トウカイテイオーの気迫は、すでに150階以上のウマ娘たちに匹敵する迫力がある。
惜しむらくは、まだ本格化していないことだろう。才能の坂と呼ばれる100階を登るにつれて、激突し、そぎ落とし、研ぎ澄まし、磨き上げられて彼女の才能が開花すると思うと、見てみたい気持ち半分、末恐ろしいと思う気持ち半分だ。
その闘志がいま、トレーナーに向いている。
トレーナーを通して、グランドマスターが一人、メジロマックイーンに向けて。
無理だ、ときっぱりと断るべきである。200階クラスでもないウマ娘と走ることなど、グランドマスターにとってはほとんどないのだから。
しかし、
「ねぇ、トレーナー」
この眼はあきらめない。この眼はもう前しか見ていない。
勝ち目の薄い戦を求めている。全力を出してなお勝てない難敵を求めている。彼女の望みはそこにある。
「今のトウカイテイオーだと、200階クラスの連中に勝てる可能性はない。いや、彼女たちに本気を出させることも難しい」
「・・・」
「それぐらい、200階の壁は厚いんだ。100階クラスの相手なら、うまくすれば組めるだろう。お前の可能性を期待しているトレーナーは多い。だから」
「ヤダ。絶対いやだ」
食い気味にトウカイテイオーは否定した。言うことを聞くわけがないとは思っていた。聞くようなお利口さんならここまでは来ない。しかし、きっぱりと言われると頭が痛い。先ほどまで電話していた相手の気持ちがよくわかる。
俺はお前のトレーナーではないのだがな、と心で嘆き、後頭部をガシガシと掻いていた時、ふと、思ったことがある。
そう、自分は彼女のトレーナーではないのだ、というよりも、まだ会って話したのは58階のレースの時だけ、それもほとんどメジロマックイーンとの会話を挟んで、だ。時間にして数分あるかないか。
自分はトウカイテイオーの初戦を録画で見ている。だから走りを知っている。しかし、トウカイテイオーにとってトレーナーは知り合いと呼ぶのも怪しい関係だ。
ここに来る理由は分かったが、ここに来れる理由がわからない。
「おまえ、どうして俺の部屋を知っている? 名前もまだ教えた覚えないんだが」
その疑問に、トウカイテイオーとは違う場所、ドアの死角から答えが返ってきた。
「あ~あ、やっぱまずかったんか」
「タマモクロス?」
糸目になって、後頭部を手で押さえているウマ娘が出てきた。
トウカイテイオーよりもやや小柄だ。
広がるように少し外へ倒れたウマ耳が小刻みにクルクルと動いている。その耳には、赤いウマ耳カバーがついている。
彼女が申し訳なさそうに手を動かすたびに、腰まである白い芦毛の髪がゆらりとなびく。
「いや、な。100階でえらいけったいなオーラをため込んでいるこいつに出会ってな。放っておけへんとつい何してんのか聞いたんよ。そしたら、飴のトレーナーを探してるゆうんで、保護者のもとに案内しにきたってわけや」
「保護者じゃないんだがな」
「たぶん、ちゃうとは思ったんやけど、頼れるのはほかにおらんし、下手したら爆発しとったかもしれんし、な」
すまん、と手を顔の前に合わせてタマモクロスは謝っている。ハチマキのように巻いた青と赤の長いリボンも、申し訳なさそうに揺れている。
大きくため息を吐いた後、トレーナーは2人を部屋に招き入れた。さすがに、玄関前で長話できる内容ではない。世間体もある。
ガラスのコップに麦茶を注ぎ、氷を2、3いれて2人に手渡す。
タマモクロスは壁に背を預けて立っている。トウカイテイオーが椅子に座っている。
ベットに腰を掛けると、一気に煽り飲んで、トレーナーは続きを聞いた、
「最初から順序だてて教えてほしい。トウカイテイオーがうちのマックイーンと走りたいと思ったことを」
2口ほど麦茶を飲むと、トウカイテイオーの顔は少し穏やかさを取り戻していた。目の焔はいまだ灯っている。
「ボクね。ないんだ。スぺちゃん。・・・スペシャルウィークみたいに、公の場で誰もが負けると感じた状況でも自分だけは勝つと信じて走ったことが」
いつも一番だったからね、とコップのふちを指でなぞりながら。
「集団にとらわれていたのに。抜け出す方法なんて知らなかったのに。ゴールドシップが勝ちの道を突いたら、躊躇なく。あんなに泥まみれになっても、一途に走る姿を見ていたら、思ったんだ」
すっと、目が細まった。
「かっこいいって」
トレーナーとタマモクロスは口を閉ざしている。話に割り込めない。割り込む材料がみつからない。
淡々と、トウカイテイオーは語っていく。
「カイチョーとは全然違う。華々しさも雄々しさも威光もかんじない。それでも、あの時のカイチョーみたいなカッコよさがあったんだ。1位になれなかったのに、スぺちゃん、かっこいいって。・・・そして、それがズルいって」
氷が鳴った。
「絶対無敵なボクだもん。無敗でカイチョーの元まで行ってやるって今でも思っている。まだまだ成長期、まだまだ強くなれるってわかってる。段階を踏んで進んでいけばそうなるはずなんだ。だけど」
もう、待てないんだ。と口から洩れずとも聞こえてくる。眼が言っている。オーラが言っている。
その様子に、タマモクロスが冷や汗を流す。
「ゴールドシップと走ってみたいけど、たぶんボクだとあの走りをしてくれない。スぺちゃんだから全力をだしたって見ていてわかったんだ。だけどもう一人、ボクの目の前に同じだけ、いやそれ以上の実力をもつウマ娘がいる。って気づいちゃってね」
それが、マックイーンかとトレーナーは頭をガックシと落とした。
「どうしよう。なぁどうしたらいいんだ、タマモクロス」
「いや、ウチに振らんといて。しかし、こんな生きのいいのが下層にはいっとったとは。オグリやブライアンみたいやな」
「ああ、あの時も下剋上騒ぎになって大変だったな。他人事だったけど」
「いやトレーナーが一番煽っとったってウワサやけど」
「はっはっは。今になって身に染みて反省してる」
「今頃反省しとんのかいっ!」
切れのあるタマモクロスの突っ込みと同時に、着信が来た。
トレーナーのハナからだった。
出ると、
「理事からのメール見た?!」
スピーカーから口が飛び出るのではと錯覚するほどの声で言った。
「い、いや、今取り込み中で」
「いいから早く見なさい。いや、案内テレビつけてる? UCの1チャン」
「今つける」
と、天空競馬場の内部放送テレビをつけた。
白いすだれにうっすらと人の影が見える。理事からの発表だ。数人を除き、誰も素顔を見たことがないといわれている理事長が何かを宣言するときの会見放送が流れている。
画面右には駿川たづなが控えている。
「宣言ッ! ウマ娘を心より愛する天空競馬場の理事長として、今ここにわたしは、新レースの開催を企画する」
「わたしは考えていた。今のルールがかっちり決まった天空競馬場は、聊か不憫であると。実力拮抗のものたちが戦うことは、確かにすばらしい。確かにあっている。レースは全員が一着になれる可能性があるようにしなければいけない」
「しかし、圧倒的実力者に挑む気概が生まれない。ダークホースが生まれない。番狂わせがおきない。3年前のような下剋上が起きない。レースは走らなければわからない。だから」
「出陣ッ! 天空競馬場を群雄割拠のど真ん中にっ」
「全ての階層のウマ娘が挑む、全ての距離、全てのコース、すべての条件を用意した大レースを創るのだ」
「その先駆けとして、グランドマスター含む全ての階層のウマ娘が走るエキシビジョンマッチを開催するッ!」
「開催日時は1か月後。詳細は追って通達する」
「以上ッ」
たづなが一礼して電気が消えた。音が静かになった。トレーナーの部屋も、だれも何も話さない。
すると、電話の先から、
「さっきの件、なかったことにするわ。調整する余裕なくなったから、いいわね。ってちょっとパサーどこ触ってんの」
電話が途中で切れた。
さらに静かになった部屋に、カランと氷がふたたび鳴った。