藤原佐為が生きていた時代の物語   作:こうやあおい

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第十八話:前世よりの(えにし)

 佐為と出会ってからもう幾たびの季節が巡っただろうか。

 

 夏が来て、秋が訪れ、冬が過ぎて──。

 

 佐為は変わらず日々のほとんどを碁盤の前で過ごし、栞は佐為の望みのままに屋敷からは出ず不満を漏らすこともなくなっていた。

 ただ平和に日々が過ぎ、このまま何事もなくこのような日が続いていくのだと信じて疑わずにいた。

 

 

 今年も梅の季節が過ぎ、庭の桜もそろそろ終わりが見えてきた頃。

 舞い散った花びらが池に浮かびなかなか風情があるが、そろそろ掃除を指示しておかねば……と東の対の釣殿から庭を見渡して栞は小さく息を吐いた。

 

 正月での叙位に際して、佐為は加階され一つ位階を上げた。

 そうして続く春の除目であるが──ここあたりで国司にでも任官されるのが常であるが、佐為自身は在京を強く望んでおり、また国司ともなれば一国を預かる身として妻を伴い下向することが望ましいため京の屋敷を空けられない栞にしても手放しで賛成とは言えず。結局のところ職位もやや特殊ということもあり現状維持となった。

 

 父に関しては既に大臣ゆえに定例の除目とはほぼ無縁であるが、下向した地方官の任期は基本的には四年、そして大宰府の場合は五年である。

 が、重任……すなわち延長される例もままあり、父の場合は既に二期目。その任期ももうじき明ける。

 父の帰京まであと少し……のはずだ。

 

 父の役目は配流となった先の大臣の監視。

 菅原道真を始め、大宰府送りとなった公卿はこれまで枚挙にいとまがない。そのほとんどが政争の結果とも言えるが、中にはそうでもないものもある。自らの地位に奢り高ぶり暴挙の限りを尽くし、結果只人ならば左遷のような生ぬるい措置などあり得ない温情をかけてもらっての配流であっても、貴族ましてや公卿となると無罪こそ是と思うものらしい。ゆえに、都落ちの不満から一向に『任地』たる筑紫に下らず途中の地に留まったり、秘密裏に帰京しては帝の怒りを買う、などの例もあった。

 結果としてそれらの野放しを良しとしなかった朝廷が、罪人と無関係かつ武芸に覚えもある栞の父を下向させることを決めたのだ。

 というのは表向きで、一世源氏の有力者を少しでも中央から遠ざけようという藤家の思惑も多分にあったに違いない。

 しかしながら父に不満はなく、内大臣に加えて大宰の帥の収入まで得られる上に交易収入等々も管理できるとむしろ喜んでいるが、増えるのは財産ばかり。

 それを管理するのは他ならぬ自分である。──と、栞は今度は重々しい息を吐いた。

 

 内大臣で充分なのだから、一刻も早く京に戻して欲しい。

 すれば佐為の出世も違うだろうし……と思うものの、次は別の悩みが出てくる。

 この家の莫大な資産の相続権及び母方の資産の相続権は自分にあるが、その後の問題である。

 佐為との間にもし男子が産まれたとして、この大臣家で育つのだ。すれば姓こそ藤原なれど後見は源氏の父となり、元服すれば佐為を抜いて出世しかねない。とあらば、やはり佐為にはいずれ参議程度には昇ってもらわねばならないだろう。

 姫が産まれれば、次こそ入内……父の養子としてならば女御として入内できる血筋だ。となると否が応でも後宮政治に巻き込まれることとなる。

 それらを全て避け、好きに生き、このまま緩やかに没落していくか──それもまたありなのかもしれない。

 

 とはいえ、と栞は苦く笑った。

 世間は自分と佐為の間に子ができないことをそろそろ奇妙に思っている頃だろう。

 子供は前世からの(えにし)というから、きっと縁の薄い夫婦だとも。

 

 ──子を宿すのは前世からの(えにし)がゆえ。

 

 どこの誰が言い出したのか、はたまた陰陽寮の役人の怪しい占いの結果かは知らないが。子を成すか否かは縁などではなく当人同士の身体的相性の問題ではないのだろうか。

 佐為は両親の遅くにできたたった一人の子だというし、自分自身もそうだ。

 つまりは子供が出来にくい家系同士だとすれば……と栞は重々しく息を吐いた。

 

 佐為は子供が好きだ。

 出会った夜にこちらを小舎人童(こども)だと誤解していた時も信じられないほど優しい目をしていたし、いまも童殿上(わらわてんじょう)の子供たちの世話をよく焼いているようであるし、この屋敷の使用人の子供たちにも優しく、子供たちからも慕われている。

 

 だから自分でもはやく欲しいのだろうというのは察しているが、こればかりはどうしようもない。

 もう何年もほとんどの夜を共に過ごしているというのに。

 

 

 事実、仕える主人と背の君の睦まじさは女房たちには知れたことであり──。

 

 広い屋敷と言えど御簾や几帳、屏風といった仕切りでは音や話し声はもちろん微かな息遣いでさえ完全にさえぎるのは難しく。主人の寝所から夜通し睦言の気配がしても、控えている女房たちは常事と思い気にも留めないものだ。

 むしろ静寂の夜が続けば夜離れの懸念に気を揉まねばならず、彼らが仲睦まじげな様子はうれしいことだ。

 それでもあまりに過ぎる夜は、彼女たちの口の端にその話題がのぼることもある。

 

 今宵はそのような夜でもあった。

 

「殿はほんとうに姫さまをご寵愛なさって……」

「夜明けにお手水を差し上げる時の殿のお顔がまた素敵なのよねえ……!」

 

 そろそろ夜明けも近い頃、宿直も兼ねて控えていた女房たちは顔を見合わせて囁き合った。

 今日は遅めに手水を用意したほうがいいだろうか、などと相談しつつ「でも」と一人の女房が言い淀む。

 

「これこそは“鶏鳴(とりはなきぬ)”と思われますのに……」

 

 その言葉にみながぴくりと反応する。

 『鶏鳴(とりはなきぬ)』とは催馬楽(さいばら)の一曲であるが、男が女の閨に押し入り夜が明け鶏が鳴く時分になっても我が子成すまでと何度も何度も情を交わしている。と、後朝までも冷めやらぬ性愛の模様を謡ったやや下世話なものだ。

 みなそれを理解して、暗にこの歌のような仲の主人には一向に子ができないと眉尻を下げた。

 

「ご結婚からずっと殿はこちらにいらして、姫さまへのご寵愛も深くていらっしゃるのに……」

 

 元服や裳着と同時に婚礼も行うような夫婦ならば、しばらくは子供の延長で跡継ぎを急かされることもない。

 が、栞と佐為は──適齢期ではあったものの──どちらかというと晩婚で既に複数の子がいてもおかしくない歳だ。

 

「殿も姫さまを一の人と遇しておいでだけど、あれほどお美しいお方ですもの。ご結婚前から通い所もあると聞きますし、もしもそちらが殿のお子を……ということになれば」

「そんな、殿に限ってまさか……」

「けれどもこればかりは前世からの(えにし)と言いますから……。姫さまが悲しい思いをなされなければよいのだけれど……」

 

 これほど睦まじい二人だというのに。なのになぜ──と、誰しもが案じた。

 

 

 

「じじゅーー!!!」

 

 幾日かのちの昼前、紫宸殿の簀子を歩いていた佐為は可愛らしい声に呼び止められて振り返った。

 見れば、六、七歳ほどの童がこちらに小走りで駆け寄ってきており、思わず顔を綻ばせる。

 

「これは右大将殿の次郎君(じろうぎみ)、今日はどうなされました?」

「あのね、ぼくを抱いて温明殿に連れてって!」

「温明殿へ……? お使いですか?」

 

 佐為は屈んで童と目線を合わせ、優しく語りかける。すれば「うん!」と頷いた童は手に持った書を佐為に見せてきた。

 

「これは……典侍(ないしのすけ)殿への書物ですね」

「うん、頭中将(とうのちゅうじょう)がぼくにおねがいしたの。だから連れてって!」

 

 そう言って童は抱っこしろとばかりにしがみついてきて、佐為は苦笑いを零した。

 

「次郎君……お仕事ですからご自分で歩かねば」

「でもぼく、どこに行けばいいかわかんないの。抱っこして連れてってくれたら碁をいっしょに打ってあげる!」

「これはまた……断りづらいことを」

 

 根負けした佐為は童を抱き上げて歩いた。すれば笑って喜ぶさまを見て、ふ、と口元を緩める。

 

 公卿の子息は元服前にこうして童殿上することがある。おおよそ十歳前後で初殿上し、権門の次代を担う彼らの顔見せをするのである。

 

 右大将の次男はまだ初殿上して日が浅く、ひときわあどけなさが残っていて可愛らしい。などと感じつつ雑談をしながら温明殿の内侍の詰所へと向かう。

 佐為にとっては慣れた場所だ。それゆえだろうか。佐為の姿を視認してすぐに女嬬の一人が橘内侍(きのないし)を呼びに行ってしまい、佐為は苦笑いを漏らしつつ童を床へと下ろす。

 

「佐為の君……? まあ可愛らしいお連れさまだこと」

 

 すぐに母屋から廂へと橘内侍(きのないし)が出てきて、佐為は軽く事情を説明した。

 すれば彼女は女嬬に声をかけ、童を典侍(ないしのすけ)のところへ連れていくように告げた。

 

「侍従、ここにいてね!」

「はいはい、お待ちしていますよ」

「うん!」

 

 童はパッと笑って佐為に手を振り、佐為も笑って手を振った。

 

「可愛いですねえ」

 

 その後ろ姿が見えなくなってもにこやかに笑う佐為をちらりと見た橘内侍(きのないし)が呆れたような寂しそうな目で呟く。

 

「そのような嬉しそうなお顔……、わたくしの前では一度もなさらないのに」

「え……!?」

「次郎君が羨ましゅうございますわ」

「なにを言うのです、子供相手に」

 

 佐為は苦笑しつつも、彼女は童にかこつけて恨み言を言いたいのだと察した。こうして日中に会うことは多いが、夜に()()少なさへの不満だろう。

 そんな二人の間に風が一陣過ぎ、佐為はさっと彼女を庇った。その風は紫宸殿の橘の香りを連れてきて、二人はどちらともなく互いの顔を見つめ合う。

 

「あなたに花橘の薬玉をいただいてから、もう何年が経つでしょうか……」

「何年経ってもそなたは昔と変わらず、常葉木(たちばな)のように美しいままです」

「では……、お変わりになったのはあなたの方ですね。その翌年には麗景殿の方にお贈りになって、わたくし泣きましたのに」

「そなたが……?」

「かと思えばその秋にはご結婚なさって……」

「そんな昔のことを今さらどうしたというのです」

「いえ、ただ……そうは言ってもあなたは子供がお好きなようなので、四条の北の方さま腹でなくとも喜んでくださるならば……と」

「は──!?」

 

 瞬間、佐為は反射的に橘内侍(きのないし)の肩を掴んでいた。

 

「そなた、まさか懐妊したと……?」

「先にこちらの問いにお答えになってくださいまし」

「そ、それは……もちろんです。もしそうなら身体を大切にして元気な子を産んでください」

「北の方にはなんとおっしゃるおつもりです?」

「そなたとのことは……婚前からの仲ですから、妻も理解するはずです」

 

 やや混乱しつつ佐為は拳に力を込めた。

 

 ──子供を欲したことは一度や二度ではないし、むろん嬉しいことには変わりない。が、できれば第一子は正妻()からと願っていたというのに。

 

 そのうろたえが顔に出ていたのか、橘内侍(きのないし)は檜扇を開いて口元を覆い目を伏せた。

 

「ご心配なさいますな。四条の姫君を差し置いてそのような真似、わたくしなどができるはずもないでしょうに」

「え……、では」

「それより、こちらよりも麗景殿の方へ足繁くお通いのようですから……あちらのご心配をなさいませ」

 

 あ、と佐為は目を見張った。

 橘内侍とは公務中(昼間)に顔を合わせることも多く、それゆえ夜に通う頻度は麗景殿(あちら)が上になりがちなのだ。彼女がそれを恨んでいることは薄々分かっており、そういう不満をぶつけたかったがゆえの言動なのだろう。

 

「そなたを疎んじているわけではないのです。私は……」

 

 彼女の艶やかな髪に指を絡めつつ宥めるように頬へ触れた瞬間、ぱたぱたと足音が母屋からこちらに近づいてきた。

 

「じじゅー!」

 

 右大将の次男だ。

 佐為はとっさに橘内侍(きのないし)から離れ、取り繕うように笑った。

 

「次郎君……、用事はお済みですか?」

「うん! ぼくは主上(おかみ)のところにもどる」

「ではお供いたします」

 

 言えば彼はパッと笑ってそばまで駆け寄り、佐為は一度橘内侍(きのないし)に目配せした。

 彼女に手を振る童を見て笑いつつ、清涼殿の方へと戻り公務をこなし、退出前に右大将の直廬(じきろ)に寄って次男と碁を楽しんでから帰路についた。

 

 

 童殿上したばかりの子供がいつしか大人びて元服していくのは何度も見たが、やはりまだ幼い時分の子供は可愛らしい。と、四条に帰宅した佐為は着替えてから今日のことを栞に話してきかせる。

 

「明るく人懐こくてとても愛らしく、利発なたちで碁も教え甲斐があるんですよ」

「右大将の次郎君が……」

「大将殿が、舞の名手(そなた)と妹背となって長いのでさぞや舞の腕もあげただろうと囲碁だけでなく舞も次郎君に教えて欲しいなどともおっしゃって……どうしたものかと」

「御前での童舞の出来は重要ですもの、あながち冗談とも思えませんね。見て差し上げたら?」

「きっと可愛らしいでしょうねえ」

 

 光景を想像して自身でも顔が緩むのを佐為は自覚した。

 本腰を入れ栞に舞を習ってあの童に教えるのもいいかもしれない。きっと愛らしいだろう。なんとも心躍ることだ。考えていると微かに栞が視線を下に流したのが見えた。

 

「あなたは子供がお好きだから……ご自分でも欲しいですよね」

 

 どこか力なく笑う栞を見て、あ、と佐為はその肩を抱き寄せる。

 

「欲しいですけど……、もうしばらくこうして二人だけで過ごすのも悪くありませんから」

「でも……」

 

 栞は一度こちらを見上げ、すぐに口を噤んで小さく首を振るうと黙って胸へと身体を預けた。

 

 子を成すのは前世からの(えにし)と言えど、栞との夜が途切れたことはなく……こう何年も懐妊の兆しさえないのはやはり不自然かもしれない。と、佐為は思う。

 すれば物の怪のせいということもあるかもしれず、加持祈祷などさせた方がいいのか。

 第一子は栞からと望んでいるが、むろん子の誕生そのものは喜ばしいことに変わりないのだから誰が相手でも……と心当たりを浮かべてやや眉を寄せる。

 

 そもそもの話、『第一子』は正妻からと()()()()()()。まして今をときめく大臣(おとど)の姫以外の子が嫡子など()()()()()()()()のだ。つまり、栞が子を産むまでは他から産まれても世間的に認めるわけにはいかない。

 そんな哀れなことを……とよぎらせ栞を見やる。

 例え外腹の子が生まれたとしても、庶出ゆえに寺に入れろなどの無情な圧力を彼女がかけるとは思えないが、さりとて快く思うはずがない。

 世間からも、大臣(おとど)の婿となりながらとんでもない恥知らずがいたものよと後ろ指をさされる結果となろう。

 ああ、やはりこの人がはやく子を宿してくれれば。声には出さないまま佐為は栞を強く抱きしめた。

 

 

 だが世間は世間。実際に栞以外から子が生まれたらどうなるのか──。

 

 

 結婚した頃は、こんなもの思いをするなど想像もしていなかった。と、栞は思う。

 幸いにして一生を独り身で過ごしても困らない資産もあるし、入内も宮仕えも藤の中納言との結婚さえも断って、あのまま独りでいるつもりだったのに。

 

 あの夏の夜に佐為と出会ってさえいなければ──。

 

 そう思うのに、佐為のいない生活などもはや考えられない。と、栞はその日の夜に佐為の腕に抱かれたまま眠れず考えを巡らせていた。

 結婚した時は、大臣の姫(自分)と妹背になれば今までの恋人を妻にはできなくなる佐為を不憫にさえ思っていた。身分柄、彼は大臣家(こちら)を尊重するしか道がないからだ。

 でも……と眉を寄せる。

 今はもう、そんな風には考えられない。

 もし佐為の通う誰かが佐為の子を身篭ったら?

 あれほど子供を好きな佐為が、我が子の母を見捨てるわけがない。むしろ子に会うため、その母の元へ足繁く通うようになるに決まっている。

 そうなれば世間はその人を妻の一人と認めないわけにはいかなくなるのだ。正妻の座を追われるなどありはしないが、寵愛はきっとそっちに移ってしまう。

 佐為は碁のために身分差さえ顧みず自分を妻にしたほどなのだ。だからきっと、自身の欲求を世間の暗黙の了解より優先するだろう。時の内大臣たる父に睨まれることさえ気に留めないかもしれない。

 すればこの大臣家はいい笑いもので、自分は気が触れてしまうやもしれない。

 そうなればさすがの博雅も離縁しろと言いかねず、そのような目に合うのだったらいっそ出家して世を捨てて……と栞は目頭が熱くなった自分を叱咤するようにきつく唇を噛んだ。

 

 考えすぎている。

 まだそうなると決まったわけでもないというのに。

 だが最近は女房たちでさえ不振がっているようであるし、何より佐為自身も望んでいるのだ。ならばはやく……、と栞はぎゅっと目を瞑ってただひたすらに祈った。

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