血が襲いかかってきた。
それは血に濡れた少年の足だったわけだが、人間の攻撃なんて吸血鬼からしたら無意味に等しい。スリ抜けしまえば終わり。自分のせいで
だというのに……!
「アッ、あぁ……っ!」
なぜ私は自分の腹を抱えながら床に倒れ伏しているのだろうか。
あり得ない一撃が腹部を見事に撃ち抜いて、胴を押し潰し、内臓を一瞬ペシャンコにしてみせた。比喩ではない。それだけの重さが宿った一撃は、昔見た破城槌を思い出させた。強引に開け放たれた門もこれほどの痛みを感じていたのかもしれない。最もダメージの逃げ場がなかった私の方がもっと苦しんでいるのは間違いない。
割れたガラスが視界に映る。私を受け止めて、耐えきれずに割れた窓。受け止めきれずにはしゃげた雨戸。ギザギザと視界を縁取りをながら怒っている。
「ハツカは返してもらったぞ」
吼月ショウが蘿蔔さんを両腕に抱え、床からそっと寝心地の良さそうなソファに移した。
本当に腹立たしい。
吼月が振り返る。満たされた黒い瞳が私を見つめていた。
「……」
「……」
私と蘿蔔さんの間に立つようにして近づいてくる吼月は無言。睨みつけているが、吼月からは特に何かを吐き付けられるわけでもなかった。
コイツは何を思っているんだ。
私は驚愕していた。抉った腹の青痣が、切り裂いた上体が傷ひとつない状態に戻って、目の前に悠然と立っているのだから。自分を蹴り飛ばした脚も赤色ではなく、綺麗な肌色をしている。
「ソイツも返してもらう」
吼月の腕がスルリと動いた。興味があったのは、私の左手袖につけられた黒い小さな粒らしく、それを回収するとスカートのポケットに無造作に入れた。近づいた彼からは吸血鬼の気配はしなかった。
確証はないが、音声から察するに粒状の物は盗聴器の類い。
あんな小型な物が本当にあるのか。
どうして子供が持っているのか。
疑問が尽きることはないが、我が身を侵す災いの一因として確かに存在している。
あのスマホは壊さなければならない。
浴びるだけの射殺すような鋭い視線を注いでいれば、当然相手にも伝わる物ではあるが『これか?』と余裕ぶった口調と仕草でこちらに見せつけてくるのも腹立たしい。
「俺に足を舐めさせたり、マヒルを刺させようとか言っちゃったもんなあ……圧倒的優位に立たせれば油断してくれると思ったぜ。化かされてくれてサンキュー」
「このクソガキ……!」
「おっと。その口の悪さも録音されてるぜ? それにスマホを壊してもクラウドに保存されてるからどんな端末からも引き出せるし、すぐに白山へ送りつける事だってできる」
そこまで用意周到にことを運んでいたというのか。
子供のくせに可愛くない奴。蘿蔔さんが御さないのも、あの白山という吸血鬼が敵意をむき出しにしていたのも尚更納得がいく。同時にここまで壊しがいのある子をこのままにしているのか、不思議で仕方なかった。
残念なことに今のままでは手の出しようがない。
正体不明の相手に無策のまま突っかかるのは得策ではないし、無事破壊できたとしても吼月は殺さなきゃいけないから、後処理が大変なことになる。
マヒルくんがなあ……居なければやれたんだけどなぁ……
今の流れで殺すと嫌われちゃうかもだし、嫌われたくないなぁ……
「……どうしたら消してくれるの」
「消さないけど」
思わず
どうにかして条件を引き出したかった。
マヒルくんと私を別れさせる気がないのは確かだが、その上で躊躇なく事実を丸裸に晒すだろうと確信がある。
悩ましげに身体を起こしていると、吼月がおもむろに告げる。
「ただ……条件次第では誰にも伝えない」
その発言は現状において僥倖と言わざるをえないもので、内心小さくガッツポーズをしていた。
「何をすればいいのかしら」
「まずハツカに近づかない、連絡を取り合わないこと。……ハツカから連絡が来たら要件だけ答えてくれ」
「確認できるの?」
「アンタがしなければいいだけの話だろ。確認なんてする必要はない。まぁ、スマホの確認くらいなら出来なくはないけど」
……もしかして蘿蔔さんが手綱握られてるのかしら。蘿蔔さんを飼い慣らしてても不思議じゃない雰囲気というか、多分素で雁字搦めにしてそうなイメージ。
私としては願ったり叶ったりだ。
「まずってことは、まだなにかあるんでしょう?」
「次はハッキリさせておきたいことだ。葛樹
「くずき……?」
吼月は一度大きく息を吸ってから、落ち着き払った声で尋ねてきた。
イントネーションは違うけれど、音から察するに親族だろう。それももっとも親愛を注いでくれるはずの存在。
「キミの母親?」
「血縁上はな」
捨てられたの?
マトモな関係には思えず、嫌味混じりに尋ねても良かったが虎の尾を踏みたくもなかった。多少の苛立ちで最悪の結果を招くのは避けたい。
言葉なんて信じるに足り得ないという信条な私だが、それで満足するならこちらとしてはありがたい事だ。
こちらもこの状況で平然と嘘がつけるわけでもないので、一応考えることはキチンとやろうと思った。
「そうね……」
この流れで聞かれた以上、一般人ということはないだろう。吸血鬼に関わりのある人物もしくは、本人が吸血鬼。吼月が先ほど見せた力も吸血鬼由来なのだろうが、今は異様に吸血鬼の匂いが濃いだけの人間だ。不思議な奴だ。
今まで出会ったことのある
けれど、あいにく私はあまり他人との付き合いがいい方ではない。ニコちゃんからの飲み会の誘いは毎回丁重にお断りしているくらいで、自分からも他の吸血鬼に接触しようとする気にはならない。例外なのはハァちゃん……
ハァちゃんがいれば分かったかもしれない。
「残念だけど私は知らないわ。ここ数年で会った吸血鬼にもいないわ」
「眷属には?」
「おあいにくさま。私は
吼月は『やっぱりそうか』と短く返事をした。肩の荷が降りたかのように、吹っ切れた力強い視線で私を見据えてきた。
「信じるの? 言葉だけなのよ」
「信じていくしかないだろ。そういうものだ……と、俺も最近理解した」
その瞳がやはり、どうしても腹立たしい。
お前の全てを否定してやるぞ、と言わんばかりに真っ直ぐで混じりっ気のない強い黒の輝きが私の中の焦燥感を肥大化される。きっと気に入らないのは、無駄に固まった意志の強さ。
鬱陶しくて、不快感を前面に押し出して鼻を鳴らしてみせた。
「それにしても、マヒルくんのことじゃないのね。てっきりマヒルくんに優しくしろだとか、早く吸血鬼にしてやれとか言うものだとばかり」
「俺が望んでることは白山がやってる。俺の目的は、アンタらを別れさせることじゃない。マヒルが望んでいるのは、末永くアンタと一緒にいることだからな」
「……末永く、ねぇ」
薄い失笑が漏れ出てしまう。
馬鹿にしたわけではない。マヒルくんが思い描きそうな願いで、尚且つその人間らしい幸福を貶すことをこの私がするはずがない。けれど、その願いは吸血鬼にとって一番縁遠いものだということも、私は知っている。
吼月は『どうした?』と訊ねてきた。不快感などなく、ただ私のこぼした笑みが摩訶不思議に映っているのだ。
「昔、友達が言っていたことを思い出してね」
ハァちゃんが言っていた。
『不老の吸血鬼でいることに飽きたんだよ。人の命はタイムリミットがあるから努力できる。我々は怠惰だ。故に何も成し得ない。––––生きてるって実感したいのさ』みたいな諦観だ。
吸血鬼になるのは転生することか?
きっと違う。幾星霜を越えて残り続ける過去の残滓。いくら身体が死ななくても心の方はずっと消費され続けて、本来消えるはずだったタイミングを逃せば、酷い形に変わっていく。何も実感できないほどに。
「生きるということは死ぬということよ。吸血鬼にはきっと生命は宿ってない」
「無限の命は生命ではないっていう論調嫌い」
「は?」
けれど、私の憂いはたった一言で叩き切られた。
また苛立ちが込み上げてくる。
「人間であろうと、死んでるように生きてる人も沢山いるよ。たとえばアンタのせいで家族が崩壊した人は、怨讐だけに囚われて何も楽しめずにただ時が流れてる。アンタの言う、生きることに飽きながら、ね」
「……」
「というか、飽きるってなに? 生きる指針が壊れた、とかなら分かるんだけども」
「十数年ぽっちしか生きてないキミには分からないわよ」
「うむ……」
鼻頭を指でなぞりながら、今度は彼が考え込み始めた。コクコクと時間が過ぎていくのを、髪の毛から零れ落ちるガラスのかけらから感じ取る。急かすように髪からかけらを払いながら待つと、ある時吼月が一際大きな唸りをあげた。
「愉しむのを諦めたってことになるのか?」
呟きはまたも自問自答のようだった。
「あんな平成の凸凹道を何から何まで想定できる奴がいるのだろうか復活自体がイレギュラーだし続いてるのだって大概現場の人たちの努力だし我が魔王やゲンムみたいな唯一無二性を孕んだキャラが生まれることも平成キックが生まれることすら想像できなかった人たちが大半だろうし……シリーズを一度は終わらせた要因が平成から令和に繋がるための大事なファクターになるなんて昭和生まれの人たちだって思わなかったはず。まず昭和だってあの大事故がなければ––––」
学者が未知の公式を模索する時を思わせる没頭の仕方だった。小難しいことを考える子なのは分かっていたつもりだけれど、ついさっきまで一触即発の間柄だった私のことを除け者にしてしまうほどとは思わなかった。
それ以上に私が圧倒されるのは別のこと。
––––……元号でここまで熱く語れる子いる?
『平成』だとか『令和』だとか、どうして出てくるのか分からない年号たちが吼月の価値観の根底にいることだけは肌感覚で理解できた。
やっぱりおかしいよ……なんでそんな年号を私物化した言い草なの?
恐怖すら覚えてしまいかねない言葉の波に押されていると、ようやく一区切りついた彼は軽く頭を下げて両手を合わせてみせた。
「ごめん、やっぱり実感はできない」
「で、でしょうね……」
誠心誠意の謝罪に頬が引き攣る。
ホント変な子……でも、苛立ちの原因がぼんやりと霞みがかって見えてきた。
私が少し、いやかなり引きながら頷いていると吼月は言い放つ。
「だってさ、時代が巡り続けて同じ価値観だけが残るってことはあり得ないじゃん?」
屈託のない笑顔は、確信に支えられて崩れることを知らない表情。その中で黒い瞳は輝きを増している。強く、色濃く煌めいている。
ギュッと首元が締め付けられるような感覚がした。
「昔は……それこそ信長が生きた戦国時代では、ザビエルが嘆く程度には男色もそれなりに受け入れられてた。けど西洋からの思想が入ってきたことで禁止になって、今はまた開かれようとしてる」
「そうね。あっち行ったりこっち行ったり、追いつきたい物に全部倣おうとして失敗したり。右に倣えの精神も考えものよね」
「はははっ。何がしたいか、じゃなくて周りがやってるからだもんな」
「馬鹿みたいよね。ふふふっ……」
よそ様の世界観を共に笑いながら、続ける吼月の話に耳を傾ける。
「でも、右往左往しながら色々学んで、人間が変わっていったら同じものは生まれない。未知なる価値を呑み込んでいるのは自分だけじゃなくて、自分が知らないものを知った人がそれを基に作り上げ発信する。
だから、誰にも分からない未来に飽きるなんて俺は思えない。瞬間瞬間、生きていくしかない。心を活かしていくしかない。それが俺の考え方だ」
その瞳は、やはり確信に満ちていた。
彼の眼は私から外れている。遠く遠くの星を見つめるかのように上向いていて、正しく己の標となる光を強く捕らえていた。その輝きは、彼の黒い瞳を煌めかせる太陽なのだ。
この輝きが、目の前の少年に世界の見方を決める光を与えているんだ。
そうか。だから、吸血鬼が手を焼くんだ。
吸血鬼とか人間とかではなく、確固たる個がこの子の中には存在しすぎているから。
「あぁ……」
可哀想に。蘿蔔さん、貴方の優しさはこの子には意味がない。太陽が居座る世界に星々も、月すらも敵わないように軟い光では気づかれることすらない。世界の輪郭を確かに色付けるのは太陽なのだから。
微かな光は強い光に断絶される。
「……やっぱり私は貴方のことが嫌いよ」
「俺も嫌いだよ。自己犠牲だけに頼るアンタのやり方は」
声は彼の中の光を伴っている。
「だから最後の条件は、やり方に手を加える……これでどうだ」
受け入れることはできない。
長年生きてきて、唯一心に嵌った想いの伝え方を否定されるわけにはいかなかった。
だから、私は問いただした。
「相手の全てを自分のだけに捧げてほしい。この想いが間違ってるとでもいいたいの?」
「……間違ってる。ああ、そうだ。俺は間違っていると言いたいのかもな。けど違う」
口はまごついている。まるで本能から飛び出そうになるナニカに驚きながら必死に理性で
「相手の価値を証明し、捨てただけ高めてくれる。伝え方としては悪くはないと思う。それだけの価値があると思い想われてるわけだし」
「だったら」
「でも、捨てたら捨てただけ自分がなくなっていくと思うから。そこだけは絶対に否定する––––きっと好きになろうとした相手は、その
「違うわ。そんな相手だからこそ、自身の犠牲を厭わずに私のために生きてほしい」
「その方法じゃ上手くいかなかったから、まだここにいるんだろ?」
「……ハハッ」
痛いところをズケズケと突かれると同時に、皮肉めいた笑いが口からこぼれ落ちてくる。
貴方なんかに分かるわけがないと口を衝く。
「ハハッハッ……! アハハハハハッ!!自分?そんなもの無いわよ!私には私すら分からないんだから!誰にも見つけられない!生きてる実感も湧かない!記憶がなくなったことのない半端者の貴方には分からないでしょうね!」
理解なんて出来るわけがない。自分にすら分からないものが他人になんて分かってたまりものか。込み上げて止まらない嗤いは、目の前の少年への反抗心そのものにも思えた。
お前にだけは分かってたまるか。
だというのに、侮蔑を受け止めた吼月は、一瞬だけ哀しそうな顔をしてから、ガラスの破片が散乱する私の傍に腰を下ろす。
「だったら創っていくしかないな。今なら愛されて当然だって誇れる自分を」
ただ瞳だけは、目線を合わせてなおも、まっすぐ私を射抜いてみせる。
「なら貴方は誇れる生き方をしてるっていうの? 友達も簡単に捨てられる怪物のような貴方が?」
「俺も創ってる途中だよ。でも、怪人なりに曲げられない信念くらいはある。アンタだってそうだろ。何十年、何百年と願い続けてきた理想があるんだから」
その瞳は絶えず『お前は何者だ』と問いかける。
「ええ、あるわよ。邪魔しようとした貴方がそれを言うの?」
「俺だからだ。俺の世界とアンタの世界。鎬を削り合うことも沢山あって、俺を徹すためには押し倒さなければいけないものもある。けど、誰かが願う理想そのものを否定するは、幸せになろうとする機会を否定ことは誰にも許されない。できることは––––」
決意のみで塗り固められた黒が責め立ててくる。
「戦って勝つことだけだ」
今のままで勝てないなら変わっていくしかない。その為に持てる全てを使い尽くせ。アンタの願いは間違ってない。でも俺は俺の全てでアンタの生き方を倒してやる。その先で俺の理想を叶えてみせる。アンタはどうする。
血を吸っていないのにも関わらず、ヒシヒシと少年の意思が脅しかけてくる。
その脅迫はただ私を殲滅するためだけものではなくて、変わらなければいけない、と戸惑っていた一線を躊躇なく踏み越えさせようと激励でもあった。
対峙して、眼と眼を合わせて、同等の存在としてその場に立つ。
敵でも味方でもない。
曖昧でグレーなラインに立ち続ける少年は、真剣な顔つきのまま『自分と闘え』と責め立ててくる。
「アンタにだって標にしているものがひとつやふたつはあるはずだ。好きなものとかないのか? よく食べたりするものだったり、行きたいって思えるような場所とか」
口を開く必要なんてない。
不愉快極まりない奴の相手なんてしなくて良い。
「……恋愛物の映画、は好きよ。悪い?」
そう思っているのに、反骨心なのか苛立ちからなのか口を衝く。別に嘘ではない。好きになる為に恋愛映画を参考にしたりとかもよくやっている。上手くいった試しはないけれど映画自体は好きだ。
尖った口調は吼月を跳ね除けるためのもの。だけど、彼は何が嬉しいのか満面の笑みを浮かべながらズイッと上体をこちらに突き出してくる。
「最ッ高だな! じゃあじゃあ、マヒルと見たりは?」
「……時々」
「そっかあ〜」
素っ気ない反応を返したのにも関わらず、ニシィ〜と口角が一際大きく持ち上がった。私とマヒルくんが友達のような付き合いをしているのが本当に嬉しそうな様子だった。
なんだこの子……。
青天井の喜びを浮かべられるのに、なぜ容易く関係を……いや、違うか。この子は他者からの好意が認識の外にあるだけなんだ。だから、蘿蔔さんに詰め寄られた時も的外れな返答をしていたし、相手が本当に求めている物の為に自分を捨て石として扱うことができる。
だからこそ、敵として見ているはずの私にすら、人畜無害な笑顔を見せることができる。
「なんだ! ちゃんと自分はあるじゃん!」
厚顔無恥をあどけさと真剣さのベールに包んだよう。さっきとは打って変わってただのお人好しにすら思えてきて、立ち眩みを–––立ってないけどさぁ–––を覚えてしまう。
虚無にも等しい私の内面を褒めた彼が次に取った行動は、こちらの笑みを打ち止めにするものだった。
綺麗で傷のない、透き通った肌色。
幾度となく流れ首筋に染みついたであろう血の香り。
吸血鬼にとって最も親しみ深い人間の部位。
吼月は私の目の前に自身の首筋を差し出していた。
「……なに?」
思わず尋ねてしまう。
真意が本当にわからない。
「そのままマヒルに合わせるわけにもいかんだろ。腹痛そうだし」
「だからって首を差し出すの? 私に殺してほしいのかしら」
記憶力が欠如しているのかと叫びたくなった。
数分前までは蘿蔔さんを人質にして好き勝手弄んできた相手に、わざわざ自分を殺せるチャンスを与える愚か者がいるだろうか。
「俺は死なない。だからアンタの信頼に証をたてられる。自己犠牲でしか今のアンタが安心できないなら、俺はそのやり方でも応えてみせよう」
ガラ空きの首筋は逃げも隠れもしない。
この瞬間も私のために捧げられている。
「それに大丈夫だよ。最後に勝つのは俺だから」
「……」
気迫が篭った余りにも子供離れした声を試すかのように、おもむろに私の牙は首筋に迫って、
「いただきます」
ガブリ。皮膚を鋭く食い破った。
美味しい血が身体の中に流れ込んでくる。
そして少し遅れて押し寄せてくるのは、いつものようにより血の味を濃厚にする持ち主の
けたたましいノイズが私の意識を激しく奔り廻る。
意識が奪われていく。
気付けば、私の意識はどこかの路地に立っていた。
左右にはこちらを圧迫するように迫る壁面が、ビルが聳え立つ。暗闇の中で唯一心を癒してくれるのは、頭上を横断する形で奔る一本線の夜空に居座る月だけだ。
どことも知れぬ路地裏に意識を飛ばされた私は、初めての経験に狼狽えてしまう。これは吼月の記憶。いつもとは様子がおかしい。
追撃をかけるように、月明かりに照らされて現れたのは1人の女性。
見覚えがあった。
以前マヒルくんが彼女の事務所を訪ねた際に、微かに開けたドアの隙間から顔を見て、言葉を交わしたから覚えている。
探偵が言った。
『奴は多くの男を眷属してきたが、その後に付き合いがあったものを私は知らない。アイツにとっては誰もが有象無象にひとりにすぎないのかもしれない。……私の父も』
悲しくて辛い声が、耳朶だけでなく私の心にまで響いてくる。
いつもの吸血とは違う、想いの断片ではなく大きな津波がどんどん打ち寄せてくる。爽やかな気分を害する偏頭痛を患ったように頭の奥もズキズキとしてくる。
しかし、私の意思に関係なく会話が続けられていく。
『星見キクと一緒に居られなかったとはいえ、父は吸血鬼になった。間違いなく奴に恋をしていたんだ』
『ええ、そこは分かります』
『そのあと父は……私と母に浮気を認めて、『大事なものを思い出したんだ』と謝ってきた。やり直そうって言ったんだ』
『……』
『その言葉が真実なのか私には分からない。フラれて傷心し自分の立場を守る為についたホラじゃないのか? 私たちのことなんて微塵も省みてなかったんじゃないのか。
そんなことを考えると問題の全ては父にあったんじゃないかとすら思えてくる』
父親。母。娘。浮気。私の眷属。やり直そう。
なんだ?
なんだろう、引っかかる。
悲しみにくれる探偵の顔にもどこか見覚えがある。あの時は彼女のことをしっかり見ていなかったのかもしれない。でも、誰の子供だ。覚えているはずだ。遠くないはずだ。私の記憶に残っていて、かつ彼女のように若い子を持つ相手なんてそう多くは………
『鶯さんって案外間抜けなんですね』
吼月は打でば響く鐘のような声で言う。それは探偵の心の根深い場所を引き抜くための言葉に、探偵が叫んだ。
『ふざけるなよ! 家族を奪われたことなんてないくせに! 無理やり幸せを壊されたことだって無いくせに!! ノコノコと吸血鬼と一緒にいるくせに!!』
胸ぐらを掴まれても吼月は探偵を見据えることをやめない。心の痛みが吼月を介して伝わってくる。まるで相手の心をそっくり反射してみせる鏡のように、相手の想いが強いほど色濃く私の中を侵してくる。
『わたしは、私は嬉しかったんだよ! 久しぶりに家族が揃って……誕生日を祝ってもらえて! これからまた幸せに過ごすんだなって! 七草との約束を破ってでも家族と居たかった!』
「………」
不意に視界が元に戻り、目の前には吼月が居た。口の中は舌鼓を打って満足しているのに、どうしても心の中は荒い息を吐き続けている。
「言っただろ。最後に勝つのは俺だって」
酷く優しい顔つきで彼は言った。
「その
黒の鏡に映る私はどんな顔をしている?
よふかしの2期っていつになるんだろう……