学校が終わり、生徒会が終わり、僕は帰宅した。
憂鬱な一週間の学業に終わりが告げれ、高揚した気分になる。
なんてことはありえない。
「へんな味……」
晩御飯を作り、食べているのだが食っている気がしない。
完全に噛んでるだけ。
味のないガムみたいだ。それも1,2時間噛み続けた後の、中途半端に味がある残念な感じだ。
「まっず……」
客観的な推測。
誰が言ったか、大好きなものを食べていて美味しく感じなかったら、それは精神が異常な事態に陥っている証らしい。
目の前には、赤いタレが食欲を刺激する鶏肉とカシューナッツの炒め物…… 宮保鶏丁だったか? ツルッとした目玉焼きが乗ったシーザーサラダ。最後に日本の主食の白米があるのだが……どうにも不味い。
いつもの分量で作っているから美味しいはずなのだが、美味しく感じないのだ。しかも、食うよりも呆けている時間の方が長く、ご飯は冷めてしまっている。
「これは結構……参ってるんだな……」
理世のことを思い出してしまう。
あんな悲しそうな笑顔を見せられれば、誰だってこうなると思う––––
どうすればいい?
あの解答が正しいものだったのか?
どうしたら理世の目を見れる?
どうやったら人を完全に信じられる?
俺はなにを望んでる?
いまの俺に出来ることは?
そう自問自答するだけで時間が流れる。
壁にかかった時計を見るとなんともう22時を回っていた。
どれだけ細々と食ってるんだ僕……。
「……ラップだけして明日食うか」
見下ろす食事達に礼だけ言って、ラップをかけて冷蔵庫に入れる。
「今日も月は綺麗だな」
灯を消した部屋が妖しい光に染まった。
満ちる光は月夜から。
カーテンが開かれた窓からこちらを覗く月は、昨日に劣らず美しい。
そのまま床に就く。
掛け布団を頭まで被り、一切の光を遮断する。
「………」
数分すれば寝れるだろう。
「…………………」
目を瞑り、眠りを待つ。
這い寄ってくる
それだけで寝れるはずなのだ。
「…………………………」
シン……として静まりかえった部屋からはなにもやってこない。
今日という舞台が幕を引くことを実感させるが、その肝心な幕がいつまで経っても下がってこない。
このままでは、また嫌な事を考えてしまいそうだ。
こういう時は羊を数えるのが一番だ。
羊が1匹……羊が2匹……羊が3匹…………
頭の中で、1000匹を超える羊たちがブランコに乗って何周も回転しているが、寝れる気配はやってこない。
仕方ない。
「セイタカアワダチソウヒゲナガアブラムシが1匹…… セイタカアワダチソウヒゲナガアブラムシがにひ……なっが……」
疲れるわ。
そのくせ、余計に寝れなくなるし……
「………っ」
コソッと布団から顔を出して時間を確認する。
カーテンを開けているからか、昨日と違ってランプをつけなくても視認できた。
「0時……もう2時間たったのか……」
いつもなら数分で眠りにつけるというのに。
「………なるほど」
吸血鬼の言葉を思い出す。
『安眠というのはね、今日が良かった、満喫したなっていう心地よさに成り立っているのさ』
満足いくわけがない。
良かったなんて思うわけがない。
これから自分がなにをすべきなのかすら、見出せていないのだから。
「……行くか」
気がついた時には俺の頭上で、月が優しく輝いていた。
「すぅ〜〜……」
また、夜へ出かけた。
夜更かしの世界にやってきた。
「空気が美味しい」
大して強くもない天から降る光を隠すように手庇を作る。
「この街、こんなに星が綺麗だったんだな」
夜空を見上げながら歩き続ける。
目的があるわけではないが、他人に気を張らなくていいこの時間は本当に特別なのだと感じる。
気分の悪さもこの夜に溶け込んでしまったようだ。
「てっきり捕まると思ったんだけどな〜……」
歩き始めた時は、すぐに吸血鬼に捕まるかなとドキドキしたが小森の団地はかなり広い。ひとりふたり、いや4人以上いたとしても標的の人間を1人見つけるだけでもかなり苦労する。
いつか見た、この街を上空から納めた写真はまるで街そのものが大迷宮と化しているようだった。それはある種の幻想を具現化してるようだった。
「まっ、いまはひとりのほうが気楽で良いかな……あっ」
昨日と同じところで似たようなおじさんが寝ていた。
「……ふふ、良い夢みろよ」
疲れているのだろう。夜なんだから、そっとしておこう。
僕はそのまま立ち去った。
自分を縛る人の眼がない事––––それが夜の世界が、昼の世界と異なる法則。
その一点だけで今ある
わざわざ己や他者が放つ言動の虚実に囚われることもなく、たった一度の問答で壊れてしまう関係性もないこの世界こそ、自分が生きる世界なのだ。
「夜の世界も良い」
夜の世界も素敵だ。
気兼ねなく暮らすならばきっとそれが答えで、求めたものだ。
「…………本当に?」
自分の事なのに、本心すら推し量れないとは。
なんとも腑抜けたことだ。
「理世みたいに……なんとなくで進めたらどれだけいいことか」
理世の行動原理……絶対的なポジティブ思考は未来に進むためには必要なものだろう。自分の意思で進むために、自分を信じることができるなら。
「––––」
いけない。姿の見えない視線に囚われるところだった。
せっかくの夜を台無しにする訳にはいかない。
「美味しい店あったりするのかな」
昨日のこともあり、夜にしかやっていない居酒屋などで飯を食べてみたいという好奇心がある。
店ならばスマホを使えば探せるだろう。
けれども、それよりも美味しいものは空に広がっている。
「ホント星が綺麗だな〜〜––––まずは」
自然となにかを探すように首が動いて、見つけた。
目的地となった場所に足を進める。
そうして到着したのは、昨日の雑居ビルの傍にあるより背の高いビルだった。
どういう訳か、このあたりのビルは警備がザルらしい。
宇宙牢獄みたいな警戒レベルだ。
僕みたいな不審者に簡単に入られてしまっている。
「……登って来たは良いけども」
天に輝く星々との距離を考えれば、ビルの屋上に上がった程度微々たるものなのは知識として理解していたが、やっぱりそんなに近づけていない。
「変わんね〜〜なぁ……」
一転、街を見下ろす。
街を照らすのは射し込む月光と、コンビニや居酒屋などの人工灯だけだ。
けど、今いるビルの高さを脳が把握するには十分だった。
「僕、昨日こんな高さから落ちたんだよね……」
思い出すのは、闇に堕ちた時のこと。
こんな明るい場所で真っ逆さまに落ちていたら、流石の僕でも泣いていただろう。
疲れたと口にしたのは、メンタルがやられていたからだろうか。
それもあって泣かなかったのかもしれない。
「我ながらバカな事を……」
そう思うとやっぱり黒でよかった。
そして、黒は反転し極彩色に視界は染め上げられた。
吸血鬼によって。
「…………」
身体が一歩、
感覚が研ぎ澄まされる。
––––––––コツン
心地の良い音が聞こえた。
胸が震える。
「キミ、また死ぬつもり?」
待っていたよ、両腕を広げてそう言いたかった。
「正に鬼、だな。神出鬼没。なぁ……吸血鬼」
振り返った屋上の中央に、奴は悠然と立っていた。
ツンとした見た目に反して柔らかい笑顔が似合う蠱惑的な存在––––吸血鬼、ハツカ。
「こっちこそ聞きたいんだが、死にかけるのがお前たち吸血鬼を呼び出すプロセスなのか?」
「だったら、僕はキミの救世主ってことだね」
事実、一度救われているのそう言って差し支えないだろう。
「せっかく眷属も使って団地内を探したっていうのに、まさかすれ違うとはね」
「ああ、やっぱり来てたか。それは悪いことをしたな」
吸血鬼は『大したことじゃない』と手をヒラヒラさせる。
「さて、それじゃあ返事を聞こうか」
来たな。
「僕の眷属になって吸血鬼になるのか、それともここで死ぬのか」
目の前に提示された問題。
時間はあったのに考えてこなかったツケが回ってくるのは、宿題そのものだ。
もう土曜日だというのに勘弁してほしいね。
コッチはそれどころじゃなかったってのに––––––
「僕としては、恋して吸血鬼になる事をオススメするよ。僕の眷属はみんな幸せだからね」
「……ッ、だから俺は」
恋というワードに反応してしまう。
恋を経由して吸血鬼になる生態上どうしようもないのだが、胸に針が刺さったような感じがした。
昨日は関心がない程度だったが、今日を経て変わってしまった。
「恋愛はもういい……かな」
憎悪していると表現すると流石に言い過ぎだが、もう金輪際関わるべきではないだろう。
一度の口約束で、人間関係が狂うなんておかしい。
「…………なにかあったの?」
その変化は吸血鬼の興味を引いた。
勿論、話すことではない。
–––––けど、コイツなら
名前は伏せたが、同級生から告白されたこと。
それを明確な理由を告げずに断ってしまったこと。
他人の言動を疑いかかってしまうこと。
自分の本心すら理解できないこと。
自分のことすら疑ってしまうこと。
今までそれらと上手くやってきたのに、出来なくなり始めていること。
だから、俺は恋愛はできない。
だから、俺は吸血鬼になることはできない。
「へえ–––––中学生の恋愛模様も色々あるんだね」
今、俺を悩ませること全てを吸血鬼に話した。
「……なんか、話したらスッキリよ。ありがとう」
「誰にも相談できない悩みを話すのは心の負担を軽くするからね。いいよいいよ」
心にゆとりが出来たところで、本題へ。
「これでわかったと思うが、俺はとても恋出来るような人間ではない……もし、無理に恋したとしてもこの胸の疼きは止まない。今みたいに理由の分からない怪しさは溢れてくる。
どうしても考えるんだ。『どうせそんなこと思ってないくせに』って……だから、もう諦めるか殺すの二択にした方がいいぞ」
「なら、止めたのは不味かったかな?」
「かもな」
自然と笑みが溢れる。
これが乾いた笑いというものだと実感した。
「生まれて初めてだよ。出来ないと思ったのは」
星を見上げる。
極彩色の空がこちらに降り落ちてくるような絶景。
これが最後の風景なら惜しくはない。
「なら–––––」
声を漏らす暇もなく、いつのまにか吸血鬼は俺のそばに来ていた。
思わず見惚れてしまう顔が寄ってきたことに胸が灼けそうなったのは、男としての本能だろうか。
「なおさら、キミは吸血鬼になるべきだ」
その返答に、俺は目を見開いたことだろう。
「いや、だから……」
不可能を告げよう。
二度言うことは無駄でしかないが、それで理解してほしい。
俺が口を開くよりも早く、吸血鬼は次の句を紡ぐ。
「昨日、夜を味わった時どう思った」
「………」
楽しかった、満足した。
「キミは美味しいと言っただろう。それはなんでだい?」
それはわかっている。
「……人の眼なんてなくて。…虚偽を気にせずただ、ただ楽しいことをした。食べる飲むなんて普通のことなのに、
自分を取り巻く、負の存在が夜に染められて無くなった気がして」
ひとつひとつの言葉を噛み締める。
楽しさが、非常識が、脳に行き渡っていく。
「そう……この世界に楔はない。この世界はなにも拒まない」
きっと、それは子供心の真実で。
「いま、キミを取り巻く煩わしくつまらない世界はこちらの領分ではない。もっとも、遠い場所」
夜の世界なら可能なことで。
けれどもやっぱり無理なのだ。なることは出来ない。
「それにキミ、吸血鬼になりたいでしょ?」
目の前にいる吸血鬼はそれを否定する。
「えっ、いや……」
「なりたいか、なりたくないかで『できない』のはおかしい。つまり、キミは吸血鬼にはなりたいけど、無理だから諦めてるってことだよね」
俺の頭の中を読んだような物言いに圧倒される。
「だけど……やっぱり無理だ。俺に恋はできない」
「できるよ」
諦めは断ち切られる。
二言は言わせない。
「昨日、屋上で会ってばかりの時、キミは僕に着いて来たよね。見ず知らずで正体不明のボクに。
それってキミが僕の言葉に
「…………」
「キミに都合が良かったからかもしれない。藁にもすがる思いだったのかもしれない。けれども、大きくなった不信感を越えて僕の言葉を信じた。ならできる」
彼女は余白を大きく取る。
どんな言葉が待っているのだろうか。
それはきっと俺の望んだ。
「–––––キミは
理世の言葉を思い出す。『恋人であればあくまで親友の延長線上の事柄』であると。
親友も、恋人も、即ち信頼……絆を拠り所にしている。
見えないものを。
そう思っていないかもしれないものを。
吸血鬼、ハツカは俺に手を伸ばす。
「
俺の吸血鬼になる理由––––なりたい理由–––––
俺がなすべきこと––––望んでいること–––––
夜の世界も良い––––
––––––
「なんか……行ける気がする…………ッ!」
「でしょ」
俺の言葉を、真意をどう受け取ったのだろうか。
吸血鬼はただ微笑む。
俺がやりたいことは、ひとつだ。
「……止まっているだけの世界にとどまるつもりはない。だから吸血鬼、頼みがある」
「なにかな?」
「今宵、それだけでいい。覚悟を決める––––自分が進む覇道を!」
胸に手を当てる。
鼓動が早鐘を打つ。
ドキドキが止まらない。
「覇道って……吸血鬼になるだけなのに随分と大袈裟だね。まっ、それくらいなら、良いよ」
伸ばした手をそのままに、吸血鬼は俺の胸に触れて、
「ホラ」
小突いた。
「えっ?」
たったそれだけ。
それを人間の範疇で考えてはいけない。人外の力で押し出された身体は宙を舞って……落下する。
「はあぁぁぁぁああああああああああああ!?!?」
突然の出来事に俺は喉が裂けるのではないかと疑うほど絶叫した。
身体が落ちていく。
昨日と同じ条件であればまだ良かった。
しかし、今日は明かりが灯っている世界では、死が這い寄ることを脳が理解して、生存本能から叫びが止まらない。
死ぬ、死ぬ……? え、死ぬ!?
死んじゃうのか!?
「死ぬッ!!?!?」
「大丈夫」
耳元で囁かれたと認識した時には、吸血鬼は目の前で浮遊する。
そんな彼女から迫る死から救うための手のひらが伸ばされる。
俺はその手を掴む。
「さぁ––––夜を楽しもう」
高鳴る俺の身体は再び夜空へと。
☆
「っ––––」
僕たちが目にするのは街。
夜に沈んだ黒色の世界。
面白味は欠けているのかもしれない。
「凄いでしょ?」
少年は頷いた。
「……ジオラマみたい」
「確かに、僕たちが生きてる世界がこんなに小さくなるんだもんね」
でも、圧倒される。
まるで世界が自分のために広がっているのではないか。
高いところから眺めるだけならば、東京にあるタワーに登れば良いだけだけどそれはあくまで他人の手によって魅せられているもの。
自らの力で跳んで、眺めることができる吸血鬼からすると下の下だ。
動いて、確かめて、堪能する。
この景色は吸血鬼だからこそ味わえる。
こうしていると、少し前に夜守くんを警官から守った時のことを思い出す。
吸血衝動に負けた吸血鬼に友達が襲われて。
その吸血鬼を殺す探偵が現れて。
吸血鬼になる決心が揺らいでしまったけれども、僕との対話で自分のやりたいことを……吸血鬼になりたい理由を見つけた夜守くん。
そんな彼はこの景色を見て笑っていた。
恐らく七草さんにこの景色を魅せられたのだ。思わずニヤけてしまうほどに。
僕をフッたことについては思うところがあったけど、楽しんでいるようで何よりだった。
視線を少年に戻す。
「…………」
見た目からして夜守くんと同世代か。少し歳上か。
きっとこの子も好きになるんじゃないかと思ってこの手段を選んだ。
少年は変わらず見つめている。ただ茫然と空間を眺めるその瞳からは彼の意思が読み取れない。
楽しんでいるのかいないのか。
「––––ハハッ」
僕の眼に気づいたのか少年は呆然とした顔から頬を緩めて楽しそうに表情を変える。
その笑みは真意にも見える。
–––––なるほど、聡い子だ
相手が求めているものを察する力に長けている。
だからこうして彼はこの景色を楽しんでいるように繕う。相手が楽しくいれるように、相手が安心していられるように。
「キミっていつもそうなの」
「え……っ?」
少年は不思議そうに首を傾げた。
「そうやって他人に合わせて顔を変えるのとかさ」
口を閉ざして、考え込む。
少し眼を僕から離した後、夜の街を見下ろす。
「……そうだな、俺はいつもこんな風だ。気を遣わせたなら、謝る」
「なんでそんなことしてるの。面倒じゃないか」
「……なんでって、だってその方が良いだろ?」
やっぱり。
「誰かと知らない話題で笑ってみたりして我ながら馬鹿らしいな〜……とも思うよ。だって、こっちからしたらなんの意味もないし、時間の無駄だ。人助けだって、きっとそうだ」
独り言ちる彼からは笑みも呆然も消えている。
「けど、自分の好きな事を誰かひとりとでも共有できるのは嬉しいことだと、辛い時は誰かひとりにでも助けて欲しいと俺は知っている。なにより––––そんな生き方は正しいと知っているから」
まるでショーにでも登場するヒーローのような事を口にする彼からは疲れが滲み出ている。
「本当に正しいと思ってやってるのかい?」
「知っているなら意識しなくても出来るよね。まっ、そんな感じで八方美人やってる俺は優等生になりましたさ」
八方美人。
良い意味で使われない言葉だ。きっと彼はわざと使っている。
「誰かひとりとでも、か……なるほど。キミにとっての好きな事を分かち合える相手と告白で拗れて夜更かしってわけか」
「うっせえ……」
確かに––––居場所がないのは辛い。
「それに俺、こういう時どうすればいいか知らないんだよ。こうやって遊んだ事ないし」
「えっ……?」
それって––––
「キミ……ボッチなの? 可哀想に……」
「ちっっげぇえよ! そうじゃねえ!!」
「だったらなんなのさ」
「………俺と一緒に居たいから誘われるってことがない、だけ」
少年はそれを『俺の疑念が見せる幻惑だろうけど』として、少し寂しそうな眼で街を見つめる。
「件の同級生の子とは?」
「……出かけたりとか、したことない」
「仲よかったんでしょ? それなのに遊んだことないの?」
「うっさいよ––––別にいいだろ」
「…………」
この話題はやめた方がいいかな。
きっと彼の心が拒絶し始める。
「今後のことを見据えれば、笑い話にすれば良いだけなんだよな……悪い。けど……進むべき指針は見えたんだが、やっぱり気持ちが分からないんだ」
僕よりも先に少年は次の話題を提示する。
「……ひとつ、聞きたい」
怯えた子供の声はこちらの心も揺さぶる。
「やるべきことも……信じることも決まっていて……行けるかもってなっても–––––それでも自分の本心が見えない時、アンタはどうする」
困惑と苦しみが詰まったその問いに、僕は即答できる。
「身を任せればいい。そうして自ずと出てきたものが、キミの本心だ。後はそれを解放するかどうかだ」
僕の話を聞いた彼は数回頷いて、自分の中に落とし込んでいく。
「
「そうだね。そうと決まれば、実践だ」
浮遊していた身体が沈み、どこかのビルの屋上に着地する。
本心を見るのが難しいならば、無理矢理にでも直視させてあげれば良い。
「舌、噛まないようにね」
「えっ?–––––うわああぁぁぁあ!!?!?」
床を力の限り、目一杯蹴り上げた。
少年が反射的に僕を強くしがみついたり
僕たちの身体は空気を裂いて、どんどん上昇していく。高くなるにつれて身体が冷たくなる。周囲の建物も小さくなる。
「ッッ!!」
そして僕らの星が傍にある、そんな錯覚。
「さぁ少年くん! 声を大にして叫ぶと良い! キミの衝動を!!」
少年がこの全てに眼を奪われているのが伝わってくる。
そして、声が漏れ出した––––
「はっ……ふふっ……!」
パカっとした明るい笑顔になった彼からは次々に言葉が出てくる。
「ホントすごいよ!! 僕、生まれて初めて見た!!! こんな景色見れるなんて最ッッッッッ高ォ!!!」
精神年齢が一気に下がったような––––いや、この方が年相応かもしれない–––彼を見て、こちらも笑えてきてしまう。
滞空、降下、飛翔を繰り返して様々な場所を僕らは睥睨する。
「行きたい場所はあるかい? 少年くん」
彼は迷わなかった。
「ねぇ! あそこ行こう!!」
「良いよ」
驚いたことに少年が指差したのは、小森の郊外にある山だった。
「ほいっ………」
街の屋根や電信柱などを足場にして僕らはそこまでやって来た。
「ほらほら、あっちに行こう! 吸血鬼!!」
「声に出してその事を言うんじゃないよ……」
僕の腕から降りた少年は狂奔の体で山を駆け上っていく。
流石の急変にため息を吐きたくなるけど、この調子なら堕とせる。
「偶には山の空気もいいね」
より深く、より濃い夜の空気がここにはある。
こぼれ始めているが、まだ青々とした葉が残る木々が生い茂る森の間を清々しい風が吹き抜ける。
「……ちょっと怖いな」
森のざわめきに背に汗を走らせる。
「と、見失っちゃう……そろそろ行かないと」
吸血鬼なら月が射す木漏れ日だけでも彼を捉えることができるが、離れすぎるとそれも難しくなる。
彼の背を見つめながら歩き出した。
小さな背に翻弄されながら、山をぶらつくなんて子と父みたいなことをするなんて想いもしなかった。
「–––––」
父親か。
「………今まで飼ってきた子達全員、見た目僕よりも歳上だったしそう思うのが初めてなのは当然か」
程よい山の雰囲気を体験しながら、彼の足跡を追っていると眼前に思いもよらぬ光景が現れる。
「………おおぉ」
その場所だけ木々がくり抜かれたように、月明かりが強く射し込みスポットライトのように地を照らす。
青い光がこの一帯を制した。いや、月明かりが照らしていた、というよりはこの場全体の色そのものなのかもしれない。
僕だけに拵えた物のように現れたその光景に釘付けとなり、自然と足が向かう。
「綺麗だ……」
天然のスポットライトに足を入れたその時。
「バッッ!!」
「うふゃぁあああ!!?!?」
突然の奇襲に、たまらず声を上げてしまった。
後退りながら襲いかかってきた者を見る。
「やっ」
「……キミねぇ」
先ほど山を駆けていった少年がニヤニヤしていた。
結構、意地が悪いな……この子。
「ごめんね。普通に声をかけようとしたんだけど、予想以上に虜になってたからせっかくだしドッキリさせてみた!」
ついさっきまで小難しいことを考えていた少年と同一人物か確かめたくなる。
「にしても、気に入ってもらえて良かったよ」
「……? もしかして、元々これ目当てだったのかい?」
「それはそうでしょう、じゃなかったらわざわざ山になんて来ないよ……真っ暗じゃあヒルの対処も難しいし」
「ここヒルいたっけ……にしても、なんで?」
「なんでって……そりゃ」
僕の問いを背中で受けて、彼は月光の中心へ。
大きな月を見上げる。
絵に描いたようなまん丸の満月が目の前にいる。
「お礼と食事、だよ」
立ち止まり、振り向いた彼は柔和な笑みを浮かべて–––––首筋を乱暴に露出させた。
背から光を受けて晒された柔肌に眼が囚われる。
昨日僕に噛まれた痕が見える。少し赤くなった肌。
僕の食事である真実。
––––––たまらないッ……
イヤらしい仕草に顔が火照る。
「まさかこの夜だけで……自分のやるべきことも、願いも……本心への向き合い方も教わった。予想外だったけど、僕は今日に満足できた……と思う」
僕も月明かりで作られた舞台の上に立つ。
「昨日のことを考えたらそういった時に血を飲むのがいいのは察せるし、後は舞台だけだな〜……って考えて、探してたら、こんな良いところが見えた」
無言のまま彼に近づく。
「これがいま僕のやりたい事。吸血鬼にアンタには礼をすべきだから……喜んでもらえたら、嬉しいな」
唾液が口の中に充満する。
食欲に脳が侵される。
「–––––ああ、嬉しいよ」
喉を鳴らして、彼の肩を掴む。
手が食い込むのではないかと思うほどに、強く握る。
僕の方から滴った唾液が少年の首を汚す。
そうして–––––
「頂きます♪」
月夜に怒声と嬌声が入り混じったような叫びが響き渡った。
彼が発する音楽が、さらに僕の食欲を掻き立てる。
こんなシチュエーションで美味しい血を飲めるなんて、色んな意味で滾ってくる。
けど、昨日と味が少し違う。
吸血鬼は血を吸う時、その相手の感情や考えていることが知ることが出来るのだ。
昨日は安心といった和やかな味わいだったけど、それに加えて期待と興奮といった味の刺激を増すスパイスが加わっている。
確かな味に、心揺さぶる調味料が合わさることで極上へ登り詰める。
満天に咲く月の下で、その血を僕は夜と共に堪能した。
最初はこれを2話分で出そうと、これを作りましたが、一つにした方が纏ってていいなと思ったので合体投稿です。
キクさんみたいなのは論外として、一般吸血鬼は自暴自棄で未来が見えない人たちにとっては希望だと思います。