夏の砂浜に繰り返し波が押し寄せていた。
スペシャルウィークは海を眺めている。長い青い線が広がり、山の様に湧きだつ雲の白さと海の青さで境目を作っていた。
「あっちは北海道、かな」
と、何ともなしにただただ水平線を見ていた。方角なんてよくわかってはいない。
飛行船が小さく、遠くの雲に黒い影となって通っていく。
日はやや傾きを見せている。
しばらくすると、砂浜をきゅっきゅと足音が聞こえた。ゴールドシップだ。隣にはウオッカとアストンマーチャンの姿もある。
大きなゴムボートを持っている。
「よう、スぺ。お前も来るか」
「海で泳ぐんですか。その格好で」
「何言ってんだ。見ればわかるだろう」
ゴールドシップはガスマスクを首にかけ、左手には水鉄砲(改造済み)を持ち、背中にはピッケルを2本交差させている。腰にはロープが丸まっていた。
泳ぐ、よりもどこか洞窟に潜りそうな雰囲気がある。
ウオッカとアストンマーチャンはトレーニング用の水着を着ていた。
「すみません。わからないです」
スペシャルウィークは正直に答えた。
その言葉を聞いて、ポンと気付いたようにゴールドシップが手をたたく。
「スぺはマックイーンのばあちゃんのところに行っていたんだったな。よし、もう一度アタシが最初から説明しよう」
ウオッカとアストンマーチャンが担いでいたゴムボートを地面に置いた。
ゴールドシップが水鉄砲を天に向けると、
「アタシたちの目的は、メジロ家の隠し黄金だ」
と声高に言った。
メジロマックイーンさえ知らない黄金がこの離島には眠っている、と。
戦国より甲斐の国には噂があった。有名どころではメジロ家の隠し湯が至る所に点在するのと同様、当時、メジロ家には隠し金山があったというもっぱらの噂だった。金山より発掘された金の一部がどこかに隠されている。そして、その隠し場所の一つがこの離島なのだ。
その量は約1トンはくだらない。と、ゴールドシップが続けていく。
これまで人類が発掘してきた金の総量が約20万トンだ。その20万分の1をメジロ家は隠している。この離島に。と熱く語った。
「黄金1トンって、どのくらいの金額なんでしょうか?」
スペシャルウィークが質問し、ウオッカが先ほど検索した内容を答えた。
「1キロで大体850万円前後だとか」
「というと、1キロの1000倍・・・国家予算じゃないですか!」
「いや、そこまでは。でもすごい金額なのは確かですね。本当なら」
右手の指を折り曲げて数えている途中に、その金額の大きさにスペシャルウィークが戦慄いていた。
尻尾が不規則に、たまに八の字に触れている。
「というわけで、マーチャンたちはこれから王冠を探しに行くわけですよ」
「ロマンですよ、スぺ先輩。見つからなくてもあのメジロ家を探検すること自体ロマンになるってもんです」
「と、言うわけだ。スぺ。お前も来るか?」
ここに居ないダイワスカーレット、ライスシャワー、トウカイテイオーは森を探索しているようだ。
しばらくうーんと唸ったあとスペシャルウィークはその誘いを辞退した。
「そっか」とあまり気にした様子ではない感じでゴールドシップが言う。
そのまま砂浜をゴールドシップ達が横切っていく。次第にごつごつとした石が現れだし、大きな崖の陰に入っていった。
スペシャルウィークは彼女たちを見送った視線をそのまま、崖を登るように上げていく。一本松が崖の先に見えた。
そこに2人の人影が動いている。サイレンススズカとメジロブライトだ。
「2人も宝探ししているのかな」
とも思ったが、サイレンススズカが参加するイメージが湧かず、船で初めて会ったメジロブライトもあの、のほほんとした性格なら参加していても忘れている気もする。
なら何をしているのか、と2人の事が気になったスペシャルウィークは崖の上を目指して歩いて行った。
砂浜を迂回し、ゆるやかな石階段を上り、少し森に入った。
ふと後ろを振り返った。木々が見える。奥には分かれ道が見えた。どっちから来たのかもうわからない。行きは崖という見える目標があったから良いが、この森を同じように帰れる気がスペシャルウィークにはしなかった。
もし、サイレンススズカとメジロブライトが崖の上から離れていたら、迷子になる自信があった。
まだ居てくれますようにと願いつつ、ようやく、崖の上に出た。
崖の途中にサイレンススズカとメジロブライトの姿があった。
ほっと息をつくと、2人に声をかけた。宝探しをしているのかと問いかけると、おだやかな笑みでメジロブライトが答える。
「いえいえ、わたくしたちは雲をみていたのですよ~」
「雲を」
「はい~。あのお空でひとつ、離れそうな雲がいつあの親雲さんから飛び立つのかと、ずっと見ているのです」
メジロブライトの視線の先をスペシャルウィークも見上げてみた。確かに一つの大きな雲がある。その先っぽに細い管のような雲でつながっている小さな雲があった。メジロブライトが言っていた雲だ。
あの大きな雲を彼女は親雲といった。確かに、親子関係に見える。すると、あの小さな雲は自分なのか、とスペシャルウィークは雲を観察していた。
天空競馬場に来ていろんなことが起きた。レースといえば犬のリッキーか母親の軽トラックと走るぐらいだった。それが、毎日のようにウマ娘たちと走っている。
少しずつ自分の中にウマ娘とうい特性が確立していっているのかもしれない。という予感があった。
「ウマ娘になりなさい」という言葉は馮を覚えろってことなのだろうか。そしてふと、気づく。
自分が馮を覚えてしまっては、母親の馮はどうなるのか、と。
消えてしまうのだろうか。消えるのはいやだと思っている。でも、消さないと日本一は遠ざかる。
スペシャルウィークは自分でも気づかずに藪にらみの様に目を細めて空を見上げていた。
「スペシャルウィークさまは、悩んでいるのですね」
そんな光景を見て、メジロブライトが優しくあやすような口調で言った。
メジロブライトの眼は少々青色掛かっている。馮だ。
メジロ家当主の研鑽された気配ではないが、確かに血筋を感じる目をしていた。
「そっか、私悩んでいたんだ」
その眼で見つめられ、言われた言葉にようやく、スペシャルウィークは砂浜で海を眺めていた気持ちが分かった。
尻尾がしずかに垂れる。
「わたくしにもわかります。このメジロのウマ娘としてわたくしはとても弱い存在です。走ることを期待されていないとさえ考えた時期があります」
「ブライトさん」
「マックイーンさまは言うに及ばず。ライアンお姉さまは力強くも鋭い切れ味を。ドーベルは動じない心の強さを。皆それぞれおばあ様から長所を磨くように言われています。その中で私は『皆を見ているように』とだけ言われました」
「みんなを見る、ですか」
「はい~」
一度言葉を区切ると、メジロブライトは空の雲を見上げた。
先ほどまでくっついていた小さな雲は離れていた。ふよふよと大きな雲から離れていく。
「最初はその意味がわからなくて、ず~と悩んでいました。そんな時にあのトレーナーさまとお会いしました。ポンっ、と魔法のようにくまさんのキャンディを取り出して、わたくしに差し出してくださったのですよ」
「トレーナーさんとそんな昔から知り合いだったんですか」
「はい。たしか~。あの頃はメジロ家で中層トレーナーから上層トレーナーになるためいろいろお勉強中だったかと~」
「というよりもそんな昔から飴舐めていたんですね。そっちのほうが驚きです」
「そんなトレーナーさまが、わたくしの悩みを聞いたとたんに、大きな笑いをしたのです。そして今でも覚えています。あの後、続けた言葉を『見るのはあのばあ様の得意分野だろう。なら、ブライトはばあ様になれって言われたんだよ』と」
サイレンススズカが体育座りで水平線を眺めている。ただウマ耳だけが2人の会話の方へと向いていた。
「目の前に光が広がる様でした。そこからわたくしはお姉さま方の走りを、しぐさを、メジロ家の全てを見てまいりました~。そして今おばあ様の馮の一部を真似るに至っています」
風がやや強くなってきた。波の音も少々強くなったようだ。会話の区切りに波の音が混ざって聞こえる。
「スペシャルウィークさまも、おばあ様の言葉に悩んでいる、とあなたのオーラがいっていますよ」
「『ウマ娘になれ』って言われました。でも何のことかさっぱりです」
「その言葉も、違う見方がきっとあります。わたくしにはその道がまだ見えませんが、おばあ様が見通したのならきっと意味のあることです~」
スペシャルウィークは言葉をかみ砕くように一度大きくうなずいた。それをみてメジロブライトは両手を合わせてほほ笑んだ。
サイレンススズカが立ち上がった。スカートに着いた土を払っている。
そろそろ屋敷に帰ろうかという時間だ。そのときに風が一度、強めに吹いた。
メジロブライトの被っていた麦わら帽子がその風にさらわれて飛んで行った。1本松の枝の間に挟まった。
「意地悪な風さんですね」
そう言ってメジロブライトが1本松に向かっていく。取ろうとして背伸びをした。手を伸ばす。麦わら帽子まであと10cm。届かない。
片足立ちになり、さらに手を伸ばす。一瞬帽子のつばに触れた。
そこにまた風が大きく吹いた。1本松が揺らいだ。
メジロブライトが体勢を崩した。崖の方へと。
「ふぇっ?」
「ブライトさん!?」
スペシャルウィークが駆け出す。その右足が一歩地に着く瞬間。0.1秒にも満たない時間。スペシャルウィークは時間が圧縮された中にいた。意識だけがはっきりとしている。
このままじゃ間に合わない。遠すぎる。崖から落ちる。いつもの走りじゃ間に合わない。
頭の中に今までのレースの走りが写真のように現れては消えていった。トウカイテイオーの走り。メジロマックイーンの走り。ライスシャワーの走り。アストンマーチャンの走り。誰でもいい。届く走りをと願って。しかし。
だめだ。どれも間に合わない。一瞬で最高速に至る加速力が足りない。
と、写真が止まった。一つだけあった。見つけた。
右足が重心の後ろになる。地を蹴る力をためる。この末脚は、あの時のゴールドシップの末脚は今まで競い合ったどのウマ娘よりも最速だ。
「間に合えっ!」
そのスペシャルウィークの後ろで、青紫の光と暖かい桃色の光がらせん状に右足へと集まるのをサイレンススズカは確かに見た。馮だ。それも加速に全振りした強力な。
母親の馮と自身のエネルギーを混ぜた純粋な想いの力がスペシャルウィークの右足に集まった。
時間の流れが戻る。スペシャルウィークが大地を蹴った。深く地面を穿っている。メジロブライトは片足が崖の外になる。手を伸ばしている。スペシャルウィークが駆ける。手を掴んだ。
左足を軸に、ぐるりとメジロブライトを崖の上へと放った。メジロブライトは尻もちをついている。けれど、スペシャルウィークが止まれない。足が崖から離れた。
重心はすでに崖の外だ。戻れない。
その時、突風がスペシャルウィークの両手をつかんだ。
「スぺちゃんっ!」
サイレンススズカだ。スペシャルウィークが地面に残した足音よりもさらに深い跡をつけ、彼女を追いかけたのだった。
レースでさえ最近出せていなかったサイレンススズカの本気の走りだった。
そのまま、抱き着く。
「スズカさん?」
「ごめんなさい。追いつくことしか考えていなくて。止まるの忘れてたの」
「ふぇ?」
どんっ、と音がすると崖を大きく飛び越えていた。そのまま二人は抱き合いながら海へと落ちた。
その様子を見ていたゴールドシップがゴムボートの上から、
「崖から飛び降りる時は気をつけろよ。近いと岩肌にぶつかるし、波のすぐ下に岩があるかもしれないからな。そんだけ飛べば大丈夫だろうけど」
とのんきに言った。
二人は水面に顔を出した。崖の上では腰を抜かしているメジロブライトがいる。
顔を見合わせる。なぜだか無性に可笑しくなって二人は笑いあった。
「あ、スズカさん。さっきスぺちゃんって言ってましたよね」
「・・・さぁ。もう忘れちゃった」
「ず、ずるいですよ。もう一度。もう一度呼んでください」
波の音が、強く、鳴っていた。