください、と志願したのだ。
「これ、ホントあってる? すっごくしみるんだけど」
「合っているかどうかは治ったらわかる。っておかあちゃんが言ってました」
「絶対テキトーだよね。それっ」
なぜか自信満々に治療を続けるスペシャルウィーク、見たことない薬でも、たぶん、なんとか、平気っしょ、という母親の3大行動を刷り込まれていたため躊躇しない。
つまりは、よくわかっていないのだ。
横でライスシャワーがメモに取っていた。
「ライス、これ真似しちゃいけないから」
「大丈夫。ライスもう覚えたよ」
ほくほくの笑顔をライスシャワーはしていた。
まずい、スぺちゃんに毒されている、と本気で震えが出たトウカイテイオー。
スペシャルウィークが二人になってしまったら、どうなるのかわかったものではない。ゴールドシップとは真逆だが厄介な性質持ちなのだ。歩くフラグ発生器なのだ。
少なくとも食費面では今スペシャルウィークが2人の状態だ。
最初にごはん代をスペシャルウィーク持ちにしたことが、今まで生きてきた中での最大級ファインプレーだったとトウカイテイオーは自分を称賛している。
「それで、馮について何か分かりました?」
「いんや全然。マーちゃんが近くで跳ぶのがはっきり聞こえるようになって滅茶苦茶怖かったぐらい」
本格化したことでウマ耳に入ってくる情報が多くなった。アストンマーチャンが走りこんでくる音が大きくわかってしまう。来ると分かっていても背中が委縮する。
慣れてきたころに限って、アストンマーチャンが、うまい具合に脚をもたつかせて、結果、トウカイテイオーにぶつかること数十回。
その横ではゴールドシップがなぜか卓球の球を連打で打ち込むようになっていった。片手で器用に。
その球をひょいひょい避けるメジロマックイーンの姿があった。
たまに流れ弾がトウカイテイオーに当たったりもしていた。
「トレーナーが言うには、石になれ、らしいんだけど。ボクそういうのめっちゃくちゃ苦手で。座っているよりダンスしてたほうがまだ避けられるよ」
「わかりますぅ。私もおかあちゃんに石になっとれって柱にロープでぐるぐる巻きにされたこともあります」
「ライスはよくわからないです」
一通り治療を終えたあと、トウカイテイオーが、うなぁ、と枕をあごに乗せて伸びていた。たれテイオーである。
トウカイテイオーのウマ耳がピコピコ動く。本格化の影響でベットの上からでも外の音が拾える。
誰かが歩く足音が聞こえる。
ただ聞こえるだけじゃない。立体的に聞こえるのだ。小さな足音が壁に反射した音さえ聞こえることがある。
外だけでなく、部屋の中の音もよく聞こえている。
薬箱をしまったスペシャルウィークが、今度は紙にペンを走らせている。母親に出す手紙を書いていた。
「スぺちゃんって、律儀だよね。ボクはチャットで済ましちゃってるのに、いっつも手紙を書くなんて。ボクにはとても無理だよ」
「ライスは電話です。お母さまの声聞きたいから」
手紙を書いている背中をたれテイオーとライスシャワーが見ている。
少し恥ずかしそうにしながらスペシャルウィークが続けた。
「そんなことないですよ。それに、私のおかあちゃんに見てもらうためには、手紙じゃないとダメなんです」
ピクリとウマ耳が立った。スペシャルウィークがしれっと言った言葉が気になったからだ。
体を起こして座りなおす。
「手紙じゃないと読めないって、お母さん機械ダメな人とか?」
「そうじゃないんですけど。おかあちゃんに供えられないというか、そんな感じです。・・・あ、言っていませんでしたっけ? 私のおかあちゃんは2人いるんです」
「2人?」
「はい。私を生んでくれたおかあちゃんと、私を育ててくれたおかあちゃんの2人です」
手紙を書きながら、スペシャルウィークは話始める。自分の夢となった原点を。
母親が自分を生んですぐに息を引き取り、親友に自分を預けたのだと。
「その、生んでくれたおかあちゃんが、この天空競馬場で日本一になるのが夢だった。らしいんです。育ててくれたおかあちゃんがそう言っていました」
「そういえば、最初に会った時も日本一のウマ娘になることが目標って言ってたね」
「はい。その夢が、いつしか私の夢になったんです。日本一のウマ娘になるって言っていたおかあちゃんに、生んでくれてありがとうって気持ちを目いっぱい込めた日本一になることが」
ペンを置いて、前を向いた。壁の向こうに昔を思い出している。
「おかあちゃんは、いつも私の手紙をおかあちゃんに読んでいるみたいです。テイオーさんとライスちゃんと友達になったことも、すっごいウマ娘さんと走ったことも。その手紙を最後にお供えしていて」
今度は下を向いて、手紙を見直している。うん、とうなずくと封筒に入れてにんじんシールで封をした。
「だから私は手紙にしているんです。あ、ここの封筒かわいいのがいっぱいなんですよ。もう選ぶの大変で、ってわわッ」
無性にトウカイテイオーはスペシャルウィークに抱き着きたくなった。ライスシャワーも抱き着いている。
なぜか、と問われれば、なんとなく、と2人は答えただろう。
10秒ほどそのままの姿勢でいて、そして離れる。
「じゃあ、私手紙出してきます」
「行ってらっしゃい」
と、ライスシャワーとトウカイテイオーは見送った。
閉まるドアの先で、駆け足で階段を降りるスペシャルウィークの音が聞こえていた。