チャイムが鳴り、生徒たちが一斉に立つ。
「起立、礼––––さようなら」
学級委員長の声に合わせて、皆が頭を下げる。
軍隊じみたこの行動を何年も繰り返していると考えれば狂っていると思うが、このルーティンが週末を告げる鐘の音に変わる時は、確かな達成感が湧いてくる。
辺りを見渡す。
大体の生徒が教室から抜け出し、部活動や委員会があるものはその面子と共に、何もない者はひとりだったり集団で帰っていく。
先生も同様に立ち去っていく。
その中でひとり、疲れた顔で動いている者がいた。遠い目で黒板を消しているのは、先ほど号令をかけた学級委員長だ。
俺は数秒、夕陽の中に取り残されたようにぼうっと立ち尽くしてから、動き出す。
教室の整理、窓の戸締りなどなど––––別に俺の仕事ではないが、困っているんだから手伝うべきだろう。
「ほいっ、鍵」
「いつもありがとね」
「良いよ。委員長、大変そうだし」
「ハハ、そんな大変じゃないよ。それに吼月くんほどじゃないし……これから生徒会でしょ?」
「……まっ、何かあったら頼れよ」
学級委員長は想定より早く終わったからか、笑顔で最後の扉の鍵を閉めると小さく会釈だけして離れていく。
俺も彼女の足音を背にして歩き始める。
「たく……」
今日の疲れがどっと出てくる。
––––大変じゃないならあんな顔をするな。
––––なぜ意味のない嘘をつく?
––––辛いなら辛いと言うべきじゃないのか?
––––それを吐き出せないなら、ありがとうじゃないだろう?
ため息に混じって相手を否定する考えが出てくる。
「いかんいかん……」
頭を振って疲れと一緒に邪な考えを祓う。
しかし、今日を過ごしてみて理解できた。
あの意味不明な不信感は確実に膨れ上がってきている、と。
「やっぱり寝れないと疲れが出やすいのかな……」
不愉快だ。
今まで出来ていたことが、出来たくなるというのは。
「体育の時もヤバかったしな……」
あの時、チームを組んだメンバーからとある要望があった。
バレーができる面子からは【なるべく試合をしたいから、せめて俺たちの失点を無くして時間を作りたい】【気持ちよく打ちたい】といった要望。
バレーが苦手、コミュニケーションが不得意な人からは【あまり試合に関わりたくない】といった要望。
そのために必要なことはやった。
失点については、何遍なくボールを拾える配置を考えたし他のメンバーじゃ落ちるモノは無理でも俺が拾った。
バレーに関わりたくない者については、せめて嫌な気持ちで1日を終えてほしくないので、無理はさせないし、レシーブやトスが上手く出来るように練習に付き合ってスキルも向上させた。
気持ちよく点を決めたいという要望にも応えた。目が見入ってしまうであろうパフォーマンスで敵を釣って囮になる……それが本来の作戦だった。
ホームランになったボールを拾った時に、あんな大袈裟な掛け声を出したのもその一環だ。
にも関わらず、味方のセッターはあろうことか俺に釣られてトスを出してしまった。
バレー部の部員なのもあって、鷹を括っていたあるが、あの時は本当に焦った。
顔が歪んだのが分かったから。
直ぐに戻しはしたが、バレてないか不安だった。
「まぁ、杞憂に終わったのは幸いだったな……」
自分のやりたいことの道筋すら通れないのかと言ってやりたかったが、あそこで怒っても無駄だ。
それに誰にも変に思われていなかったし、全試合勝てたから良しとするが気をつけなければならない。
理世にはバレてるかもしれない。
別のクラスだから放課後の生徒会まで会わないと思っていたが、まさかフッたその翌日に合同授業になるとは。しかも理世のやつ、他の女子から離れるためか、男子コート側に来て舞台に座っていたのだから慄いた。
あの後、なにか言われるわけでもなかったから気づいていない。もしくは確証を持てていないといったところだろう。
「変な視線も感じたし……もう嫌だわー……」
恐らく理世関連だろう。
昨日の今日だというのに、相変わらずだな。
夜守コウの件でも異様に広まりが早かったそうだし。
誰もいない廊下で独り言っていると、突き当たりにある階段と出向かう。
そこを降りると南校舎の2階になるのだが、この階は基本的に実験室などの特別教室や、空き教室となっている。
階段の目の前にある部屋が、生徒会の活動場所だ。
顔を上げれば【生徒会室】と簡素な看板が見受けられる。
その生徒会室の扉からは、部屋を抜けて朱色に染まった夕陽が光を差している。射し込む光がひとつの陰をこちらへ伸ばしていた。
陰に視線を這わせて、相手を追うとそこに居たのは––––––
「ッ––––」
「あっ……」
倉賀野 理世だった。
どこか窓でも開いているのだろうか。
冷たい風が彼女の綺麗な金色の長髪を靡かせる。
「……」
「……」
沈黙が場を支配する。吹き抜ける冷たい風が、その沈黙をより強く、より濃く感じさせる。
交わっていた視線が外れる。
俺が外したのか。理世が外したのか。
……恐らく、両者だ。
「もうみんな来てるみたい。はやく入りましょ」
理世が開いた扉の向こうに三人分の影が見えた。
「そうか。分かった」
早く生徒会を終わらせよう。
なるべく昨日のことは気にせずに。
なるべく嫌な雰囲気にならないように。
視線を合わせることなく、言葉だけ交わして俺たちは生徒会室に入っていった。
☆
そこから1時間近くが経過した。
何事もなかったかと問われれば、なにもなかった。
生徒会メンバー揃ってちょっとした話し合いもしていたが、俺たちふたりは互いで言葉を交わすことなく、ただただ無言。
もちろん、話し合いではあるので俺も理世も意見は言うが、そこへどちらかが口を挟むと云うこともなかった。
「お疲れ様でした〜……」
「また来週です! 吼月先輩!」
「お前らも、さっさと互いの用事を済ませたら早く帰れよ?」
「ああ、こっちもキリがついたらすぐ帰るさ」
そういって他の三人は足早に帰っていった。
–––––悪い……
心の中で呟いた。
雰囲気が良くなかったかと問われれば、そうではない。ただいつもは率先して話を回す理世が無口になってしまっているのと、俺自身どう会話すればいいのか掴めずタジタジになってしまっていた。
昨日俺たちが仕事を進めて早く終わったとはいえ、この空気の中に1時間もいたのだ。
気分も悪くなって当然だろう。
「…………」
「…………」
そこからも、お互い喋らずに時間がゆっくりと過ぎていく。
「……っ」
「! ……」
時折相手を伺うように視線が上がり、それが交わるたびにふたりして瞳を下に向ける。
こうしていると、人との関係性は容易く変わってしまうのだと肌で理解してしまう。
たかだか付き合う付き合わないの返答だけで、つい数日までは––––自分基準とはいえ––––多分仲良く話せていた相手と口すらきけなくなる。
胸を抉るような事実が目の前にある。
そう俺が苦悩している––––と、思う–––と、理世が口を開いた。
「…………今日さくらちゃんに、夜守コウくんへの対応を話しておいたわ」
「………そうか」
目は変わらず俯いたままだが、特に問題はない。話題はなんでもいい、声が交わせればそれでいい。
そうでなければ始まらない。
「当たり障りのない程度に。さくらちゃんには安心してもらえてると思いたいけど……でも、本当どうするの? このままって訳にもいかないでしょ」
「なにがだ?」
「なにがっ……て、ずっと不登校じゃこの先の進学とかにも響いてくるのよ? 流石にそれは……可哀想よ」
理世は俺の判断だから従ってはいる。
けれども、やはり一般的な考えでは連れ戻そうとする方が良いとされるのだろう。
「俺たちがする心配ではないな。少なくとも今は問題ない。澤先生が口にしたことを信じるなら、な」
「澤先生って……夜守コウの担任の?」
「ああ––––あの人は『大丈夫』と口にしていた」
そこで初めて理世が顔をあげた。口をポカンと開かせながら。
「えっ? それだけで?」
「そうだが」
「いや、適当言ってるだけかもしれないじゃない」
なるほど……確かにその通りだ。
「確かに俺も半信半疑ではある。しかし、ひとつの証拠がある……持ってはこれないがな」
「……? なによ」
「笑顔だ」
「はい?」
「俺自身、教師が熱心に生徒を見ているだとか、守ろうとしているなどは微塵も思ってもいないが、だからこそ……その笑顔には価値がある。
澤先生は俺が夜守コウについて聞いた時、
……恐らく、澤先生はどこかで夜守コウと出会し、その良否を見定めることができたのだろう。安心できるほどに」
生き物の歯を見せるような笑顔は威嚇から来ているとされているが、道端に咲く花を眺めるような微笑ならば……それは安心以外の何物でもないだろう。
「一生徒の不登校で、思い出すように微笑む必要なんてないだろ?」
「確かに……そうかも、だけど……」
「ただでさえ口下手な澤先生なんだ。本音さ」
––––––多分。
「だから、いま俺は動かない」
それがきっと夜守コウにとっての最高最善であることを祈って。
「そっか……なら、私は貴方を信じるだけね」
「––っ」
嫌な気分が漏れ出そうになる。
それを堪えて口を閉じる。
「…………」
「…………」
ダメだ–––––このままでは振り出しに戻ってしまう。せっかく、話せる機会を作ってもらえたというのに逃すのは不味い。
「なあ」
「ねえ」
ふたりの声が重なった。
「「–––––」」
また沈黙。
嫌だ。辛い。黙っていたくない。
「なあ………流石にコレは辛くないか?」
「そ……そうね……みんなにも悪いし……」
想いをそのままに告げると、理世も肯首する。
「とりあえず……昨日のことで話をしたい」
俺がそう告げると、理世が唾を飲み込むのが分かった。喉が渇き、唾液が大量に放出されているのは自分も同じだから。
––––しかし、どうする?
まず本題に切り出すにしろ、もうひとつクッションが欲しい。
けれども、この話題の中でいい話が思い浮かぶはずもなく。
なにを思ったのか。
「––––昨日の告白、何でしようと思った」
「……それ聞くの?」
理世が絶句する。
ごめんよ……ごめんね……
「俺は好きだとしか聞いていない。なぜ、その行動に移ったのか知りたい」
しかし、せっかくなんだ。
このことだけは聞いてしまおう。
昨日から気になっていたんだ。
俺は少なくとも、優等生と言われる振る舞いは出来ても、好かれるような人柄ではない。だから告白なんてされたこともないし、しようとも思ったこともなかった。
「……」
何故、俺と付き合おうと思ったのか訊いただけなのだが、理世は困ったように考え込む。
「あぁ、うぅ……」
そうして、絞り出すように答えを吐き出す。
「–––––……ええっとぉ……なんとなく……」
「なんとなくて」
驚いたと、いうのが一番。
恋慕という感情だからこそ、それなりの決心と情動があってのことかと思ったが違うらしい。
「いや、《いける気がする!》……って」
「お前なぁ……ハハッ」
なにか湧いた感情を通り越して、面白くなってしまう。
勇気の根源が『いける気がする』だとは––––
「ほら、恋愛って必ずしも大きい感情がある訳じゃないと思うのよ。結婚という契約を交わすならまた別だけど、恋人であればあくまで親友の延長線上の事柄だし」
「……なるほど」
ならば、それは。
「理世は俺のことを【信頼】している。ということでいいのか」
「……? まぁ、そうだけど。ショウなら最期まで付き合ってもいいし」
「そうか、……っ」
面と向かって言われてもなお猜疑する。
そんな感情を抱く自分が嫌になる。
しかし、口には出さない。顔にも出さない。出してしまえば余計に話が拗れるだろうから。
「今度は私からいい?」
「どうぞ」
仕草で次を促す。
「なんで断ったの?」
「……それ訊くんだ」
「そっちも訊いたじゃない」
「それもそうだな。答えないと割に合わないな」
どう答えるか。どう答えるべきか。
自然と顔を手で覆ってしまう。
理由はハッキリとしている。
根源不明の人間不信のような拒否感が、思わず彼女の手を払ってしまった訳だ。
しかし……『原因は分からんが嫌だった』と答えるのは如何なものか。
この感情自体は理世限定ではないし、生徒だろうが先生だろう町の人だろうが湧いてくるものだ。
それでも、あの時拒絶反応がより濃くなったのは事実。
ならば、真っ直ぐ伝えるのがベスト。
「付き合うという関係性ではない、と思ったのだろう」
遠回りな言い方は余計な手間が生まれる。
「他人事!?」
「……仕方ないだろ、そうとしか言えないんだ」
拒否反応はいつも出るが、告白でより強くなったという事は本能的にしたくなかったのだろう。
「理世もなんとなくと言っただろ」
「っっ…………待ってつまり……なんも分かってないじゃない!?」
「そういうことだな」
実際、理由わかってないしな。
「……あのさ、ショウ」
「なんだ、また聞きたいことか?」
「そうじゃなくてね––––」
理世はどう伝えるべきなのかを思案するような態度で、こちらを伺いながら言葉を紡ぐ。
「……こうやって私が告白して貴方がフッた訳だけど、それでも生徒会としての活動とか学校生活とかまぁ一緒になっていかなきゃいけないことは沢山あるし」
「待て」
俺が彼女の言葉を遮ると、その目が右往左往しているのが分かる。
それはいけない。
少なくとも––––理世に言わせることではない。
理世が言いたいことはきっと……。
「俺も出来れば、今まで通りの距離感でいたい。だから告白は
「…………」
理世の本心と寸分の狂いもなかったのだろう。瞬きほどだが図星を突かれたような雰囲気が出ていた。
–––––そんなことは無理に決まっている。
時計の針を戻すようなことを現実で出来はしないし、簡単に忘れられるようなことでもない。
俺ができたとしても、理世ができるかと言われれば甚だ疑問だ。
起こってしまったことは変えられない。
理世もそれが分かっているから、あんな回りくどい口上を垂れたのだ。
しかし––––
「分かったわ」
「ありがとう。俺も今まで以上になれるよう努めるから」
そんなこと関係ないと言える関係性は作れるはずだ。
信頼しきれいない俺でも虚飾で彩って生徒会長にまでなれるのだ。それぐらいは偽れるはずだ。
–––––理世どころか、自分すら信じられていないのに……出来るだろうか。
「……ありがとう」
そう呟いた彼女に、俺は頭を下げた。
「それじゃあ、帰りましょう」
理世は鞄を取って立ち上がる。
「ああ……また来週」
そこで俺たちはそれぞれの帰路へ
もう、ひとりだ。
「……」
昨日と同じ暗澹とした朱だけで染められた廊下にポツリと立つ。
夜とは違った自分だけの世界。
同じひとりのはずなのに。
「––––––最ッ悪だ」
俺の脳裏には、どこか寂しそうな笑顔で礼を言う理世の顔がこびりついていた。
悲しみに耐えたその透明な瞳を見つめることすら出来なかった。
「––––––今日は眠れるだろうか? 吸血鬼よ」
妖しく美しい……あの姿を思わず求めてしまったのは、彼女の持つ信頼に憧れたからだろうか。
よく、分からない。