―――あの女の目は全て狂わせる―――
俺が、俺自身という存在に気が付いたときには、どぶ臭い裏路地で死体の山を作っていた。
それを疑問に思わなかったし、そう思ったことも一度もない。
その刹那に自分さえ生きられれば、他人の命なんてどうでもいい。安いモノだ。
そして、その刹那を積み、重ね、並べて、俺は成し上がっていった。
血の雨と、血の川と、血の大地を創造し、暗き天へ昇りゆく。
やることといえば、老人を殺すこと、男を殺すこと、女を殺すこと、子供を殺すこと。
その道行きで、権力というものの便利さを知った。それとともに野望を抱いた。その時から自分は刹那的な生き物ではなくなり、漠然とした道筋を得た。
組織に取り入り、俺と同じ殺人鬼を束ねて、恐怖を支配した。そして、身分だけ高い頭の悪い男をのしあげて、うまく操る。するとこれが上手いようにいくことに気がついた。あとは闇に潜って、骸の牙城を築くだけ・・・。
だから馬鹿なあの男のために、あの汚い老人の首を切り取って、ボスの座も用意してやった。・・・それが俺の口中に用意されたモノだとヤツは気がつかなかったようだが。
もっとも最近では流石に感付いてきたようだが、その程度の男に何が出来よう?
あんな男は問題じゃない。こちらの意に添わなければ。文字通り首をすげ替えればいいだけだ。
だが―――
あの時、あの「猟場」で、俺はあの目を見てしまった。
俺は哀れな家畜どもは全て処分するはずだった。
必要ないモノども―――むしろ虐殺を見せつけることで圧倒的な恐怖を反抗者に植え付ける、それだけの存在価値しかないモノどもの一人だったはずだ。
だが、俺は何故か殺せなかった。指が動かなかった。
光を失っているのにも関わらず、澄んだ瞳―――
そんなものは見たことがなかった。
俺が銃を向けた人間は絶望して光を喪失した濁った目になるか、憎悪を向けて暗い炎を瞳に宿すかのどちらかであった。
絶望したとも、憎悪しているとも、そして希望をもっているとも思えない瞳。
なぜか心に引っかかった。
その引っかかりがなんなのか、徐々に目の前で具体的な形となっていく――いや、むしろ、なんだか分からないそれが芽を出して変質していく中で、自分の精神と身体の奥において慄然としたものが徐々にこみ上げてくるモノを感じていた。
それは・・・そんなもの俺には無いと思っていた・・・・・。
しかし、それが実際に存在することに気づいてしまった。
だからそれを消すしかないと思ったのだ・・・・・・・・。
あの女―――血に祝福された娘・・・『ブラッド』福沢祐巳を―――
紅き天使のレクイエム 第五章 アズラエル(上)-Torreggi di Babel-
「はぁ」
夜の帳の中、その建物は妖気を発しているように佇んでいる。昼間見ればただの駐車場にしか見えないのに、どうしてこう不気味に見えるのだろうか。
蔦子はその悪魔の城を見上げながら、そんな感想抱きつつ、イライラと待っていた。何度か聞こえた破裂音――あれは多分、今までに聴いた機会は無いけれども―――銃声。それが今、静かに止んでいた。
「祐巳さん・・・何が・・・?」
拳銃も、人が殺される様も、人が人を殺す様も初めて見た。しかし、そういうやりとりに対して、店を飛び出した時は、あまりに多くの情報が脳に入って混乱し麻痺していた。追っているうちに、前へ行く人間には追いつけないのに、頭の情報処理が追いついて、それとともに恐怖も背後から追ってきた。それでも今更どうしようもなく、そのまま追跡して、このビルに追い込まれるように入っていた祐巳の姿を捉えたまではいいが、それ以上は理性的に考えても無謀であった。
今、見た限りだと入り口付近で影に隠れるように三人の男が立っている。おそらく見張り役だろうが、中には何人ほど居るのか想像もつかなかった。そもそも、中に入っていった祐巳は無事なのか、蔦子に判断がつくはずもなかった。
(由乃さん、早く・・・!それよりも警察が先?あ、もう・・・どうすればいいの)
蔦子はらしくなく混乱していた。というより、こんな状況の対処法など知るわけもなく、場違いさすら感じていた。しかし、そんな中でも確認することを確認しているのは流石、観察力を求められる写真家といううべきか。
(そういえば、なんで祐巳さん呼んだんだろう・・・?)
今更そんな疑問が湧いてきたがそれがなんだというのだろう。
しかしながら、精神的にはそろそろ限界だ。曲がり角に隠れているもののほんの百メートル先には拳銃を持った男が居る。見つかるのではないかという恐怖、誰も来てくれないんじゃないかという不安、折角会えると思った友人と二度と会えなくなるのでは無いかという怖れ。この深夜の仄かな街頭しかない路地裏で、独り・・・蔦子は涙が出てきそうだった。
その時、トントンと軽く肩をつつかれた。
「ひ」
ビクリ、と縮み上がって、おそるおそる振り返ると、ほっと息を付いた。そこには蔦子の待ち人の姿があった。
「驚いた?」
「はぁ・・・もちろん驚かせていただきましたよ、由乃さん。それにしても遅か・・・?!」
蔦子は言葉を止めて瞠目した。由乃の背後には数人の見知った顔の他に暗所に浮き出してきたように黒服の人間がずらりと十数人並び立っていた。蔦子が驚いたのも無理もない。
「こ、この人数は何ですかね、由乃さん?」
「私の部下よ。久しぶりね、蔦子ちゃん」
由乃の代わりに質問に応じたのは祥子だった。志摩子を除く、先ほど、リリアンに居たメンバーに、蓉子、令、景、菜々も合流している。
さらに事態を掴めなくなった蔦子だったが、目を白黒させながらもそれぞれに簡単な挨拶をした。その後に、
「何が起こっているんですか?」
と簡潔にそれらの人を見回しながら問いかけた。
するとそれに真っ先にやはり簡潔に答えたのは聖だった。
「まぁ、見たまんま、かな・・・?で、祐巳ちゃんを助けなきゃということ」
その口調はあくまで普段通り軽めだが目は真剣そのもので笑っていなかった。それは他の皆も、そして蔦子も同じであった。
「祥子、あんまり時間無いわよ」
そこで、少し後方に居た蓉子が、蔦子のすぐ目の前にいた祥子に促すように声をかけた。
「お姉さま、分かっています。警察が来る前に片を付けます」
「・・・・それならいいわ」
祥子の素っ気ない態度に、蓉子が何故か渋そうな顔で、苦笑混じりの溜め息を吐いた
その二人の応答に久方ぶりに会う蔦子は妙な違和感を覚えた。特に祥子に対して得も言われぬ違和感を。が、それはすぐに聴覚によって霧散した。
遙か頭上から乾いた破裂音が降り注いだ。
「銃声っ?!」
誰が叫んだか分からなかった。一瞬で緊張が全員の中を通り抜けていった。
「由乃?!」
そこで、令が声を張り上げたことで皆が気づいた。由乃が銃声を合図に木刀片手に飛び出していったことに。
「由乃ちゃん・・・?!く、しかたないわ。祐巳を奪還救出する!全員突入しなさい、我々を守りつつ、刃向かう者は、殺しても構わないわ!」
祥子がそう口上あげると、メリッサを初めとした祥子のスタッフが全員拳銃を構え一人一人ビルに突入していく。そして、あらかじめ護身用に拳銃を渡されていた聖、蓉子、江利子も銃を持ち、令は木刀を、菜々は家から届けさせた真剣を握った。祥子はやせ我慢をして一人で立って喋った。
「準備は・・・いいですわね?――――行きましょう」
お互い無言で頷きあってから、ビルに向かう。令と菜々が走って、祥子は一旦、部下に肩を貸してもらうという違いがあったものの。
「どうします?」
「私達もあとからついていきましょう」
そして、それに非武装の蔦子と景が顔会わせた後、わざと、仕方ない、といった風に肩をすくめてから続く。二人も、そして先行した者達もどんなに危険な蛮行であることは百も承知であった。しかし、身体も頭も心も行けと命令していた。そして、祐巳の姿を頭に浮かべておいて、ここで引くなどもう誰にも出きようはずもなかった。
「――――饕餮っ!」
祐巳はその名を、中国の裏社会で悪夢の代名詞とも言えるその名を呼んで吼えた。もっとも祐巳にとっては反吐が出るほど嫌いな男の名前でしかない。
「くくく、そんな大声ださなくとも、聞こえる。なぁフクザワユミ?」
饕餮は笑みを浮かべていた。まるで頬が裂けているように。まさに獲物を捉えた摩獣そのものの笑い。
そのいけ好かない笑いに祐巳は銃を握る手に力を入れる。じわり、手に汗が滲んでくる。
「一応、聞いてみるけど、なんの用?」
「むろん、お前を殺すためだ」
その蔑むような汚い目も含めて、予想通りの答えだ。だが、その続きは完全に想像の外だった。祐巳は、このまま饕餮が嫌らしい笑みを浮かべたまま、自分を嘲るだろうと想定していた。
しかし、饕餮は笑うのをやめていた。その表情をなんと表現すればいいのかわからない。感情は読みとれないが、無表情ともいえない、濁りきった闇の目には何も映さず、引きつった唇は微笑に似て、そう―――泣きそうにも見えた。
「そうだ、殺すためだ・・・いや、殺したいんだ、お前を」
目は感情を表さず、唇は逆に大きく裂けるように広がり、長い八重歯を覗かせた。左手は空気を鷲掴みにし、喉奥からせり上がるように叫声を張り上げた。
「そうだ、お前を!私が、お前を!ああ、そうだ殺したいんだよ。ずっとずっと、殺したくて仕方なかった、何故だが分かるかぁっ?」
吐き捨てるように言葉を放つ。祐巳はこんな様子の饕餮を見るのは初めてだった。故に祐巳は戸惑った。こんなに取り乱すこの魔獣の姿など知らなかった。
「・・・し、知るわけ、ないでしょう」
饕餮はこの銃を向け会う会話で、何が言いたいのか、さっぱり祐巳には予想が出来なかった。そして、次に饕餮が言った台詞は祐巳の予想を超えた。この怪物にそんなものがあるとは、しかもそれを自分に対して抱いたなど想像できるはずもない。それは―――
「それは・・・それはなぁ!―――恐怖だよ、恐怖・・・・怖いのだよ、私はお前のことが、怖くて怖くて怖くて怖くて・・・お前に会うまで俺はそんなモノが自分に存在するなど気づきもしなかったのだよ。だからお前だけは、貴様だけ殺さなければならない、そう、ずぅぅぅぅと思っていたのだよ、『貪り食う者を喰らう者』になり得る貴様だけは葬らなければと、なぁぁぁぁぁ!!!」
魔物の絶叫が場の空気を一変させた。尋常な空気ではなかった。
場慣れしている祐巳ですら、身体を震えさせた。
そして、祐巳は見た。恍惚にも似た表情でニヤリといやらしい笑みを浮かべる饕餮と、自分に向けられる銃の引き金がまさに引かれようとしている様を。
ドン!
「っ!!」
祐巳の顔をかすめて、弾が飛んでいく。一瞬、反射が間に合わなければ、祐巳の顔に風穴が開いていた。
「くっ」
祐巳は駐車されている車の影に逃げ込みつつ、カウンターに二発銃弾を放ったがどちらも相手に予測されていて当たらない。向こうも物陰に隠れてしまう。
(残り三発)
祐巳は耳を澄ませて、饕餮の位置を確認する。だが、まったくといっていいほど気配を消されて感じられない。
もちろん、このまま、この車の影に居るわけにはいかないし、そのつもりもない。そもそも薄い装甲の普通車なぞは、盾としての役割を期待することはできない。遮蔽物としては有効だが、どちらにせよ饕餮相手には時間稼ぎにもなるまい、しかも自分にとっても遮蔽物となってしまう。
(饕餮・・・普段使っているデザートイーグルではなかった?・・・あれは9mmParabellum弾・・・・・)
あきらかに饕餮の使うデザートイーグルの50AE弾よりは小さく、おそらく現在一般的によく使用されるパラベラム――重量があって弾数の少ない銃ではなく、軽量で弾数の多いものを握ったということは、つまり―――
(なるほどね・・・あれが本気、ということね。光栄なのかな?)
さらに祐巳は耳をそばだてて意識をとぎすますが、自分の吐息と心音が感じられるだけで饕餮の動きは闇に溶けてわからない。
その時、下の方が何か騒がしいことに初めて気がついた。叫び声、それに銃声が何発も聞こえる。下に待機している饕餮の部下と、別に複数人、もっと居るかもしれないが、それが交戦している?
(一体・・・なにが・・・・?・・・・!?)
祐巳はハッとした。ある可能性が頭に浮かぶ。そして脳裏に凛々しい女性の姿が過ぎっていった。
(まさか・・・お姉さま・・・?そんな・・・)
しかし、祐巳にそれを心配する余裕は与えられていなかった。
「?!」
祐巳はその場から前へ大きく跳んだ。祐巳が居たその場にコンクリートが小さく弾けた。同時に祐巳は背後に右手をまわし、弾が飛んできた方向に向かって銃を放つが、ただ壁を砕いただけだった。だが、それでも祐巳は饕餮の姿を捉えるのに成功していた。
(あと二発・・・!)
祐巳はそのまま饕餮が飛び出した少し開けた場所へ、水平に飛ぶように銃を放つ。しかし、いち早く察知した饕餮が一歩後ろに軽く跳ねて、そして、引き金を引いた。
「っ!・・・く―――ふっ」
祐巳は手に強い衝撃を受け、持っていた拳銃が飛び落ちる―――が、祐巳はニヤリと笑った。
饕餮が驚きの表情を見せた。
饕餮の持っていたそれがなくなっていた。
そして、祐巳の掲げた左手から白い煙が立ち上っている。祐巳の手の中には掌サイズの拳銃が握られていた。
「これで形勢逆転?」
祐巳が見せびらかすように饕餮に銃を向けた。
対する饕餮の銃は滑ってどこか車の下にでも入ったのか姿が確認できない。
祐巳の方が圧倒的有利だ。
だがそれにも関わらず祐巳は焦っていた。祥子とこの男を絶対に鉢合わせてはいけない。饕餮はかならず祐巳の前に祥子を殺す。それは今の祐巳に対して、一発の発砲よりも絶対的に有利な武器になる。おそらく饕餮にはそれが分かっている。祐巳に祥子を殺させようとしていたぐらいだ。
それだけに祐巳は焦っていた。自分の命はいまさらどうだっていい。でも、このままでは、とても大事なモノ――お姉さま――まで失ってしまう。
しかし・・・それゆえに祐巳には見えていなかった。
男の瞳がいまだ暗闇で満ちていたことに――――
第五章 アズラエル(上) 終
下篇に続く・・・