第二十夜「鬼ごっこ」
店内を見渡すと人は少なくちょうど客の波が引いたころだと分かる。だからか、以前の時のようにマスターは、
「うまくいくと思ったのにな」
「蘿蔔ちゃんとのこと?」
「アイツに限った話じゃないですけどね」
「今日は一緒じゃないんだ」
ここにひとりで来たことに意味はない。ひとりなのは、単純に今日はハツカと顔を合わせられていなかっただけだ。夕方にハツカにラインしてみたところ、今日はあの3眷属たちと遊ぶとのこと。
いつも俺ばかりハツカと一緒にいるのも申し訳ないので、今日は3人と遊んでもらうことにした。純粋に遊んでるんだろうなあ。
てなわけで、今日は俺ひとりなのだ。
俺からしても、ちょうどよかった。
頭の中で整理をしたかったからな。
「それでどうなんだい? 蘿蔔ちゃんとはダチになれたのかい」
「いやあ。ちょっとまだですね」
「ま。人間関係はそう上手く進まないよ」
マスターには話が通る程度にはこちらの情報を開示している。
だから今日は《CLEAR》に来ていた。
ほら、勉強だって他の人に教えると自分がその事柄についてどういう理解をしているか確認できるだろ? 自問自答という手もあるが、自分じゃない他人とやり取りすることは新しい情報と対面できる機会が増えるメリットがある。
「心を通わせたのがダチだっけ?」
「なので心の奥に潜むもの、秘密が心を繋ぐアイテムだと思ったんです」
望んでいなかった偶然でそれぞれの秘密を知ったのが俺とハツカだ。それに俺が弱みを話した理由はない。あったのかも知れないが、知る余地は俺にはない。
「なんでそんなに証に拘るのさ」
「あった方がないよりいいでしょう」
その証があればきっと不信感を抑え込むことだって出来るはずだ。そのためには俺への証も、相手への証も必要だ。
心ふたつに証ふたつ。これだけあればきっと抑えつけられる。
「そりゃその方が安心はするだろうけどさ。人生、アンバランスさを楽しむのも良いものだと思うけどな」
「誰も彼も疑い続けるような人生なら死んだ方がマシだと思いますよ」
「吼月くんは肩に力が入りすぎだ。もっと気楽に行こう」
「気楽に、か」
ハツカも焦らず行こうって俺に投げかけてくれたな。
「俺、そんなに焦ってます?」
「う〜ん……焦ってるってほどではないけど、重く受け止めすぎだとは思うよ。君ぐらいの年代ならそんなこと気にせずに遊べばいい。人との関係なんて数十年生きても分からないものだよ」
「マスターでも分からないことあるんですか?」
「もちろんだとも」
マスターは短い言葉で認めた。
「前言った弟なんて『生徒とゲーム作るのたのしー!』っていう癖に次の日には『アイツら嫌い!』って言い出すんだぜ? なんて声かければいいのか分からん」
「ま、まあ生徒なんて、文句だけは一丁前で相手のことなんて考えてないですし……」
「今でいう良い先生って生徒に都合のいい教師の事だろ? アイツらが何のためにいるのかわかってない子も多そうだよな」
「弟さんがそう言ってたんですか?」
「まあな」
教師って大変だな……。
ブラックな職場なのもそうだし、もう少し教師への眼を広げておくか。
「まあ焦らなくてもいつかは出せる時が来るんじゃない? 若い頃からそうやって向き合えてる君ならさ」
「だといいんですけどね」
期日は一年後なんだけどな!
なんてことをマスターに話せるわけもなく、俺は笑ってから、またオレンジジュースに口をつけた。
「でも少しぐらいは進展したんじゃないのかい?」
「……友達にはなりました」
「十分、十分!」
マスターは俺とハツカの仲が深まったことに喜ぶ。
しかし、俺が勝手にそう呼んでるだけだろうから、なんとも言えない気分になる。ハツカは別にそんな気はないと思うし。
「自分がそう思えるようになるだけ十分な進歩だよ」
「それは流石に自分本位では?」
「人への感情なんて基本自分勝手なものだよ。相手に受け取って欲しいなら、伝え方は考えないといけないけどね」
そこに関しては完全に同意だ。
「吼月くんはさ。蘿蔔ちゃんとどんな関係になりたいの?」
「それ前にもききませんでした?」
「あの時はキミのアバウトな目標しか訊かなかったからさ。キミは蘿蔔ちゃんと今後どうしていきたいのか訊きたい」
首を捻りながら考え込むが、やっぱり浮かんでくるのはダチになりたいという関係だけ。
「やっぱりダチとしか」
「ダメダメ! そうじゃなくてさ。もっとこう……具体的にさ!」
「具体的にって」
「3年後も一緒にいたいな〜とか、明確な姿をイメージするだけでいいんだ。そうすればもっと仲良くなれると思うよ」
俺自身が今後ハツカとどうなりたいか想像するか。
なんなんだろうな……俺はアイツとどうしたいんだろうな。
「友達になってるなら心配はしてないけどね」
「ゆっくりやってきますね」
俺はオレンジジュースを飲み干して、店を後にした。
☆
「くッッら!」
今日はもう特別やることもないので、自宅への帰路についた。とはいえ、ただ帰るだけではまた眠れなくなる気がしたので、いつもは通らない灯りの少ない道を選んで進んでいた。
月明かりだけが照らす道の様子は、マヒルたちが以前肝試しに学校な七不思議?の話を僕に思い起こさせた。
「ッたく……」
落胆した心がため息をつく。
秘密を共有すること。それが信頼の証になるのだとマヒルを見て考え、仁湖さんを見て確証を得たつもりだった。
けれども、秘密を明かすことはあくまで結果でしかなく、大事なのは何故そうしたのかだった。つまり、秘密を明かすことそのものは代えのきくものだということだ。
「問題はその《なぜ》が分からないんだよな」
僕自身、はっきりとした理由もなくハツカに悩みを打ち明けている。逆に考えればこれを言語化できれば、ゴールは目前な訳だ。
「出来てたら苦労しないんだけどな」
またため息が出そうになる。
もし仁湖さんに出会うことが出来たなら、なぜ僕に信頼したのか教えてもらうことができるかもしれない。
しかし、そんなことはないだろう。
彼女はいま正常であるべき会社の在り方を取り戻しつつある場所で働いている。こんな時間に出歩いている訳がない。
「イメージ……イメージね」
いけない。暗い気持ちになっていたら心の問題なんて向き合えることはできない。
こんな時こそ、夜空を見上げて––––
「え?」
ヒトがいた。
暗闇の中でまるで底なし沼の水面に立っているような人がいた。
最初はハツカかと思った。けど、違うとなんとなくだが分かる。ハツカならもっとこの薄い月明かりでも、もっと輝かせてみせるだろうという華がある。
しかし、目の前にいるヒトはそうじゃない。
ポツンとただそこに佇んでいるのが当たり前と思わせる。闇の中の黒色が集結して人型を成していると脳が錯覚するほど自然にそこにいた。
「キミが吼月ショウくんだね。話がしたいの」
人型が淡々と俺に問う。暗闇に反響する綺麗で甲高い声から相手が女性であろうことが推察できた。
しかし、抑揚のない声はとても不気味だ。
「誰かな? 名を名乗れ、話すのはそこからだ」
「……カオリだよ」
「吼月ショウだ」
呟く彼女の声に返すように、俺も改めて自分の名前を伝える。
この暗さに目が慣れ始め、人型の顔を薄らと認識する。
「場所を移そっか」
その人型はかげろうのような口の歪みをこちらへ見せる。俺を手招くと闇の中でなにかが波打ってから顔が消え、人型も闇の中へと消えていく。
この街の七不思議みたいなやつか?
いや、吸血鬼と考えるのが自然か。
「面白いッ!」
心霊現象にしろ、俺の知らない吸血鬼にしろ俺の中の本棚を埋めてくれる。ただうちに帰るだけよりも、こうした刺激があるほうが楽しい。
月明かりさえ当たらない暗闇に俺の身体を放り投げた。
「キミはなんであの子と一緒にいるの?」
前か。後ろか。上か。
右か。左か。
音が反響したように全体から聞こえて、どこにいるのか掴めない。
「遠回しに言うな」
「なんで蘿蔔ハツカと一緒にいるの?」
「お前も吸血鬼か。それとも探偵の仲間か」
「質問しているのはワタシ」
「答えて欲しいなら自分の立場ぐらい明らかにしてくれ。それで話せる範囲も変わる」
「……吸血鬼」
「ハツカの同種か。それでアイツといる理由だったな」
律儀に答えてくれるあたり人は良さそうだと考える。
それも本当かどうか分からないが。
さて、どこまで話すか。ひとまず当たり障りのないところからだろうな。
「ハツカに血を吸われた。そして吸血鬼の存在を知ったから一緒にいる」
「吸われた? 無理矢理?」
「無理矢理ではない、かな。人の世に隠れて闇に紛れて血を吸うのがお前たちだろ。ただ狸寝入りしてた俺が血を吸われたのに気づいただけだ」
一対の足音が俺の右側で鳴る。目線をやるがそちらにはもう居ない。
「やっぱり無理矢理」
なんだコイツ。
バレる吸血をしてるハツカに文句があるならともかく、恋してない俺が吸われたかどうかなんて吸血鬼が気にする必要がないだろう。
「吸血鬼がそれを心配するのか?」
「気にする者は大勢いる。吸血鬼の行いによって人の世が乱れることはあってはならない」
彼女の返答に俺はフフッと小さく微笑む。
「笑ってる?」
「そりゃな。アンタ、良い鬼って呼ばれるだろ」
「悪人じゃないし」
悪鬼じゃないのかというツッコミを入れたかったが、のどもとで俺は言葉を呑み込んだ。
「でも珍しい。蘿蔔ハツカの眷属はみんな彼の奴隷になってるのに」
「久利原たちのことか、安心しろ。俺は奴隷にはならないから」
「眷属になってるのに?」
今度は足音が俺の左側で鳴る。
「いない」
にしても、俺がハツカの眷属になっているだと?
「なあ。そろそろ顔を見せてはくれないか? 鬼ごっこも楽しいが、事情を知っている者同士。面と向かって話し合おうぜ」
「顔は見せないのがワタシのルール」
「暗殺者かなんかなの?」
彼女は違うと否定した。
「吸血鬼同士の争いは泥試合もいいところだから、手荒なことはしない。代わりにワタシはキミに顔を教えない」
顔がバレた後で追撃されたら敵わないと彼女は言う。
「こっちの顔は知ってるくせに」
「警戒してる相手に不用意には近寄らないのも自衛のため」
「警戒?」
なんでだ。吸血鬼と人間とのスペックを考えれば警戒する必要なんて殆どないはずだが。
それに俺が彼女と敵対する理由が分からない。
「俺、カオリに何かしたか?」
「ワタシにはしていない。けれども、貴方たちは他から見ても面倒な吸血鬼なの」
「勝手に面倒な奴らって括られても困るのだが」
俺まで吸血鬼扱いされてて困惑する。
別に俺は吸血鬼でもないのに。
「カオリがわざわざ俺に会いに来たのは確認のため?」
「そう。そして忠告」
「なにかな?」
と俺は首を傾げる。
「吸血鬼の力を人の前で使うのはやめておいた方がいい。なんのつもりか知らないけど、眷属にするつもりもない人にその力を無闇に使えば他の吸血鬼たちから粛清される」
なんか話が噛み合わないな。
今のところ彼女は《俺はハツカの眷属である》《警戒している》《俺が吸血鬼の力を使っている》と考えているわけだ。
そのことから考え出せるとしたら––––
「このあいだ高台にいたのか?」
投げかけた質問から数秒後、闇に波が立つ。
彼女が首を上下させたのだ。
「なるほど。そういうことね」
人がいないことは確認してたはずなんだけどな。だからと言って、今更どうこう言えるものでもないし、見られてしまったのもは仕方ない。
しかし、訂正だけはしておこう。
「カオリ。キミは勘違いをしている」
「なにを?」
「俺は吸血鬼じゃない。人間だ」
俺の正面に闇の奥に二つの光が映った。それは驚いて見開いた彼女の目だ。
釣れた、と俺は思った。
「あの高台で園田仁湖を投げた力は吸血鬼以外ありえない」
そこまで調べあげられているのか。
俺ひとりのためによくやるな。感心するよ、アホらしい。
「だから吸血鬼、か? だったら近寄って俺の匂いを嗅げばいい。吸血鬼かどうかは匂いで判別できるんだろ」
わざとらしく鼻を触ってみせた。
目を開いていた彼女が、今度はお地蔵さんのように眼を細めて俺を疑う。ジロジロと脚先から頭のてっぺんまで、俺の身体を這う視線には気味の悪い感触を覚える。
「だったら反抗の意思はないと示して」
「これでいいかな?」
俺は両手をあげて手を振った。
「ダメ。ワタシの指示に従って。両手は頭の後ろで組んで地面に膝をついて。できれば額を地面につけて欲しい」
「用心深いのはキミの良いところだが、もう少し相手が呑める要求にした方がいい」
「……じゃあ手だけで許してあげる」
彼女の指示に従い、俺は両手を頭の後ろで組んだ。
そこから彼女はゆっくりと歩き出す。双眸が近づいてくることで俺はその距離を把握できる。できればこちらが相手の顔を視認できる距離まで近づいてきて欲しい。
10メートル、5メートルとどんどん近づいてくる。
あともう少しでその顔を拝める。
「ッ––––」
そう思った時、彼女の眼が消え同時に風がさざめいた。
俺が認識した時には、後ろでスタっと軽い足音が鳴って両手首に痛みが走る。彼女が片手で俺の手首を掴んだのだと分かった。更に彼女は左腕で俺を抱き寄せ身体を背後から密着させて、振り向けないように俺の身体を固定する。
「これでキミは何も出来ない」
確かに、これでは裏拳や回し蹴りも出来ない。最悪、変なことされたら股でも蹴り上げてやろうか。吸血鬼もそこが急所になるのか確かめてみたいし。
「そんなに顔みられるの嫌なのか?」
「なにが見られたくないかは人によるわよ」
顔を見ることはできなかったが、声がする位置から考えれば俺より高身長。手足は感触だけだが結構華奢だ。
それでいてこの握力なら、吸血鬼であることは間違いない。
「それもそうか」
俺の言葉を無視して彼女は首裏に顔を近づけて鼻を鳴らす。生暖かい彼女の息が俺に当たり、背中にゾワゾワした感覚を奔らせる。
ハツカからやられる時とはまた違う感触だ。
女性に触られて興奮しているとも自覚できないし、なんかハツカの方が良いなと思いながら彼女に嗅がれ続ける。
ハツカって相手に抱きついたりするの上手いんだな。
「……吸血鬼の匂い。でもこの子のじゃ、ない? 人間の匂いもちゃんとする」
「ああ。最近ハツカといること多いし、一度一緒に寝たからアイツの匂いがついたのかな」
「ねた……寝た––––ッ!?!?」
「やっとまともな反応をしたな」
恥じらうように驚く彼女の声は“生きている”と俺に主張してくる。
「いや、え? キミ、男の子だよね?」
「俺が女に見えるか」
「蘿蔔ハツカも男だし……え? え? 君たちふたりって身体の関係なの?」
「……? まあそうだな」
血を吸うのに身体を交えてるからそう言えるだろう。
「た、爛れてるッ!!!?」
「おい待てどこまで考えてる」
「だって男の子と男の娘だなんて……いやね! 良いと思うよ!」
闇夜に響く彼女の声は妙に色づいている。
コイツどこか捻じ曲がった考え方してるな?
「ただ吸血されてるだけだぞ」
「え?」
「だ、か、ら。俺はアイツの眷属候補で血を吸われてるだけだ」
俺の後ろにいる彼女が息を止めて、硬直する。暫くして心臓が再び血を運び出したかのように動き出す。
「あ、あぁ〜〜……そういうこと。そういうことね」
納得したのか彼女が首を振っているのがなんとなく分かる。
吸血鬼の中でもその手の文化ってあるんだな。
「それでどうなんだ。俺は人間か? 吸血鬼か?」
彼女の判断を待つ。手首を掴む力が強くなって、俺の血を巡らす脈打つ力も高まっていく。
ドクン、ドクンと心臓が血を流す。
「……キミは人間だよ」
噛み締めるように呟く彼女はやはり納得していないようだった。
そしたら次に聞いてくることは。
「だったら、あの力はなに?」
そうなるのは当然だろう。
「アンタが顔を見せてくれたら考えてやっても良いぞ」
「……っ」
「おッ、と」
心底顔を見られたくないのだろう。
彼女は俺を突き飛ばして距離を取る。大の字になって地面に飛び込む俺は、受け身を取りながら数回転がってから止まる。
見上げるように彼女の目と視線を合わせる。
「交渉決裂ってわけだ」
「答える気なんてない癖に」
「酷いな。そっちが素顔を見せてくれないから言ってるだけじゃないか。ギブアンドテイク。情報交換の基本だろ?」
服についた土と埃を払って立ち上がる。
耳に入る彼女の声は、先ほどの気を昂らせた少女のようなものはなく、冷淡な仕事人の声に戻っている。
「あの力は狐の幻術ぐらいに思っててくれ」
右手で作って狐を鳴かせると、訝しむ彼女の目がより鋭くなる。
見つめ合うこと数秒後、諦めたのかゆっくりと彼女の眼が離れていく。
「なんだ、帰るのか?」
「今はもう聴けることはない」
「カオリも吸血鬼なんだろ。血を吸わなくて? 俺の血は美味しいらしいぞ」
「……ワタシは人から血を吸わない」
「そんな吸血鬼もいるのか。面白いな」
つくづく変わっているというべきなのか。
しかし、俺自身、ハツカや3眷属以外の吸血鬼と関わりを持っていないから断定はできないか。
「最後にひとつだけ」
「なんだい?」
「身の回りには気をつけて。キミがやったことがみんなにバレれば殺しにくる。吸血鬼は恐ろしいから」
それだけ伝えて彼女の気配は完全に消えた。
「吸血鬼は恐ろしい、ね」
本当にそうなのかな?
「サンプルが少ないな。キクさんに七草……あとはハツカの仲間に会えたらいいかな」
さて、早く家帰って学校の準備でもするか。
闇に俺の足音が強く鳴り渡った。
【報告】
皆様。申し訳ないのですが、今月と来月は私事で予定があり、投稿できない日が多々あります。
何卒ご理解のほどよろしくお願いします。