神崎は銃を持っていた。
俺の家に神崎が来訪してきた晩、ハツカは鈍い光の凶器を手にする姿を見たと口にしていた。信じていないわけではなかった。萩凛さんたちが捕えられた日だって、どこから見つけてきたのか分からない
「岡村先生……!」
それでも発砲音が部屋に響くのも。
それでも身近な人が胸を貫かれて倒れるのも。
目が霞んでしまうほどに衝撃的で、身体は勝手に動いているのに頭は全く働かないのだ。全身の神経は既に撤退の二文字で埋まっていた。既に半吸血鬼の力を発動。手元の瓦礫から手首を切るのに程よい欠片を掴み、血を放出する。ビタビタと血痕があたりに散らばった。倒れた岡村先生の口元に血が垂れる手首を押し当てた。
「吼月くん! それから離れてッ!」
岡村先生が打たれたのは背後から。
俺が血を飲ませるのは先生の正面から。
薄暗く、埃が湿った時の嫌な臭いがする空間で俺と神崎は眼と眼を合わせた。最悪以外の何物でもない。完全に神崎の中で俺と吸血鬼が繋がっていることが確定した。ハツカが襲われる可能性が増大した。ハツカだけじゃない、ミドリさんや他の吸血鬼たちも積極的に狙われるかもしれない。
知人が襲われる恐怖が頭の中で疼く。
それよりもひと言、言ってやりたいのは––––
「いきなり撃つ奴があるかよッ!!」
なりふり構わず殺そうとするなんてあり得ない。
俺は神崎の過去を正確には知らないし、岡村先生がこの一ヶ月何をしたのかも分からない。
敵として見据えるのはいい。
それでも殺すべきかどうかは常々見定めるべきだ。
……だからこそ迷うこともある。
こちらを見つめる神崎の瞳が、岡村先生の口に押し当てた手に向けられていて危機を感じる険しい色をしている。
「チッ––––」
神崎に向かって欠片を投げつける。
半吸血鬼の力で投擲したそれは、乾ききる前の血を周囲に散乱させながら飛翔した。数秒も経たずに神崎へと接近する。
甘い。甲高い金属音が響く。吸血鬼とはいえ銃を向けたのだから殺す事だけを考えれば良かったものを、欠片が弾いたのは拳銃のみ。
「クソッ……吼月くんッ!」
苦悶に満ちた声が溢れるのを背中で受けた。
俺は先生を肩で担ぎながら廃ビルの外へ逃げ出した。
そして、夜空へと跳躍する。
空の景色を見ている余裕なんて無かった。
街を越えて、人気から離れて小森の街を眺められる高台がある方へ。一眼も気にしない。深夜帯に他人を気にする方が馬鹿げている。安全地帯となる場所に向かって、一心不乱に跳んだ。
たどり着いた場所は、以前
何キロ離れているだろうか。
あとで調べてみようか。
「……火事場の馬鹿力ってやつかな」
手だけすり抜けて玄関の鍵を開ける。
エマに貸すのが終わって電気や水が止められているかと思ったが、スイッチを入れてみると問題なくついた。居間の畳に岡村先生を横にして息があることを再確認すると、俺は屋内を隅々まで確認する。
カメラなどがないことの確認だ。
見つけた布団を敷いて先生をそこに移動させた。
––––問題は終わってないだろ
激しい動悸がして、俺も畳の上に腰を下ろした。襖に背中を預けて考え込むために瞼を閉じた。けれど手だけはスマホを握り、自分の微かな意思に求めるように指が動いている。
神崎が吸血鬼殺しなのはいい。
吸血鬼だから先生を狙ったのもいい。
けれど、なぜ先に岡村先生が殺されることになる?
吸血鬼を俺から遠ざけたいなら………いや、意味がない思考だな。神崎たちがやっていること全てが無意味だからだ。俺はもう既に吸血鬼の存在を知ってしまった。本やテレビ、何かに触れた後ではそれ以前の自分の考えには戻れないのと同じように、知ってしまった以上、触れて嬉しかった記憶ができた以上、俺にとって吸血鬼は【悪く無いもの】だ。遠ざけること自体、悪手でしかない。
話を戻そう。
岡村先生がハツカより先に殺されるとしたら、俺がハツカよりも最近は蒼と絡んでいるからだろうか。
なるほど。
ならば神崎を殺して俺も死ぬべきか。
「嫌だなぁ……ハツカといたいなぁ……」
殺しておくべきだったかなあ。違う。望むな。
「もう夜なんて楽しめないよ」
目を開けて、スマホに視線をやる。表示されているのは、ここ一ヶ月の小森近辺で起きた事件事故についての検索結果だった。特に怪しい事件は、岡村先生が起こしたビジネスホテルの一件以外、8月以前のものだけだった。
吸血鬼に隠蔽されてるのか。
それとも………思考の中に落ちながら先生を見つめる。
「にしても、先生を吸血鬼にしたのは誰だ? キクじゃない星見……?」
先生は写真を見て、星見キクの顔は知らないと断言していた。
しかし、相手は星見を名乗った。
間違いなく別人だ。自身への絶対の恋心を求めている奴が、姿を騙って他人を眷属にするなんてあり得ない。となれば、星見キクの眷属あたりが妥当だろう。
なんせ好きになって全てを捨てる覚悟を決めた途端、選定され捨てられてきた人たちが大多数を占める。苗字を使って吸血鬼の中で評判を落とすぐらいしても本人から文句を言われる筋合いはない。
最も他の吸血鬼からすると迷惑極まりないんだが。
「模倣犯の可能性もあるけど、自尊心が肥大化してる吸血鬼たちがわざわざそんなことするとは思えないしな」
……そうか。
これは逆にチャンスか?
「神崎は吸血鬼を全て殺すが、殺す前に利用できるタイプだ。もし今回の件を話してまずは面倒な暗躍者を殺すほうがいいか。幸い、神崎視点だと知らず知らずに吸血鬼になった岡村先生と居合わせただけだ」
––––でも、結果は変わらない。
そうだ。
どうであれ吸血鬼とも相応に関わっているはずなのに、殺す結論を改めないならどこかで神崎を謀殺するか、なにか条件をつけてやめさせるしかない。
前者は簡単だが、俺には迷いがある。羅生門の前で彷徨う下人のように悪事への踏ん切りがつかないでいた。
後者は復讐である以上、なにか納得できる落とし所を見つける必要がある。これは難しい。時間で解決できない事柄ほど触りにくいものはない。
「……世界を全部良くしたい。皆幸せでいて欲しい。そう思ったら王様にでもなるしかないじゃないか」
呪文を唱えるように口ずさむ。
皆んなの中には神崎も居てほしい。
俺は王様にはなれないし、その右肩にも左肩にもなれない。民でしかない。けど、配下なりの生き方がある。俺なりの覇道がある。
「覇道を行くなら自分の幸せは入れちゃいけないよなあ……」
じゃないと最高の手段は取れないのだと、身をもって知っている。
身を差し出せばオバサンは救えたのだから。
「どちらにせよ、まずはカオリと会わないとな」
アイツと話さないと何も始まらない。
☆
まさか、まさか!
このような悲劇的なことがあっていいだろうか。何十分と経った今でも、
「はぁ……はあ……」
覚えのある痺れだった。
そう、私が若手だった頃。若輩とされた頃。
蘭花が友達と楽しそうに学校に行き、そのために私が働いて金を稼いでいた。あのひと時が人生において二番目に豊かだったひと時だろう。一番は言うまでもなく父と母が生きていた頃だが、死んで以降蘭花を幸せにすることだけを考えて生きていた。
好きだと言ってもいい。
それがある時崩れ去った。
いつものように気絶するような形での眠りから覚めたのは、蘭花が慌てて家に帰ってきたからだった。玄関で倒れ込むような音がして、吊られて何かが割れる音もしたから床から飛び跳ねて、急いで駆け寄った。
玄関には動揺して、顔が青白くなり見るからに不健康そうな蘭花の姿があった。顔をあげた。なにより印象的だったのは、唇が–––口元全体が–––血で彩ったように鮮やかだったこと。
大丈夫か、と声をかけながら手を伸ばす。
蘭花もその手を掴もうとした。少なくとも最初は。でも、眼と眼があった途端、錯乱したみたいに宝玉のように綺麗だった瞳を泳がせて、私の手を弾いてしまった。
そして、奇声を上げたままどこかへ走り去ってしまった。
その後、私は蘭花と会っていない。
覚えているのは拒絶の痺れだけだった。
今の手に感じる震えは、まさにその時と同じものだった。
なによりあの時、目を合わせた瞬間の吼月くんの表情は鬼気迫る怒気を孕んでいた。すっかり吸血鬼に誑かされてしまったのだろうか。
「許さんぞ……吸血鬼ども……!」
私の家族を奪い。
あまつさえ二度も私の親友から家族を奪うなんて……!
弾かれて埃だらけの地面を滑った拳銃を拾いあげる。
プルプル……スーツのポケット越しに振動が脚に伝わり、スマホに着信が入った事を分かる。取り出して聞こえてくる声に耳を傾けると、朝霧の声がした。
「私だ。すまない……殺し損ねた」
『そう。勧誘をダメだったし、殺すしかないものね』
「ああ。手筈通りに」
『私は蘿蔔ハツカを、神崎さんは岡村を殺しましょう』
妙に軽い声だった。
本人の声だがいつも以上に乗り気なのが分かる声の張り具合だった。電話を切って、ため息をつく。
「……なにがあったとしても」
信じられるのは自分だけだ。
☆
「……というわけで、協力よろしくね。蒼ちゃん」
「はい。朝霧さん」
誰だろう。
知らない人だ。でも、お辞儀した方が良いと考えるより先に身体が頭を下げていた。
星環さんにマッサージをしてもらって、きっと気持ちよくて寝入ってしまったのだろう。気づいた時には星環さんは部屋にはいなかった。その代わりに、知らない女の人たちが二人リビングに入ってきていた。
一人は四十は越えているだろうお母さんと同じぐらいのオバさんで、もうひとりは若いキャリアウーマン?って感じのスーツを着込んだ女性だった。
見覚えのない顔ぶれに困惑する。
––––大丈夫、そのまま流れに身を任せればいいんだよ。
頭の中で何かが反響する。星環の声色の響きに安堵しながら、私は声に身を任せていた。
「貴方、吼月くんのことが好きなのよね?」
「はい。好きですよ」
でも、きっと貴方たちが思うような恋ではない。
そう!私の想いは恋ではない。
恋ではなく名前をつけてはいけない激情なのだ!
だからこそ、だろう。
彼女たちが発した言葉に素直に頷いてしまったのは。
「だったら、あの子を誑かす悪魔を殺すのに協力して」
そうすればきっと、彼は何にも囚われず私だけを見てくれるかもしれない。