よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第百十玖夜「やはりハツカか」

 夜の帷に呑み込まれた外の風景が急加速を繰り返しながら背後に過ぎ去るのをぼんやりと眺めている。澱んだ空気を和ませるための中和剤になるはずの音楽もスピーカーからただ漏れ出るだけで無機質に空気に霧散していくだけだった。

 気まずい雰囲気に晒されているのは俺だけでなく時葉も、宇津木も同様だった。ハツカを迎えにきた時に宇津木が使ったいつぞやの車の中を支配しているスモッグを入れ替えるために窓を開けようとする。俺がスイッチに触れる前に窓が少し下がった。

 

「これでいい?」

「……はい」

 

 開けた張本人である時葉が俺の背後から微笑みかけたのが声色で分かる。気恥ずかしさを覚えてしまい、顔を見られないよう背けながら返事をした。

 どうしようもないだろう。

 他人の膝の上に座るなんて初めてなのだ。他人の太腿って座り心地良いんだな、と赤子みたいなことを思ってしまう。首筋に注がれる熱い視線を除けばの話だが。

 

「まるで歳の離れた姉妹みたいね」

「やめてよ、宇津木。顔が全く似てないじゃない」

「そう? 吼月くんに化粧してあげればいい線行きそうだけど?」

「化粧したらでしょ。でも、吼月くんがハツカ様の眷属になったらあながち間違いじゃなくなるけどね」

 

 俺がそれを肯定することはない。そして、否定することも出来なかったから答えに困窮してしまう。反論するとばかり思っていたのだろう。ふたりとも不思議そうにしながらも再び訪れた沈黙に苦笑いを浮かべている。

 会話を続けようと時葉が言う。

 

「そろそろハツカ様のこと、好きになった?」

「……好きにはなってると思う」

 

 すると2人は、ほほぅ、と興味深いと言いたげな唸りをあげた。

 

「ふたりが想像してるような物じゃなくて、なんというか……」

「なんというか?」

「……ハツカが欲しい」

「おおお!」

 

 言いづらくて躊躇いながら口にすると、二人は歓喜で車をどよめかせる。いやいやいや!そうではない! 決してふたりが喜べることではない。俺の欲しいはハツカのカッコいいところから痴態に至るまで全てだ。遠くからでも俺に手を伸ばして助けてくれたところも、俺の血が欲しいあまりにみっともない顔を晒してしまうところも全部全部俺のものであって欲しいのだよ、分かるか、ふたりとも。

 ハツカに尊さを感じるのはふたりも……いや、久利原を含めて全員が共有しているものだ。でも俺は尊ぶだけでは足りない。ハツカにも俺と同じかそれ以上の激しさが欲しい。愛でるような柔いものではダメだ。もっと強烈な欲求。血なら血を差し出そう。身体が欲しいなら有無を言わずに差し出そう。

 同じ感情じゃなくていいから、同じだけの熱量が欲しい。

 支配的だと思う。

 

「だから、恋愛的な好きなのかは分からないです」

 

 不安気に締めくくると、宇津木が話の穂を継いだ。

 

「充分恋してるわよ」

「そう、ですか…?」

「前から思ってたけど、吼月くんって恋愛に幻想をもちすぎじゃない? ちゃんと対等じゃないといけないとかさ、細分化しすぎ」

「宇津木たちみたいに愛でてもらうタイプも悪いとは思いませんよ。でも、やっぱり……そばにいるものであって欲しいじゃないですか」

 

 少なくとも、子供の願いとしては。

 オジさんがオバさんに寄り添っていれば彼女の心は保てたかもしれない。オバさんを吸血鬼にした人が星見キクのような怠慢をせずに夜の世界に導いてくれれば、彼女は苦痛を味合わずに過ごせたかもしれない。どちらか片方が欠けただけで壊れるのもダメだと思うが、無理ならば支えて欲しい。

 一番身近にいてくれるはずの他人(ヒト)が苦しんでいるのを見ると辛い気持ちしか湧いてこない。

 

「お聞きしたいんですけど、ひとりを愛するのが限界だーって思ってるのに、他の人も手元に置いておかなくちゃいけない時ってどうします?」

「メリハリをつければ良いでしょ。正妻は変えられないものとして、愛人枠で時間を見つけて愛でるとか。ハツカ様を見習いなさい」

「やはりハツカか」

 

 ハツカが全ての答えなのか。菩薩のように柔らかい笑みと座り方をしながら月の威光に照らされた彼を思い浮かべる。光の戦士にも似たアルカイックスマイルが見える。

 

 いや、ハツカの気質が光かと言われたらどうかな……?

 

 でも分かった気がする。

 ハツカが理世も蒼も落としてくれたら二人の所有物にできるもんな。

 すると、時葉が暗い声で囁く。

 

「吼月くんさ」

「なんですか?」

「寂しいとか痛いとか分かるなら、なんで自分を労わらないの?」

 

 言っていることがよく分からなかった。

 

「さっきの話を持ち出したくないけど、その……無理矢理されたわけで怖い思いをしたのにまるで無かったことみたいにして。それに自分が関わる必要がないことにも首を突っ込んで傷ついて、自分から壊れに行ってるみたいで」

「危険に踏み入れてることは傷つける人のそばに歩み寄ることだ。分かりきってることだ」

「……壊されたいの? ハツカ様に」

「とっくの昔に壊れてるさ。壊れたものは元には戻らない」

 

 小説の一説で『戻る』という概念に触れたものがあった。

 人が故郷に向かう際ように、自らの過去に触れることがらで『戻る』という言葉が使われる。単語自体には、元の場所、元の状態に返ることを意味する。

 戻る、はすなわち物質的であるにしろないにしろ自分の起源とするものに触れることである。

 だとしたら過去を失った時点でそれ以前の自分に戻ることはないし、そもそも常人が持つはずの常識も過程が違うから戻るにも当てはまらない。壊れた物は壊れ続けるしかない。

 良いか悪いかは誰かが勝手に決めろ。

 俺は俺が愛でていたい生き方をする。

 結局、戻れないのなら変わりたいように努力し続けるしかない。

 

 大切にしたい生き方は、魔王に惚れた生き方だ。

 

 もしかしたら昔の自分に近いかもしれないし、遠いかもしれない。それが戻る戻らないに見えてるだけなのだ。

 

「傷を塞ぐなんて土台無理な話なんだ。過ぎだことはそのまま受け入れて、やるべきことをやらなくちゃね。子供だとか大人だとか関係ない」

 

 そして人間だろうと、吸血鬼だろうと関係ない。助けるべきものは助ける。潰すべきものは潰す。単純な話だ。きっとこの考え方は戻る必要のない起源だ。

 こんな宣言をしたらまたハツカに怒られてしまいそうだ。

 

「この話、ハツカには内緒にしてくださいね」

 

 上を向いて時葉に言うと、ため息をついて彼女は言う。

 

「別に良いわよ。どうせこのままハツカ様の下に連れて行くだけだしね。そしたらもう綺麗さっぱり忘れ出すし、私たちが言うべきでもなくなるわ」

「え。待ってこの道、ハツカの家なのか?」

「そうよ? だって貴方の家に行くなんて一言も言ってないし」

 

 宇津木が飄々と口笛を吹く。

 思い返せば、今日起きた事件のせいで話すキッカケ自体作れなかったから、『……送ってくわ』『……お願いします』とお互いに微妙な雰囲気のまま出発したのだ。ただでさえ支配人からはずっと頭を下げられ示談とかの話をされたりと辟易していたし、岡村先生は見失うしで気力を使い果たしていた。何処に行って欲しいなんてひとつも言わなかった!

 マズイ。

 このままだと、負けが確定してしまう。

 

「待ってください!」

「反論があるならどうぞ」

 

 反射的にストップをかけて、受けて立つと宇津木が車を止める。俺を抱える時葉もねめるように見つめてくる。

 さて、吸血鬼相手の説得の仕方は––––

 

「まず、ハツカは俺を負かしたいんです」

「でしょうね。それで?」

「こんな好きなのかよくわからない中途半端なままハツカの下に行って、もし眷属になったとしてもハツカは納得しないと思うんだ。だってアイツの趣味からして、俺がハツカのこと『好き好きー!』って脇目も振らなくなるぐらいを望んでると思うんですよ」

「……確かにあり得るわね」

「しかも俺の中にあるのは支配的な闘争心だ。お前たちが好きだと確信してるなら良い。でも、これで眷属にならなかったらお二人は、ハツカに恥をかかせることになるんだぞ?」

「……」

「もし赤っ恥をかかせたらふたりはハツカにどんなことされるか分かりませんね。向こう一年は口をきいてくれないかもしれない」

「ひぇ」

「だから、いまお二人がやろうとしていることは余りにも危険なんですよ」

 

 情けない悲鳴を小さく漏らし、互いの目を合わせたふたりを見て、心の中で勝利のVサインを掲げた。このふたりの明確な弱点は、ハツカ()への恋心を持ち続けていることだ。もはや弱まることを知らない想いが、相手の興味から外れてしまうのは怖いに違いない。

 ましてや、俺が車に乗っているのはイレギュラーだ。すっぽ抜けていたが、ふたりは最初から俺を見張っていた。ホテルに着いた時から感じていた視線は彼女たちのもの。声をかけるタイミングはいくらでもあったのに、わざわざ事件が起こるまで見張っていたのだから回収が目的ではない。話を聞くぐらいのことだろう。

 だから、このふたりが危険を冒してまで俺を捧げることはないだろう。

 更に吸血鬼が本能的に逆らえないものを俺は懐から取り出す。それは試験管に似せて作られたプラスチック製の管だった。これは士季たち自警団が使っている血の容器のひとつだ。

 

「もし、おふたりが何も言わずにウチまで送り届けてくれたらこれを差し上げましょう」

 

 管の中には真紅の鮮血が保存されていた。

 無論、俺の血である。

 

「昨日……厳密には一昨日かな。士季たちに保存してもらったものだ」

 

 回し飲みされた時にせっかくだからと採血されたのを何本かもらったのだ。

 

「俺の血はハツカが認めた最高の血だ。飲みたくないか?」

 

 ゆらゆらと管を振るわせれば、その挙動に合わせてふたりが––––特に味を知っている時葉が––––大きな喉の音を鳴らした。この瞬間が堪らないと自覚している。いつかハツカと久利原も加えて、四人を四つん這いにさせて、血の動きに合わせて右へ左へ目が揺れ動く様をビデオに収めたい。

 ハツカを手に入れるということは、彼を好いている三人を丸ごと手に入れることだ。

 恋愛とはまた違う。ハツカが俺の物と納得してもらうために、俺とハツカの所有物にする。ふたりでなら愛でられる。ハツカが好きなものなら俺も好きになれると思う。

 なんで気づかないかな。

 ふたりとも吸血鬼なんだから、俺の腹の底読んでよ。

 

「だからさ、お願い」

 

 その答えは––––肩に垂れてきたねっとりとした捕食者の雫が応えてくれた。

 

 背筋が凍りそうだった。

 

 刺すような冷たい痛みから解放されたのは、俺が案内した蒼の家の前に立った時のことだった。

 車から降りてからふたりに一本ずつ血入りの管を渡す。手渡すとき、口元がひくついてニヤけるのを我慢するふたりの姿は非常に滑稽だった。ハツカの関係を守る選択をしたのは間違いない。不確定な行動をしなかった。でも同時にハツカへの捧げ物よりも自分の欲求に従ったのだ。

 いけない感情が湧いてくる。

 久利原にも同じことをさせたい。

 

「それじゃあ、バレないように家に入りなよ」

「あ、待ってください」

 

 ドアを閉めようとした時葉に呼びかけて、ふたりに言う。

 

「今度、眷属四人で出かけませんか。ハツカには内緒で。……俺、親睦会みたいなことってしたことないんですよ」

 

 ふたりは少し目を丸くしながら話の続きを待った。

 ほら、なんか今日ふたりとも俺のことを怖いものを見る眼で接してたじゃないですか。せっかくなら何事もない時の俺とも過ごして欲しいなって思ったんです。仲良くなりたいですし。大丈夫ですよ、俺は探偵でも勇者でもないんで。トラブルが起きない限り大丈夫ですよ。

 自分から遊びに誘うこと自体慣れていないのもあって、早口になってしまう。しかも相手大人だし、緊張してしまう。

 ミチミチとしなるような緊張を感じながら待つと、返ってきたのは『いいわよ』という暖かい返事で気が楽になる。

 

「それじゃまた今度どこ行きたいか話し合いましょ」

 

 そう言ってふたりは手を振りながら別れの挨拶だけしてドアを閉め、走り去っていった。

 俺はくるりと回り、まだ明かりのついていない蒼の家の中にスルリと滑り込む。音を立てないためのスリ抜けだ。腕時計の額縁(ベゼル)を回して、ボタンを押した。

 

「……なんで俺、スリ抜けを使わなかったのかな」

 

 リビングを通り、途中ガラスに自分の姿が、葡萄色の瞳が映っているのを認めた後、その先の通路に足を踏み入れる。

 今は傷つけるためだけの力じゃないんだ。お互いに傷つけずにすむ力に変わったんだ。だというのに何故俺の体は動かなかったのだろうか。越えなければいけない。越えたはずのものを、もう一度越えようとなると自分への認識を改めないといけない。

 そのためのもまず、俺が今しなくてはいけないことは。

 

「出さなきゃな」

 

 入ったのはトイレだった。

 

『お前、男かよ! 女の格好して出歩くとか気色悪ッ』

 

 スタッフの声が聞こえると便座を抱きしめるように倒れ掛かり、まるで全ての臓物を吐き出す勢いで体の内側から暴発が始まった。耳障りな声が絶え間なく聞こえてくる。吐き出したものが跳ね返って顔が汚れる。ただ、必死に吐き出さないといけないと思った。

 最初は指を突っ込んだ。

 えずいて吐き気が増してまた汚した。

 それでも足りなくて手を入れて、最後には手首まで入れて食道を引っ掻いた。

 吐き出しても吐き出しても気持ち悪さは無くならない。

 

 捨てなくちゃ、全部全部。

 じゃないと他の人まで穢しちゃう。

 

 体の疼きが消えた頃には血の赤さと胃液の黄色とドロっとした白が混ざったあまりにも澱んだ異物が渦を巻いていた。流れる音を聞きながら、瞼を閉じると自分の意識もどこかへ流されていった。

 

 このままどこかに流されて、消えれたらいいのに。

 

 無理だと知っている。

 生きていくしかない。

 

 とりあえず……先生が生きててよかった……

 

 

 

 

「宇津木、それでショウはどうだったの?」

 

 ハツカ様の家にあがると、ここを出た時と同じように四つん這いになった久利原さんの背中に腰をかけたハツカ様が微笑んだ。私と時葉を見比べながら問いかけてくる。

 話すことは決まっているから、ツラツラと並べてる。

 

「三人で帰りながら話したところ、ハツカ様の予想通りもう少しで落ちそうです」

「へえ。僕のことが欲しいって?」

「流石ハツカさま。ハツカ様に愛でられたい、ハツカ様を愛でたいと女装姿なのもあって気娘のような顔でした」

「写真は?」

「こちらに」

「音声もございます」

「ふたりともご苦労様」

 

 私は車内に仕掛けておいたカメラのメモリを、時葉は胸ポケットに入れておいたスマホを渡す。ハツカ様は最初にスマホに手をつける。メモリだから抜き出す必要があるのは分かるが、自分が渡したものではなく他人のものに興味を向けられるのは憎々しい。

 張り倒してやりたい気分になる。

 けれど、今日は自然と心が安らいでいた。

 きっと彼の血のおかげだろう。激しさがあって美味しかったなあ。事件さえなければ、直飲みしたかった。

 イヤホンをつけて吼月くんの惚気を聞きながら笑うハツカ様。ああ可愛い。ずっと見ていたい! 吼月くんが欲しいというのも納得の笑顔しかない。

 吼月くんの血とハツカ様の笑顔で癒されていると、ハツカ様の笑みが曇り始めたのを感じ取った。

 

「なんでこの音声切り取りが入ってるの」

 

 どうするか迷って、でも間を作るわけにもいかず咄嗟に『関係のない話が挟まりましたので』と答えた。間違いではない。事件のこと以外にも吼月くんの哲学も入っていた。哲学なんて欲しがるもんじゃない。ひどい病気だなと思うくらいだ。

 

「なにが入ってたの?」

 

 でもハツカ様の極寒の視線を浴びせられると、こちらの思惑なんて凍らされ粉砕されるのみ。

 

「いえ……その…………お耳に入れるのも悪い話なのですが」

「いいよ、続けて」

 

 続きを求められて私たちは事の始まりから顛末まで全て話した。話が終わりに向かうにつれてハツカ様の顔が–––あと同時に聴くことになった久利原さんの顔も–––次第に言いようのない苦しさを強くした。

 

「そう……僕以外のやつに襲われて受け入れちゃったんだ」

 

 どこか残念そうに、それでいて分かっていたかのような声で言う。

 

「やっぱりもう一回、壊さないとね」

 

 その声は今まで聞いた事のない、熱の入った周りの人の心を戦々恐々とさせるような怖さを秘めたもの。思わず聞き惚れてしまいそうなほど、小さくも力強い宣言だった。

 やはり、彼はハツカ様の眷属になるしかないのだ。

 

 

「それと、僕に無断でショウの血を吸ったふたりにはあとでお仕置きね」

 

 

 怖いのに可愛らしい声も素敵です!

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