紅き天使のレクイエム改訂版(ブログ投稿時のもの)   作:順砂

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第一章 ロンギヌス(上)

船は港に着いた。タラップを降ろす。

その時―――

 

 その時、長い髪の女は会議室で部下の報告を静かに聴いていた。

 その時、知的な美女は机で書類に目を通していた。

 その時、エキゾチックな顔をした女はパソコンを前に論文を書いていた。

 その時、活発そうな女性がファミレスで原稿と格闘していた。

 その時、一人のシスターが猫の餌を用意していた。

 その時、前髪をアップした女が自分の子供と遊んでいた。

 その時、剣道着をきた女が瞑想をしていた。

 その時、眼鏡をかけた女が写真を現像していた。

その時、女が二人の姉と少し早いランチをとっていた。

その時、眼鏡の女性が洋書を馴れた様子で読んでいた。

 

その時、女優は楽屋で台本を読んでいた。

その時、背の高い女は京都の街を歩いていた。

その時、女は仏像の腕を丁寧に外していた。

 

 

その時、女は十年ぶりに祖国の土を踏んだ……。

 

紅き天使のレクイエム 第一章 ロンギヌス(上)-La Lancia Lunga-

 

「十年ぶりなんだろ、どんな感じだ?」

 横浜港。まんまと非合法に入国を果たした祐巳は、景色を認識する前に隣にいた男にそんなことを訊かれた。その男――呉二にとっては何気ない話の振りだったのだろう。だが、祐巳にとっては非常に多くの意味をはらんだ言葉であった。

 そのはずなのだが、祐巳はその意味を自分自身捉えかねていた。

「さぁ?」

 祐巳はそれに素っ気なく応じた。これはごまかしたのではなく、ホントに分からなかったのでそう答えたのだ。

「そんなに…変わらないんじゃない?」

「……」

 投げやりに祐巳が答えると呉二は複雑な顔で祐巳の表情を見た。その後は、諦めた風体でその話を続けようとはしなかった。

 祐巳はあまりにも自分に感慨がないことを不思議に思ったが、それとともに安心した。『普段』通りであることに。しかし、疑念も浮かぶ。本当に普段通りなのか、普段であればこんな事は考えもしない。

(くだらない…)

 その考えを祐巳は切り捨てた。このようにくだらない、詮がないことは考えない、これが十年間で祐巳が学んだことの一つだ。

歩いて、指定された倉庫に入ると、数人の男が待っていた。おそらく『蚩尤』の日本支部か、その下部組織の人間だろう。呉二がそれらの男に声をかけて打ち合わせを行う。その間、祐巳は扉にもたれかかって、茫洋とそれを見守っていた。交渉や打ち合わせといった面倒なことを、祐巳はすべて呉二にまかせていた。

何と言っても、呉二は便利な男である。祐巳にとって唯一の仲間、いや部下――概念的にはマネ-ジャーに一番近いか。

暫くすると呉二が戻ってきた。祐巳は機械的に呉二に訊ねる。訊くことは一つだけ、饕餮に命令された『ついで』のおつかいのことだ。

「で、『ついで』に私に殺される、不運な奴は?」

「洪衛文、という男だそうだ。」

「そう」

 聞き覚えのない名前だった。『ついで』に殺される程度の男なら知らなくても不思議ではない。もっとも祐巳は組織の人間の名前など、あまり覚えていなかった。現在のボスの名前すらわからない。

 だが、何故か呉二は眉間にしわ寄せて苦い顔をしていた。

「…?何かあるの?」

 祐巳は訊ねたが、普段なら祐巳の質問には素直に答える呉二がどういうわけだが言い淀んだ。

「言いなさい」

「わかった…」

 祐巳の強い要求に呉二は了解したが、なぜか困惑した顔になる。

「一つは…これだ」

 呉二が祐巳に一枚の写真を渡した。映っているのは一人の男、歳は三十は過ぎているだろう。どうやらこれがターゲットの『洪衛文』ようである。

 その写真を祐巳は凝視して、軽く驚いた顔をした。

「……こいつは…。なるほど」

「覚えていたか」

「……忘れかけていたけどね」

 あまりにさらっとした祐巳の態度に呉二は拍子抜けしたようで、溜息をついた。

「何?」

「いや…まぁそれならいい。二つ目は洪が流していた情報先なんだが」

「ああ、内通したとか・・・警察?」

「いや、OSSeSだ」

「おせす?」

 聞き慣れない言葉だった。しかし、呉二の次の言葉で、理解以上に心臓が飛び跳ねた。

「OSSeS、小笠原総合警備保障…日本最大の警備会社だ」

 小笠原総合警備保障。それは―――小笠原祥子の会社―――。

 

 

 同じ時刻、東京新宿、そのオフィス街に周りのビル群に比べれば高くないもの、柔らかなフォルムの前衛的なビルがOSSeS――Ogasawara Synthetic Security Service――小笠原総合警備保障株式会社の本社ビルである。日本有数の企業グループ、小笠原グループの傘下企業で、近年、グループ会長の孫娘を社長に迎えてから急成長した警備会社であった。

 その社長室は地上十七階に位置している。広い社長室に年の頃は三十前後の髪の長い女が先ほどまであった会議の書類を読み返していた。ちょうど、その女が小さめの眼鏡の上の眉間を揉んでいた時、ノックする音が聞こえた。

「福沢です」

「入って」

 すると黒いスーツ姿の男が入ってきた。よく見れば、祐巳に似ている。そう祐巳の弟、福沢祐麒であった。現在はOSSeS唯一の男性社長秘書で、情報統括部副主任も兼ねていた。

 つかつかと祐麒は社長に歩み寄って、机の前に立った。

「何かしら?」

「洪衛文の件です」

 その名を聞くと社長はその美しい顔を物憂げに歪ませて、溜め息をついた。

「保護の話かしら」

 洪衛文は『蚩尤』の情報提供者で接触は向こうから行ってきた。金を渡して情報を流してもらっていたのだが、最近、感づかれた気配がある、と言って、社に保護を求めてきたのだ。だが、組織が洪衛文に対して何のアクションを起こす気配が無かったことから、洪の被害妄想の可能性が高いと決めつけて、様子を見ていたのだ。

「はい。どうやら組織内で何か動きがあったようで、早急に行った方が良いかと。そういう要求も実際ありました」

「そうね……」

 社長は思案する。洪は所詮、支部の中堅下位、大した情報は持っていない。放っておいても構わないが、ある一点においては重要な情報を握っている。

「今日にでもIsを向かわせて『保護』しなさい。あとは、庶務四課に任せるわ。『無償』で喋ってもらいましょう」

 祐麒は驚いた顔をした。庶務四課に回すと言うことは、それは『保護』ではあり得ない。

「しかし・・・」

「祐巳をあのような目に遭わせた男、私が許すとでも?」

 小笠原祥子は事も無げにそう言い放った。

 洪衛文の不運は小笠原祥子がなぜ『蚩尤』の情報を求めていたか知らないところにあった。洪衛文はある時、流した情報にこういうものがあった。

 

『十年ほど前だったな、M駅付近で麻薬取引を見た女子高生が居たんで、これ幸いと犯して、殺すのも勿体ないんで、上海へ送っちまった。わりと小金も貰って、おいしい仕事だったぜ』

 

 これこそ、『蚩尤』が怪しいとあたりをつけていた祥子が最も欲しがっていた、そして、最も憎悪した情報であった。

 それでも、今までは貴重な情報源だったから生かしておいたが、もうそろそろ引き出せることも尽きてきた。あとはまだ脳内に残っているであろう滓みたいな情報を根こそぎ絞り出すだけだ。それでも集めれば何らかの役に立つだろう。

「福沢、下がって良いわ」

 祐麒は良心のため渋々であったが、無言で承諾し、静かに社長室から退出した。

 

 

 その日の日没すぐあとのこと。

 K駅の近くの雑居ビル、その一室が洪衛文の隠れ家であった。洪はそのビルに息を潜めるように隠れていた。すでに本部から「誰か」が来日したという情報は得ていた。警戒するにこしたことはない。

そんな洪の耳にノックの音が響いてきた。

ノックは三…四…五…と聞こえ、これは一つの暗号である。

それを確認して、洪は安心をした。ここのことを知って、このノックの暗号を知っているのはOSSeSの人間のみである。覗き穴から男が二人いることと、OSSeSの社章を確かめてから、扉を開けた。

 洪は知るはずもなかったがこの二人はOSSeSの情報部員――“Is”である。その二人が開けると同時にズカズカと踏み込んできて言う。

「洪衛文ですね。OSSeSの者です。保護に参りました」

 洪にとって喜ばしいはずの二人の来訪。しかし、洪はその二人の雰囲気に違和感を覚えた。

あくまで、言葉遣いは慇懃であったが、態度は非常に高圧的で、しかも普段、OSSeSの連絡員と会うときとは違い呼び捨てだった。これではまるで任意同行を求められているような……。あくまで、OSSeSとは対等な関係にあったと、認識している洪はカチンときた。

「なんだ、その態度は!俺はお前等の為に…なっ」

 彼が怒鳴ると、OSSeSの二人は嘲るように軽く笑った。それが洪の怒りを増長させたが、男が拳銃を取りだしたことで頭がサッと冷えた。

「我々はあなたの要請に応えて動いているわけではありません。これは命令です。とりえず生きて話せれば、どんな状態でも構わないと言うことなので。おそらく組織から粛正されるよりは長生きできると思いますよ」

 男がニコリともせずに言う。

「な、な、なんだ…それは……?!」

 洪は自分のおかれた状況を知って身体の奥から震えが来た。救いの手は自分には無いことを知った。しかし、どうして良いかもわからない。

 その時だった。

『取り込み中?』

 この薄暗い部屋に若い女の声が響き渡った。嘲るような、それでいてこの場の空気を支配するのに十分なほどの重い声。

 そして、出入り口に近い暗がりから女が姿を現した。

 見たことの無い女だった。だが、洪はそれが誰なのか、一瞬で理解した。組織には女性構成員も多くいる。だが、暗殺者となれば、数は限られてくる。そして、事前に、自分を直接粛正することを命令したのが、饕餮だと仲間から聞いていた。饕餮の麾下の女暗殺者など一人しかいない。それもとびきり最悪な……。

 あの饕餮が「血に祝福された娘」と称した女――『ブラッド』。組織内で「慈悲のかけらもない――血がない、だから『ブラッド』なんだ」と噂されていること耳にしたことがある。

 洪にとってはそれが目の前にいることは、空想上の化け物が実際に現れたのに等しい出来事だった。

「ぶ……ぶら…ブラッド……?!」

 腰を抜かした洪のつぶやきを耳にして、二人の情報部員は目を剥いた。その名前の意味を当然知っていた。『蚩尤』の誇る正体不明の暗殺者、OSSeSの情報網ですら女性であること以外、どこの国の人間で何歳であるかなど正体がわからない人物である。いろんな意味で、ここにへたれ込んだ男より、かなりの大物だと言える。

 だが―――

(ブラッド……だと?)

(馬鹿なっ!?)

 この二人の男はその暗がりの中から出てきた女の顔を見て、別のことに驚いていた。目を疑った。あきらかに東洋系でも日系の顔つき、そして何よりその顔は良く知った者であった。実際に知っているわけではない、しかし、写真は何度も見せられた。何せその人物は社運をかけて犯罪組織『蚩尤』を追う理由、いや、目的であったからだ。

 それがなぜ―――

(福沢祐巳・・・・だと?)

 ひどい驚愕と混乱に襲われている情報部員に目もくれず祐巳はこう戯れたように言った。

「日本語喋るの、久しぶりなんだけど大丈夫かしら?―――そうでもないか、ふふ」

 しかし、それに答える者はいなかった。祐巳が不敵に笑う。その笑いに二人は気圧されて、次の事も無げな冷酷な言葉が頭に入らなかった。

「まぁ、どうでもいいわ……邪魔だから死んで」

「え…?」

 それだけの言葉だった。 

しかし、その言葉が効力を持ったように、一人は小型のナイフが喉に突き刺さり、もう一人は頭蓋を銃弾が穿って倒れた。床にいた洪は何が起きたのか分からないまま、紅い鮮血と白い脳漿をその身に浴びた。

その異常な光景に洪はまったく動けなかった。現実には見えなかった、いや現実と信じたくなかった。

 祐巳は眉一つ動かすことなく、洪に向き直った。その視線に縫いつけられて、動こうと思っても彼は身動き出来ず、ただ冷や汗と脂汗だけが流れ落ちていった。命乞いの言葉すら口に出せなかった。

 洪の顔を祐巳は眺めた後、苦々しげに口元を歪めて、

「やっぱり…」

と呟いた。

「?」

 洪には何がなんだかわからない。だが、先ほどから恐怖に支配される頭の片隅で何か引っかかるものを感じていた。その正体が次のブラッドの一言でわかった。

「ふふ……久しぶりね、『洪衛文』。名前も知らなかったけど―――ねぇ、私の純潔を犯した男」

「あ・・・・―――」

 引っかかっていたのは目の前の顔。どこで見た顔だと思っていた。全ての記憶が繋がった。

「じゅ・・・十年前の・・・前の、あのときの・・・」

 洪の恐怖を感じ取って、祐巳がにっこりと笑った。

 そして、洪はブラッドが自分を見逃す理由がないことを知った。

 洪衛文の恐怖が爆発した。

「うわぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁっ―――――――――――――――――!!!!!」

 

 祐巳は実を言えば目の前で恐怖に泣き叫ぶ男のことなどどうでも良かった。感謝しているわけもないが、恨んでもいない。写真を見せられたとき、驚いたが、どうせ殺すのだから、他の標的と変わらない。

 もっとも多少の感慨はあった。が、それも男の恐怖を煽るために使ってしまった。もうさっさと殺してしまおう。

 祐巳がそう考えて、銃口を向けようとしたときだった。

 絶叫して男が半狂乱の体で、素早く身体を反転させた。祐巳は恐怖で醜く藻掻いているのかと思った。しかし、男はその次ぎに後ろにあった木箱を使って、跳んで、部屋上部の窓ガラスに体当たりをしたのだ。

(しまった・・・!?)

 そのまま、窓ガラスが割れて、洪衛文の身体は地上五階の宙に投げ出された。祐巳が慌てて、割れた窓を覗き込むと、停まっていた軽トラックの荷台の段ボールの中から身を起こす洪衛文の姿が見えた。

(いっそ、死んでくれたほうが楽だったんだけど・・・)

 そう考えていた祐巳の瞳の光は、その考えに反して、獲物を狩る肉食獣のような獰猛さに満ちていた。

 

 

 

午後十時少し前、M駅近く。夜の街頭が、ちらちらと、ゆらゆらと目の端に映る。

「う……ぅぅ…うぅ~―――」

私、佐藤聖の気分は最悪であった。というか、すでに吐きそうである。悪飲みしすぎたようだ。酔っているはずなのに、気分の悪さ以外は妙に頭が澄んでいる。

 その日の朝、私は蓉子と景に電話をかけた。今日は娘の志保が柏木の家へ泊まりに行く日なので夜が丸々空いたのだ。そこで、久しぶりに飲みに誘ったのだ。

 一応言っておくけど、決して志保が柏木の家に行ったから、悪飲みしたわけではない。

 それはともかく、二人ともOKをもらって、蓉子の仕事の関係で六時半にM駅に集合して、女三人おしゃれなバー……ではなく、おじさん達がひしめき合う居酒屋に入った。

 色々と飲んで喋って、たまに食べているうちに三時間ほど―――その間、隣りに座っていた妙に日本語の上手いロシア美人と意気投合して飲み過ぎるということもあり、あっという間に時間が過ぎて外に出た。何かの下見にきたというそのロシア美女とは店で別れて……現在―――

「聖、大丈夫?」

 横にいる蓉子がさっきまでの説教口調とはうってかわり、本当に心配そう訊いてきた。それだけひどい顔色なのだろうか、私は。

「…ホント、凄い顔じゃない」

そう言ったのは、後ろを歩いていた景さんだった。今は私を追い越して、私の顔をこれまた心配そうにのぞき込んでいた。…これは―――相当ひどいらしい。

「どこかでいっそ戻した方が良いかもしれないわね」

 …蓉子、あなたがたまにひどく残酷に見えるときがあるよ。

 そこで、私は景さんの目をきらきらと見つめた。すると、彼女は無表情で言う。

「佐藤さん、そういうことだから」

 景さん…お前もか。

「たしか空き地あったわよね」

と、景さん。

「たしか、ビルの跡地が…」

 こっちは蓉子。えっと・・・それは羞恥プレイ?

『そこでいいわよね?』

 これは…というか両方が私の顔をのぞき込んでいる。まるで双子。というか、決定ですか…。

 おそらく、いや、かなりこの二人も酔っているな……。

私はあきらめた。というか、決定だし…。この二人に逆らえるわけありません。

 

そう私はあきらめた。

 

しかし、あきらめたからこそ、私は、私たちは彼女と再会することになった――硝煙の、鼻につく匂いとともに……―――

 

第一章 ロンギヌス(上) 終

                        下篇に続く・・・

 

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