カキンッ!
球の芯を捉えた音がして
目を開けると、予見したとおりに打ち返したボールは綺麗な弧を描く。照明の強い光を遮りながら前方上部に設けられた『ホームラン』の文字に直撃した。
「しゃぁぁ!!」
「……何回目よ」
「15回目」
「全球ホームランじゃない」
振りむくと、打席を囲うフェンスの奥側でバットを構えるカオリがいる。
ここは理世の住むマンションから歩いて十数分といったところにバッティングセンター。店先の看板が見えた時に話題に上げてみると、そのままふたりでぶらりと立ち寄ることになった。
店員さんからはカオリの面に目を剥かれた。カオリも何も言わないものだから、ハロウィンの予行演習という体で押し切った。時期が近くてよかった。そうして無事バッターボックスに立てている。
「カオリだってそうだろ」
「どうかしら……ねッ!」
ピッチングマシンから放たれた時速140キロのボール。重力に抗い、伸びてくるボールをカオリは的確にバットで捉えた。仮面をつけたままの極小の視界でも球を見過ごさない動体視力は流石の一言で、ボールはホームランへと向かい、音を鳴らす。
「はい、私もホームラン」
これにて1セット分の投球が終わる。
「にしても意外だったな。カオリって運動得意なんだ」
「私が吸血鬼だってこと忘れてる?」
「身体機能が人間より良いからって、使いこなせなかったら意味がないからな」
「おあいにくさま。こっちは情報を足で稼ぐタイプだからね。日頃から体は動かしてる」
店員の前で無言のまま立ち尽くしていたカオリを思い出して、『だったら自分のフォローぐらいしろよ』と言ってみる。
するとカオリは、ふっ、と笑い。
「人がいるところに来るわけないじゃない。森とか山の中とかよ」
……やっぱりその仮面邪魔だろ。
別に普通の人間には、吸血鬼の識別なんてできない。血だって人波に潜る前に飲んでおけば–––それこそ携帯血液パックがある–––いいわけだし。
バッターボックスから離れようとして、ふと思う。
「そもそも、なんでカオリって仮面つけてるんだっけ。情報屋としての顔隠し?」
小さな呟きだったが、カオリの無感情の顔がこちらを向いている。聞こえていたらしい。
思い返してみれば、仮面を被る明確な理由を聞いたことがなかった気がする。初めて般若の仮面を被って現れたときは、エマたちのことで手いっぱいで訊ねる暇もなかった。
ふと気になった疑問にカオリは、
「今の周りの視線の方が慣れてるのよ」
暗い声をひとつ溢した。
「兄から聞かなかった? わたし、酷いやけどしてたって」
カオリは焼け跡が残っていたらしい頬を撫でる。仮面で隠され、吸血鬼によって癒された傷痕を想像して、俺は一瞬目が痛む。火は痛い。
「聞いた。ネット記事にも昔の物を書き起こしたものが残ってる」
「顔の大部分が焼けて、学校でもどこでも気味悪がられた。兄と朝霧さんだけは火傷も受け入れてくれたんだけど、他の人は化け物扱いしてきてね。疎外感のある目が沢山あった」
「……それは、嫌な思い出じゃないのか」
「でもね。吸血鬼にさせられて、見かけは人間に寄っても中身が本当に化け物になっちゃったんだもの。だったら人間だった頃の視線を浴びていた方がずっといい……受け入れてたら勘違いしてしまう」
「あぁ、なるほど」
人間から血を吸う生命体が人間と同じように生きていけるはすがない。化け物の定義は様々だが、生態として人間の仕組みから逸脱するものは、確かに化け物の名前に当てはまる存在だ。
「何か言いたげね」
「うん」
「……馬鹿だって言いたいんでしょ」
「それもあるけど」
「あるのね……」
実際に阻害された
「でも結局のところ普通に暮らしたいってだけだよね。吸血鬼の力で他人を傷つけないように……その願い、俺じゃ満たされないの?」
俺ならできる気がする。
バッターボックスの外。ゲームを始めるためのコイン投入口がある。値段は500円。財布を取り出しながら辺りを見渡すと、興味深そうにこちらを伺う客がチラホラいる。全員、フェンス越しのカオリ目当てらしい。
全員が奇異の目を覗かせる。
無粋な奴らだ。
でもこれがアイツが欲しいものらしい。
「不快に見られたり思われるのも、中身を人間だと思えるようにするのも、全部俺で叶えられない?」
うん。
条件はこれだ。
「カオリが顔が元に戻っても中身が中学生に欲情する危険な人だって知ってるし、俺の血にハマってしまえば他人を襲う気にもなれないし。うん。やっぱりカオリは俺のモノになるといいと思う」
「本気で言ってるの?」
「本気だよ。実際Win-Winの関係でしょ。俺はカオリが楽しく生きててくれればそれでいいし、カオリも今より幅のある生活が送れる。移動式自動生産の血液パックがあるわけだしね」
「蘿蔔ハツカはそれを許すのかしら」
「許さないかもだけど、でも親が子を養うためなら納得してくれるんじゃないかな」
「え? 私が子供なの……?」
「食事を与えるのは親の勤めだし」
子供が子供らしく居られるようにするのは、大人の役割だ。子供の笑顔を守るのは大人の責務だ、とも。そう。
「それにさ、実際迷惑だと思うよ。吸血鬼かどうか関係なく仮面つけて来店するのは。人が来なさそうな
人間か吸血鬼かの前にまず鬱陶しい。サウナで本を読む人みたいに異物感がある」
「うるさいわね……」
声が尻すぼみになってどこかに落ちていく。
よかった。自覚はあるわけだ。
なかったら怖いどころの騒ぎではないのだが。
「カオリが大事にしてることだから無くせとはいわない。でも、それ全部俺に独り占めさせてよ。せっかくカオリのこと知ってるのは俺なのに、訳も知らない奴らに不快な目を向ける権利を与えたくない」
コインを投入して、ゲームが始まる。
ピッチングマシンが控える前方のスクリーンに投手の姿が映る。片足を高く上げて–––
「……私のこと、どうしたいのよ」
投げた。
「それ、俺に言わせる?」
目を開いてるから今はとても簡単に打てる。
「俺は魔王だからな。欲しい物は全部手に入れる。ソイツの幸せも全部」
いつもより艶のある声が自分の喉から顔を出す。吐き出した息を飲み込んで振り抜くと、打ち返したボールはまたホームランへと吸い込まれる。勝ち誇るようにしてカオリを見ると、彼女は呆けながら俺を見つめていた。
☆
バッティングセンターを出ると、
「……はずかしっ」
綺麗だと思った。
心の内では私と同じように阻害されて、私以上に傷つけられた記憶を持っているはずなのに不敵に笑っている様が鮮烈に景色として焼き付いていた。
なにより、妖艶に輝く
「あの子、将来絶対刺されるわね」
間違いなく後ろからグサッ、と。
今だって彼女である岡村蒼がいて、親友の倉賀野理世もいて、更には本命の蘿蔔ハツカだっている。既に三人もの相手がいるのだ。特に岡村蒼という子に知られるのは不味い。
なんせ寝ている吼月くんの首を絞めながらキスをしていたのだから。
自業自得な気もしなくもない。
冷静に考えているとバッティングセンターの自動ドアが吼月くんが出てきた。
「急に走り出してどうしたんだよ」
「あんなクサイ台詞言っておいて素面なの尊敬するわ」
「言葉に臭いは……あっ、え。おれ、口臭いか!?」
「そうじゃないわよ」
なんで分からないかな。
自覚がないのか、学がないのか。
「貴方……誰にでもあんなこと言うの」
「あんなこと?」
「ソイツの幸せも全部手に入れる、とか」
つまりは、お前は俺のモノだ、というある種の告白みたいなもので、二回りも歳下の子供に言われて何を照れているのか自分でも分からないけど、でも言葉の主旨としては間違っていない。
「言うわけないだろ。関係ない奴らは俺とは知り合わずに勝手に幸せになるんだから」
「……私は不幸みたいな言い草ね」
「じゃあ聞くけど、今のままで満足なのか」
「その言い方は卑怯じゃない?」
「なら、不幸だな」
言い返せなくて、黙ったまま歩き始める。その隣を吼月くんは平然と歩く。こちらの歩速に合わせたくれる少し早めのテンポ。
「俺の不幸の定義は、現状に我慢できないけど打開する術がないことだ。独りで打開できないならできるように手を貸すのは当たり前だ」
「貴方がいれば出来るの?」
「言っただろ。俺はカオリが人間として、人の中にいられる時間を長くする魔法を持ってる。美味しい血っていう、黒魔術だがな」
「貴方の哲学嫌いよ」
「ほう。それで」
––––でも頼りに、
言いかけて、口を噤んだ。
なんでたった数時間で今までの苦労を否定するような事を口走りそうになってるの。
「私の不幸が貴方にわかるわけないじゃない。貴方のやり方じゃ私は私を化け物だって認めながら生きていかなくちゃいけないのよ」
「化け物って名乗りたいなら
「誰よそれ」
「生きてるだけで人を人喰い生物に変える災害みたいな人間」
「ゾンビみたいな人ね」
「ああ、似たような創作物の存在だからな」
あっけらかんと言いながら吼月くんは続ける。
「神崎にしろカオリにしろ、数が多い人間の方に重きを置いてるのか、ファーストコンタクトが悪かったからなのか知らないが、生きてるだけでは明確に人間を不幸にしない生き物を化け物呼ばわりなら、熊も鹿も殆どの生物が化け物扱いになるぞ」
「だったらなんなのよ」
「野良猫とかそんなもんだろ。引っ掛かれたらウイルスが入ったりするし」
そんな可愛いものじゃ。
いや、見た目だけなら普通にあってる……のか?
「第一、考えてみろ。お前らの考えなら馬鹿みたいな数が多いだけの人間に虐げられてきた俺は、人間を化け物とみなして皆殺しにしたっていいんだぞ」
「できるの?」
「できるさ。人間は人間同士でも勝手に殺し合うからな」
人間同士で争わせて自滅させようというのか。
怖い、そう思ってしまうと同時にできてしまいそう、と思ってしまった。
たかが子供だ。そんなちっぽけな否定材料では拭えないほどの不安。吸血鬼としての実力を発揮し始めた事実と、過去にこれでもかと普通の人間に苦しめられてきた過去。
確かにこの子が人間を恨んでいても不思議じゃない。
それどころか––––
嫌な想像がバルーンのように大きく膨らんで、思わず吼月くんから顔を晒す。
「あっ」
その時に目についたのは絵具屋だった。店内にはキャンバスやスケッチブック、パステルなどの画材が並べられているのが外からも分かる。
いいな。
チャリン。
来店を告げる鈴の音が鳴る。店に入っていくのは吼月くんだ。彼は店内に入り切る前に、顔だけ外に出したまま『ほら、早く入りなよ。もうすぐしまるぞ』と言って、無理やり私を中に引き入れた。
店に入ると案の定、店じまいをしてきた店員が私を見て白目を剥いた。
「店員さん、すみません。あと5分で出るんで。ほら、選ぶぞ」
「いやいや! なんでいきなり」
「なんでって、カオリ……外面ばかり気にして苦労してるなって。せっかくなら今度遊ぶ時は家の中でカオリが好きな事できるようにしたいし」
「それをお節介っていうのよ!」
「でも、俺の裸描きたいって……悪かったよ」
語気を強めて言うと、吼月くんは本気でしょんぼりとした顔になる。
先ほどまでの悪魔みたいな考えを披露したり、人を惹きつける艶やかな瞳と違ってただの子供のよう。
いざ、子供らしく振る舞われてしまうと弱ってしまう。
それもわざとではなく本当に反省してるらしい。
多分、店員も子供に怒鳴りつける変な仮面を被った怪しい女に見ている。吸血鬼化で人の気配に敏感になったから、この予想は間違っていないはずだ。
「……少し選ぶから待ってなさい」
「ホント!!」
言葉が飛び跳ねて私の耳にまで踊りながらやってくる。
ああ……うん。
ギャップっていうのかしら……。
二人きりになりたいって言ってるようなモノだし。
頭を抱えながら私は画材を選ぶ。
蘿蔔ハツカも大変ね。
吸血鬼になれる子供とはいえ、吸血鬼が人間に惚れてしまったら死んでしまうのだから。