よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第百漆夜「早退しまーす」

 アンティーク調の木製のテーブルを前にして、椅子に深々と腰をかけると周囲を見渡す。まるで病院を思わせる清潔感に満ちた白い壁紙に、空色のカーペットが敷かれている。いつ来ても職場と雰囲気があまり変わらないので、リフレッシュ出来ているのか勘繰ってしまうが、本人の好みなので深くは言うまい。

 ここは倉賀野理世()のペットが住まう家のリビングだ。

 視線を泳がせていると、キッチンに続く扉が開いて、そこから大きめのワゴンを押しながら一人の女性が現れた。

 

「理世様、本日もお疲れ様でした。朝食です」

「ありがとう、甘凪(かんな)

 

 銀色の髪を一本にまとめて後ろに流す彼女の首元に注目すると、ゆらゆらとひとつのタグがついている。夏月甘凪(かんな)。女医である彼女は白衣を纏っている。タグがついているのは、黒い首輪だから余計にその存在が目を引く。

 甘凪はワゴンに乗せた肉料理とバゲットを私の前に並べていく。

 

「貴方と直接会うのは久しぶりね」

「はい。早くお会いしたくて堪りませんでした。愛媛に飛んでいた時も理世様のことは片時も忘れたことはありません」

「でも、首輪は取ってたんでしょ。焼けちゃうなぁ……私よりお友達の方が大事だなんて」

「そ、そんな訳ありません!」

 

 皿を運んできた手が止まり、風を起こすほどの速さで私を見た。飼い主に捨てられそうな子犬を思わせる顔つきが、聡明な顔立ちには不釣り合いで可笑しく可愛らしい。

 皿を置くために前屈みになっていたから甘凪の頭が手の届く範囲にあった。頭を撫でてやるとそれこそ犬のように甘く鳴いた。数秒だけのことだが互いに大変満足しあって、甘凪は笑顔で料理を並べ終えた。空元気を続けると疲れるが、ペットに触れ合えば心もゆとりを取り戻す。

 ハンバーグや両脚の丸焼きだったり、多くの肉料理が並んでいる。朝食にしては余りにも量が多いが、必要な工程だから苦ではない。私は丸焼きを選んで齧り付いた。ラム肉と牛肉が合わさったような不思議な風味が口の中に充満する。

 うん。やはり新鮮な肉は美味しい。

 普通に両脚とも食べ終えたところで、頬杖をつきながら甘凪に訊ねる。

 

「それで? 本田カブラの次は誰を私に捧げてくれるのかしら。その子を私に売り込むために、愛媛に不埒者がいる情報を欲したのでしょう」

 

 彼女は頷くとスマホを取り出した。テーブルに置いたスマホが映したのはビデオ。夜中の映像だが、明かりのある場所で撮っていたようで内容はよく分かる。

 一人の女性が雄々しく戦っている。

 その映像はほんの数分だったが、怪力や跳躍、スリ抜けなど吸血鬼特性を遺憾なく使い、相手を圧倒した。

 

「あの自警団の仲間?」

粟坂(あわさか)神楽(かぐら)。自警団のパトロンで、私の好きな人です」

「好きなんだ」

「はい。神楽が理世様のペットになっているところを想像するだけで興奮します」

「なら、早く飼いたいわね」

「お任せください」

 

 甘凪は淡い赤色に染まった妄想を虚空に描く。とろっとろな夢心地で見ているだけで笑えてくる。でも、この子は優秀だ。この子が繋がりを作ってくれたおかげで、本田カブラの寝取り好きにセーブをかけるように魅了する機会が生まれた。

 甘凪の照れ顔と粟坂神楽の八面六臂の活躍を肴にしながら食事を進めていると、今度は彼女が口を開いた。

 

「ところで、先ほどの件ですが」

「それがなに?」

「ハツカは放置していて問題なかったのでしょうか? 必要があれば私がすぐにでも彼を」

 

 甘凪の疑問は最もで、もしハテナが可視化できたら彼女の体を押し潰してしまうだろう。殺しを見られたまま帰られたのだから、私の立場が危うくなるのは必然だ。

 

「心配してくれてありがとう。でも、これは必要なことだから」

「吼月ショウのことですか」

「ショウの望みを果たす為には、どこかでバラさなきゃいけないことだもの。協力関係になるためにもね……口止めもしてあるし大丈夫よ」

 

 ハンバーグを小さく切ってから一枚とったバゲットに乗せると、それを一口で頬張る。肉汁を吸った焼き目のついたバゲットがパリっといい音を咥内で響かせる。

 そばに控えている甘凪を横目で見ると、少し不満気に唇をまごつかせていた。

 

「なにか不満でもあるの? 貴方、この間ショウに会ったんでしょ?」

「理世様の告白を断った時点で不満はあるのですが、それよりも心配でして」

「ショウが? それとも……蘿蔔ハツカ?」

「どちらもです」

 

 甘凪はテーブルに置いていたスマホを取って、軽く操作すると私に手渡してきた。自警団のグループラインだ。士季という青年が愚痴を溢している。

『なんでアイツは蘿蔔さんの気持ちが分かんないんだよ。あんなに荒れた蘿蔔さん初めて見た』と表示されていて、続けて『話してみたけど、アイツなりに蘿蔔さん思ってるから余計に腹立つ』『俺たちに文句があるなら始めっから言えばいいのに』『無意識に相手を警戒しないバカって見てる』と不安そうな呟きが並ぶ。

 

「ショウ様は他人と共存できるような性格には思えません」

吸血鬼(あなた)たちみたいに他人の助けがあったわけじゃないしね。ただでさえ、見かけ以下の精神を虚構で補ってるのに」

 

 だからこそ、彼との関わりは私にとって吉報だった。

 

「歪でも自分の世界がある蘿蔔ハツカだったのは僥倖なわけだけど……」

「……ハツカもだいぶやられていたみたいですから」

「まさかあそこまで取り乱すとは思わなかったわ。話を聞く限り、いつも冷静に物事を見るタイプだと思ってた……まぁ、ショウが劇物なのは間違いないしね」

 

 どれだけ蘿蔔ハツカがショウのことを知っているかによる。過保護具合からするに、ショウの過去は血を経由して見たのは間違いない。過去についての知識は問題ないだろうが、あの様子じゃ今のあの子へは意識は向いてないだろう。

 

「あの子は蘿蔔ハツカをどう思ってるのかしら」

「……私が血を吸ってきましょうか」

「本気で言ってる?」

 

 ギロリと周囲の空気が軋むような圧をもって甘凪を見ると、彼女は冷や汗をかきながら残像が出来るほどの速さで首を横に振った。

 

「羨ましくはありますから」

「美味しそうだから?」

「……理世様に注目されていますから」

「あらあら」

 

 どうやら私のペットは嫉妬深いようだ。もちろん百も承知でそばに置いているわけだが、吸血鬼ほどの美の化身の生き物が妬みを向けるというのはやはり心地よい。

 私は半分ほど残っていたハンバーグをさらに二つに分割して、ひとつ大きく口の中に入れる。わざと音を立てながら咀嚼すると、甘凪の意識が私の口元に吸い寄せられる。

 憚ることない目線に手招きすると、甘凪の顔が近寄ってきて–––––迫ってきた唇に私の汚れた唇を押し当てた。含んでいたハンバーグを口移しで彼女の口の中に譲渡していくが、彼女は拒むことなく肉を受け入れた。代わりに私は彼女の舌と唾液を取り込んだ。

 私と甘凪の舌で肉団子を作り、分け合って呑み込む。ふたりで作った団子が、甘凪の唾液混じりの肉が喉の壁と擦れながら胃におさまっていく。

 

「おいしっ。ご馳走様」

「ありがとうございますっ」

 

 より一層赤く染まった顔を両手で隠すようにしながら甘凪はワゴンを押して別の部屋に消える。私は胃の中に貯めて、次々に消化され自分の血肉に変わる料理たちを腹を撫でながら労る。

 

 再び甘凪に押されて出てきたワゴンの上には、殺したばかりの吸血鬼が、稲城が寝転がっていた。知的な風貌は青ざめて、もはや幽霊のように呆然と虚空を見つめている。

 立ち上がって真上から見下ろすと、本当に青い。比喩ではなく本当にこの世のものではなくなったのだと直感した。けど、まだ後戻りはできる。

 首から下には白い布がかけられていてまるで棺掛けのよう。その布に膨らみは一切ない。

 もう一度、腹を撫でる。

 

「確認はしてもらってるのよね?」

「はい。間違いありませんので、理世様、よろしくお願いします」

「分かったわ」

 

 伸ばした爪で唇を切る。空色のカーペットに血が一雫。波紋を立てるようにシミを作った。

 意識がより強く変わっていく。視界に映る前髪は葡萄を思わせる色に変わる。

 唇全体に血を纏わせる。私の原動力たる血を稲城と共有する為に、心臓がより強く、より速く鐘を打つ。エンジンが最高潮に温まり、多くの血液が身体中に流れているのが分かる。

 

「さぁ、再生のときよ」

 

 お姫様を蘇らせるのは王子様のキスなのは童話でよくあることだが、私の場合はお姫様の天敵である魔女の口付けだ。そして、お姫様は魔女のものになる。

 死を超克する術は、この世では須く悪魔の力とされる。

 人間(ひと)の理から外れるからだ。今の時代、遺伝子改造すら大罪とされるのだから種族を超えるなんて禁忌も良いところだ。

 それがどうしたというのか。

 欲しいのだから仕方ない。

 

 世界とはそういうものだ。

 

 唇を離した時には棺掛けは膨れ上がり、色は朱に、体は確かな熱を帯びていた。

 

「それじゃ、私は学校に行ってくるから。その子が起きたら事情を説明してあげなさい」

「かしこまりました」

 

 甘凪の家を出て、学校への道を歩いている。

 

「おはようございます」

「おはよう」

 

 朝早くからジョギングをする老若男女や夜勤明けであろうサラリーマンに挨拶しながら登校するのはいつもの習慣だった。この道のりを頻繁に使うことはなく、全員初めて見る人だが、挨拶は欠かさないのが私のルールだ。

 ひとりきりで歩く道は面白味なんてまるで無い。けど、挨拶を振り撒くだけで親切に返してくれる人もいれば、知らない美少女に声をかけられて驚く男女もいる。ささやかな変化も味気ない道のりに楽しみをもたらしてくれる。

 特に朝日が登り始めた頃は、相手の顔が煌めいて見える。

 その煌めきが足らなければ手を貸す。

 

「お待ちしましょうか?」

「え、いいの? ごめんねえ」

 

 陸橋の階段前で息を荒くしていた老婆さんから、重たそうな手提げを受け取り歩調を合わせて登っていく。行く方向が同じだったこともあって、途中まで荷物持ちをしたが時間のロスもなかった。

 今のは日の当たる時間の話しだ。

 逆にもう少し早く出ると……吸血鬼と出会うことだって、それなりにある。例えば、添い寝屋に招待されたり、とか。

 

「……アキラとは会ったことないのよねぇ」

 

 小森団地から出発することが少ないからだろうか。機会があれば、あの子もナンパしてやりたい。

 

「いや、夜守くんの眷属になってからの話かな」

 

 夜守くん達が吸血鬼になった後のことを想像していると、校門前にまですんなりとたどり着いた。校舎を見上げて、一番最初に目につく場所に掲げられた大時計が八時ピッタリを指していた。

 

「理世先輩おはようございます!」

「おはよう」

「理世、おはよう!」

「うん、今日も元気にね」

 

 昇降口に行く途中も挨拶を繰り返しながら、グラウンドに目を向ける。グラウンドでは朝練仕舞いになっていて、多くの生徒達が体操服姿で更衣室に戻っていくのが目に入る。

 

「あ」

 

 道中、体操服姿の女子と制服姿の男子が視界に現れた。蒼とショウだ。声を潜ませながら積極的に話に行く蒼に、ショウはどこか戸惑っている様子。遊びに行って以来なんだが距離が近づいた気がする。妬けるなぁ。いや、最後にはどっちも私のものにするんだって気概で行かなきゃ。

 ひそひそと話す声を聞きたくて、少し聴覚を良くする。

 

「ねえ、帰ったらさ。この体操服を着て過ごしてくれない? この間だってメイド服着てくれたでしょ?」

「んー……」

 

 ん? なんかレベルの高い話してるな?

 しかも、ショウも微妙に上の空でキッパリ断らないし! 断りなさいよ! 着るなら私のが最初でしょ!

 

「何やってるの」

「あ、理世」

 

 滾る怒りを心に秘めながら、声はクールに。涼しげな表情で声をかけると、ふたりが同時に振り返った。返ってきた声はどちらも憂鬱そうだ。蒼は私にショウとの時間を潰されたからだろうし、ショウの気分が落ち込んでるのは蘿蔔関連だろう。

 

「吼月さん、理世さん。おはようございます」

「おはよう」

「おはよ」

 

 やはり、僅かだが暗い。珍しい。ショウがここまで目に見えて落ち込んでるとは……あくまで私からする分かるで、周りの生徒達は変化に気づかず挨拶をしてくる。

 それはおいおい聞くとして、私は蒼の体操服を見た。

 先ほどまで走り込んでいたのだろう。秋も半ばで冷えてきたというのに、長袖の体操服は肌着から抜け出した汗をたっぷりと吸い込んで身体に張り付いている。

 凹凸がハッキリとした綺麗な体躯が露わになって……ここに見惚れたか? 私の方が大きいわ!

 

「ショウ」

「なんだ」

 

 暗いだけで照れてる様子はなく、蒼や私の目をしっかりと見ている。うん。邪な視線は感じない。

 

「私も今日体育あるわよ?」

「ふたりとも着ねえよ?」

「えー……」

 

 ふたりして残念がると、『体操服に女装もなにもないだろ……?』と当たってるようでズレている返答が宙を舞う。『何も分かってないわよねえ』と蒼に耳打ちすれば、彼女も『ショウの身体に汗を染み込ませるのがいいんだよね』と言った。

 分かるわ。趣味の良さも分かるし、受けてもらえない冗談なのも分かるが、距離の詰め方がいきなり過ぎないか。

 蒼は囁きかけてくる。

 

「なあ……今日のショウ、なんか元気ない?」

「……そうみたいね」

 

 ほう、ショウの機微に気づくとは。

 流石はストーカー。たくさん写真撮ってたもんね。

 ふたりから視線を逸らして、空へと投げかける。投げた先にあるのは大時計だ。私の動かした視線に付き添うように蒼も顔を動かす。

 

「そろそろ時間よ。蒼も早く着替えてらっしゃい」

「え? ホントだ!? それじゃまた後で!」

 

 時間をあらためた蒼は鞄を片手に陸上部が使う更衣室へと走り去っていく。腕を振りながら見送って、陰も形も見えなくなったところでふたりで歩き出した。

 ようやく二人だけになれた。靴を履き替えても、階段を上がっても全く話がない。好きな人といるのに、口にし難い苦しさがあった。生徒達のガヤガヤとした喧騒が右耳から左耳へ抜けていく。

 ふたりだけの沈黙が続いたが、突然道を折れたショウに驚きながら着いていく。

 

「……さっきはありがとう」

 

 教室に沿う通路から四角になる溜まり場で、これまた唐突に頭を下げられて私は驚いたが、気にする様子も見せずに滔々と言う。

 

「いいわよ。というか、あんな汗まみれの服を着ろなんてスッパリ断ればいいのに」

「……ちょっと、蒼とどう接したらいいか分からなくてな」

「昨日まで普通だったじゃない」

 

 なんで急に、と思ったところで私は一つの予想を立ててしまった。

 

 もしかして、蒼がショウのことを好きなのに気づいてる?

 

 いや、ありえない。

 私からの好意すら気づかなかった……気づこうとしなかったショウが蒼の気持ちには気づくなんて到底思えなかった。

 

「なぁ、人を大切にするってどうすればいいんだ?」

 

 頭が痛くなってきた。

 

 

 

 

 士季(しき)が殴りかかってきたのは、脱衣所に向かう際の一度きりだった。その後はただ俺を睨みつけてくるだけ。それでも目と耳を塞ぎたくなるほど険悪な雰囲気なのは言うまでもなくて、銭湯を出る際店番のお兄さんに『大丈夫?』とひっそりと確認された。俺は頷くだけにとどめた。

 お互いにお互いの地雷を踏み合ってるのは分かっているので、煽ることもせず素早く外に出ることを選んだ。

 この時の俺は、人気が完全になくなった暗闇にでもいけば、口にしろ拳にしろ気持ちを吐き出せると思った。

 吸血鬼の平穏のために人間を殺すこと視野に入れているはずなのに、明確な危険分子である俺を不意打ちで殺そうとしないあたり、初めあった時から変わらず甘いというか、馬鹿というか。

 土台を整えるために夜風に当たりながら移動しようとすると、

 

「なんで反対側に歩いてるんだよ」

「あ? 今のお前に何言っても意味ねえだろ」

「……なおさら殺しに来ないとおかしくないか?」

 

 銭湯の入り口前で左右真反対に体を向け合う俺たちは、顔だけ振り返って喋った。

 

「俺はもうハツカの眷属候補ですらない」

「なら、午鳥の眷属にでもなるか?」

「断る」

「だろうな」

「知ったような口を聞かれはとはな」

「……殺せるかを抜きにしても、お前が眷属になろうと思えるのが蘿蔔さんだけなのは、話を聞いていれば誰だって分かる」

 

 そんなに分かりやすかっただろうか。俺を上から見下ろしていて欲しいと思えるのは、きっと……いやハツカだけだと強く断じれる。ビルから飛び降りた時に星空を背にしながら圧倒的な美で俺を睥睨する姿が、今でも鮮明に思い出せる。

 

「ショウが蘿蔔さんを大切に思ってることも、お前なりに考えて極力蘿蔔さんに責任が行かないように動いたのも分かった。でも、お前は明らかに他人とズレてるし、自己中心的すぎる」

「自分で考えて動いてるんだからそうなるだろ」

「だったらお前は他の奴に一度でも話したか」

「なんで? 全部俺だけが望んだことなのに?」

 

 ハツカが星見キクの行動を咎める側にまわるというのは、今まで許していた普通の吸血鬼達からは外れることで、ハツカの立場が危うくならないように……変な責任取らせられないように星見キクの危険性を露見させたかったのは俺の独断。

 マヒルは星見キクがどんなことを隠していようと愛するのは知っているが、それでも他の末路を知っていると気が気じゃなくて無理矢理にでも信じさせる方法を取ったのだって俺の独断。

 白山が特別星見キクに会いたがっていないのに、マヒルへの説得力増強のために雇ったのだって俺の独断だ。

 

 なにより星見キクを見た途端、衝動に駆られて動くことを選んだのは俺自身だ。

 

 今回の行動には俺以外の理想は働いていない。

 ならば、誰かに話すことなんて必要ない。話された途端、その人は言われなき責任を負わさせられる。

 

「……蘿蔔さんだって一緒に星見キクをどうにかしようって話してただろうが」

「今回は星見キクの動き方の確認だからな。目的が違う。だから約束は違えてない」

 

 ……はずだ。

 理屈は通っている。なのに、話せば話すほど士季の顔は重く苦々しいものになって、何かがすり潰されそうな表情に移り変わっていく。約束を破ったとしたらそこじゃない。俺の意思で、俺の目的のためにハツカ以外に血を吸わせたことだ。

 

「お前は……」

「ん?」

「お前は本当の意味で人を大切に思ったことはあるのか?」

「あるに決まってる」

 

 だったら、なんでハツカはあそこまで取り乱していたんだろうか。俺の性分はエマや奏斗先輩の件で分かっているなのに。今更なにに苛立っているのだろうか。

 

「だったら、お前にとって大切にするってなんだよ」

「各々の世界を確立すること。それで戦わなきゃいけないなら戦う。通じ合っていけるなら繋がり合う。それだけのこと」

「だったら口にぐらいしてやれよ」

 

 言い切ったところで俺はハツカの叫びを思い出す。

『何もかも話してくれなかったじゃないかッ!!』––––間違いなくハツカの心を抉ったのは計画を前もって話さなかったことなのだろうけど、言う必要あるのだろうか。あくまで俺の問題なわけだから、自分でやるべきだ。なにより、本当に上手くいくか分からないことを口で軽々しく言うなんて。

 でも、ズレてるか。

 それを禁忌だと言われたらお終いだ。

 

 俺には……倣うべき大切が分からない、のかもしれない。

 

 

 

 

 ショウの説明は完璧だった。詳らかにすると、吸血鬼関係の話題をごっそりと抜き取りながらも的確な例を出して要所を綺麗に繋げてくれたから、想像するのは容易かった。

 元々私が吸血鬼精通しているのもあって、どこが比喩なのかはすぐに分かった。

 瀬戸見道楽部の吸血鬼や星見キクを今まで放置してたくせにどの口でショウに文句言ってるんだあの役立たず集団!と思ってしまう。

 吸血鬼の生態上……怠惰なアイツらからすると、跳ねっ返りの鶯アンコやショウのような危害を加えようとする相手が出てこないと、修正しようとする発想すら出てこないからなぁ。自浄作用がない集団ほど怖いものはない。

 まぁ、吸血鬼のことなどどうでもいい。

 

「それで、蒼の扱いに戸惑ってたの? 今までならスッパリ断るところじゃない」

「……否定しづらいというか」

「否定しづらいって……自分が嫌なら嫌って言うのが、自分の価値観を確立することでしょう」

「でも、それがズレてるって言われたら、せめて【普通】ってやつも理解しておかないと今後も不必要な失敗が出てくるかもだし」

 

 いつもながらクソ真面目だ。少し前みたいに好き嫌いなく押し付けられるがままに自分の能力を遺憾なく発揮して事態を解決するのもいいが、今みたいに苦悩しながら進もうとする姿も大好きだ。

 なにより弱みというものを恥じらいなく私に見せてくれたのは、今回が初めてだ。すごく嬉しかった。落ち込んだ様子のショウには悪いけど、私は心の中で蘿蔔ハツカの死体の上でタップダンスを踊っていた。

 

「なんで私に聞いたの?」

「……なんでって言われても困るけど、理世が良かったから。理世もハツカと同じで、俺を大切だって言ってくれて俺も大切だって思えてるから」

 

 私のことを大切だって。

 驚いた。私のことでも蘿蔔さんのことでも良い。大切にされてるって矢印だけでも知れるようになって、本当に良かった。

 

「大切か……あれ、理世?」

 

 物憂げな呟きに、私は頷きながら歩き始める。

 昇ってきた階段を逆走して、目指すは特別な部屋。怠惰な生徒にとっては楽園であり、怪我人にとっては安息地であり、恋人にとっては少し妄想してしまう場所。

 2対の足音を響かせながらやってきたのは保健室。

 

「なぜに保健室?」

「まぁ、待ってて」

 

 ショウだけを残して、保健室の中に入っていく。目につくのは薬品が置かれた鼠色のステンレス製の棚だったり、カーテンが閉じられた二床のベッド。

 主人の個人的な持ち物であるダイニングチェアは、それとは似合わない無骨で学校らしい角ばったデスクのそばで虚空を座らせていた。

 

「吉塚先生〜早退しまーす」

「朝からサボる宣言しないの。今行くから座ってなさい」

 

 カーテンから白い袖が出てきた。暖簾に手を通すようにして現れたのは、軽い天然パーマがかかった茶髪を携えた男性。疲れ気味で物腰が柔らかい雰囲気だ。甘凪と同じように白衣を着ているのは、彼がここの主人だからに他ならない。

 吉塚先生は私と目が合うと、少し驚いたようにしながら話しかけてきた。

 

「珍しいね。倉賀野ちゃんがここに来るなんて。怪我したってわけじゃないだろ? 付き添いでもなさそうだし」

「熱があります。早退させてください」

「だったら家で大人しくしてなさい……ん?」

 

 彼の視線が私から外れて、その後ろにあるドアに突き刺さる。嵌め込まれている曇りガラスにはボヤけているが人影が、ショウの存在がしっかりと浮き上がっている。

 吉塚先生は納得したように、視線を私に戻す。

 

「流石は相棒ちゃん。キミには話してるんだね」

「どうも」

「手続きはこっちでやっておくから、ふたりでもう帰りたまえ」

 

 吉塚先生は早退許可証的なものをデスクでチャチャっと書き終えると、紙ペラ二枚を私に手渡してくる。保健室を出ると、待っていたショウが不思議そうな顔で私を覗き込んできた。

 

「どうしたんだ?」

「吼月くん。この子、ちょっと風邪気味で早退することになったから、送ってあげなさい。ご両親が来られないみたいだから」

「え!? え……大丈夫? 来たばっかりなのに」

「うん。昨日ちょっと寝てなくて、そのせいかも」

「そ、そうか……俺でいいんですか?」

「キミにお願いしたい。他の先生も、かくゆう私もこの後に用事があって動けなくてね」

「………分かりました」

 

 また押し付けられてる。

 片方の許可証を受け取ったショウは、私の顔色を伺いながら横に立ってくれる。肩を貸してくれようとするが、肩ではなく腰を貸してほしいとねだって体を密着させる。

 ショウは照れたように顔を背けるだけで、吐き気を催すこともなかった。

 

「そうだショウくん。カウンセリングの結果、明日にでもちゃんと持ってきてよ?」

「ああ……そういえば、色々あって忘れてた。あれ無くならないっすか? 去年も今年もめんどくさかったんですけど」

「無くならない。今後も散歩のついでに行きなさい」

「そっすか……」

 

 それじゃ行くか、となって吉塚先生に見送られながら廊下を歩いていく。

 教室に駆け込もうとする運動部の声だったり、あくびを噛み殺す教師の足跡だったりがあるみたいだ。もはや周囲に現実感はなくて、実感があるのはショウの腰に回した右手だけだ。

 

 

 

 なんか、こう胸の中がザワザワする。

 ざわめきのまま口を開く。

 

 

「ねえ、この後デートしない?」

 

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