よふかしのあじ   作:フェイクライター

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 17巻、今週発売ですね!
 マヒルくんが木刀持ってる表紙だったから、ちゃんと渡せたのかな?


第四十一夜「入れ知恵」

 寝静まっている父さんと母さんを起こさないよう玄関の引き戸を開けて外に出た。後付け用のスロープを使って目の前の階段を苦もなく降りていく。

 

「……バレてないな」

 

 安堵のため息を吐く。ここで呼び止められたらどう言い訳をしようか困るので見つからなくて良かった。

 

 一度スマホの時間を確認して–––5時20分–––これなら約束通りに着く。

 

 昨日、エマから連絡があった。

 吼月に相談して後だったとはいえ、目を疑うほど驚いた。俺から連絡することはあっても、彼女から来るとは思ってもみなかったから。

 そして『広場へ5時25分ちょうどに来てください』と書かれていた。

 

 広場へ向かって車椅子を漕いでいくと、アスファルトの小さな段差が車椅子を小刻みに揺らしていく。目の前には空を遮る建物はなく、地平線が闇なのか光なのか曖昧な光景を見せてくれる。

 黄色から赤へ。赤から青へ。青から藍色へ。そして黒へ。グラデーションがかかった空はとても不思議で心を刺激する。

 その景色だけが脳に残るだけで、久しぶりにエマとマトモに会えると考えていると気づいた時には広場にいた。滑り台やジャングルジムといった数少ない遊具が鎮座しているだけの寂れた場所を横切ると、金網の向こうにひとりの女性が立っていた。

 間違いない、エマだ。

 バスケットコートの中央に立つ彼女はこちらに背を向けて、その表情はまだ見えない。

 少し怯えながら震えた声で彼女の名前を呼んだ。

 

「……おはよう、エマ」

 

 コートに入るとエマも俺に気が付き、くるりと身体をこちらに向けた。

 

「おはよう、奏斗くん」

 

 快活で嬉しげな返事を投げかけてくるが、いつもより影を感じる。

 俺たちは近づいて、あと数歩だけ進めば相手に触れられる距離になる。声をかければ確実に聞こえるけれども、口をまごつせて切り出せずにいる。

 話を聞きたいと決心したは良いけれど、いざ聞くぞ!となると緊張する。

 

「ごめんなさい」

 

 沈黙を先に裂いたのはエマだ。深く頭を下げる。

 

「いろいろ怖い思いさせたよね」

「……ああ、それはもう」

 

 岡止に連れ去られそうになったのも、蘿蔔と呼ばれる吸血鬼が同じ吸血鬼である午鳥の腕を切り裂いた時も当然怖かった。切断された腕が宙を待って橋に落ちる光景は夢にまで出てきた。

 それにエマから殺気を浴びせられながら首を噛みつかれかけたときも、それなりに怖かった。

 愚痴を話すように、この身に感じた恐怖を語るとエマはもう一度「ごめんなさい」と頭を下げた。

 

「だったら、俺の聞きたいことに……ちゃんと答えてくれるよね?」

「うん、答える」

 

 心が落ち着かせるように周囲の冷たい空気を吸い込んで、一思いに吐き出してから尋ねた。

 

「エマは俺を吸血鬼にするために一緒に居てくれたの?」

 

 俺が一番知りたかったこと。

 首を左右に振ってエマは否定した。

 

「違うよ。きっと出会ってすぐの頃はそんな感情も少なからずあったんだと思うけど、それよりも大きなモノがあったから」

「それってどんな?」

「ラインで最初の頃に送ったメッセージ覚えてる?」

「えっと、確か……『ギラギラしててカッコよかった』だったかな。なんか独特な表現だったから記憶に残ってる」

「……独特」

 

 というのは半分本当で、半分方便だ。

 ラインを交換してすぐのことであり、俺が初めて車椅子バスケの公式試合に出た時のことでもある。けれども、エマが見ている前での試合だったので余計に印象に残っていた。それが本当のことである。

 

「初めて会った時、アタシ、バスケしてたじゃない?」

「そうだな」

「きっかけは奏斗くんだったんだ。去年の夏の頃、市民公園の体育館で奏斗くん試合してたじゃん。友達に誘われてアタシもその場にいてさ、観てたんだよね」

 

 エマは出会う前から俺のことを知っている様子をみせていたので腑に落ちる。

 

「その時の奏斗くんのシュートがカッコよかったから、興味が出て練習してたんだ」

 

 このバスケットコートを教えてくれたのもその友達らしい。エマもそうだが、吸血鬼の中にもバスケを楽しむ者がいるのはなんとなく嬉しかった。

 

「そこから暫くして奏斗くんと出会って、バスケしたり遊んだり、時々トレーニング手伝ったりして……人間と友達みたいな関係って初めてだな〜楽しいな〜って思って過ごしてた時に、夢の話してくれたじゃん。バスケ選手になりたいって」

 

 俺の夢についてはエマにも話していた。

 だからエマがその夢を壊すために仕掛けた罠かもしれないと最悪の想像をしてしまったのだ。

 

「それで気付いたんだ。奏斗くんがバスケに真摯に取り組めるのも、ギラギラしてるのも夢のおかげなんだなって。……アタシは夢とか見たことなかったから、余計に感じちゃってね。

 だから、このあいだも……吸血できなかった」

 

 しかし、そんなものは杞憂だったんだ。俺は吸血されそうになったときに殺気を感じたが、それはエマが吸血すれば俺の夢を壊すことになるのを自覚していたからだ。

 今度はエマが大きく息を吸って俺を見据える。

 

「私はまだ奏斗くんに夢を追っていて欲しい」

 

 その声は一言一句ハッキリと言い間違えることも、聞き間違えることもない真っ直ぐなものだった。エマの意思が面と向かって俺に投げ渡されているのが分かる。

 エマは俺に『吸血鬼になって欲しくない』のだ。

 

「アタシの言葉、信じてくれる?」

「うん、信じるよ」

 

 迷うことなく俺も返事をする。まるで答えが間違いじゃないと心の全てで理解しているかのようだった。

 もし理由があるとすれば、好きだから肯定できるのかもしれない。

 途端に身体中の力が抜け始める。

 

「はあぁ〜……疲れた」

「だ、大丈夫?」

「いや、肩の荷が降りるってのを実感してるわ。エマが性悪女じゃなくて本当に良かった」

「……念の為聞きたいんだけど、どんな想像してたの?」

「俺の夢を壊して不幸を楽しむクソ女」

「酷くない!? いや、まぁ……状況が状況だから否定できないけどさぁ……!!」

「だったら、なんで本当のことを言ってくれなかったんだよ」

 

 エマはどう答えたものかと悩みながら数秒ほど唸ったあと小声で呟いた。

 

「だって信じてもらえないと思ったから……」

「え?」

「吸血鬼って急に言われても信じないでしょ。昼間にも会ってるわけだし」

「でもエマが言うならそうなんだろ? 漫画ならよくある設定な気がするけど」

「そう、なの……? その辺りは詳しくないから」

「なら今度面白いの教えるよ!」

 

 そこから俺たちは取り留めのない話を交わし出す。

 

 昼間に会いに来てた時は辛くなかったのか?

 ––––辛かったけど、服で対策したり余りの血を飲んだりして耐えてた。

 この一ヶ月間どうしてたの?

 ––––ずっとお互いのことを考えてた。

 ここに来るまで嫌じゃなかった?

 ––––嫌われてるだろうと思うと凄く苦しかった。

 

 一ヶ月間の空白を取り戻すように俺たちは喋り続けた。ただ互いの気持ちを確かめているだけでもとても楽しかった。あれだけ疑っていたのにも関わらず、こうして話してみるとすんなりと真実として受け止められている。

 

「……気になることがあるんだけど聞いていい?」

「いいよ」

「岡止って吸血鬼とはどんな関係なの? 幼馴染って言ってたけど」

「えっとね、士季くんはね……」

 

 士季くん。

 ムカつくなぁ〜……。

 

「私の親吸血鬼、なの」

「……ふむ。……?」

 

 一度飲み込もうとしたものが喉につっかえるように、理解を阻む感情があった。

 人間が吸血鬼になるには、吸血鬼に恋心を抱いた状態で血を吸われる必要がある。そして、岡止がエマの親吸血鬼ということは、

 

「え!? エマの初恋の相手なの!?」

「初恋といえば初恋だけど、多分奏斗くんが想像してるのとは違うと思うよ」

 

 言いにくそうに頬を掻く。

 

「人間だった頃、アタシ、病院に居たんだ」

「え?」

「確か免疫疾患だったと思う。最初は風邪だと思ってみんな軽く見てたけど、次第に目も見えなくなるし、体も動かなくなるしで……入院して、時間経って、お医者さんからもう治療できませんって診断されててね。

 お母さんもお父さんも入院し始めた頃は見舞いにも来てくれたんだけど、治らないってわかった途端来なくなってね。でも、士季くんは欠かさず来て手を握ってくれてね……縋れる相手が彼だけだったから、いつしか––––っていうのが正解だと思う」

 

 吸血鬼になると人間だった頃の記憶は次第に薄れていくと彼女は言うが、中々この頃のことは忘れられず、朧げだが覚えていた。今でもあまりベッドで横になるのが好きではないらしい。

 本人曰くショートスリーパーだから、長く寝る理由もないとのこと。

 

「ある時、突然目が見えるようになって体も動くようになって、そばには士季くんが居た。何がなんだか分からなかったんだけど……彼からは『エマは吸血鬼になった。病気も治ったよ』って言われてね。

 説明は受けたけど、最初はよく分からなかった。吸血鬼って薬品でもあるのかな、とも思った。でも少し昔通りに生きてみたら、陽の光は痛いし辛いし、士季くんから渡された血を飲んだらすごく美味しかった。

 そこで初めて、アタシ吸血鬼になったんだな〜って自覚したよ」

 

 エマの話を聞いていると吸血鬼ってなんなんだろうと考えてしまう。

 陽の光が痛くなるってどんな感覚なんだろう?

 血が美味しいってどんな味なんだろう?

 なんで吸血鬼を知ったら人間は眷属にならなくちゃいけないんだろう?

 湧いてくる疑問は尽きない。知りたいと思った。

 

「突然吸血鬼にされて嫌じゃなかったのか? 家族にも会えなくなるんだろ?」

 

 その中でいま一番聴きたかったことを訊ねた。

 

「家族はもうアタシが居ないとして生活してたし別にいいかな。そこら辺ももう朧げだけど。少なくとも恨むなんてことはなかったよ」

「……」

「だって、人間だったら見れなかった物が沢山見れるようになったんだから、恨むはずがないよ」

 

 すごくにこやかに笑ってみせる彼女はまだ登らない朝日よりずっと輝いている。

 

「士季くんには恩がある。だからアタシは吸血鬼の自警団にも入ってる」

「……岡止から聞いたよ」

「本心からは奏斗くんには夢を追い続けて欲しいと思ってる。けれども、アタシの立場からはキミには吸血鬼になって貰わなくちゃいけない」

 

 エマの身を案じるなら吸血鬼になった方がいいと俺は思う。

 

「奏斗くんはどうしたい? 人間として夢を追うか、吸血鬼になって私たちとずっと一緒にいるか」

「俺は––––」

 

 だけど、それはまだ早いとも思った。

 人間のまま吸血鬼と一緒にいる術があるかもしれない。

 

「俺は人間のままがいい。エマの本心が望んでることで俺が目指してる夢だから」

「そっか。なら、仕方ないね」

 

 頷くエマの顔は歪だった。

 目元は自分を助けてくれた親とも呼べる存在を裏切らなければならない辛さ、あるいは、俺を吸血鬼にしようとする悲しみで陰ができている。その一方、口元は俺が夢を追いかけたいと宣言したことが嬉しいのか笑みを湛えている。

 

「吸血鬼のままバスケ選手になれたりする?」

「無理だよ。大会に出ようとして、バレかけてシメられた吸血鬼が何人かいるし」

「前例があったのか……」

「力をひけらかしたいだけの吸血鬼もいるしね。それを糺すための自警団だし。……よし、覚悟決めますか」

 

 彼女の目元の陰が消えた。

 顔を上げ、目線をより高くした。

 

「ねえ、どこかで聞いてるんでしょ? 士季くん!」

 

 声を張り上げれば、その返事かのようにコツと足音が鳴る。

 俺の背後からだ。

 車椅子を動かして後ろを見てみれば、エマの親吸血鬼である岡止士季の姿がそこにあった。

 彼だけではない、午鳥萩凛と呼ばれていた女性ともうひとり見たことのない眼鏡をかけた男性が居た。

 

「何のつもりだ、エマ」

 

 

 

 宙から士季くんと午鳥さん、それにメガネをかけた男性–––白山(しらやま) 和樹(かずき)さんがやってきた。

 3人から奏斗くんを守るように間に立つ。

 

「お前も自警団ならやるべきことは分かっているはずだ。吸血鬼の存在を知った人間は我々の脅威になりかねない。眷属にするか、殺す。その二択でやってきた。

 なにより今の沙原くんはお前の人間の頃の話を聞いてしまった。もし、これが吸血鬼殺しにでもバレれば取り返しのつかないことになる」

 

 吸血鬼にとって人間の頃の話は弱点に繋がるタブー。無意識下で話さないようにしてしまうぐらいには。

 

「そうだね。でも、ちゃんと応えたかったから」

「……エマ」

 

 士季くんは失望よりも私のことを心配してくれている。

 覚悟を決めたつもりでいたけれど、その優しさが胸を強く締め付けて、今でも沙原くんの血を吸って楽になりたいと考えてしまう私も居る。

 

「それに沙原くんはそんなことしないよ」

 

 だけども、引くわけにはいかない。今まで奏斗くんと触れ合ってきた私が士季くんの憂いを否定する。

 そしてアタシは短く息をして、思考を整える。

 

 –––––昨日のメッセージのやり取りを思い出す。

 無視を続けてきたアタシに奏斗くんからメッセージが届くことはなく、縋るようにラインを送った。

 

『キミならなんとかできるの?』

 

 送り先は吼月ショウと名乗った少年だった。

 吸血鬼の友達に相談しようにも、自警団という立場と吸血鬼の中にある掟によって結論ありきの会話になってしまう。吸血鬼になってから多くの人間の男に言い寄られるようになったが、相談できるような人間はいない。

 そんな私が本音をぶちまけられる相手は吼月くん以外居なかったから。

 

 キミたちが望むなら俺は力を貸す、という言葉に微かな希望を持っていたのも事実だ。

 

 甘言だの、奏斗くんが唆されていないかと心配しておきながら、自分で頼っているのだから情けない。

 少し待つと返信が来た。

 

『できるぞ』

 

 端的で明快な答えだった。

 自分で尋ねておいて悪いとは思うのだが、どうしてそこまで自信を持てるのだろうか。まるで正解までの道筋が書かれた地図を見ているかのようだ。

 

『止季花はどちらか片方だけを選びたくないんだろ? その願いは正しいよ』

「……っ」

『その願いを叶えるための準備は進めてる。あとはお前たちふたりが面と向かって想いを告げて、応えるだけだ』

 

 続くメッセージが胸に突き刺さる。肯定された安堵を自覚すればより深くへ言葉が食い込む。

 

『沙原は腹を括ってる。岡止を説得する手段も見つけてる』

『そんなものがあるの?』

『あるぞ』

 

 また短い文で返してくる。

 どんなものかと彼に問う。

 

『生きてる存在を理解するには時間がいる。なら、作ってやればいい。沙原が止岐花に恋した時間、止岐花が沙原を信頼するに至った時間。【一年分】と同等のものを岡止たちに示すために。

 俺たちと同じ、友達にまで堕ちてこい』

「……ぁぁ、そうだ。……そうだね」

 

 強調された一年という月日の流れ。

 吸血鬼である自分がこんな大事なことを失念していたなんて、思わず笑いが込み上げてきそうだ。

 つまり、スマホ越しの少年はこう告げているのだ。

 吸血鬼たちを落とせ、と。

 士季くんたちを信頼させて、奏斗くんを人間のまま居させるために。

 

『だから、会いにいけ。傷つけたくないなら自分の手で守れ。臆するな。沙原はキミが思うよりもずっとキミのことが好きだ』

 

 そのためには、時間を作る!!

 

「親不孝だけど、やりたいことをやらせてもらうよ」

「そうか。なら……どけ!」

 

 蹴った地面が抉れるほどの力で士季くんはアタシに飛びかかった。爪を鋭く伸ばした手を視認すれば、怪我を負うことを想像させる。

 腕が斬り落とされても平気なぐらいには吸血鬼は痛みに対して人間より鈍感だ。

 けれどちゃんと痛みはあるし、それを味わうのは嫌いなんだ。

 治りはするけど痛いんだから。

 透過してしまえば怪我をしなくて済むけれど、アタシの身体を突き抜けた手は奏斗くんに届いてしまう。

 これからのことを考えれば傷は負いたくないし、奏斗くんに傷を負わせたくない。

 ならば、どうするか––––こんな世界は忘れさせてもらおう。

 

「吼月くん!!」

 

 アタシがそう叫ぶと金網がガシャン!と音を立てるのと、士季くんが身体をくの字に折って吹き飛ぶのは同時だった。

 目の前には既に少年が立っていた。

 風で黒髪を靡かせる吼月ショウの姿がそこにあった。

 彼の拳を士季くんは寸前のところで両腕をクロスさせて防いだ。足を地に突き刺して音を立てながら勢いを殺した。コートの中央からコートラインの外まで続く深く抉られた痕が彼の拳の凄まじさを物語る。

 

「……なんだ?」

 

 士季くんは赤く腫れた腕を見る。そのアザはすぐに治癒していくが、それでも驚愕の事実であることには違いない。攻撃を受けた本人だけではなく、午鳥さんと白山さんも理解できていない様子だ。

 かくいうアタシも戸惑っている。

 

––––人間が吸血鬼を殴り飛ばした……?

 

 士季くんの想定の外から殴りつけたから透過を使うことができなかったのも判る。

 けど、吹っ飛ばせるか普通……?

 彼からは吸血鬼の気配なんてしないのに。

 

「さて、ゲームを始めようか」

 

 不敵に笑う彼から目線が送られ、アタシは相槌を打つことでその疑問を振り払う。

 

「行くよ! 奏斗くん!!」

「え? お、おう!!」

 

 奏斗くんのもとへ駆け出して、彼を抱きかかえる。

 ガタッと車椅子が激しく揺れる音がした。

 

「––––いや、たっか!?!?」

 

 振り返り見下ろしてみれば、既に地上から十数メートルは飛び上がっていた。広場には呆然としている士季くんたちの姿があった。

 

「え? なに? どういうこと!?」

「吼月くんが言ってたでしょ? ゲームだよ」

 

 アタシは近くにある電柱の上に立つ。

 

「追いかけるぞ!!」

「ちょっと待てよ」

 

 士季くんが命令を出して跳び立とうとするのを吼月くんが襟元を掴んで阻止する。成人男性分の質量が金網に激突し、大きな音を立て揺れる。

 

「––––吼月ッ! お前!」

「ルール説明がまだだろ? 話ぐらい聞いてけよ」

「訊いてる場合か!」

「おっと」

 

 士季くんが鋭い爪を振り上げるようにして反撃の一手を繰り出す。それを上半身を逸らして躱し、手を離して距離を作る。

 ふらりの身を引いた吼月くんに士季くんが吠える。

 私たちを見つめる他の2人の吸血鬼の視線も厳しくなる。

 

「これもお前の入れ知恵か」

「正解だ」

「ごめんね、士季くん。これだけは譲れないの」

 

 広場に設けられた時計台が指し示す時刻は5時40分。昨日の日の出の時刻が50分だったから……。

 

「日の出まであと10分。ちょうど1クォーター分。それまでアタシたちが士季くんたちから逃げきったら話を聞いて欲しい。もし捕まったら奏斗くんを吸血鬼にする。奏斗くん。付き合ってもらうよ」

 

 両腕に抱えた奏斗くんに目をやると、彼も私を見つめて相槌を打ってくれた。

 

「そんな勝手なゲームに乗るわけないだろ」

「いいや、乗ってもらう。そのために俺がいる」

「ふざけるな!」

 

 怒りに身を任せて士季くんが拳を握り、吼月くんに迫った。

 不味い–––と思わず二人の間に身を投げ出しそうになるが、攻撃が届く直前、吼月くんがアタシを見た。俺が負けるはずがないだろ? と不遜で絶対的な自信に満ちていた。

 少年は早く行けと促している。

 だから、アタシは広場に背を向けて空に舞い上がった。

 

「え、エマっ!! 吼月は大丈夫なのか!?」

「分かんない! でも、今は吼月くんの作戦通りに行ってる!!」

 

 チラリと後ろに目をやるも、コートで何が起きたのかはもう分からない。その代わりにアタシたちを追う人影が見えた。

 恐らく午鳥さんだ。士季くんの頭に血が昇っていることを察して、先んじて命令を出していたのだろう。

 

「もうやるしかない!! アタシも奏斗くんには人間で居てほしい!!」

「……エマ」

「だから、街の外まで逃げるよ!」

 

 人目につくのを避けながら、アタシたちは鬼ごっこを始める。

 

 

 見上げれば夜を示す星々の明かりが徐々に失われ始めていた。それは僕たち吸血鬼にとっては鎮まる時を知らせる合図。

 しかし、遠眼鏡越しに街を見下ろせば、分かれて動くふたつの集団がいる。

 ひとつは、エマちゃんと沙原くんたち。その後を数人の吸血鬼たちが人間達の眼に気を配りながら動いている。エマちゃんも同じで、派手に動けば追っ手を刺激して本当に殺されかねない。

 幸い、まだ朝早いこともあって人間の数は少ない。……いや、少ない道を通っている。

 もうひとつは吼月くんと士季くんたちだ。

 彼らは戦いながら場所を代えて、近くの雑居ビル–––七草さんが住んでいるような使われていないビル–––に入っていく。何度も士季くんたちがエマちゃんの追跡に向かおうとしていたが、その悉くを吼月くんに邪魔されていた。

 今もちょうどそうだ。

 

「白山! キミは先にエマを追え!」

「分かりました!!–––グッ!?」

「そう簡単に行かせるわけないよね」

 

 彼らの口を読み解けば、内容はザッとこんなものだ。

 白山くんが跳び立とうとすれば、踏み込み足を吼月くんに押さえつけられ、その流れで腹部に膝蹴りを叩き込まれる。

 鳩尾に一発もらった白山くんはよろめきながら後退る。

 容易く攻撃を受けてしまうのは、人間相手だから手加減しているのだろう。それに加えて、太陽が顔を出そうとしているから吸血鬼の力が弱体化しているのかもしれない。

 だとしても––––

 

「……何を考えているんだ。ショウくん」

 

 それ以上に読めないのは彼の目的。

 初めは蘿蔔ハツカ()が彼を吸血する映像が納められたデータを使って、士季くんたちと交渉するのだと考えていた。しかし、彼と交わした電話でのやり取りでそうではないと悟った。

 彼が思い描いている結末は想像できている。ただ、それをこんな荒事で求める理由が分からなかった。過程が大事とする主張を違えていないのなら、この暴挙にも意味があると思うが、考えすぎだろうか?

 子供だからと油断していっぱい食わされたことがある以上、警戒するに越したことはない。

 

「今は踊らされてあげる」

 

 なぜか口元が弛んだ。

 その時、ブワッと風が吹いて長い髪が攫われる。太陽から身を守る日傘をさして、風に押されるようにビルから身を投げる形で落ちていく。

 僕はエマちゃんたちを俯瞰しながら見つめ続ける。

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