よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第百十壱夜「自制の利かない変な人」

 赤い屋根の一軒家。本来ここに住んでいるのは本来四人。岡村夫妻、その娘の岡村蒼。父方の祖父である岡村弓生(ゆみお)だ。しかし、今は暮らしているのは娘の蒼のみだ。

 夫妻は出張、祖父は……。

 ともかくカーテンが閉められた窓から漏れる光を浴びているのは本来は一人だけ。

 

「……」

 

 双眼鏡に目を当てて、遠巻きから岡村家を覗き込む。その中に映る人影はひとつではなく、ふたり分のものが伸びている。

 まさか、ここで繋がってしまうとは悲しいことだが、同時に安心できることでもあった。もう一つの陰とは吼月くんのこと。親友の本来の息子。ひとりぼっちの男の子。

 吼月くんが岡村家に訪れているのは、家事代行、とのことだった。

 優しい子だ。

 ひとりぼっちになってしまったために磨かれた技術を他人のために使えるのだから。

 岡村蒼は現状、元気よく走り回る生活をしている。陽の当たる場所で陸上部として精を出す。やりたい事に打ち込めるのはいいことだ。彼女はまだ大丈夫。

 元気で快活な岡村蒼なら友人として申し分ないだろう。

 

「夜遊びの多い倉賀野理世よりは安心できる」

 

 カーテンのそばから人影が消える。どうやら部屋の奥へと戻ったようだ。

 部屋の実情は知らないが岡村蒼本人が吸血鬼ということはない。今後の動きを考えると、俺自身が接触するよりも同性である朝霧が接触する方がいい。

 必要な物はあの中にある。

 朝霧の情報だと彼女に問題はない。週に数回夜に出かけるが、友人と雑談するだけで問題はないとのこと。

 

「……今日は片付けに行くか」

 

 面倒な奴はひとりではない。

 蘿蔔ハツカや小繁縷ミドリだけではない。

 踵を返して少し歩いていくと、路肩に停めた車の中を覗き込んだ。

 

「まだ眠ってるな」

 

 今日のお目付役は所長の娘さんではない。別の後輩だ。とある薬入りのドリンクを渡したらスヤスヤと寝てくれた。

 娘さんの方はどうやら今日も非番をもらったらしい。突き飛ばすのはやりすぎた。お詫びを持っていったが芳しい反応ではなかった。仕方ない。いられなくなったとしてもあと一週間さえ肩書きが保てばいい。

 携帯を取り出して相手を呼び出す。

 

「……ん?」

 

 出ない相手に違和感を持つ。待ち続けて、ついには留守番電話サービスが対応し始めた。伝言だけ残して切る。

 

「まあいい……」

 

 必要な物はこっちが所持している。

 ポケットの中にある物を握りしめて、数分先の場所に運ばせた代えの車に乗り込んだ。

 

 

 蒼家の玄関の扉を開けて外に出る。背後で鍵のかかる音がした。ぐるりと外周を回るのに時間はさほど使わなかったが、話にあったような人影はなかった。少し遠くへ足を向けると、車の中で泥酔したように寝込んでいるドライバーがいたから警察に電話だけはした。

 戻って扉をノックすると開錠される。

 中に入れば部屋着のままの蒼がいて、周囲への危機感からくる不安と俺に見回りに行かせた申し訳なさを重ねて『どうだった?』と尋ねてくる。『変な人はいなかったよ。もちろん盗撮してる人も』と応えると胸を撫で下ろしながら大きく息を吐く。

 

「思い過ごしかな……」

「ストーカーされてるんだよな?」

 

 蒼は不安気に頷いた。

 リビングにある横長のソファに腰を落ち着かせても、まるで心は忙しなく身震いして、額からは焦る気持ちが汗となって滲んでいる。その隣に座って声をかけながら、ハンカチで汗を拭いペットボトルの水を飲ませる。

 含んだ水を飲み込むと蒼は口を開く。

 

「ハッキリと自覚始めたのは日曜日からかな。夜に出歩いてたら後ろからつけられてる感じがして……昨日は足音も私の歩幅に合わせて聞こえてくるしさ」

「不安の大きさに対して、確証が少ないところがストーカーの厄介なところだな」

 

 ハッキリとした実害がないから警察も動かないし、かといって探偵とか雇うわけにもいかないし。この家には蒼しか住んでいない。未成年である彼女が雇いにいくことも契約を結ぶことも難しいだろう。

 蒼は肩を落としながら疑問を浮かべる。

 

「でも、なんで私?」

「そりゃお前……」

 

 ハツカや理世とは違う、スポーツスタイルの良さを持つ頭の先から足先まで視線をやったあと、口を噤んだ。

 

「なに?」

「この先はセクハラになるから言わない」

「余計に気になるんだけど!?」

「うー……ん、蒼は陸上やってるだろ。それも大会でも優秀みたいだし」

「え。あー……そっち系?」

 

 妙な納得感を覚えた蒼が腕を組みながら唸る。

 SNSなどでスポーツに励んでいる青少年たちの画像、動画が出回るのは今に始まったことではない。駅伝しかりゴルフしかり甲子園しかり、元より中継までするのだから撮影自体が悪いわけではないが、それはあくまでスポーツ主体の話。

 下世話な目的のために撮る者たちも後を絶たない。

 

「盗撮は犯罪だって協会側も宣言してるんだけどね。ポスターにしたり」

「その手の話って基本耳に入ってこないからな」

「……つまり陸上で目立った結果、自制の利かない変な人に付き纏われてる、と」

「かもな。あと考えられるとしたら……岡村先生くらいか」

「おじいちゃんが?」

「蒼を独りきりにした負目で出るに出れないとか」

「自分の家なんだから気にせず帰ってこればいいのに」

 

 あくまで仮説に過ぎない。悪いことだけ考えれば何か事件に巻き込まれた可能性だって否定できない。大切だった妻がいきなりいなくなったんだ。不安定な時期には何をしてもおかしくない。歯止めが効かないのだ。その余波が蒼にまで来てるのかもしれない。

 

「で、どうするよ」

「どうするって……どうする?」

「あんまりにも続くようなら一回は警察の耳に入れておくべきだ。巡回ぐらいは増えるかもしれないしな」

 

 たいした対策をしなかった結果、普通にストーカーに殺されることがあるのだけれど。

 

「だったらさ、親が帰ってくるまでは一緒に過ごしてくれない? あ……ショウの親御さんが許可してくれるならだけど」

 

 親は存在しないから問題ないんだよな。

 ただ蒼の安全を保証できるだけの存在感を放てるとは考えにくい。それに俺にはやらなければいけないことがある。俺として優先したいのはハツカのことだ。実害がある以上、蒼も放ってはおけない。

 やることが……やることが多い……!

 

「こっちに拠点を移すのは構わないんだが、俺にはやらなきゃいけないことが他にもある。だから、ずっとは一緒に居られない。特に夜なんかは面倒事を色々抱えててな」

「……また変な事に関わってるの?」

「変な事って言うなよ」

 

 吸血鬼の存在自体がおかしいと言われたらそれまでだが。

 

「でも、そっか。(ウチ)に泊まってくれるんだ」

「合鍵も借りてるしな。色々決めようか」

 

 蒼は夜の間は出かけないこと。出かけるにしても、俺がそこまで着いていく。登下校も一緒に、という話になった。

 一つ屋根の下に棲むことになるのだが、俺はソファで寝ることにした。元々長いこと物置に押し込められて生活していたから、横になる物があるだけ快適だ。

 要点だけ決め切った頃には19時をまわっていた。

 

「出来る限り外には出るなよ。何かあったら絶対に連絡してくれ」

「分かった。ショウもあんまり夜遅くに出歩いちゃダメだよ」

「出来る限り日を跨ぐ前に帰ってくるから、明日からは一緒に学校に行こう」

「……と、言ったんだけども。この後、友達と会う約束があるんだよね」

「ええ……」

 

 ストーカーが怖いなんて話をしたばかりだというのに、早速出歩こうとするとは。結構図太い性格の持ち主なのか。

 

「小野さんたちか?」

「別の人。よく相談に乗ってもらってるんだ」

「へぇ……そんなに親しいなら来てもらったら?」

「そっちの方がいいかな」

「その方が安心はできるかな。因みにその人といる時に気配を感じたことはある?」

星環(せいわ)さんを疑ってるの? ……会う直前までだから違うと思うよ」

 

 相談相手に嫌疑を向けると蒼が大層不服な顔をするものだから相当恩義があるらしい。名前からは男か女かは判別できないが、同い年かは歳上なのは予測がつく。交流があるとしたら上限は高校、大学生くらいだろう。部活で交流のあった先輩、とかかもしれない。

 聞くのはおいおいとして、

 

「連絡取れないのか?」

「そうだね。偶々夜に喫茶店に行ったら出会った人だもん。次会うのも口約束だし」

「夜に偶々か」

 

 吸血鬼じゃないだろうな。

 勘ぐりたくなるが、餌か眷属狙い(エモノ)か、蒼を相手がどう見ているか問い詰めても容易く正体を打ち明けるとは思えない。ハツカやナズナさんみたいに寝込みを襲ってバレるような不手際をしない限りはそうバレないだろう。吸血鬼関係なくナンパかもしれない。

 どうであれハッキリしているのは、分からない、この一言だけだ。

 

「だったら会うしかないな。その喫茶店までは送ろう」

「いいの?」

「本人が外に出て会いたいというなら尊重するし、お前の信じるを尊重するよ。その上で俺はできる限りをする」

「……」

「ただし、今度からは連絡できるように電話番号ぐらいはもらっておけよ。会いたい時に会えないんだから」

 

 ふたりして立ち上がると出かける準備を始めた。住むことになるから、家事は程々にして俺は蒼を待つ。リビングと二階への階段がある通路のドアを開けっぱなしにして佇んでいると、時折『女装しないのー!』と弾んだ声が落ちてくる。

 本当に怖がっているのか聞きたくなるぐらいの明るさを伴った問いかけには『しない!』と、ハッキリ否定で返した。

 何でもかんでも好きに……恋愛感情に繋がるのは的外れだろうが、好きな人に守ってもらえるのはきっと嬉しいことなんだ。

 

「ちゃんと守らないとな」

 

 出来る限りで全力全開、なんて簡単に言っていいものではないけれど、やるしかないんだ。ハツカも守るし蒼の安寧も続ける。引き受けたからには後戻りはできない。

 

「お待たせー、なんか暗い顔」

 

 降りてきた蒼はデニムパンツにブルゾンを羽織ったゆったりとしたシルエットになって戻ってきた。男っぽい服だが、体幹もしっかりとしていて服に押しつぶれず負けていない。

 覗き込んでくる美形イケメンに不安を払うような微笑みをかける。

 

「ちょっと考え事をな。護身用の武器とかある?」

「武器って、物々しいなぁ……防犯ブザーぐらい」

 

 心許ないな。でも今は特に渡せる武器もない。調達するか、家を一回探してみるか。どちらにせよ一番安心なのは蒼が信頼できる人しかない。

 用意が整った蒼に連れ添う形で外に出る。

 道中で良からぬものが蒼の視界に入る。少し歩くと通報した路駐していた車の側にパトカーが停まっていた。ぼんやりとしたシルエットが三つ。体で蒼の視界を遮るように歩幅を広げて隣につく。

 パトカーに向かっていた蒼の視線が正面に戻ると、すぐに俯いて擦り合わせた両手を見ている。降り注ぐオレンジ色の光のせいかほんのりと頬が赤く思えた。

 

「もうすぐ11月なだけあってひんやりとしてきたね」

「月を跨ぐと一気に冷え込みそうだよな」

「すぐに雪とか降ったりして」

「最近は東京でも雪が降るしな」

「春と秋どこ行ったんだってレベルだもん」

「暑いか寒いしかないの辛いよな」

「ねー」

 

 当たり障りのない雑談をしながら歩いていると、手に柔らかい感触が伝わってきた。目だけを動かせば、手に触れていたのは蒼の手だ。下げられた手は彷徨いながら何度か俺の手と擦れ合う。

『え』と驚きが真隣で溢れた。

 明言する必要もないが声は蒼のもので、驚いたのは俺が手を握ったからだ。

 

「寒いんだろ」

「う、うん……でも、いいの」

「人肌ほど暖かいものもないし、蒼の手は心地いいからな」

 

 俺としても蒼に何かあった時にすぐ抱き寄せられる利点があるし、俺にとっても暖かい。

 

「なら最後までよろしくね」

「頼まれた」

 

 この場合、もう片方の手はどうするんだろう。いっそのこと両手で掴んでギラス兄弟みたいに回転しながら進む手も–––なんて疑問を抱きながら、何度か揉み込まれる手を意識しながら歩いていく。

 

「代わりにひとつ、約束を破らせてくれ」

「これ餌なの!?」

「ストーカーが本当だとして、やっぱり岡村先生には伝えたおくべきだと思う。同棲もするわけだしな。だからメールをして欲しいのと、先生が今いるホテルの住所を教えて欲しい」

「簡単にスルーされた……」

 

 人聞きが悪い言い方をされるのは心外だが、どのみち避けては通らない。奥さんを失って今度は娘がストーカーされる……普通の親なら気が気じゃないはずだ。最悪神崎みたいな対応をとりかねないが、耳には入れておきたい。

 俺に住んで欲しいと言っている以上、先生に負担をかけたくないのかもしれないがまずは自分の身を第一に考えて欲しい。

 

「でもそうだね。見てくれるか分からないけど、送ってみるよ」

 

 スマホを操作している蒼を横目で見ながら、陰から襲来する自転車やらから守る。中にはヘッドライトを装備していない奴もいて、角から急に出てくる奴もいた。抱き寄せなきゃ守らなかった。蒼の脚に衝突しなくて良かった。陸上にとっても、蒼にとっても両脚があるのは大事なことだ。

 

「今のは危ないな」

「……」

 

 黙っている蒼を見つめる。背中に触れている腕がじんわりと湿るのは、緊張からの汗で彼女の服がアウターすらも濡らしているからだろうか。

 ……ストーカーか。

 恋愛感情からの犯罪なら俺とそばにいれば、その内注目がコチラに逸れて俺に襲いかかってくれるかもしれない。攻撃が俺に向くならやりやすい。倒すだけだからな。守るとなると難しい。倒し方も気をつけないといけない。

 最悪を想定すると、選手生命を絶とうとする輩の犯行ならそばにいるしかない。

 本音で言えば送り迎え全部先生がしてくれると助かるんだけどな。車で安心だし。

 

「あの店だよ!」

「えっ。あ」

 

 腕の中にあった温もりが抜け出した。見れば顔色が変わった蒼が街灯の下を潜り抜けて、指をさした先にこじんまりとした秘密基地があった。街角に潜むその店は、敷地内で乱雑に映える木々の塀によって厳かさがあった。近寄れば、青白い光に注がれた【Tucked-away】という看板が目に止まった。隠された場所、名前通り秘密基地らしい風体をしている。

 でも、この時間帯になると程よい角度から差し込む光が、看板だけでなく店の入り口までの道を照らして砂利の中に浮かぶ石畳たちを照らして綺麗だった。風が吹けば青く染まった砂利が波のように揺れた。

 

「また後で!」

「お、おう」

 

 勢いよく石畳の上に飛び渡っていく蒼はガラス戸の中に入って行った。

 

「……悪いことやっちゃったかな」

 

 とりあえず場所は覚えておかないと。

 周りを見渡して地図アプリにこの場所を記憶させたあと、俺はスマホを耳に当てながら喫茶店を離れる。プルプルと聞き慣れたバイブレーションを感じながら向こう側の相手が出るのを待つ。マナーがいいのか3コールいないに相手は現れた。

 

『吼月くん?』

 

 淑女然とした声が電子の世界から解放された。おっとりとした口調は萩凛さんに似ているが、愉快さではなく冷静さがよく出ていた。事務的とも言えるので俺は萩凛さんの方が声としては好きだ。きっと声の張り方がハツカに似てるからだろう。

 

「お久しぶりです、朝霧さん」

『夕方話したことよね』

「はい。今日の用事が片付きましたので今から向かうところです。大体30分後には着きます」

『分かったわ。神崎さんも事務所にいるから、ちゃんと嗜めておくから』

 

 短いやりとりをして電話を終えると、腕時計のスイッチを押す。

 瞬間、先ほどまで歩いていた道が遠い彼方まで去って行った。

 

 ちゃんと話す。

 俺は神崎たちに何があったのかを知らなくちゃいけない。

 でなければ、始まらない。

 

 

 

 

「いつもの席じゃないんですね」

 

 気まぐれに首をもたげた彼女は、対面の椅子に腰をかけながら店内の奥にある僕専用のテーブルに視線をやった。今日は一段と男らしい風貌になってやってきた彼女……いや岡村蒼()は、せっかくのおめかしも悲しむほど汗をかいていた。運動による汗ではないことは聞かずとも分かった。

 

「キミが好きな子を見せてくれるって言うからね。シャイボーイは中まで来てくれないみたいだし」

「シャイじゃないですよ。ショウはカッコよくて天然で世間知らずなだけですよ」

「褒めてるの? それ」

「当たり前じゃないですか星環さん!」

 

 せっかく座った椅子を倒しながら飛び上がるように顔を近づけてくる。前のめりになった顔には嬉しさが滲み出ている。

 

「さっきだって急に出てきた自転車からアタシを守ってくれましたし、でもそれはショウにとって特別なことじゃないって言うのが腹立たしくて。でもやっぱり抱き寄せられると嬉しくて。腕の中にいるのが理世じゃなくてアタシなのが嬉しくて」

「ドードー、他の人が居ないからって騒いじゃダメだよ」

 

 ホント好き好きーって感じ。吸血鬼に落とされたらそうなるか。

 手で座りなさいと指示をやると、彼女はカウンターの中にいるこの店のマスターに向かって恥ずかしそうに頭を下げた。『すみません』『いいんですよ、若人の恋バナほど仕事中の楽しみになるものはありませんからね』『マスター、ご馳走だからってやめなよー』『こりゃ失敬』なんてやりとりを交わして、マスターは口髭を緩ませながら僕らに飲み物を渡すと奥に引っ込んだ。

 

「そうそう。それでね、さっき目測で測れたからもっと正確な薬の量を調整できると思うよ」

「なら、お願いします」

 

 彼女は真剣な声で、瞳は遠くを見ている。

 

「でもいいの? 睡眠薬で好き勝手やるなんて」

「もう美味しい思いをしたから後戻りはできませんよ。きっとパチンコとか麻薬と同じ。なんでも使います」

「そうだね。やりたいことのためにはなんでもしなくちゃね」

「それが自分へのストーカーでも利用します」

「うん。正解」

 

 遠くに向けられた瞳は濁っている。

 彼は蒼のつぶらな瞳しか知らないだろう。毒牙にかかっていることすら知らずに彼女の……そして僕に壊されるんだから。

 蒼は出されたシュワシュワと弾けるコーヒーに口をつけて、直ぐにカップをテーブルに置く。

 

「でも今日はいないみたいだね、ストーカー」

「……分かるんですか」

「分かりとも。僕は人間の気配には敏感でね」

「……はぁい」

 

 これは嘘ではない。

 今日は誰もつけていないようだ。

 まだ来ていないだけのようにも思える。

 きっと今日は他事で忙しいんだろう。

 

「吼月ショウがいない間にストーカーが来ても、僕がどうにかしてあげるから」

 

 僕は涎を垂らしながらテーブルに顔を伏せた蒼を見下ろす。無垢な首筋がポニーテールの下にある。揃いも揃って無防備な奴だ。ストーカーができるのも分からなくない。

 

「さて、余計な鬱陶しい眼をないことだしご馳走を頂こうかな」

 

 一年限りのご馳走を。

 

 

 

 

「–––と、言うわけでそこにいる奴がどれだけ卑劣で悪質か話したわけだが」

「ぁ……あ"……」

「誰も聞いてやしない……化け物には反省すらできないか」

 

 外気の冷たさに比例した冷酷さを持った箱の中で俺はタバコを手で揉み消した。手の中に、消えた火の中に残るのは燃え滓だけだ。呻き声だけを漏らす化け物たちが至る末路だ。

 

「本来は一匹の予定だったがまさか三匹に増えるとは思わなかった。が、それだけ吼月くんの住む街が平穏になる」

 

 化け物たちは全身ズタボロに切り傷をやる断面を見せびらかしながら、箱を形成する五面の内三つに磔にされている。人間ならば心臓があるはずの位置にはナイフが刺さっている。そのナイフが貫いているのは、化け物の体だけではない。

 

「化け物退治といったらやはり罪の証(クロス)だろう。その姿勢のまま朝日を拝むといい。最後まで連れ添ってやる」

 

 言い残して俺はこの箱から出ることにした。

 化け物どもと同じ場所にいるなんて耐え難い屈辱だ。

 その時だった。

 

「うん?」

 

 身体が空いたのだ。

 まるでどこかに投げ飛ばされたかのように、衝撃によって身体が足を地に下す安心感から見放される。次に気づいたのは箱が回転していたことだった。

 まさかと思った。

 しかし、道理でもあった。

 

「チッ!」

 

 回転する箱の壁を蹴り上げて、唯一壁のない面に向かって飛び出した。俺が足を踏み入れたのは夜空の一片。星が踏み台にでもなってくれたらいいのになと思いながら落下する。

 視界の端に共に落下するコンテナ倉庫を収めながら地上を見る。

 そこには女の姿を化け物がいた。

 確か、名前は粟坂–––––

 

 

「アタシらの眷属、返してもらうよ」

 

 

 化け物の怨念か。

 辺り一面、鉄色に染め上がった。

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