よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第九十七夜「抱き枕」

「ふー」

 

 バタン!と勢いよく全身を投げ出せば、必死に俺たちを支えようとベッドが軋む音を立てる。ベッドは吼月ショウ()とハツカ、二人分の重みもしっかりと受け止めると、仕返しと言わんばかりにふかふかのマッドレスが押し返してくる。優しい感触が全身から力を奪っていく。

 

「楽しかったね」

 

 そうだねぇ––––と、僕は頷いた。

 今は帰宅後である。もちろんハツカの家で、その中の僕の部屋だ。壁にかけられた時計を見ると、なんともう夜の2時過ぎになっていた。ゲームで遊んで遅くなったというのもあるけれど、より大きな理由はコウ達にあった。

 形式的にお仕置きを終わらせたあと、中々報告しない時葉のもとへ合流しに向かった。居間に繋がるドアを小さく開けて、覗き込んでいた時葉と一緒に中を見ることになったのだが––––

 

「めちゃくちゃ甘えてたね」

「ねー。どっちも可愛かったなぁ」

 

 小さな布団の上で寄り添っていたふたりのことを思い出して、ハツカは露骨に頬を緩めながら法悦に浸る。流石に破顔しすぎだと思うが、彼がうっとりしてしまうのも理解できた。

 腕を回して全身が密着するレベルなのは言わずもがな、寝返りもふたりで一緒にうってゴロゴロとしていた。もし、遠目でみたらまぐわいにしか見えんだろう。

 

「これまぁ、あれだな。そのまま付き合えよ!てやつだな」

「あり得なくはないね。七草さんって情緒が中学生くらいだし、夜守くんが好きになってる頃には逆に彼女も堕ちてるかも。吸血鬼としては不甲斐ない気がするけど」

「……コウはナズナさんと添い遂げるつもりだしな」

 

 それができるかはまた別の話なだけで。

 

「どうしたの?」

「いや、ナズナさんにマッサージを習おうかなって。そうしたら、僕の手でハツカを喘がされるでしょ?」

「喘ぐって言うな!」

「でも、気持ちよくなっちゃったからお仕置きを受け入れたんだろ」

「なんだよ、気持ちよくなるのがマッサージじゃないか。どうやったって僕の負けじゃないか」

「だからやったの」

 

 唇をへの字に曲げて嫌々と素振りをわざとらしく見せつけてくる。

 人として当たり前ではあるのだが、ハツカは常人よりも自分の恥ずかしいところを見られると狼狽えやすい気がする。思い返せば、山の中でドッキリに嵌った時にもかなり動揺していた。

 

「へぇ、もしかして僕が七草さんのマッサージを受けるって言い出したのが気に食わないの?」

 

 皮肉る口調でハツカは言う。

 それに対して、僕は素直に「うん」と答えた。

 

「まじで?」とハツカは少し呆れた様子だ。

 

「だって、キョウコさんの話を振るだけならゲームとか酒飲みながらで言い訳だし。マッサージなら俺だって、やってるし……別に…………ねぇ」

「ひどい嫉妬だなぁ。お仕置き有りになった途端、ノリノリでマッサージ受けさせに行ったくせに」

「自分でも分かってるから言わないでくれ」

「だったら、堂々としてなよ。夜守くんにもそう言ってきたんでしょ?」

 

 ハツカは満足気に笑っていた。

 なんだよ。

 精神的に優位になったからって、あからさまに笑うんじゃない。まるで俺の心が手に取るように分かったみたいな顔つきが腹立たしい。

 

「仕方ないな。なら、たっぷりと僕に触らせてあげよう」

 

 それだけ言って、ハツカはゴロンと寝返りを打つ。その回転は止まることなく、ついには俺の身体に乗り上げる。思わず呻き声をあげてしまう。

 

「おっ……ぐ」

「よっと」

 

 グルグル回ってハツカは俺の体の上で頬杖をつく。無邪気な微笑みのまま俺を見下ろしている。

 その姿は愛らしくて、まるで––––

 

「ほら、触っていいよ」

「……」

「なに?」

「なんか飼い主の腹でグータラしてる猫みたい」

「……」

 

 暖かい瞳が、冷凍庫で何時間も冷やしたアイスピックのような眼に様変わりする。

 ハツカは頬杖をつく腕とは逆の手を、自身の背後に伸ばした。何かをイジっていると分かるのは、ガサガサと押し潰されて『痛い!』と泣き寝入りしている太腿のおかげだ。

 その痛みが落ち着くのと、ハツカが声をかけてきたのは同時だった。

 

「ショウくん、両手を頭の後ろで合わせて」

 

 文句を受け付けない眼に従って後ろ手で組むと、ハツカが引っ張ってきたのは先ほどまで履いていたニーハイストッキングだ。

 鼻歌を刻みながらストッキングを俺の後ろに持っていき–––––ガッチリと両手を拘束してきた。力を込めても千切れないし、手の甲同士を合わせた姿なので腕時計のスイッチすら押せない。

 それに大した重量をないはずなのに、とても重い。

 

「なんで?」

「甘えさせてくれるって言ってたよね」

「うん……いや、これ……?」

 

 甘やかすのには異論はないのだが、今の俺はただ殴られるだけのサンドバッグではなかろうか。

 思いもよらぬ現状に当惑しているとハツカは言う。

 

「最近キミ、調子乗ってるよ」

 

 女王様としては、やられっぱなしなのが癪なのだろう。その反骨心こそ、ご主人たらしめるもの。

 けれど、今回ばかりはお門違いだ。

 

「それはハツカが賭けに乗って負けるからでは。第一、負けるの分かってて受けるのはハツカがやられたいだけじゃないの?」

 

 その煽りに答えるなくハツカは俺から降りて歩き始めると、棚の引き出しからガムテープを持ち出した。

 何をされるのかは想像通りだ。

 

「災いは閉まっておきましょうね」

「図星を突かれたら実力行使は狡いぞ!?」

「ご主人様に楯突く犬は調教のお時間でーす」

 

 伸ばしたテープが口を塞ぐ。強制的に酸素の供給口が鼻だけになって、胸の浮き沈みが多くなる。

 

「今日……僕は思ったんだよね。気持ちいいって苦しいと同時にやってるって。吸血もそうだろ?」

 

 独りごちるハツカにとりあえず同意するように頷いた。

 

「それとね、前々から僕は不満があったんだ。キミは吸血される時に痛気持ちいいと楽しんだ顔をしてるのかもしれないけど、僕はそれが見れない。ご褒美としても、罰としても、せっかくやってもキミの顔が楽しめないことが心苦しい」

 

 歌うように喋るハツカは、手を蠢かす。指の一本一本がハッキリとした自我を持っている。

 

「だから、キミの苦しみながら笑ってる顔……たっぷり見せてね」

 

 首を横に何度も何度も振る。

 が、内心はそうでもなかった。相手のわがまま(甘え)を時には受け入れてやるのは大事なことだと思ったし、その関係はいつもと変わらない僕が望んだもんだったから。

 

「ダメだよ。イヤイヤ言っても、全身が壊れるくらい虐めてあげるね」

 

 気味が悪い動きをする手が服の下を潜り始めて–––––

 

 

 くぐもった声が室内に溢れ出していく。

 

 

 

 

 

 

 お仕置きは1時間近くかけて完了した。

 

「……」

 

「ストッキングを履いていない足と履いた足だと、勿論触り心地も違うけど蒸れ具合が違うよね。つまり、匂いが濃くなる。キミはどっちが好きだい?」

「…………」

「て、喋れないか」

 

 脇や横腹、足の裏など神経が密集するところが気持ちいいという定説に従って指を這わせると、ものの見事にショウくんは身悶えた。

 笑い死ぬのは嘘ではなく、呼吸ができずに本当に死ぬらしい。くすぐりという凶器を1時間近く受け続けたこともあって、彼は過呼吸気味だ。僕の足の裏に休む間もなく息がかかる。

 なぜ、足の裏に息がかかるのかって?

 ショウくんの顔を足置きにしてるからだよ。

 

「さて、そろそろかな」

 

 僕はゆっくりと足を下ろすと、ショウくんの胸に馬乗りになる形を取った。

 唇が引きちぎれるのではと、自分でも思うほどガムテープを勢いよく剥がす。ビリビリと音を立てる。彼の口周りにはくっきりとテープの跡がついていて、テープにはべっとりと唾液がついている。

「汚いな」と鼻で笑いながら、テープを落とす。真っ赤に色めき立つ顔にテープが触れる。そして、それをまた拾い上げて、また落とすを繰り返す。

 

「はぁ……はぁ……ハツカぁごめんなさぁぃ……」

「う〜〜ん、何も言えないねぇ」

 

 自分の唾液がついた汚らしいテープを何度も顔に落とされても文句の一つすら言わないショウくん。それどころか謝罪まで口にしている。両眼を腫らして涙ぐみながら、鼻と口をフル活用して肺に空気を取り入れようと頑張っている。

 

「こんなにくすぐりが弱かったんだね」

 

 僕を椅子にして、尻を叩いていた彼が。

 血を餌にして、僕の綺麗な鼻を弄んでいた彼が。

 僕を辱めることに喜びを覚え、調子に乗り始めた彼が。

 僕の下でみっともなく草臥れている。

 その姿がとても僕の心を刺激して、腹の下あたりがどんどん熱を持ってくるのが分かる。

 

「やっぱり僕好みの顔がぐちゃぐちゃになるのを見るのは楽しいなぁ」

 

 顔写真を一枚スマホに納める。

 

「……ウィッグを被せたままだから女にしか見えないな。もう少し崩すか」

 

 ぐちゃぐちゃと頭をかき乱して、絶妙に女とも男とも見える状態にしてからもう一枚。せっかくだからピースポーズを取らせたが、やはりショウくんは抵抗しなかった。

 だらしない顔写真は、そのまま僕の待ち受けになっていく。

 彼だって僕の生き恥をずっと持ち歩いてるのだからおあいこだ。

 

「…………」

 

 満足し切ると、潮が引くように僕は正気に戻った。

 自然と両手が顔を覆っていく。

 

–––––やってしまった!!

 

 本当は甘え上手なところを見せて、僕のキュートな一面を披露する予定だったのに!!

 僕としてはこの結果に満足してしまっているのがなんとも腹立たしい。朝令暮改とでもいうのか。やりたいことを優先してしまった結果である。

 

「おーい、大丈夫かい?」

「ひゃ……ゃぃ……」

「これはダメみたいだね」

 

 マトモに受け答えも出来ていないのを見るに、元に戻るにはそれなりの時間が必要だろう。

 両手を縛っていたストッキングを外して、僕はベッドの外に飛び出た。着地した右足でくるりと半回転して、ぐったりと倒れているショウくんを見る。

 

「抱き枕にちょうど良さそう」

 

 スマホの時計を見ると、3時を回っている。

 陽が出るのは大体6時過ぎだし、もうそろそろ入浴してもいいかもしれない。

 

「ショウくんが落ち着くまで時間もあるし」

 

 足元に追いやっていた掛け布団をショウくんに被せてから、部屋を出ることにする。

 通路に出てドアを閉めたところで、ふと言葉が漏れる。

 

「僕が甘えたら、あの子どう思うだろうなぁ」

 

 そうはいっても、可愛らしく振る舞う自分くらいしか思い浮かばない。

 通路を歩いて、『ハツカ様!』『ハツカ様!』と短い道中で顔を出してきた久利原や宇津木を侍らせながら脱衣所に入る。正面には姿見が置いてあった。そこにはきっと女の子な自分が映っている。

 

「……」

 

 ギュッと服を握って、勢いよく脱ぎ去る。

 

「無理かな。僕に弱みってないし」

 

 両手を塞ぐように乗る服は、大した重量をないはずなのにとても重い。

 僕は捨て去るように籠の中に放った。

 

 

 

 

 地獄のようなくすぐりから解放されて、暫くしてようやく呼吸が整ってきた。

 

「まさか……ここまで弱いとは」

 

 吐き気がするとか、体調を崩すようなことはないけれど、かなり体力を持っていかれてしまった。明日学校だし、そろそろ寝ないとまた寝落ちしてしまいそうだ。

 けれどそれより先に……スマホを取り出して、「いま話せるか?」という手短なメッセージを送る。

 数分すると、ピコリン、明るい電子音がスマホから響く。表示されたメッセージも「いいぞ」という簡素な返事であった。

 コール音を鳴らしながらスピーカーを耳にあたる。スマホの奥からカラカラと回るタイヤの音が聞こえてきた。きっと自転車かなにかでも手押ししているのだろう。

 

「夜分遅くに悪いな、マヒル」

 

 俺が電話をかけたのは夕マヒルである。タイヤの音を掻き消して、聞こえてくるのは疲れを見せない元気な少年の声。

 

『いいよ。ちょうどキクさんとも別れたタイミングだったし。』

「そうなのか?」

『毎日俺と遊ぶだけって訳にもいかないからさ。ほら、吸血鬼だから昼間は働かないし』

「へぇ、星見キクは働くタイプだったのか」

 

 七草さんもそうだが、教師であるニコ先生やメイド定員のミドリさんなど、俺が知り合った吸血鬼も大体働いている。ただ例外的にハツカのような吸血鬼もいる。少なくとも50人はいるであろう眷属の存在から考えても、星見キクが上手く使えば献金だけでずっと暮らせていけそうだが、自分の手足で稼いでいるあたり、本当に眷属とは付き合いがないのか。

 

『なんか息荒いけどどうした』

「ちょっと運動してただけだ」

『そうか。それで何かようか?』

「応野たちからマヒルとの間を取り持って欲しいと言われた」

『……はあ…………』

 

 単刀直入に告げると、マヒルは不快そうなため息を露骨に溢してみせた。

 

「罠張ってお前を誘き出すことも考えたんだがな。流石に後味悪いだろ」

『やられてたら絶対に縁切ってたわ』

 

 やらなくて良かった、と思いながらベッドから立ち上がり、俺は窓を開けて風通しを良くする。網戸の隙間を縫って吹く風がカーテンを揺らす。熱くなっていた身体も、冬へと足を進める風を浴びて落ち着いてくる。

 

「俺としてはマヒルにもいい機会だと思ってな」

『別に俺は会いたくないぞ。今更だし』

「そう、今更だ。しかし、お互いに溜まった毒を出しておくに越したことはない」

『毒……? 恨みつらみってことか? まあ、言えてない文句の一つや二つはあるけどさ』

 

 マヒルの中にある毒があって、胸の中に溜め込まれたままだ。それは応野たちも同様で、双方に吐き出して置いたほうがいい毒というものがある。

 

「応野たちはマヒルを都合よく見ていたことへの後ろめたさもあるけど、悪口を言ったっきりで関係を絶ったお前が気に食わないと思ってる」

『相変わらず調子のいい連中だな』

「まったくだ。でも、これはマヒルにとっても都合がいい」

『俺にメリットあるか?』

「吸血鬼になる以上、ネックになってくるのは自分の身の回り……周りにいる人たちの記憶だ。聞いたところによると、あっくんさんも知り合い経由で探偵さんに依頼が来たみたいだしな」

 

 全ての探偵や警察がそうだとは限らないが、身の回りにふたりも吸血鬼殺しがいると、やはり不安要素は減らしておいた方がいいだろう。

 

「だから、一度関係をリセットする必要がある。吸血鬼になったあとどうするか知らないが、妙に関心を持たれたまま消えたあとに、誰かが不審がって警察なり探偵さんのような人に捜索を依頼したら面倒だろ」

『こっちが捨てるんだから放ってくれたらいいんだけどな……』

「縁とはそういうものだ。二本の紐が螺旋を描いて繋がっている。片方が消えても、無くなることはない」

『なんかカッコいいこと言うな』

「俺だからな」

 

 冗談めかしに言いながら、俺は続ける。

 

「危険の芽を摘んでおくに越したことはない。星見キクのためにもな」

「……キクさんに迷惑はかけられないからな」

 

 乗らせるために誘導したとはいえ、やはり星見キクのためなら踏み出せるか。これも厄介だな。

 

『ショウからの提案になるとして……いつアイツらと会えばいいんだ?』

「お前が次に学校来る時でいいぞ。登校前に教えてくれれば」

『なら、今日でいい。放課後でも構わないだろ? 誘ってるのはアイツらなんだから、こっちの要求ぐらい呑ませられるよな。人目につかないために朝にしろって言われても俺は行かないからな』

「分かった。放課後の生徒会室にでも場を作る形で呑ませるよ」

 

 それくらいであれば特に問題なく進められる。

 

「そういえば縁で言えば、親とかはどうなんだ? すぐに切れるか?」

『……そっちは大丈夫』

「わざわざ出てくれてありがとな。また……」

 

 言葉の節々に更に重りが乗ったようなくぶりが、俺にはまるで警告音にすら聞こえた。

 ひとまず話すべきことは伝え終えたから、こちらとしては電話を続ける理由もない。マヒルだって、こんな夜遅くに嫌な奴らの話を持ち出されて、口が重くなるぐらい気が滅入っている。

 早々に切り上げよう。

 

『ちょっと待って。あともう少しで家に着くからそれまで話そうぜ』

「……そうか。じゃあそっちは話題あるのか?」

『キクさんが可愛い』

「いつものじゃねえか」

 

 思いもよらなかった返しに頭を悩ませていると、考えていたことを訊ねてみることにした。

 

「運命の出会いとかってあると思うか?」

『あるよ』

 

 自分でも分かるほど突拍子もない問いかけだったが、マヒルは困惑する間を置くことすらなく肯定してみせた。

 

「断言するんだ」

『俺がキクさんと出会ったのが運命だからな』

 

 言い切るマヒルの声には、先ほどまでとは違い活力が漲っている。好きな相手の話になるとトーンが一つ上がると言うのは本当のことらしい。

 マヒルはその明るい声で疑問を電波に乗せる。

 

『でも、いきなりどうしたんだ?』

「今日、コウ達と遊んでな。気になったんだ。俺たちが眷属になったとして、好きだった感情もその理由も忘れて親子の関係になっていくだろ? 親離れして、もう一度出会った時に好きになるのかな。もし、親の方も好きになってしまったとして、恋慕を向けられたとしても理由を覚えてなかったらチグハグな違和感に苛まれないかなって」

 

 どこか言い訳のような長ったらしい語りにマヒルは口を挟まずに耳を傾けてくれる。

 俺はマヒルの答えを待つ。

 電話の向こうの彼は自分の考えを吟味するように、暫く時間をおいて……話し始める。

 

『記憶がなくなるのは嫌だけど、自分であることに変わりはないんだ。アキラが好きだった事実さえ残っていればいいって言ってただろ。縁さえ残ってれば、恋に結び直すことだって出来るよ』

「運命の出会い直しか」

『そうそう』

「……もし、好きだった事実すら消えたら?」

 

 身も蓋もないことを口にしてみる。

 しかし、マヒルの答えはシンプルだった。

 

『きっと花でも見たら思い出すんじゃないか』

「そうだな。それがマヒル達の縁だったな」

 

 そこからはコウたちについて話題を移して、ひとときを過ごした。大体20分くらいだっただろうか。それだけの時間、風に当たりながら話していると、ふと微かに聞こえていたタイヤが地面を転がる音が止んだ。

 

『暇つぶしに付き合ってくれてありがとな』

「こっちこそありがとな」

 

 そうして、電話を切ったのはお互いに同タイミングだった。

 

絶対(運命)って言い切れる奴ってカッコいいよなぁ……」

 

 窓を閉めようと手を伸ばすと、最後に一際強く涼しい夜風が乱れたウィッグを撫でて床に落とした。窓を閉めたあと、変装が解けた自分の姿を部屋の隅に置かれた鏡の中で見つめる。

 服も髪も、その組み合わせもぐちゃぐちゃで、過去を示す身体()すら自分には合っていないように見える。

 

「記憶がなくなるのは嫌だけど、自分であることに変わりはない……か」

 

 記憶を失う前の僕と今の自分はどれだけ差があるのだろう。

 きっと今よりろくでなしだったに違いない、と思い込みたいのは、無理やりでも自分を肯定したいからだろうか。

 もし考え通りに違う存在になっているなら、俺はきっと眷属化(転生)でのリスタートを切ってもマヒルたちのようにはなれない。

 

「はぁ……気持ちわる」

 

 夜風で微妙に乾いて肌に張り付いた肌着を、指で引っ張り空気を取り込む。

 仮眠を取る前に風呂に入ろう。

 汗をかいたまま寝るのはよろしくない。

 

 

 

 

 耳に当てたスマホから聞こえる友達の声を聴きながら、団地の敷地内に商店街が広がるような道のりを進む。

 電話を切ると目前に『フラワーショップ』とデカデカと書かれた看板が見える。そこが夕 マヒル()の親が営んでいる花屋だ。駐輪場に自転車を停めてから、伝票を置くために合鍵を使って店に入っていく。

 花屋は18時には閉店するのだが、夜中に開く店のために配達をしている。生活の一部として組み込まれているこの時間を利用して、俺はキクさんに会っているのである。

 店内に戻れば息ひとつない花だけの空間が広がる。いつもは嫌気がさすほど鮮やかな花弁たちも、殆ど闇に取り込まれて色を無くしている。いい気味だ。花なんて無くなってしまえといつも思っている。それは家族でも変わらない。

 ただ最近は夜中、外にいることが多いから目が慣れてきて薄っすらとだが色味も分かるようになってきてしまった。

 微かに見える花達の輪郭が形成する道を歩いていく。

 

「……あ」

 

 服の袖が豆のように小ぶりな花弁に触れた。視線がそこへ振れて、釘留にされる。目だけじゃなく、舞い散る香りが他の感覚まで自分を意識させようと力強く引っ張ってくる。

 その花は俺が唯一好きな花だった。ハーデンベルギア。淡い紫色の花が株を覆うようにして連なった姿は、まとまってみると迫力というか見応えがある。

 そして、花言葉は『運命的な出会い』だ。

 

 

 

 俺は……キクさんさえ居てくれれば、それでいい。

 この強い想いはキクさんも受け止めてくれている。

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