よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第二十七夜「気持ちよかった」

 ハツカが吼月ショウ()を先導して歩いて行く。背を見ながらただただ彼の後に続く。

 

––––頭、撫でられた。撫でられたな……

 

 自然と僕は自分の髪の毛を弄っていた。

 人の頭を撫でることは前にもあった。仁湖さんがそう。頭を撫でる行為は相手に幸福感や安心感を与えることができる。オキシトシンというモノが脳内に分泌されてストレスを軽減したり血圧を低下させるのだとか。

 とはいえやるとしても、やってもらうにしても、相手は限られる。

 

「初めてだったな……」

「ん? どうしたの」

「いや、なんでも!?」

 

–––……きっと、初めてのことを体験して嬉しかっただけだろう。

 

 僕は考え事をやめてハツカに尋ねる。

 

「どこ行くのさ」

「銭湯」

「せ、ん、と、う」

 

 一音ずつ噛み砕きながらその言葉を理解する。

 

「ふむ」

「まさか銭湯にも行ったことないの……?」

 

 肯首すると、呆れたを通り越し無表情になるハツカ。瞳だけは饒舌で、一体どんな生活をしてきたの、と言わんばかりの眼差しを向けてくる。

 近場に銭湯や温泉の類のものがなかった–––今に関しては知らなかったが正しいかも–––のもあり、行く気がなかっただけだ。

 

「ウチの風呂で事足りるし」

「大きな湯舟に浸かりたいとか思ったりしないわけ?」

「しない」

「極冷えだねぇ……」

 

 気分が乗ったら長く浸かりはするけど、そこまで拘りはない。ひとりで大きな風呂に入っていても虚しくなるだけな気がする。それはそれで嫌いではないと思う。

 

「まっ、楽しもうよ」

 

 見上げた先にあったのは『小森湯』という銭湯だ。少し古ぼけた看板を見れば、この銭湯が長いこと続いていることが分かる。となればハツカの行きつけの銭湯なのかもしれない。

 ガラガラと木製の引き戸を開けて中に入る。男湯の暖簾を潜ると、番台があり、ここの主である若い青年が雑誌を開きながら座っていた。店番であろう青年はこちらを認識すると、雑誌を閉じてかけている丸眼鏡の位置を整える。

 

「やあお兄さん」

「おやいらっしゃい」

 

 顔馴染みなのか気さくに挨拶を交わすハツカと青年。

 この手の店番っておじいちゃん、おばあちゃんがやってるイメージだったけど、普通に若い人もやるんだな。

 ハツカが「お風呂セットをふたつちょうだい」と青年に伝えると、すぐにタオルや桶などの一式を準備して、こちらに差し出した。

 

「はい、これ持って」

「うん」

 

 ハツカから僕用のお風呂セットを受け取ると脱衣所へ向かう。

 コインロッカーの前まで移動して衣服を脱ぎ始める。今日はよくお世話になるなと思いながら服や荷物をロッカーに詰まる。

 しかし、そんな些末事よりも僕が気になることがある。それは、ここが風呂場であるということだ。

 

「大丈夫なの? 銭湯だし、姿見あるんじゃ……」

 

 身体を洗うときに使う鏡が備えられているが銭湯の定石だ。

 吸血鬼であるハツカは鏡に映らない。万が一にでも他の誰かにでも見られたら大事(おおごと)になってしまうだろう。

 

「この時間の銭湯ならほとんど客もいないから。それに––––」

 

 着替える訳ではないのに、躊躇わず服を脱ぎ捨てて行くハツカの姿は彼が男としての素をちゃんと持っていると思わせるのには十分だった。

 

「人は信じられないモノを見た時は自分の意識で塗り潰して忘れちゃうから」

「……」

 

 僕は肯定の意を返さず、脱衣を終えたハツカを見る。

 傷のない手入れの行き届いた肌はとても綺麗で、スラっと伸びる脚からその先まで……いや腕や腰周りなど含めても扇情的で魅入られそうになる。

 そうして嫌でも目に入るモノがあって、それらを認識すると脳が誤作動を起こすように頭痛がし始めた。

 

「……」

「? どうしたの?」

「やっぱりハツカも男なんだなって」

 

 ハツカが身じろぎひとつすれば、男性であれば必ずついているアレが揺れる。ハツカの股間には、かなり立派なものがついている。

 僕の視線が行ったり来たりを繰り返す。

 

「もしかして男のモノを見て興奮してるの? ショウくんって案外ド変態だね」

「ち、ちがうわ!」

「おや、吃ったけどどうしてかな? それに顔も赤いけど」

「うっさいばーか! 〜〜っ」

 

 露骨に目を逸らそうとしたのがいけなかったのか、僕がなにをどう見ていたのかバレてしまいハツカに揶揄われてしまう。

 こうして下ネタ気味な話で弄られることが無いので口が詰まってしまう。

 

「てっきりハツカは下ネタは嫌いだと思ってたよ」

「節度は守るよ。ただ男友達とならこんなもんじゃない」

「そうなのか?」

 

 思い当たる節がないのはきっと僕の人付き合いの悪さからかもしれない。基本的にプールの授業だと職員に頼まれてみんなより先に入ってるからな……。

 他人との接点のなさを思い返していると、ジロリと湿った視線が下半身に注がれていることに気がついた。

 ハツカが照れ隠し気味に小さく呟く。

 

「にしても……ショウくんって大きいんだね……」

「は?」

「いやあ、ミスマッチというか。可愛い顔して僕のよりずっと男らしいものが……」

「ハツカが言うなよ。なんだ––––」

 

––––お前も俺を使いたいのか?

 

 湧いて出た感情を残りの服と共にカゴへ投げ入れる。

 

「なんか男として負けた気がする」

「……気がするじゃなくて一生服従レベルだろ」

 

 ふたりして服を脱ぎ終えると浴室へ入って行く。

 

「おぉ……」

 

 見覚えがある空間が広がっている。ざっくり言えば去年の九月から何度かテレビや映画で映っていた光景だ。

 洗い場には姿見鏡と固定されたシャワーヘッド、バスチェアが一定間隔で横並びに置かれている。奥には富士山が描かれた綺麗な壁画があり、その下に本命の浴槽があった。立ち昇る白い湯気が離れた位置からも視認できる。それほどまでに温かいのだろう。

 

「こっちこっち」

 

 幸いな事、というべきか僕たち以外の人はいなかった。

 ハツカが僕を誘いながら人のいない洗い場の中を物色しながら歩き始める。まるでこの銭湯は自分の所有物かのようにバスチェアやシャワーヘッドをいじり、吟味する。

 何故わざわざ探り回るように動くのだろうか。

 行き慣れた場所なら安心できる位置など知っているだろうに。最終的には、やはり端の一目につきにくい場所を選んでバスチェアに腰を下ろす。僕はその隣に座する。

 首を振って辺りを見渡すと、ここは本当に人目につきにくく、浴槽からも脱衣所からも死角になっている。

 

「気持ちいいね……」

「うん……」

 

 今日はバスケのこともあり、これが初風呂だ。

 それぞれシャワーを浴び始め、シャンプー、コンディショナーを使って頭部から洗っていく。

 泡で視界が塞がる中で横目でハツカを見ると、彼は髪の毛を丁寧に清めている。

 その様すら美しくて思わず声が漏れそうになる。瞼を閉じた顔はとても怜悧で、普段は艶め気のある髪がしっとりと濡れていて普段とは違うものにしか見えない。女性が隣で身体を洗っているようにしか思えなくて、僕は口にできない罪悪感を覚える。

 動きが悪いよ。ハツカの仕草整ってるもん。

 そこまで見ている自分にもイケナイものを感じてしまう。

 雑念を流すため、ボディソープで身体を覆いシャワーを一気に出す。ザアア、と勢いよく流れる水流の音が身体全体を支配する。

 

「水を浴びる僕はそんなに綺麗かい?」

 

 髪の毛を洗い終えたハツカがそう尋ねてきた。

 かなり集中して洗っている様子だったからバレないと思ったが、僕の読みは甘かったようだ。

 身体を洗い終えてから僕は応える。

 

「当たり前じゃん。ハツカなんだもん」

「……。キミってストレートに褒めるよね」

「綺麗な人に綺麗って伝えるのに飾りはいらないでしょ」

 

 純粋な賞賛を僕はハツカに送る。

 いつもと違う色っぽさ?のようなものあることは言わずにおいた。その衝動を正しく言い表す事が出来ないからだ。

 賛辞を受け取ったハツカは嬉しそうだけど、思ってた反応とは違うものが返ってきたと感じてるようだ。

 少し考え込むようにしてから、頷いたハツカが体の向きを僕の方向に合わせる。

 

「じゃあ始めようかな」

 

 僕はこの場に座ったのは、鏡に映らないことを隠すためだと思った。

 

「……?」

 

 しかし、楽しむような、少し意地の悪い笑みからそうではないと悟る。

 ハツカがこちらにスッと綺麗な右足を差し出した。

 なるほど。これはいつものアレだな。

 

「従者タイムか」

「命令されたいの?」

 

 そう聞き返すということは、ハツカとしては僕の意思に任せているつもりのようだ。

 わざわざ人の眼から死角になる場所を選んだのはこれが理由だったのか。

 

「んな訳ないよ」

 

 しかし「はい、洗わせていただきます」なんて言えるはずもない。

 誰が好きこのんで人の脚を洗いたいと思うのだろうか。

 

「だったら––––洗え」

 

 ツンとした低く冷たい声で命令を出す。

 

「分かりました。ハツカ様」

 

 僕は仕方なく、本当に命令だから仕方なく床に跪ついて、ボディソープを両手で泡立ててからハツカの右足を取る。

 足に手を滑らせて綺麗な白い肌を泡で覆っていく。側から見ればマッサージと似た構図だが、実際にハツカの足裏を触るとぷにぷにとした餅肌がいつもよりしっとりとしていて感触がどこか異なる。

 風呂場という空間なのもあり、慣れたはずのマッサージすら全く別のものに思える。

 

「マッサージ上手くなった?」

「図書室にあったその手の本を読み漁りましたから」

 

 それでも平常心を保ちつつハツカの脚を洗っていく。

 目線はずっと足先に向ける。

 

 さて、普通なら上から下へと洗い流していくものだが、今回に限ってはその逆順で進めている。

 その点はどうするのかと訊こうと一気に顔を上げると、

 

「ん〜〜〜」

 

 極々自然に上半身は自分で洗っていた。

 

「なんか楽しそう」

「僕を騙した狐が跪いて僕の足に奉仕してるんだからね。ゾクゾクして愉しいよ」

「あのこと根に持ってたのか……」

「僕は屈させたいと思ったきっかけはずっと覚えてるから」

「……などと申しており」

 

 ふふっ、と笑ってしまう。

 

「なにかおかしい?」

 

 不意に出てしまった笑みにハツカは不満気なご様子。

 

「いいや。それだけあの時はうまく化かせたんだなって思ってな」

「キミさ」

「そう怒るなよ」

 

 化かすのは嘘をつくことじゃなくてどう見せるのかが重要なんだ。だから、あの時思ったことはちゃんと本音だよ。

 –––多分。

 それに狐を演じたことがハツカが僕を屈させよう(堕とそう)とするきっかけになったのが嬉しいんだよ。

 –––––恐らく。

 過去のことだからその衝動が正しいかったのか朧気だが、まあいいだろう。

 

「怒ってない」

「怒ってるじゃん」

「怒ってないけど」

「ふふ。ああ、そうだな怒ってないな」

 

 人と何気ない世間話をしてること自体珍しい。

 ある程度こちらの素を知っている相手と話すのは楽なだけじゃなく、楽しいものだと最近分かってきた。

 今は普通ではない状況だけど、そんな状況も中々楽しい。

 

「僕に、その……肌を触れさせることについてはどう思ってます?」

「……? 別に?」

「なにかひとつくらい思ってください」

 

 他人に肌を触らせてるんだから、愛好の意なり、嫌悪感なりどちらかの感情は抱いて欲しい。そうでないと僕がやってる価値がないじゃないか。

 久利原たちにもやらせているだろうから、僕じゃないといけない理由はないのだが。

 足の指一本一本をよりしっかりと洗っていく。

 

「ショウくんってさ、ほんと脚フェチだよね」

「脚フェ……?」

「しかも僕の脚限定の。命令する前から僕のつま先に夢中だったよね」

 

 そう言われて、思い返す。

 体育の時に理世の姿を見たが露出している脚に対して何も感じなかった。理世とは肉体を触り合うような爛れた関係ではない。

 仁湖さんも風呂上がりの姿を見たが特に反応した記憶はない。こちらはある程度仕事という面があったからかもしれない。

 

「ハツカ様のスキンシップが激しいだけです」

 

 取り繕うように返した言葉は中身がないような気がした。

 本心では綺麗だと思っているし、触ってて不快感すらない。心のどこかでは久利原たちに悪いなとすら思っている。

 多分、ハツカに言われた通りだと思う。

 直すべきだろうか?

 

 チラリと目線を上げれば男性固有のモノが目に入り、嫌でも奉仕している相手が男であることを認識させられる。

 男なのが嫌なわけではない。それでも、やはり脳がバグるのだ。

 屈辱感が全身を駆け巡る。超えたい相手。負けちゃいけない相手。同性同士でより強く感じてしまう向上心からか、屈辱感が2割増しぐらいある。

 

「かもね。他の子達にはこんな風に触らせたりしないし」

「……では何故、私にはこのように?」

「決まってるじゃん」

 

 ハツカはやっぱり愉快そうに嗤う。

 

「常識とのギャップに悶えながら僕に奉仕するキミの顔が大好きだからだよ」

 

 僕だけを映す鏡を見る。

 確かにハツカの言う通り、どこか悶えているのを我慢しているような苦しそうな顔がそこにあった。

 顔を振って普段の表情に戻す。

 鏡に映る顔も変わって良いものになっている。

 

「こんな感じでよろしいでしょうか。ハツカ様」

 

 両足を洗い終えて確認を取る。

 

「うん、良い感じ。そのまま太腿まで洗ってもらおうかな」

「……」

「拒否は許さない」

「……分かりました」

 

 ハツカの言葉に背を押される形で洗い始める。

 

 そしてもうひとつ、最近わかった事がある。

 触ったり、見たりはできないもの。

 なんとなく、と察するようなものだけど。

 

 彼の太腿を洗うために先ほどより近寄る。

 もはや、ハツカの脚を支えにしているといっても良いかもしれない。それに伴って僕の顔もまたハツカの身体に近づいた。

 

「捕まえた」

 

 突然、両頬に力が加わった。

 目の前に泡が舞う。

 

––––あ、飲むんだ。

 

 僕の顔を両手で捕えるハツカが僕を引き寄せる。抗えない力に、(あらが)わず僕はされるがままになる。首筋を差し出した。

 この時、僕は従者から餌へと変わった。

 

「どうぞ」

 

 恥ずかしさなかった。いつもと変わらないから。

 強いてあげるなら、音だけ。耳音に本来、聴こえないはずの水音が鳴る。その音が吸血音をより引き立たせる。

 身体が温まり速くなっていた血流が、ハツカの手によって整えられていく。身体が少しヒンヤリとする。

 数秒経過する。

 

 そろそろ終わりかな、そう思った時。

 

 心地よい吸血音を遮るほどに大きな音が鳴った。

 

「はああ〜〜疲れたぁ!」

「仕事終わりはやっぱり風呂だよなあ」

 

 人が入ってきて、初めてドアが開けられたのだと気がついた。

 やばいと本能的に感じ取る。

 それでもハツカは吸血をやめない。むしろ僕の顔を自身の胸に埋めさせる。

 

 なんで?

 どうして? 

 吸血鬼だってバレたら大変だよ?

 

 浮かぶ疑問は口に出さない。口にしてしまえば入ってきた他人に俺たちのことがバレてしまう。

 そして一番は俺にとしては心だ。張り裂けそうなぐらい心臓がバクバクと高鳴っているのが分かる。

 見知らぬ人がいる中で吸血される、この場面。

 

 ここが死角だとしても緊張する。

 しかし、胸を躍らせる楽しさもある。

 眼が向けられている気がして恥ずかしい。

 しかし、麻酔を打ったような安らぎすらある。

 

「なあ、なんか変な音が聴こえないか?」

「どこかのシャワーから漏れた水音だろ」

 

 見つかったらどうしよう。どうなるんだろう。

 妙に色っぽく聴こえる音に恥辱を覚えながら、今度は自分から泡々としたハツカの胸に顔を埋める。

 

 

 嗅ぎなれない匂いの中に、一度だけ嗅いだことのあった香りが鼻腔をくすぐった。

 

 

 

 

「パァッ……」

 

 他人が来てから数十秒以上経ったであろう–––少なくとも俺はそう思った–––あと、俺の首筋から口を離したハツカが浅い息を漏らした。

 

「ご馳走様」

「…………なにやってんの……俺はともかくハツカがバレたら……」

 

 俺は躊躇わずハツカを凝視する。自分で何をやったのか分かっているのか、という意思を全力でその目線に乗せる。

 怪訝全開な目を受けながらも、ケロッとしているハツカ。

 まるで俺だけがのぼせてしまったかのように彼は冷静だった。まるで見られるはずがないと分かっていたように。

 ハツカは質問に答えずに言い放つ。

 

「取り繕わないといけないほど気持ち良かった?」

 

 身体が一気に冷たくなったのに、頭の中が一気に熱くなる。

 たった一言が俺を支配する。

 

 なにからそう感じたのだろうか?

 

 恐らく吸血されて、俺の感情を読まれたのだろう。

 

「湯船で温まって、サウナにでも入るとしようか」

 

 立ち上がったハツカは身体を洗いながら、満足気に床に跪いたままの俺を見下ろす。

 

「ね、僕のワンちゃん」

 

 キュッとシャワーが止まる。

 

「––––」

 

 美少年は嗤いながら、俺の鼻についた泡を拭った。

 

「この……っ」

 

 今宵の僕は、ずっとハツカに弄ばれたままだった。




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