館の奥に、両開きの重厚な扉があった。
金色に輝くドアノブにはメジロ家の紋章が刻まれている。
一種の金庫と言われても、その扉の前に立つスペシャルウィークは信じただろう。物言わぬ扉から発せられる圧力はまるで巨大な生き物の様で、じろり、と睨まる感覚を連想し、喉が一つなっていた。
メジロマックイーン、トレーナーも一緒に扉の前で立っている。
メジロマックイーンは緊張した面持ちをしていた。
トレーナーの口からは珍しく飴の棒が見えてはいない。
スペシャルウィークにとって初めて見る姿だ。それが余計にこの部屋を異常と認識し、その内部にいる主人に対して恐怖心に似た不安感を募らせていた。
この先は、メジロ家当主用の部屋だ。
メジロマックイーンが蹄鉄の形をしたドアノックで2度叩く。しばらくして「入りなさい」と内側から声がある。
扉を片方開けて、スペシャルウィーク達はくぐった。
中には一人の老いたウマ娘が座っていた。
齢で言えばスペシャルウィークの5から6倍は過ぎた年齢だ。しかし背筋は正しく、静かな佇まいをし、黒い筒型の帽子に黒い網のレースでうっすら覆っている目には強い眼差しがある。
マックイーン達からはおばあ様と呼ばれている。メジロ家の当主だ。
「よく来てくれました。トレーナーさん。そして」
その眼がメジロマックイーン、トレーナーをスッと見ると、続いてスペシャルウィークに向いた。
スペシャルウィークのウマ耳がビリっと、けば立っている。
「スペシャルウィークさん。貴方に一度お会いしたかった」
メジロ家当主が言った。
優しい声色だった。扉の前で予想していた人物像とは少し違うかもしれないとスペシャルウィークは思った。
けば立っていた耳がへなりと柔らかく折れた。
「あの、どうして私に会いたいと」
そのスペシャルウィークの問いには答えず、まずはといった空気でメジロ家当主は言った。
「春のエキシビジョンマッチ。マックイーン。貴方の走りはとても素晴らしかった。優雅で貫禄のあるフォームで走る貴方は王者の走りを彷彿とさせます」
「はい。メジロ家の名に恥じぬ走りを示せたと考えております」
今度はトレーナーに対して視線を移した。
「トレーナーさん。マックイーンの事、とても喜ばしく思っています。・・・あのお調子者の悪ガキが、ずいぶんと成長したものです」
「いや、いい歳ですし、そろそろ無茶は控えようかと」
「そうですか。貴方のオーラはそうは言っていませんが。まあ良いでしょう」
2人に一言話終えると、スペシャルウィークに向きなおす。
「貴方を呼んだ理由、でしたね。スペシャルウィークさん」
「は、はい」
「それは春のエキシビジョンマッチでの貴方の走りを見たからです。なぜ、あの状況から貴方は走り抜けたのか。その疑問を解消したいのですよ」
スペシャルウィークの頭にはてなが浮かんだ。エキシビジョンマッチは確かに全力を尽くした。それでも7着だ。グランドマスターの祖母に何かを感じさせることができた走りとは思えない。
「あの、もしかしてテイオーさん。トウカイテイオーさんと間違えているのではないでしょうか。私はあのときの走りでお呼ばれされるようなものとは思えないのですが」
エキシビジョンマッチで脚光を浴びるとしたら、スペシャルウィークの後ろから一気に追い抜いたトウカイテイオーだ。飛ぶように先頭集団に追い付いた彼女の走りは今でも至る所で話題に上がっている。
だが、メジロ家当主は静かに首を横に振った。
「少し、順を追って話しましょうか。私はあのレースを本館から見ていました。もちろんテレビ越しでは馮はみえません。映像に残らないためです。ですが」
メジロ家当主の瞳が青白い光を放つ。本当の光ではない。馮を使った時の生命エネルギーがそう見せている。
その眼で見られているスペシャルウィークにとって、まるで体中を針で刺されている錯覚があった。
メジロ家当主はその眼を維持したまま続けた。
「私の馮は見たものの現状が分かるものです。体調、やる気、スタミナ、そして発動している馮の特性が」
「現状?」
「カメラ越しでも、録画したものでも、写真でも、本人でも、その時の事がわかるのです」
「でもそれって、スタンドで見ているのと同じことじゃあ」
「そうです。同じことなのです。普通はそれだけのこと。ただしあのレースの貴方は違った。当初私もトウカイテイオーの本格化に目を奪われていました。レース中に至ることは私としても初めて見る光景でした。なので時間を作っては何度かあのレースの録画を見直しました。何かメジロ家の力になるかと思い。そうして見ていた結果、一つ気になることが出てきたのです」
言葉を聞いていたトレーナーが、息を一つ吐いた。そして遮るようにしてその続きを答えた。
「こいつが、なぜ、あの時気絶していないのか。ってことか」
「そうです」
「??? あの意味がよくわからないです」
トレーナーが、堪えきれない様子で懐に手を入れる。棒付きキャンディを一つ取り出すと口にくわえた。
口から出た棒を転がしながら、スペシャルウィークに言った。
「トウカイテイオーが本格化に至ったのはどこだ」
「エキシビジョンマッチの後半のレース中」
「その時、何が起きた」
「何が・・・たしかナイスネイチャさんの霧が包み込んで、それが一度光と混ざったと思ったらテイオーさんが翼を生やして」
「その時、お前は何を感じていた」
「背中が無くなった、って思うほど熱いって感じました。そのあとはピカッてまぶしいと思ったら霧が晴れてて」
「そうだ、あの時お前は間近にいた。テイオーが本格化したときの生命エネルギーの爆発にも似た中心付近に、な。普通あれだけのエネルギーなら、放出したほうもそれを受けたほうもタダじゃすまない。特にお前は本格化して馮で身を守る術を覚えているわけでもないんだ」
スペシャルウィークは両腕を組んで当時を思い出している。考える。しかし自分が何かした記憶はゼロだった。熱さも一瞬。気づいたらといった感じで何か特別なこととは思えない。
トレーナーの代わりに、メジロ家当主が続けていった。
「気絶するほどのエネルギーをその身に受けたのです。気絶しなくても走ることは難しいでしょう。良くてもあのままゴールすることは本来起こりえないことなのです」
「あの時はテイオーに誰もが気を取られていた。スぺの異変に気付いたのは俺だけだと思ったけど、まさかメジロ家の当主も気づいているとは誤算だった」
「やはり何か企みがありそうですね」
「いやぁ、企みは無いんだが」
トレーナーは頭の後ろを大きく掻いた。メジロマックイーンがその様子に射貫かんばかりの視線を送っている。
会合の途中でキャンディを取り出したことと、地が出ていることに対して不満を持っているようだ。
トレーナーは意に介していない。
「スペシャルウィークを実際に見て、どう感じました」
と、メジロ家の当主に質問した。
「体は健康そのもの。・・・そして、本格化に至っていますね。だけどそれが外に出られていない」
「本格化、わたしが、ですか?」
「ええ、本格化とはウマ娘の次のステージ、通常なら生命エネルギーの使い方に気づきを覚え、体をゆっくりと作り変える作業なのです。第三次成長とでもいいましょうか。なので、本格化に至った際には筋肉痛に似た症状がでるのですが」
「でもわたし、馮使えないです」
「貴方の中に1つの馮が見えます。貴方の物じゃない。穏やかで暖かいけれど、とても力強く貴方を包み込んでいます。その力があの時貴方を守ったのでしょう。たぶん今までずっと。そして、その力が貴方としての、スペシャルウィークとしての馮を使うことを妨げています」
スペシャルウィークは両手を見た。軽く握る。自分の手が見えるだけだ。他に何も見えない。
いったい誰が、と考えたスペシャルウィークは一つだけ解答が浮かんだ。自分が生きてきてウマ娘と出会ったことは、この塔でトウカイテイオーが初めてなのだ。ずっと前からならあり得ない。ならそれよりもはるか昔に出会ったウマ娘となる。それは一人しか思いつかない。
「おかあちゃん」
無意識につぶやいた。
「貴方の馮を見ていると、まるで貴方の母親と対話しているように感じます。死期を悟って自分のすべての愛情を注いだウマ娘としての母親と、その思いを継承し、自分の娘として育てた母親の願いが混ざった力です」
「そっか、したから」
スペシャルウィークは自分の胸に手を当てた。心音が手のひらを伝って感じられる。
「ですが、その思いは今の貴方には大きな制約となっているのです」
「・・・」
「来ていただいた貴方へお礼というのも変ですが、一つ年老いたウマ娘からのアドバイスです」
「なん、でしょうか」
メジロ家当主は眼を少しだけ窄めた。スッと部屋の温度が急激に下がったように感じ、スペシャルウィークの尻尾が震えた。
決断を迫ってきているような眼光だ。そして静かに言った。
「ウマ娘になりなさい」
その意味をスペシャルウィークは理解していない。しかし、問い返すことはなぜか出来なかった。
しばらくして、会合は終わり、スペシャルウィークとメジロマックイーンとトレーナーは外に出た。
メジロ家当主は今日の内に出立する予定だ。今後のことはメジロマックイーンに任されていた。
無言のままトレーナーに割り当てられた部屋へと歩いていく。部屋に入るとなぜかカーテンが閉まっていた。
カーテンを開ける。夏の暑い日差しが入ってくる。部屋が明るくなった。
メジロマックイーンがドア近くで腕を組んで大きく息を吐いている。
「トレーナーさん。おばあ様の前で飴舐めないでくださいませ、とあれほど注意したのに」
「い、いや、途中まで我慢したことを褒めてくれよ」
「結果にならなければ何の意味もありませんわ!」
ずかずかと足音ならしてトレーナーに詰め寄った。トレーナーは逃げるように目線を窓の外に向けた。
花壇の奥ではスコップを持っているダイワスカーレットとウオッカの姿がある。つるはしを手に持っているゴールドシップが縦横無尽に駆けている。宝探しでもしているのだろうか。ほど近くにメジロ家のメイドや執事の姿もあった。
「どこ見ているのです。だいたい貴方は昔から」
メジロマックイーンがトレーナーの肩をつかんだ。その目元は吊り上がり、尻尾は天を突かんばかりに反りだっている。耳がまるで角のような鋭角さを以ってトレーナーに向いている。
お説教モードにメジロマックイーンが入っていた。
スペシャルウィークはそんなやり取りの中でこっそりと、失礼します、と聞こえるか否かの小さな声で言うと、足音立てずに外に出た。
トレーナーの部屋から近くに玄関ホールがある。
扉を開ける。
夏の日の中を、最初歩いていたスペシャルウィークは、だんだんと足を速めて、ついには走り出していた。