薄らとした夜空の明かりの下を歩く。最近はすっかりと身に染みたひんやりとした静けさや、自分の存在を主張する足音だけが辺りを取り巻いていた。
いつもと違うのは、隣に立っているのがナズナちゃんではないことだ。
「……」
随分と長いこと無言で歩いている。
横目で彼を見れば、まるで宙に顔だけ浮いているようにすら見えた。断続的に道を照らす街灯の下を歩く時のみ、全身を包む黒装束まで視認できる。真っ黒な衣装……所謂ゴスロリというものらしいが、実際にこんな服着る人いるんだなと驚いたし、同級生が着ているのだから尚更だ。
ただそれよりも––––その存在感が自分と違うように思えた。
足音も立てないから余計に存在が不鮮明だ。だから、学校で会ったときよりも酷く不気味かつ、妙な異質感が俺の感覚を狂わせる。夜に溶け込みきった、まるで吸血鬼のような……。
「……なあ、吼月」
「おっ、着いた」
「えっ」
ようやく探偵さんの話題を切り出そうとしたが、横から投げつけられた強い光に遮られてしまった。
立ち止まった吼月が光源に向かって身体を捻る。俺も続いて目を細めながらそちらを見ると、強い光の正体は自動販売機であった。それも顔馴染みのジュースを売っているものではなく、お酒を売っているタイプのものだ。
「……えっ。お酒?」
「そう、お酒」
ボソッと困惑を呟くと、オウム返しで吼月が言う。複雑な服のポケットから財布を取り出すと、躊躇いなく小銭をチャリンチャリンと自販機に投入していく。
そして、大小、様々な種類の酒の中を指が彷徨い––––
「待て待て! なんで普通に買おうとしてるの!?」
「ん? なんだ、コウも欲しいのか?」
「言ってないだろそんなこと! 前も言ったけど俺たち未成年者なんだからな!」
ガシッと彼の手首を掴んで止める。
「相変わらずお堅いね。案外、優等生モードも素の一部なのかもな」
ニッと片側の口角をあげて嗤う吼月は、もう片方の手で目的のボタンを押した。
「安心しなよ。飲むのはナズナさん達だし」
ガタン、ガタンと落ちてきた二本の缶ビールを取った。それを弄びながら横目で俺に言う。
「さっきマッサージのお願いした時に、ビール買って来てと頼まれてな」
「……そういう…………」
なんでわざわざ吼月に頼んだんだよ。
喉に刺さった小骨のような毒を心の中でそっと零すと、そんな俺に吼月は数秒間首を捻りながら目をやって……またニヤリと笑った。濁った雫をマジマジと見られてしまったように思えて、気が気じゃない。
胸の中で整理できない感情が渦巻く。
「安心しろ、俺は他人のものを奪う癖はない」
「そんなこと言ってないだろ」
「そうか。てっきり独占欲強強なコウくんのことだから、俺とナズナさんが仲良く話したり、一致団結してコウを弄ったのが気に食わないのかと思った」
「……そういうの、嫌われるからやめた方がいいと思うぞ」
「道理で今日は強気な訳だ」
その一言でブラフなのだと気づいた。
目敏く言い当てた吼月は上機嫌に頷きながら、追加で二本、缶ビールを購入する。そして、どこからか取り出した保冷バッグに缶を入れた。
なんでそんなに準備がいいんだ……
不自然なほど状況に適応している吼月は、バッグのファスナーを締めるとググーッと伸びをする。
「やっぱり間違っちゃいないと思うぜ。コウの想いは。対吸血鬼においてはなおさらな」
俺を心を後押しするようにまっすぐな視線を送ってくる彼に俺は尋ねる。
「何が良いんだよ」
「思いが血に詰まって、相手の心を震えさせれる」
恥ずかしげもなくキッパリとした言い分には納得だ。口にするよりも、行動で示すよりも、彼彼女らに訴えかけるなら血をもって説き伏せるのが最も効果的だ。なにより、誰にも知られない密告のようでゾワゾワする。
俺の反応を見て、吼月は笑う。
ニヤリと意地の悪い笑みではなく、ゆったりと余裕のある小さな微笑みを浮かべる。それは学校で時折見かけたことのある悠然としたものではなく、解放的な優しさに満ちたもの。
頼めば何でもしてくれそうな抱擁感。
服装も相まって、抱きしめるような母性すら––––
「…………」
「なんでめっちゃ嫌そうな顔になるんだよ」
「してるつもりはないよ。なぜかこうなっちゃうだけで」
「難儀なやつだな。けど喜怒哀楽全てが贅沢な産直スパイスになる吸血鬼にとっては、その
吼月が悪いわけではないのだが、行く気のない彼の方が先に
「想いは自覚して、肯定すればもっともっと強くなるからな」
吼月は誰かを思い出すように言ってみせる。
「でも、ナズナちゃんは胃に溜まるものを好き好んで食べないよ」
「どうかな。ビールのお供には脂っこいものが付き物だろ」
「俺の感情を唐揚げとかと一緒にするなよ」
「唐揚げみたいなもんだと思うけどな」
「どこがだよ」
「血は肉だろ。で、コウの表情が塩胡椒だ。……レモンでもいいぞ!」
「変わんないよ!」
「なんだ。衣がよかったか」
「違うよ! 俺の顔の何が楽しいんだよ!」
「そうか? ナズナさんも好きだと思うぜ。だって、ほら」
吼月は雑念のない平坦な口調で言い、ポケットに手を突っ込む。そこからケータイを取り出すと、2、3回タップしてから画面をこちらに向ける。
映し出されていたのはものすごい慌てようでオロオロとしている自分の姿。それは外出前にハツカさんのスマホから消し去ったはずのもので、改めて見ると笑えてしまう面白い写真に仕上がっている。あくまで、他人事なら、の話だが。
写真を認識した瞬間、胸の中でボワっと燃え上がった。
「消せ!!」
「オッ––––と!?」
殴りかかるようにして手が伸びる。顔面まっしぐらのコースで張り手が吼月のもとへ飛び込んで–––––しかし、右手はケータイを掴むことも、頬を引っ叩くこともできなかった。
寸前のところで夜闇に浮いていた肌が消える。
「は?」
一度の瞬きのあと、バク転したのだと分かった。
動きにくそうなゴスロリ服で華麗なバク転に僕は––––それよりも僕は別の所に目が行ってしまい、驚きを隠さず静止した。伸ばした手はそのまま宙で釘打ちされかのように留まっている。……空色だった。
「たく、育ちきる前のオタマジャクシみたいなやつだな」
「–––––」
「おい、どうした。ポーズでもかかったみたいに動かなくなって」
「……いや、だって……空色」
「空? ……!!」
ぼそりと呟いた言葉に吼月は疑問符を頭に浮かべて、咄嗟にスカートを押さえ込んだ。頬を朱に染めて、そこだけ見れば恥じらう乙女のような格好で。
「……エッチ!」
「ち、違う!」
流れで俺も耳まで熱くしながら、顔を背けてしまう。
ただ弁明させて欲しい。
普通の下着なら俺だってなんも思わない。体育の着替えの時などで他の男子の下着が目に入ることなんてザラにある。その事でワイワイ盛り上がる謎な奴らも居て、巻き込まれることもしばしば……だから、普通なら照れることはない。
けれど、今回は違う。
「なんでキミ、女物の下着を履いてるのさ!?」
「女装見た上でそれ言うか」
「いやだって……」
そこまで往ってるとは思わないじゃん。
誤魔化すようなニンマリとした笑みを湛えながら吼月は、スマホを見て満足げに頷いていた。してやられた。
「コウもアキラもいい反応するから化かすのが楽しいよ」
「友達無くすよ」
「嫌なら嫌だって、ちゃんと向けてくれる
「だったら殴らせて」
「バカ言え。俺だって恥ずかしいんだよぉ……利用はするけどな」
「豪胆なやつだな」
いいようにあしらわれた。恥じらいすら利用した彼の目論見通り、あれだけ消させようと躍起になっていた熱も、すっかり吹けば消える下火になっている。
否定はしない。俺がするものでもないし、深く踏み込むことでもない。けれど周りからしたらやっぱり不思議に思えるもので。それを自分が思った通りに極々自然にやってのける彼はとても自由に思えた。
重なるのは、彼の親候補の姿。
「吸血鬼になる気になったの?」
「突然だな」
「なんか前会った時とは雰囲気が違うからさ」
「吸血鬼っぽくなった、と」
「もっと言えば、ハツカさんぽくなった。なんか……自由な感じ」
しかし、『どうだろうな』と首を横に振りながら続ける。小声で、トーンも低くなっていて、呑み込まれるような黒い瞳が下を向いている。
「俺もアイツも、女装したりしてるのは周りの環境によるところが大きいし、コッチが望んでなくてもめんどくさい事が頭から突っ込んでくることもある。お前も分かってるだろ」
「……まぁ」
思い浮かぶのは、ハツカさんが見開いた目の、人を吸い込む奈落のような真っ黒な瞳が揺れ動いた瞬間。
以前警察に追いかけられていると、ハツカさんが家に匿ってくれた。その時になぜ女装をしているのかを気になって尋ねたら「似合うから」「その方がモテるから」という自分の理解の範疇から出た答えに驚いた。
その返しで俺は、
『【好きでやってる】か【人にやらされてるか】の2択で考えちゃって……』と、そんな事を口にしたはすだ。
自分がやりたくてやっているわけでもない、周りから強制されている訳でもない。自分の好き嫌いから外れた場所から選んだ答え。きっと、どっちが近いかと言われたら後者なのだろうけど、
吸血鬼としては、モテた方がいいに決まってる。生物として恋とは切り離せないのだから。
だからこそ、まるで
「あのクズは大切な相手といることすら否定して…………て、なんだ。そんなに探偵さんのことで悩んでるのか?」
「え」
「いや、コウは悩みの種でもある探偵さんの話をしたくて俺に着いてきたんだろ。さっきの話は別のやつだけどさ」
伏せがちだった瞳が、俺の下方に現れた声をかけてきた。
「……大丈夫か? さっきから黙ってばっかりだぞ」
「そう?」
「うん。木偶の坊だった」
ハツカさんのことを考えて、黙りすぎていたようだ。覗き込んでくる瞳には、心配の念が細部までしっかりと込められている。
そうだった。
俺は探偵さんの話が聞きたくて、わざわざ歩いているのだ。
「で、コウは探偵さんについてどこまで知ってるんだ?」
「吸血鬼殺しってことぐらいしか……」
ただ、その前に一つだけ訊かないといけない気がして––––
「ねぇ、吼月」
「なんだ」
「いま、楽しい?」
鳩が豆鉄砲を食う、とは正に今の吼月の顔をいうのだろう。明らかに話が逸れていて、俺が望んでいた会話ではないそれに彼は心底戸惑っている。
しかし、それは数秒のこと。
小さな含み笑いをして、彼は左手を胸に添えながら誇らしげに言う。
「可愛いだろ?」
笑顔の中に含まれたものは楽天だ。
以前彼が意外にも苦心していると知った、子供っぽく夜空に歌うこともあると知った。普段見る顔の奥には、色々な感情がせめぎ合っている。原案は僕には分からない。しかし、彼が女装をしているのは、何らかの不自由によるものだと言うのは分かる。
それ以上にハツカさんと同じく、今に楽しみを見出している雰囲気が吼月ショウにはあった。
「可愛いよ。吼月はやっぱりハツカさんに似てる」
だからこそ、ホッとした。
俺が知っている限り、1番無理がある生き方をしているのは吼月だから。
『可愛いよ』
「ん?」
肩の荷を下ろすと同時に、知っているのに聞き慣れない声がした。それも耳元から聞こえてきたのだから驚きなのだ。
声の持ち主は俺だ。
声を発するのは俺ではなくて、
『可愛いよ』
「はーい、コウの可愛い頂きましたー!」
吼月の左手にはケータイが握られている。画面には自販機の光で照らされた俺が、吼月に向かって『可愛い』と言っている映像がリピート再生されている。
先ほどまでの含み笑いに餓鬼のようなしたり顔が加わっている。
「ショウ! やっぱりそれ渡せ!」
「ハッハッハ! コウが俺の心配をするなんて、二万年早いぜ!」
「心配して損したぞ!!」
「ほれほれ、また直ぐに手が出る脚が出る!」
苦手だ。
苛立ち、驚愕、不安、安堵––––接していると、推し量れない感情の波が襲ってきて揺さぶられてばかりだ。アキラやマヒルくん達と居る時とは違って、落ち着かない。
けれど、悪くはない。
彼が小声で、しかしハッキリと俺に伝わるように呟く。
「ありがとう」
彼の心があるからだと思う。
それはきっと––––僕を見つめる瞳と同じ優しさがあるからだ。
☆
「それで、七草さんはどうするの?」
侘しい顔を浮かべながら彼女は目を合わせない。
コトヤマ展楽しかったです