一円玉を立てても倒れないほど静かに、しかし素早く天空競馬場のエレベーターは昇っていく。
10階毎に止まる高速エレベーターには6人の乗客がいた。全員ウマ娘である。
スペシャルウィークとトウカイテイオーもその中の2人だ。
「やっぱり。レースは楽しいね」
「すごく疲れました。みんな速くて」
「でも1着だったんだよね。おめでとー」
なんとかトウカイテイオーと合流を果たしたスペシャルウィーク。手綱を握っていてくれと言わんばかりにトウカイテイオーの腕を握っていた。
30階で1人降りて、40階で2人降りて、50階で3人が降りた。
エレベーターの扉が閉まる。道なりに進んでいくと、入階手続きの窓口に着いた。
「トウカイテイオー様、スペシャルウィーク様、ライスシャワー様ですね」
「は、はいっ」
「チケットをお願いします」
レースの後に受け取ったチケットを提出すると、茶色い封筒が3つ差し出された。
中には、152円が入っている。
トウカイテイオーは封筒を受け取るとさっそく中身を取り出し、自販機でお金を使った。
「初回のレースは、勝っても負けてもにんじんジュース一本分の金額が貰えるんだ」
「そうなんですね。というよりお金貰えるんですね。はじめて知りました」
「50階なら勝てば5万、だったかな」
「5万も貰えるんですか」
「100階に行けば100万以上だよ」
100階のレース賞金を聞いてスペシャルウィークのウマ耳としっぽがびりりっと逆立つ。
「100万っていったら、・・・・・・1億円じゃないですか!」
「・・・なに、そのスぺちゃん理論。100万は100万円だよ」
無作為に手を動かして、驚きを体全面で表すように、スペシャルウィークは、わなないていた。
いまだ金額の驚きが収まらない中、スペシャルウィークは気を落ち着けようと自販機でにんじんジュースのボタン、の隣のボタンを押していた。ドロリ濃厚いくらタピオカのパックジュースだ。
ストローを刺して一気に吸い込む。しかし、その粘り気はスペシャルウィークの肺活量をもってしても、なかなかストローを登ってこない。
「・・・強敵だ」
「あ、あのっ。すみません」
控えめな声がした。ライスシャワーの声だ。
トウカイテイオーよりやや身長が低く。おとなしい印象を受けるウマ娘は、青いバラ飾りのついた帽子の鍔をつかんで、少し顔を隠すようにしながら、頭を下げていた。
「ライスがいたから、あなたに悪いことが起きちゃったんです」
「え。間違えて買っちゃったこのジュース? たしかににんじんジュースのみたかったけど、そんな悪いことというわけじゃ」
「それもですが、蹄鉄が頭にあたっちゃったことも。あの時ライスも噴水で休んでいたから」
「うぐっ」
にんじんジュースを飲み終えて缶を捨てようとしていたトウカイテイオーは、突然の話題に、手元を狂わせた。少し残っていた中身がスカートにかかる。
「謝ろうとおもっていたのに、また不幸に。ごめんなさいっ」
「あ、ライスシャワーさん。ちょっと待って」
とスペシャルウィークとトウカイテイオーが止める間もなく、ライスシャワーは走って行ってしまった。
「誤解なのに」
「多分また会えるよ。あの子も選抜レースで50階行きになったウマ娘だからね。実力は競馬場のスタッフが太鼓判を押したってこと。塔にいればいずれレースで相まみえるさ。その時に話し合えばいいんだよ」
「そうですね」
やや納得感が得られていないものの、すでにライスシャワーの姿はなく、同じ天空競馬場の参加者なのだからと、スペシャルウィークは気持ちを切り替えた。
今日の2人のレースは終わり、50階入階の手続きは済んだため、これ以上天空競馬場にいる必要はない。次に来るのはレースが組まれた時だ。
100階以上になれば個室、または相部屋が与えられる。が、100階未満の参加者は街で宿泊場所を確保しなければいけない。レース参加前にある程度の期間をまとまって泊まれる宿を取っておくことが暗黙のルールだ。
当然。トウカイテイオーは宿をとっており、この後は一度宿に戻るつもりだった。
しかし、
「じゃあ、スぺちゃん、また今度レースがかぶったときとかに会おうね。ボク、宿に一度もどるよ」
「や、宿・・・」
スペシャルウィークの顔が引きつっていく。ドロリ濃厚いくらタピオカジュースを吸い続けた以上に引きつっていた。
「え、まさか宿取ってない? 実家田舎って言ってたよね。あっ、親戚の家とか近くに」
「・・・ないです」
「今日泊まる場所は」
「・・・ないです」
「でも、レースの希望を月一とか隔週にしていたら、家に帰るのも手だよね。ここの練習場は距離的に使いにくくなるけど、そういうウマ娘もいるって聞くし。スぺちゃんは希望出走の欄何にチェックを入れたの?」
「・・・全部です」
トウカイテイオーの頭が真っ白になった。想定外の回答だった。この塔について知っている中で初のケースかもしれない。これは自分のせいなのか、適正距離について質問されたので全部と答えたけど、それ以外も全部チェックつけているのではないか、と心配になった。そしてその心配は現実に起きていた。
「全部だと、どうなるんですか」
「わ、わからない。ボクも聞いたことないし」
不安が顔に出ているスペシャルウィーク、の懐が振動した。次走レースが明日の58階ダートと決まった連絡だった。
こうなるんだ、とトウカイテイオーは少し感心していた。スペシャルウィークは顔が真っ青になっていた。
「移動だけで、終わっちゃいます」
がしり、とトウカイテイオーの肩をつかむ。あまりの迫力に、一歩トウカイテイオーは下がった。下がれるのは一歩だけだった。万力を彷彿とさせる両の手でしっかりとつかまれているため、これ以上動けない。
「スぺちゃん」
「一緒に、宿、探してください!」
悲痛な叫びだった。
了承する以外に選択肢がないほど、悲痛な叫びだった。トウカイテイオーの首は、まるで操られたかのようにコクコクと縦に振っていた。
宿探しを始めたけれど、春の時期のためか、アプリで検索しても、足で探しても、どこも満室で入れない。という有様だった。
「春は天空競馬場に参加するウマ娘が増えるからね。ボク達みたいに」
「どうしよう」
傾いた日と連動するように、しょんぼりと肩を落とすスペシャルウィーク。こうなったら野宿を、と良い場所を探すが、この街には公園一つ無い。泊まれる場所としては塔の中の噴水付近だが、警備が厳しくすぐに追い出されるだろう。
「しょうがないか。スぺちゃん、悪いウマ娘じゃないし、放っておくと何しでかすかわからないし、なんかとんでもないことになるかもしれないし、そうなると夢見悪いし」
「テイオーさん」
「よし行こう。うまくいったらスぺちゃんの泊まる場所確保できるよ。1つだけ心当たりがあるんだ」
「ほんとうですか!」
トウカイテイオーについていくと、天空競馬場の近くにあるホテルについた。赤い屋根がついている5階建ての木造宿だ。
受付でトウカイテイオーが話している。
しばらくすると、戻ってきて、
「スぺちゃん、大丈夫だって」
「泊まれるんですか。ありがとうございます」
「じゃあ行こっか」
「はい」
5階最上階非常口側にある部屋のドアを開けた。天空競馬場が窓からよく見える。
ベットの上には誰かの洋服が放置されていた。
「あれ? だれか泊まっているんですか」
「そっ。ボクだよ。ボクひとりで取っていた宿」
「ふぇっ」
「ルームシェアってやつだよ。ここ塔に近いからとっていたんだ。ほらベットも2つあるし、結構広いし。さっき聞いたら3人までは平気だって。もう1人ぐらいなら追加できるかもね」
「ほ、本当にありがとうございます」
「でも、宿代割り勘だからね。もう半年分払っているから、明日からのごはん代はスぺちゃんお願い」
「はいっ!」
感動のあまり、涙腺が崩壊しかけ、無意識に五体投地の体勢に移行しかけるスペシャルウィーク。
荷物の整理を2人で行い。必要なものの買い出しへと街へ軽い足取りで向かっていった。
歯ブラシ。シャンプー。しっぽ用リンス。ウマ耳いたわり用のヘアブラシ。手紙用の封筒。蹄鉄用ハンマー。お菓子。トランプ。にんじん3段ボール(約30kg)。アストンマーチャン人形にと、生活必需品を買い込んでいく。
「にんじん、こんなに必要なの」
「あたりまえです!」
「そ、そう」
全身からゆるぎない信仰を感じる返事に、トウカイテイオーはうなずくしかない。
買い物を済ませ、宿に向かう。空は赤く照り映えっていく。
交差点の向こう側にんじん段ボール越しに、寂しげに伸びる影法師と共にとぼとぼと歩く小柄なウマ娘が見えた。帽子に青いバラ飾りがある。
「あの子、ライスシャワーさん?」
「なんか様子が変だね。さっきまでのスぺちゃんみたい」
「もしかして宿ないんじゃ」
「いや、さすがにスぺちゃんみたいな面白・・・ちゃんと宿取っていると思うけどな」
「でも、心配です」
視界の大半は段ボールに覆われているはずのスペシャルウィークが、ウマ耳としっぽで巧みに状況判断を行いながら、バランスを崩さず、ライスシャワーへと駆けて行った。
よく、あの状態で走れるな。とトウカイテイオーは感心していた。
「ライスシャワーさーん」
にこやかに話しかける。しかし、ライスシャワーは肩を震わせ、おびえた様子だった。
「来ないでください」
「どうかしたんですか」
「ライスに近づいたら、また不幸に」
「不幸? あ、ドロリ濃厚いくらタピオカジュース? クセと粘り気でなかなかの強敵でしたが、結構好きな味でしたよ。そういう意味だとラッキーでした」
「そうじゃなくて」
「あれ? その鞄」
スペシャルウィークが段ボールを地面におろして、しっかりとライスシャワーを見た。トウカイテイオーも到着している。
ライスシャワーの背中には鞄があった。どこかに行くのか、パンパンに膨らんだ鞄を背負っている。
悲しげな様子と鞄の様子で、トウカイテイオーはぴんと来た。
「もしかして、塔をあきらめるの?」
「・・・はい」
「え? どうしてですか? まさかポンポン痛いとか」
「いたくはないです」
ライスシャワーはうつむいてしまった。ぽつぽつと、うつむいたままライスシャワーは続ける。
「だめでした。だめなんです。ライスはやっぱりだめだったんです。ライスが近くにいるだけでみんな不幸になるんです」
「そんなだめってほどの不幸ってわけじゃ」
「スペシャルウィークさんには蹄鉄が降ってきた。トウカイテイオーさんはお洋服にジュースがこぼれた。ウララちゃんは転んだ。ダイワスカーレットさんとウオッカさんは喧嘩して。ツインターボさんが誰かに追っかけられて。アストンマーチャンさんがお人形が売れなくて悲しんで」
「あ、さっきスぺちゃんが買ったやつだ」
ライスシャワーは悔しさを吐き出すように、だんだんと声が大きくなっていき、
「頑張って。勇気を出して。変わろうと思って。お母さまにお願いして、天空競馬場に参加したのに。ライスがレースにでることで、近くにいるウマ娘さんたちに不幸になっちゃうんです。だから、もう家に帰るんです。宿ももう引き払いました」
「天空競馬場の参加取り消しもしたの?」
「・・・それは、まだです」
涙はでていない。が、ライスシャワーが泣いていることが見て取れる。そして、その中にはまだ走りたい気持ちが残っていることもわかった。
スペシャルウィークは、静かに、にんじん段ボールを3つ開けると、すぅっと息を吸い込んで。
「ライスシャワーさん、にんじんは好き?」
「は、はい」
聞くやいなや、
「ならくらえっ。にんじんシャワーっ!」
「ひゃぁっ」
にんじんを段ボールごと天高く放り投げた。スペシャルウィークが悲しんだ時に行う、スペシャルウィークの母親お得意の必殺技だった。
放物線とともに、30kg分のにんじんがスペシャルウィークを中心に空に舞った。重力にひかれて次々と落ちてくる。にんじんの雨だ。
トウカイテイオーは軽快なステップでにんじんを躱している。同時に両手でキャッチしていった。ライスシャワーは頭に手を当ててしゃがんでいる。スペシャルウィークはにんじんに埋もれている。
にんじんの雨が落ち着いたころ、ライスシャワーがおそるおそる顔を上げたのに合わせ、スペシャルウィークは語りだした。
「小さいとき、私が悲しんでいるときに、おかあちゃんがやってくれたんです。大好きなにんじんが降ってくるんだ。だから悲しいことなんてないって」
「大好きが、降ってくる」
「そうです。私は走ることが好きです。軽鉄が降ってきたことは確かに痛かったですが、それなら私にとって蹄鉄が降ってきたことも大好きが降ってきたってことです。それに、そのおかげでテイオーさんと友達になって、宿も用意してもらって、私はまだ塔で走ることができるんです。だから、それがもしライスシャワーさんが起こしたことなら、私に幸せを運んできてくれたんです」
「ライスが、しあわせを、運んできた」
信じられないって様子の顔をライスシャワーがしていた。初めて、本当に本気で自分が近くにいて幸せと思うウマ娘がいたことに驚きが隠せない。
「ライスシャワーさんの名前。素敵ですね。私にとって幸せを運んでくれた。にんじんシャワーにも引けを取らない良い名前です」
名前がにんじんシャワーだったらそれは幸せかな、と喉元まで出ていたトウカイテイオーだったが、スペシャルウィークが何を言いたいのかを察して口をつぐんだ。そして、やっぱり微妙にずれている感覚の持ち主だと納得していた。そのずれが、少し心地よい。
スペシャルウィークの言葉の意味がだんだんと分かってきたライスシャワーが、わんわんと泣き出した。ぎゅっとスペシャルウィークは抱きかかえる。子ヤギのメリーを思い起こさせる小柄な体が震えている。
ひとしきり泣き続けると、
「ありがとう、ございます」
泣きはらした顔に笑顔を浮かべて、ライスシャワーが言った。
もう大丈夫と、スペシャルウィークとトウカイテイオーが思えるいい笑顔だった。
「じゃあ、にんじん拾って、行こっか」
「行く、ってどこに?」
「あ~あ、スぺちゃんにもう1人追加できるって言ったの、あれフラグになっちゃったかな。下手なことスぺちゃんに言えないね」
「???」
頭にはてなを浮かべるライスシャワーをトウカイテイオーの宿に招待し、その日は3人寄り添ってベットの上で眠った。
スペシャルウィークにとっても、ライスシャワーにとっても、初めて友達と眠った日になった。
その日の夜に星がひとつ、きらりと流れていた。