新世界の月   作:シコウ

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現地協力者

 火竜列島、ユーオソキ『河都』の暫定日本公使館、元は修道院だったという建物。

 その一室を背の低いパーテーションで区切る形で間借りする、三人の情報軍ユーオソキ駐在員。

 

 一人は、河都の本屋で入手した火竜列島語で書かれた本のページを、小さな手で捲りその瞳でスキャンする月読少佐。

 

 もう一人は、算盤の珠に似た髪留めの縁を虹の七色(ゲーミングカラー)に輝かせ、分単位で更新される外務省制作の翻訳辞書と照らし合わせ、日本語へ変換するゆかり。

 

 最後に、ハイライトの消えた目でモニターを見つめ、昔ながらのマウスを握り、物理キーボードを叩いて分類、カテゴリ分けする少尉。

 

 星の裏側という僻地、衛星の通信量にも限りがあるため本国のサーバを利用できない三人は、注釈やメモが貼られた装丁もジャンルも様々な書類や文献の山に埋もれて地道な翻訳を続けていた。

 ユーオソキの歴史、文化を知ることも情報軍の大切な仕事だ。

 

 ときおり涼しい風が窓から、文鎮の下の紙とVOICEROIDの髪を揺らす。紙を捲る音と、キーボードを叩く音、部屋の隅の複合機が紙を吐き出す音しか聞こえないなか、コキリ、と首を鳴らした少尉は腕を真上に伸ばして背伸び。チタン合金やセラミックの複合材と人工筋肉を人工皮膚で覆う義体をもつVOICEROIDに比べて、自然種…ホモ・サピエンスの彼は遥かに脆弱だ。

 

 「少尉(マスター)、休憩をおすすめします。」

 

 「ああ、ホモサピは弱っちいからな。」

 

 悪いねぇ、と言いつつ、肉体年齢20代とは思えぬ異音を立てて彼は立った。アニュンリールの呪いで不老とはいえ、デスクワークの疲労は溜まる。

 

 ――応接室の椅子でもかっぱらって来ようかな?普段、肘掛けが付いている程度の安物の椅子を温めている少尉は、そんな冗談を考えながら気晴らしに外に出た。

 

 制帽を被り腰に警棒をぶら下げ、立哨の自律化戦闘人形(ドロイド兵)にご苦労さん、と声を掛け公使館の門を出ると、夜に降った雨の水たまりを避けつつ、公使館の周囲をパトロールがてら一周する。

 

 ――この国にも梅雨はあるのかな?『河都』成立400年以来この国は平穏が続いている。治安も良好、ゆかりも少尉もこの国ではまだ銃も警棒も抜いたことはない。

 遠く『教都』で燻る火種を知るものはまだ多くない。

 

 雨上がりの夏の空気を吸い、スッキリと冴えた頭で戻ると公館の前をウロウロする不審人物が一人。どうやら立哨の自律化戦闘人形(ドロイド兵)に声を掛けるか迷っているようだった。

 弾倉なしの着剣済みアサルトライフルを携える自律化戦闘人形(ドロイド兵)は微動だにしない。話しかければ対応するが、それまではセンサーで周囲を警戒するのみだ。そこで少尉は声をかけることにした。

 

 「うちに何かご用でしょうか?」

 

 突然声をかけられたことに驚きつつ振り向いたのは、まだ成人していないと思しき少年。腰に短剣を吊るしていることから、家督を継いでいない貴族階級の子弟らしかった。

 この国の貴族階級には成年するか、家督を継ぐと長剣の帯刀を許される風習があると、外務省からレクチャーを受けていた。ちなみに、ゆかりはそれから儀礼用の短剣ではなく、実戦用の振動軍刀(ヴィブロソード)を下げている。

 

 「はいっ、ニ、ニホンの方ですか?」

 

 少年は、流暢な火竜列島語で話しかけられたことに驚いたようだった。

 少尉は火竜列島語を話せるわけではない、国家転移以前に生を受けた者…地球世代の特権、謎翻訳の効果だった。今ではこの原理はほとんど解明され、VOICEROIDシリーズにもそのパッチが搭載されている。

 日本が新世界へ進出するにあたってこの恩恵は計り知れない。転移当初、クワトイネ公国やクイラ王国との意思疎通に難があったとすれば日本はその時点で滅んでいたかもしれない。この恩恵はラヴァーナルの神話、太陽神の使いの伝承に並んで、上位存在の実在性を伺わせるものだった。情報軍は調査を怠らない、決してその日が来るまでは。

 

 「帝国語の辞書を譲って…あ、いや、写本させていただきたいのです。」

 

 「辞書?…ああ、あれか、いいと思いますよ。中へどうぞ。」

 

 少尉は、入手した本の山に他とは異なる、革で装丁された厚い本があったことを思い出した。おそらく二言語で書かれていて構成が辞書らしかったため、後で外務省か本国の専門班にでも渡そうかと隅に寄せた本だった。

 

 頼みを快諾すると自律化戦闘人形(ドロイド兵)に飲み物を持ってくるよう伝え、少年を連れて会議室へ向かった。ガランとした聖堂を抜け、庭の装輪装甲車を横目に歴史を感じる石張りの廊下を歩き、会議室として使っている部屋のドアを開けると、もわっとした熱気が二人を襲う。暫定公館に空調工事は行われていなかった。

 顔をしかめた少尉は窓を開け、扇風機を回すと、パイプ椅子を出して座って待つよう促した。

 

 「これで全部だったかな?ゆかりさんありがとう。スピカもご苦労さん。」

 

 十数冊にものぼる手書きの火竜列島語と『帝国』語の辞書が、少尉とゆかりの手によって会議室のテーブルへと積み上げられた。

 

 「この本でいいかな?えーと。」

 

 「凄い、全巻ある…あっ、名乗り遅れました、マルソー、ジャン・マルソーです。」

 

 少尉が言い淀むと、少年はそう名乗った。少尉とゆかりも自己紹介をして、運ぶのを手伝ったゆかりと、お茶出しの自律化戦闘人形(ドロイド兵)が出ていくと、自分もパイプ椅子に座り少年に冷たい麦茶を勧め問いかける。

 

 「課題か何かかい?偉いねぇ。わざわざこんなところまで来て調べ物とは。」

 

 「…まあ、そんなところです。」

 

 実際のところ、ジャン少年は『河都』ではまだ貴重な帝国語の辞書の写本を『帝国』の学問を学ぶ者に売ろうとしていた。地球の歴史上でも印刷術の未発達な時代によく行われていたことだ。著作権の概念はまだこの国には無い。

 

 ――少年はたぶん学生か。そういえば、ゆかりさんもボクたちでいえば小中高にあたる旧制VOICEROID訓練校を出て、何年になったっけな?懐かしいな、地本のフリして説明会に行ったら不審者と思われて通報されかけたっけ。

 

 少尉が過去に意識をとばし、コップの水滴がコースターに水たまりをつくった頃、

 

 「…終わった。」

 

 ジャン少年はペンを置いた。

 

 「もう終わったの?早いね。」

 

 少尉が腕時計を見ると、分針が一周半した程度だった。

 

 「はい、一部分だけ写したかったもので…。ありがとうございました。」

 

 「お安い御用で。ところで君、学生さん?」

 

 少尉は何かを思いついたようだった。

 

 「そうですが、恥ずかしながらまだ仕官先が決まらず…。」

 

 来年度には、帝国の語学を学ぶ河都王立学校を卒業予定の彼だが、大身の同輩に比べて、コネクションの無い小貴族の彼はまだ進路を決めかねていた。勤め先を決める同輩たちに焦りを感じつつ、貴重な書物の写本で小遣いを稼ぐ日々だった。

 

 それを聞いた少尉は悪い顔をする。

 

 「君、よかったらココで働かない?ちょうど通訳を募集しているんだ。」

 

 自分たちで翻訳するよりも、ジャン少年に火竜列島語や帝国語を読み上げてもらい、それを書き起こしたほうが速い。実際、外務省ではこの方法で急速に辞書の作成が行われていた。

 

 情報軍の三人は、外務省から借りられる人材も限られるため、自分たち専門の翻訳家を欲していた。

 

 「まあ、検討だけでも、ね。」

 

 そう言うと、ARレンズと仮想キーボードを叩き、紙に印刷した公館の正規職員の募集要項を渡した。

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