朝の始業時間の前、少尉は湯気の立つマグカップを片手に
「懐かしいなぁ、今になってもまだ引きずるか。ちょっと追い詰め過ぎたかねぇ。」
そう小さく漏らしてお茶を啜る彼に、あまり褒められた行為ではないが画面を覗き見たゆかりが——お知り合いですか?と聞く、
「いや、何でもない。今は関係ない、ただの昔の出来事さ。」
◆◆◆◆◆◆◆◆
西暦2016年、中央暦1640年の9月、日本の空爆で瓦礫の山と化したパーパルディアの皇都陸軍基地、復旧作業で更地程度にまで片付けられたその一角に陸自のチヌークが着陸した。
「これはまあ、酷いな。」
未だに、物が焼ける臭いと死臭が漂うような基地に降り立ったのは三等陸尉の階級章をつけた青年、飛ばされそうな制帽を抑えて空を見上げると護衛の戦闘ヘリが忙しなく旋回を続けている。
「
「ノンノン、ここではボクは『
「花谷と呼べ。その名前、どうにかならなかったのか?お前はいつもお遊びがすぎる。」
奇妙なことに831支部長と呼ばれた彼の制服には階級章と『捻茂 七志』の名札以外には陸上総隊の部隊章、職種章の位置にはアルファベット2字が図案化されたバッチを着けているだけだった。
それは878支部長と呼ばれた彼女も同じ、二人は迎えの軽装甲機動車に乗ると基地を後にした。
「さて、あちらさんの様子はどうかな?」
運転手の若い女性自衛官に近況を聞く、この自衛官も捻茂三尉と同じバッチを着けていた。
「意外とスムーズに占領は進んでいます。BP-3Cの空爆を目の当たりにしましたからね。」
かつて、地球のアメリカ軍が保有していたB-29と同等の搭載量を誇る爆撃機70余機による戦略爆撃は、パーパルディアの戦意を喪失させるには十分なものだった。
「結構、結構、適度な恐怖は流れる血を少なくする。カイオス氏も頑張ってくれたかな。」
「私たちも、だろうがバカめ。」
雑談をするうち三人の車はいつの間にか、もう一台の軽装甲機動車が先導する黒塗りのバンの群れの後ろにピッタリと付いていた。
無人銃架が周囲を睨む装甲車で前後を挟まれたバンの車列はやがて目的地、パーパルディア皇国第一外務局庁舎前に乗り入れた。
装甲車を降りた捻茂三尉と花谷三尉は、拳銃を引き抜き正面玄関へ向かう。当然、守衛に止められるが、
「退け!日本政府の方から強制捜査に来た、邪魔だ!退けや!」
拳銃片手に押し通ると黒スーツの少年少女といってもいい年頃の部下を引き連れて、カイオスから紹介された元局員の案内で目的の場所へと向かう。
「はいはい、そのままそのまま、皆さん動かない動かないで。」
銃を持った闖入者に驚く外務局員に構わず、三尉は——かかれ。と命じた。三尉と同じバッチを着けた黒スーツの群れは手当たり次第書類や資料を段ボール箱に入れ始める。
「な、何をする貴様ら。」
どかん。
「黙れ!日本政府の方の者だ。『フェン王国における日本人観光客殺害事件』の捜査にきた。」
令状を見せつつ大型拳銃を撃ったのは、花谷三尉。威嚇射撃で天井に50口径の穴をあけた彼女は続ける。
「全員壁際に並べ!一切机の上のものに手を触れるな!」
どかん。
穴がひとつ増えた。
「聞こえなかったか?触るな、と言ったはずだ馬鹿者。早くしろ。」
慌てて壁際に寄った局員を見まわし、引き金に指を掛けたままの銃を片手に告げる。
「日本を担当した者、前へ出ろ。」
少しのざわめきの後、真っ青な顔の何人かが押し出されるように前へ出た。
「よろしい、局長はどこだ?」
「私です。」
サブマシンガンを携えた陸自隊員に左右を挟まれ、現れたのは黒髪の女性。彼女がパーパルディア皇国第一外務局局長『エルト・レイヴン』だった。
「貴様か、日本政府及び警視庁の代行で来た。
涼しい顔で答えるエルトに同行を促すと、部下に押収作業と下っ端の尋問を任せ、エルトとレミールの部屋、局長室へ案内させる。
「随分と手荒な人たちですね。外交官は穏やかでしたが?」
「コレもそっちの流儀に合わせただけだ。暴力は使い方が大切だからな、どこかの莫迦とは違う。」
銃をホルスターに戻した二人は、エルトの尋問を始める。
「たかが平民、200人程度で大げさですね。」
「なるほど。」
捻茂三尉は『森の人』と呼ぶ拳銃を抜くと、茶を持ってきた局員を射殺、22口径の威力に満足しなかったのか、マガジン分の弾全てを連射した。
「たかがパーパルディア人だ。」
花谷三尉は——50口径なら一発だぞ、とアドバイスをして、死んだ彼が持ってきたカップを口につけながら、何の感慨もなく、
「大丈夫だ。そいつは明日、馬に撥ねられて死ぬ。そして捻茂は銃の暴発の始末書を書く。それだけだ。」
突然の蛮行に——何故、と声を上げるエルトに花谷はゆっくりと答える。
「何故、か。教えてやろう、お前らがまともに状況を判断できないバカだからだ。何故フェンで日本人が死んだか、過去のお前らがバカだからだ。何故、ここでコイツが死んだか、今のお前がバカだからだ。口の利き方に気をつけろ、貴様はこの国の外交代表だろう?一言で万単位の人間が死ぬぞ。」
「協定を無視するというのですか。これは後ほど然るべきルートを通して、抗議させていただきます。」
エルトも外務官僚、結ばれた条約などはほとんど暗記している。日パ間で結ばれた講和、そこには虐待行為を禁じる協定も含まれていた。
「協定?日本政府が勝手に取り決めた紙切れのことか。あんなものは我々には関係ない。」
「あ、あなた達は一体……?」
「自己紹介は済ませただろう。だが、これだけは言っておく。貴様らは我々を怒らせた。」
能面のような表情を貼り付けた二人は、エルトとレミールの机の中身を全て撮影したのち段ボール箱に詰めると、また明日来ると言って第一外務局を後にした。
空になった机と死体が床に転がる執務室に、一人残されたエルトは思案に耽っていた。——一体何を敵に回した?政府の名を騙って行動?彼の国の背後に何が潜んでいる?
未知は恐怖を増幅させる。列強パーパルディア皇国を叩き潰した日本国、その奥で蠢く存在にエルトは、皇国高官としてはカイオスに次いで触れてしまった。彼女の受難は戦後に始まる。
石畳の落ち葉を踏みつけ走る装甲車内には、制帽を弄ぶ捻茂とネクタイを緩める花谷の二人。
「コスプレはいつでも緊張する、お前にしては穏便に済ませたな捻茂。」
「おそらくあの局長は指示に従っていただけだ。中間管理職にすぎん、だがレミールは政府管理下、迂闊に触れんからな、手元のカードは絞れるだけ絞るさ。」
「直属の部下を失った元凶の前で、よく平静を保てるな。」
「元より我々は員数外、覚悟の上だ、だが213名の代償は払ってもらう。」
『フェン王国における日本人観光客殺害事件』での日本政府公式発表の犠牲者数は203名、だが彼は10人多く数えた。その10人は日本国籍を有していなかった、のちに『日本情報軍』と称される政府黙認の治安維持組織、捻茂と花谷、若い自衛官と黒スーツ、そしてフェンで散った10人の胸に共通して輝く、小指の爪ほどの大きさのアルファベット2字が図案化されたバッチが構成員の証だった。
「『歴代最強』を動かせばこんなことにならなかっただろうに、上の認識が甘かったな。」
「彼女は首都鎮護の切り札、簡単には動かせない。」
——全ての人間が銃弾を回避できるはずがないからな。そして生の現場にはどうしても人間がいる。ため息をついた彼はそう呟くと目を閉じた。ニシキギシステムとクラキ=ニューロン発火反応は、2010年代には理論すらまだ無い。