よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第三十五夜「けっこう日が経ってんな」

 目の前には俺が通う小森第二中のモノよりも年季が入った校舎がある。その学校の正門から下校を始める生徒たちが、三々五々散っていく。

 正門には『小森工業高等学校』という表札が出ている。睡魔に襲われる体にムチを打ち、超速攻でここまで足を運んだのだ。

 ここへ来る途中に平田ニコに連絡しようかと考えた。

 しかし、教師として生徒の個人情報を教えるはずがないし、ハツカと同じ理由で彼女は使えない。アドレスを貰った意味が無かったな、とぼやくより先にまた生徒たちが校門を通り過ぎていく。

 

「なあ、少し良いか」

「え?」

「第二中の子? 知り合い?」

「いいや。違うけど」

 

 俺のそばを通った生徒たちに話しかける。

 この時期に高校へ中学生がやってくるのは珍しいのだろう。彼らは奇異の目線を俺に浴びせてくる。

 

「この学校の2年生に、沙原奏斗という学生がいると思うんだ。俺はその男に会わないといけないんだ!」

 

 俺が少し切羽詰まった口調で言い寄ってみると、生徒たちは数歩下がりながら互いに認識を確かめ合う。

 

「……沙原…………」

「アレじゃね? バスケが上手かった」

「あれか。デザイン科にいる車椅子の」

「そうそう。バスケ部やめて、今はパソコン部やってる」

「知ってるんだな。そのパソコン部ってどこにあるんだ?」

 

 彼らの話に、いやバスケは今もめちゃ上手いだろ……と野暮なツッコミを入れかけたが本筋を守る。

 俺が訊ねると、生徒たちは流されるままパソコン部のある教室の場所を、彼らが持っていた地図の写真で教えてくれた。その写真を俺は自分のスマホで撮って、礼を言う。

 

「ありがとう!」

「お、おう。頑張れよ〜」

 

 そうして俺は正門を潜った。近くにあった昇降口に入ると、カバンの中に詰めていた上履きを取り出して校舎を歩き始める。

 パソコン部の部屋は一番北の校舎の3階にある。

 

「こんにちは」

「……こんにちは」

 

 目的の場所までの道すがらに出会う生徒たちにも挨拶していく。すれ違う人たちは一様に「え? なにコイツ?」という反応を示すのだが、教師の下に連れて行こうとする人は現れない。

 事なかれ主義という奴だろうか?

 どうせ沙原に声をかけたあと摘み出されるのは目に見えてるし、こそこそ会いにいくより堂々としておいた方がバレない。

 

「こんにちは」

「こんにちは」

「……?」

 

 今度は教師が反対側からやってきた。

 その立ち姿と気のいい笑顔に見覚えがあり、どこだったか思い出そうとする。白いYシャツの上にネイビーのベストを着たガタイの良い男性––––そうだ。

 

「マスターの弟?」

「ん?」

 

 そう呟くと、通り過ぎていった男性教諭がこちらに振り返ったようだ。俺も男を見直す。再び見えるその顔立ちは、バー《CLEAR(クリア)》を経営しているマスターと瓜二つだった。

 マスターが言っていた弟が勤めている専門学校は、ここのことだったのか。

 俺が脳内で疑問を片付けていると、マスターの弟が翻ってやって来た。

 

「キミ、中学生だよね。なんでここにいるの? てか、龍一のこと知ってるの?」

「とりあえず、一番目だけ答えます」

「? お、おう」

「沙原奏斗に会いに来ました」

 

 俺の目的にマスターの弟は少し顔を歪めていた。

 

「キミ、名前は? 沙原くんとはどんな関係なのかな?」

「俺は吼月ショウ。沙原とは長い付き合いがあるバスケ友達です」

「バスケ友達……。彼はまだバスケをやっているんだね?」

「ええ、昨日もやりには来ました」

「どんな風に?」

「楽しそうに」

「それは本当か? 無理してたりしないか?」

「嘘をつく必要がどこにあるんですか? バスケットボールを触っている時は人生が楽しそうでしたよ」

 

 職質でも受けているかと思わせる剣幕でマスターは質問を繰り返してくる。この人からすると、沙原はバスケをすることが苦痛になっているようだった。それともバスケをやめて欲しいだけか。

 

「それで沙原くんと会って何がしたいのかな?」

「話す、それだけ。だから会わせてください。数分で済みますから」

「……友達なら、任せた方がいいかもな。学校にまで来てくれたってことは彼が抱えてる事情も知ってるのだろうし」

 

 マスターの弟はどこか思うところがあるのか、思慮しながら首を縦に揺らす。まるで気持ちを咀嚼して自分に取り込んでいるようだった。

 彼の反応からして、学校生活でもかなり影響が出ているようだった。

 いや、出ていなければおかしい。

 ……少し前の俺なんかの比ではないくらい、心に影を落としていても不思議ではない。

 

「マスターの弟さん。学校、来てるんですか?」

「琥次郎だ、東根琥次郎。東根先生でいいぞ」

 

 マスターの弟は名を口にしてから、俺の質問を肯定した。

 

「来てるよ。以前は遅刻ギリギリも多かったけど、ここ最近は落ち着いてる。ただ、昨日と今日……特に今日は何かに怯えてるような感じがあってね」

「怯えてるですか。沙原の両親は共働きですか?」

「そうだな。両親とも働いてると去年の面談で聞いた。けど、今の彼のこともあって、母親が早めに上がれる仕事に就いているらしい」

 

 十中八九、恐怖の対象は吸血鬼だ。

 今日学校を休まなかった理由は、家にひとりになってしまえば襲われる確率は高くなるからだろう。無理にでも人混みの中に紛れたほうが、吸血鬼に襲われる心配はなくなる。

 人の中で目立つのを良しとしない彼らなら尚更だ。

 

「裏目に出たかよ……」

「え?」

「東根先生、生徒のこと見てるんですねと思って。さっきの事も相手のことを見ようとしなければ感じもしないですよ」

「そう言ってくれると助かるよ」

 

 肺の中に貯まったただならぬ空気を吐き出す代わりに、東根の追求を躱すことになる。相手が快に感じる方向へ舵を切る。

 

「これでも一応、沙原くんの担任だからね。気には留めてるんだよ」

「そうなんですね」

 

 なに当たり前のことを言ってるんだろうか。

 

「沙原はウチの部活の要だし、なんとかしてやりたいんだけどな」

「だったら話くらい聞いてあげればいいじゃないですか」

「……個人的な話に他人が易々と立ち入れるものじゃないよ」

 

 そんなありふれた傍観の一言を東根が漏らした時には、コンピュータ室と書かれた札が視界の上に現れていた。東根は俺を廊下で待たせ、コンピュータ室の鴨居を背を屈めて潜った。

 

「ちゃんとお前らやってるか?」

「うぃーす、やってるよ先生。もう少しでグラフィック完成」

「音もいい感じ」

 

 グラや音とか言っているが、確かCLEARにあるゲームも東根が作った奴をマスターが貰ったと言っていたので、ゲーム開発の話かもしれない。

 

「沙原、ちょっといいか?」

「え、あ……はい……はぁ……」

 

 元気のない声で東根に返事をするのは沙原だ。氏名が同じの別人ではない。

 しかし、元気は全くなくため息を吐く回数があまりに多い。

 

「お前にお客さんだぞ」

「……? 客?」

 

 それでも来客と聞くと話が変わる。

 神経を研ぎ澄ませた声は敵の攻撃を疑っているものだった。疑われようが別にいい、話さえできればいいのだから。

 

「俺だ、沙原」

「……。……!?」

 

 教室の中を見てみると、パソコンの前で車椅子に座りながらキーボードに手をやっている沙原がいた。沙原も俺が来たということを認めると、視線を宙に彷徨わせる。

 

「来い」

 

 車椅子を漕ぎ始めると、俺の手を無理やり掴んでコンピュータ室から出ていく。抵抗することなく身を任せていると、ふたりで別の教室へ入った。

 

 

 

 

 俺たちふたりは近くの空き教室に入った。

 

「高校の教室って中学校とあんまり変わんないんですね」

 

 机や椅子は後ろに固めて置かれており、床も少し埃っぽく使われている様子はない。吼月に言われて思い返すが、使われている備品や間取りなどは俺が通っていた中学校の教室とあまり大差ない。

 まあ、公立だしな。

 タイヤが回るとそれに応じて埃が舞う。

 

「敬語はやめろ。気持ち悪い」

「そう? じゃあ、言葉に甘えて」

 

 吼月の敬語には薄気味悪さがある。コイツが敬語の使い分けをしていることを自分が知っているからかもしれない。

「……どうしてお前がここにいるんだよ? 不法侵入だろ」と問いただす。

 吼月は、教師は了承してるから問題ないだろと答えた。

 ちゃんと追い返せよ、仕事しろよ教師。

 

「なんで来たんだよ」

 

 吸血鬼のことだろう。そう思うと目の前の吼月の顔を見れず、心を蝕む淀んだ想いが身体中に広がるような不快感が生まれる。

 

「もう答えは決まってるだろ。吸血鬼になる」

 

 俺は吸血鬼になるしかない。だから、笑って誤魔化すのだ。

 

「この不自由な脚も吸血鬼になれば治るみたいだしな! 悪いことじゃねえよ!」

「違う。それはまた今度。今日はエマのことだよ」

「っ」

 

 想い人の名を告げられると、俺は思い出したくないように暗い顔を顰めた。

 

「アイツがどうしたんだよ……」

「沙原とエマの馴れ初め? 出会い? のこと俺は知らないからな。聞きたくてやって来た」

「お前が話してなんになるんだよ」

「未来が変わる」

 

 彼は臆面もなく、はっきりと断じた。

 

「なにが変わるんだよ」

「道の豊かさだよ」

 

 判で捺したようなその答えに、俺は内心でため息をつきたくなる。行き着く先は変わらない。俺はエマの眷属になって、吸血鬼として暮らしていくんだ。

 だというのに、優しく微笑む吼月は自分の言葉を信じて疑っていない。気が付けば自然と吼月を見上げていた。

 

「無理に決まってるだろ」

「なら、話してくれるよな。結局変わらないなら、話してもいいってことだし」

「話さないと帰るつもりないだろ」

「正解だ」

 

 その笑顔には、なぜかエマの面影があった。

 

「……聞いたら帰れよ」

「大丈夫。だから、聞かせてくれ」

 

 喋り出す俺の口はおもかった。

 

 

 一年前まで俺は普通の高校生だった。

 学校に通って、好きなバスケをして、趣味のプログラムや3Dプリンタでの作成をしたりしていた。やっぱり比重は勉強よりもバスケの方が多い。部活動もあって土日に練習するなんてこともザラだった。

 それでも苦ではなかったんだ。

 好きなことだし、中学校の頃からメキメキ成長して自分に実力がついていたのが分かったから。

 なにより夢がある。

 父親が大のバスケ好きなのもあって俺も幼い頃からバスケの試合を観ることが多くて、実際に大きな会場まで足を運ぶこともあった。

 俺が本当の意味でバスケに見惚れたのはその時だと思う。

 平面的でなく立体的に大きく躍動する選手たちが俺が一番だと主張するように活躍している。生で見たダンクはちょっと怖かったけどカッコよくて俺の心を掴んで、放った瞬間周りがシンと静かになるような3ポイントシュートも俺を虜にした。

 もっと面白かったのが、片方のチームがポンポンと点を稼いでいたのが急に止むと今度はもう片方のチームの得点ラッシュが始まった。子供ながらに父親が言っていた『流れが変わる』瞬間というものを味わった。

 

「俺もやりたい……!」

 

 そこから俺は父親に頼んでクラブチームに入れてもらった。

 

「俺、将来バスケ選手になれるかな」

「ああ、なれるとも。奏斗が頑張れっていればな」

 

 父親は俺の夢を聞いて、笑って頷いた。

 それから時は流れて、中学生になり、高校生になった。

 部活動で友達と会える奴らも結構出来た。

 その中でも歳の差を越えて仲良くしてくれたのが応野先輩と東代先輩。他の部員–––同級生には既に幽霊な奴もいる–––とは違い、バスケが大好きなのようで、教師に許可を取っては一緒に残って練習をした。特に東代先輩に関しては市民公園の体育館を借りてバスケをしていた。俺も時折、便乗させてもらったことがあった。

 

「ほっと、お前バスケ上手いよな」

「身体の使い方が良いのかね」

「一番は眼な気がするな。コイツの場合」

「そりゃ俺はバスケの神に愛されていますから」

「自信満々だな。その調子で頼むぞ」

 

 その日も、学校の体育館に残って練習してた応野先輩や東代先輩に俺は自信満々に返した。

 自惚れだが、バスケに関してはマジで天才だと思った。

 夏には一年生ながらに三年の先輩たちと大会に出てかなり良いところまで行ったし、敵も俺を一番マークしてくれてた。

 自分の実力が認められているようで快いものがある。

 嬉しかったのはスカウトの話が来た時だ。大会を偶々見に来ていた選手の目に止まったらしいとの事。

 俺はすぐに返事を出すことはしなかった。

 まだ後2年近くあるのだから、より強くなった俺をスカウトしてもらえると思った。というか高校一年の段階でどこに行くか決めるなんて正直早いしな。

 2年後には更に大きなチームから声をかけられているかもしれない。

 

「沙原」

「? どうしたんですか、監督」

「冬の大会も出てもらう」

「……はい!」

 

 冬の大会にも出させてもらえることが決まって俺は心が踊った。

 大きな舞台でバスケがまた出来るのだから。

 

 

 

 

 

 だけど、現実は理不尽だった。

 

 

 

 

 とある月曜日。

 日曜日にも練習試合があり、月曜日の部活動が休みになっていた時のことだった。

 俺の家は学校から少し離れた場所にあるから自転車で登下校していた。

 青空から射す乾いた太陽の光を受けながら、信号が青になったので漕ぎ始める。

 その時だった。

 

「は?」

 

 視界の端に大きな鉄の塊が映った直後、身体に強い衝撃が走って俺の意識は暗転した。

 

 次に視界が開けた時には、汚れひとつない真っ白な天井が映っていた。なにかに寝そべっていた。

 どうしてそんなところにいるのは分からなかったが、ひとまず身体を起こそうと床に手をつくと横になっていたのはベッドだと理解した。軋む身体だけが記憶の連続性を訴えかえてくる。

 

「あ」

「えっと……」

 

 上半身を起こすと、初めに目があったのはナース姿のふたりの女性。その時点で俺はここが病院だと知って、薬品の匂いが鼻についた。

 

「せ、先生呼んできて!!」

「はい!」

 

 慌てたようにひとりの看護師さんがベッドの周りを囲っていたカーテンを開けて、病室から出ていった。

 暫くして看護師さんが複数の足音を伴って戻ってきた。ひとりは一緒に白衣を着た男性––––八雲先生だ––––で、もうひとりは俺の母親だった。

 

「奏斗!!」

「母さん……?」

 

 病室に入るなり突然抱きしめてくる母親に困惑した。数分間抱擁を受け止めていると八雲先生が俺たちに声をかけた。

 

「沙原奏斗くん。これから検査を行います」

「検査ですか?」

 

 俺の質問に八雲先生はゆっくりと頷いた。

 先生に従うため俺はベッドから脚を出そうとして––––

 

「……あれ?」

 

 動かなかった。

 

 車椅子が用意され、それに乗って俺は検査をした。

 具体的にどんなことをしたかまでは覚えていないが、脚や腰の辺りを重点的に見られたのは覚えている。

 そして、時間が経って別の部屋に移動した。そこには俺と母さん、八雲先生に加えて仕事場から駆けつけた父さんがいた。

 

「簡潔にお伝え致します。……奏斗くんの脚は動かない」

 

 ドクターチェアに腰をかける八雲先生が神妙な面持ちで口にする。

 足腰の神経がイカれたとか言っていたが、この時の説明は断片的にしか覚えていないし文として繋がらなかった。

 そこから父さんや母さんとの答弁が始まった。「本当に治らないのか」「リハビリでなんとかならないのか」「せめて歩く事ぐらいは」など、ふたりに責めたてられる八雲先生。

 ふたりの詰問に対してしっかりと答えを返していた様子なのだが、俺にはその会話は遠かった。まだ意識は保っていた。

 しかし、次に八雲先生が紡いだ言葉が俺の心臓を引きちぎった。

 

「もうバスケをする事は出来ないでしょう……」

 

 その瞬間、俺の世界から色が消えた。

 

 

 

 

 それから数日だったか、数週間だったか、数ヶ月だったかが経った。

 俺の身に起こったことを話すと、どうやら車に撥ねられて脚が動かなくなったらしい。

 

 

 相手が俺を轢いたのは脇見運転だったとのこと––––

 

 退院前、一度だけ謝罪しに来た。

 やって来たのは老婆だった。

 ぶん殴ってやろうと、いや本音を言ったら殺してやろうと思った。けれどもその分は母さんが……それ以上に父さんがぶつけてくれた。『お前のせいで奏斗は夢を失ったんだ』と。

 そこで初めて俺はバスケが出来なくなったんだと自覚した。

 責め立てるふたり(・・・)にただひたすら頭を下げる老婆は譫言のように「申し訳ございません」と口にするばかり。

 

「もう良いよ、父さん」

「奏斗……」

 

 そんな場面を見て俺は最早どうでも良くなったかのように、ふたりを制止した。

 

「責めたって、もう……どうにもならないんだから……」

 

 ふたりが老婆を責め立てる様は見ていて良いものでは無かった。

 なによりもう俺の脚は動かない。このババアを殺して治るのであればいいがそうではない。

 文句なんて言っても全部無駄なんだ。

 

 

 その日以来、時間の経過というものが俺にはなくなった。

 母さんに学校まで送ってもらい、テキトーに授業をして……部活には行っていなかった。脚が動かなくなってバスケが出来なくなった俺は監督と話し合い–––ほぼ決定事項だったが–––パソコン部に移動することになった。

 

「聞きました? 沙原のやつ事故ってバスケ出来なくなったらしいですよ」

「らしいな! いい気味だぜ全く!」

「調子乗ってるからバチが当たるんだよな」

 

 一度、ふらりと部活に顔を出しに行こうとした日に、体育館からそんか声が聞こえた。同級生と三年生か二年生がそんな事を話していた。

 俺はなんでそんな風に言われないといけないんだよ。

 

「……なんでだよ…………」

 

 俺が悪いことしたのか?

 そんな笑われるようなことをしたのか?

 なんなんだよお前らは……?

 

「お前たちなにサボってるんだ!! また外周行ってこい!!」

 

 ウゲぇ……と声を漏らす部活の面子から逃げるように俺はその場を離れた。

 逃げるように母さんが校門前に停めた車に乗って、言葉を交わすことなく帰宅する。

 事故によって変わったのはなにも学校生活だけではない。家庭環境だってそうだ。

 

「奏斗、今日の学校はどうだった?」

「……普通だよ、普通」

「そうか」

 

 俺のことを気にしてかけて父さんは仕事を早く切り上げるようになっていた。

 それ以上に父さんが変わってしまったことがある。

 

「父さん、バスケの試合……最近見に行ってないけどどうしたの?」

「あ、いや……あはは、土日も仕事で忙しくてな。そんな時間は中々取れないんだ」

「……そっか」

 

 曖昧に笑う父さんの分かりやすい嘘だった。

 俺が事故にあってから父さんはバスケに関するもの全てを捨てた。多分、バスケが出来なくなった俺に気を遣ってバスケにまつわるものを遠ざけたのだ。

 口にすることもなくなっていた。

 きっと俺は父さんのバスケへの熱すら奪ってしまったんだ。そう思うと辛い気持ちで一杯だった。

 母さんも口にはしないがそう思っていたに違いない。

 俺は張り裂けそうな想いを抱えながら、誰にも吐き出せない。学校にも家にも居場所を見出せなくなりつつあった。

 

「……」

 

 学校には居たくない。でも、家にも居ずらい。

 そうした結果、俺はひとりで外出することが増えた。別にどこか目的があるわけではない。ただの散歩で、夜の街をぶらついていた。

 真っ黒な空を見上げながら車椅子を漕ぐ。

 すると、とある場所が目についた。

 

「……最近、来てなかったな」

 

 そこは家の傍にあるこぢんまりとした広場だが、その横にひとつだけバスケットコートが作られている。

 小さい頃はここでもバスケをしていた。

 俺は無意識に車椅子を進め、広場の横を通り過ぎていく。バスケットコートの近くにまでやって来ると、なにかが弾む音と失敗に呻く声が聞こえてきた。

 

「もう一回!」

 

 コートを囲む金網の中で、一人の少女がバスケットボールを頭上で構える。そして、力いっぱい放った。

 ガコンとボールがリングに弾かれる音がした。

「やばっ」と不注意を示す言葉と同じ方向からやってきたのはオレンジ色のバスケットボール。弾む力が無くなると、バスケットコートの出入り口へコロコロと転がって、俺の車椅子にぶつかって来た。

 俺はバスケットボールを拾い上げた。

 

「……バスケットボール」

「すみません!」

 

 溌剌とした女性の声が飛んでくる。

 その声にハッと我に帰る。少しの間だが、気を取られてしまうほどボールを見つめていまっていたようだ。

 バスケットボールが転がってきたその声の持ち主も追いかけるように出て来る。

 

「あ……」

 

 駆け寄る女性はゆっくりと動きを鈍らせた。

 

「めちゃバスケが上手い子」

「はぁ……?」

 

 キョトンとした顔が俺に向けられている。買い揃えたばかりの綺麗なバスケットシューズを履いて両脚で地面を踏み締める女の子。

 俺はこの女子と知り合いではないし、相手も『バスケが上手かった人』って認識だから市民公園の体育館でやった試合を見ていたのかもしれない。

 

「あの、バスケットボール」

「そ、そうだね。ちょうだい」

「よっ。……やべ」

 

 俺はバスケットボールを片手を使って投げ渡した。そのボールはかなりの速度で飛んでいく。車椅子に乗った状態で投げるのは初めてだったので、勢いをつけすぎてしまった。

 

「おっとと……ありがと」

 

 しかし、女子はそのボールを易々と片手で受け止めてしまった。

 仮にも男の力で投げたというのに凄いなと関心しながらも、前ならもっと上手く渡せたのにと思う自分がいた。

 そんな自虐思考を脳の隅に追いやって、俺は女子を見る。彼女はコートの中に入り、フリースローラインに立って再びボールを構えた。

 

「もう一回……よっと、っ!」

 

 放ったボールは放物線を描いてリングへと吸い寄せられる。軽い金属音を鳴らしてボールがリングの中に入った。

 少女はグッと拳を握ってガッツポーズを決めた。

 

「キミってさ、たまに市民公園でバスケやってた子だよね」

「え? ああ……まあ、そうだな。部活の試合もあそこで開かれることが多いし」

「小森の生徒だよね。最近、見なかったから心配してたんだ。……本当に脚悪くしちゃっただなんて思いもしなかったけど」

 

 ゴールの下までボールを拾いに行った女子はとても残念そうな声で自身の意を伝えてくる。

 

「ねえ、バスケやりに来ないってことは、もう辞めちゃうの?」

「やめるもなにも、この脚だと出来ないだろ、無理なんだよ」

「そうかな? 脚が悪いだけ、だよね。まだ」

「っ……! その脚が……」

 

 重要なんだろうが。

 シュートを入れるためには腕の力だけではダメで、脚の力だって大切だ。相手の攻撃を止めるためには張り付くようにマークしないといけない。

 

「にゃはは言い方が悪かったね。じゃあさ、シュート打ってみてよ」

「は?」

「良いから良いから!」

「なんだお前……!?」

 

 車椅子を押される形で俺はコートの中に入れられ、先ほどまで女子が立っていたラインの前まで移動する。女子は「はい」と可愛らしくバスケットボールを目の前に突き出される。

 意図はわからないが、俺はそのボールを受け取った。

 

「ここから打てって……?」

「そうだよ。バスケの神に愛されてるんでしょ? なら決めてみせてよ」

「おま、なんでそのこと!」

「はやくぅ〜〜」

 

 俺を急かす少女は楽しそうに微笑んでいる。今か今かと俺のシュートを待つ屈託のない笑顔を見て、思わず顔を逸らした。

 彼女の笑顔に耐性のない俺は照れてしまったのだ。

 

「決めればいいんだよな」

 

 彼女を見ずに確認を取る。なんとなく頷かれた気がした。

 全くもって意味がわからない。しかし、俺は手に持ったボールの感触が久々で、懐かしくて、とても胸が高鳴っていたのは確かだった。

 

「ふぅ……」

 

 深呼吸をしてからボールを額の前で構えて––––放つ。いつもとは違う自分とリングとの高低差を考えて、ボールを軌道を想像した角度と威力で解き放ったシュート。

 それは大きな山を描いて、音を立てずにリングに真上から突き刺さった。

 

「……ああぁ」

 

 気持ちいい。

 あたりが静かな夜なのもあって、自分のシュートの正確さがよく分かる。夜風だけが吹く静寂を乱すことなく決まったシュートに彼女も「やっぱり綺麗」と惚けていたのをしっかりと覚えている。

 たった一発のシュートが入る。それだけで胸が躍った。

 少女は立ち上がってボールを取りに向かう。

 

「できたね、バスケ」

 

 彼女はそう言って俺にボールをパスしてきた。ふんわりと飛んでくるそれを両手を使って受け止めた。

 頭の中で今の少女の言葉が反芻する。

 

「……バスケが出来た」

 

 自分の口でも呟く。

 

「うん、出来た。これでも無理って言える?」

「……バスケはできる」

 

 けれども、それだけじゃ俺にとってはマイナスのまま。彼女は俺の後ろ向きな答えに寄り添うように俺の横に腰を下ろした。

 

「キミ何歳?」

「は? ……17、だけど」

「わっかあ〜い!」

「アンタと大差ないと–––」

 

 俺が文句を言おうとした時、笑いながらシッと声を止めさせるジェスチャーをする。女相手に年齢を聞くな、とでも言いたいのだろうか。

 その女は会話の主導権を奪ったまま名乗りだす。

 

「エマ」

「え」

止岐花(トキハ)エマ、私の名前。それでキミは沙原–––名前なんだっけ?」

「……奏斗、奏でるに(マス)って書くやつ」

 

 なるほど、と彼女は大仰に相槌を打った。

 

「奏斗くん。あんまりこの街に慣れてないでしょ」

「は? 生まれてからこのかたずっと小森暮らしだが?」

「と、言う割にはあんまりこの街を見てないよね」

「……?」

 

 彼女の物言いに俺が首を傾げるのは自然だろう。結局、何を言いたいのか分からないのだから。

 

「この街の夜にはキミにとって、ハッピーなことがあるみたいだよ」

 

 どこからか取り出した紙を差し出した。そこに書かれていたのは、俺にとっての大きな希望になったんだ。

 

 

 

 

「それで車椅子バスケのクラブに入った訳か」

「ああ。父さんと母さんにそのことを相談したら久しぶりに笑ってくれたよ。競技用の車椅子も知らないうちに買ってくれてさ」

「愛されてるんだな」

「俺もそう思うよ」

 

 だからこそ、エマには感謝してる。

 エマと出会ってなければ俺は好きなバスケを続けることもなかったし、今も辺りが色褪せたものに見えていたに違いない。

 エマのおかげで今がある。かけがえのない大切なものを取り戻せた。

 いや、それ以上かもしれない。

 

「その日から俺はエマとよく会うようになったんだ。体育館で一緒にバスケをしたり、暇な時には一緒に食べ歩いたりもしたな……本当にあの時は楽しかった。

 突然手を握ってきたりしてからかってりしてきて、俺が照れると面白そうに笑ったりさ。最初は変な奴だなって思ってたけど、会うたびに幸せになるんだ。少しでも話ができたら、ちょっとでも笑顔が見れたら、嬉しかった」

 

 エマから声をかけてくることが多かったけど、連絡先を交換して俺からも話しかけられるようになると自分から誘うことも自然と増えていた。

 初めてメッセージを送ろうと思った時、どんな言葉がいいかどんな雰囲気がいいかなど苦戦した記憶がある。

 けれども––––そう口にするより早く、吼月が「なるほど」と頷いた。

 

「お前が毎日バスケをしてた理由が分かった気がするよ。……ずっと、待ってたんだな」

 

 それを正解としていいのか、俺自身には分からなかった。

 突然現れなくなったエマのことを考えると芽生えてしまう寂しさを紛らわせるために好きなバスケをしていたのか、それともバスケという繋がりを感じていたがために毎日あの場に通っていたのか。

 できれば後者であって欲しい。

 

「なあ、ひとついいか?」

「聞くだけ聞く」

「今でもエマのことは好きか?」

「……うん」

 

 遅れた答えは俺に迷いがあることを示していた。俺の反応を見た吼月は一呼吸置いてから「怖いのか?」と尋ねてきた。

 怖いのか、と訊かれれば間違いなく。

 

「怖いに決まってるだろ」

 

 思い返せばハッキリと昨日のことが瞼の裏に蘇る。

 吸血鬼と目を合わせた途端に薄れゆく自我のことも。楽しそうに人の血を啜ろうとする瞬間も。容易く吸血鬼(ヒト)の腕を切り飛ばせる埒外の力も。血すら流れない人の像をとった別の何かであることも、見たままを思い出せる。

 忘れたくても忘れられない現実。

 

 なによりも、俺が嫌だったのは。

 

「なあ、今度は俺から訊かせてくれよ」

「なんだ」

「お前さは、いつから吸血鬼と一緒に居るんだ?」

「先月の終わりだ」

「けっこう日が経ってんな……ははっ」

 

 だからこそ俺はコイツの考えてることが分からない。

 昨日はあれほど声を荒げていたというのに。

 

––––なんで、お前は平然として居られるんだよ。

 

 さっきまで一瞬たりとも俺から目を逸さなかった吼月が視線を彷徨わせた。

 胸の内に留めておくだけのつもりだった言葉が堪らず溢れていた。

 

「なんでお前あんな奴らと一緒に居られるんだよ!人間なんて簡単に殺したりできるような化け物だぞ!?やろうと思えばそうだお前のヤバい吸血鬼みたいに腕や首を飛ばしてくるかもしれない!!あんな化け物とお前一緒にいるんだろ?怖くないのかよッッ!!アイツらについて調べてるって縁を切るためか!?なあ、昨日の夜、お前俺を追いかけに来なかったよな。なにがあったんだ?お前もなにかされたんじゃないか!?」

 

 怒鳴りつけるように捲し立てる。自覚するともうそこからは流れ出すだけで、押し留めていた感情が決壊したダムのように心の声が止まらない。

 感じたことのない恐怖で胸が締め付けられる。

 

「昨日言ってたよな『どうする』って……あんな奴らが吸血鬼になれって言ってきたら成るしかないだろ。怖えよ」

 

 俺は吸血鬼が恐ろしくて溜まらない。

 こんなこと、吼月にぶち撒けても仕方ないっていうのに。

 しかし、吼月は俺と顔をしっかり見つめて恐怖を受け止める。

 

「怖いよな、あんな力。当然だよ」

 

 目を伏せて呟く吼月は唇をかみしめていた。

 

「……それに価値観が違う」

 

 俺はアイツらがどうして俺を殺しに来なきゃいけないのか全くわからない。

 吸血鬼の平穏のため?

 俺が吸血鬼になにかしたのか?

 ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな。

 

「なんで俺がアイツらのために怖い想いしなきゃならねえんだよ!」

 

 本当に、この世の中は理不尽だ。

 再び痛感した事実に心を抉られた時、

 

「今のアイツらは怖い」

 

 俺の思いを肯定した上で吼月は、でも、と紡ぐ。

 

「沙原が怖いのは本当にそれだけか?」

「……」

「たとえ相手が吸血鬼だったとしても、お前にしてくれたことは変わらない。しかし、内包する意味合いが変われば……見方も変わる」

 

 ゆっくりと語りだす吼月を見て息を呑む。

 

「沙原が本当に怖いのは、漠然とした親切でエマが自分に接してくれていたのではなく、自分を餌として見ていたかもしれないこと、じゃないか?」

「……もし、エマが餌か眷属にするために俺と接していたならアイツは相当悪趣味だよ。お前には分からないだろうけど、絶望を味わってそこからすぐあげられたと思ったらまた落とされるんだからさ」

 

 俺は妬みも込めて吼月を肯定する。

 

「なあ、教えてくれよ。なんでお前は当たり前のように吸血鬼と居られるんだよ。なんで、あんなのを見せられて嬉しそうだったんだよ」

 

 お前だって–––

 

「お前だって、アイツらのモノなんだろ?」

「俺はハツカのものだよ」

 

 瞬きもさせない内に吼月は言い切った。

 怖さなど微塵も感じていないようだ。

 

「でも、アンタと俺は違う。吸血鬼を見ようとした時間が違う、それは俺にも言えることで俺はエマについて全く知らない。だからこそ、俺に分かることがある」

 

 俺の前に屈んで、顔を合わせる。それは昨日の吸血鬼を思わせる構図で、思わず後ろへ下がってしまう。

 吼月はさせまいと俺の手を握ってきた。

 

「沙原はエマを好きだと言える答えを持ってるよ」

 

 俺を労るように、出来る限り優しい声色で吼月はそう言った。

 

「……」

「きっと色々ありすぎて見て見ぬふりをしているだけだ」

 

 俺が見ようとしていないこと。

 

「それじゃあ、俺はこれで」

「お、おい……」

「さっさと認めろよ。なんでエマが血を吸わなかったのか」

 

 それだけ言い残して、軽く手を振って吼月は教室から立ち去った。

 

 

 

 

「東根先生。ありがとうございました」

「沙原くんに何かあったらまた会いに行ってあげてくれ」

「はい。それでは」

 

 沙原と別れた後、俺はパソコン部の部室で東根に頭を下げてから学校を出た。

 校門を通り抜けて人間が通らなさそうな小道に入った直後から心が脱力を求め、俺の思考はそれに従う。

 こんな所なら誰も来やしないだろう。

 俺は外気に晒されてひんやりとしたコンクリートの塀に背中を預けた。力を抜いた瞬間、たまらずため息を吐いた。

 沙原と話し終わってから俺の中にはモヤモヤが生まれていた。

 

「化け物」

 

 思わず抱えた頭の中では沙原の言葉が反芻し、それが心にモヤを作り出していた。

 沙原の言い分は正しい。

 俺からして見ればあの時は助けられたという温かい想いが湧くが、側から見れば常識はずれの力を持った生き物。そんな者たちが従わなければ自分を殺すと言ってくるのだ。怖くて当然だろう。

 吸血鬼としてのルールを守らせたいハツカからしたら、釘を刺すような目的もあったのだろうか。

 彼からは何も言われない。肯定も、否定も。

 

「何か言ってくれよ。そしたらぶっ潰すだけなのに」

 

 俺とハツカの立場が逆で、俺がハツカの血が吸えたらアイツの気持ちが分かるのだろうけど……。

 それは叶わないことで。

 とてももどかしかった。

 

「一度、帰ろう」

 

 風呂に入って飯を食べたらこの染みついたモヤは晴れているだろうか。

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