よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第九十六夜「本当に」

 変哲もないファミレスの中に、いつもと変わらない和やかな雰囲気が流れていた。夜勤中の夜食を食べに来る人がいれば、家族で外食に来ている者たちもいる。数でいえばそこそこの人がいた。

 忙しい時間帯でもないので、ほとほといつも通りであった。

 

「…………」

「––––」

 

 その一角だけは違う。

 テーブル席で向き合うように深々と腰をかけた二人の瞳は鋭く険悪であり、互いの雰囲気から切り口を探しているような素振りも垣間見える。双方の前に置かれたコーヒーカップから立ち昇る白い煙が、彼らのそばに近づくだけでコーヒーよりドス黒い空気へ様変わりする。

 ファミレスにいるのは相手からの要望だった。

 

––––重いよ……助けて……

 

 漂うはずの空気が研ぎ澄まされて周囲に伸ばされていくので、唯一近くに座っていた少年ふたりに刺されてしまい、気まずそうに距離を置くためソファの奥へ移動する。

 可哀想だ。

 少年ふたりの箸の速度が加速する。

 しかし、彼らは逃げられるだけマジだろう。

 本当に可哀想なのは私–––– 大未栄(おおみえ)弥恵(やえ)だ。なんて言ったって、私はいまにも爆発しそうな地雷原たちの隣に座っているのだから。

 分かりきっていた後悔からため息が漏れかけて、慌てて呑み込む。

 それと同時に、隣にいる先輩弁護士である神崎和法さんが口を開いた。

 

「結婚するのは琢磨の意思を尊重するにしても……そろそろ吼月くんを家に戻してやったらどうだ」

「断る。さっきも言ったはずだ」

 

 きっぱりと言い切ったのは、鎧のようにカッチリとした背広を身に纏った男性––––葛樹琢磨である。警視監という立場に見合った雰囲気が立ち込めていた。

 お堅い空気が陰鬱と立ち込めるから余計に気が滅入る。

 

「いい加減、仲直りしたらどうだ。親子なんだぞ」

「親子の縁はすでに切ってある。それはアレも分かってる」

 

 アレと言うのは、話に出ている吼月ショウのことだろう。今のやり取りだけでも、親子の関係が世界恐慌一直線レベルに暴落しているのが分かった。

 

「こっちは数分の暇を作るだけでも大変なんだ。いつもの話だけなら戻させてもらう」

 

 言い方がいちいち怖い。

 恐る恐る目線を上げると葛樹警視監がこちらに険しい顔を向けていて、背筋が手付かずの針金を通したように伸びる。

 

「顔が怖いのは商業柄だから、気にするな。今日は朝霧じゃないんだな。……キミは神崎の後輩か?」

「え、そうですね……はい」

「奴はあれ以来、よく貧血になっていたな」

 

 正しくはお目付け役である。

 

「なら、私とアレについて一応の話は聞いているだろう」

 

 コクリと機嫌を伺うように頷いた。

 

「家族関係がうまくいっていないと」

「……和法」

「事実だろ」

「馬鹿を言うな。縁を切ろうと言い出したのは奴からで、上手く行く行かないにすら進んでいないのだ」

 

 ギロリと鋭い光を放つ瞳を受けても神崎さんは動じずに喋り続ける。

 

「結婚するならせめて家に戻してやるくらいしてもいいだろ。もう一人の翔くんだって喜ぶし」

「奴らに接点なんてない」

「お前が知らないだけで小学校の時に会ってるんだよ」

 

 葛樹警視監は特に興味を示すことなく『ほう、そうか。お前が無理やり一ヶ月だけ通わせた時か』とだけ冷たく言い捨てて話を区切る。数回やり取りを見ただけだが、親子の復縁は無理だと悟った。余りにも実子に対してかける言葉の温かみではない。

 私の親ならもっと––––

 

「いい加減にしろよ。今の子を大切にするより、吼月くんを大切にするのが通りだろ。今の子供は不倫した相手と作った妾の子だろ」

 

 もはや親ですらなかったのか。

 神崎さんはひっそりと、まるで相手を気遣うわうに優しく小さな声で言う。

 

「知ってるぞ。不倫してまぐわった挙句、知らないうちに子供を生まれてからはその事実がバレないように口止め料を払わされていたこと。それが今も続いて財布はあの女に掴まれてることも、見て見ぬふりするために家にも殆ど帰らず、今の子供と接するのも年に1、2回あるかどうかだ」

「……お前、どうやって」

「俺は弁護士だ。それぐらい突き止められる」

 

 急所を突かれた葛樹は険しい顔により一層深い皺を刻みながら吐き捨てるが、神崎さんは毅然と受けて立つ様は全く変わらない。

 ––––ただ、それって弁護士の仕事じゃないよね?

 そう思いはするけれど、この捜索網の広さは畏敬の念を抱かざる得ない。

 

「いい加減、他人の事情に首を突っ込むな。それともお前、まだ何十年も前の妹の失踪で––––」

「琢磨さ、それが原因で翔くんは小学校で虐められてたんだぞ。授業参観や行事にも親は顔を出さないのに加えて、母親は朝から晩まで遊び呆けててクラスメイトの親から陰口を叩かれてた」

 

 神崎さんは相手の話を叩き折って反撃する。

 私は心の中で責めるように目の前の男を見る。

 大人から子供への影響は絶大だ。何気なく言った言葉すら––––正しく理解していなくても––––子供の価値観に反映されてしまう。親がおかしいと言ったらおかしいものと認識して、故意無意関係なく傷つける言葉を吐く。一般的に成人したら精神もある程度育っていると思われがちだが、その根底を支える脳が基礎を汲み上げるのは30歳を越してからだ。小学生が全てにおいてまともな倫理観を持つわけがない。

 

「親なら子供がそんな状況に置かれることぐらい防いでやれよ。一緒に居たい友達を作って、ずっと過ごせるような」

「終わったことだ。それに奴は何も言ってこん」

「それが警察の言うことなんですか」

 

 思わず口を挟んでしまったのは衝動を抑えられなかったからかもしれない。しかし、葛樹は悪びれる様子もなく滔々と言う。

 

「警察だからだ。警察はあくまで法による秩序の確保が大事であり、法の効力を損なった事案であれば対処するだけだ。警察も法も、全体秩序を守るためにあるだけで、被害者の尊厳回復の為にいるわけではない」

 

 だから、法として効力が薄い罰則などは強化する必要があるのだが。

 口に溢しながら、テーブルに置かれたカップをようやく手に取った。

 

「それに先に不倫をしたのはあの女だ」

「そんなことしてないだろ。現に––––」

「本当に私の息子ならあんな化け物が生まれるはずがない」

 

 はあ?–––愚痴を口をこぼしたくなってしまう。

 フッ、と葛樹は鼻で笑いながら言った。その目は、何も知らないのだなと雄弁に皮肉っていて腹立たしかったが、苛立ちはすぐに遠く彼方の星へと投げ飛ばされる。

 一瞬で憎たらしげな瞳から確かな緊張感が奔ったのだ。

 

「ではキミは、目の前で子供が自分の手首を切りつけて血を流しながら『人間になれたよ』なんて言ってきたら、どう思う」

 

 言っている意味が分からず私はただ呆然としてしまう。答えを求めようと隣にいる先輩を目だけで捉えれば、苦々しく顔を歪めている神崎さんがいた。

 話が行き詰まり、沈黙が私たちを支配する。隣にいる少年たちが身を潜めながらこちらを伺っているのが見えた。

 どれだけ経過したか判然としないまま、ため息を吐きながら葛樹が言った。

 

「話は終わりか。なら、帰らせてもらうぞ」

「葛樹ッ!」

「いい加減、妹の亡霊を追いかけるのはやめろ」

 

 すぐに席から離れて––––途中、少年達に『こんな遅くまで出歩いていたらいけないぞ。親御さん方が心配してしまうぞ』と声をかけて––––自分の会計だけ済ませると、ゆっくりと開くドアを潜って行った。

 それから私たちもファミレスから退場し、夜風に当たっていた。街の中にひっそりと伸びる人気のない静かな路地を歩いていく。

 

「なんなんですか、あの人……?」

「物分かりが悪いんだ。気にしなくていい」

「そういう問題じゃないと思うんですけど」

 

 意固地になっているとか。話が理解できていないとか。本質から目を背けて、問題を矮小化して良いものではない。

 葛樹が『化け物』と罵った少年のことが気になって仕方がないが、それよりもまず、確かめないと訊いておこう。前を向いたまま街灯に照らされている神崎さんの顔を捉えた。酷く歪んだ顔をしていた。抽象化しなければ言い表せないほどの表情で、私はすぐに視線を逸らした。

 

「神崎さんは本当に親子になれると思っているんですか?」

「戻れるよ。家族なんだから」

「……そう思いなんですね」

 

 確かに葛樹には産んだ人間としての責任感というものが欠如しているが、自分の価値観で視界が眩んでいるのは先輩だ。少なくとも神崎さんの選択が正解だとは到底思えない。

 自然と立ち止まって通り過ぎていく背中に目をやる。立ち止まったことに遅れて気がついた神崎さんが、少し正気を取り戻した顔で私を見る。

 

「どうした」

「率直に言いますが、ショウという子に戻れる場所はないと思います」

 

 その僅かに戻った気力が瞳に集まり、それを見れば葛樹だって恐れ慄くこと間違いない迫力を宿した。だから、どうしようもなくたじろいでしまって言葉が詰まる。

 

「どう言う意味だ」

「……私にはあの人達が家族だった瞬間なんてないですよ」

「馬鹿だねキミは、血が繋がった者同士なんだ。家族じゃないわけないだろ」

 

 語気を強めた神崎さんに向けて、私が怖がりながらも首を横に振ってみせると、彼は苛立たしそうに皺が寄った。心許ない街灯の光が、本来よりも皺を深く映している。

 素直に言うと、かなり怖い。

 

「家族の繋がりは見える物で出来ているわけではないですよ。たかだか血程度で家族になれるのはあくまで書類上です」

「だったら何が家族にするんだ」

「……そんなことも分からないんですか? 想いですよ」

 

 でなければ、私はここにはいない。

 こんな面倒事は本来なら断ってもよかったし、それこそ昔馴染みである朝霧さんに任せたってよかった。今だって後悔している。けれど、断らなかったのは親しい叔父からの頼みだったからだ。

 きっと、ただの血が繋がっている(家族)なら首を縦に振ることはなかった。

 

「先輩の家族はそんなに寂しい場所だったんですか。そんなわけないですよね、だって妹さんのこと」

「分かったようなことを言うなよ!」

 

 その時、バッと手が私の顔を覆うように迫った。顔中が軋んで骨がひび割れるような痛みに呻いてしまう。

 やめてください、と訴えるため声をあげるが、

 

「血がなくちゃいけないんだ。人の家族は、突き詰めれば血が流れあっていなければ成り立たない!」

「––––グゥッ!」

 

 周りの目など気にした様子も見せずに怒鳴り声を上げたあと、神崎さんは私を突き飛ばした。腰から地面に叩きつけられて、放射線状に激痛が全身に拡散していく。

 ––––ああ、だからファミレスだったのか。

 葛樹は確実に人の目がある場所なら神崎さんも手が出さないと考えたのだ。

 痛みが広がると共に、受けた理不尽に対して底知れない怒りが湧いて来た。顔をあげながら神崎に向かって叫ぶ。

 

「いきなり何して! ……は?」

 

 しかし、その叫びを聞くものは誰もいなかった。

 

「……どこに行って」

 

 目の前に居たはずの男性が忽然と姿を消してしまっていた。まるで神隠しにでもあったように、痕跡一つ残さず。

 膨れ上がっていた怒気が行き場をなくして、ため息として外へとあてもなく流れていく。

 

「マジで嫌なことに巻き込まれちゃったなぁ」

 

 腰や背中がズキズキと痛むのを我慢しながら、なんとか立ち上がって、スマホを取り出す。

 

「これ、パワハラで行けるかな……」

 

 私はタクシーサービスのアプリを開いて、しばらく歩道に沿って伸びるフェンスに背中を預けることにした。

 

 

 

 

「なんの真似だ」

「止めてあげたのよ。いくらなんでも理不尽はいけないわ。あの子が言っていることは間違っていないもの」

「貴様に何がわかる!」

「私だから分かるのよ」

「……ッ」

 

 暗がりの道の中で拳を振り上げていた和法(この人)を攫って、今はとある一軒家の屋上に来ていた。収まることを知らない怒りはこの人の中で渦巻いているのが、感覚を閉ざしていても伝わる。

 和法は『まぁいい』と吐き捨てて、私に問いかける。

 

「朝霧はどうしてる」

「予定通り吼月くんと交流のあるらしい岡村蒼を見張っているわ。その子も特に変わった様子もなく、強いて言えば夜遅くに歳の近い相手と喫茶店でお茶をしているぐらいね」

「倉賀野という子は」

「そちらも特に。歳にしては遊び上手ではあるけど、学生の範疇に収まってるわ。昨日だと女子高生と楽しく遊んでた。直前まで吼月くんたちと遊んでいたのに、凄いバイタリティよ」

「吸血鬼ということはないんだな」

「学校にもキチンと通ってる子達よ」

 

 おもむろに頷けば、訝しんだ眼差しのまま一応の納得を示してくれた。

 

「だが、岡村には気を張っておけ」

「なんで?」

「吸血鬼かもしれないからだ」

「いや……だから」

「家族なのだから当然だ」

 

 その物言いに不服な印象を抱いていると、和法は私の心のうちを確かに見抜いた。

 

「そこまで嫌なら、次に狙うべきは蘿蔔たちだ」

 

 心臓が強く跳ねたのを隠しながら私は訊ねる。

 

「どうして? 危険度でいえば、まだ他にも……それこそ少し遠いけれどススキだって」

「確かに話を聞く限り、その吸血鬼が野蛮なのは分かる。だが、お前が作ったリストも今回ばかりは無視する。今までは吼月くんの生活圏内にいなかったのもあって後回しにしていたが、重なり始めたら殺しておくべきだ」

「……そう」

 

 そして、最後に彼はいつも通りにこう言った。

 

「これまで通り、よろしく頼むぞ–––––カオリ」

 

 和法は、仮面の奥にある私のカオを力強く見つめていた。

 酷く、酷く重たい鉛が身体の中で蠢き続ける。

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