すさまじい。の一言だった。
ゴールドシップの走りが、だ。
残り100mで見せた剛脚は、第4コーナーで1番に躍り出た以上の衝撃があった。
間近でみていたスペシャルウィークにとっては、瞬間移動したのではと錯覚するほどだろう。遠目から見ていてなお、消えたようにすら見えたのだから。
レース終了後、仰向けに倒れていたスペシャルウィークは、ゴールドシップに付き添われ60階の入階を果たしていた。
その表情は、暗い。
そのまま、シャワーを浴び、洗濯物を預け、食事をとり、宿に戻ると、ライスシャワーを子ヤギのメリーのように抱きしめて、
「負けちゃいましたよぅ」
と、泣きじゃくっていた。
ライスシャワーが、よしよし、と背中をなでる。
トウカイテイオーは何とも言えない表情をしていて、ゴールドシップはトランプの封を勝手に開けて、トランプタワーを立てていた。
メジロマックイーンとトレーナーの姿は無い。
慰めの言葉が見つけられず、トウカイテイオーが視線をさまよわせた。そこにはスペシャルウィークの携帯があった。
ちょうど通知が1通届いた。どうやら、天空競馬場の通知の様だ。
「あれ? そういえば出場希望の期間、変更したっけ」
その言葉に、はっ、としたスペシャルウィークは、ライスシャワーを離すと、
「忘れてました!」
慌てて携帯を手に取り、自分のレース予定をみる。と。
3日後、芝3200m。
がすでに出場予定に組み込まれていた。
キャンセルしたら、最下位扱い。10階層落ちてしまう。
「ど、どうしよう」
「あわわ」
ライスシャワーは慌てるしかない。
トウカイテイオーはスペシャルウィークの変わり身の早さに目を丸くしている。ゴールドシップはトランプでにんじんを切っている。
「週3回のレースだと脚ホント動かないよ。流石にそのレースはあきらめて、今から更新しなおそっか。今日はそのまま他のレース見に行かない。とかかな~」
「今の時間だと、50階のレースはあと芝が1つだけだな。下層のレースは今日ほとんどないんだ。行くなら100階以上だけど、どうする?」
トウカイテイオーは言葉を選びつつ話す。出会ってまだ2日目。スペシャルウィークの底がまだ知れず、何がスぺちゃんフラグ導火線に火をつけるか分かったものではないのだから。
ゴールドシップが情報を付け加える。すると、
「あっ、私、サイレンススズカさんのレースみたい」
「スズカの? いやあいつ昨日走ったから当分走らないと思うぞ」
「そ、そんな~」
ウマ耳としっぽがへなへなと、ベットに座り込んだスペシャルウィーク。グイっとライスシャワーを抱きかかえると。
「じゃあ、泣く」
「あうぅ」
といってまた同じ状態になった。本当に泣きたいのはライスシャワーだった。
その首に回った腕の力が抜けていき、コロン、とベットに倒れると、スペシャルウィークからはそのまま寝息が聞こえてきた。
ライスシャワーはしずかに抜け出して、スペシャルウィークのお腹あたりまで、布団をかけた。
トウカイテイオーが外にでて、ゴールドシップはいつの間にかいなくなり、ライスシャワーが部屋の電気を消した。
暗い部屋に、スペシャルウィークの寝息が静かにしみ込んだ。
完全無人のモノレール駅の近くに、カラオケボックスがある。
宿から出たトウカイテイオーはそこにいた。一人だった。
ライスシャワーとは別行動をとり、スペシャルウィークは宿で寝ている。ゴールドシップは忍者のように行方をくらませていた。
マイクを持ちながら個室でじっと、しゃがんでいる。
歌ってはいない。
選曲した映像が、背後で流れている。
その姿勢ですでに1時間は経っていた。
「うー、なんかもやもやする。納得いかない」
と、先ほどからずっと歌と踊りに身が入らない。
理由は明白だった。
スペシャルウィークとゴールドシップのレースを見たからだ。
ゴールドシップの最後の末脚は強烈で、離れているというのにもかかわらず、地面を蹴った瞬間に破裂音が聞こえた気がするほどだった。
走ってみたい。競いたい。あの走りに脚を合わせたい。そしてそれを突破したい。その気持ちがざわざわと芽生えているのがわかる。
歌ってごまかそうとしても、踊ってかき消そうとしても、より一層強くなっていく。
「ずるいよね。スぺちゃん。ボクなんて、3年待ったのに。カイチョーと早く走りたいのに」
ゴールドシップのあの走りを引き出したのは、まぎれもなくスペシャルウィークだ。
泥だらけでも、逃げることを知らないように、ただ食らいついていた集中力が、ゴールドシップにあの選択をさせたのだと分かった。
その光景が目に焼き付いている。瞼を閉じれば、スペシャルウィークの走りをはっきりと前に感じる。
「ボクとスぺちゃんの違いってなんだろ。・・・面白いかどうか。いや、なんか違うような」
先にその感覚を味わったスペシャルウィークが、勝負を呼び込んだあの雄姿が、たまらなく羨ましかった。
「なんで、あの泥だらけな姿が、目から離れないんだろう。カイチョーと全然違うのに。ほんと。ずるいよ。スぺちゃん」
その思いが、ゆらり、と青い湯気を纏わりつかせるかのように体中にたぎっていく。
「せっかく競馬塔に来たんだ。思いっきり強いウマ娘たちと走りたい。ゴールドシップのあの脚みたいなの、いないかな」
今のトウカイテイオーはまだ50階。昨日来たばかりのウマ娘にとってはかなり高い階層にいることは間違いない。
けれど、足りない。下層のウマ娘はほとんど知らない。しかし、ゴールドシップのような極上な強敵はそうそういないことは明白。上層に行けば行くほど、強いウマ娘とあたるだろう。しかし、上がるためにはかなりの時間がかかる。その時間が待てない。
「ライスの走りって知らないな。50階に来たんだから強いよね。多分。でもボクより速いかな? わかんない。もっと絶対強いってわかってる相手が欲しいんだよ」
また前のように200階のレースに乱入しようか、と思考が偏りだした頃、ふと、一人のウマ娘を思い出した。
「あ、いた。・・・なんだいるじゃん」
そういうとトウカイテイオーは、カラオケボックスから出て塔を目指して歩きだしていた。
天空競馬場の高速エレベーターは、1階から100階までと100階から200階と、途中で乗り換える必要がある。
交通の要所となる100階には、外に行かずとも食事、消耗品などが買えるフロアがいくつもある。200階にも存在するが、いずれも地上の値段よりもかなり高めの設定だ。
棒付きキャンディを頬張るトレーナーにとって、100階層、200階層での買い物は値が張りすぎる。特に今は所属のウマ娘がメジロマックイーン一人だけの状態ならなおさらだ。
正確にはもう一人いるのだが、長期入院をしているため、天空競馬場からは選手登録が抹消されている。
200階組の、それもグランドマスタークラスが所属しているとはいえ、トレーナーに入ってくるギャラには限りがある。天空競馬場とのギャラ交渉は、個人契約のトレーナーランク金額プラス、契約ウマ娘の数掛ける、そのウマ娘の階層ランクで決まる。
トレーナー契約がある場合のトレーニング施設、およびグラウンドを使用するには年間使用料を支払わなくてはならず、その出費はトレーナーが経費として払うのが基本だ。
経費とはいえ、確定申告の税金が安くなるだけで、金額としては大きい。今すぐポイっと出せる金額ではない。
100階に到達しないウマ娘を受け入れるのが辛い理由の一つだ。
だからこそ、ケチになっていくのだが。
「やっぱりあいつ、ほしいなぁ。スペシャルウィーク。トウカイテイオーとライスシャワーも。でもウマ娘受け入れ保険と厚生年金の費用。どうしようか。今だときついよな。せめてあいつらが80階クラス安定組にはいれたらいいんだが」
そんなトレーナーが買い物袋を下げて200階行きのエレベーターを待っていると、後ろから、不機嫌を身にまとったメジロマックイーンが歩いてきた。
「まったく、未来多い下層のレースを邪魔するなんて」
「お、マックイーンじゃないか。今日はよく出会うな。何してんだ」
「ちょっと、ヒシアマゾンさんに文句を言いに行っていただけですわ。50階レースに手だしたの十中八九ヒシアマゾンさんだと確信してまして、案の定、そうでした。マヤノトップガンさんもつい楽しんでレース場作ったと」
「まぁ、実行委員様の1人だからな。少しのお茶目ならだれも文句言えんだろう。今日のレースだって、想定外の面白味があったとトレーナーサイトで盛り上がってたぞ」
「それでも、100階組ですらない下層の子たちに無茶させるべきではありまんせんわ。・・・それでトレーナーさん」
返事するように、口からでているキャンディの棒を動かした。
「わたくしの出場するレースはいつになるんですの」
キャンディを口から落としかけた。
「いや、レースも何も、あと二か月半先だろう。・・・スペシャルウィークとゴールドシップに触発されたな」
「そうじゃないんですけど、そうでもあるといいますか。・・・とにかく、わたくしもレースをするんです」
いい兆候だ。とトレーナーは感じた。それとかなり無茶な難題をもらったと頭をかいた。
「4週間以内にエキシビジョンマッチ、どこかにねじ込む。それでいいか」
「構いませんわ」
紫がかった芦毛のウマ耳をぴょこんと立てた。この耳をしおらせないような相手を見つけないと、と胃が痛む。
エレベーターがちょうど、ドアを開けた。
200階で降りたトレーナーとメジロマックイーンはそのまま、別々に行動した。メジロマックイーンは自分の個室のある場所へ。トレーナーはトレーナー寮とよばれる施設へ。
100階で与えられるウマ娘の個室に近い造りをしている部屋だ。
買い物袋をテーブルに置いて、ベットに腰を下ろしつつ、電話をかけた。
「もしもし、おハナさん」
「貴方から電話が来るなんて珍しいわね。明日にんじんでも降るんじゃないかしら」
知り合いのトレーナーだ。同じくグランドマスタークラスが所属し、200階クラス、100階クラスのウマ娘の数が全トレーナー中最も多いトレーナーである。
「今空いている娘いるか?」
「唐突ね。デートのお誘いならもう少しムードのある言い方しなさいよ。・・・何、あなたの所もそうなの」
「そう、ってなんだ?」
電話越しにため息が聞こえた。
「うちのエルコンドルパサーが騒ぎ立ててるのよ。あいつ、三日前にレースしたばかりでクールダウン中のくせに、早くレースさせろって」
「マックイーン以外にもそうなってんだな」
「何があったか、知ってる?」
トレーナーは答えた。今日の58階レースでのことを。その時のゴールドシップの走りと、スペシャルウィークの走りを。少し私情をはさんで。
なるほどね、という声が受話器越しに聞こえた。後ろで、むぅーむぅー言っている声が聞こえなくもないが、聞こえなかったことにした。
しばらく沈黙して、
「一人」
とハナは言った。トレーナーは耳を澄ませる。
「休養させようかと悩んでいる子が、一人いるわ。ちょっとふさぎ込んでいるけど」
「おハナさん厳しいからねぇ。トレーナー気性難だ」
「電話切るわよ」
ごめんなさい、と言うとともに電話越しに頭を下げていた。
「で、お相手は?」
「スズカよ」
「・・・サイレンススズカか。なるほど、確かにゴールドシップ並みに気性難だ」
「あの子、私の言うこと聞かないのよ。誰の言うことも聞かないけど」
「はっはっは」
「貴方の入れ知恵から特にひどいのよ」
「はっはっは」
話題をそらさねば。と思うがメジロマックイーンのためには、ここは耐える選択が必要だった。胃が痛い。
電話越しにため息が聞こえる。その奥では相変わらず、むぅーむぅー言っている声が聞こえる。不思議なBGMをかけるもんだとやっぱり気にしないことにした。
「貴方のところのお嬢様がやる気になっているところもうしわけないけど、満足させられない結果になるかもしれないわ」
「いつもの実力を発揮できるなら良かったんだが。でも、サイレンススズカは大丈夫なのか」
「流石に言葉が通じないんじゃ、お手上げだわ。ここいらで壁を見せてあげてほしいのよ。きっついのを。貴方のところのお嬢様なら、完膚なきまでに叩きのめせるんじゃないかしら」
「・・・わかった。伝えとく」
互いに少し無言になった。むぅーむぅー言っているBGMが外れ、エルも勝負させろ、という声が聞こえる。
「あと何人か知り合いに声かけてあげる。3週間後でいいならエキシビジョンマッチ組めるわ」
「助かる」
「貸しよ。・・・まぁ他所のグランドマスタークラスと走れるチャンスは上層でもそうそうないからね。エルコンドルパサー参加させてあげたいけど、まだ中層だしね。それじゃあ」
電話を切る。そのまえに、いーやーだー、と聞こえた気もしなくもないが、気にしたら負けだ。どっとベットに倒れこんだ。この貸しは高くついた、と息を吐いた。
がりっとキャンディーをかみ砕いた。
じっと天井をみている。すると、コンコン、とドアをノックする音が聞こえた。
自分の部屋をノックされるのは珍しい。掃除のスタッフはこの時間ではない。メジロマックイーンがここに来ることはほとんどない。電話で済むはずだ。
ドアを開けると、そこにいたのは、
「トウカイテイオー」
だった。
何をしにきたという質問を飲み込んだ。彼女の眼を見て、そのギラつく闘志を受けて、この後に続く言葉が分かったからだ。
「トレーナー。ごめんね。これからいうことは多分、無理だって頭ではわかっているんだ」
「なら、このまま下がったほうがいいんじゃないか。それを許可するのは俺じゃないぞ」
「わかってる。でもダメなんだ。あんなレースを見てさ。興奮を抑えられるほうがおかしいって。だから」
瞳の焔がくるりと回転したように輝いた。
「ボク、メジロマックイーンと勝負したい」
同時に、1通のメールが届いた。