私はなんで生きたいのか、全くわからなかった。
ううん、多分、忘れていたんだと思う。
死ぬのは怖くないのに、苦しくて、苦しくて、死んでもいいと思ったのに、それに矛盾して、それ以上に生きたいと思った。
ずっと・・・ずっと・・・。
男根をくわえ込み、精液を浴びても・・・。
拳銃を握り、血を浴びても・・・。
それでも、ずっと・・・
ずっと・・・。
ずっと・・・。
私は生きたかった。
だって・・・・・・・・―――
――・・・かったから・・・・。
紅き天使のレクイエム 第三章 マグダラのマリア(下)-Pascua-
旧福沢邸は中も外も、警官や鑑識、それにあきらかに警察関係者ではない、揃いの黒いスーツの男――少ないが女もいる――がひしめいていた。黒いスーツの男女は小笠原総合警備保障社長――つまり祥子直属のスタッフである。
さらにすぐ外の黄色いテープで区切られた路上にはバラバラの服装の女性が八人。無理を言って病院を抜けてきた祥子と、蓉子、聖、江利子、景、令、由乃、菜々だ。祐麒は中で状況の確認をしている。
「やっぱり祐巳ちゃんはもういないのね」
「でも、まだ近くにいるはずよ」
江利子のつぶやきに対して、蓉子がそう言うと皆がうなずく。
「とっと、祐巳さん探しちゃって、飲みにいきましょう」
そうやって、手をぶんぶん回しながら言ったのは人一倍張り切っている由乃だった。それの意気込みに、江利子が茶々を入れた。
「そうね・・・由乃ちゃんが脱いで全裸になるまで、飲みましょうね」
「酔って脱ぐ癖は私ないんですが・・・江利子様?」
「ふふ・・・さぁ、解散」
江利子は満足げに勝手に宣言し、文句を言い続ける由乃を半ば引きずるように連れていった。何年経とうが、江利子は由乃が可愛くて仕方ないらしい。それに黒服二人がついていく。江利子はその二人に「野暮ね」と冗談めかしに言ったのが、祥子達にはハッキリと聞こえた。
「相変わらず、江利子は・・・令、行くわよ。祥子も無理しないで」
「はは・・・」
親友の行動に額を手で押さえている蓉子と、由乃に対する姉の活き活きとした姿に半笑いの令も二人で組んで出る。やはり祥子のスタッフ二人が一緒についていく。
「それじゃあ、私たちもでましょうか」
「はい」
同様にして景と菜々も出かけた。
祥子は八人を四組に分けて、それを福沢邸中心にそれぞれに東西南北に送り、各所に放ったスタッフ達と連携されることにしたのだ。分け方は、武道経験者の三人――令、由乃、菜々――を別々の組にし、バランスが合うように他の人をそれぞれに当てたのだ。さらに、それに二人のスタッフをつけた。
そして残るのは、聖とスタッフの肩を借り、さらに松葉杖をついた祥子だった。
「祥子」
「なんでしょうか」
「なんで、私と組んだの?」
もっともな質問だった。聖は武道の経験も護身術の類もやったことがない。余りを引き取ったと言えば、それまでだが、怪我をしている祥子と、その自分を組むというのは不可解だった。
すると、祥子は部下から受け取ったケースから単純明快な答えを取り出した。
「聖さまはコレが使えると聞いたので」
聖が受け取ったソレは・・・。
「ちょっと、ちょっと・・・・祥子・・・・流石に・・・コレはまずいんじゃない?」
鼠色よりの黒色で統一されたすっとしたフォルム、ポリマー製で触り心地は悪くないが・・・それは――拳銃だった。
「モデルガン・・・?」
「多少、オモチャっぽい外観ですが、れっきとした実銃です」
「でも・・・さ」
周りに警官が多く歩いている。これだけで銃刀法違反で現行犯逮捕されかねない。
「警察は黙認してくださるので、問題はありません」
それが一番の問題なんじゃないの?と、聖は思ったが、口には出さず、話題を少しずらすことにした。
「・・・よく私が射撃経験のあることを知っていたね」
「フォード教授にお聞きしました」
「ああ、なるほどねー、教授ね-」
フォード教授とは聖がイギリス留学中にお世話になった大学の教授で、祥子とも祖父を通しての知り合いだった。
聖はイギリス留学中に三ヶ月ほど、教授の紹介でアメリカにホームステイして、そこで実銃射撃を体験していた。実力は、そこそこ、と経歴二十七年のビルおじさん(よく射撃場で一緒になっただけの人)に評価されていた。
「ああ、あと、聖さま」
「何?」
「その銃、防弾チョッキを気にする必要ありませんから」
「・・・・・は?」
「ですから、ⅢAのボディーアーマーを貫通する能力があるので、それを気にして撃つことはありません」
銃の構造や状態を確認していた聖はギョッとなって、祥子を見た。
「祥子、何で、こんな物騒なもの持ってんの?」
祥子はそれには怪しく笑んだだけで答えなかった。
祐巳は左手の傷を志摩子に任せて、右手で志摩子が持ち出したパンとカップに入った水とを食していた。そんなに腹は空いていないように思えたが、思ったより空いていたらしい。太いバタールのほとんどを食べ終わっていた。
今、二人がいるのは高等部の中庭にある離れ屋・・・つまり、薔薇の館。その一階の祐巳達の時には物置に使っていた部屋だ。二階に上がらなかったのは、志摩子の言によれば老朽化で二階は危ないらしい。現在の山百合会はここを使っておらず、空き教室を使い、薔薇の館の補修改修工事が終わるのを待っているらしい。見たところでは工事も始まっていないようだ。
それを志摩子に伝えると、朗らかに笑って「来月から」と答えた。
祐巳はそれが・・・その自分に向けられるまぶしい笑顔が何故か異様に腹が立った。暗い中でもハッキリと分かるまぶしい笑顔・・・。
それでも祐巳はパンの最後の一欠片を水で流し込むことを優先させた。その時には腕の手当も終わっていた。手当、というものも、消毒して傷薬を塗り、包帯を巻いただけである。だが、今はこれで十分だった。
簡単な食事を終えて、静寂が訪れる。
祐巳は壁にもたれかかって座り、志摩子はその隣に座った。
祐巳はちらりと横目で志摩子を眺める。簡単な修道服に身を包んでいるが、人形のような美しさは変わらない。そして、あの時と同じで穏やかな表情をしていた。
すると、祐巳が見ていることに気がついたのか、祐巳の顔を見て志摩子がニッコリ笑う。
その自分に向けられる暖かい表情が、何故か祐巳の気にさわる。なにか、イライラさせた。何で志摩子がこんな表情ができるのか、まったく分からなかった。
何故こんな血を浴びて汚い女を見て、ニコニコと笑っていられるんだろうか?!私が戻ってきて、嬉しいとか、単純なこと思っているわけ?!人の気持ちも知らないで?!
そんな感情の渦がループして、祐巳の中で膨れ上がっていく。
―――
―――
―――――
―――そして・・・―――弾けた。
「なんで!なんで、そんな澄ました顔していられるの?!」
「えっ?!」
バタン!と、大きな音が闇中で響く。気がつくと祐巳は志摩子を床に押し倒していた。
「・・・祐巳さん・・・?」
何が起こったのか、わからないと言う志摩子の顔・・・・それすら祐巳をむかつかせた。
右手で祐巳は志摩子の肩を押さえ、志摩子の顔をのぞき込むように自身の顔を近づかせた。口を歪ませて笑っていたが、目は見開いて恐いほど、その中に笑みは見あたらなかった。暗い暗い暗い瞳・・・・・・・。
「恐いでしょ?志摩子さん・・・・・私、怖いでしょ?ね?私、人を殺すんだよ?・・・・銃弾で、人の頭蓋をかち割って、刃で喉をかっきるの・・・。ねぇ恐いでしょ?」
祐巳はそう言って、志摩子の首筋を舌で舐めると、志摩子が「うっ」と声を漏らした。そのまま、首を上へ上へ・・・耳の中まで舌を入れると、さらに声を漏らす。そして、祐巳は膨れ上がった凶暴な気持ちを隠さずに唇をつり上げて笑う。
「ふ、ふふ、ふふふ・・・・どう気持ちいいでしょ?・・・男もね、気持ちいいのよ・・・わかる?・・・・男のね、モノをくわえ込んで、至って油断した隙にナイフを心臓にさすのよ!・・・そうすると精液と血液が私の腹や顔の上で混ざって、サーモンピンクになるの・・・ソレを舐めると・・・苦くて、甘美で・・・・知らないでしょ?・・・・・こんだけの攻めでイキそうになっているぐらいだもんね・・・どうせ処女なんでしょ?」
祐巳は激しくたぎり、罵声とも捉えられかねない口調で吐露する。しかし、それとは乖離するように、その裏で逡巡していた。
――何でこんなことを・・・?
――変わらずに清らかな志摩子さんが憎い?・・・違う。
――それとも、そんな志摩子さんが愛おしい?・・・違う。
――嫉妬?・・・・・・・・わからない・・・。
――八つ当たり?・・・・・・・・・わからない・・・!
――わからない、わからない!!!・・・・わからないよ!!!!!!!
と。
その堂々巡りを。まるで口と脳が別の意思を持つように、それでいて、それらは連動して感情を爆発させる。
「・・・・・・私は・・・私は!・・・・・・私は、たくさんの男をたぶらかして、殺して殺して殺して殺して殺して!・・・ころして・・・・ころして・・・いまだって、いっぱいいっぱい人を殺してきたの!!!・・・・日本にだって小笠原祥子を殺す・・・・殺すために!!!!!!・・・・・・・ねぇ、恐い、でしょっ?!!」
祐巳の絶叫に、志摩子が何か言いかけたが、祐巳はその唇を、だめ押しとばかりに咄嗟に自分のそれで塞いだ。志摩子の目が驚いたように見開かれる。その志摩子の唇を舌で割って、口内を蹂躙する。
志摩子は顔を真っ赤にして、苦しそうに呻いたが、祐巳は凌辱をやめる気にはなれなかった。そして、長いようで短いそんな時間・・・祐巳も息が苦しくなって、顔を上げた。志摩子の瞳が目に入ってきて・・・・ 愕然とした。
志摩子の瞳は、憎悪も蔑みも恐怖も、そして憐憫も抱いていなかった。それでいて、虚脱していたわけでもない。
ただまっすぐに祐巳を見つめていた。変わらない優しい眼差しで・・・。
その視線に射すくめられて、祐巳の思考は真っ白になる。荒れ狂った感情が突然、ポン、とそんな音が聞こえるように、あまりに呆気なく萎んで消えた。それに祐巳はいつになく動揺して、意味もなく叫ぶ。
「なんで!・・・なんでよ!・・・なんでなの・・・・・・・なんで・・・なんで?!」
(なん・・・・で・・・・・?)
祐巳の目元に涙があふれて、志摩子の頬を濡らす。
志摩子が静かに口を開けて囁くように言う。
「祐巳さん」
――祐巳さん――
記憶の中の声――制服を着た志摩子さんが微笑みながら、私の名前を呼んで――
――私は――――――――
何かが壊れて・・・・・・弾けた・・・・・・・・・・・―――――――
――私は――――――――
「・・・・私は・・・・私は・・・あぁぁぁぁ・・・・・・・・・・・・・」
祐巳は泣きじゃくっていた。涙が志摩子の胸元に黒いシミを作り、それを広げていく。涙滴が六月の雨のように・・・・濡らしていく。
そして、志摩子は泣く祐巳を胸に抱き留めた。優しく赤ん坊を包み込むように。
祐巳は子供のように泣いた、志摩子の胸の中で、静かに・・・・。
「ごめん・・・志摩子さん」
ひとしきり泣いた祐巳は、ばつが悪そうに志摩子に謝った。祐巳は立ち上がって、まだ床に寝たままの志摩子に手を差し出す。志摩子はそれを握って、立ち上がり、服に付いた埃を静かに払った。
「そうね・・・ちょっと驚いたかしら」
志摩子は思いだしたのか、すこし頬を赤らめた。
それを見て、祐巳は笑った。志摩子も自分が笑われているのにも関わらずつられて笑う。
祐巳は笑いながら思った。
(そういえば・・・こんな笑うの、いつぶりかな?)
そして、こんなにも心が穏やかなのも。
それから祐巳と志摩子は壁に腰掛けて並んで座り、この十年間のことをぽつぽつと語った。主に祐巳が喋り、志摩子は聞き手だった。祐巳が淡々と話し、志摩子が静かに頷く・・・長いのか短いのか、そんな時間が過ぎていき、夜だけ深くなっていく。
祐巳の語る自分の話、それは懺悔にも似ていた。そして、その最後にこう言った。
「私は何がしたいのかな?・・・・こんなにまでして、生きたいのかな・・・・」
それを聞いたとき、志摩子は今まで同じくすぐには頷かなかった。一拍、考えた後、口を開く。
「それは・・・多分、祐巳さんにしか分からないと思うわ。祐巳さんが考えなくちゃいけないこと」
「・・・厳しいね」
「そうかしら?」
「・・・うん」
そうやって、二人で微笑んだ時だった。祐巳が、ハッと片足を立たせた。
「祐巳さん・・・?」
志摩子が不安そうな顔で祐巳の顔を窺った。祐巳がただならぬ気配を発していたのを感じ取ったのだ。
それに対して、祐巳は自嘲気味に笑った。
「ちょっと、油断しすぎちゃったみたい・・・追っ手。・・・・外に気配がある・・・」
「でも、もしかしたら私を捜しに来てくださった他のシスターたちかもしれないわ」
「シスター達が殺気立っているとは思えないけど」
「・・・」
志摩子が緊張したように押し黙る。
「・・・・あいつらの目的は私。だから、私が引き付けながら逃げるから・・・志摩子さんはここでじっとして、おさまってから逃げて」
それを聞かされた志摩子はショックを受けたように目を見開いて、
「ダメよ、祐巳さん。ここでやり過ごして、その後・・・祥子さま達と相談して・・・」
と、祐巳に提案したが、それを祐巳は軽く微笑んで拒否する。
「そんなに奴らは甘くないよ。それに・・・一度殺そうとした相手にどんな顔で会えばいいの?」
「でも、祥子さまは・・・・・・・!」
祐巳は、今度はニッコリ笑った。天使のような、本当の笑み・・・。
そんな微笑みを見た志摩子は何も言えなくなってしまった。
「じゃあ、ね・・・・志摩子さん」
そういって祐巳は悠然と歩いていこうとする。
(だめっ!)
それを志摩子は腕を掴んで引き留める。
(ここで止めないと・・・止めないと・・・もう祐巳さんに・・・・)
会えない気がした。だから、祐巳の主張のほうが状況に合っていると頭では理解しながら、引き留めたのだ。
祐巳は振り返る。
「志摩子さん?」
「祐巳さん・・・駄目・・・・!」
志摩子が祐巳にすがりつくような視線を投げかける。
祐巳はそれを見て、ここに残りたい、という衝動に襲われたが、それを必死で振り払う。
「祐巳さ――」
「志摩子さん、ごめんね」
志摩子の耳に祐巳の声が届くと同時に、唇に柔らかい感触・・・・。
祐巳がキスによって志摩子の声を強制的に遮っていた。でも、先ほどのものとは違い優しく押さえるだけの口づけ。
しかし、祐巳の左手は志摩子の黒い修道服の上から鳩尾を柔らかにそれでいてまっすぐに突いていた。志摩子は言葉を奪われたまま意識を手放し、身体からガクっと力が抜けた。
そして、祐巳は崩れ落ちそうになった志摩子の体を、慌てて支え、静かに横たえた。その時に志摩子の口元を思わず見て、それから静かに自分の唇に手を添えた。
(・・・卑怯な男みたいまねしちゃったかな・・・)
祐巳は優しげに目を細めた。立ち上がって、志摩子に背を向ける。部屋の扉まで歩いて、一度振り返り、
「さようなら・・・志摩子さん」
と、気絶している志摩子に別れを告げる。
(ああ・・・そっか・・・)
――なんでそんなに生きたいの?――
――みんなに別れを言ってから死にたかったから・・・・――
「そういうことか・・・・」
祐巳は銃声とともに志摩子の前から闇へと消えていった。
それでも、ずっと・・・
ずっと・・・。
ずっと・・・。
私は生きたかった。
だって・・・・・・・・―――
――・・・かったから・・・・。
―――別れを言ってから死にたかったから―――
・・・・・・・・・本当に?
第三章 マグダラのマリア(下) 終
第四章に続く・・・