「空間震……災害」
「精霊……空間震を起こす存在、って考えるのが自然?」
「……私以外の精霊って、どんなやつなんだろ」
▽
雨の降りしきる街の中、青い髪の少女が駆けていた。
兎の耳の着いたフードを揺らし、跳ねるように駆ける姿は、一見して楽しそうな印象を受ける。
それは日常的な光景のようだが、周囲の状況を見ればすぐにその異端さが分かるだろう。
たとえば、賑わっていたはずの街には一般人は見当たらない。彼らが生活する音は一切聴こえない。物だけを残して
その上、街の一部の建物が床が削り取られたように抉れている。長さとしては数メートル規模のクレーターが出来上がっていった。
今、この地は平穏からは程遠い状況だった。そんな状況であれば、ほとんど人間であれば不気味だと感じるだろう。
それに少女は怯えきっており、足の速度は人間の限界点を優に超えている。
……少女の後ろからは、恐ろしい形相の人間たちが銃を構えている。彼女が恐怖を感じるのは、当然のことなのかもしれない。
「〈ハーミット〉補足! 撃て!!」
SFじみた格好へと身を包んだ彼女ら──ASTの隊員は、少女を見て叫ぶ。
それは、何度も繰り返し行なわれてきたことなのだろう。銃口を向ける人物らは、躊躇う様子もなく行動する。
一般人が誰ひとりとしていない、閑散としている街の中、銃声と怒号が響き渡る。
その銃弾が向かう先は、少女だった。
普通の人間ならば、当たればひとたまりもない攻撃であることは、容易に想像がつく。
しかし、少女は怯えた様子ではありながらも、銃口から放たれた銃弾を躱す。
おおよそ人間では出来ないであろう行動を起こした少女は、それでも悲しそうに俯く。
「よしのん……」
少女は、左手に着けたウサギのパペットに話しかけると、そのパペットは甲高い声を上げた。……正確には、声を出しているのは四糸乃だが、彼女はそうとは思えない様子で会話を続けている。
『四糸乃、大丈夫? 代わろうか?』
「……ううん。よしのんに任せてばかりじゃ、駄目だから」
少女改め四糸乃は、不安そうな表情で敵対する彼女らの攻撃を避け続ける。
戦闘において、四糸乃の方が圧倒的な力を持っているように見える。
それもそうだろう──四糸乃は人類の敵、絶大な力を持つ精霊なのだから。
ASTの隊員たちは、一切四糸乃に攻撃を当てられていない。四糸乃が逃げる行動に徹しているため、雌雄は決していないが……四糸乃が何かしらのアクションを取ろうとすれば、すぐに崩れ去るだろう。
それなのに、四糸乃は逃げる以外の行動を起こさなかった。
悪意や殺意の塊を向けられて、心が乱されて。泣きたくなりながらも四糸乃は逃げる。逃げて、逃げ続けて──その先に逃げ場などなかったけれど。
四糸乃、そして彼女らも、無意味といえる行動を繰り返す。そうして場が
不意に、四糸乃の体感したことのない感覚が身体を包む。
凍えるような、周囲の温度が急激に冷え込むような感覚。
一瞬のことだったが、身体がすくんでしまった四糸乃は、目の前の石に気付けなかった。
「ひゃっ……!」
ズルリと、石につまづいて体勢が崩れる。
四糸乃に向けられた弾丸は、急に止まったりなどしない。
立て直しは間に合わない。だからただ、己へと向かってくる銃弾を見て目をつぶり──
ポンッ、とその場に似つかわしくない擬音が辺りに響いた。
待てども、四糸乃に痛みは訪れない。
それどころか、嗅いだことのないような甘い香りまで漂ってきたので、彼女は恐る恐る目を開いた。
すると、床にお菓子の類いが落ちていることが確認出来た。明らかに、先ほどまではなかったものだ。
これはどういうことなのか。慌てたように周囲を見渡す四糸乃に、また銃弾が接近してくる。
しかし……続いて飛んできたそれらは、飴玉やクッキーなどのお菓子へと姿を変えた。
コミカルに変化していくそれらを見て、彼女の目は丸く見開かれる。
今まで、四糸乃もこのような状況に遭遇したことはなかったようだ。彼女は、困惑したように周囲に視線を這わせて、すぐに動きを止める。
「よ、のしん……」
こけた拍子に、左手からよしのんが外れてしまっていたのだろう。四糸乃の目の前からよしのんが消えてしまった。
彼女は四糸乃にとってとても大切であり、いなくなるなんてとても考えられない存在だ。
だからよしのんの姿が見えなくなり、グラグラと四糸乃の思考は揺れる。そしてそれに呼応するように、周囲の温度が下がっていき──
「はい」
四糸乃の目の前に、よしのんが現れた。
それは間違いなく、四糸乃と長年連れ添ってきた相棒の姿だった。
すぐに飛びつこうとするが、よしのんのことを持つ存在に気がついて、逡巡する。
いつの間にか、目の前に絶世の美女がいた。
艶やかなエメラルドグリーンの髪と、それと同じ色の切れ目。
目鼻立ちの整った顔。胸は大きく、それでいて引き締まった身体。
その手にしているほうきや魔女のような服装も目を引くものだったが、その美貌に比べれば霞む要素でしかない。
甘い声やくすりと笑う姿も魅力的であり、とても様になっていた。同性だったとしても、その魅力的な姿に目を奪われてしまうだろう。
それでも、四糸乃は彼女の手によしのんが握られていることの方に目が奪われた。
「この子のこと、大切なのよね?」
「……」
すぐによしのんを取りにくると思っていたのだろう。しかし、女の予想に反して四糸乃は動かない。明らかに怯えている四糸乃を見て、女は眉尻を下げる。
「私が怖い?」
「……」
少しの間を置いて、こくこくと四糸乃は頷く。
「分かったわ」
そうとだけ告げると、女はよしのんを置いてその場から後退する。それを見て、四糸乃は少しずつよしのんへと近づいていき、その手によしのんを
「……よしのん……!」
『いやー、助かったよお姉さん! ありがとうね』
ぎゅっと、大事に抱きかかえた。
「ふふっ、困っていたみたいだから手を出しちゃった」
「あの、ど……して……」
恐る恐るといった感じで口を開いた四糸乃だったが、女は手でそれを制した。
「四糸乃ちゃんとお話ししたいのは山々なんだけど──まずは、あの人たちの相手をしないとね」
その人物はウインクをして、ほうきを彼女らへと向けた。
▽
──圧倒的だった。
先ほどと同じように、攻撃をお菓子などへと変化させ、その上で敵対する隊員らをぬいぐるみの姿へと変えてしまう。
その能力に対抗出来る者など、この場には存在していない。
したがって、ほんの数分でその場で動いているのは四糸乃と女になった。
『やっはー、お姉さん強いねー!』
「あの人たちは、大丈夫……なんでしょうか……?」
そう告げる四糸乃は、心配そうにぬいぐるみたちを見つめていた。
今まで危害を加えてきた相手を気にかける四糸乃を見てか、女は口を開く。
「大丈夫。変身はいつでも解けるのよ。ただ、四糸乃ちゃんとお話ししたいからこうしたってだけで」
「お、はなし……?」
「そう、お話し。四糸乃ちゃんは私と同じ精霊だから興味があるの」
「せい、れい……?」
『精霊ってあの妖精みたいなの? よしのんは妖精みたいに可愛いから間違えるのも仕方ないかもしれないけど違うよー!』
よしのんと四糸乃の反応を見て、知っている情報に差があることに気がついたのだろう。女は口元を指を置き、少し首をかしげた。
「あら、もしかして知らない? 私たちみたいな存在のことを精霊って言うのよ。霊力があって、霊装があって……とっても強い存在」
『へぇー、お姉さんは物知りなんだね〜』
「ふふ、そうね。四糸乃ちゃんたちよりは知っているかもね」
クスクスと余裕ありげに笑った女は、穏やかな様子で言葉を続ける。
「私ね、自分以外の精霊に興味があったの。他の精霊はどうやって生活しているのか、どんな能力を持っているのか。そして……どんなことを思っているのか」
今まで精霊に会ったことはなかったから。女はそう告げて、四糸乃を見る。
その視線に、四糸乃はビクリと身体を震わせて、自分の顔の前によしのんを突き出した。そんな、ささやかな抵抗を見てか女は苦笑いした。
「友好的な精霊ばかりではないと思っていたから、今日は驚いたわ」
『んー? よしのんたちがプリティー過ぎて驚いちゃったの?』
「そうかもね」
女が近づくと、やはり四糸乃は一歩下がる。
しかし、今度はよしのんで顔を隠すことなく、じっと女の様子を見た。
「四糸乃ちゃんとよしのんちゃんが仲が良いのは分かったけど……二人さえよければ、お姉さんも仲間に入れてもらえない?」
『……って言ってるけど、四糸乃どうするー?』
四糸乃にはよしのんがいるから大丈夫だと思うけどな、などと楽しげによしのんは告げる。
四糸乃は、困ったように眉をハの字にする。
四糸乃にとって、突然現れた女が胡散臭い提案をしてきている、というのが現状だ。信用出来る要素なんて何一つありはしない。
よしのんの言うとおり、女のいう話を聞く必要はない。信じた四糸乃が裏切られるという話も、ありえないものではない。
すぐに答えるべき提案ではないと判断した四糸乃は、長考した。
その間も、女は返事を促すこともなく笑顔で立っている。どこか胡散臭いそれを見ながら、四糸乃は口を開いた。
「わ、私……は……」
四糸乃は目を彷徨わせて、ぎゅっと手を握りしめる。
「あ、なたの……お名前、知りたい……です」
じっと、女を見る四糸乃。
その小さな口から告げられたのは、当然といえば当然の言葉だった。
しかし、女にとってはそうではなかったらしい。呆気に取られたような表情のち、得心がいったように頷いた。
「ああ、そういえば自己紹介がまだだったわね」
女は手に持った箒の柄……鏡のような部分を見ると、すぐさま四糸乃へと目を向ける。
「私は──〈ウィッチ〉。そう、あの人たちから呼ばれているわ」
「ウィッチ……さん?」
四糸乃が伝えられた言葉をなぞると、〈ウィッチ〉はやんわりと笑う。
「ええ。それで……四糸乃ちゃんは、どうしたい?」
「……わ、たしは……」
迷ったように視線を彷徨わせる四糸乃を、辛抱強く見守っていた〈ウィッチ〉だったが、その答えを聞くことはなかった。
答えを聞き遂げる前に、〈ウィッチ〉の目の前から四糸乃たちが姿を消したからだ。
「あら、
きょとんと呟く〈ウィッチ〉の姿もまた、光に包まれたあとに掻き消えた。
それからすぐに、ぬいぐるみへと姿を変えられていた彼女らは元の姿へと戻り、それから数時間もすれば街もいつもの賑わいを取り戻した。
先ほどの戦闘の名残は、破壊された町並みのみだ。しかし、行き交う人々はそれを気にした様子もない。
日常のワンシーンであるかのように、時間が過ぎていく。
──
「ぐああああ!! あんなこと言うつもりなかったのに!!! 私のバカ!!!! バカバカ!!!!!」
それから幾ばくかの時が過ぎたあと。
とある路地裏にて、そんな叫び声が響き渡った。