トウカイテイオーのレースの日には、白いカバのような着ぐるみがパドックに顔を出した。11人目の走者である。
着ぐるみの顔をとると首をぶるりと振った。タマモクロスの長い赤青ハチマキが揺れていた。カバの顔を脇に抱え直している。
スタンドがざわついている。着ぐるみを着るタマモクロスは注目の的だった。200階走者であるウマ娘がコースにいるだけでも十分注目だが、そのずんぐりむっくりしている白い着ぐるみ姿の方に目がいっていた。
スタンドの最前列にいるアストンマーチャンが「着ぐるみって手もあるんですね」と、好奇心丸出しの目で見ていた。
注目の的のタマモクロスが、トウカイテイオーに歩み寄った。
「いよっ、久しぶりやな。直接顔を見るんは。なんやエネルギーがスムーズに流れとるやないか。ずいぶん修行したんやな」
「タマモクロスだったよね。春の時はありがと。お陰でボク、レースできて強くなれたよ」
「はははっ、言うやないか」
手を結んでストレッチをしていたテイオーは、その手を放すとタマモクロスに向きなおした。
今だからこそテイオーにはわかる。ビリビリと痺れるようなオーラをタマモクロスが纏っていることを。強い。肌がひりつく気配だ。メジロマックイーンに匹敵する深い力を感じる。しかし、その見た目がコミカルだった。
「それはいいんだけど。その格好は何?」
「この格好か? これはテイオーと戦うために必要なんや。下層で走るためのハンデで、あとこの重りのシャツもやけど」
そう言ってやや前かがみになり、着ぐるみ越しに勝負服の胸もとを少し広げた。黒いシャツが見える。スペシャルウィークが着ていたものと同じだ。
じっとトウカイテイオーはタマモクロスを見つめる。その眼に力が宿る。
服から指をはずし、背筋を伸ばしたタマモクロスは着ぐるみから出ている尻尾を一度大きく振った。手を差し出す。
「一騎打ちや」
「望むところっ」
がっちりと握手をする。視線が空中で交差し、火花が散っているように見える中、スタンドに1人のウマ娘の姿があった。
ナイスネイチャだ。
「おーバチバチだね」
「あ、ナイスネイチャさん」
はろはろ、と手を振るナイスネイチャがスペシャルウィークの隣に立った。
額に手を当てひさしを作っては、今日のレースに参加するウマ娘を望遠鏡で眺めるかのように一人ずつ観察している。
「他にめぼしい子は出てないみたいだね今日のレース。アタシの横にいる連中のほうが怖いわ」
一通り確認すると、ナイスネイチャは頬を掻いた。
「タマ姐さんとテイオーの一騎打ちになるのは確実だ。ここの観客たちもそう思っているだろうさ」
「すごく人が入ってますもんね」
スペシャルウィークが自分の後ろに顔を向けた。満員に近い人数だ。
皆が久方ぶりの、あるいは初めての上層ウマ娘のハンデ戦見たさに集まってきていた。
「南坂は?」
「別の階に出ているツインターボのレースに行ってるよ」
そっか、と飴を舌で転がした。あいつ逃げたなと心の中でトレーナーは思っている。それは間違っているがある意味正しい。
ツインターボのレースの方が先に組まれていた。後から入ったのがタマモクロスなのだ。これ幸いとツインターボのレースの応援に南坂トレーナーが出向いていたのは確かだった。
ウマ娘たちがゲートに向かって歩き出した。もうすぐ、レース開始だ。
見送るスペシャルウィークが半そでから出ている自身の肌を2、3度撫でる。
「なにか今日、乾燥していませんか」
「あー。それはタマモのせいだね」
「タマモクロスさんの?」
「レース始まったらわかるよ」
ナイスネイチャがそう言って指でゲートを示した。全員ゲートインしている。
トウカイテイオーが6番。タマモクロスは11番だ。着ぐるみを着ているせいでタマモクロスのゲートの中は他のウマ娘よりも窮屈そうだった。
そして、しばらく。
ゲートが開いた。
好スタートを切ったトウカイテイオーが3番手につけた。その横にピタリとカバの着ぐるみが走る。
今までにない圧をテイオーは感じていた。着ぐるみを着ているウマ娘と本気のレースで走った経験がないからだ。
目の端に映る違和感に、走るリズムをとるのが難しい。
カバの鼻の穴が大きく開いてあり、そこからタマモクロスは外を見ている。
その眼がトウカイテイオーをとらえている。
「やっぱり走りにくい」とトウカイテイオーはやや嘆き気味だ。
第一コーナーを曲がり、第二コーナーに入った。ペースは平均的なものだった。
今日のレースは逃げを得意としているウマ娘がいない。先行が数人のみ。先頭集団が珍しく前も横も空いている状況だ。距離も2200mだ。
トウカイテイオーは考えた。このまま変な威圧感でリズムをかき乱されるよりは、逃げに回ってペースを作るほうがいい、と。
向こう正面の直線でテイオーは脚を速めた。1人追い越して2番手になる。
しかし。
「悪ぃが離れへんよ。そんなんじゃ」
タマモクロスはピタリとマークを外さない。
逆にペースを落としても、それに合わせ白い着ぐるみが速度を落とす。体の揺さぶりも、足さばきも、いくつものフェイントを仕掛けてもタマモクロスは動じない。
トウカイテイオーは今まで培ってきた走る技術をぶつけていた。しかしその悉くがタマモクロスには通じない。
「スぺちゃん以上のハンデ背負ってるんじゃないの」
とトウカイテイオーはつい声が漏れる。
「こんなん、巨大タイヤで走るよりも楽なもんやで」
けらけらとした笑い声が、カバの鼻の穴から響いてくる。
そのまま第三コーナーに入った。前のウマ娘を抜いてトウカイテイオーとタマモクロスが同時に先頭を並走している。
テイオーの残る手札は馮だ。訓練した生命エネルギーの使い方で、十分技と呼べる加速の力が備わっている。
だけど相手は200階走者。使うタイミングが早すぎれば対策されてしまうし、遅すぎると先を越されて間に合わない。場所を見極める必要がある。
第三コーナーを抜けた。やや短い直線の先に第四コーナーの入り口がある。ここでテイオーは仕掛けた。
赤いオーラが体の外へと広がる。目に炎が宿る。体を大きく沈ませると、ウサギが跳ね逃げるような足さばきで駆けた。
ぐんと風の抵抗が増した。風を切り払うよう手を振りトウカイテイオーは加速した。
しかし。それでも目の端に映る白い影が残っている。タマモクロスが並走している。
「振り切れない!?」
「甘いなぁ、まだまだ甘ちゃんだ」
というと、タマモクロスの纏っていた雰囲気が一変する。
白いカバの着ぐるみが、まるで竜のごとく睨みつけてくるようにテイオーには感じられた。背中が静電気を何度も浴びているような、皮膚の内側から針が突き出ようとしている痛みを感じる。
「あの翼生やす奴見せてくれへんのかい。ああ、そうか」
トウカイテイオーの尻尾がぶわりと一瞬膨らんだ。そのウマ耳には空気が弾ける音が聞こえていた。
「先にウチが動かんとダメなんやね。あの時ネイチャも思いっきり仕掛けてたもんな」
眩いほどの白い雷の幕を、テイオーはその身に感じていた。
「うっわ。タマモ。あんた、ダメだってそりゃ。・・・アタシが言えた義理じゃないけど」
ナイスネイチャがツインテールの癖っ毛部分を手で梳く様にしてレースを見ていた。空気の乾燥が髪の毛にピリピリと響き、さらに癖が強くなったように感じたからだ。
着ぐるみの中で抵抗されるとはいえ下層で使うレベルの馮じゃない、とネイチャはため息をついた。
隣でスペシャルウィークが目を見開いている。
白い雷のドームがタマモクロスを中心に広がっている。トウカイテイオーを巻き込む形だ。その光景を前に見た覚えがあった。スペシャルウィークも参加したエキシビジョンマッチの春のレースだ。
「あれって、ナイスネイチャさんの馮」
「アタシのはタマモを真似ただけなんだけどね。けど、中身がまるで違うけど」
「どう違うんですか」
「アタシの馮は範囲内の全員に効果を及ぼすんだよ。アタシ自身を含めて。けどタマモは違う。あれは範囲こそ狭いものの、相手には痺れる力で邪魔して、自分は雷の力で走りやすくする」
「それって、つまり」
「相手を制して自分は誰の妨害も受け付けない空間作りがタマモの力。しかも最高速度の底上げ込みっていう。アタシはそこまで真似できないんだよね。はー、やだやだ」
肩を竦めてナイスネイチャは言った。目は糸のように細くなっている。
その後ろで、トレーナーは口の中の棒を転がしていた。その視線はタマモクロスよりもコースの内側を走るトウカイテイオーをしっかりと見ていた。
「タマ姐さんの馮に、ちゃんと耐えているじゃないか。テイオーは」
「さすがレース中に本格化して、しかもすぐ馮使った主人公クンだね。ほんとタマモの好物そのまんまだ。タマモのやつ、嬉しそうなオーラ出しているから笑っているよきっと」
第四コーナーを曲がり直線に入った。残り600m。そこでタマモクロスの纏う白い雷がいっそうの輝きを見せていた。馮が見えない者たちにすら、空気の弾ける境界がうっすら見えるほどだった。
徐々に差が開きつつあった。タマモクロスが前に出ていた。
トウカイテイオーの加速はまだ伸びている。しかしそれ以上にタマモクロスが速かった。
残り400m。
声援が一段と大きくなった。
「トウカイテイオー。この程度かいな」
タマモクロスはウマ耳を後方に向けた。着ぐるみ越しとはいえレースで走る蹄鉄の音は聞き取れる。それも出ているすべてのウマ娘分だ。
音に頼るのは200階では危険だ。音をフェイントに入れてくるウマ娘は多い。足音を聞こえなくしたり、音の発生源をズラすスキルの使い手もいるからだ。
だが、この下層で音に対して戦略を練りこめるほど卓越したウマ娘は誰もいない。そのため音で測るウマ娘たちの位置は正確なものだった。
1馬身後ろにトウカイテイオーの蹄鉄の音が聞こえる。
力強い、心地よいリズムの走りをしている。下層においてゴールドシップと並ぶ極上の走者なのは間違いない。
それでも、あの春のエキシビジョンマッチで見せたマグマの噴火の如く溢れ出た才能煌めく走りではない。
あの走りと脚を合わせてみたかったタマモクロスは、やや気落ちしていた。
「恨むで、ネイチャ」
春のレースであの走りを直に味わった友人に向けて愚痴を一つこぼす。
タマモクロスも春のレース参加申し込みはしていた。
ただ、あの時飴のトレーナーの部屋で見たトウカイテイオーは食指は動くもののまだまだ成長途中の気配が濃厚だった。
そのため、レースの参加者から外されても特に悔しいという気持ちは湧いていなかった。無理やり南坂トレーナーを介してレース参加にねじ込むほどの物じゃないとも感じていた。
もう少しテイオーが育つのを待ったほうが面白い。と傍観者に回った結果、春のエキシビジョンマッチで覚醒するという史上稀にみるワクワクするレースに参加できないという状態になってしまったのだ。
虎に翼が生えたを体現したかのような走りを期待していたのだが、まだテイオーはその域に達していない様子だ。
このままじゃ脚の疼きが抑えきれない。満足できない。ナイスネイチャを追いかけまわして憂さ晴らしをしようか、とタマモクロスが考えていた時、場の熱量が一気に上がった。
夏の日の着ぐるみの中にいる暑さとは別に、気迫の熱を感じる。
後ろを向いた。着ぐるみのせいで僅かにしか見えない。しかし、赤い羽根が舞うのが見えた。
一瞬にしてタマモクロスの全身が総毛立った。歓喜に尻尾が震えている。
足音が消えた。いや重なった。と思う間に、トウカイテイオーが横に並んでいた。熱い。途方もない熱量だ。炉の近くにいるように、赤い翼の熱さが伝わってくる。
「これや、こいつを待っとった!」
「うらぁっ!」
地を這うような雄たけびを上げて、低い姿勢でまさに飛ぶようにトウカイテイオーが駆ける。
タマモクロスを一歩追い抜く。すでに200mはとうに切っている。ゴールは目の前だ。
「けどな。ウチの前を走るのはまだ早い。白い稲妻と呼ばれたのは伊達やない」
白い雷が体の周囲に集まった。衣の様に纏うと、雷光轟く脚で差し返す。
2人が並んだ。そのまま、ゴール板を白と赤が並んで横切った。
ゴールをして数十歩走りぬいた先で、トウカイテイオーは前のめりに転んだ。地面に当たる瞬間に体を丸めてごろりと三回転すると、そのまま仰向けに倒れこんだ。
その横では白いカバの顔を外して、思いっきり深呼吸しているタマモクロスの姿があった。額に大量の汗をかいている。
2人が掲示板を見た。5着、4着、3着のウマ娘の番号が表示されている。しかし2着と1着がまだ点灯していない。
じっと見守る。観客席も静かだ。全員の視線が電光掲示板に集まっている。
そしてようやくと言った時に同時に掲示板に明かりが着いた。
6番と11番の同着、と。
「いやぁ勝ちきれんかったか」
電光掲示板の結果を見てタマモクロスが言った。その表情は満面の笑みを浮かべ、満足している様子だ。
「ボクの方が悔しいよ。絶対勝ったと思ったのに」
「はははっ。あの翼生やすの見てへんかったら危なかったけど。まだまだウチは負けへんよ」
タマモクロスが手を伸ばす。がっしりとつかんでトウカイテイオーは立ち上がった。互いに額はびっしょりと汗ばんでいた。
その様子を見てスタンドにいるナイスネイチャが言った。
「あの主人公クン。強い相手と当たると覚醒しなきゃ気が済まないのかね」
「テイオーさん」
ほんといやだわ、と手で顔を仰いでいるナイスネイチャの横で、スペシャルウィークがじっとトウカイテイオーを見ていた。
テイオーが強い。本当に強くなった。今までも強かったけどさらにその先に到達していた。そう感じている反面。あの走りに勝ちたいという思いがスペシャルウィークの中で強くなっていた。
そして、あの崖で使った自分の馮を、サイレンススズカが砂浜で練り上げた2つの馮を練り合わせた力でなら対抗できるのではないか、と考えが過った。
自分の馮の力に母親の想いを重ね掛けした走りなら、あの飛ぶように走るテイオーを捕られることだってできるかもしれない。
走りたい。勝ちたい。スペシャルウィークの心にその感情が深くしみ込んでいった。
そんなスペシャルウィークを、トレーナーは静かに見つめていた。がりっと飴を一つ噛んだ。
レース場と控室をつなぐ専用通路の途中に、一人のウマ娘が壁を背に腕を組んで静かに立っていた。
緑色の軍服のような勝負服を着ている。栗色の長い髪をまっすぐに伸ばし、その前髪一房が白っぽい色をしていた。
タマモクロスがその前まで歩くと立ち止まり、大きく息を吐いた。
「なんかようか。序列第一位。いや、実行会長どの」
「そう嫌な顔をしないでほしいな。タマモクロス」
「ウチは今日なーんもしてへんよ。最近もお小言いわれる事は起こしてないはずなんやけど」
「下層のレースに参加しておいて何を言う。いや、それについては問題ではない」
両手を頭の後ろでつなぎ、タマモクロスは肘を外側に開いた格好をした。胸を開いて横目でシンボリルドルフを見ている。すでにカバの着ぐるみは脱いでいた。
そのシンボリルドルフの口元が緩んだ。笑っている。
「あの乱入少女がよくぞあそこまで育ったものだとうれしくなってな」
「乱入少女? あの3年前のか・・・あ、もしかしてテイオーのやつがそうなんか」
タマモクロスは驚いていた。
3年前に200階レースに紛れ込んだ少女がいたのを思い出した。最初スタッフが捕まえようとしたが捕まらず、仕舞いにはマルゼンスキーとシンボリルドルフがその捕縛劇に参加した内容だ。
一時的とはいえグランドマスター2人を相手に逃走劇を繰り広げた少女がトウカイテイオーだったと分かり、タマモクロスは思わず、八重歯が口から出る。
「そういわれると面影がある気がすんな。子供の成長は早くて敵わんな。全然気付けんよ」
「その子供相手に私は馮を使った。青い羽の楔を彼女に打ち込んだ。大人しくしてもらうための楔だったけれど、あのレースに対する気炎万丈な姿勢で私の力を飲み込んだのは驚いたものだった。本当にたいしたものだよ」
「つまり、あの時の覚醒はあんたのせいってわけやな」
「ふむ。そう言われると弱った。反論できん」
腕を解いて口元を覆ったシンボリルドルフだったが、その表情はむしろ喜んでこの状況を迎え入れているようだった。
尻尾がゆらりと振れている。
「タマモクロス。彼女と走ってどう感じた」
「まだまだ伸びる。今度はハンデなしのガチで勝負したいウマ娘や」
そうか、と頷いたシンボリルドルフは壁から背を離した。そして専用通路の奥へと歩いていく。タマモクロスが向かう先だ。
「テイオーには会わへんのか?」
「そのつもりだったが、話を聞いて気が変わった」
そういうと、尻尾を一度強く振った。肩越しに振り向いた。
「私も走りたくなったものだ」
ぞくり、とタマモクロスの背筋が凍った。日本刀を喉元に突き付けられているような鋭い視線だ。
専用通路に足音一つこだましていた。