およそ半年間、佐為の平安話にお付き合いいただきありがとうございました。
この話もしかして5/5に終われるんじゃないか?と途中で気づいたものの予定より数話多くなりそうなことにも途中で気づき、なんとか調整しながら無事5/5に終われてホッとしています。それも30話ときりがいい感じで。
ニッチな時代の話なので作中で極力分かりやすいように努めたつもりではありますが、補足説明が必要かなと思い、舞台となった平安の話や設定なども含めてあとがきという形でぐたぐた話も交えつつ書かせていただきたく思います。もう少々お付き合いくだされば幸いです。
前提として、私はこの話のパイロット版を大昔に書いており、色々あって引っ込めたのですが、ありがたいことにいつかまた読みたいと言っていただけることも時おりあり、今回こういう形でお応えできたので当時の読者の方にも楽しんでいただけていれば嬉しく思います。
ちなみに、まだアゲハマンこと菅原顕忠の名前も判明してない時期のことです。
あのパイロット版も、端的に言えば「佐為と出逢ったがために悲劇的な人生を送ったお姫さま」の話だったので、基本的には変わってないはずです。
今回はそれに加えて、佐為の生前の人生のつじつまと整合性をとことん合わせよう、というコンセプトもありました。
というのも、作劇上の理由で見た目が当時の風俗と合っていないのは漫画なのでと思えど、昔からどうしても入水自殺というのが疑問で疑問で。
もちろん原作者は史学家ではないしそもそも史学の中でも平安中期なんてスーパーニッチだし、連載当時はネットも発達しておらず簡単に史料にもアクセスできないしヒカ碁以降に発展したことも多々あるので、かつヒカ碁を読んでて端々から平安のことに詳しくないのは見てとれるのでメタ的な意味で時代考証を気にしても仕方がないというのは重々承知しているのですが。
あれがおかしいこれがおかしいと言い始めたらキリがないし、考証的なツッコミはそのうち機会があればいつかもっと公の場でしたいと思っているので今回は譲るとして。
この話の作中でも佐為自身が散々言ってますが、平安中期の貴族は死を極端に嫌厭し、自殺なんてもってのほかという日本の歴史から見ると特殊な時期です。世を捨てるイコール出家です。
非常に聡明で人と変わったものの見方をしていた紫式部ですら、源氏物語の宇治十帖で浮舟の入水のエピソードを書くのに慎重に慎重を重ねて言い訳三昧でようやく書いたのが見てとれる程です。田舎娘で貴族ではなく教養もなく、苦悩に苦悩を重ねて水への恐怖心も伏線にして、その上での入水はけっきょく成功せず失敗。そのくらいあり得ないことだと本人も分かっていたはずなので、苦労が偲ばれます。
紫式部自身は、作中でも出しましたが、水に揺られる恐怖を覚えたり沈んでいくような感覚を時おり感じていたのか日記や(作中では佐為と詠んだ)和歌にいくつか入水に思いを馳せるような思想的なものが散見される部分があって、佐為って紫式部と知り合いだったなということで「言い訳」が繋がり、「これは紫式部に影響を受けたセンだろうな」と私たちの現実とリンクさせる場面がピンと浮かびました。
で、佐為は入水のアイディアは彼女からインストールするとして、次は京追放です。
あの当時、流罪は基本的に貴族以外が処されるものです。貴族である限り仮に殺人を犯しても大した罪にはならないのが現状で、どんなに罪に問いたくても最大級で左遷。貴族のそれも殿上人一人を都から追い出し失脚させるって簡単なことじゃないんです。それくらいの特権階級なんです。
しかも佐為は記録が(ぱっと見だろうけど)残っていないという設定もあり。だったら三位以上の公卿、権門の出だと確実に名前は残るので、出自は良くないことにしないといけない。しかし権門でないなら政治理由での左遷にする価値もないという新たな問題が発生してしまう。
じゃあ何だ……?
ということで作中のような設定になりました。
ありとあらゆる、記録に残りそうにないかつ佐為に合うような人生ルートを行かせないと、と踏ん張ったつもりです。
平安中期というと、おそらくおおよその人が無意識に思い浮かべるのは11世紀かと思います。道長の最高潮期-頼通の時代ですね。
今回あえて10世紀を強調したのは、11世紀に入ってしまうと残ってる史料が増えて佐為の存在を消しにくいのと、単純に10世紀半ばの方が平安らしい魅力があると個人的に思うからです。
平安時代は長いです。Wikipediaなど、平安時代のどの時期のことを言っているか不確かなことが多く常に遺憾に思っており、ネットで情報を集めるのは非常に困難です。ちゃんとしたところでない博物館など説明から間違ってるのも見たりするくらいニッチな時代でもあります。11世紀と10世紀も地続きとはいえ風習などだいぶ違います。私たちの現代でも10年程度でさえだいぶ変わりますよね。それが半世-1世紀も違えば全く違う社会になるのは、遠い過去のことであっても変わりません。
11世紀の要素は今回は一切入れておらず、10世紀の時代観を書けることが一番の楽しみであったと言っても過言ではありません。
10世紀中盤はまだ下級官人が立身出世を見込める名残が残っていました。
下級官人といえどもそれなりの家系であることが前提ですが。佐為も藤原氏ですし。
あえて出してませんが二十八話「幻惑」や佐為自身「かつては権勢を誇っていたけど没落した」、左大臣家「狂い咲きの藤」という表現でピンときていたかたはいると思います。佐為は藤原式家のつもりで書きました。
初期で没落して歴史からも消える家系ですし、チラホラ大学寮出が出世することもあったので、一番しっくりくるかなと。祖先は毒で自害やらなんやらあったし…で「幻惑」される要素にもなりますし。
そんなことを下敷きとして、京追放-入水ですが。牛車で京から二日弱というと近江国を抜けるか否かの場所です。
琵琶湖が近いので入水場所には困らない。
不破の関のあたりだなーと思った時、そうだ壬申の乱の亡霊に取り憑かれた流れでいけんじゃね?とピンときて……そもそも佐為は今上のことを「大君」とか当時の人が呼ぶはずない言葉を使いながら回想してたからたぶん死ぬ直前にあの頃の大王(おおきみ)を思い浮かべたせいで記憶混濁が起こったに違いない等々、紫式部じゃないけど四苦八苦して舞台設定した感じです。
そして、佐為の辞世の句は紫式部の和歌……。
佐為がいなくなって、まさか入水したなんて一般的な貴族なら想像すらできないことですが、たぶん紫式部だけは薄々勘づいてたんだろうなーと思うと、紫式部めちゃくちゃキーパーソンなんですよね。
紫式部や清少納言は史実ではこの連載の想定してる時代より後の人たちなんですが、我々の知ってる20世紀末にはヒカルたちはいないので、その未来に繋がる過去が我々と同じはずがない。ということでそこは多少弄りました。大事なイベントは歴史の修正力とやらで発生するだろうから無問題です。
そして今回、一番書きたかったと言っても過言ではないのが源博雅。
実在の人物ですが、非常に逸話・説話での登場率が高く、そのことは彼の音楽的才能や名声が伝え残ったがゆえでしょうから、その才能は推して知るべしというか。実際に残した功績も日本音楽史にもっとも貢献した一人であろう偉人です。
佐為よりも高い位置で、かつ天才として物事を言える説得力のある人物として彼以上の人はいないと思ったのと、源博雅という人はどんな人だったのかというのを多少なりとも見せたいという思いがありました。
説話はあくまで作り話なので置いておくとして。
源博雅という人物は我々現実の世界では醍醐天皇の第一皇子の嫡男という大変やんごとないお生まれです。太政大臣藤原時平の孫でもあります。
博雅氏の実際の功績は作中でもだいぶ書いたので、そこは省略するとして。
この人は宮中の管弦の催しなどの史料をチェックすると基本的に「居る」んです。つまり毎度毎度、歴代の天皇に呼ばれて参加しているわけです。もちろん皇親なので身内として気安い相手というのもあるでしょう。しかしそれ以上に彼の楽才によるところでしょう。
和歌の才能はなかったようで、歌合には参加しないのにその後の管弦の遊びには居るという。
例えば作中で、栞の祖母の大宮が梅壺で碁合わせをした際の負態(まけわざ)が扇であったことから、以後、碁の碁手といえば扇が暗黙の了解となりこの時の雅やかな光景が思い出されるというエピソードがあったと思いますが、これ自体は史実です。
元ネタは天禄四年の五月、円融帝が姉宮の資子内親王と梅壺で行った乱碁歌合。この際の負態の扇とそれを持ち歩く人々の優雅な風景は、作中同様、語り継がれています。これ以来、この時は乱碁でしたが、囲碁でも碁手は扇というか「扇」を象徴して浮かべるというのが人々の共通認識になったわけです。
例えば紫式部日記の「播磨守、碁の負態しける日…」のところで最後にこの乱碁歌合を思わせる一文が出てきます。この資子内親王のエピソードを知らなければ読解不可能で、知っていれば「ああ!」となる。紫式部は後の世代の人ですから、この乱碁歌合の高雅ぶりが語り継がれている証左でしょう。
また、馬内侍歌日記にも「まけものには扇をなどのたまはせて」と碁を打たせた時の様子の記載があります。この人は資子の同腹妹の大斎院に奉仕していました。姉宮の乱碁歌合以来、碁の碁手は扇ということが相場となっている様子が見てとれます。
それましたが、この乱碁歌合の後の管弦の場にもやはりあの人物が…源博雅氏が居るんです。つまり呼ばれ召されているわけです。
「青海波」と聞けばたいていの人は源氏物語を浮かべると思いますが、例えば康保三年の秋に青海波が舞われた御遊の際にも博雅氏は楽担当で呼ばれています。紫式部はもちろんその記録を見たか聞いたかしたはずです。
歴史の影に常に居る。それが源博雅氏。
上記のように博雅氏にとっては御前で何かをすることは日常茶飯事で、よく彼に関しては天徳四年の歌合での失態が帝の前で緊張したせいなどと言われてますが、それはあり得ないことです。
あの歌合は世で言われているほど完全仕様なものではなく、読師という講師(読み上げ係/博雅氏が担当した)を補佐する役がいませんでした。
想像してください。あの頃は電気がないんです。夜は真っ暗です。補佐人がいない中、暗がりで読み上げ予定の和歌を手に取って読んでしまったら間違えていた博雅氏のミスは当然起こり得るものです。
でも間違いは間違いなので彼は恥いって青ざめたりしていたんでしょう。御前で緊張したからではなく、単に読師がおらずヒューマンエラーが起こりやすい状況だっただけです。
あと藤原北家の連中が何かをディスる時に博雅氏の名前をあげつらっていたことが分かってますが、これに関してここでくどくど言う気はありませんが、博雅氏が帝に一定以上の信頼を寄せられていたことは明らかだし、作中でも書きましたが、中宮職の長という人選の厳しい職についているので朝廷の一般認識は信頼に足る人物であったことは疑いようがないはず。
博雅氏は研究者気質であったのだと思います。
例えば彼は大篳篥の最後の奏者だと言われてますが、これはやんごとない身分の人は扱わない楽器です。博雅氏はこの楽器を得意としていました。身分に驕らず楽への探究心を貫いた結果ではないでしょうか。
また大篳篥は肺活量を要する楽器なので、体力のある恰幅のいい人だったのではないかと。これも作中で出した通り、蹴鞠なんかも得意だったようですし(作中で出した記録は西宮記に記載があります)。
そして何より、息子たちも楽才を発揮しており、彼は後進教育にも熱心だったのでしょう。
彼の作曲したとされる長慶子はあの時代にあって非常にアップテンポで斬新な音色であり、新しいことを積極的に取り入れる度量が垣間見えます。
そんな氏ですが、あの時代らしく非常に信心深く……という。博雅氏の、なるべく史実から分かっていることをそのまま膨らませ、作中の博雅になりました。
そういう博雅だったので、栞の変わった気質を許容できたし、栞には不釣り合いな身分の佐為を受け入れて(といっても殿上人なので博雅にとって最低限の身分はあったのですが)親しくしたと。
ヒカ碁の作画の小畑氏はたびたび佐為が笛を吹いている絵を描かれていましたが、その音があの源博雅から多少なりとも習った音だと思うとワクワクしませんか?
そう思われるくらい博雅氏に興味を持ってもらえたらいいなと思う次第です。
そんな博雅をメインキャラクターにしようと思ったら必然的に後見される立場の栞は源氏のお姫様になるわけで。
栞とは(博雅ともですが)パイロット版からの長い長い付き合いです。
考案のきっかけは元々、小畑氏が佐為に持たせたという扇がとても気になっていて、扇の形状が安定しないこともあり、中期の扇とちょっと違うなと思ったことがきっかけで、この扇は特製でそれを使っていた人から佐為が別れる際にもらったのでは、という着想から生まれたのが栞というキャラでした。
舞の才能があるという設定だったんですが、本腰入れて書くとなると大臣のお姫様が人前で舞うなんてとんでもないことですから、裳着まではある程度自由で裳着以降は身内で、という流れになりました。
その『身内』の中にはそもそも歴代帝も入っているので、相当に贔屓にされていたのだろうと思います。
読者が現代人なので現代目線というメタ的な意味合いも含め、あの時代にあってはやや感性がズレている設定にしました。立ち歩くなんて大臣の姫にあるまじきことですし、姫に流鏑馬なんてもってのほかだし、そもそも身分の賤しい人と同じ目線でものをいうことはあり得ません。それがこの時代の是ですから。
でもたぶん父親がやや変わった人だったんでしょうね。そもそも博雅を起点に考えると全員“あの”博雅の身内なので多少変わった人が出てきても仕方ないかな…ということで。
栞の家は父親は臣籍降下しましたが一品式部卿の宮の嫡男でつまり孫王、栞の母親は女王。源氏/宮家ですね。
10世紀末-11世紀になると若い親王/女に一品をあげてバーゲンセールな感じになってきますが、作中の時代にあって一品式部卿の宮というのは聞いただけで後光がさすレベルの皇族最高位中の最高位です。
その宮家の孫ですから、しかも母方も宮家で、栞の血筋だけはやんごとないにもほどがあるお姫さま…なのですが…。舞の才能はどこから?というとたぶんこの祖父の宮様が得意だったのではないかなーという気がします。舞は内教坊で習ったとはいえ、才能があると見込んだからこそ(父が)習わせたのもあるでしょうし。
父親は武官の長でもある左大将をずっと務めていたということですが、これも作中の時代設定が近衛府の人事がまだ武芸に長けた貴族を採用する最後の時期であったこともあり、武芸が達者な武人気質の人になりました。大将は将来有望な人物がなる羨望ポジションなので大将の個人的強さはそれほど関係がないのですけどね。栞の父はたまたま腕に覚えがあり非常に合っていたんでしょう。書いてないけど大納言兼任だったはずです。
近衛は帝に近しいエリアを担当するので警護よりも行事を司ることが増えていき、有職故実に長じた人や、中将レベルではそもそも実務の知識に乏しい若い公達(10代)が出世ルートとしてこの職を得るように10世紀末-11世紀にはなります。
が、10世紀中盤-後半はまだそこそこの年齢の実務を担える人が任官していたと言える時期です。博雅氏も割と長く中将をしています。
栞に片想いをする中納言を、栞に惚れた当時に宰相中将にしようかとチラッと思ったのですが、時代を考えるといくら権門でも中将はないわ、と思い直し参議で落ち着いたという経緯があります。
栞の話に戻すと。
大嘗祭の五節の舞姫を務めているので実名が残っていてもおかしくはないのですが……まあ、公文書も全部残ってるわけじゃないので紛失か消失かしたんでしょうね。
彼女の実名はけっきょく出なかったけど、なんという名だったのか。
『澪標』かつ『道しるべ』なら源標子かな。その場合しなこ/こずえこ/つくしこetc.と読み方が割とある気が……、どれだ? 栞ってあざな付くくらいだからこずえこ?
私も正直わからないのですが、分からなくても何も支障はないので、適当に好きに考えてください。
舞姫はあくまで現存する史料からだと平均年齢が12歳前後だったと思うので栞は(中納言の異母妹も)けっこう歳がいってから務めたことになりますね。
五節の舞姫に関する鬼畜事情(金がかかりすぎる、舞姫やそのお付きの人に対する人権無視がやばい等々)は作中で書いた通りなので、舞師を含めてああいう職や行事があったんだなーとちょっとでも思いを馳せてもらえれば嬉しいです。
(11世紀に入ると貴族の財政状況悪化のせいか受領からも『担当』として舞姫を出す(=主体的に金出す)ようになり童女御覧も「定番化(栞の時代は違います)」していったり鬼畜度が増していきます)
栞は佐為に出逢ったがために悲劇的な一生を送るのですが、栞にとって佐為はオムファタールみたいなものだと思うんですよね。
周りの言うとおり、本来は入内か、中納言と結婚するのが当然のルートなのに客観的には完全に道を誤った人でしかないですから。
何でそこまで佐為に……と思ってはいけないというか。本当に献身的に佐為を愛していたんだなー本当に好きなんだろうなーというのが伝わっていれば、栞の目線になって佐為を見てもらえれば分かってもらえるかな…と思います。
そろそろ佐為の話を。
そもそも論として古代中国と違ってあの頃の囲碁は趣味領域の遊びです。
しかも碁の達人は基本的に僧侶。これは僧が碁を打つことは律令で認められてた影響かもしれません。
なので碁を職業にするということは貴族としては絶対にないし、佐為がいっそ庶民ならまだ分かるのですが、貴族ということが重ねて強調されているので貴族なんだろうし、うーん……といったん碁のことはわきに置き、他の名前が残らなかった等の要素から逆算してああいう形の設定で落ち着きました。
ただ、今回の話を書くにあたって一つ最大級のウソ(史実と異なること)をつきました。
大学寮の学生は作中で書いた通り弓と琴以外の遊びを一才律令にて禁止されてます。碁(というか賭け碁)もです。
ただ碁は僧が許されるほど市民権を得ていたのも事実だし、数少ない大学寮関連の史料に学生が賭け碁をやって情けない!最近の若いもんは!大学寮も地に落ちた!みたいなのが出てくるので、まあやってただろうな…と。ということで「許可されてないけど囲碁が黙認され流行っていた」というのは創作です。が、実際やってたよね、という。
大学寮の史料は少なく、とはいえまだ大学寮の出身者が出世できる可能性のある最後の時期が10世紀半ば。かつ算道は本科から離れて(本国中国を倣ったのか)低くみられており、いっそう史料が少ない(=名前が残らない)。でも算師は引っ張りだこレベルだし、囲碁の才能があるなら数学的才能もあるよな、ということで我ながらこの設定天才だな?と思った次第です。
舞台が現代だったりファンタジーであれば身寄りがない天涯孤独もありえると思うのですが、佐為のような殿上人で平安中期の貴族にあってそれは『絶対に』あり得ません。家族・親族誰かしら必要だし引き立ててくれる主筋等の繋がりが必須です。
現にこの話は下級官人なんて…という扱いではありますが、佐為にしても父親が位階を持っていなければ大学寮にすら入れない。そういう時代です。
作中の佐為のように何も後ろ盾のない人が試験通った後に叙爵はまずあり得ないのですが、そこは作中で語った通りです。
こういう出身であればあるほど、佐為は他よりも教養を身につけそれらしく振る舞う術に長けてなければいけなかったはずです。
博雅や栞は生まれがやんごとないので何をしなくてもその立場は安泰ですが、佐為はそういうわけにはいかないので。
五位のいわゆる貴族階層と六位以下の下級官人とでは立場が天と地ほど違ってきます。
単純に給与だけでも五位と六位は全く違うし貴族になれば資人なども与えられ、佐為も言っていたように屋敷の屋根を檜皮葺きにできるのも五位から(それ以外がうっかり作ると速攻で取り壊される)。
まして佐為は殿上人です。五位の殿上人はレアキャラです。
よく貴族はみんな殿上できたかのように思っている人を見受けられますが、違います。特にこの時代は五位だと片手で数える程度かと(11世紀以降、その数が増えますが)。
そして殿上人と普通の五位の間にも高い高い壁があります。
例えば栞の家である大臣家を訪ねた場合。普通の五位だと中門廊(≒玄関)から上がることは許されず使用人同様待機室で待って許可が出てから屋敷に上がる運びとなります。が、殿上人なら玄関から上がれるわけです。まさに格が違うというか月卿雲客と言われる所以でしょう。
博雅が最低限(=殿上人)はクリアしてるからまあいいかと結婚を許可したのもそういう理由からだと思います。
佐為はこれらを自らの運と努力(と美貌?)で得たものだとすれば、そこに矜持もあっただろうし執着もあっただろうし、この時代のことですから個人的願望より両親だったり一家繁栄のためという責任が当然ながら重くあったはずです。
庶民から見たら佐為は雲の上のお殿様だけど、貴族社会の中では下っ端中の下っ端です。
わかりやすく収入面で言っても、栞の家は元々一品式部卿の宮家(=ドチャクソ収入と資産ある)、父が帥の大臣(=大宰府長官として桁違いの収入があるかつ大臣になれる位階として桁違いの略)、母が女王(=女王としての収入がある)、栞(=位階持ってるのでめっちゃ収入がある)という全員体制で収入があるのでどえらいことになってるはずです。数え切れないほど荘園や牧場も持ってるでしょうし。おまけに父親が実利主義で溜め込んでるらしいのでたぶん京一番の大金持ち。
佐為(従五位下)の年収が一千万-二千万だとしたらこの家は父親だけで年間数十億はくだらないでしょうから、佐為がやったこと(大臣の姫を妻にした)はとんでもないこと。と思ってもらえるかと。
基本が婿取り婚なので玉の輿どころの話ではないというか、ここで割と恨みを買った気がします。
まあ、でも、栞は子供がおらず博雅の家系も長くは続かないので、ここで歴史の修正力が働いて栞の継いだ宇治エリアなんかはいずれ藤原に買われ紆余曲折を経て平等院鳳凰堂になるのか……と思うと諸行無常感ありますけどね……。
佐為の話となるとアゲハマンこと顕忠とのイカサマ事件に帰結しなくてはならないので、ここもどう整合性をつけようか、と頭を悩ませてました。
佐為の回想の画像がある程度合っていると仮定すれば、佐為は上座に座って打ってます。ので、位階は上なのだろうと思いました。
でも、当時の碁の打ち方って詳細は判明していないのですが、白番=先番なことが多かったのだろうと思われています。これは古代中国がそうだからで、実際日本でも江戸でさえ白が先番の棋譜が割と残ってたりと厳密なルールは決まっていなかったというのが正解だろうなーと思っています。
じゃあ平安中期はどうだったか、ということで西宮記や源氏物語を見ると、西宮記では上首に黒という記録があるので黒の方を偉い人(強い弱いではなく)に持たせていた。
紫式部は、作中でも出しましたが、相当な囲碁オタクだったようで結構な描写がありますが、浮舟のエピソードで明確に強い相手を後手番にしてます。つまりコミ制度がないあの時でも先手が有利なのは知れていたということです。でも白黒どっちが先番かは書いていない。
もう少し時代が下ると時間帯によって偉い人に白持たせたり黒持たせたり囲碁のルールとしての決まりとは別の理由で白黒使い分けているので、さっきも書いた通り厳密なルールはなかったと思います。
なので佐為の位階が上なので上座。番勝負なので佐為は後手番からということで、ノリで白になった感じで「白が後手番で強い人」と明言するのは避けました。
ちなみに宇治十帖のヒロイン浮舟はおそらく源氏物語史上最強の碁打ちです。入水失敗の後で気が滅入る中、碁だけは打つ気になり誘われた相手と先番で打つもあっさり勝つので、後手番と入れ替え、誰よりも強いだろうと相手に言われる話があります。
我々の世界の源氏物語であればもちろん佐為は関係ないので違う解釈をしますが、作中の紫式部は薄々佐為が自殺したこととひょっとしたら自分との会話が引き金になったと気づいているので、佐為のことを思いつつ浮舟のエピソードを書いたのだろうな、と私の中では繋げています。
佐為本人や佐為周りのエピソードは色々彼女の創作の糧になってそうです。
少なくとも源氏のお姫さまが愛する人と引き裂かれる殿上人左遷騒動とか滅多に生で目撃できるもんじゃないし、この世界線の源氏物語だいぶ佐為成分入ってそうな予感が……。
顕忠の話に戻して。
菅原氏かー…と一旦菅原の人間を思い浮かべて……菅原となったらもう学問しか道がない上、菅公のあとなので出世はほぼないですよね。
大学寮出身で学問の道にいって地方官を繰り返しながら割と年がいってから六位の蔵人は一応菅原としては典型的で良いルートではないですかね。
そんな彼なので、佐為がもしも権門藤原家の公達だったら羨むことすらお門違いの差があることになるので、ここでも佐為は出身が良くないとするしかない筋書きができる。
あと、菅原程度と言ったらあれだけど、六位蔵人が帝にあのような奏上するなんてあり得ないです。勝者のどっちかを召せ、とかあり得ない。あれはたぶん佐為の記憶が相当悪感情として顕忠にいった結果もしくは超簡略化してヒカルに説明したためだと解釈しました。
職位としては侍従も六位蔵人も殿上できるし帝のそばにいるので、二人の対比という意味ではもうこれ以外ないというか。六位蔵人は任期付きなのでその地位から落ちるのを非常に嫌がるというのもその通りで、顕忠の動機は見えやすかったです。
佐為が異例の出世なら、なんであいつだけ、とも思ったはずですからね。
でも菅原レベルでは殿上人一人の左遷に関与はできないです。大臣クラス(というか北家)から睨まれてないと。
なので佐為が京を追われたのは各アクターがそれぞれ少しずつ意図的又は無意識に行動した結果の積み重ねが不幸な結末を連れてきた、という形になりました。
ただそのことを佐為は知らないし栞だって知らないし、結果的に顕忠も出世が断たれてるし誰にとっても不幸だった。一人勝ちしてるのたぶん諸悪の根源の左大臣(中納言の父)なんですが、まあこの人藤原北家の長者だろうから歴史的に見て約束された勝者なので仕方がないんです。歴史の修正力に完敗した結果ですね。
生前の佐為の性格とか。
佐為がどうというよりまず平安中期の貴族としての常識と振る舞いはあることにしないと生きていられないのでそこは譲れなかった。
あと、平成の世でも佐為は非常に自己中で利己的ですよね。例えば塔矢行洋が「(負けたら)プロをやめてもいい」と言ってヒカルが心底驚愕してるのに佐為はプロをやめる(=職業と矜持をかける)ということはかつて自分が入水のきっかけになった一大事と同じだと瞬時に理解して=本気の対局になると分かってヒカルの言葉を遮ってゴリ押しした。行洋の人生を狂わせるかもしれない可能性、ヒカルが被る迷惑を一瞬たりとも考慮せずに。分かってたはずなのにね。ほんまこの人なんて自己中…と思ったものですが、まあ、うん。
その割に都追われた途端に入水するくらい弱い。時代考証的にあり得ないというのを抜いても、なんで?というか。神の一手極めたいんちゃうの?だってこれアキラ君なら下剋上レベルで生き抜くぞ?物語の都合を度外視したらマジでなんで?というか。
でも子供には優しいのは本当に子供好きなんだろうなーという。
平安貴族は感情表現豊かで雨が降れば泣く花が咲けば泣くのが専売特許みたいなものなのでそれと佐為はまあ合致しているのですが。
上記のようなことを考えてというか、上記のもととなるような生前の佐為はどういう人だったか本当に長い間考え続けていました。良いところも悪いところもある、というキャラ像にしないとというのが長年頭にあり、また、時代にも合っていないといけない。
何度も書いたように佐為は貴族で殿上人という国全体から見たらとんでもない特権階級です。
佐為にはまず近代の発想である平等や権利という概念がそもそもあるわけないんですよね。平成で初めてそういう価値観に出会うことになって、最後は学習したかもしれませんが、彼は無意識にでも自分を高い位置に置いているというか置いてないとおかしい生い立ちです。
なので(ヒカルや私から見たら)わがままに見えるし、生前においても博雅からは同じ何かを志す人間として「碁に関しては」利己的な部分があると思われていたのでは、と。別に博雅はそれを悪いとは思ってないんですけどね。
その最たる部分が江戸末期のことですが。
私自身は思うことが山のようにあるのですが、本因坊秀策は実在の人物で彼の残した功績はとても大きく、あくまで漫画の設定とは言っても、その功績を誰かが成り代わっているとか奪って乗っ取っていたというのは、私にとっては気持ちのいいものではないのでお茶を濁す形にしました。
ヒカ碁の作者陣もそれをおそらく分かっていて、ここには詳しく触れられないのだと思います。
佐為からすれば庶民は自分に傅いて当たり前の身分ですから、死後もその習性が消えないのは当然のことで、そもそも庶民目線を少なからず持っていた栞みたいな貴族の方が頭おかしい扱いなので、佐為は真っ当ということを強調しておきたいです。現代人から見たら、ん?と思う部分があるというだけで。
そういう風習というか風俗の違いなども見せたくて書いた話でもありますしね。
そんな佐為の成人男性としてのあれこれ。
基本的に子供(ヒカル)といるので多分に彼に合わせてる部分があると思うんですが、たまに垣間見える部分がなんというか。
緒方に対してこれだけ酒が入っていれば戯れにしかならない、なんていうのはそういう経験があるから言ってるんでしょうし、そもそも自発的に思い出す生前の記憶って毎度毎度女人に囲まれてるところ……。ああモテてたんだね、ってのは予想できるけどピンポイントで露骨じゃないですかね……というか。
アキラ君のことを「女の子にモテモテだから(虐められた)」と見抜いたあたり、経験則だろうし……。
ヒカ碁はシナリオと作画が分かれていて、両サイドで細かい設定の共有はしていない(そもそも設定がない)ようなので各人の解釈の差異が見える作品でもありますが。小畑氏の描く佐為は基本的には氏が得意とする耽美系の美青年で普通の血の通った男性なんだろうなと感じていました。
一般的な貴族の男性がどういう性的な価値観や教養・経験を持って育つかは、この話は年齢制限を設けていないので露骨な話は避けましたが、佐為も当然「普通に」育った以外の選択肢はないはずなんです。そういう時代なので。
その上でどんな恋愛をしてきたかなと思った時に、碁の時間を削ってまで夜な夜な女人に通うのはまずないな、となり。その辺は合理的に宮中だよな、というか。
なぜ合理的かというと、宮中なら顔を見ることのできる女官も多いし直接仲良くなれる機会が多々ありますが、どこぞのうわさの姫を落とそうとなると姫にたどり着くまでが面倒ですからね。まず姫のそばにいる女房から落として(自らのお手つきだったり自分の従者と懇ろにさせたり等)なんとか文を届けて、ってプロセスが色々ある(なので栞は「常夏へ」で自分の女房と中納言が通じてしまったら寝所に押し入られる=再縁不可避と警戒していたわけです)。
まあ、佐為なら余裕でお付きの女房も落とせると思うけど、正直実行しないと思うというか……ものすごく碁が強いとかいう触れ込みなら別かもですが。でも宮中にいくらでも魅力的な碁の打てる女性はいるだろうし、深窓のお姫さま自体が栞と出会うまでは未知のものだったはずです。
いま考えれば佐為にとって栞は本当に一生顔さえ合わすことのできない高貴な未婚のお姫さまに偶然出会ってしまったシチュエーションですね。
なんて書くとロマンチックな気がしますが、宮中(職場)で出会ったのでめんどうなプロセスを踏まなくて良かった上に、女官や女房ではない(=職場の人間ではない)ので職場恋愛という現代に続くリスクも孕んでいない。まさに棚からぼたもち。
ただ、二人の最初の出会いは映像だったらとても美しいとは思います。
時鳥(冥界からの声)が誘った不穏なきっかけだけど、月明かりの下で蛍が飛んでいて、直衣姿の佐為の美しさは言うに及ばず、水干に角子の瑞々しい美少年と見まごう美女が偶然顔を合わせる。二人とも一瞬時が止まったのがよく分かる美しさかなーと思います。映像があれば…!
戻して。
栞は、栞には大変申し訳ないけど、佐為から見るとこれ以上ないくらい都合のいい相手だったんだろうなと思います。
年齢が釣り合ってて、碁が強くて、婿取り婚って考えたらこれ以上ない玉の輿で出世ルートに(乗りたいかは別にして)乗れるし、四条に大きな屋敷を持ってて、栞自体が佐為から見ても「美しく可愛らしい」。釣り合わないのは身分のみ。
特定の身分ある女性と顔を突き合わせてずっと碁を打ちたいとなると、もはや結婚するしか手がないわけです。
なので佐為は栞に妻問いして色良い返事をもらったので気合い入れて訪ねていったのに、全くそういう雰囲気にならず二日経って…なあたりはちょっと同情しますね。艶っぽい後朝の文を送っても意図に気づかれずスルーですし。佐為としては栞がずっとこの調子なら碁の相手だけでもと思ったんでしょうけど、いけそうなんで押したらいけたという身も蓋もない話ですね。
でもそうなると名実ともに夫婦関係となり、栞の方が佐為に夢中になってしまったのが不幸の始まり……と清少納言なんかは最終的に結論付けてしまった。
佐為も言っていたけど栞は碁才があって強くても佐為の望む姿勢で碁には向き合えないんですよ。でも彼女は佐為を好きになったのでできる限り希望に沿ってあげたいと思っている。だけど佐為と碁の同志にはなれないし、なれないことは寂しく思いつつも佐為の妻でありたいし佐為の一の人でありたい。
佐為もそのことは分かりつつ、碁の相手としても惜しいし何より妻として手放したくないのでどこまでも二人は夫婦という男女関係でしかなくて、だから博雅はそれ(碁)は栞ではなく子供に求めろとやんわり助言したんですよね。
佐為はけっきょく栞のことを愛していたのかは、好きに解釈してもらいたいところではありますが。
紫式部は、生きてる時に気づけなかった業の深い人、という解釈をしたわけですよね。
もちろん好きだったと思うんですけど、佐為としては元は碁のために妻問いしたわけです。現代と違って恋愛結婚するわけでもないので、佐為としては結婚したからには妻として遇して一番大事な女性という扱いをしようというところから入ったと思います。
なんだかんだ理由つけて中納言と口を聞くことさえ嫌がっていたり等、名目上の妻でいつでも碁が打てる相手という「だけ」ではないのは自明なんですが、どうなのかな。紫式部が正しいのかな。
ただ佐為には世間的に認知されてる恋人が複数いて、当然だけど誰も結婚後にその関係が切れると思っていないし切れないのを当然としてる。
栞も分かっているので気づかないふりをして咎めない。
この辺は現代と全く感性が違うのであれですが、そういうものなので佐為は全く悪くありません。
むしろ佐為はすごく栞を大事にしていると命婦が力説していた通りというか。
宮中に馴染みの人が複数いる(たまに文もらって情けをかける相手がいたかも)だけで本人は他に妻を持とうとは一切思っていない(恋人からしたら酷い話だけど)し、その辺の女房捕まえて手を出したりも一切しないって伝説のぐう聖レベルじゃないですかね……。
しかも月経の間も体調を気遣ってそばにいてくれるとかもうぐう聖通り越して神じゃないですかね。この頃は血の穢れを非常に嫌うので、それ以上に栞の体調気遣ってそばにいるってそら女房は「うちの殿が素敵すぎる」「姫さまの最高の背の君」って推しになるわ。と思うわけで。それに佐為は女房たちには絶対優しくて親切だから「うちの殿尊い…」レベルで信者が爆誕してそうです。ある意味一番美味しいポジション。
というか、佐為は碁狂いというだけで基本的にはすごく優しい人ではあるんですよね…。博雅とか父親とか特殊な人が基準だろう栞にはそのありがたみが伝わりにくいのかもしれないけど。
当の栞の感性がちょっと変わっているので、宿直で佐為がいないだけで(今夜は誰々のところかな、と考えて)落ち着かないし、実際他の女のにおいがしただけでショックで泣き倒してましたが、佐為からすると失態と同時に「なぜ???」だったのも本音だと思います。
佐為からすると崇めるレベルのお姫さまがなんで取るに足らない相手に嫉妬?と考えるのが当時のセオリーですから。
でもあれ以来、栞をもっと大事にしていたので佐為自身の言葉を借りると「痛い目にあって懲りた」んでしょう。栞が懐妊するまではやめとこう…とか思ってましたがたぶんあのまま生きていたら本当に懲りて栞だけを大事にしたんじゃないですかね。
だから、二人の別れはようやく本当の意味で家族になれそうだった、というまさにこれからだったんですよね…… (しかし、栞を大事にした結果が恋人からは遠のいて橘内侍が不安になって碁笥の確認を怠るという致命的なミスと不幸に繋がったのですが)。
佐為は子供だけは本当に好きなようなので自分の子供が産まれたらさすがに入水はしないでしょうから。
だから子供ができたらずっと幸せなままだったのに、という悲劇感も増してるというか。
まあ、でもあのままで子供が生まれたら栞も強くなって「和歌の詠み合いがなさりたい?麗景殿でどうぞ!」「合奏?温明殿へ行かれたら?」とか佐為を適当に突き放したり…しないかな…一生やきもち妬きでずっと佐為が大好きなのかな…。
でも佐為は突き放すと焦って追い縋るタイプな気がするから対処法としては正解な気がするんですよね。「懲りた」のも本能的に栞が限界まで辛くなったら縋ってくるどころか突き放すタイプだろうって気付いてるからだろうし…。
逆にいうと栞の懸念通り、他の女人に子供ができたら佐為はそっちにかかりきりになって栞はどのみち不幸になるという諸刃の剣。
正妻以外の子を大事にするかはケースバイケースなのですが、佐為の恋人たちは粗末に扱うには(佐為にとっては)憚られる身分ですからね……。栞も嫉妬のあまり権力にモノ言わせて何かしてやろうという性格でもないし、発散できずに内向的に病む方向にいくんじゃないかな。
最悪なケースは佐為が気に入ってる宰相の君の方に子供ができた場合ですね。身寄りがない庇護欲をそそるタイプで佐為は放っておけないのでたぶん自宅に引き取って、そうなると世間は第二夫人って認めちゃう上に子供がいる方に佐為は居続けることになると……。別の意味で左遷ルート入りそう……父の大臣とか今上がブチ切れる方向で……。
橘内侍は受領の金持ちのお嬢さまでしょうから、子供ができても彼女の実家がしっかり育てるでしょうし問題ないですね。
彼女はいつか佐為に妻にしてほしいと思ってましたけど、あくまで子ができても佐為は彼女とは結婚はしないだろうな……。碁も強くないし、プライド高いからずっと一緒にいると疲れそうだし。
宮中に子供連れてきたら頻繁に彼女の部屋に通うとは思うけど……。
橘内侍はもやもやしながらも、立場的に栞が強すぎて何も言えず、のままでしょう。
にしても(大っぴらに)最初に手を出した相手が宮中でも評判の美女の掌侍で、次が身寄りがないとはいえ美人で名高い参議の孫で最終的に摂関家のお坊ちゃんが求愛してる大臣の姫とかモテ男すげえな……という。佐為の立場だとみんな高嶺の花だよな…と。
(現代感覚だと)栞も佐為の恋人たちも割とひどいことになってるんですが、みんな佐為のこと大好きなのがまた…モテ男すげえわ…。
佐為に塩対応で最終的に意図的に歴史から名前を消す試みが大成功して復讐を遂げた清少納言ですら「直接会ったら絆される」と感じていたので、とてもとても魅力的な青年だったんでしょうね。
でも清少納言からすれば栞の方がうんと大事で、美しくて才能があって身分が尊い(清少納言にとって最も重要ファクター)お姫さまが、なんで恋愛ごときしかもあの程度の身分の男にハマって破滅しなきゃなんないの!という気だったんでしょうけど。
でも、栞は佐為と別れても本当にしたいこと(舞)は身分柄無理なんです。身分が高すぎて本当に身動きとれないんですよ。でも佐為のことを好きになって、佐為のために全部諦めてもいいって思って、佐為が自分といずれ生まれてくる子供のための人生だったと思ってほしい、って言ったからそれを心から受け入れたわけです。それに佐為はあくまで四条の屋敷の中であれば好きにしていても文句は言わない柔軟性はありますから、栞からすると現状を顧みてこれ以上はないという。外に出たら姿を隠せというのもこの時代の常識だから倣ってるわけで、佐為本人は「口うるさくてごめんね」って一応栞を慮ってはいるわけですしね。まずあり得ないくらい柔軟性あると思います。
ただ清少納言の気持ちも分かる気もするんです。佐為すら世慣れないお姫さまだと心底感じたレベルですれてない深窓の姫だったのに、すっかり佐為に心身捧げて佐為が中心になってしまってもう会えなくなって、それで佐為が栞を大事にしてればまだいいけど清少納言は結婚前から佐為が囲碁目当てって見抜いて危機感覚えてましたから余計に「私が止めてれば!」と思っただろうしという。
佐為の女性関係を擁護するのもなんですが、あれだけモテてたら宮中の肉食女子から常にコナかけられる状態なので、むしろレベルの高い恋人がいるのっていいことだと思うんですよ。掌侍のトップなんてすごく地位のある女官でしかも宮廷で一番と言われるくらいの美女が恋人なら、肉食集団も「ああ私では無理ね」となって露払いできるでしょうから。
逆にいうと「私の武器は碁」と自覚して結局佐為を落とした宰相の君って策士ですよね。ガツガツいかないことで佐為の興味を引くことに成功してる。
しかし、いま気づいたんですが、だから彼女は「妻は碁が強いんですよ」なんて結婚後一番に無邪気に言われて「あ、勝てないんだな」ってなっちゃったのかも……。身分も碁も勝てないならもうお手上げですもんね。佐為よ……。まあ、同時に「碁目当ての結婚か」とも見抜いて寵愛が完全に移ったわけではないと悟ってホッとしたりね。いずれにせよ佐為よ……。そして彼女は「この調子でいつか彼は碁で身を滅ぼす」って見抜いてた聡い人でした。
とまあ、こうして佐為の恋人枠が埋まり、その後、結婚した相手が大臣の姫でトドメです。もう誰も手が出せない。
佐為が言ってたように「(めっちゃモテるけど)自分から通ったのは多くない(から見逃してよ)」は真理で偉いと思います。まあ、あんまり請われるから一度くらい、はままあったかもしれないけど、割と普通のことだし、自宅にそういう関係の女房(恋人ですらない)抱えてたりするよりよっぽど良いというか。
この時代にあって、全部相手の意思を尊重してるし、自分の方が(社会的)立場が明らかに強いとわかる相手には手出ししてないですよね。
逆にそういう(能動的な恋愛の結果)のがいや!というタイプもいただろうけど、なかなか現代人には理解しがたい部分なのかな。
栞はどうだったのかな。最終的に「ぜったいバレないようにして!」という解決策に出てたけど…うーん。
逸れましたが。
上記しましたけど、佐為との別れは最高の幸せの絶頂期へ向かう予感があったところで突然やってきた、栞にとっては最悪のタイミングだったんですよね。
子供がいて幸せの絶頂だったら、辛いけど子供のためにまだささやかな幸せを感じて生きていけたでしょうから。というか子供いたらたぶん佐為死なないし……。
栞は佐為を心から愛していたので、佐為にそこまで愛されていないことも当然気づいていて、でも佐為が「懲りた」あと多少変わったのも感じていたでしょうから本当にこれからだったんですよ。長谷寺から帰った直後ですからね。あの時、本当に幸せだったはずなんです。
そんなこんなで栞は人生をかけて恋をして佐為が帰らないのすら分からず待ち続けて生涯を終えるという恋に殉じる報われない悲劇的な人生を送ったわけです。
が、その悲劇性は後世に伝わらず、美しくて快活な姫というイメージのまま歴史に残り誰も真実を知らない。悲劇であっても彼女は佐為に恋したことを一切後悔してないのに。むしろ佐為に出逢わない人生に意味はないと思っていたのに。
という無常なお話でした。救いは……生きてる時分には一切ないです。
むしろ、いかにして巧妙にかつ偶然に佐為が歴史から姿を消したかという話だったなと振り返って思います。
タイトルに特に意味はなかったんですが、結果的にはタイトルそのまま佐為の生きた時代そのものを主にした話になったな…と。
少し構成上の話を。
この話にパイロット版があったのは話した通りなので始まりや結末、流れは基本的に昔からあってプロット的なものはなかったのですが。
というか辛い話なのが最初から分かっていたので、いまさら書く気はなかったのですが、2020年の暮れにちょっとまとまった時間が取れたのと思うところあって重い腰を上げ、一気に書きました。二十五話の「呼び水」にあたる話まで。
その後の展開が辛いのと、ちょうど時間もなくなったことで再び放置してもう書くことはないかなと思っていたのですが半年前にふと思い立って唐突にアップしようということで見切り発車で始めました。
週一くらいでアップしたら何ヶ月もストック切れるまでに時間あるし書けるかな、と思って。
が、そう簡単にはいかず。紆余曲折ありました。
例えば十三話「誰が袖ふれし」は急遽挟んだ話です。
平安中期の風習をできる限り後悔のないよう余すことなく書こうと思っていても流れに合わない場合は泣く泣く捨てていたのですが、お香の話は個人的に書いておきたくて。彼らがどのように香を作っていたか豆知識にもなりそうだし、佐為の器用さ殿上人らしさも出せるかなと。
基本的に全話を全て読まないと話が通じない部分が出るはずですが、あえて一話選ぶならここは飛ばしても問題ないはずです。読んだほうがより佐為と橘内侍の関係がわかって次の新嘗祭編が分かりやすいとは思いますが。
そして十四話の「遠国の歌語り」はターニングポイントの最重要と言っても過言ではない話なので嵐の前の静けさになるかな、と。
補足するなら、この話で橘内侍がどれだけ佐為が好きか分かると思います。普通、秘伝の香の調合方法なんて教えません。あの人たぶんものすごく佐為に尽くしてきたんだと思います。ツンツンしてるけどね。
佐為はそんな年上の恋人の機微を察するに至らなかったというか、たぶんそこまで入れ込めなかったんでしょうね。橘内侍もそれを分かってるのでみっともなく縋れない。
でも彼女の視点に立つと、薬玉をくれた(これも5/5のイベントだ)翌年にはもう別の恋人に贈って、それから半年と経たず全く別の相手と結婚って屈辱じゃないですかね。新しい恋人を作っても自分に通わなくなるわけではないから嫉妬もできないだろうし。結婚相手なんか雲の上の人すぎて何も言えるわけない。結婚後は通いが間遠になってる上に佐為は宰相の君の方を優先してたはずなので、ものすごく嫌だったでしょうけどプライド高いから文句も言えないし、その後もずっと尽くしてたんだと思うと…うん…。
しかも自分のせいで佐為が京を追われたと思って若くして出家…。この人はこの人で佐為に全てを捧げた人生だったよな…と。
ただ、全てを捧げてもたぶん佐為が最初の相手ではないので三途の川は違う人の手に引かれて渡ったんでしょうね…。
宰相の君はなんだかんだ、佐為を想いつつも生活のためにいずれはそこそこの男性と結婚したんじゃないかなーと思うので、まあよし。
(書いてないけど佐為が健在の間はおそらく定期的に佐為から贈り物という形で援助を受けてたはずで、佐為の亡きあと物理的に一番困ったのは彼女だと思う)
そう思うと若くして出家できるのは橘内侍が十分な財力を自前で持っていることの証明に他ならず、そういう選択ができただけ幸せと思うしかないですね。
掌侍のトップ(時代が下れば勾当内侍なんて呼ばれる)は(この時代は)受領の娘がなるポジションで本人の給与はもとよりお金持ちだろう親から引き継ぐ財産がありますからね。まだ自分の意志で人生を決められる程度の自由はあると言える。
対する宰相の君は両親がおらず参議だった祖父の養女。その祖父も亡くなりツテをたどり麗景殿の女御(血縁?)の上臈の女房に。両親が早くに亡くなっていれば継ぐものもそれほどないし、参議は公卿だけどこれがまたなんというか…。公卿には列するけども位階は四位なので位階通りの扱いをされるし、昇進した途端に舞姫なんて金のかかるものを献上しろと言われる。微妙なポジション。晩年に参議になったとして、自身の亡きあとに孫が出仕したということは面倒を見る人もおらず財産もそれほどなく、良い縁談ももちろんなかった末のことでしょう。血筋がそこそこなので上臈の女房にはなれるけど…という典型的な落ちぶれルートです(栞の父が、絶対に落ちぶれてはならない、と言っていたのもこういうことです)。
なので宰相の君にしても、生活のために女房として働いているのであって、生活のためにそこで経済力のある男性と関係を持つこともままあることですから。彼女は自分が憧れた相手に(碁目当てとはいえ)見初められて幸せだったとも言えますね。
個人的に佐為と宰相の君の関係は平安の男女っぽくて好きです。佐為は碁目当てだったけど、和歌のやりとりから始まって、お互い字の美しさとか詠みっぷりにもっと好意を抱いて、そして相手が受け入れる姿勢を見せたから訪ねていって、翌朝初めて女性の顔を見る、と。もちろんうわさで美人って聞いてただろうけど、実際美人でテンション上がったのかな…とか考えるといとおかし。
栞や橘内侍のように顔をちゃんと知った上で関係持つってイレギュラーですからね。栞が主人公格なので詳しく書けませんけど、それぞれの女君との話もストーリー化したら面白そうです。
まあ…いずれもバッドエンドでしょうが…。
金銭の話が出たからついでに。
佐為の生活の面倒は栞(の家)がみてます。現代でいうヒモではありません。そういうものなので。なので佐為(夫)は将来は出世して恩返ししなきゃねとなるわけで。
上記したように栞の家は桁違いの収入があるので、佐為は着ている服から持ち物全て結婚後はめちゃくちゃ高級仕様になったはずです。ますます素敵になって、なんて女官女房が言ってたけどそりゃそうだろうよというか、大臣家の財力パワーが多分にあるわけです。
佐為は自分の収入もそこそこあるので、それは実家はもとより身寄りのない宰相の君とかに使ってたんだろうなーという。もちろん佐為にも連れてる従者がいるのでそれは自分で面倒見てたんだろうけど、ずっと栞の屋敷にいるので栞側は持てなしという形で面倒見なきゃならないし。栞の家の財政状況を思えば微々たる差でしょうけど。なかなか理解しがたい世界ですね。
ちなみに佐為が天寿を全うしても恩返しレベルまで出世できるかは……うーん。参議くらいにまでならなれると思うけど、うーん。納言までなれるかな。うーん。
佐為と栞の間に娘が産まれたらたぶん世紀の美女だろうから(祖父の大臣の力で)入内してワンチャンかな。そうしたら納言にはなれそう。
新嘗祭編で書きましたけど、新参議は舞姫を出さないといけないので、娘が産まれたら10歳くらいで佐為は参議に昇進して舞姫を出せって言われて嫌すぎてガチ泣きしてる様子が浮かびますね…。こんなに費用がかかって!娘をあんな見せ物にしたあげく入内させろ!?バカ言わないでください!!娘はまだ10歳なんですよ!!とか言ってそうです…。
なんかifでありそう。「参議に昇進したら娘を舞姫に差し出せって言われた件」とかって。
でも次の春宮って佐為が生きている場合は佐為も可愛がってた麗景殿の女御腹の皇子の可能性が高いので、佐為には悪いけど年齢は釣り合っちゃいますよね。本当にご愁傷様です。どう転んでも入内です。今上もウッキウキで推薦するでしょう。栞と佐為の姫が義理の娘になるなんて。自分の在位中に春宮妃にしたがるに決まってます(譲位すると帝は内裏を出るので)。本当にご愁傷様です。
まあでも入水エンドより幸せそうな未来ですけど。
十話「夷狄襲来」
これも流れ的にいらないかなーと悩みつつ書きたくて書いた話です。
大宰府はじめ地方官もちゃんと仕事してることも伝えたくて。また栞の父親がどういう人物かも見せておきたかったので。
少なくとも「常夏へ」で今上に「奴ら(僧/陰陽師)の戯言なんざどうでもええやんけ!姫が死にそうだからさっさと佐為に大赦出せやボケが!!」と言えるくらいの人物であることは伝わったかなと。(でも佐為が冥土に行けず現世にもいないって見抜く僧侶たちけっこう優秀ですけどね…)
そして中央との距離感や意思決定が遅すぎてイライラな部分もわかってもらえればと。
アクションが得意というか好きなので動きのない話の中でドンパチが書けて楽しかったです。
十二話「負態」
上記しましたが、碁の碁手が扇というのは史実でそれを雅やかなものと人々が語り継いだのも史実です。なのでこれは絶対出さなきゃ、と思っていました。栞の扇を受け取った意図にもかかってくるし、これを知ってからヒカルが夢に見た光景をもう一度見るとニュアンスが広がって世界観に広がりも出るかな、と思うので。
この話は宇治での紅葉狩りに挟みましたが、屋敷の外で動きのある話って書いていると新鮮です。佐為はインドア派でなかなか外に出てくれないので貴重というか。
そういう意味では二十四話「初瀬」も新鮮でした。読んでる方も栞もそうじゃないかなと勝手に思っています。それだけ、栞のような姫であっても、外出が貴重すぎて心躍る機会なのだと、あの頃の生活の様子など一緒に感じてもらえればと思います。特に「初瀬」は庶民と貴族の隔絶感が出てたと思うので、栞はおかしい姫扱いだけど、現代人からすると栞の気持ちがわかるんじゃないかな…と思います。
宇治で佐為は珍しくずっと栞に見惚れてましたけど、出会った時の栞の装いが男装だったので凛々しい格好してる栞萌えなんですかね……。「夏夜の契り」でも栞は男装してましたし……。特にそう意図はしてないのですが……。
ただ佐為もこの時感じていたように、高貴な女性はあの長い髪を耳にかけるのすらご法度で、佐為は耳出しはそれはそれでそそられると思っていたので活発な栞のことを困ったお姫さまとは思いつつ好んでいたのかもしれないですね。佐為とは正反対な感じが。
十五話「澪標」十六話「最後の参内」
栞が舞姫というのは設定上重要なので、五節の舞はどこかで出そうと思っていました。
栞の佐為への献身ぶりや清少納言が栞を哀れに思う様子で佐為が狭量な人に見えるかもしれませんが、そんなことなくて、本当に心から(栞を内裏に上げるのが)嫌だったんだと思います。妻が見せ物にされてるのが不快で何がおかしい。って思ってましたけど実際はもっとえげつない場なので…栞はもとより舞姫やお付きの少女たちが嫌な目に遭ってるところなんて書きたくなくて言葉を濁しましたけど、察してもらえるとありがたいです。
「娘が舞姫に!」って喜ぶどころか大号泣な様子は実際に残ってますし…新参議陣なんて娘を差し出すのが嫌すぎて部下の国司の娘を代わりに出すのが常套手段だし、内裏は危険がいっぱい。人権なんてないし身分は絶対だし、実際「誰々が少女の胸元に手を入れてまさぐってけしからん騒ぎを起こしたけど、まあ酔ってたから、無罪!」みたいなことが日記に書かれている。
佐為は悪くないと思います…、本当に心配してるんですよ、自力で栞を守れないので。
そんな内裏ではあるけど、栞の晴れの舞台でもあり、佐為や博雅たちに付き添われて参入する豪華な様子や紫宸殿で舞う華やかさも伝わっていれば…と思います。
十九話「藤波」
この話は書こうと思って書いたわけではなく終盤が空白な中でふいに頭にブワッと映像が流れてきて書いた話ですね。
新嘗祭編を書いたときは左大臣の中の君がキーを握るとは一切思ってなかったのですが、少女が女官として御所に上がったら、初めて見るレベルの美貌の君に憧れるのって当然だよなーと。そして身分の高い姫さまなので佐為に妻がいても遠慮なしにガンガン来る。
左大臣家は遺伝子レベルで源氏ファミリーに害なす存在なのは避けようがないんでしょうね。
兄は栞にいつまでも片想い、妹は佐為に淡い想い。
佐為は佐為で困ったお姫さまだなと思いつつ、まあ可愛らしいけどなんて危機感がない。おまけに栞がもしも入内してたらマズイと知りつつ手を出しただろうとか恐ろしいことを考えていたので、最後に博雅がこう(真っ当に結婚できる出会いで)なってよかったというのは大正解なんでしょうね。
左大臣がガチめに佐為を目障りに思った重要な話になりました。
二十話「伝え継ぐこと」
ここ書いてほぼ満足したレベルで重要な話なのでここ読まれてないと本格的に意味がわからないと思います。
また、栞は和歌は苦手だけど漢詩はたくさん覚えており、佐為の言葉にもすぐ応じられる。佐為は唯一和歌欲は栞では満たせないですけど、他は完璧で、本当に佐為にとってもこれ以上の相手はいないと思うんですよね。
いくつか漢詩を引用しましたが古代中国には膨大な量の漢詩があるにも関わらず和訳が出ているのはごくごく一部。碁に関する漢詩もいっぱいあって佐為は絶対覚えているでしょう。その中の一つを出したのですが、漢詩を日本語で短く音よく表すのは困難でもう少しニュアンスに広がりがあるのですが文字の関係上仕方なく。拙訳ですがこういう詩もあったのだなーと思ってもらえれば嬉しいです。
後々この時の漢詩を源の中納言も呟いていたりして、何かにつけ引用を頻発する文化であること、かつ各人がどう考え相手をどう思っているかも引用の内容から知れるので、そういう部分も感じてもらえればなーと思います。
引用といえば十八話「前世よりの縁」
これも二十一話「矜持」と合わせて平安観がたっぷり出ていて現代人には理解しがたい話なのであえてじっくり読んでもらいたいと個人的に思います。
ヒカルは現代人なのでプライバシー侵害を最初は気にしたかもしれないけど佐為は平安の貴族なのでそもそもプライバシーは侵害され放題で侵害という概念もないわけです。
女房たちには基本なんでも筒抜けですからね。
夫婦の仲も当然筒抜けなわけで。
栞は当人なので佐為の気持ちが自分にそこまで向いてないのは体感しているんですが、命婦たち女房から見たら佐為はずっと栞と住んでるし女房には一切手を出さないし夜離れなんて想像できないくらいの様子が筒抜けなので、佐為は栞を寵愛しまくっている睦まじい夫婦にしか見えなかったでしょう。
そんな夜に控えの女房たちが催馬楽をとっさに引用してみせた場面が十八話にあるのですが、彼女たちは大臣家に仕えるレベルにふさわしい教養がある人たちである、という場面でもあります。
我々の世界では道長ですら気の利いた女房を揃えるのに四苦八苦してるくらいですから、栞の家の財力や人脈が充実してることの証左ですね。
二十六話「重陽」
この辺りから一話一話書いていかなくてはならなくなって、かつ5/5に終わりたいという思いがあり、タイムアタックをしていました。
アップする日を決めて、かつ4-5日しか時間がなく、「重陽」をアップして次の「形見」を書き始める。ということを繰り返していたので時間との戦いというか。
特に二十七話から結びの三十話まではアップして四日目に次の話という計算をしていたので……。実質の平安の最終話の「常夏へ」は本当は5/1の日付け変更と同時にしたかったのですが間に合わずに伸びました。なので「結び」を書き始めたのはその後で、かつ私は5/5はどうしてもネットにほぼ丸一日繋げない予定が入っており5/4の夜までに終わらせてアップロード予約をしていないとダメだったんです。
もちろん他の日常業務をこなしながらなので、正直間に合うか不安だったんですが、せっかくなので逃したくなくてやり切りました。
逆にいうとこの辺りの話は辛くて書きたくなかったので、5/5という目標にまくられなかったら一生書けなかったかもしれないです。
ともあれ五月は(旧暦だけど)栞が亡くなった月であり二人が出逢った季節でもあり栞を象徴する季節でもあり、サブタイトルで季節の漢字は夏以外は使わない、という制限を設けてたくらい作品の軸になる季節なので、ヒカ碁っぽくもあるだろうしこだわってみました。
余談ですが重陽の節句は中国では一大イベントだけど日本ではそうでもなくて、宮中行事としても大事ではないししょっちゅうキャンセルしていたし、というような扱いです。しばらくやってなくて村上天皇が復活させた時なんか残菊の宴とかいって日程からもズレていて、というような扱い。マイナーゆえか重陽に関する説明は割と公的な場でも間違った記述を目にしやすいです。
そんな扱いなので佐為の人生が変わるイベントはこの日にしました。不吉だし、扱いが歴史的に軽いので記録も残らないかもだし、ちょうど秋だし、という。
「常夏へ」は佐為以外のキャラクターのその後なので、みんなままならないまま生きていった様子がなんというか……みんな人生が狂ってしまったというか。
あえてクローズアップしていないですが、橘内侍はそれこそ現代なら自殺レベルの後悔をしているでしょう。彼女のせいではないのに、愛する佐為の失意の背中を見送ったのが最後の姿でしかもお互い誤解がある中でのことで…きついと思います。
中の君は父親や兄の思惑は知らないまま、今上と傷の舐め合いという関係に。碁好きだった今上は碁からも遠ざかり、ただでさえ非公式だった碁の師という立場は完全に歴史から抹消されることに。
中納言もそこまで佐為の進退に影響は与えていないはずなんですが、元が良い人なので一瞬でも父親の誘惑に負けたことが結果的に栞の不幸に繋がったという自責の念があり物語の最後まで後悔し続ける人生。
栞の両親なんてたった一人の姫が帰京したらボロボロで、両親視点だと婿が下向途中に消えて娘がそのせいで衰弱して死にそうとか正直死ぬほど恨みたい心境だったと思うんですよね。そしていっさいの事情をそばで見ていないので置いてきぼり感がすごい。
救いがないのは佐為も含めて誰もこうなった真相を知らないということですかね。みんなさまざまに誤解したままそれぞれままならない人生を過ごしていったという、救われないエンディングです。平安ぽい無常感といえばそうですが。
というかもうちょい各々の悲惨な現実・人生を書きたかったのですが時間と文字数が切迫しており断念。佐為の両親なんて書けなかったけどどれだけ悲惨だったことか。もう想像を絶するレベルだと思います。
あの後、何十年もああいう状態が続いて栞はもとより色んな人が苦しみ続けたというのを想像してもらえれば…と思います。
最後に栞が感じていた、才能とやりたいことが合致していても制度や環境が充実していないと意味がないというのは一つの真理ではありますよね。特にあの時代。
佐為は古代中国に生まれていたか、もしくは中国に逃れる気概があれば、もっと碁人生も充実していたでしょう。でも、平安の世で貴族の生まれでは佐為の望む人生は得られない(得ようというアイディアさえ浮かばないでしょうが)。
栞は何もかもに恵まれたお姫さま。なんていうのは周りが思うことで、舞どころか出歩く自由さえない。
対する博雅は、平城生まれでもダメだし平成生まれではもっとダメ。あの平安の世で、あの生まれで、あの才能でなければならなかったという、時代に選ばれた、なるべくしてなった楽聖だったわけです。
つまり自分と佐為は時代に選ばれなかった、と。栞は一生をかけてそのような救いのないことを悟って、いったいどんな気持ちだったのか。やはり救いがない。
そして結び。
時間との戦いでしたが、最後の最後はパイロット版から変わっていないので、そこに至る佐為をどう書くかとの戦いでしたが、そもそも結びを書くための全29話だったので集大成でもありました。
そもそもの話、佐為は千年前のことはっきり覚えてないよね、というのがスタートラインでした。
はっきり覚えてないから狩衣で御前に上がった想像しちゃうし帝を大君とか呼んじゃうし儀礼空間的におかしい並びを浮かべちゃうし帝が余(よ)とか江戸の殿様に影響受けたみたいな一人称だし(よしんば余を使っても読みはワレ)等々、ありとあらゆる記憶が混ざってるんだろうなーと。佐為の記憶でアイテムの形状が変わると思えばあの格好も説明がつくので、自分の中ではこれでけっこうしっくりしました。
人間の記憶なんていい加減で三日前の晩御飯すら覚えてないことも多いですから、そら千年前なんて覚えてなくて当然です。
佐為のビジュアルがああなったのは小畑さんに聞かないと分からないので滅多なことは言えませんが、もしアイディアの影響を受けたとしたら1987年の杉井ギサブロー氏による源氏物語のアニメの光源氏じゃないかなと思っています。まんまなので。
佐為に関する史料が残っていないということでしたが、おそらくこれもちゃんと探せばあると思います。
平安中期はニッチ分野で数少ない専門家ですらちょっと得意なものからずれると知らないことも多いですしあの頃は電子化も進んでおらずいっそう調べるのに難儀します。ちょっと問い合わせた程度では分かるはずもないんです。
そもそも漫画だから文字が分かっているけどヒカルはあくまで「ふじわらのさい」と音で聞いていて漢字は知らないはずですよね。サイは音読みで実際の佐為の名前の読みはスケタメですよね。音読みで入ったヒカルから「ふじわらのさい」って聞いてもサとイを音読みとする訓読みの漢字の組み合わせは無限にあるので、こうなると探し当てるのはほぼ不可能です。
しかも帝の碁の師という非公式な役職しか知らないのではね…。作中に出しましたが管弦の師は現実に存在するけどこれも誰が担ってたかは特定するの難しいのに…(当然みな中将なり納言なりの公的な職がある)。
なので目立つところに残ってないだけで、佐為が全く残っていないわけではない。という可能性を残したくて十一話「それぞれの内裏事情」のラストのようなことを匂わせました。
ちなみにですが佐為の私的な書物(手紙とか日記とか)は博雅の孫が栞の葬儀で全部栞と一緒に燃やしているので全く残ってないという流れでした。燃やしてなくても残らないでしょうが。
そして佐為自身が自分のことをヒカルに話していないのは自明で、あの二人は(物語の都合上であっても)囲碁を介してのつながりですから、ヒカルも最終的に囲碁を通して佐為のことを昇華するに至ったんでしょう。
佐為は上記したように非常に自己中で利己的な性格をしていて、綺麗な容姿と柔らかい物腰に騙されがちですが、とてもとても我が強い。
本当に最後の最後になって、碁ではなく人間を思いやる感情を本当の意味で知ったんだなという、佐為が成仏に至る通過儀礼がそこにあったんだろうな、と私は解釈しています。
なので千年を経て博雅の言葉を理解するに至った、というストーリーラインになったわけです。
博雅だって永遠に楽を続けたいと思っていたはずなんです。だから何度生まれ変わっても…と言っていたし、有限だと分かっていたから彼は前向きに折り合いをつけていた。
たぶん博雅にも佐為と同じように考えていた時期があるんでしょう。でも子供が産まれて歳を重ねてああ至ったのだろうから、まだ若い佐為を見守る姿勢でいた。
でも佐為は若いまま亡くなって時も止まってしまい、博雅のように年を重ねる機会がないまま千年を過ごして、もう時間がないと自覚した最後の最後ギリギリでもまだ「何々ならば何々で、だから何々ならば何々だろう」ってずっと仮定の話ばかり思い浮かべて何とか自分を納得させようとしてましたからね。急転直下で凝縮された時間の中で今までを振り返らなきゃならなくなった。
残酷に思えるかもしれないけど、佐為は一度自ら手放した人生ですから、むしろほんの僅かでも時間が動いたことは神様の慈悲というか、そういう風に捉えることもできると思います。
博雅(や全ての人類)が大昔に通った道をようやく…という流れです。
佐為がある意味の人間らしさを千年かけて最後の最後で会得したことは意味があると思います。
佐為が消えたことを悲劇と捉えるのではなく、佐為は千年前に生きていて、そこには家族や大事な人々がいたはずですよね。その人たちは佐為を失って耐えようのない苦しみの中で生きていったはずです。ずっと会いたくてずっと待ってたはずなんですよ。
佐為は悲しみの中で消えたのではなく、ようやくその人の元へ還った。待っていた人たちのところへいった、と私は捉えています。
平安時代の人がそうであったように、ヒカルは佐為の姿を写真に残すこともできないし、きっと年数が経つとともに佐為の記憶は薄れて、いつしか思い出すのも難しくなっていくと思います。ヒカルはヒカルとして棋士として成長する以上、佐為と同じようにはなれないし自分の中で消化して生きていくしかない。彼もまた歳を重ねて気づいていくこともあるでしょうから。
そう思うと栞の人生って文字通り本当に悲惨だよなというか。
前にも後ろにも進めないまま時が止まって、死ぬことさえできないまま生き永らえて最後まで佐為に会いたいって思ったまま死んだんですからね。佐為のようにボーナスステージがあったわけでもないし。元より何もかも諦めて佐為のために生きようって思っていたのにね。まあ、現実は物語のようにいかないということですかね…これ物語だけど…。
結びで夢の話をしましたが、ヒカルに希望を残す意味合いにもなったかなと思います。
ヒカルの見た佐為の夢は明晰夢のようなものかもしれないけど、ヒカルがいつか「相手が想っているから夢に現れる」という佐為の言葉を思い出したら、佐為が望んだから会いに来てくれた、って捉えられたら救いになるかな…と。
佐為が栞と三途の川のところで再会できたのは佐為の願望かもしれないし幻かもしれないし、そんな都合のいいことはないかもしれないし。もしかしたら栞が臨終の際に一瞬見た光景なのかもしれない。
でも、素直な流れでいけば、千年を経て佐為はいろんな感情を学んであそこに至った、と、栞や佐為の人生はバッドエンドでしたが、例え幻でも救いのあるエンドマークを打ったほうがみんなハッピーかな、とああいうラストになりました。なによりいろんな人が「二人が常世で会えるように」って千年前に祈り続けたわけですしね。
もしも佐為が一瞬「死ぬ直前の光景では?」と思ったように過去に戻れていたら、今度こそ栞と幸せな人生を全うできるんでしょうが、そんな都合のいい話はありませんよね。
佐為は1000年間、肉体を失って誰にも触れることができなかったので、幻でも本当に浄土へ向かう三途の川のほとりであっても、栞に触れられて込み上げるものがあったのではないかな……と。
通過儀礼を経て、ようやく心から彼女を愛していたと自覚して、満ち足りたのではないかな。
ハッピーなのかメリーバッドエンドというやつなのか分からないですが、本当に救いがないのでこれくらいは、と。
あと、栞が本当に七度生まれ変わってずーっと佐為を探していたら悲惨なので、そういうルートを考えることもあったんですが、書くのは躊躇しました。
生まれ変わりってその人の人生に過去の別の人間の要らない思考を背負わせる羽目にどうしてもなっちゃうので、とても残酷だし、七度目に現代に生まれた栞(仮)はいい加減栞の記憶にうんざりすると思うんですよね。いい加減に解放して、と。
なのに七度目で無関係な過去はもう知らないと生きていこうと思った矢先にヒカルに取り憑いた佐為と会ったりしそうじゃないですか。栞(仮)は嬉しいでしょうか。私には、1000年間生まれ変わりながらその都度本来の人生を諦めてまで探していた相手が、1000年前のあのあとたった二日で全てを捨てて死んでいたあげく今は碁のことしか考えてない魂魄体と知った日には…修羅場な予感しかしないですね。栞なら佐為に甘いので許すんでしょうけど、ただの栞の記憶を持った別人だと…うーん…。
それに栞ってものすごく碁が強いので七度も生まれ変わって佐為のために碁を続けていたら正直佐為より強くなってそうでパワーバランス崩壊しそうだし…これはあかんわ…と思った次第です。
というか、碁はともかく佐為と最悪な再会から始まって一から関係性を構築していくストーリーは描けるかもしれないけど…栞(仮)が今の人生と人格をもって佐為のことを好きになっても絶対結ばれないんだし、佐為が今度は栞(仮)のことをちゃんと好きになったら栞(仮)の中の栞の記憶からしたら別の女性なんだから裏切りだろうし、めちゃくちゃ複雑な上に結局結ばれない…今以上に悲惨な話になりそう…。
パイロット版の時にこの生まれ変わり続けての再会verを読みたいと言われたことがあるんですが…各々好きにその後のことを浮かべて想像してもらえればと思います。
ストーリーとは別にして春夏秋冬様々な佐為を見せたいと意識しながら書いていました。
佐為の生前の素敵な姿はもっとたくさん想像できるし書き足りないことも多いのですが話の都合でどうしても書けないことも多く……これだけ書いても書き足りない気がします。葵祭りとか勅使派遣される佐為とか華やかな場面を色々もっと書きたかったなと今でも思っています。栞との生活も極々一部しか書いていないのでもっと色々楽しい日常もあったはずですしね。
この話をもとに各々で色々と想像して楽しんでもらえたらとても嬉しいです。
もしも繰り返し読んでいただけたら新たな発見もあると思うので、気が向いたらまた読んでもらえたらと思います。
この後書きはそのうち活動報告に移すかもしれません。
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