重力に逆らう力を失った鉄の箱が落ちてくる。二度加えられた衝撃によって夜空を突き抜けるのではと思うほどの高さに迫った。
港にでも置いてありそうなコンテナを二回も蹴り飛ばした狙いは二つ。
ひとつは神崎と中にいる吸血鬼たちを切り離すこと。
もつひとつは殺せたらいいな、という打算だ。
第一の目的は達成している。
「遅くなって悪かったわね」
その成果の重みが両肩にズッシリと伝わってくる。吐息もか細くして弱々しいが聞こえている。
「萩凛、そっちの吸血鬼は息してるか?」
「息はしてるわ」
「殺すためには日光は必須なのか、時間が足りなかったのか」
「私達にメッセージを残せるくらい隙はあったでしょうから、恐らく太陽の影響でしょうね」
辺りは小森の街の郊外にある高台のそば。そこの貸し倉庫区域だった。奥には森があるが、東側は切り開かれて高台の頂上ほどではないが見晴らしが良い。
三人を抱えたまま無事着地する。
「アイツ、人間だよな」
「十中八九。でも普通に避けたわね」
「アタシら結構強めに蹴ったのにな」
「探偵ちゃん然り、なんでこう吸血鬼と敵対する人間は戦い慣れしてるのかしらね」
「ススキの奴も人間と決闘してるし、思いの外、吸血鬼とやり合える人間は多いのかもな」
吼月くんも妙に戦い慣れしてたし本当に厄介だわ。もしかしてあの男が護身術でも学ばせたのかしら。何より面倒なのは、ナイフによって胸部に縫い付けられた物品だ。
寝かせた男たちのうち、ふたりは私たちの眷属。ロン毛の吸血鬼と筋骨隆々の吸血鬼。それぞれパスポートと学生写真が胸と共に貫かれている。これが二人の弱点だというのは、年代が違えど顔写真が載っているから分かる。
探偵ちゃんとの一戦もあったから、人間だから、と油断はしない。
吸血鬼を倒すための武器。
人間だった頃の私物という弱点によって負けた。
「にしても、デカいナイフだな。大きくても殺せるわけじゃあるまい」
もう一人の見知らぬ吸血鬼も二人と同様に弱点らしき身につけさせられている。二人とは違って、ネックレスだからか首にかけられているが、外れないように針金が皮膚を貫きながら弱点を固定している。見ているだけで身体がこわばるほど痛々しい拘束具をなんとか抜いていく。
ナイフを抜くだけでも生めかしい音がするのに、これは手に死にかけている目の前の吸血鬼の肉片が手につくのだ。その冷えた肉が指先から恐怖で自分を蝕んでいく。
「痛いいたい……吸血鬼だからってここまでする?」
「吸血鬼だからするんだろ。外の国だとよくあることだ……変わるぞ」
「自分でやるわ。はぁ、今日に限ってなんで甘凪ちゃん来ないわけ」
「連絡つかなかったんだから仕方ないだろ。三人とも回復させて反撃するぞ」
神楽ちゃんは膝立ちで二人に寄り添い、ナイフを地面に弱点をズボンのポケットに仕舞い込む。ワインレッドのジャケットから試験管のようなものを取り出した。血が封入された管の封を開けて、口に垂らそうとした。
見つめていた視界の端。地面に置かれたナイフの柄頭が小さな赤い点がついていた。
「チッ!」
ゆったりとした明滅から激しいものになっていき、それぞれの足元で閃光と共に炸裂した。小さい爆発だったが、それを認識する前に瀕死の三人を抱えて私と神楽ちゃんは慌てて飛び退いた。
その背後で、背筋を這うような足音がした。
虫の知らせか、それとも杞憂なのか。
後者だと思った。
なぜなら、飛び退いた勢いを殺して支えてくれた誰かは、吸血鬼特有の香りを携えていたからだ。神楽も同じく、知らない吸血鬼に身体を預けていた。安堵したのは間違いなかった。連絡を見た甘凪の応援だろうか。
ただ見たことない人たちだった。
あと吸血鬼にしては薄汚い。
どちらさまかしら?
そう思った時には、顎に強烈な衝撃が奔った。目の前にいた神楽が宙に足をつけている。あれでもおかしい。焦った様子の神楽ちゃんは片足に全体重を乗せた後ろ蹴りを名も知らない吸血鬼に放っていた。徐々に視界が下がっていく。
「萩凛!––––ナッ……」
私に気を取られていて硬直した一瞬、蹴り飛ばされた吸血鬼が神楽ちゃんの背中に何かを投げ当てた。すると、どうしたことか。神経を行き交う信号が狂ったみたいに神楽ちゃんは地面の上で痙攣していた。
謎の吸血鬼は仕返しとばかりに倒れ伏す神楽ちゃんの大事なところを蹴り飛ばして意識を刈り取った。
それを見た私は自分の状況が分かった。
––––ああ、そうか。首、ネジ折られたのか。
百八十度回転した首は食道ごと捻られ、胃から迫り上がってくるモノを堰き止めていた。
私が最後まで感じたのはものすごい吐き気と涙を流すほどの嫌悪感と、引き摺られて地面に跡を残す痛み。最後に見たものは、閉じていくコンテナの扉だった。
☆
吸血鬼の力は便利だ。
仮面ライダーエグゼイドに出てくるバグスターのような瞬間移動ではないけれど、自動車同等の速度を持ちながら街の中を跳ね飛ぶ小回りの良さはバイクにだって出来やしない。人のいない建物ならすり抜けて最短ルートで目的地に着くことができた。街全体を使ったチェイスは楽しい。
やってきたのは
頻繁に訪れるのでそこまで有名だとか、敷居が高いとか感じたことはないが、今回はいつもの紹介とは違うから妙に意識してしまう。
神崎の過去を……正確に言えば神崎の妹に関する話だ。
軽やかだった脚に貨物船を留めるアンカーでもついたかのような変わりように、自分自身で呆れながらビルに入る。本当に今更だ。オジサンたちと同じくらい会いたくない。
けれど、話をして状況を打開してやる。
エレベーターで十階にまだ行くと、オフィスを顔パスで通った。
オフィスの先には所長室と面談用の会議室が多く設けられていた。会議室は番号が振り分けられていて、俺は【1】と記された部屋のドアを開けた。
神崎がいる、そう思っていた。
「吼月くん、久しぶりね。座って座って」
会議室の中にいたのは、ティーカップに口をつけていた朝霧日和さんと知らない女性だった。
座り心地の良さそうな革製のソファがテーブルを挟んで二つ置かれている。空いたソファの前に一つだけ置かれたカップは、来客である俺を待っていたと言わんばかりに湯気を昇らせた。先ほどまで半吸血鬼になっていたからか、爽快感のある独特な香りから出されている飲み物がダージリンだと分かった。中央にはクッキーなどの御茶菓子が置かれている。
朝霧に促されてソファに浅く腰をかけた。
「朝霧さん、お久しぶりです。えっと……」
「どうも」
事務的な平坦な声はどこかで聞いたことがあった。
「こっちの子は大未栄
「……見張りの人」
「そう。今日はちょっと交代してるけど」
「なるほど」
朝霧はセミロングの髪でフラットな服装だが、大未栄さんはスーツ姿でショートカットでビシッと決まったコーデだ。なんともお堅い印象を受けるが、それそのはず、胸に弁護士バッチをつけていた。新人かな。話す途中途中に背中を撫でているのが、交代の理由だろうか。
「怪我ですか?」
「そうね。ちょっと……」
「神崎に突き飛ばされた?」
「……身内の恥を言い当てられるのは嫌ね。しかも子供に」
大未栄さんはこちらを気遣うように上目遣いで見つめてくる。
「貴方の境遇は神崎さん達から聞いてます。神崎さんの癇癪も。なので私も事情を知りたくて同席してます」
「……大変ですね」
「お互い様ですね」
「オジサンと神崎さんの悪い雰囲気の中でよく生還しましたね」
「それは神崎さんから?」
「いいえ。その様子を偶然クラスメイトが見ていたものですから」
「……なるほど」
苦々しい顔つきの大未栄さんから眼を移し、俺は朝霧に問いかける。
「肝心の神崎さんは」
「ごめんね。さっき急用で出てっちゃって、ことが終わり次第戻ってくるから」
俺は壁面にかけられた時計を見る。着替えや残りの支度をして蒼の家を出たのが二○時を過ぎてから。そして今が四〇分だから、通常なら電車を使っても一時間以上はかかる距離を、俺は三十分近く踏み越えてみせたのだ。
「でしたら、また後日にでも」
「構わないわよ。私だってある程度話せるもの。蘭花のことなら」
「……そうですか」
それではダメだ。事実は複数人から確認するもの。対個人で欲しいのは、その人がどう思っているかだ。ここであまり時間を使いすぎるわけにはいかない。
「でしたら、貴方の知る蘭花さんについてだけお願いします」
「分かったわ」
「和法さんの家族が全員死んでるのは……知ってるわね」
俺と大未栄さんは同時に頷いた。
「両親は事故で焼死。和法さんは衝撃で外に飛ばされたから骨折とかだけで済んだけど、蘭花は助け出す前に顔に火傷を負ったわ。大きな事故だったからニュースにもなったし、今だと和法さんが有名にもなってるから再起の逸話として不幸話として広がってる」
大未栄さんは思い出したように顎に手を当てながら『聞いたことありますね。ネットニュースだと苦学生として身を削り妹の学費も面倒ながら司法試験を突破、みたいに書かれてました』と言った。
頭を左右に振って否定したのは朝霧だ。
「ニュース用の美談にするため改変が入ってて、さも両立出来たみたいなニュアンスだけど、本当のこととは少し違うの。苦学生だったのは途中までで、学校も仕事も両立は流石に厳しくなって休学、そして中退して蘭花の面倒を見ることに専念し出したの。
学校側も和法さんには残って欲しかったのか、かなり譲歩してくれてたんだけど……ほら、あの人、蘭花のこと大好きだから」
「自分か妹かだったら、間違いなく妹さんのほうでしょうね」
「蘭花が絵とか彫刻とかが好きで、美大に行きたいって昔からの言ってたらしいの。そのために自分の学費を蘭花にやったの」
妹のことを思い出しながら、容易く人を殴れるようになるぐらいには溺愛していたのは知っている。欠けたら壊れてしまうほどには、大切なもの。
「でも……かえって重荷になってたみたいなの」
でも俺は……蘭花という人の気持ちがすごく分かる……気がする。
腕が震えている。
身構えるように腕を組んで話に耳を傾けた。
☆
確か、そう––––
ウチの家族は裕福だったし、仲も良かった。安寧が続いたのは言うまでもなく両親のおかげだった。父親は弁護士で、母親は絵本の作家だった。ふたりとも仕事で大変だったけど、家を空けることはなかった。
私には兄がいた。
兄は父の影響からか、弁護士が好きだった。頭も良かったし、運動もできた。優秀な兄だった。カッコよかったし、優しかった。ケンカも強くてイジメやケンカがあったら殴らずに終わらせられるぐらいには圧倒的だった。きっと空手をやっていたからだと思う。
そんな兄が大好きだった。
お母さんが絵描きもするので倣いながら兄を描いたりもした。学校で使った彫刻刀で木から削り出したりもした。
おかしなくらい大切だったんだと思う。
狂ったのは高校の頃。
休みの日、高速道路でみんなで出かけていると目の前から車が突っ込んできた。両親は焼け死んで、私の顔にも大きな火傷の痕が残り、時折酷い耳鳴りのように衝突音が前触れもなく聞こえてくるようになった。
それから日に日に苦しくなっていった。
周りから後ろ指を差されるのはもちろんだが、友達だったはずの子達も次第に距離ができた。高校卒業では、私はひとりで裏門をくぐっていた。
両親の遺産はあったけれど、それだけで二人分の今後の学校生活を含めて万事問題なく過ごせるわけではなかった。その原因が親戚が多くを掠め取っていたからなのは、幾年も経った頃に知ったが、いまさら問題ではなかった。
金銭的な問題を解決するために兄はバイトにも励んでくれた。
私も手伝おうとしたが顔に残った火傷を見て雇ってくれるところは中々なかったし、雇ったとしてもパニック障害のせいで長続きしなかった。もう顔も何も見られたくなくなって、それでも、と何十回目かのクビを喰らったある日、私は兄に言われた。
『蘭花はそんなことせずに絵を描いていてくれればいいんだよ。ほら、この間連れてきてくれた子……誰だっけ、顔は見れなかったけど朝霧さん、だっけ。また遊びに来てもらいなよ。画材とかもキチンと揃えておくからさ』
死んだような眼で私だけを見つめながら言うのだ。そのころ、兄の言う通り美大で絵などに励んでいた。そのとき、唯一できた友達がいたが、その子はいい子だった。
『朝霧さんって、何が好きだっけ。……あ、クッキーなんだ。分かった。また呼ぶときは教えてくれ。買っておくからさ』
その目と向き合うたびに、周囲から酸素が一片たりとも残さず消え去ったかのような感覚に陥る。生きるために必要なものが欠落していた。好きだったはずの兄の姿がもう亡くなっていた。
『蘭花が幸せならそれでいいんだ』
話し合うたびに周囲の景色が真夜中みたいに暗くなっていくのが分かった。次第に私は夜になると何かを求めて、外を放浪するようになった。
兄には知らなかった。
だってずっと働いてたから。
私も……口にすれば兄の優しさを裏切るみたいで、言い出せなかった。
そして、ある日。
キラキラとしたものを見つけた。
誘蛾灯の下で私は照らされていた。
逃げ出したかった。
––––そう。そんな風に間違いを起こした気がする。
もうほとんど覚えていない。
☆
そう、間違いが起こった。
朝霧は何分か、何十分か分からないほど過ぎ去った過去に耽るように俺から視線を外していて––––ようやく口を開いて、重々しく言った。
「蘭花は吸血鬼に最後の尊厳まで奪われたのよ」
「……は?」
ポカンと困惑を漏らしたのは大未栄さんだ。
「吸……え、なっ? 吸血鬼、ですか?」
「ええ、そうよ。夜の街に出ると血を飲み干す鬼がいるから気をつけろ……こんな噂、聞いたことないかしら」
「小耳に挟んだことはありますが……流石に眉唾では」
「いいえ、違うわ」
ピシャリと強い言い方で断言する朝霧さんは、肩にかかっていたセミロングの茶髪を手で背中へと放った。すると当然、首が露出する。俺がよく味わわれている吸血鬼が好むポイント。そこに眼をやると、手入れされた首筋に二点痕があった。
それを俺は知っている。
「……吸血痕」
「そうよ。飲み方が悪かったのか……今でも痕が残ってるの」
朝霧は優しく黒ずんだ痕を撫でる。
「……てことは、朝霧さんも吸血鬼………?」
「残念ながら違うわ。私と蘭花はあくまで友達だったもの」
その眼はどこか哀しそうなものだった。後悔のようなものが滲んでいて、まるでそれ以外の関係なら良かったと暗に示しているかのようだった。
「吸血鬼は蘭花の心を弄んだだけじゃなく、家族愛も友情までも引き裂いたのよ。私は今でも覚えてる。私の血を吸って、泣きじゃくりながら逃げていく蘭花の姿を」
声に混じった悲しさから大未栄さんはもう虚偽だとは疑わなかった。
…………そっか、だから吸わないんだ。
なんだか、腑に落ちた。
ぼんやりと異様な顔つきを思い出す。
ゆっくりと手が垂れる。
太腿に手が被さる。脚が震えていた。
それが自分の心からの震えだと錯覚したのは数秒のことで、原因がズボンのポケットに入れていたスマホのコール音によるものだった。
『誰だ、こんな時に』と思わず溢しながらスマホを取り出すと、画面に表示された名前を見て思わず胸がギュッと萎んだ。鋭い棘を持つ蔦で心臓を締め上げられるような感覚に襲われていると、大未栄さんが困惑顔のまま俺に視線を向ける。
どうしたの、と問われて俺はスマホを二人に向けた。
「葛樹
「すみません。少し席を外します」
「……わ、分かったわ」
朝霧も予想していなかったようで、口籠もりながら紅茶を口に運んだ。軽く会釈だけして会議室の外に出た。
深く息を吸う。全て吐き出す。
一回、二回、三回……急かすように鳴り続けるスマホは心の均衡を取り戻すまで待ってくれた。ようやく決心がついて、電話に出る。
「や、やぁ……翔……どうしたんだ? 最近、学校や塾はどうだ? 友達とゲームとか出来てるか?」
『お兄ちゃん』
言葉を遮って聞こえる声は、嫌になる程深刻さを孕んでいた。また、心臓がいやな高鳴りを始める。ドクドクと鼓動が回すものが血液ではなく毒なのではないかと錯覚するほど、俺は集中して翔の声に耳を傾けた。
そして、翔はこう言った。
『急いで、友達を助けに行って』
熱くなる心臓とは逆に、急速に頭が冷えていくのが分かった。
☆
今日一日だけでも、吸血鬼はクソだというのが再認識できる。
俺は閉じたコンテナの扉に背をもたらせながら流れを見守っているのだが、出来れば早く離れたい気分だった。拷問器具が足元に散乱したコンテナにいて正気な奴の方がおかしい。
せめてもの救いは、俺だけが粟坂神楽と午鳥萩凛のスマホでの作業で気分を紛らわせられたことだ。メッセージの片隅に書かれた【20:10】の上に既読の文字はまだつかない。
「
せっかく粟坂と午鳥を使えるのだからエマは殺しておきたかった。コイツらのグループで今最も人間のそばにいる吸血鬼だ。なにより眷属候補が吼月くんとの繋がりもできているらしい。
「ぁ"……ぅぅ……」
「ぐっぅ……!」
考え事をしても呻き声は必ず聞こえてくる。
イヤホンで耳から漏れる音量のクラシックを流しても、その顔から唇の動きから悲痛な呻き声が壁をすり抜けて脳を揺さぶる。二匹の悲嘆の原因は、同胞であるはずの寂れたジャケットを着た吸血鬼二匹だ。
名前は呼びたくないのでAとBでいいだろう。
どちらもろくに社会を経験していない若い雄だが、粟坂と午鳥を、タバコの箱に入った弱点を使って意気揚々と脅し屈服させた。
「なぁ、あんた吸血鬼のお頭なんだろ? もう一発ぐらい仕返してみろよ」
「…………」
抱く恐怖から抵抗もせずに雄二匹に跪く雌二匹。
–––さっきも見たな、この流れ……
どの吸血鬼にもこの攻め方をするつもりなのだろうか。
呆れてものも言えないが、自分も行き着きそうで恐怖がある。もし本当に吼月くんが吸血鬼と一緒にいたら、ソイツをコイツら同様生き恥を晒させて苦しめているに違いない。
吸血鬼なのだから当然の報いなのだが、なりたくないものというのは当然ある。
「なんで……」
治癒した頭部を持ち上げて粟坂は眼を鋭くする。小さな呟きの先にあるのはタバコの箱とそれらを持つ吸血鬼たちだ。
つまりは奴らの弱点と、何故同種がこちらに寝返っているのか、だ。
敗者の苦悶の表情に上機嫌になったAはしたり顔を近づける。
「ほぅ……気になるのか? 気になるよなぁ! ……説明してやってくださいよ、神崎先生!!」
そこは自分でしろよ。
ホント不細工な奴だな。
ため息を一つ溢してから、俺は説明をし始めた。死ぬ前に疑問のひとつやふたつぐらいは解いてやってもいいだろう。俺は指を二本伸ばして、まず一本下ろした。
「まず先にコイツらは吸血鬼に騙され、知らず知らずのうちに眷属にさせられた。自暴自棄になっていたコイツらに声をかけた。そして契約してコイツらに協力させて、そこにいる詐欺師を駆除することにした」
目線を送ったのはこの場で誰とも繋がりのない吸血鬼。
本来であれば稲城と呼ばれる奴も始末する予定だったが、昨晩死んだらしい。肉体が残っているらしく、人間だったようだ。どこで情報を間違えた?
俺は詐欺師–––吸血鬼は全員詐欺師みたいなもんだが–––に近づくと、ダメ押しで弱点を強く押し当て頭部を小さな手斧でかち割ると、飛び散った肉片から四肢まで灰になった。手斧が甲高い音を立て地面に横たわった時には、ひとつの灰の山ができあがった。
吸血鬼全員が恐怖で息を呑んだ。
次に、と話を続ける。
「あの
例えば……恋人との写真。
スーツから取り出したのは高校生の男女が映った微笑ましいプリクラだ。這いつくばっている粟坂と午鳥に見せながら語る。
「これは桔梗セリの眷属である秋山昭人と元恋人の写真だ。この手の本人の理性や記憶に頼る弱点は数が多いが、無くなったり風化したりと手に入るものは少ない。加えて、これが本人のものである、と認識させないと弱点としての本来の力が発揮しない。奇襲にも向かず、敵対するには不向きだ。現にお前たちや平田ニコたちみたいに焼却しにかかる連中もいる。無論、平田たちが動く前に回収は済んでいる。
それとは対照的に–––」
無闇矢鱈に弱点を振るう二匹からタバコの箱を奪い取ると、奴らは露骨に口角をひくつかせる。それを横目に捉えながら続ける。
「本能に訴えるものが、人間だった頃の血縁関係だ」
テープで封がされていたタバコを開けると、そこに入っていたのぐるぐると纏められた紐のようなものだった。それは母となったものならば誰しもが一度は生み出し、手にしたことのある……臍の緒である。
押し付けられて『ひぃ……』と怯えた声を漏らしたのは午鳥萩凛だった。
星見キクや本田カブラと同じタイプのくせに。
「血は論外だが、臍の緒のように人体から切り離されたものは物とされるみたいでな。親や子供といった、一世代間に限り有効打になる」
「……随分と気前よく教えてくれるんですね」
「どうせ死ぬ奴らしかいないしな」
粟坂と目が合う。俺と奴だけが視線を交わした。
吸血鬼が弱点と触れ合った時の恐怖は抗えるものではない。横目には粟坂の隣で冷や汗ダラダラになって涙を流す午鳥の姿がある。余程の
しかし、粟坂は弱点を突きつけられているというのに目が死んでいない。
怯えた姿も演技なのは間違いない。
心が折れていく段階を見せて油断を生ませようとしてるのにあの二匹は気づいていない。
「最後に一つだけ教えてやる」
「……なんですか」
「俺はお前たち二匹の含め眷属全ての弱点を持っている」
「は?」
「今日のうちに全員朝日を拝ませてやる。お前らがされたのと同じ方法でな」
呆然とした様子で粟坂の目の中にあった輝きが褪せていく。
「あとは任せる。さっさと仕留めろ」
弱点をABに渡してコンテナを出る。
コンテナの藍色の扉を閉める時、鬼の形相で襲いかかろうとする粟坂が見えたが弱点をちらつかされて萎縮し、スリ抜け含め吸血鬼の力をまともに使えない状態ではチンピラ以下の吸血鬼如きに取り押さらた。絶叫で微かにコンテナが震えていたが、隣の赤いコンテナ倉庫に入る前には沈黙していた。
そこから先は流れ作業だ。
粟坂と午鳥のケータイでノコノコ釣られた虫をコンテナ内で弱点を使い一匹ずつ狩る。弱点を突きつければ先ほどの二人同様水を被った狸のような貧弱な姿になって、容易く取り押さえ磔に処す。
処刑開始時刻は二〇時二◯分からだった。十分ごとに倒していく。制圧・磔で二分。灰化を進めるために体力を根こそぎ奪うのに三分かけた。
数時間もすれば雄雌問わず十数匹の化け物がコンテナの中で咽び泣いていた。右を向けば目眩を起こし錯乱したように譫言を呟く奴がいる、左を向けば弱点や突き刺されたナイフに苦しんで踠くが大した力も出ず余計に身を内側から焦がすような熱に晒されていた。中には既に灰化が進んでいるやつもいる。
押し付けられた弱点に苦しんで死ぬが大半だろうが、一部は最後の夜を目一杯生きて朝日を浴びて死ぬぐらいまで粘るかもしれん。悦は苦難の先にこそある。最後ぐらいは陽の目を見せてやろう。
「十匹以上いるから二時間はかかると思ったが、長年やってると害虫駆除も手慣れるものだな」
ここまで順調に行くとは。
もう吸血鬼退治の専門家と名乗っていいだろう。
二日前からこびりついてきた不快な視線を取り除こうとした結果、十匹以上始末できるとは運が良い。
化物だが、一応この自然界の生き物らしく吸血鬼は親子の性質を持っている。子が危機なら親は自分を囮にできるし、子は親の話ならすんなりと言うことを聞く。だから始めに
全員のスマホなどを検閲すれば、約束通り誰にも伝えずにノコノコやってきたようだ。いつものことだった。惚れた弱みなのか、記憶が薄れても相手に対する意識の根っこは消えないらしい。
さて––––と、元のコンテナに戻る。
流石に灰の山が二つは追加されているだろうと思いながら、軋むような重厚音を立てる。入ってみればまだ楽しんでいる最中だった。落胆した。変わったところは、二匹の目から光が消え去った玩具になっていた事と形容し難い無惨な姿で磔にされている事ぐらいだ。詐欺師がいた所に粟坂が拘束されている。
床を見ると灰の山が崩れていて、粟坂と午鳥の体の数箇所に灰を被った痕跡がある。
Aが気づいて午鳥を鞭で叩きながらこちらに声をかけてきた。
「神崎先生」
「仕留めろって言ったはずだ。これは教育ではない。時間はあっただろ」
「いやいやッ。コイツら吸血鬼の派閥の頭なんでしょ? だったら日が昇るまで苦しめた方がいいですって」
「そうですよ、せっかく仇の同胞が手に入ったんですから最後まで楽しまないと」
Bは粟坂のスタイルよく鍛えられた身体をサンドバッグにしていた。
完全に愉快犯の顔だった。
やはりダメだな。吸血鬼というのは力と機会があるだけで性根まで容易く化物になってしまう。まずここにいる吸血鬼に強いるのは教育ではなく死刑であるのだが、どうやらこの雄は理解していないらしい。そして、もうひとつ自分達が置かれている立場も理解していない。
「まぁいい……なら、そろそろ契約を果たそうと思う」
「は、いやぇ……い。まなんて」
俺の言葉にAB、どちらの動きが止まって俺に視線を釘付けにした。突然の宣告に思えたのか、奴らは訥弁に苦しみ出す。
「元々『俺の仕事を手伝う代わりにお前達を終わらせてやる』という契約だっただろ」
「いや、いやいな! 待ってくださいよ!」
「俺たちは被害者ですよ!? 契約を果たすなら吸血鬼全員に地獄を見せてからでいいでしょう!! 人間な–––」
「ここまでやれる奴らは立派な
パシャリと言い切ると、途端に雄二匹は恐怖したのか口をつぐみ
それが自分がどの位置にいるのか思い至らせたらしく、Bの視線が素早く床に走った––––と、思えば手斧を携えて飛びかかってくる雄の姿が視界いっぱいに広がった。
「だったらお前が死ねよ!!」
チャンスを見出したのか、Aが俺の背後に回り込んだのを音で感じ取った。不慣れな殺意に身を任せて凶刃を振るう二匹の姿に、『そうか、もうひとつ勘違いしてることがあるのか』と悟った。
「お前たちは取るべき道を誤った」
「––––ハ!?」
「ぁぐぁっ!!」
次の瞬間には、俺に顔を床に叩きつけられる二匹の雄の姿があった。理解できないといった様子で、歯と胃液を吐き出した。
「勘違いしているようだが……俺がお前達に頼ったのは、あくまで相手が戦い慣れしてる粟坂と午鳥だったからだ」
粟坂と午鳥は、名前に実情が全く追いついていないとはいえ自警団という名の暴力集団を作っている。戦闘面ではかなり厄介な部類だ。同じ吸血鬼のスペック、閃光弾と
「お前らみたいな愚図に遅れをとるわけがない」
叩きつけた勢いのまま首をへし折ってやると、二匹の雄は完全に気を失った。
「お前たちが模範にするべきは吼月くんだぁ……彼は一度過ちを犯した。しかしそれは仕方のないことだった。誰も知らない自分の出自に翻弄され、知らず知らずに大切な母親を傷つけてしまったのだから。
だが彼はそこから再起した。たったひとりで人間として順応したのだ。力を使いこなし、人道と正義のためだけに使う。正しく清き人間の在り方のひとつだ。
生きたいのならばキミらもそうするべきだった。
出来ないのであれば、加納ミチヒサのようにひっそりと耐え続ける生き方をするべきだったのだ」
沈黙した二匹の弱点をスーツパンツのポケットから取り出して、一匹一匹それを押し付けながら手斧で頭部を裂いた。瞬く間に灰の山が新たにふたつ、出来上がる。小山にかかった服が死者を労る面布のようだった。
腹立たしい。
穢らわしい奴らに労りなど不要だ。
俺は立ち上がって粟坂たちに迫る。
「次はお前たちだ」
「……」
「お前たちは無闇に手を広げすぎた。小森の街にやってこなければ、順序も後回しになって、もう少し長く生きることができただろうに」
息をしているのかすら怪しい粟坂の額にタバコの箱を押し付けて、手斧を振りかぶる。生気を亡くした無色の瞳は俯いたままで、焦点も定まっていない。
ここまで念入りに折ってくれるとは流石クズだな、と名前も忘れた化物を鼻で笑いながら、断頭台のギロチンのように容赦なく斧を振り下ろした。
カラッ、コロん……
「……?」
その刃が触れる寸前で機械的な殺意が止まったのは、足元で何かが投げ込まれる音がしたからだ。なにより、死んでいたはずの粟坂の頬に微かな安堵が生まれたからだった。
見下ろせば落ちているのは赤い筒。
警告色の筒が一気に炎を噴き上げ、コンテナ内を瞬く間に煙で充した。
「ッ……ウッ……!」
突発した煙を吸い込んで咽せる。
健全な視界が遮られる。
けれどひとつだけ分かることが–––––!
「––––」
「チッ!」
発炎筒のように真っ赤に染まった思考が取ったのは、緊急離脱という最悪な結末だった。コンテナの扉へ背中から飛び掛かるようにして跳ねると、煙が重厚な鎚に変容して襲いかかってきた。全身を何かが過ぎ去る吐き気のする感触。白の殺意の塊がコンテナの扉ごと俺の体を外へと放り出した。身体はゆっくりと宙を漂う。
間違いなく殺すことを選択肢に入れた攻撃に全身がビリビリと痺れる。
「こっちがッ!」
殺してやると、全身の痙攣を跳ね除け、乗った勢いのままバク宙のように身を翻し、斧を地面に突き刺すことで失速させ着地した。
空いた手が地面に添えて、すぐさま走り出す。握っていたはずのタバコの箱……あれを無くすのも俺の駆除方法がバレるのも痛手になる。
「待てッ–––!」
尚も煙々と白濁を吐き出し続けるコンテナに駆けるが、俺を拒絶するようにコンテナが飛び去った。コンテナ自体が飛んだのだ。
思わず口が開いてしまう。
夜空に去った藍色のコンテナは瞬く間に紛れて、頭上に塗りつけられた黒と同化して目で追うことは叶わなかった。
俺は残った赤いコンテナの扉を開ける。
「…………クソッ。粟坂神楽……!」
扉を殴りつけた重々しい音が響く。
殴りつけた拳が痛む。
中で磔にされていたはずの化物どもが、灰の山ひとつも残さず消えていた。
☆
「大丈夫だよ、鬼のお姉ちゃん」
部屋の隅で膝を抱える私に、年端も行かない少年は言った。
「お兄ちゃんは助けてと言う人は誰だって助けてくれる。そんな凄いお兄ちゃんなんだ」
だから大丈夫だ、とその子は自信満々に胸を張る。ここの真っ白な家みたいに輝いて見える兄を思い出して、葛樹翔は眼を輝かせている。まるで太陽の光を受ける月のようだ。
……分かる。
キラキラしてる人って良いよね。
私の初恋はどうだったかな。もう覚えていない。
よふかしのうたの二期っていつになるんだろう……