よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第百二十夜「吸血鬼街道」

 吐き出して、気を失って倒れたあと……運がいいことに蒼が起きる前に目覚めた。身体の中に巣食っている嫌悪感は消え去っていないが、胃の中に限っては随分と楽になった。なにもない空っぽだ。

 起きたのがトイレだったのもあって、直ぐに掃除に取り掛かった。

 蒼が穢れないように丁寧に、昨日の断片の一切、雑巾をペーパーを、水を洗剤を使って徹底的に洗い流した。蒼がせっかく用意してくれたゴスロリ衣装も洗濯しなおしたし、自分の体も当然そうした。

 臭いもなにもしない。

 

「ふぅ……」

 

 問題がこのあとの服である。

 浴室の曇りガラスを隔てながら外に視線をやる。

 

「……暗い」

 

 日の出の赤が霞んで見えるものの、殆どが黒に染まっている。10分もすれば鮮やかな空色が彩り始めるだろうが、日の出から制服を着るのは早すぎる。

 とはいえ一刻も早く自分を清掃したかったから替えの服は用意していなかった。服を取りに行くとなると、全裸で蒼の家を徘徊することになる。想像すると気が引ける。

 

「寝間着を着るか」

 

 汗で濡れていた服。

 ここを出る前に着ていた服。

 乾いていてくれたらまだ着やすい……汚れてる僕は文句を言える立場にない。

 シャワーを止め銀タワシを置くと、脱衣所のタオル掛けからタオルを引っ張ってきて体を拭う。浴室を出て、籠の中に投げ入れておいた寝間着を取り出そうとして、不自然な服が寝間着の内側にあった。見てみるとそれは蒼の体操服だった。

 当惑に駆られるのは無理もなく、俺は昨晩床につく前のことを思い出す。

 

「……あれ、何やってたっけ?」

 

 ご飯を食べていて、その後の記憶がない。

 風呂に入ってご飯を食べていて……うん、やっぱり思い出せない。眠る直前だから寝惚けて記憶に残っていないのだろうか。にしては不自然な記憶の断絶だ。起きた時は岡村先生のことで頭がいっぱいだったから、気にも留めなかったが何かおかしい。

 思い返せば以前にも、プツリと寝入ってしまったことがあったと思い出す。

 

「そんなに疲れてるのかな?」

 

 首を傾げながら、新たに増えた上の寝間着をどうするか問題にも取り組む。まだ下は履いたし、上裸ならまだ……いいか。諦めて制服に着替えよう。

 寝間着と体操服を分けて、また籠に入れる。力なくしわくちゃになった体操服を一瞥しながら侮蔑の意を自分に向ける。

 何があったかはさておいて、学友の女子の体操服を身につけるなんて淫らなことをするとは。はしたない。穢れた俺が今更何を言っているのか。

 

––––せっかく使い潰されるならハツカが良かったな。

 

「はぁ……」

 

 僕の身体は壊れようがないし、別に何されたっていいけどさ。気分ってものがあるよな。されたい人、されたくない人がいるように、自分の都合を相手に押し付けていい反応が返ってくるわけがない。スタッフのような奴らはくそ爺いどもとおなじく極刑でいい。あの人たちがどんな罰になったか知らないけど。

 ……とはいえ自衛は必要だし、萩凛さんにでも吸血鬼の本能に負けないやり方を聞いておこうかな。時葉たちからは吸血鬼と同じ仕草をしていたみたいだし。

 

「ひとまずやらなきゃいけないことは変わらない」

 

 戒めである。

 もう不覚はとらない。

 とればそれだけロスになる。

 

 脱衣所の洗面台に置いておいた紙を手に取る。それは写真であり、昨晩押し込められたクローゼットの中で自然と掴んでいたものだった。映っているのは灰がかかって色がぼやけた老夫婦。岡村夫妻の姿だった。

 写真自体に焼けた痕跡がないのに、灰を被っていた。部屋も破壊痕だけで火を使った様子は見られなかった。となれば、思い出攻撃で自傷ダメージを受け可能性がある。

 会ってみなければ確かなことは言えないけれど、岡村先生が学校を休み始めてから半月以上経っている。今日まで血を吸ってなかったとすれば血液不足からの破壊衝動に呑まれた結果かもしれない。

 寝間着のズボンのポケットに写真を仕舞い込む。

 憂鬱な考えばかりが渦巻き、ため息をつく。

 

「あれ、ショウ? 朝から風呂……?」

「お、おう」

 

 脱衣所を出ると、長袖長ズボンのジャージ姿で蒼がちょうど降りてきた。

 

「てっきりどこかに消えちゃったのかと思ったよー」

「あはは、消えねえよ」

 

 消えたくてもな。

 自嘲を胸中に押さえ込んでいると、蒼が顔を赤くして逸らし、露骨に眼のやり場に困っている様子だった。原因はどう考えても俺の上半身だ。

 

「着替え用意してなくてな。制服に着替えてくるところだ」

 

 それじゃあな、と、蒼と入れ替わるように階段を登っていく。

 朝練前のフォーミングアップで軽く走ってくるとの声が背中に飛んでくるから、俺は立ち止まって投げ返した。『ダメに決まってるだろー!』『え、なんで!? 日課だよ!』『不審者がいたらどうするんだよッ!』幾分か怒声に近い響きがあって、聞こえていた蒼の足音が止まった。

 俺はすぐに駆け降りて、リビングで立ち尽くしていた蒼を見る。

 

「走り込みは俺と一緒に早めに登校してからやればいいだろ?」

「いや、でも日課だし……」

「少なくとも問題が解決するまではダメ!」

 

 最前、自分が経験したことが起因したのか語気どうしても強くなる。

 気圧された蒼は渋々といった様子で受け入れて……

 

「とりあえず、服……着よ?」

「……うん」

 

 言い返せない反論を喰らって俺も渋々頷いた。

 

 

 

 

 いつものリビングのソファに乗りながら背凭れに顎を乗せて、キッチンに立つショウを見る。昨日の作り置きなどを利用しつつ、朝から何品もテーブルの上に出してくる様を見ていると、本当に女子力が高いと驚く。料理してるだけで絵になるのだから凄い。

 家事全般に渡ってそうなのだが、家では家事はショウの役割なのだろうか?

 今は昨日作った味噌汁を温めている最中。おたまで汁を掬い、そのまま口へと運んでいく。完全に仕草が実家なんだけど。やっば。汁全体間接キスじゃん。なんて考えていると、寸前の所で動きが止まった。

 動揺したように目を泳がせながら手元にあった皿に汁を移す。

 

「蒼ぃ、ちょっと味みてくれ」

「え? ショウの好きな味でいいよ?」

「いいから、いいから」

 

 なかば強引に皿を押し付けられる。言われた通り味見をしていつも通り美味しかったので、オーケーのハンドサインを見せる。胸を撫で下ろしたショウは残りの料理を出した。それらも味見が必要なものは全て私が担当した。

 それからふたりでの食事が始まる。

 取り止めのない雑談をしながらの食事だ。

 ショウが作ってくれた料理を食べていると脳から足の筋肉、骨の一欠片まで彼の手によって作り替えられてる気がして興奮する。代わりに彼は寝ている間にたっぷり私に肉体面を毎日弄られているわけだが、特に気づいている様子はない。

 気づいたらどんな反応するのかなあ。

 ゲロ吐いた時みたいに追い詰められたような顔するのかなあ。

 

「どうした? なんかやけに楽しそうだな」

「ううん。ショウと食べるの楽しいなって」

「そうか」

 

 一見いつも通りの冷静な返答におもえるような、どう反応していいか分からないような初心な反応を見せる。ポロッと仮面が落ちるような瞬間。学校では見せないショウを自分だけが見ていると思うと、感動すら覚えてしまう。

 

「なあ、蒼。スマホ貸して」

「いいけど、なんで?」

「先生に連絡取る」

 

 いつものが始まった。

 そう思ったけれど直ぐに認識を改めたのはかなり切羽詰まった鬼気なようなオーラが見え隠れしたからで、ショウは独自に何か掴んだことを察するには十分だった。

 言われた通り、ラインのお爺ちゃんとのチャット画面を開いて渡す。

 すると、ショウは取り出した紙を写真に収めて送信した。

 

「先生に俺のアカウント送るけどいいか?」

「いいよ」

「ありがとう」

「……なにかあったの?」

「あったけど、蒼はまだ気にしなくていい」

「まだってなに」

「確信が持ててないんだ。話せる段階になったら話すよ」

「……おじいちゃん大丈夫なの?」

「会って確かめるよ」

 

 決意のこもった声と共にスマホを返してきた。

 強がりではない確かな優しさを持った一面が、カノジョとして私に向けられているのが嬉しい。普遍的に彼が向けている想いではあるだろうけれど、それでもこの関係でいられる間は絶対に特別なんだ。

 

「返信くるかな?」

「来たとしても夜だろうな」

「……寝てるの?」

「きっと就寝中の立札でもしてるんだろ」

「やっぱりホテル住まいなんだ……」

「先生夫妻は仲良かったんだよな?」

「そりゃもちろん。歳結構言ってるのに2人で登山とかするぐらいだし」

「へえ、どこの?」

「たしかね–––」

 

 家族の会話で少し盛り上がっているとすぐに登校の時間がやってくる。片付けをふたりでサクッと終わらせると、朝練用の身なりを整えて家を出た。

 曇り空の隙間から見える青が目に沁みる。

 冷えた空気が手を覆ってくる。

 

「ねえ、今日も手を繋ご?」

「ん、いいぞ」

 

 ショウはハンカチで手を拭うと少し躊躇いながら私の手を握る。

 ……やっぱり、なんか変だ。

 キスすらしてくれた昨日とは打って変わって、まるで触れずに愛情を伝えることに専念しているみたいだ。今も、なるべく手のひらがこちらにつかないように気をつけている。今朝の怒りのような激しさも好きだけど、もっと触れ合いたい。

 私はガシッと手を握ってショウを引っ張る。特に何も言わずに微笑むだけ。なんかムカつくな。

 可もなく不可もなく–––手を繋げてるだけ嬉しいのだけれど–––雑談の続きしながら歩く。それでも楽しくて時間が過ぎ去るのも、距離が縮まるのも早かった。

 校門が見えてきてこれから少し離れなきゃいけないのが憂鬱になる。

 肩を落としていると校門の前には少し遠目からも分かるくらい大柄の教師が立っていてこちらを、厳密にはショウのことを見て、ハッと顔をあげた。その人は学年主任の久保先生で、そんな人が態々校門前で待っているなんて何事かと思っていると、久保先生は駆け寄ってきてそのがっしりとした両手でショウの肩を掴んだ。

 

「おっ、おお……! 良かった。無事そうだな……」

「……ああ」

 

 久保先生は私のことなど目にも入らない様子で、ショウに四肢がキチンと繋がっているのを触って認めている。ショウもなにか思い当たる節があるのか、納得した様子で受け入れている。

 なんだ……?

 またなにかやったの?

 そんな疑惑の眼差しに晒されてようやく私に気がついた久保先生は、咳払いをした。

 

「吼月、生徒指導室に行くぞ」

「分かりましたー」

 

 気怠げな返事をしてからショウは私に言った。

 

「ちょっと野暮用が出来た。また後で会おうな」

 

 手を振りながら去っていく。特に惜しむこともなく、スタスタと歩いていく様を見て形容できない苛立ちが湧いてくる。

 

「分かるわよ。付き合ってるならもう少し特別なスキンシップが欲しいわよね」

「おおっ!? 理世!?」

「おはよう、蒼」

 

 聞き知った声が背後からして、振り返ってみると私の影を踏む場所に音もなく倉賀野理世がいつの間にか立っていたのだから驚いて飛び退いた。幽霊のように突然現れるのは心臓に悪いからやめて欲しい。

 

「なんで理世がいるのさ。部活とか入ってないでしょ?」

「貴方達のことだからまた一緒に来ると思ってね。蒼が朝練に来る5分前を狙ってきたの。もちろんショウと話したくて……と思ったんだけど」

「連れてかれちゃったね」

「ね」

「はぁ……」

 

 ふたりして憂鬱な気分をため息に変えて吐き出した。

 

「ショウが連れてかれた理由しらないの」

「知るわけないわよ。年がら年中ショウを見張ってるわけじゃないし、昨日は友達と話したりメイド喫茶行ってたし」

「……追っかける?」

「朝練はどうするの」

「まだ時間あるし、聞いて戻ってくるぐらいの時間はあると思う」

「なら、いいわよ」

 

 そのままショウを追って歩き出す。隣に並んでいる久保先生はチラチラとショウを見つめるだけで声もかけないし、ショウもその沈黙に沈んでいた。学年主任が出てきた時点で想像していたが、かなり大事のようだ。

 薬を飲ませて眠らせたんだけど、もしかして途中で起きたのか?

 だとしたらおじいちゃんの件で何かあったのかもしれない。今朝の連絡の件も繋がってくる。

 生徒指導室が見えてきて、ショウたちはその中に隠れてしまう。覗ける窓もなく、私たちは入れないから扉の前でそっと聞き耳を立てる。カチャカチャと金属音がして、理世が『あれ、もう1人いるわね』と言ってみせると、部屋の方から第三者の声が微かにした。聞き取ろうと息を潜める。

 

『おはよう、吼月くん』

『……おはようございます。貝塚先生』

 

 その存在を壁越しに見破った理世は額の皺を深くして、なにか事態の悪感を予測しているようだった。『貝塚先生って保健室の?』『そうよ。で、カウンセラー』。カウンセラー、メンタル的なところを見る先生だったの?

 久保先生が言いにくそうに始める。

 

『……それでだな。今朝、警察から連絡があった』

『強姦された件ですか?』

『サクッと言うなお前……』

『だって貝塚先生が呼ばれてる時点でそこしかないでしょ』

 

 は? え? は?

 あまりにも突拍子もなくて頭の中が一瞬真っ白になった。

 

『でも大丈夫ですよ。今回は完全に壊される前に助けてくれた人たちがいましたし、暗くて顎が痛いしか覚えてないんですよ』

『だけどね。そうもいかないんだよ』

 

 強がってみせるショウを貝塚先生が窘める。

 というか、今回はってなに?

 

「ごめん……ちょっと離れるわ」

 

 声から怯え切った声が聞こえてきて、誰だろうと思った。顔を見て理世だと分かったけれど、あまりにも血色の悪い顔の両頬を膨らませながら口を手で押さえていた。たまらず走り去っていく理世を見送りながら私は聞き入っていた。

 

 そっか……知らない誰かに汚されたんだ。

 腹立たしくて仕方ないけど、いいなと思う自分もいた。

 

 元々私の方が先にショウを汚していたし、今朝の味見も私の口に入るものを穢れてしまった自分の口に触れないようにしていたのだと妄想するととても捗る。ましてやその一因は、私のためだと思うと身体が熱くなってたまらない。

 

 今日の夜も楽しみだ。

 早く、夜にならないかな。

 

 

 

 

 リビングの掃き出し窓から差し込む夕陽が目に染みて、吼月ショウ()は目を覚ました。ソファに寝転がっていた俺に容赦なく降り注ぐ光に目が焼かれる。

 目がー! 目がー!

 ってリアクションを取る元気もなかった。

 部屋にかけられている時計を見ると、既に17時前になっていて日が落ちる頃合いだった。

 

「いきなり帰れって言われてもなあ……」

 

 主任と話した後、俺は貝塚先生のカウンセリングを受けて家で療養することになった。病院とか施設行きは自分で拒んだ。だってめんどくさいし、時間の無駄だ。

 

「蒼か理世がいれば、遊んだりしたかったけどなあ。自分が誘うしかないよな。平日だし……応野とかノッてくれるかな」

 

 ふたりは当然学校なので、日中は特にやれることはなかった。

 神崎が持っているであろう他の吸血鬼たちの弱点を奪うことも考えたが、あてもなく動いても時間の無駄だし、かといって本人にいなくなった妹の話を聞こうにも今回の件もオジサンか学校経由で耳に入っているだろうから多分聞けない。

 現に……

 

「うわ、めっちゃ来てるよ……」

 

 スマホを取り出してみると、神崎や朝霧からの着信が何十件と入っていた。多い多い。やっぱり行かなくて正解だった。軽くだけ返事を入れて次に行く。

 

「……ちゃくちゃくと吸血鬼街道を歩きに行ってる気がする」

 

 昼間に寝るというのも中々気持ちよくて困る。コウはいつも昼間に寝てるんだよなあ。体内時計どうなってるんだろう?

 俺はラインの方を開いて、神崎たち以外の連絡がないか見る。

 

「あ、来てる」

 

 ふたつも。

 ひとつは望んだ通り岡村先生!

 そしてもうひとつは……

 

「星見キク?」

 

 そうだ。

 コイツも容疑者なんだ。

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