夜になって、目を醒ます。
掛け布団を吸血鬼特有の力でポンっ、と宙に放って身体を起こす。周りにはソファやテレビ、ゲーム機が置かれただけのがらんとした部屋が広がっている。
窓の外を覗いてみれば、至る所に星が輝いている良い
最近は目覚めが良い。
「それじゃ、着替えるか〜」
といっても、大きめのパーカーを被ればいいだけなんだけど。動きやすいから上着以外は下着同然の姿で動いてるし。以前ほとんど付き合いのなかった友人からも、『おかしいでしょ』と言われたことがあるが、これがアタシスタイルなのだ。
そうは思いつつも、手にしたパーカーを眺める。
「コウくんは他の人に見られたりするのは嫌なのかな」
コウくん。夜守コウ。アタシの眷属候補。
コウくんはアタシを好きになる為に絶賛恋愛挑戦中。対するアタシもコウくんを落とす為、吸血鬼として恋愛挑戦中な間柄だ。
彼は恋や愛……ま、まぁ要するに人を好きになるってことが分からないらしくて大苦戦。アタシも吸血鬼だというのに、ニコっぽく言えばモテパワーがない。
「モテパワーってなんだよ。アイツら、自分で言ってて恥ずかしくないのか……?」
吸血鬼としては
「さっさと着て、出てくか」
なんだか負けを認めた気分になったのが嫌で、アタシは見られている訳でもないのに顔を隠すようにパーカーを上から被る。
スッと顔を出すとちょうど目線にはカレンダーがあった。
23日の金曜日。なにかあった気がするがなんだったろうか。
『ナズナ、貴女まさか忘れてるんじゃないでしょね……?』
そんな小言が脳の片隅で再生される。
「……? 13日の金曜日ならジェイソンが来てたな。怖い怖い…………」
アタシは「あとは華金だな」とだけ呟いて、外へ出かける。
玄関のドアを閉めた時には、脳裏に誰かからの小言が飛んでくるような違和感は消えていた。
そして––––外に出て、
「おお〜……今日は人がいっぱいだねぇ〜」
駅の近くにまで来た。
アタシが呟いた通り、今日が華金なだけあって人間たちの姿が多く、まるで空間ごと煌めいているような錯覚さえ起きる。
『ご存知だと思いますが、薔薇の花言葉には–––』
店員に花言葉を聞きながら花束を買っている者。家族が待つ家へと足を急がせる者。既に赤くなった顔のまま居酒屋の暖簾をくぐっていく者。浮かれた様子で少女や男子に声をかける男女の姿まである。
みんな揃って浮ついてる。
そんな様子を見ていてアタシはつられて浮かれるわけでも、逆に冷めるわけでもなく、ただ平然と歩いていく。
昔はこの自分だけ周りから離れた場所にいるようで、少し寂しさを感じた。
そのことを、とある日に実感した。
ひとりで東京に行った時の話だ。新しく楽しいことを求めていたのかもしれない。しかし、目的もなく、楽しみを共有する相手もなかったアタシには、東京観光は寂しさが色濃く残すだけだった。ナンパもされてあまり良い思い出もない。
でも、今は違う–––そう思った時、人々が放つ華やかな空気を裂くようにブザーが鳴り渡る。
「こんばんは、ナズナちゃん」
「よ、コウくん」
現れたのは、いつものようにジャージ姿をした夜守コウ。
出会った途端、アタシたちは笑い合う。
理由は単純で、コウくんと居るからなんだか楽しいことが起きる気がするのだ。あくまで予感。けれど楽しみとは須らく予感から始まるものだとアタシは思っている。
実際、楽しくなかった昔の東京観光を払拭するように、恋愛勉強の名目でコウくんと東京へ遊びに行ったときは予感が的中した。
服を見に行ったり、試着室でコウくんの血を吸ったり、肉体関係でコウくんを揶揄ってみたり、夜の動物園にふたりで潜入してみたりと、楽しいことばかりだった。
だから、今日もきっと楽しくなる。
「今日は何して遊ぶ? また東京でも行っちゃう?」
自然とふたりで並んで歩き出していた。
「今日はここらへんで遊びたいかな」
「どうして? なにかあんの?」
そう返してみれば、コウくんが不思議そうな顔でアタシの目を覗き込んでいた。
訝しんでいることを隠さないその顔はなんともまあ失礼なものであったが、頷きながらなにやらひとりで納得してしまうコウくん。
「なんだね今の顔は」
「なんでもないよ。それよりナズナちゃんは東京に行きたいの?」
「いんや別に」
「なんじゃそれは」
ハッキリとした理由もない勘繰りや否定をしてしまうあたり、案外似たもの同士なのかもしれない。
それから取り留めのない会話をしながら夜の街を歩き出す。
昨日や今日の天気のことだとか、コウくんの頭に猫が乗っかった話だとか、来る途中のレストランで
意識がお互いにだけ向いて、あたりの風景が溶けたように流れていく。
時間も忘れて歩いて、時間の流れに消えるような会話をして、ただ楽しいだけのひと時が過ぎていく。
「……あ」
長い間歩くと街の一角にある店に来ていたことに気がついた。
「うぅ〜〜ん……珍しい。今日はやってるんだ」
「どうしたのナズナちゃん? ここって服屋?」
明かりがついている店を唸りながら覗き込んでいると、不思議に思ったコウくんもアタシの横で店内を眺めていた。眺めるといっても見えるのは右側手前の数体のマネキンぐらいで、流行りの服を着せられているのが分かるくらいだ。
「アタシの行きつけの店だよ」
「へえ、ナズナちゃんの」
そう伝えれば、コウくんは興味深そうに、そして心底意外そうに店内を凝望している。
少ししてコウくんがアタシの手を掴む。
「ひとまず中に入ってみようか」
「え? いいけど」
コウくんに連れられて、店のドアを開ける。
軽快な鈴の音が耳に心地よさを与えられたのを感じながら入った店内をぐるっと一周見渡す。それだけでこの店の異様さが分かるだろう。
「ここは……!! ……!?」
「ふふふ……気づいたかね。コウくん」
「コスプレ屋なの!?」
そこかしこに置かれているのは婦警さんや女子高校生の制服だったり、チャイナドレスやメイド服といった服まで揃えられている隠れた名店なのだ。
しかも、ネットで買うよりも安い。
「添い寝屋に使ってる服とかもここで買ったんだよね」
「そうなんだ」
「コウくんも着てみる? このチャイナドレスとか」
「……。い、嫌だよ!!」
「なに考えたんだよ、ほら言ってみ」
「嫌だ!!」
「誰かしら? 入店早々乳繰り合ってる楽しげな子達は」
アタシがコウくんを揶揄っていると、店の奥からおっとりとしていて、確かな気品に満ちた声が身体に透き通ってくる。
現れたのは少し長めの黒髪をレイヤーカットで整えている女性だ。
女性はアタシを見るなり、縞模様のないキリンでも見つけたかのような驚きで顔を愉しそうに歪めてアタシとコウくんを見た。
「あらあら、ナズちゃんじゃない。お久しぶりね。……てことは、そっちが噂の夜守コウくんね」
「え、はい。えっと……吸血鬼、ですか?」
話の内容や今まで触れてきた吸血鬼との経験でコウくんも彼女の正体にすぐ気付いた。
「この人は
「ちょっと違うわ。ここを経営してるのは眷属で、私はあくまで土地を所有してる遊び人よ。今だって暇つぶしで店を開いてるだけだしね。ラインナップもそう」
「そ、そうすか……」
「にしても、キミが……」
萩凛はまるで品定めでもするようにコウくんのことを舐め回す。特に首周りを重点的に視姦する。
コウくんに手を出したら殺す。
「……ふふ。いけない子ね、人がいる前でポケットに手を入れるだなんて」
「あ、すみません」
「いくら膨らみがあってもいけないわよ」
なんの話だ。ポジションの話か?
萩凛はアタシを一瞥すると納得したように頷いて踵を返す。
「じゃあ私は裏にいるから。そうそう、何か欲しいものがあったら1着だけ……そうね、同じ物なら2着まで持って行っていいわよ」
「え、いいのか!?」
「いいわよ。ただし、夜守くんが選んだものだけね」
「俺がですか!?」
「ふたりへのプレゼントよ。好きな人を思い通りに着飾りなさい」
アタシたちがその申し出に驚いている間に、気にせず裏へとその姿を消し––––
「あ、そうそう。夜守くん。ナズちゃんに合うビキニアーマーだったら東側の棚の2段目だから」
「なんですかいきなり!? てビキニアーマー!? なに、え!? え!!?」
「萩凛! お前はもう黙っとけ!」
「はーい」
ニマニマと笑みを絶やさない女性は今度こそ奥へその身を潜めた。
一瞬で気まずい雰囲気になる。
照れたままのコウくんからすごく視線が刺さる。特に胸のあたりに。チラチラと見ては逸らされを繰り返される。
凄くいやらしい雰囲気だ。
「……じゃ、じゃあコウくん選んで。アタシは試着室の中にあるから」
「う、うん」
アタシは無言で試着室のカーテンをくぐる。
横目で追っていたコウくんの姿が、萩凛に言われた東側の棚に向かっていることに気付きながら、試着室の中で待った。
待っている間、ガタガタとコウくんの苦悩を感じていた。
トランシーバーによれば時間10分。体感時間1時間レベルの待ちを喰らうとようやくカーテンがごそっと動き服が差し出された。
それは紫色のビキニアーマー。
「……なんだね、これは」
見てみれば見るほどアーマーと呼べる代物ではない。胸と股関節を守るぐらいにしか装甲がない。
「コウくん。なんだね、これは言ってみなさい」
「……」
「言ってみなさい」
「……ビ、ビキニアーマー、です」
「これでなにをして欲しいのかね? パフパフしてほしいのかい? しかも紫。中学生だもんねぇ〜分かるよ、分かるよコウくん」
「ち、が!! あの棚こういうのしかないんだもん!! てか紫は関係なくない!?」
「あはは、コウくんは相変わらず弄りがいがあるなぁ」
「もう、やめてよナズナちゃん」
萩凛の思惑通りになったことや人間が生み出した欲望という名の文化に末恐ろしさを覚えながら、カーテンの隙間から覗く真っ赤に燃える炎のようなコウくんの顔に免じて着ることにした。
じっとその鎧を眺める。顔が熱い。
アタシは黙って試着してみた。
「じゃーーん!!」
「お、おお……」
カーテンを開けてみれば、固まったコウくんがそこにいた。
着てみた感想としては悪くない。胸周りがキツく、いつもより持ち上げられているのが唯一の悪い点。他のところは面積量はいつもと大差ないし、いつものパーカーを広げればマントみたいでカッコいい。鏡で自分の姿が見れないのが残念なくらいだ。
「……どうした? コウくん」
「い、いや……」
だというのに、コウくんはドギマギしているようで落ち着きがない。
なんだ。似た格好でいつも一緒に寝てるじゃないか。しかも、胸への視線がいつもより鋭い。
「ねえ、コウくん」
「つ、次の奴探してくる!!」
その事を言おうとすると、コウくんはカーテンを一気に閉める。足音がドンドン遠ざかっていく。
なんだ……?と疑問に思うが、彼は思春期。自分の手で破廉恥な格好にさせたのだという自覚がより強い滾りに繋がったのかもしれない。
そこからは着せ替えショーだ。
コウくんの好みを知れるいい機会だった。
「よ! チャイナ!」
「ナズナちゃんって青も似合うんだね」
青い基調にした服に三日月の意匠が施されたチャイナドレスを着たお嬢。
「いつもの」
「またマッサージしてあげようか?」
真っ白で清潔感のあるナース。
「お帰りなさいませ、ご主人」
「た、ただいまです」
スカートの裾を持ち、深々と一礼するメイド。
「ピョンピョン」
「〜〜〜」
白と黒で彩られたバニーガール。
なんかもうエロいものしかないんじゃないかと言わんばかりのラインナップなのだが、これも全て午鳥萩凛の仕業なんだ。
奴はコウくんが慌てふためく姿を見て楽しんでいる……!!
そうはいっても、そんなコウくんを楽しんでいるのはアタシも同じ。コウくんも真剣に悩む唸り声がカーテン越しに伝わってくるあたり、楽しんでいるのだと思う。
わちゃわちゃと過ごしているだけで楽しい。
「次の服、決まってるの?」
ウサ耳を揺らしながらコウくんに訊ねる。
目のやり場に困っている彼は、目を逸らしながら「うん」と迷いなく頷いた。
「へぇ〜〜次はどんなエッチなものなんですか〜〜博士?」
「こ、これ……」
「ん?」
煽るようにして深く訊ねるアタシにコウくんが渡してきたのはなんの変哲もない服。今までが突拍子もなかったため、逆に面食らってしまったアタシはマジマジと服を見つめながら、それを広げた。
その服はジャージだった。
コウくんが着ているのとは少し違うフード付きの淡い青のジャージでアタシのサイズに合ったもの。なにより、そのフードにはあるモノが付いていた。
「ネコミミ……?」
「ナズナちゃんに、すごく似合うと思って」
ジャージとコウくんに視線を行ったり来たりさせる。さっきまでとは違いコウくんはこの服がアタシに似合うと思い不安になりながらもこの服を選んでくれた。
「分かった」
アタシはすぐに腕を通した。
見た通りアタシにピッタリのサイズで、アタシの動きやすさの基準もクリアしているこのジャージはとても好みだ。
しかし、なにより大事なのは。
「どう、コウくん?」
「凄く似合ってるよ」
「そっか」
自分の頬が緩んだのを感じたアタシは、試着室を出てコウくんに「これにしよう」と笑いながら言う。
すると、コウくんも嬉しそうに笑って頷いた。
「じゃあ、コウくんも脱いで」
「は!? なんで!?」
「同じモノなら2着まで言いって萩凛が言ってただろ? ジャージなんだし、お揃いのもの着てこうよ」
萩凛に甘える形になるけれど、せっかくならコウくんと同じモノを着てみたかった。一年後には自分の手で着れなくさせると分かっているけれど、残りの時間を共有するモノの一つになるのなら、それも良いと思ったのだ。
「いいよ」
コウくんも少し考えたあと納得して、棚から自分にあったサイズのモノを見つけてくる。
時間はかからなかった。
重ねてある服の一番上がコウくんのサイズの服だったからだ。
アタシはそんな事あるか?––––と疑問に思った。
チラリと店の奥へ視線を移せば、そこには萩凛がひっそりと佇んでいて、唇を震わせずに動かした。
『似合ってるよ、ふたりとも』
そう言いたかったのだろう。
愉しむ様は相変わらずだが、それでも感謝だけはしておこう。
「サンキュー」
「……ん? ナズナちゃん、なにか言った?」
「可愛いねコウくんって」
「ナズナちゃんの方が……ずっと可愛いよ」
「お、おう……」
ふたりして照れた顔を逸らして歩き出す。
鈴の音を背中で聞く。
夜の街を再び歩き出したアタシたちは、互いの姿を見合う。頭を見ればネコミミが左右に揺れる。
「こうした時に鏡に映らないってのも勿体無いね。せっかくお揃いなのに」
「だなぁ〜。コウくんは自撮り棒なんて持ってないだろうしね」
「そういうナズナちゃんこそ、どうなのさ?」
「持ってるわけないだろ」
「だよね」
あははと笑い声を夜に響かせるが、どうしてもやはり意識してしまう。
いま同じ服を着ている事実に自分の鼓動が強くなり、今までにない新しさが楽しいと言う事実をより濃くさせてくれる。
さて、ここからもコウくんとどんな遊びをしようか。
「そうだ、ナズナちゃん」
突然、コウくんが話題を変えるので反射的に首を傾げる。
「どうした?」
「……俺の部屋に来ない?」
コウくんにしては意外な提案に若干驚きつつも、アタシは笑って「行こう!」と彼を両腕で抱えて空を跳ぶ。
☆
「よし」と自宅の中を確認したコウくんが呟いて、アタシを家の中に招き入れた。
一緒に入ってしまえばいいのだが、彼はアタシが言った『吸血鬼は招かれないと家にあがれない』という噂を守って先に上がり少ししてから、玄関のドアを再度開けた。
アタシが駆け上がるようにして、家に入るのを咎めないことを不思議に思った。
それよりも不思議だったのは部屋が暗い事だった。
「さっき見てきたんじゃないのかよ」
以前訪れた時の記憶を頼りにして、照明のスイッチを探す。
しかし、その必要はなかった。
「あ」
パチとスイッチが押された音がして、すぐに照明がついた。
押したのはコウくんだった。
そして、彼は真剣ながらも確かな笑顔で言うのだった。
「お誕生日、おめでとう。ナズナちゃん」
「はえ?」
誕生日––––頭の中で復唱したその単語の意味を思い出そうとする。
コウくんはアタシの横を通り過ぎて、テーブルの傍にあった椅子を引く。まるでアタシにそこへ座るよう促すように。
テーブルには美味しそうなショートケーキとビールが置かれていた。ケーキには花を模すように象られたイチゴやブルーベリーが乗っており、ビールはアタシが好きな《喉越し生》だった。
「9月の23日。ナズナちゃんの誕生日なんでしょ?」
「あぁ〜〜……だから、プレゼント」
そこまで言われて、脳の片隅から飛んできた言葉の正体を思い出す。
カブラからこんな時期に言われたことがあるのを思い出した。
「やっぱり、覚えてなかったんだ」
「吸血鬼だからどうしてもその感覚が薄くてね。コウくんはなんで知ってるの?」
「カブラさんから聞いたんだ」
「あぁ〜〜。それで祝ってやれって言われた感じ?」
アイツも自分だと拒否られると思ってんだろうな、とこぼしてみるがコウくんは違うと首を左右に振った。
「言われたのは日付だけだよ。こうしたかったのは俺だから」
「…………そっか」
「て言っても用意できたのはケーキとビールだけだけど」
真っ直ぐアタシを見つめるコウくんに、はにかむような笑みを浮かべながら、やっとの思いで隠せる嬉しさを感じていた。いつも違う嬉しさだった。
多分、カブラやニコたちだったらここまでにはならない。
コウくんだから嬉しいのだとアタシには分かっている。
彼の導きに従って椅子に座り、フォークを握る。
「あんがと、コウくん。嬉しいよ」
「良かったぁ〜〜!!」
安堵の息をするコウくんが微笑ましい。
嬉しい。楽しい。コウくんとのトキメキにも似た感情を、ずっとのものにする為にも、永遠の友達でいるためにも、キミを惚れさせたい。
「これからも一緒に居ようね、ナズナちゃん」
「もちろん!」
そうして、フルーツと一緒にケーキを頬張る。口に含んだケーキはアタシが知ってるものよりも段違いに甘かった。