珍しい。
そう思ったのは、ホテルのベッドに横たわりながら、茜色が群青色に染め上げられているのを見ていた時だった。プルル……プルル……。ドレッサーデスクに置いていたスマホが震える音がして、身体を起こして取りに行った。
表示されていた名前は、マヒルくん。
私の眷属確定の可愛い男の子。
「電話なんて初めてかしら」
やり取りは基本的にラインでのメッセージ。話そうと思うなら、日課を終えた彼といつもの店で会うだけでよかったし、祭り事で外を出歩く時もこうした真新しい機械を介した声の送受信はしなかった。
マヒルくんが嫌々やっている花の配達のご褒美として、最後に私の元に来ることは割と愉悦があって好みだ。
物珍しさもあってスマホに耳を傾けてみると、どうやら彼の友人と会って欲しいというのだ。私は、別に良いよ、と快く返事をした。何やら暗い声をしたマヒルくんの事が気がかりだった–––吸血鬼としての好感度稼ぎかもしれない–––のと、会わせたい子がどんな子なのか気になったからだ。
どちらも実益に伴うものだった。
本能か、理性かの違いはあるけれど。
そうして夜もすっかり更けた頃に、小森の街にある大きめの駅のロータリーでマヒルくんを見つける。彼もこちらを見つけたようで駆け足で向かってくる。
「こんばんは、キクさん」
「こんばんは。それじゃ、行こっか」
マヒルくんは頷いて、私を導くように歩いていく。しかし、キチンと私の歩幅を気にして、たどたどしい中に確かな気遣いを感じる。子供を狙うことは今までなかった気がするけれど、想像より良いものだと私は思った。
例えば、
「手、繋がない?」
そう訊ねてみれば、少し照れた顔をしながらコクリと頷いて、手を絡めてくる。私も指と指を結い付けるようにして、マヒルくんの体温を感じる。
その手はとても暖かい手だった。
人並みの温もりが羨ましい。
「……?」
ふと、鼻腔を擽る知らない香りがした。
「………」
けれど、その不快さは一旦傍に追いやる。
いつもなら年相応な愛らしさを持った微笑みや熱が弱いことを感じ取ったからだ。人の機微に敏感なのは吸血鬼の利点でもあり、欠点でもある。
「どうしたの?」
「え、いや……その……」
悩みの種がこれから会う友達なのは察しがついた。
吼月ショウ–––私と会いたいと申し出て来た男の子のこと。最近、時々マヒルくんの口から出る少年。
「会うのが嫌なの?」
翳りの正体を言い当てられたマヒルくんは少し心が騒ついて、私を見ていた視線を地面に落とした。
「そういうわけじゃないんですけど……ソイツとどう向かい合えば良いのか分からなくて」
「なんか聞きたくなかった秘密とか聞いちゃった?」
「……まあ、そんな所です」
「良かったら、私にも教えてくれないかな」
「流石にそれは……」
「もしかしたら妙案を思いつくかもしれないし」
「……俺が話していいのか分からないです」
友人の秘密を言うまいと、街灯の光が生み出した目元の暗さを首を振って私から遠ざけた。
––––そっちを取るんだ。
どうやら吼月ショウなる少年の秘密を口外することは、マヒルくんにとっても大きな負担になるようだ。それも私という存在に打ち明ける安心よりも辛いもの。
再び鼻腔を擽る他人の匂いがしてくる。
押してダメなら今日は引こう。仕方ないと見切りをつけて、私は周囲を見渡す。駅から離れたこともあって、灯りも少なくて静かになった街は人通りなどなくて、寂しい気持ちになってくる。オフィスビルなどが少し遠くに見える。
あそこには人がまだ沢山いるのだろうか。
「そういえば、その子って団地住みなんだよね。だったら、夜守くんと会った時みたいに公園じゃダメだったの?」
「なんかあの周りはダメらしくて……」
「そう、事情があってね。不埒な輩がいるかもしれない場所に誘うのは不味いと思ったんだ」
「そんな理由があって……え?」
話の接ぎ穂が一度奪われて、ようやく振り向いた。
まるでこの瞬間に地に降り立ったかのように、携えた黒髪とモノクロのスカートをふんわりと膨らませる。安定した立ち姿は芯が通った肉体を見せつけるかのようで、真っ直ぐ私を見つめていた。
中性的、いや、十分に女の子らしい微笑みも一緒だ。
「……マヒルくん?」
「ち、違いますの!?」
「なんで女口調になってるの……?」
けれど、露骨に狼狽えてしまうほど彼にも予想外な事なのは理解できた。
不可解と言えばそうだが、目の前の少女の親吸血鬼が
「ショウ……? ショウだよなその声、お前なんでそんな格好してんだよ!?」
「シィ……夜だぜ? 騒々しさは御法度だよ」
驚きをそのままに問いかけるマヒルくんを、吼月くんはどっちつかずの顔つきで制止する。
「初めまして、星見キクさん」
「こちらこそ初めまして」
伸ばされた手を掴めば、その温もりは人のそれだ。向けられた笑顔も好意的で不快感はない。なによりマヒルくんに染みついた不埒者の匂いは彼のものではない。
けれど薄寒くて、微笑みを保つのが億劫になってくる。年の功というべきか。
半ば睨み合いの体になった握手が終わると、両手を後ろで組みながら続け様に吼月くんは言う。
「話は変わるんだけど、マヒル」
「なんだよ?」
「夜の学校でアキラを襲った吸血鬼いただろ」
「……? あの階段の九つ目の人か」
私とマヒルくん、双方を視界に入れながら、
「アイツはこの女の眷属だよ」
「え」
言い切った瞬間、真っ黒な瞳と銀色の光が閃いた。
なんだろう。
匂いが濃いとはまた別な気がする。
☆
星見キク––––カオリが『最低だ』と断言した女。
出身不明、年齢不詳、見た所二十代半ばといったところ。笑顔ならもっと若く思える。そんな彼女は数十、数百と数え切れないほどの眷属を作りながら、自ら子とした者を放置して二度と姿を見せない。
多くの眷属を作るので種族繁栄には役立っているが、親としての責任を果たすことなく消えるから問題の種をばら撒き続ける厄介者としての側面の方が大きそうだ。
現に、キョウコさんの家族は彼女のせいで崩壊した。
それを促すポリシーや思想は分からない。
でも眷属候補に愛着がないという線は捨ててよさそうだ。
「お、おい……ショウ、何のつもりだよ」
「……」
マヒルの喉元に迫った、丸みを帯びたバターナイフの切先が拳ひとつ分前で止まっている。理由は簡単。俺とマヒルの間に割って入った星見キクが、右手を掴んで阻止したからだ。
動揺したマヒルは腰を抜かしながら後退り、星見キクも額に汗が滲み出す。
必要な演出はやり終えたことを確認した俺は、右手からナイフを零す。乾いた鉄の音が虚しく響く。
「合格点だね。俺の首を刎ねるくらいの殺気は見せてくれたほうが良かったが」
「……あなた、なんなの?」
「なんなの? と言われても、うーん……星見キクの眷属として放置された奴らが、マヒルを狙うシチュエーションを想定してみただけだけど」
「だから!そのキクさんの眷属だとか俺を殺すだとかいきなり訳の分からないことを」
「マヒルからの罰も後で受ける。それより先にマヒルには、話してほしい相手がある」
夜の静かさを裂くようなマヒルの怒号を受け止めながら、来訪者の足跡に耳を傾けて、視線を移した。その視線を追うようにして、星見キクとマヒルが続く。
「ショウ!!」
「キミ、大丈夫––––!?」
血相を変えて空から急降下してきたのはハツカと、伊達メガネをかけた青年、白山和樹だった。ハツカは星見キクを守るようにして俺を引き剥がし、白山は今にも倒れそうなマヒルの背中をさする。
「……だれ?」
白山を初めて見るマヒルの吐露は当然のものだ。
「その人は白山和樹。星見キクの眷属のひとりだよ」
「え」
目を丸くしたマヒルの視線を苦々しい表情で頷いてから、星見キクを見据えながら言う。
「お久しぶりです。星見さん」
「そうね。久しぶり、白山くん」
「……」
特に変哲もない返事だった。善し悪しなど測る必要もない普通のやりとり。それが白山の目元が暗くした気がする。街灯の当たり方とかとはまた違くて、虚しさのような物が感じられた。
けれど白山はすぐに顔を上げて、マヒルに呟いた。
「キミと話があるんだ。時間もらっていいかな?」
「……」
「大丈夫。あのクズのことは蘿蔔さんが抑え込んでくれるから」
怒りに震えた白山の声に、ハツカは俺を押さえつける力を強めて答えてみせた。そばの家を囲うレンガ状の石垣に首を絞めるような形で抑えられた。
やった事に対しての罰がこれくらいなら安いものだろう。
「……分かりました」
マヒルは肯首して、白山に連れられて姿を消していく。
消える直前に白山は。
「やりたいことはわかるけど、友達を容易く傷つけられる奴は碌なことにならないぞ」
「ご忠告どうも」
星見キク以上に恨みを込めた瞳で俺を見ていた。
ふむ。これなら過去を思い出しても、ある程度今の
それはマヒルも同じことだ。
にしても、友達ね。
☆
バチン、と何かを引っ叩いた音が後ろの夜景が俺に耳に届いてくるが、そんなものはどうでもよかった。
アキラを襲った吸血鬼がキクさんの眷属?
目の前で歩いている人もキクさんの眷属?
「…………」
「大丈夫、じゃないよな」
「俺、なんか嫌われるようなことでもしたのかな」
確かにアイツの家の事情を盗み聞いた。
けれどそれはショウ自身が否定している。俺が本当だと思っているのは、あくまで倉賀野が『メリットがある』と言ったから。同胞と言えばいいのか、似た境遇がそばに居るんだと思った。
なぜ倉賀野が知ってるかはこの際捨てておくとして、俺が聞いたことはショウは知らないはずだ。
ねえ、なんで俺はお前に殺されかけたんだ。
「言わんこっちゃない」
沈んでいた頭をなんとか持ち上げると、前を歩いていた……えっと白山さんというキクさんの眷属らしい人が心配そうにこちらを覗き込んでいた。
「はあぁ。アイツ、いつもあんなんなの? やめときなよ。あんな奴と関わるの」
「いえ、その……」
いつも……いつもか。
「どうなんでしょう」
俺の呟きに、疑いの目で白山さんは見てくる。
「どうって、キミたち友達じゃないの?」
「友達です。ショウもそう言ってくれてます。でも俺、ショウのことなにも知らないんです。友達になったのも、つい一ヶ月前で……話すこともキクさんの話ばかりで、ショウの話しはまったく……でも俺の話をいつも楽しそうに聞いてくれてて……」
ショウは俺の話をどんな気持ちで聴いてたんだ。
騙されてる愚かな奴とでと思っていたのだろうか。
「ああ、なるほど。……キミもエマさんや奏斗くん達と同じなのか」
誰だよ。
俺の知らない間にショウはドンドンと吸血鬼や人間との輪を広げていることだけは分かった。俺はその人達と何が同じなんだろう。その人達はショウにとってどんな人達なんだ。
「マジで士季さん達が言ってたとおりなのかアイツ……」
呆れた調子でズレた眼鏡を押し上げて整える。
「この際、あとで本人にぶちまけた方がいいだろうな。アイツの場合、逃げも隠れもしないだろうし」
そう言い捨てた白山さんは、今度は言い出しづらそうに口をまごつかせながら話の接ぎ穂を渡してくる。
「俺に聞きたいことはないか。キクさんについて……とか」
ショウが襲ってきたのはキクさんが原因らしいのは口々に言っていた。
あのキクさんがいったい何をしたというんだ。あの大人びて争い事とは無縁の女性の悪事なんて、俺には全く想像がつかなかった。
「ショウが言っていたことは本当なんですか。俺の親友を襲った吸血鬼がキクさんの眷族だってことも、恨まれてキクさんのかわりに俺が襲われるかもしれないってことも」
「……そうだ。星見さんが好きなキミには辛い現実だろうが、よく聴いて欲しい」
白山さんはなるべく言葉を選びながら、キクさんがしてきたことを並べた。
キクさんには数え切れないほどの眷属がいて、その全てが眷属になった途端捨てられ路頭に迷うことになる。その人だけの人生だけでなく、関わりがあった周りの人達の人生ごと崩壊させてきた。
それがキクさんだと。
そのひとりが、あの七つの怪談の九つめである教師。
「もし出会い方が違えば、襲われていたのはキミだったかもしれないな。星見さんと違って、キミはまだ殺せる」
先ほど煌めいた銀色の光に覚えた恐怖が心の中で騒つく。
「……俺が」
きっと顛末は変わらない。アキラが教師を引き剥がそうとして、コウが椅子で殴りつけて俺を助けてくれて、あの吸血鬼殺しの探偵が教師を殺してくれていた。
でももし殺される当事者になったとして、俺は今のようにキクさんを好きになったままでいられたのだろうか。ショウに殺されかけた瞬間の恐怖。怖い。あんなモノは味わいたくない。
それでも、そのせいで、キクさんを拒絶していた未来もあったのかもしれないと思うと、俺は––––うん。
自然とズボンのポケットの中に入れていた、ショウがくれた護身用のスタンガンを握っていた。
「そして……俺もそのうちのひとり、らしい」
「らしい?」
「その時の悲しみも恋心も……あの瞬間、星見さんがどんな人だったかも、今は忘れたからな。イマイチ実感がなくて、ただあの人は気に食わないなって……そう思ってる。俺、確かなあの人には和樹くんって呼ばれてたはずなんだよな……って」
眷属になることは吸血鬼へ転生することだ。
蘿蔔さんからの又聞きではあるけれど、その影響で人間だった頃の記憶はなくなる。さらに人間の頃の私物は吸血鬼の命を奪う凶器になる。
だから、人間の頃に抱いていたキクさんへの思いは全部消えて、その代わりに、
「白山さんは恨んでないんですか」
「恨んではない。今はなんやかんや仲間といえる人達がいて、楽しくやっていけてるからさ。……でも、ひとりぼっちのままだったら恨んでたと思う。つまり、俺は運が良かったんだよ」
ひとりなら、恨んでた。
だったら俺にそんな未来は訪れないということだろうか。
「ショウは、俺に別れてほしいんでしょうか」
答えを尋ねるように、そして逃げるように俺は白山さんに訊ねた。白山さんは頭を掻きながら不満気な口調で言う。
「……あんなことされて信じにくいとは思うけど、多分そのつもりはないんじゃないかな。別れて欲しいならわざわざ星見さんを試すようなことはしないよ」
「キクさんを試す? そういえばアイツ、合格点だとかなんとか」
「きっと星見さんがキミを守るか確かめたかったんじゃないかな。もし守らなかったら、どうにかして発破かけたりとか。それに人間のままだったし」
それは答えのようで、憶測混じりなものだった。
俺は首を傾げながら問いかける。
「知らなかったんですか?」
「こんな事やるって分かってたら普通は止めるだろ」
「ハハハ……確かに」
となると、ショウの独断専行で蘿蔔さんや白山さんは何も関係ないのか。なんて間抜けなことを考えながら、あの行いを善い物として実行したショウに恐怖を感じてしまう。
倉賀野がショウを悪く言っていたのは、こうした一面を知っていたからだろうか。
……そうなると、彼女は今の自分と似ているようにも思えてくる。
「それじゃあ、最後にあの馬鹿から託された問いだ」
そう言って、白山さんは俺を真っ直ぐ見据えてくる。
視線に刺され、俺の背筋が伸び気持ちまで真正面を向いている。
「ここまでの話を聞いて、キミはまだキクさんが好きかい?」
「俺は……」
うん。
胸張って言ってやっていいと思う。
「さっき、キクさんを拒絶した未来を考えたとき、悲しいと思いました。キクさんに捨てられるかもしれないと思うと怖いけど、誰かに殺されるのも怖いけど、悲しいよりはずっと良い」
それを聞いた白山さんは微笑みながら、『そうか』と頷いた。
「強いね、キミは」
「いや〜……話が渋滞しすぎてこんがらがってるだけかもしれませんね」
「いきなりこんなこと言われても脳が理解できないよな」
お互いに笑いながらもう一度歩き出す。
「もう少し話をしよう。どうせあっちは長くなる」
「……キクさんとショウ、大丈夫でしょうか」
「あんなのも心配するなんて、いい子だね」
「あんなのでも俺が友達になって欲しいと思った相手ですから。凄いやつではあるんですよ」
「色んな意味でな」
歪みがあるのは、俺も同じだから。
もしかしたら、同じ場所から歪んでるのかな。
俺にはお前のことがわからない。なんでもいいから、一言、欲しかったよ。
今回の話はかなり好き嫌いが分かれると思います。
もしよろしければご意見を聞かせてください。