よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第二十八夜「ニガくない!」

 真っ青な空から降り注ぐ心地よい陽の光。日中の気温も日に日に低くなり始めているが、この天気であれば快適に過ごすことができていた。

 そんな日光にも溶かせないものがある。

 俺の憂鬱だ。

 ハツカと銭湯に入り吸血されたとき、感情が昂っていた自覚はあった。人に見られるかもしれない状況で吸血されるという普通の人であれば味わえない興奮。血を吸われる時に感じる快感とはまた別物だ。

 人の胸に身体を預けることも加わり、かなり胸が跳ねていた。

 吸血されれば考えていることも知られることを忘れ、俺はその感情に浸っていた。

 その興奮がバレるのはいい。仕方のないことだ。

 それに吸血鬼になっていないのならば––––興奮を一時的に抱いたとしても、俺はハツカに恋していないと証明ということでもある。

 しかし、アイツが愉しめる想いを抱いていたのは事実。

 邪な感情であろうそれは、少なくとも敵対者であり友達であるハツカに向けるべきものではない。

 

–––––犬なのか、狐なのか……

 

 ヘンテコな想いのせいで嫌な寝不足だ。

 二度寝してしまおうかと思ったが、それでは日課を過ごせなくなる。そして、日課を過ごした後の時間帯は中途半端で寝るにも、昼食まで1時間程度しかない。

 時間潰しに部屋の片付けをやり始めた所、眠っていた書類の中から一枚の手紙が現れた。

 ため息をついてから、暇つぶしをかねて外を出歩くことにしたのだった。

 

「「睨めっこしましょっ、あっぷっぷー」」

 

 そうして俺はいま、小学生–––直接訊いた訳ではないが–––と睨めっこをすることになった。

 

「あははははっ!!」

「おら薬!」

「ふぐっ!?」

 

 顔を押しつぶした俺の表情に、ベンチで隣に座っていた小学生は口を大きく開けて破顔する。その子の口の中に錠剤を指で弾いて投入する。突然咥内へ入ってきた異物を小学生は驚きながらも一気に飲み込んでしまう。

 

「どうだ?」

「…………ニガくない!」

「だろ? 少し大人になったな、少年」

 

 自分が薬の飲み込めたことに驚く小学生の頭を撫でてやる。

 

「えへへ〜。おクスリってニガいのしかないとおもってた」

「苦味は舌で味わうものだからね。口に含まずに喉に流し込んでしまえば特に殆ど感じないよ。勿論、錠剤だからっていうのもあるけど」

「へえ〜」

 

 俺が今いるのは、小森東病院という少し大きめの病院だ。真っ白な外観は病院らしい清潔感があり、茂て揺らめく青草のような若々しさがある。その敷地内にある小さな公園。遠くに出歩けない人たち用に設けられた施設に置かれたベンチに座っている。

 隣にいるのはその病院で出会った少年なのだが、薬が苦手ということでにらめっこをして笑ったら飲むという勝負をしたのだ。

 そうして残り二つの錠剤を小学生は躊躇わずに喉へ流し込んだ。

 

「でも、この粒がこんなに飲みやすいなら粉じゃなくてずっとコレにしてくれればよかったのに」

「粉って苦いし飲みにくいよね……」

「ホント! マズいしニガいし。ねえ、なんで粉ばっかり出てたの?」

 

 俺ではなく専門家に聞くべき事柄だが、生憎とそんな相手との連絡網は限られている。そして、この子が話しかけているのは俺なのだから、俺の言葉で答えるべきだろう。

 

「キミ、いくつ?」

「えっとね……」

 

 俺がそう聞くと、小学生は手を出して指を折って数え出していく。6本折れたところで動きが止まり「むっつ!」と元気よく答えてくれた。

 

「むっつか……なら仕方ないね」

「? なんでしかたないの?」

「先生たちの中の約束でね。粒は5歳以上じゃないとダメなんだ」

「どうして?」

「キミぐらいの子達はまだ呑み込む力が弱いから上手く飲み込めないことがあるんだ。今だって結構力を入れて飲み込んだろ?」

「うん」

「それに粉薬は先生たちが君の体に合わせて作ったものなんだ」

 

 子供は薬を分解・排泄する力が弱いので薬の影響を受けやすい。そのため服用者に合わせて慎重に容量の調整をする必要がある。それが最もしやすいのが粉薬。薬剤師が子供の体重などを聞くことがあるのはこのためだ。また、飲みきり形の袋詰めなため保存や携行するのに適している。

 そのことを上手く噛み砕いて説明すると、小学生はなるほどと頷いてみせた。

 そこからしばらく話していると、この子の名前だろうか。「天谷(あまだに)!!」と呼ぶ声がした。

 

「おーーい! 天谷! キャッチボールやろうぜ!」

「あっ! うん! お兄ちゃんありがとね!」

「おお〜元気に遊んでこいよ〜」

 

 友達に呼ばれて走り去っていく小学生こと天谷。敷かれた天然芝生を踏みつけ走るその背中に手を振り返した。

 一息つけると肩を下ろすと、天谷と入れ替わるようにこちらはやってくる人影を認める。歩くのに合わせて揺れる首からかけたタグに入ったカードには八雲(やぐも)(ひとし)の文字がある。

 

「お疲れ様」

「八雲先生でしたか。お疲れ様です」

 

 スらっとしたシルエットを伴ってやってきたのはこの病院の医師だ。ブルーのワイシャツに紺色のネクタイ、そして皺や汚れひとつない白衣を身に纏ったその姿は清潔感を示していた。

 少し歩こうか、と言う話になり、俺は立ち上がり八雲の少し前を歩く。

 

「ありがとね。食堂の手伝いだけじゃなくて子供たちの相手までしてもらっちゃって」

「いいですよ。俺なんか食堂の飯まで食べさせていただきましたし」

「子供食堂だからね。キミのような子のためにある場所だよ」

 

 1人分増えても問題ないとする八雲。

 珍しいことに小森東病院では子供食堂も開いている。

 公園もあり、休日も子どもの世話をできない親からはここの病院は頼られているらしい。先ほど俺が相手をしていた天谷もそのうちのひとりだった。

 

「いい日差しですね」

「そうだな〜……帰って寝たいな」

「ハハっ、気持ちいいですもんね」

 

 今日初めて会った相手に当たり障りのない言葉をかける。

 

「吼月くんって、ま……う〜ん……暇なの?」

「酷いですね、事実ですけど」

「せっかくの日曜日なんだから友達と遊べばいいのに」

「安息日は自分を労るべきですよ」

 

 今だって昼寝をするために出歩いているのだから。

 腹も膨れて、陽の光もたくさん浴びた今なら心地よく寝れそうではある。

 

「そうだ。これ、どうぞ」

「? なんですこれ」

 

 八雲がポケットから取り出したのは小さく白い封筒。

 急拵えなんだろう。この病院の印字がされた封筒だったため、先ほど買ってきたものだと予測は立てられた。

 

「今日のお礼だよ」

「受け取れないですよ」

「でも、礼儀があるしね。手伝ってもらった訳だし」

「だったら今回はお気持ちだけ。次からはそれも含めて契約しましょ」

 

 中身が何かはわからないが、受け取ってしまえばコレを理由にこちらの都合が悪い時に用事を入れられる可能性がある。

 それにお礼として何かを差し出される意味が分からない。

 

「そっか。分かったよ」

 

 八雲は大人しく封筒を再び自分のポケットに収めた。

 

 さて、あとは適度に話を切り上げて帰るとするか。

 

「……?」

 

 たわいの無い世間話を八雲と交わしながら公園内を歩いていると、ガラス張りになった病院の一角を通ることになった。

 リハビリ施設だろうか。本格的なジムさながらの機材なども置かれており、老若男女問わずその中で汗を流している。

 その中にひとり見覚えのある顔があった。

 俺につられて八雲もそちらを向く。

 

「沙原か?」

「ん? 奏斗(かなと)くんと知り合いなの」

「いいえ。顔と名前を知ってるだけです」

 

 不思議そうに俺を見つめたあと、八雲は視線を沙原に戻した。どうやら八雲も彼のことを知っているようだ。

 俺も沙原を再び見つめた。

 やっているのはウェイトトレーニング。チェストプレスを用いたトレーニングのようだ。

 

「結構激しくやってるんですね」

「近々大会があるそうだからね。そのためじゃないかな」

「……なるほど」

 

 昨日と変わらずどこか切羽詰まったような苦しげな表情をしている沙原に、八雲は憂うような目でこんなことを呟いた。

 

「今日もひとりか」

 

 すると、プルルプルルと電子音が耳朶を打った。

 

「おっと、俺みたいだ」

 

 八雲が小型の内線電話を取り出すと、受け答えをし始める。

 少ししてから電話を切る。

 

「ごめんね吼月くん。俺、呼ばれちゃったからさ」

「構いませんよ。早く患者のところへ行ってあげてください」

「うん。今日はありがとね!」

 

 くるりと背を向けて立ち去っていく八雲。

 俺はその背を見つめず、沙原の方だけを見ていた。

 

「……名前言ってないよな」

 

 

 

 

 クルクルと車椅子を回して沙原奏斗()は進む。

 

「あぁ……くっそ」

 

 ジムを出ようとして時に立ちはだかるドア。何度もやって慣れているはずなのに、どうも最近はやりにくい。

 少し前にジムがリフォームされ、引き戸から押し戸になったことが原因だろう。

 何故こうも不愉快な事ばかりが起こるのだろうか。

 

「なんもかも面白くないぜ……」

 

 ぶうたれるように吐き捨てて、車椅子の向きを変える。

 幸いここは病院。呼べば看護師やらなんやらが来て、ドアを開けてくれる。

 手頃な相手を探そう首を動かす。

 しかし、その必要もなく背の方からドアが開いた音がした。

 

「どうぞ」

「え? ……ああ、ありがとう」

 

 ドアを開けたのは中学生くらいの男子。

 その子には見覚えがあった。どこでだったかと思い返しながら、俺はドアを潜り抜けていく。

 

「沙原奏斗、であってるか?」

「……確かきみ、昨日隣でやってた」

「吼月ショウ。吼える月と書いてくづきだ」

 

 その顔を見て思い出す。昨日バスケをしていた時に俺を見つめてた男子で、東代たちよりは確実に上手い若手メンツの片割れだった。

 ジムに用事があるわけではないようで、ドアを閉めるとこちらに歩み寄ってくる。

 なんだコイツ……。

 

「なにか俺に用か?」

 

 身構えるように強張った声で話しかける。

 

「お話をしたいのだが、少し時間を貰えるか?」

「……とりあえず……シャワー、浴びさせろ」

 

 それだけ文句をつけるように言い放つと、吼月は納得したように「失礼しました」と頭を下げた。

 

「すぐに済むお話だから、移動しながらでも」

「……分かった」

 

 俺に近づくと背後に回り、車椅子のハンドルを握る。

 

「押すよ」

「いいよ、自分でやれる」

「お疲れなんだから、人を頼っていいぞ」

「……ちっ、さっさと押せよ」

「露骨な舌打ちやめない?」

 

 俺は“余計な世話をして何を今更”と喉元まで出かけた言葉を飲み込んだ。

 自分の意思に左右される事なく車椅子が動き始める。

 

「…………」

 

 徐々に速度を増していく車椅子。俺はどこか強張った状態で背を預けていた。

 

「昨日、少しだけ見させてもらっていたが、バスケ上手なんだな」

「……見てたといってもいなくなる数分前からだろ」

「よく見えてるな。残り10分ぐらいからだ。とはいえ、他の奴らよりアンタは激しく見えた。カッコいいと思った」

「……見ず知らずの相手によくそんな事言えるな」

「テレビに映る選手相手に褒める言葉を選ぶような人がいるか?」

 

 近くも遠くもない関係だからこそ物怖じせず口にできる。

 それは俺にも覚えがある。

 

「練習ってどのくらいやってるんだ?」

「毎日」

「さすが。今日みたいなトレーニングも含めてか?」

「そうだな……ジムを使うのは週3くらいだ」

「結構な頻度だな」

「ここのジム、受診者だと無料で使えんだよ」

 

 あくまでリハビリって体でだが、と付け加える。

 今の俺には本当に建前だけだ。

 

「だからあんなシュートも打てるのか」

「ああ、3Pのことか?」

「that's right!その通りだ。あの時のフォームほんと綺麗でしたよ」

「どうも」

 

 お世辞ではなさそうだが、かと言ってただ褒めるために俺がいる病院まで来たのか、と思ってしまう。

 俺はそのことについて問うと、吼月は「偶々だ」と言った。

 見たところ体のどこにも異常はなさそうで、いかにも健常者といった具合だ。ただ寝不足なのか、車椅子を押している間に時折、天を仰ぐように見つめていることがある。

 とはいえ、それだけなので本当に偶々なのだろう。

 

「今日も練習するのか? 大会が近いと聞いたけど」

「まぁ、な」

 

 含みを持たせた間を作りながら、俺は間違えて答えてしまった。

 しかし、俺が気になったのはどうしてその事を知っているのかだ。

 

「応野のやつからでも聞いたのか?」

「いいや。八雲先生から」

「あの人は……」

「クライアントの個人情報を漏らすってどうかと思うよな」

「間違いない。が、それを聞いたお前に言う資格はねえだろ」

「ルールを破ったのはアレだが、自己申告したし、悪さもしてないぞ」

 

 悪びれもせずそう口にする辺りいい性格をしている。

 

「でも、そうか。今日も……」

「なんだよ」

「……大変だなと」

「いいだろ–––」

 

 別に、と言いかけてから口を噤んだ。

 ……わざわざこんな知らない奴に言う事じゃない。

 数秒黙ってしまうが、タイミング良くシャワー室が見えてきた。

 

「では、俺はこれで」

「……聞きたいことって今のだけなのかよ」

「なんですか? もっと俺と話したかったんですか?」

「ちげえわ! もう用事ないならさっさと帰れ!」

「はーい」

 

 ケラケラとした笑みを浮かべて吼月は車椅子から手を離すと、踵を返して離れていく。

 

「じゃあ、また会いましょ」

 

 背を向けたまま振り返ることもせず、手だけを振ってあの子は離れていった。

 俺はアイツが残した言葉に引っ掛かりを覚えるものの、すぐに脳の端に疑問を追いやった。というか消し去った。

 

「……ちっ」

 

 どこか見たことのある無遠慮な態度は今の俺を苛立たせる。

 

「どうしてるかな」

 

 幾度となく浮かんできた思いと儚い期待だけを俺は取り出したスマホに残して、シャワー室の扉を開けたのだった。

 

 

 

 

 スマホを見る。

 暗がりの中で目を覚ましたばかりの目にはこの光はよく沁みる。目が良い分、増し増しで光が目に刺さる。

 ロックを解除した画面の下。

 ラインのアイコンの右上に赤い丸の中に数字のカウントが表示される。私はメッセージを開かず、遠回りをしてロック画面から内容だけを見る。

 

『いまどうしてる? 最近、顔見せてくれないけど、体調でも悪いのか?』

 

 毎日、ひとつひとつ溜まっていくこのカウントに心が痛む。

 

––––––どうすればいいのだろうか。

 

 いいや、分かっている。

 こんな時、やるべきことは。




 第三話が思いの外長い……!
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