よふかしのあじ   作:フェイクライター

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アニメが!
二期アニメの放送時期がついに決まったぞ!!


第百十参夜「チョコ」

 僕の映画館(シアター)に実像が薄れた大きな何かが現れたのは、ようやく右腕が完治した頃だった。まるで二つの穴がピッタリ重ならず歪なハートを描いたようなものだった。

 

 それが門であることを僕は知っている。

 それが誰かの心なのも僕は知っている。

 

 今日は一段と邪魔が多い日だ。好きな作品を思い出上映していたところに最初にひとつ心は現れた。てっきりまた門だと思った。最近で言えば蘿蔔ハツカもそこからやってきた。けれど、今回はこちらに干渉するほどの余力がないらしい。

 疲弊し切った心が映画館の舞台に何度も現れる。

 

(おおかた、外の僕が何かしてるんだろう)

 

 しかし、十人以上来ている。流石に多すぎないか。加えて全員が全員、酷い仕打ちを受けていたみたいだ。神崎の仕業らしかった。

 詳しい事情はまた後で本を読めば分かるだろう。外の僕が体験している事柄はすぐには僕に反映されないのだ。

 シアターチェアから立ち上がると、僕の目の前で整然と並ぶ同じ椅子たちが左右にはけた。舞台までの一本道。その階段をゆっくりと降りて、身の丈より大きな誰かの霞んだ黒を目の前で仰ぎ見た。

 

(これは……一段と酷いな)

 

 よく聞くフレーズに、ひび割れた心、と言うのがあるが不謹慎でもあまりにも当てはまる有様だった。亀裂が入っていない箇所がないし、既に所々崩れ落ちている。亀裂や心の輪郭は澱んだ泥のような黒で見ているだけで不快だった。

 パラパラと落ちる心の破片をそれぞれひとつずつ手に取って見つめる。

 そこに映ったのは二人の女性だった。確か名前は午鳥萩凛と粟坂神楽。その二人が見知らぬ男たちに嬲られている様子が流れていく。内容は省かせてもらうが、大体俺もやられたことのある酷い屈辱と苦痛を伴うことだった。

 自然とあのクソジジとクソババたちの顔を思い出す。視界が落ちる。俯くと吐瀉物が足に降りかかり、あたりを胃液混じりの黄色に染めていた。

 それでも心の悲鳴からは眼を逸らさない。

 どこからどこまでを救うべきか、見定めるためにも眼は逸らさない。

 苦痛は続いていく。

 流れて、流れて、

 

(そうか、あの男たちは死んだのか……)

 

 神崎に殺された二人の吸血鬼の姿を見て、胸を撫で下ろしてしまうのはいけないことだろうか。

 そして最後に映ったのは、煙の中で手を伸ばす自分の姿。

 

(……自分のせいだってのに、ちゃんと分かってるのかな)

 

 必死な顔つきで拘束具をもぎ取ると、そこでふたりの意識が途切れた。

 大体わかった。

 僕は壊れかけた二つの心に触れる。優しく壊れないように、でもしっかりと僕がここにいることを示すために熱を伝える。

 すると、ガラスの破片のように鋭利な泥が僕を伝って映画館に広がっていく。その泥は彼女らが抱いた痛みだと知っている。なら、痛みなんて全部僕に流せば良い。そのための僕だ。

 流れるたびに映画館の床が、椅子がどんどん切り裂かれるような音がした。泥そのものに推進力があるみたいに、背後で駆け上がる音がする。

 それでいい。

 心の中なのだから僕はいずれ治る。

 でもキミらはキチンと外にいるんだからここで治さないとね。

 

(そんな世界(苦痛)は……忘れるに限る……)

 

 心のカケラの繋がりを取り持っていた泥が抜け切った。ここまででは崩れ落ちるだけだ。だからこそ、僕は血を流す。手を握ったような暖かい温もりを流し込む。

 終わったことは忘れて、幸せに。

 気づいた時には壊れかけた心は、潤いに満ちた赤い姿になっていた。

 

 ドクンッ。

 

(さあ、お家にお帰り)

 

 僕は振り返って、もと来た階段を登っていく。

 道中、二つの本を拾った。粟坂と萩凛の泥が塗り込まれた真っ黒な書物だ。大丈夫、辛い過去は僕の中に留めておいてあげるから。

 最初に座っていたシアターチェアに収まって、隣の椅子に積み重ねられた本に二つ追加する。

 舞台を見下ろした時には既に二人の心はここから退場して、泥が引いた後に残ったのは傷跡だらけの凄惨な映画館だけだった。

 

 

 

 

 突き抜けるような痛みとジンワリと全身に広がる快感が消えていくのは、首筋から吸血鬼の牙が抜けたからだ。僕の首を囲うように左右にいるのは粟坂神楽と午鳥萩凛。血をたっぷりと飲んだからか、傷ついた身体は元に戻り肌の色艶も回復している。

 代わりに僕は膝から崩れ落ちるぐらいには力が薄れてしまう。

 でも、良かった。死んでない。

 吐き気もする。

 

「はぁ……ふぁ……」

「お疲れ」

 

 肩を上下させながら深呼吸していると背後から声がかけられた。振り返ると紺色の鉄壁を背にしながらこちらに歩いてくる士季の姿があった。

 

「士季か。そっちは?」

「ひと段落だな。お前の血で回復した連中は先に帰したし、回収した弱点は砕くか燃やすかで消した。あとはその二人が起きるだけだ」

「……臍の緒、食ったのか?」

「噛み砕いてはねえよ。少し離れた所に車を停めさせてるからそこまで行くぞ」

 

 呆れながら見下ろしていた士季は、冷気で乾いた土を膝で窪ませながら腰を下ろして僕が抱えていた粟坂を預かってくれる。半吸血鬼を再度発動させると、ふたりで車を停めているらしい場所まで木々の枝などを足場しながら速めに向かっていく。

 僕は士季の背中を追って進む。

 

「遅いぞ」

 

 士季が振り向きながら言う。

「血出したばっかりなんだから仕方ねえだろ」といつもの口調を平坦な声で真似た。

 

「疲れてんなら午鳥も持つぞ」

「必要ない」

 

 きっと遅いのは気怠さだけが原因じゃない。

『してもよく分かったな』と士季が話を切り替える。

 

「士季がついてきてたことか? まぁ、この間のことがあったばかりだし、監視で来てるかな––––」

「そっちじゃねえよ。午鳥や神楽さんが危ないってこと」

 

 僕はどう答えるか迷った。なぜ翔が萩凛さんたちの危機を知っていたのかは予想はついた。しかし、素直に士季に言えば、翔が問い詰められてこっちの面倒事に巻き込まれることになるかもしれない。

 だから僕は士季が納得するであろう内容だけ伝えることにした。

 

「情報屋から電話が来たんだよ」

「あぁ……あのヘンテコ仮面の」

 

 それなりの繋がりを持っている士季はカオリの情報網を高く評価しているのか、特に反論することなかったが『だったら直接俺たちにいってくれれば良かったのに』とだけ零した。

 大きく首を縦に振ってやりたかった。

 ––––でも、僕がやるべきことだったんだ。願いには届かなかったけど。

 

「そっちこそよく俺の話に乗ったな。この間の一件で疑われると思ってた」

 

 今度は僕が気になって尋ねてみると、士季は鼻を鳴らしながら言う。

 

「困ってる奴がいたら助ける。お前、そこだけはブレないだろ」

「……そうか。てっきり全否定されてるものだと」

「馬鹿言え。俺はそこまで子供じゃないし、善いこと悪いことの分別ぐらいできる。まぁ、一緒にはいたくないけどな」

「ひどい」

「お前のそばにいると辛気くせぇんだよ。問題ばっか抱え込みやがって」

「……おっしゃる通りで」

「自覚あるのかよ」

 

 会話を交えるほど士季の目つきが鋭く、怒りにも似た色で瞳を染めていく。

 

「お前の考えてること当ててやろうか?」

「なんだよ」

「神崎のこと殺せれば良かったのに、とか思ってねえか」

「……それくらい腹は括ったつもりだったんだがな」

「認めるなよ」

「殺せた方が確実にハツカにもお前らにも良かっただろ。俺にはお前達と神崎を引き合わせた責任がある」

「蘿蔔さん第一なところはあの人の眷族適性あるよな」

「茶化すな」

 

 腕の中に抱えた萩凛さんの寝顔を見る。おっとりとした普段の顔つきに戻っているが、あくまで血によって無理やり回復させられたにすぎず、神崎が生きている限り味わった恐怖は生き続けるだろう。

 死ななかっただけ、なのだ。

 粟坂神楽はどうだろうかと首を振る。

 

「……士季、ふたりが–––イってぇ!?」

「本当クソ真面目だな、お前」

 

 士季の方に顔を向けた途端、額に痛みが走った。思わぬ衝撃に驚きながら彼を見ると、ピンと伸ばした人差し指が僕目掛けて伸びていた。

 

「自分が関わったこと全てに責任感じてたらいつか潰れるぞ。前みたいに便利に人を使うのも無しだがな」

「だけど」

「だけどは受け付けん。今回に限って言えば、神崎が弱点を持ってる予想も立てずに戦うことを選んだ二人の失敗だ。そんで相談すらされなかった俺の責任でもある。神楽さんだってそう言う。

 どうだ、これで責任は四等分だ。軽くなっただろ」

「襲われたばかりなのに楽天すぎるだろ」

「それが吸血鬼の取り柄のひとつだ」

 

 御為ごかしだと思った。僕だけに非があるわけじゃないと言われることがあまりなかったからのもあるけど、それでもやっぱり僕のせいだ、という自責の念は拭えない。

 

「お前がどう思おうが勝手だが、言葉のまま受け取っとけ。エマから聞いたが、信頼ってやつを勉強してるんだろ」

「……ありがとう。そうさせてもらう」

「よし。これで辛気臭い話は終わりだ。そろそろ着くぞ」

 

 士季に促されて進行方向へ目線をやると、屹立していた木々があるラインから忽然と姿を消しているのがわかった。半吸血鬼になっているから暗澹とした夜の森でも視界は良好だ。木々が並び立つギリギリで立ち止まり、先を見てみると上り勾配の車道に出たようだった。

 その車道に黒光りする綺麗な大型ワゴン車が一台停まっていた。

 士季が間知ブラックの壁面をタッタッと降りるのをみて、僕も追随する。ワゴン車の後部座席のドアを開けて、萩凛さんと粟坂を座らせた。

 そこでちょうど力が途切れた。

 

「お前はこの後どうするんだ」

「日を跨ぐ前に家に帰るかな」

「団地だな」

「いや、今日から友達の家に泊まる話になったんだ。で、待ち合わせが喫茶店だからそこまで送って欲しい」

「いいだろう」

 

 俺は肯首してから地図アプリで場所を、写真で近くの風景を見せると士季が俺に言う。

 

「だったらお前は午鳥たちの真ん中に座れ」

「え? 助手席は」

「俺の女が乗ってるからダメ」

「どうもショタくん、士季さんの眷属です!」

「しょ、ショタ……?」

 

 士季の声に反応して助手席から後ろに身を乗り出してきたのは、明るい笑顔と髪を携えた若々しい女性だった。士季と同じく高校生ぐらいの見た目をしている。

 その少女を見ながら士季に言う。

 

「お前絶対金髪が癖だろ」

「違うが? 眷属に選ぶのが何故か全員明るい髪してるだが? 癖って言うなら女装癖のお前よりずっとノーマルだぞ」

「くっそぉ……」

 

 ぐうの音も出ない正論に負けながら俺は萩凛さんと粟坂に挟まれる形で座る。士季は当然運転席で、片手でハンドルを握る。

 

「行くぞ」

「まだシートベルとぉ!?」

 

 エンジンの唸りが一息で大きくなると比例して加速し出発する。シートベルトをつける前に走り出したのもあって、カーブを描く道中で身体が右へ左へと揺さぶられ、二人の体が代わる代わる俺に触れる。女性らしい柔らかい部分が肩口にふれたり、ハツカの爽やかなホッとする香りとは違う甘い匂いが左右から攻めてきて、俺はどんどん縮み上がるように身体を畳んでいく。

 

「どうだぁ、美人二人に挟まれるのは?」

「お前わざとやってるだろ!?」

「さぁ、なんのことかな」

「これが中学生の生の反応!」

 

 眷属さんは振り返りながら俺の反応を楽しんでいるのが腹立たしく思え、こうなればヤケクソだと言わんばかりに、萩凛さんと粟坂を俺の膝の上に寝かせることにした。

 バックミラー越しにこちらの状況に予想を立てた士季は舌打ちを鳴らした。

 

「つまんね……にしてもなぁ」

「なんだよ」

 

 鏡に映らない者たちに士季は『人妻かぁ』と呟いて、眷族も『人妻ですねぇ』と相槌を打った。

 

「子持ちとは限らんだろ」

「いやいや。この人吸血鬼になったのかなり前だぞ? それが残ってるわけないだろ。だったら人間時代の子供のほうが筋が通る」

「だからって断じるのは……」

「こういうのは本当か妄想かはどうでもいいんですよ。唆る方で考えたほうがいい」

「なんとも都合のいい考え方で」

「背徳感は恋愛では効きのいいスパイスだからな」

「全くです」

 

 楽しそうに笑う士季たちを見て、俺は愚痴るように呟いた。

 

「色んな人と付き合うのも、背徳感で楽しめるってやつになるのか?」

「藪から棒になんだよ」

「いや、なんでもない」

 

 一瞬、理世や蒼の顔が浮かび、すぐに霞のように消えていった。横目で士季を見れば睨みつけるような顔つきをしている。森の中だから余計に鋭い目つきに見えて、まるで猛禽類のようだった。

 

「何人と付き合おうと勝手じゃねえの。俺も片手分はいるし」

「酷いですよね〜」

「……やっぱり吸血鬼なんだな」

「お前なあ」

「あらあら、面白い話をしてるじゃない」

 

 零した言葉にハッとし慌てて訂正しようとするが、士季に宿っていたのは怒りとか不快感とかじゃなく、心底不思議そうな面持ちだった。しかしそれを追求することができなかったのは、モゾモゾと俺の太腿に頭を寝かせて楽な体勢を探す萩凛さんが割って入ってきたからだ。

 穏やかな顔つきの萩凛さんが俺を潤んだ瞳で見上げながら、薄らと笑みを湛えていた。

 

「もっとその話を続けたいいんだよ、吼月くん」

 

 続いて粟坂も話に介入してくると、眷属が尋ねた。

 

「いつから起きてたんです?」

「萩凛が人妻だってあたりから」

「一番耳に入れちゃダメなところでは……?」

「さあ、どうかしらね」

 

 不敵に笑う萩凛さんからは真偽の具合は測れない。測らなくてもいいだろう。俺が労るべきところはもっと別のところ。

 

「……おふたりとも、気分はどうですか?」

「わたしは上々。神楽ちゃんは?」

「アタシか? う〜ん、襲われる前より楽なぐらいだな」

 

 ふたりは上体を起こして両腕を伸ばして軽いストレッチをした。嘘をついている様子もなく、健康体そのものに見えるのだが相手は吸血鬼、本当のところは隠されてしまっているかも。

 

「嘘はつかなくていいんですよ。もっと寝ててくれれば」

「ガキのくせに大人の心配か? そんな余計なこと気負わなくていいんだよ」

 

 大仰に笑い飛ばしながら神楽さんが背中を叩いてくる。声を固めたら『ワーハッハッハッ!』と口から飛び出しそうな笑い方で眼を丸くしてしまう。

 

「でも」

「そいつは無理だな。だって吼月のやつ、俺のせいでふたりが苦しんだってかなり自罰思考になってたし、必要だったらふたりに身体捧げるつもりでいるし」

「待てっ」

 

 言い切ってないのになんでそこまで分かる。俺ってそんなに分かりやすいほど顔に深刻さが染み出していたのか?

 

「へぇ、体捧げてくれるんだ」

「嬉しいこと言ってくれるね。なら、今日はハツカもいないしたっぷり味わえるな」

「ほ、本当に元気……なの?」

 

 ふたりは間をおかずに頷いてくれる。きっと彼女たちの言う通りなのだろう。そう思うと体にのしかかった重みや気怠さが抜け出していく。

 

「そうだ。一応恩返し、ということで何かしてあげるわよ」

「別に礼とかはいらないし」

「あら、人妻たちはお嫌いかしら。ふたりでママプレイでもしながら血を飲んであげるわよ」

「さらりとアタシまで人妻扱いするな。……よし」

 

 プクーと頬を膨らませる神楽は俺の両脇に腕を入れると、そのまま後ろに倒れ込む。力に従わされて神楽に背中を預けると枕とは違う柔らかさが伝わってくる。正体に思い至って、顔が赤くなるのが分かる。『耳まで真っ赤になってんぞ。思ったよりウブなんだな』と神楽が囁きかけてくる。

 うるさい。理世の方が大きいから気にするな、俺。理世だと気にせずにいられただろ。

 けど、無視することができなかったのは目の前からも大きな二つの房が押し付けられたからだ。押し返そうと萩凛さんの肩を押す。

 

「ねえ、吼月くん」

「……なんでしょう」

 

 倒れ込んできた午鳥が俺の顎に触れて、唇に指を伸ばしてくる。反射的に唇を手で庇うと残念そうに彼女は言う。

 

「本当に私の子供にならない?」

 

 さっきの遊びの延長線……とは思えない声色の真剣さに理解が追いつかず聞き返してしまう。

 

「いや……え? 萩凛さんの子供に? 本気で言ってるんですか」

「本気よ。囲ってあげたいもの。ねえ、神楽ちゃん」

「萩凛やハツカとは違って、アタシは首輪だけ着けて放し飼いのほうが面白そうだと思ってるが」

「飼うことは確定なんですね?」

「いいえ」

 

 笑い事のように何気なく言う神楽とは対照的に萩凛さんは首を振って答える。

 

「眷属にはならなくていいのよ。私の子供になればもっと愛してあげられる」

「俺はハツカのものだし、他人の眷属に手を出したら怒られるんだろ」

「でも吼月くん、ハーちゃんのこと親としてしか見れてないでしょ」

 

 そう言われて、何故か笑うことも言い返すこともできなかった。それどころか、確かに、とすら思ってしまっている。俺がなろうとしているのは眷属()なんだから当然だった。

 

「その分の穴埋め、私にさせてくれないかしら」

「……穴、埋め」

「私だったらふたりなのか、三人なのかは知らないけどまとめて大切にする手ほどきをしてあげられるわよ。きっと、その中にハーちゃんもいるわ」

「ハツカも一緒に……」

 

 親じゃなくて恋人として。

 ……俺が欲しいハツカはどっちだ。漠然とハツカが欲しいとは思っている。支配欲が湧いてしまうぐらいにはハツカのことを手にしたいはずだけど、どれが一番相応しいんだろうか。

 萩凛さんは俺の頭を撫でながら言う。

 

「まぁ、すぐにとは言わないわ。でも、考えておいて。ハーちゃんとは無理になった私が育ててあげるから」

「か、考えておきます……」

「いい返事ね」

 

 萩凛さんはニッコリと微笑むと、俺の左手首に手を伸ばした。

 

「話も終わったことだし。いただこうかしらね」

「そうするか」

「この腕時計は没収ね」

 

 俺の腕時計を外すと萩凛さんは再び微笑んでポケットにしまった。抗議で喉を震わせるが、すぐに口を押さえられて上下から全身を圧迫させるように拘束される。

 耳元で喉が鳴る。

 左右の首筋に舌が這う。

『安心しろ、吼月の望み通りに痛くしながら吸ってやるから鳴いていいぞ』と囁かれて、思わず目を閉じてしまう。ふたりを視界から排除しながら士季に叫ぶ。

 

「しっ、士季! お前いいのか? 自分の車が穢されるんだぞ!」

「これでいいのか、明美」

「うんうん! 次の漫画の参考にリアルなオネショタを見たい想いを叶えてくれるなんて……ッ! 士季くん最高ゥッ! あ、ショタくんはそのままやられてね。私の車なんでどれだけ汚れても構いませんし」

「……」

「神楽さんが起きてやり返しに行くとか言われても困るしな。餌としての勤めを果たしてくれよ。そうだ午鳥、あとで俺も飲むから残しておいてくれよ」

 

 万事休す。

 ごめん、ハツカ。ごめんなさい。

 

「ショウ、助けてくれてありがとね」

 

 ゆっくりと瞼を開ける。

 萩凛さんの眼はどこか見覚えがあった。

 獰猛で気迫たっぷりの瞳は、まるで僕のことを見限る前のオバさんのようだった。けど、その中にはオバさんにはなかった輝きと潤い、そして平穏を抱えていた。

 

 もし、俺があのまま身を捧げていたら、オバさんもふたりのように普通に暮らせたかもしれない。

 

 

 

 

「本ッッ当にすみません!」

 

 テーブルの向かい側で手を合わせて頭を下げるのは岡村蒼ちゃん。気恥ずかしさで瞳が揺れ動いて僕を捉えられていないし、その原因は唇の端から微かに垂れた涎が原因だ。

 

「いやいや別にいいんだよ。部活も頑張ってるのに夜遅くに僕の話し相手にもなってくれてるんだから、寝落ちしてもしかたないよ。あ、よだれ垂れてるよ」

「えっ…! あ、ホントだ!」

 

 間抜けな顔が仰天にひっくり返って蒼ちゃんは唇を手で拭った。拭った手が視線を引きつれるようにチラリとカウンターの奥にいる喫茶店のマスターへ目を向けるが、彼は特に気にしていない様子でカップを磨いていた。一安心、といったように息を吐く。

 

「ちょびっとおバカな顔も可愛いよ」

「うぅ、変なこと言わないでください。勘違いしますよ」

「蒼ちゃんに勘違いしてもらえるなら嬉しいな。でも、そんなつもりはないんでしょ」

「……悪いですけど」

「吼月くんって子が本当に好きなんだね」

「まぁ……そうですね……ショウは全く気づかないけど」

「だから寝込みを襲うんだ」

 

 蒼ちゃんは笑いながら頷いた。

 

「ショウって綺麗なんですよ」

 

 恋心に浸るような甘い声色で彼女は続ける。

 

「純真無垢というか、人助けみたいな人間の白い部分ばっかり残して大きくなってきた感じで。人助けもそうですけど授業でも必死で……この間、バレーの授業があったんですけど、その時も部活でもないのにずっとボールを追いかけ続けてて……なんか真面目さと言うか直向きさと言うか……綺麗なんですよね」

「綺麗……綺麗ね……」

「勿論、女の格好をしたら私よりも可愛い容姿も含めてですよ。そんな所を好いて、遠巻きに見てる人も多いんです。でも、他にも話があって」

「他?」

「……はい」

 

 僕が首を傾げると、蒼ちゃんは少しばかり言いにくそうにしてから決心して思い切りよく言った。

 

「穢してやりたい」

 

 思ったよりも欲望丸出しの答えだった。

 

「こう思ってる女子も男子も案外多いんですよね。純粋な恋愛感情だったり好奇心だったり、素行が悪い子だと劣情晴らしだったり……だから理世が振られたって話が出たとき喜んでる人も……それこそ私なんですけど」

「だったらイジメて皆んなで穢してやればいいじゃん。良かったら、僕もアイディア出すけど」

「……ハッキリと言わないでください。しかもそれする前に跳ね返されて軒並み屈服してるんです」

「でみんな、悶々としてると。グループで写真を見ながら」

「…………誰から構わず助けてくれるから、みんな嬉しさで胸がいっぱいなはずなのに黒いものが僅かに残っているというか」

「黒点だぁねえ」

 

 正しいことをする人は疎まれるとは言うけれど、無差別的に他人の感情を歪めてしまうとは。根本は羨望であるはずのそれが、ここまで悍ましく変わり果てるとは。

 それでもアレのおかげで恋する美味しい血にありつけているのだから、僕としては胸を張るべきなのか呆れて肩を落とすべきなのか。

 

「だから星環さんにも感謝してます。私にも手が出せる機会が回ってきたんですから。もう理世だけのものじゃない、蘿蔔って人のものだけじゃない」

 

 いいね––––僕は強くそう思った。

 この子は恋愛をするつもりはない。相互の認識で愛を育むつもりはなく、肥大化させた恋心の全てをアレ相手に塗りたくろうとしている。一般的な大好きなのも本心にあるだろうが、根ざす劣等感が誘惑に手を伸ばさせる。

 おかげで御し易い。

 

「いいんじゃないかな。好きな人に自分の何某かを刻みつけたいのは普通だし」

「何言ってるんですか? ショウは汚れませんよ。だからこそいいんです」

「……」

 

 しかし、その劣等感は確かな憧れでもあるようだ。

 

「そうだ。星環さん、連絡先交換してもらえますか?」

 

 僕は了承して連絡先を交換すると、蒼ちゃんは頭を垂れた。

 そのタイミングでスマホの時計を見た彼女は驚いたように席を立つ。勢いよくのけ反った椅子がギリギリで踏ん張っている。

 タタタッと画面をタップすると、数秒して可愛らしい音声が鳴る。着信音だった。返ってきたらしいメッセージを見て嬉しそうに顔を歪める。

 状況はなんとなく分かった。

 僕はテーブルの縁を指でなぞりながら、残っていたジュース()を飲み干して言う。

 

「なら、今日はそろそろお開きにしようか」

「今日もありがとうございました。今度は……ウチで研究成果でも見ますか?」

「それもいいね。ならまたの機会に」

 

 蒼ちゃんは会釈だけして席を離れた。退場を告げるベルの音が静まるのを待ってから僕も立ち上がった。

 

「それじゃマスター、また」

「はい。またのご来店お待ちしてます」

 

 マスターに一声かけて僕を店を後にした。

 軽やかな音に合うような軽快な足取りで石畳を進んでいく。美味しい血を飲むとどうしても足がスキップを刻んでしまう。

 外に出れば、少し遠目に手を繋ぎあった二人の人影があった。

 僕はその道は通らず、余韻を楽しむように歩くことにした。

 

「これなら思いの外順調に終わらせられそうだな」

 

 歩いていると妙に視線を感じるのは……なるほど。標的を切り替えたのか、と背中を突き刺し続けるそれに妙な納得感を得る。不届者を見張るような眼を感じ続けながらなおもひょいひょいと歩けるのは、僕の中でメリットとして存在しているからに他ならない。

 

「ん……?」

 

 何分か歩いていると、路肩に駐車している大型のワゴン車があって、ふと目線をその中へ向けると、知り合いが二人ほど乗っていて一瞬だけ足を止めた。

 そのタイミングで相手とこちらに気づいたらしい。

 後部座席の窓がゆっくりと降りて、中にいる主の顔を月明かりが詳らかにする。

 

「やっぱり、神楽じゃん」

「そっちこそ久しぶりだな。里帰りは終わったのか?」

「終わったよ。ついでに飲んできたんだが、やっぱりあっちのビールが一番好きだわ。アイスヴァインと合わせると最高」

「お前、吸血鬼のくせに飲み食い好きだよなあ」

 

 親しげに話していると運転席に座る青年がこちらを不思議そうに見ているので、軽く挨拶だけする。『初めまして、星環だ。こいつらとは古い付き合いなんだ』『そうなんですね。自分は岡止士季です。こっちは眷属の明美です』『どうも』と済ませて、僕は奥にいる彼女に眼をやった。

 

「にしても……奥にいる萩凛はなにがあった」

 

 僕が注目したのは神楽の隣にいる午鳥萩凛の様子だった。まるで上品な赤い絹のように滑らかな頬に艶のある火照りが灯っていた。蒼ちゃんと違う純粋な好意だけでできた赤だった。

 

「どうしたんだよ、そんなに顔を赤らめて」

「あの子が恋しくてね……」

「あの子?」

 

 尋ね返すといつも以上におっとりとした萩凛の代わりに神楽が答える。

 

「吼月ショウっていう中学生の血に魅了されちまったらしくてな。いやぁまさか母親になろうとするまでとは思わなかったけどな」

「へぇ」

 

 凡庸に頷いてみせるが、よろしくない事態なのは間違いないだろう。

 

「だって、あの子みたいなのは監禁してないとすぐに消えちゃうじゃない」

「監禁云々はともかく……アタシも分からないわけじゃないけどな。アタシらのこと必死に助けようとしてくれたし、あの血の今までとは一線を画す美味さだし。性格は自由人なところを除けば基本いい子だし」

「神楽が助けられるって絵面想像できないなぁ」

「なにをぉ。アタシだって女性なんだぞ」

 

 神楽の人物評価に異を唱えてくれたのは士季くんだ。

 

「アイツ、吸血鬼を魅了するフェロモンでも出てるのかよ」

「そう言う割には、士季くんもさっき私と一緒に美味い美味い言いながら飲んでたよね?」

「言うなよ!」

「いいじゃないですか。兄ショタまで見れて私は眼福でしたし!」

「俺まで素材に使わないで。恥ずかしい」

「でも、フェロモンか。当たってる」

「え」

「じょーだん。チョコ食べる?」

「いらないです……」

「悲しいっ」

「ウチの仲間に下手な芝居してると叩くぞ」

「はーい」

 

 初対面の子に怪訝な顔を向けられてショックを受けて自分の胸で咽び泣いてみせると、神楽が俺の首筋にチョップを叩き込む体勢になったのでやめた。

 

「そういえば、星環。お前、美味しい血の研究してたよな? その子からサンプル採ったらどうだ?」

「アレは別にいいかな。今日は美味しいチョコを取ってきたからさ」

 

 僕は着込んだジャケットのポケットから透明な筒が保存された袋を取り出した。その中には採取したばかりの採血管が入っている。

 それを見た神楽は敬意を含んだ瞳で袋を凝視している。

 

「研究ご苦労様。もし最高なものが出来上がったら飲ませてくれよ」

「もちろん」

「そうだ。一緒に乗ってくか?」

「いいや。後片付けがあるから、歩いて帰るよ」

「そうか。って、メール? 噂をしたらハツカからだわ。眷属が恋しくなったかな」

 

 プルプルと震えるスマホを見下ろした神楽に、じゃあな、と手を振ると、彼女もスマホを握った手で振りかえしてくれた。

 そして俺は歩き去り、彼女らは背を向ける形で走り去る。

 

「やっぱ、始末はつけないとダメだよなぁ」

 

 走り去るエンジン音が消えたあと、僕は二対の足音を引き連れて歩いていく。




 なんか二期PVの『アドバイス、欲しいんだよね』のところすごくテンションあがってんなハツカ様。ね、が、ねえ、って感じに伸びてるところとか。てっきり服の話あたりでギア三段階ぐらい上がったと思ってたから驚いちゃった。可愛いからよし!
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