あの後俺たちは街を暫くぶらついてから帰宅すると、心地よくベットに飛び込んでそのまま熟睡した。
目覚めた時はとても気持ちよかったが、学校が始まると思うと憂鬱だった。
そうして日が昇り。
『おーいったぞー!』
月曜日の昼下がり。
今日もまた学生が体育館で宙を舞うボールを追いかける。俺たち男子体育を受け持つ岡村先生は、金曜日に引き続いて風邪を拗らせているらしく、男女ともにバレーをやっている。
そんな中で、俺はクラスメイトである男子とレシーブの練習をしていた。俺が打ち下ろしたボールをクラスメイトがレシーブ。拾ったボールを俺がトスして相手がスパイク、そのボールを俺が上げてというように交互に進めていく。
「吼月悪いな。また練習に付き合ってもらって」
「気にしなくていい。それより上達したじゃないか」
「マジ!?」
淡い金色の髪を垂らした男子生徒で苗字は飯井垣だ。よくつるんでいるのは
「腰の下ろし方や面の向きが前とは段違いだ。しっかりと俺の頭上にボールが返ってくる。いい上達ぶりだ」
「へへ。お前にそう言われると照れグエッ!?」
「あっ」
彼は腰を力を入れ忘れ、打ち下ろされたボールの勢いに負けて跳ね返った球が顔面へと直撃した。
ボールが体育館を横断する緑色のネットを小さく揺らした。
ビタンと床に倒れ込む飯井垣は、赤くなった額をさする。
「痛ってェ……」
「冷やすの持ってくるか飯井垣?」
「ああ、冷たいのはいいや。大丈夫。なぁ、でも強くね今の」
「そうか? 君なら取れるよ。今は気が緩んでたけど、次は上げられる」
俺がそういうと飯井垣はニコッと口を歪ませると、立ち上がる。
「ま。少し休むか」
「よっしー」
飯井垣から離れて、体育館の壁に背を預ける。
タイマーを見やるり1ゲーム10分で進めているのだが、どうやらその半分以上は練習していたようだ。
「んんぅーーー」
「なんで着いてきただよ?」
「いけなかった!?」
伸びをする流れで首を隠す俺の横に、飯井垣が胡座をかいて座りコートを見る。
いけないわけではないが、こうして近くにやられると少々面倒なのだ。特に首を見られるのが。絆創膏で首筋の傷痕を見られないようにしているものの、もし剥がれでもしたら大変だ。
「……」
飯井垣の視線を追って試合をしているメンツを見直すと、飯井垣がいつも一緒に遊ぶ人たちが含まれていた。ぼさぼさ頭とか、ちょっと落ち着いた奴とか、そんなの。
「今日はあの子らと一緒じゃなくていいのか?」
「え? ああ。うん、最近は別に。吼月はいいのか? 他の奴らだって呼ばれてるだろ?」
「いいさ。今日は君のためだけに付き合う」
「……ありがとう」
何言ってるんだかと内心で怪訝な想いを向ける。そんな疑いの念を感じることなく飯井垣もまたストレッチをする。
そのまま横目で飯井垣が呟く。
「なあ」
そして、無遠慮というものを知らないのか彼は『吼月。マジで理世ちゃんフッたの?』と訊いてきた。
『うん、フッたよ』と俺は気にすることなくそう告げた。
「マジなの?」
「嘘を言ってどうする。お前たちのことだ。金曜の時点で知ってたんだろ」
「あはは。バレてら」
「あれだけ見られれば嫌でもわかる」
「悪いな」
「そう思うなら初めからやらないのがオススメだ」
嫌な視線であったの事実だし、今後のためにも釘を刺しておくのも悪くない。今後夜守コウのようなことがあったらいけないしな。
「でも何で付き合わなかったんだよ」
「付き合う気がなかった。それだけだと思うよ」
好意の理由も分からないのだ。
理世から俺へ。俺から理世へのも。
きっと恋愛的な好きという感情は湧いたこともないのだろう。
「なんで他人事なんだよ」
「理世みたいなこと言うな……」
飯井垣は愕然として、それ本人に言ったのか? と口にしないだけで雄弁に語ってくる。
「理世ちゃんあんなに吼月にべったりだったのに。ああぁーー俺ならあんないい女逃さないのに。あんな
飯井垣の思春期特有の眼が、ネットの奥にいるコートで動き回る理世を映す。
「まあそうだな」
理世の顔は良い意味で目立つ。動いて大きく靡くその金髪も、その健康的な肉体によく似合っているし、鼻も口も、目も整った位置にある。
「いい脚だよな」
「とりあえずおまわりさん呼ぶか」
「待て待て! 呆れるお前がおかしいだろ! 中学男子なら見惚れるだろ!? てか大人でも見惚れると思うぞ!」
慌てて取り繕ろうも、言っていることは殆ど変わらない。飯井垣の反応を見ると、これが一般的な男子生徒の感情なんだろうなと思って微笑ましくすらあるが。
「まっ、フッたけどそう変わらないさ。俺とあいつはベストマッチだからな」
「前からふたりでちょくちょく口にしてるそれはなんなんだ」
「最高の相棒ってことだよ」
俺たちが見ていると、理世があがったボールを相手コートに叩きつけた。ボールが強く跳ねる音が体育館に響く。
「!」
着地した理世はこっちに気付いたのか理世がピースサインを送ってくる。
賞賛として俺はサムズアップを送る。
「ほんとに別れたのか?」
「別れることなどない」
ニヤリと笑う理世がこちらを見据える。
しかし、こうして理世からコンタクトを交わしてくれると思わず『よかった……』と吐露したくなるものだ。
自分勝手な約束で理世を苦しめてないかと思っていたから。
ブザーが鳴り、コート内のチームが入れ替わる。
せっかくならと、ネットの奥にある理世に話しかけてみた。
「いいスパイクだったじゃないか」
「見惚れた?」
「ああ。良い出来だ」
微笑み返しながら口を聞き合う。
普通に会話できている。よし、今はなんとか目を見て話すことができている。目を合わせられていることに内心安堵していると周りの男子や女子からの視線を集めてしまう。
周囲の目を受けて、理世が俺に訊く。
「約束。覚えてるわよね?」
「勿論さ、いつも通りに、そして今以上に」
俺たちは確かめ合う。
「ふたりとも、仲直りしたの?」
「わたしたちはベストマッチなのよ。いつまでも変わらないわ」
自信満々に宣言すると、周りの生徒は『なるほど。よく分からん』と首を傾げた。
「じゃあ、また今度」
手を振って別れる。
ベストマッチか。
俺の指は自然と傷痕を撫でた。
☆
そうして授業が終わり演劇部にコスチュームを届けたあと、俺はとある場所に向かった。
生徒会への道中にある部屋。限られた生徒だけが黙々と目の前の本と向き合う図書室である。
入ってみると生徒が疎に椅子に腰を下ろしている。
歴史書。漫画。小説。色んなものがあるけれど、簡単に本が手に取れる場所があると言うのは幸せなことだと思う。暇があれば放課後はこうして本を読んで時間を潰しているのだ。
家に帰ってもやることないし。ハツカに会うまでにも時間があるので、それまで時間を潰そう。
俺がやってきたことに図書委員の女子が気づくと『あら会長。今日はなんの本をお探しですか?』と訊ねてくる。
彼女が居座る業務机に歩み寄る。
「やあ斎藤さん。帝王学の本ってあるか?」
「帝王学ですか?」
「ああ」
「またどうしてそんなモノを」
そうだな。なんて言えばいいのかな。
「
そう聞くやいなや斎藤はギョッと目を丸くした。
「えっとお。会長って理世ちゃんのこと……」
「斎藤さんも知ってるのか。でも、これはちょっと違う。恋は恋でも恋愛ではないから」
「は、はぁ……」
戸惑いながらも斎藤は図書室用のパソコンを弄る。
しばらく待つとその手が止まる。
「見つからないですね。田中先生、図書室に帝王学の本なんて奇抜なモノありましたっけ?」
「そんな本誰も頼まんぞ」
そう言って図書室の奥にある事務室から長身の男が出てくる。
俺のクラス副担任であり、国語の教師でもある田中である。夕方になって少し伸びてきた顎鬚を触りながら俺を見る。
「おお吼月くん、君だったか。なんで帝王学?」
「恋するためだそうですよ」
「……お前、流石にそれは酷いぞ」
「なんで教師が知ってるんですかね?」
いくらなんでも広がりすぎだろ。
「でもまあ、お前は夜更かしとか二股とかしないだろうから心配はしてないけどな」
「俺だって夜更かしぐらいはしますよ」
「え。その辺、真面目そうなのに」
「そんな真面目じゃなだろ俺は」
この分だとガッツリ酒も飲んでるしバーにも行ってるなんて、口が裂けても言えないな。言ったところで信じてもらえなさそうだし。
「帝王学か……
「本当ですか。なら今度借りれるか交渉するか……うん。でしたら、星空についてのいい本ってありますか?」
「それならいいの知ってますよ。お渡ししますね」
「頼むぞ」
斎藤が業務机から離れて本棚に消えていく。
さて、熟読しますか。伸びをして斎藤を待つと、図書室の扉が開いた。
「失礼します」
チラリと中を覗いてくるのは––––
学校一の人気者である夕マヒルであった。
夕マヒルは俺を見つけると『あっ』という顔になって近寄ってくる。
「よっ、会長」
「夕マヒルじゃないか。俺になにかようか?」
珍しい。というより初めてか。
あっちから声をかけにくるなんて。
「今日って暇か?」
「夜前ぐらいまでならな」
「おし! なら今日どこか飯でも食いかね?」
「……頭でも打ったの?」
「飯誘うだけでそれは酷くないか!?」
そりゃそうだろう。
今まで関わりというものがなかったのだから。そんな奴からいきなり遊びに誘われたら驚くわ。
と、考えたところで思い出す。
「あー……相談事?」
「そうじゃないけど」
一瞬、なにを考えているのかと訝しんでしまった。しかし、俺が断る理由もないので首を縦に振る。
「よしきた! ならラーメンでも食いに行こうぜ!」
「ハイハイ、騒ぐのは外でやってくださいねマヒルくん。あっ、会長こちらが私のおすすめです」
「これか、読んでみるよ」
「ぜひ感想を聞かせてください」
本を借りる手続きだけして、俺は夕マヒルと共に学校を出た。
☆
学校を後にした俺たちは小森団地へと向かいながら、いつもとは違う道を歩いていた。
「良い店知ってるのか?」
「いや全然!」
「あてないのかよ」
「いいじゃん。気ままに歩いて見つけた先で食うのも楽しいぞ」
夕焼けに染まる空へ徐々に
昼と夜が入れ替わる逢魔時。離れていく陽の光が赤みを帯びて、1日の終末が始まる。
吸血鬼という存在を知った今だと、この時間に心が躍る。
そんな時、マヒルがこう訊ねてきた。
「会長ってさ。学校楽しいか?」
特に学校で良かったことはないが、悪いと答えるのは嫌なので『ぼちぼちかな』と答えた。
「夕マヒルは最近どうだ? 楽しいか」
「マヒル」
「なに?」
「前から思ってたけど、なんでフルネーム呼びなんだよ」
「いやだったなら謝るよ」
「そうじゃないけどさ。会長ってほら、クラスメイトとかは苗字で呼んで、理世ちゃんは名前呼びなのに、俺とコウだけはフルネームで呼ぶだろ? なんでだろってずっと思ってた」
なるほど。
言われてみればそうだな。違和感を覚えても無理はない。
ハツカだって気にしていたし。
「君たちふたりのことよく分からなかったからな。判断がつかなかったんだ。どうでもいいのか、仲良くなりたいのか」
「友達になりたいんだったらこっちに来ればいいだろ?」
「学校では馴染み深い顔なんだから、お前も他の学校の奴らも全員友達ではあるだろ」
俺の仲良くなりたいはそういう意味じゃないし。
「それで結局どうなんだ? ようやく友達を選び始めたそうだけど」
「会長のクラスにも居たな面倒くさいの。アイツらから聞いたのか?」
「いいや、先生から。で、そいつらと付き合うの飽きたのか?」
「楽しくないからな」
横目で見る夕マヒルの顔はどこか晴れやかなものだった。
身体の動きも憑きものが落ちたといった軽やかさ。
「友達は捨てるべきじゃないって思うか?」
「いいや。逆にそんな風に思われてるなら心外だな。俺としてはとてもいいと思うよ。やっと人間味が出てきてる」
すると、マヒルがポカンと間抜けな顔をして。
「
「《いつもニコニコ、誰とでも》は美徳だ。誰とでも仲良くできるのは良いことだしな。でもヒトである以上は好き嫌いがあるはずで、格差は出てくる。けど、キミや夜守コウにはそれがない。
ひとつの側面でみれば真人間。もうひとつの側面でみれば非人間。俺は後者からも見てたってこと」
「…………」
「いやあヒトは面白い。こう考えると、君たちふたりは興味深い観測対象だったのかもしれないな」
「俺とコウはネズミじゃないんだぞ……」
本当であればそんな相手にこそ関わって友達になれば良かったのだ。
でも、しなかった。
その理由は、それでも良い人になろうと努めていた彼らを応援したい気持ちと。
「いつも笑顔だっていうなら、会長も同じなんじゃないのか?」
「まさか。こんなイカした仮面があると思うか? それに君たちと同じなら、理世と付き合ってるなんて噂流れないだろ。今回のことで真実が流布されることは祈ってるけどな」
取り繕ったところで仮面を被っているのは事実で、俺と夕マヒルはある意味似たことをしている。同種の相手に口出ししていいとは思えなかったから。
結局のところ自己満足である。
振り返ってみると、どうしようもないクズであることを自覚する。
「変われてよかった思うよ。毎日楽しいし」
「そっか」
話しながら歩いていると、通りに一軒のラーメン屋を見つけた。
「ここにでもするか?」
「そうだな。ここ来たことないから楽しみ」
扉を開けて店員の挨拶を聞きながら、店の中を歩く。
中は思ったより広いようで、奥のテーブル席にふたりで座った。
「ご注文をお聞きしても宜しいでしょか?」
「何にしようかな。……よし、特製ラーメンをひとつ」
「俺もそれをひとつ」
「分かりました。特製ラーメンふたつぅ!」
注文を頼み終えるてテーブルに置かれたコップを手に取り、水を飲む。
「続きだ、夕マヒル。キミに変えてくれた相手はだれ? 好きな人でも出来たのかな?」
「ん––––……ふふふ」
照れたながら口元を抑える。
「え、なに?」
「ちょっと……うん。好きな人がいてさ」
「どんな人?」
「俺のことを子供扱いしなくて……俺が悩んだ時には背を押してくれる言葉をくれる。優しい人なんだ」
焦がれにようにも見えるその表情は、とても幸せそうだった。
「その人のこと大好きなんだね」
「ああ超好き!」
その表情を見て、俺は少し“良いなあ”と思った。俺も純粋に相手を信じられたらな、と。そしてなんで俺は、とも。
夕マヒルは恋焦がれた相手について話していく。
名前は《キクさん》。とっても美人で、性格がいい。母親みたいな優しさで包んでくれる人でもあるそうだ。
出会いのきっかけは花。
花屋の手伝いをしている時に偶然出会い、普段ならしない店としてではなく、夕マヒルとしてキクさんに花をひとつ手渡した。理由は初めて会ったこの人の前でカッコつけたいと思ってしまったから。
その出会いがあってからは、嫌々だった花屋の手伝いが一番の楽しみになったそうだ。
「あの人と恋するためだったらなんだってするよ」
「頑張れよ」
キクさんを思い出す夕マヒルは笑顔を浮かべる。良い出会いがあったんだなと思うと、こっちまで嬉しくなってくる。
人を想ってする笑顔というのはとても美しい。
「告白はしたの?」
「こく……告白……うん」
一段と頬を赤くして頷く。
顔を手で覆って、今にも湯気が立ちそうなほどだ。
「ねえ、どんな風に告白したの?」
「『俺は……キクさんのことが好きだから……』って思わず」
「じゃあもう付き合ってるんだ」
「いや、それはまだ……返答待ちというか。キクさんはまだ心の準備ができてないって」
「そっか。付き合えるといいね」
そのキクさんというのは、罪な人だなと思う。
相手にこんなに思わせて、じっと待ち続けさせているだから。
「て、吼月知ってるだろ」
不意に夕マヒルがそんなことを訊いてきた。
知るわけないだろ。
夕マヒルの話題なんて教師や『CLEAR』のマスターからしか出されないし。
「知らないけど」
「嘘言うなよ。ハツカさんから聞いてるだろ」
「はい?」
え?なんて言った?
「もう一回言って。誰から聞いたって?」
「いやだからハツカさんから」
「ぶううーーーー!?」
「うお!? ばっち!!」
「ご、ごめん! え!? ハツカ!?」
なんでハツカを夕マヒルが知っているんだ!?
「え……聞いてなかったの?」
「そんな俺聞いてない……!」
夕マヒルの瞳に絶句した俺の顔が映っている。
これは深く話をする必要がありそうだ。