よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第四十四夜「穴だらけ」

 崩れていく粉々の瓦礫の中で岡止士季()に魔の手が伸びる。

 酷く澄んだ冷たい葡萄(えび)色の瞳が俺を見つめる。

 人間に戻ったと勘違いして躊躇ってしまった。心が全く見えないこの怪物のような子供相手を殺さなかった。

 そして今、吸血鬼に化けた少年に俺はやられかけて。

 

「決着だ」

 

 胸ぐらを掴まれて––––このままでは午鳥たちと同じように動けなくなりエマを止めにいけなくなる。

 もしそうなったら、沙原くんが人間のまま居られるよう言ってくるだろう。

 アイツが勝手に言っているルールなんて無視してやればいい。

 けれども、それでは然りが残ってしまう。心の中にある不満が爆発してまた同じようなことをされては困るし、それこそエマを傷つけることになる。更にもし沙原くんの足取りから探偵に見つかり、エマが殺されてしまうかもしれない。

 一番全体へのダメージが少なくなるであろう沙原くんの吸血鬼化こそが取るべき答えだ。

 だから、ここでやられるわけにはいかない––––その手が俺の中へとすり抜けて、弾けた。

 

 ビキッ

 

 スリ抜けは本来、慎重に使わなければならない力。

 もし、通り抜けようとする物体の中で透過が解除されれば、本来そこにあるはずのない物体と重なり合い、互いに粉砕される。

 

 気づいた時には、交わっていた視線が多量の血がカーテンのように覆い被さって完全に遮ってきた。

 

「あ」

 

 無意識下で行われた攻撃に俺は思わず声を漏らした。

 そして、吼月の表情もほんの瞬きの間ほどだが変化した。吸血鬼化した吼月が初めて見せた感情の揺れは、人らしい肝を潰された者のそれだった。

 すぐに叩きつけられる衝撃が身体を打つ。地面に打ち付けられた俺たちは一度跳ね上がって真逆の方向へ転がっていく。

 

「うっ……おぉ……!」

 

 幾度と天と底の光景が入れ替わり立ち替わりして、船酔いのような気持ち悪さが襲ってくる。身体を床に打ちつけてようやく止まったかと天井を見上げれば、先ほどまで戦っていた一室の床が見事なまでに消えている。見えるのは2階の天井だった。

 すぐさま立ち上がって自分の身体を見た。

 吼月の血で濡れた上半身。その中心、人間であれば心臓が位置する場所にぽっかりと穴が空いていて、覗けば向こう側までハッキリ見える。

 俺は吸血鬼だ–––吼月の血を浴びたことによってこの怪我も急速に回復している。

 

「完治っ……」

 

 偶然口の中に入った舌も喉も蕩けるような血の味に痛みは掻き消されていた。不謹慎にもそちらへ思考がブレかけた俺は頭を振って邪念を払う。

 すぐに顔を上げて吼月へ視線を移した。

 

「!?」

「グゥ、ぅぅ–––!!」

 

 そこには右の二の腕の半分から先がなくなり、痛みに悶えながら左手で残った腕を押さえた吼月がいた。腕の断面から漏れ出す血がどんどん広がり、吼月の身体が少し浸かるほどになっている。

 頬を地面に擦り付けるようにしているため、その表情は見ることはできないが、苦痛に満ちた声からどんな顔をしているかはハッキリしていた。

 

「う、腕かぁ……腕を落とすぅ、発想はなかったなぁ……」

 

 吸血鬼のような気配もする。人間の気配もする。なら、アイツにとってこの一撃は完治可能なのもなのだろうか。

 急激に膨れ上がっていた吸血鬼に似た気配も今は殆どなりを潜めていて、殆ど人間の気配だけという事実に呼吸が荒くなる。

 もしかしたら、吼月は俺たちと違って–––––

 

「お、おいッッ!!」

 

 俺の芯が罪悪感という恐怖に一気に染まり、駆け出そうとする。

 しかし、その足もすぐに止めた。

 

 血を取り込んだ影響だろう。

 とても強い感情が波濤のように押し寄せてきた。あるいは劇場のスクリーンに一枚一枚、過去の記録が映し出され、目に焼き付けられるような光景が広がる。

 俺はスクリーンを眺める中央の座席に座っていた。

 

『なぁ、吸血鬼がいるって言ったら信じるか?』

 

 映っているのは沙原くんだ。ベンチの横に位置取って、車椅子の肘掛けに腕を乗せている。

 沙原くんの問いに記憶の主は頷いた。

 

『お前はそのエマの事好きなの?』

 

 まず最初に映ったのは、頬を朱に染めながら目線を顔ごと動かしている沙原くんだ。場所を移して、いまは市民公園のベンチの辺りだろうか。

 

『はい……好きです』

『へえ。付き合えるなら?』

『付き合いたいです……』

 

 感じるのは不安と溢れるばかりの恋慕。

 そのシーンはすぐに次へと捲られる。

 聞こえてきたのは、内へ内へ抑え込まれた苛立ちが爆発した怒鳴り声。

 

『なんでお前あんな奴らと一緒に居られるんだよ!人間なんて簡単に殺したりできるような化け物だぞ!?やろうと思えばそうだお前のヤバい吸血鬼みたいに腕や首を飛ばしてくるかもしれない!!あんな化け物とお前一緒にいるんだろ?怖くないのかよッッ!!アイツらについて調べてるって縁を切るためか!?なあ、昨日の夜、お前俺を追いかけに来なかったよな。なにがあったんだ?お前もなにかされたんじゃないか!?』

 

–––それだけじゃない。

 

 不安は膨れ上がり恐怖へと変わる。

 

『さっさと認めろよ。なんでエマが血を吸わなかったのか』

 

 だとしても諦められない欲望が、言葉にできずとも目の前の青年の瞳には宿っている。吼月の問いかけに唇を噛み締める姿は、親としてとても嬉しかった。

 

『さっきから綺麗な言葉ばっかり並び立てて!』

 

 今度はどこかの民家が映し出され、目の前に座っているのはエマだった。吼月に焦燥を吐き出していた。

 

『自警団や奏斗くんへの想いがアンタなんかに分かるわけない!! ご立派な道徳だけでなんとかなるわけないよ!!』

 

 責任感から来る焦りに満ちた声に俺の胸がギュッと痛む。

 それから短い間、吼月の記憶や感情が断片的に流れ出す。殆どのここ数日の沙原くんやエマとの会話やラインでのやり取りを盗み見た。

 沙原くんがどれだけエマの事を想っているのか。

 エマがどんなに板挟みになって苦しんだのか。

 

「そうか、エマは……」

 

 今回のゲームの根底がなんなのか。だからといって簡単に容認できるものではないが、少しの映像だけでも確かに伝わってきた。

 

 しかし、何故だろうか。

 吼月の血から得たものであるはずなのに、アイツの意思は殆ど感じられない。まるで吼月という媒体を通してふたりの感情を見ているかのようだ。

 吼月には人の心が無いような強い違和感。この違和感が真実だとすれば、あの生気すら見えない綺麗すぎる瞳にも納得がいく。

 

 たった一度あるとすれば、午鳥から蘿蔔さんに助け出された時に沸いた想い。

 

 ボタッとなにかが落ちた音がして、視界に大きく映ったのは戦慄が全身を突き抜けて怯えた顔をした沙原くん。

 夜空を見上げれば蘿蔔さんの微笑み。

 その二つを見て、少年はこう想った。

 

 こんな状況なのに、吼月ショウ()はなんで喜ぼうとしている?

 いや喜んでいる?

 せめて、俺だけは沙原側に居なくちゃいけないのに。

 

 あの時、吼月は笑っていた。

 午鳥から血を吸われそうになったところを助け出されて、救われたことに喜んでいたはずだ。

 俺が感じているのは––––助けてくれてありがとう、我が救世主。

 

 

『ありがとう。……』

 

 

––––気が付かないでくれてありがとう、ハツカ。

 

 

 

 

 

「なぁ……」

 

 ブツリと二分割されたスクリーンの映像がブラックアウトした。火照るような熱さに胸を焼かれるような高揚感とともに強制的に現実へ帰還する。

 

「はぁ……聞かせて欲しいんだ……止岐花はそんなに大切か?」

「ッッ、俺の眷属だぞ。大事に決まってる」

「……そうだな。死んで……欲しくないから、吸血鬼にしたんだもんな。……初めから吸血鬼だったのか?」

「そんなわけあるか。たまたま、出会ったんだよ。その吸血鬼の手を借りて、エマのために恋をした」

「それはまぁ……ぅ……いい覚悟だことで……」

「喋ってる状態じゃないだろ!」

 

 息も絶え絶えに頬を床に擦り付けながら話す吼月にもう一度駆け出そとして考え直す。

 ここは腕を持って行った方がいい。辺りを見渡すと、吼月の右腕は俺の背後にある。もう一度吸血鬼になってもらえれば、腕だって治るはずだ。

 しかし、人間の気配もしていた吼月が、普通の吸血鬼と同じように治るのか分からない。

 先ほどの戦いでもただ身体が頑丈になっていただけかもしれない。

 それでも、と取りに向かおうとしたとき、交わった視線に足を押さえつけられる。

 

「おい」

「っ……」

 

 覗く葡萄色の片目は俺を従わせるだけの迫力があった。

 

「話し終えてからにしろよ。……血を浴びたし見た? 感じた? かもしれないが、俺、止岐花に『自警団への想いが分かるわけがない』って言われたんだ」

「ああ、見たよ」

「本当にその通りなんだ。俺さ、沙原への想いは感じたけど、自警団への想いってのサッパリなんだ。だから、教えて欲しい」

 

 そんな呑気に状態じゃないだろ、今のお前は。

 歯痒い気持ちを抱きながら吼月の話に付き合うことにした。

 

「恩返しだよ、多分」

「助けてくれたことのか?」

 

 俺はゆっくりと肯首した。

 ただひとつ、吸血鬼全体に、とだけ付け加えた。

 

「俺が自警団に入ってるって知ったエマはすぐに入団してきた。本心ではあまり気が進まなかったよ。ことによっては他の吸血鬼と戦うこともあるしな……でも、自分を助けてくれた人たちに、なにかしたかったんだろうから止められなかった。

 せめて、目の届く範囲にいて欲しかったから……入団させた」

 

 そこからはとんとん拍子で周りと馴染んだ。

 午鳥や白山ともすぐに仲良くなったし、手先が器用だったから物の修理なども買って出てくれた。頼まれ事もたくさん引き受けてくれた。

 

「凄いな、それは……」

「きっと人間だった頃の反動だろうな」

「家族に居ないもの扱いされてたことか?」

「そうだよ。エマの親も最低だからな」

「……死ぬって分かっていて子に会うのは辛いだろ。なら、確実に未来も生きれる妹に目を向けるのは……人間の弱さじゃ仕方ないと思うけど」

 

 俺はその仕方ないを否定する。

 

「いや、元々あの親どもは来てない。エマは中々忘れられないって言っていたけど、視界もなくて、音もない状態で本当のことを覚えられてるはずがない。ましてや、40年以上前の手の感触なんてマトモに覚えられてる方が嘘だろ。

 大半が俺とした昔話で……真実が()けた、いや暈したものだ……エマはちゃんと覚えてないんだよ」

 

 俺にも言えることで、エマよりは事実に近いが、その時見た通りではない。吸血鬼になって薄れ出す人間の頃の記憶を無理矢理補填しているのものだが、それでも【なんとなくこんなことがあった】と都合のいい解釈をしてしまうのが記憶だ。

 

「……なんで覚えてないって本当のことを言わなかったんだ」

「嘘だと思ってないんだよ。アイツは自分の過去も、俺も信じてるからな」

「なぜ、そんな簡単に信じられる?」

「お前も変なことを訊くな。疑うより信じたいが先に来るだろ」

 

 吼月が目を伏せて、苦しそうに呟いた。

 

「岡止は?」

「ん?」

「岡止は止岐花に何をしてもらったんだ? 助けるために吸血鬼に成るほど大切だったんだろ?」

 

 そう問われて俺は–––不意に頬を摩って–––『なにもしてもらってない』と答えた。撫でた頬に鋭い痛みが走るような錯覚が起こる。

 

「ただ一緒にいてくれただけだ」

「そっか……」

 

 吼月の呼吸が荒くなる。

 

「お前らも大変だな。なんとなく、あの時に士季が沙原に吸血鬼になることはメリットしかないって口にした理由が分かった気がするよ。

 本心か無意識かはお前次第だけど……親と離れられることも利点だもんな」

「いつかは親離れするのが子供だ。大人になっても実家を出るのも、吸血鬼になって出るのも同じことだ」

「そうだな」

 

 吼月は俺の言を肯定し、そして立ち塞がる。

 

「だったら止岐花にとって、今がその時だ」

 

 ポタポタと血を垂らす腕を抑えることすらなく、青白くも何ひとつ表情を変えていない怪物の顔がそこにはあった。

 ただ真っ直ぐ俺を見つめる瞳は絶えず俺を縛る。

 

「なぜアンタたちは人を吸血鬼にすることに拘る?」

 

 先ほどの苦痛が嘘かのように歩み寄ってくる。

 

「眷属候補だとしても俺のような存在だっている」

 

 一歩、こちらへ歩き、今を突きつける。

 

「鶯アンコが救った加納という吸血鬼のように、吸血鬼なったことを後悔して10年間、血を吸わずに死のうとする存在だっている」

 

 一歩、また近づいて、禍根を示す。

 

「もしかしたら、吸血鬼の中にも鶯アンコと同じ者が––––そう考えていけば、アンタたちの【吸血鬼を知った人間は死ぬか眷属になるか】という掟は穴だらけだ。本能に裏打ちされた決め事ですらない」

 

 歩く様は戦地を進む化物ではなく、そこらの路地で友達と出会したかのように敵意も、不自然な力みもない。

 手を振りながらであっても不思議はないほどに悠然と歩く。

 ただ諭すように俺に語りかけてくる。

 

「アンタたちはただ、証が欲しいだけだろ。吸血鬼の仲間だというちょっとした証拠が」

「……違う。無益な殺生をしたくないだけだ」

「敵対した瞬間に俺の首を刎ねることだってできた。探偵を誘い出し、根本から事態の解決へ動けたはずだ」

「それは……」

「力を持っただけで、殺したくない優しさも殺されたくない恐怖も人間と大差ない。だから、そうならない為の塩梅を探してる。……君ら吸血鬼は変わらず人だよ。化け物じゃない」

 

 出来ないことを言うのはやめておけ、と無感情に吐き捨てる。しかし、その嘘や媚びでもない真っ直ぐな意志が俺に深く突き刺さる。

 既に取り乱した姿を見せているので否定できずにいた。

 

「たとえ、岡止の言う通りだったとしても子供が信じた相手ぐらい信じようとしてみせろよ。アンタだけでも止岐花の真っ当な親でいただろ?」

 

 吼月の瞳に心が映り込む。その瞳は曇りの無い水晶のように俺をハッキリと映し出していて、そこに見えるのは酷く歪んだ顔をしている自分。

 まるで吼月の言い分が当たっているかのようじゃないか。

 

「俺の記憶を見たなら分かるはずだ。止岐花は岡止たちと敵対したい訳じゃない。でも沙原を吸血鬼にはしたくない。……少なくとも今は。

 そのためにアンタたちに見て欲しいんだ。1年間、沙原がどんなヒトで、信頼に足る人物かどうか」

 

 先ほどまで殺し合っていたというのに、至極当然のように近寄ってくる少年を俺は懐に受け入れていた。

 

「疑うより先に信じたいんだろ? なら、寄り添うような心意気で生きてこうぜ」

 

 微笑みながら俺の胸を人差し指で小突いた。

 その姿を見て、傷つけて焦ってしまったことも殺さなければ勇み足してしまったことも全て馬鹿馬鹿しくなってしまった。

 

「お前、よく触れるな」

「ん? なんで?」

「いや、腕………」

「ああ、これ? いいよ、別に岡止が悪いわけじゃないし。少なくとも俺は殺し合いのつもりだったから」

 

 視線が欠損した右腕に集まる。

 吼月が触れたのはその腕と共に粉砕された胸で、敵対している状況でそこへ無防備に手を出せるのは能天気というべきなのか、余裕というべきなのか。

 不敵に佇む吼月から察するに余裕なのだろう。

 治るんかな……?

 

「まだ殴り足りないなら3回までなら殴っていいぞ」

「お前なぁ……」

 

 どちらにしろ、俺の中にあった闘志は燃え尽きていた。戦いでも、心意気でも勝てる気がしなくなった。

 

「分かったよ。だが–––」

 

 その時、カランコロンと傍で音がした。

 今になって石が落ちてきたようで、俺はすぐさま吼月の胸元を掴んで一緒に横へと飛び跳ねた。離れた直後、轟音とともに先ほどまで俺たちが立っていた床が陥没した。

 

「何やってるんですか、岡止さん」

「白山……」

 

 振り向けば、怪我の治癒が完治した白山が地に拳を突き立てていた。

 

「なに懐柔されてるんですか。エマさんが探偵に狙われないにようするためでしょう。沙原くんを信じる信じないとか問題じゃないんですよ! 少なくとも、アンタが一番納得しちゃいけない!」

 

 言い終えるより先に爪を研いだ白山が吼月に向かって肉薄してきた。殆ど人間になっている今の吼月が、あの爪に切り裂かれればひとたまりもない。

 ただでさえ、血を着るような出血なんだ。

 庇おうとして前に踊り出ようと–––

 

「問題ない」

「なに馬鹿なこと言って」

「遊び足りないなら付き合ってやるよ。ただし」

 

 左腕で俺を制止したかと思えば、その瞬間、奇怪な光景が広がった。

 

「な、え?」

 

 欠けた右腕を伸ばしたと思えば、浮いて漂い、そして流れる血筋がその断面へ紐づいた。俺の衣服についた血も例外ではなく、その殆どが宙を蠢いていた。血という糸に手繰られながら、砕かれた骨が、裂かれた血肉が、地に落ちた右腕が次々に虚空で踊る。

 吸血鬼としてすら異質なその力にゾワリと肌が粟立つ。

 白山が伸ばした爪を振り下ろした時には。

 

「フンッ!」

 

 完全に治癒された右腕をもって、その一撃を阻止してみせた。白山の勢いも殺しきり、振り下ろされた左手の首をガッチリと掴んでいた。

 拳を合わせた時のように衝撃波が空間を打つ。

 

「クソッ!」

「マジかよ……」

 

 反応の差こそあれど、俺も白山も驚愕するしかなかった。

 

「強い言葉は自分の丈を見誤らせるぞ」

「!?」

 

 掴んだ左手を自身の後方へ流せば、体勢が崩れた白山の胸部はガラ空きとなって–––そこへ拳を突き出した。

 

「「待った!!」」

 

 二つの声が重なった。

 直撃する寸前で俺は吼月の拳を受け止めた。驚くほど軽い拳はすっぽりと俺の掌の中に収まってくれた。

 対する白山を見れば反射的に脚を振り上げていたが、その足先はもう一人の声の持ち主である午鳥が掴んでいた。

 ちょうどその時に、吼月から吸血鬼のような気配は完全に消え去った。

 

「いまこの子を殴ったところで自体は変わらないわよ」

「ですが……!」

「ケジメは後で取らせればいい。それよりエマちゃんを追うのが先決よ」

 

 午鳥がは白山の怒る肩を静ませてほぉぅとため息をつく。

 

「ふぅ……危ないあぶない。死体処理なんてしたくないもの」

「死ぬかも分からないしな。白山も落ち着け、吼月も……」

「一番落ち着いてなかったヒトに言われたくないです」

「ぐっ……し、白山……」

 

 自覚はあるため言い返せなくなり言葉が詰まる。吼月はというと無言で、ジャージのファスナーに手をかける。

 そして一気に下ろして、バッ!と開かれたジャージの中に現れたのは。

 

『➡︎右に同じく』

 

 紫のTシャツにデカデカと書かれた文字だった。

 真顔でロゴシャツを見せつけてくる吼月に対して、俺たちは三者三様の反応を見せた。

 

「ぷぅっ……」

「えぇ……」

「……」

 

 不意打ちのギャグに思わず吹き出してしまう午鳥。まずなんでそんなロゴシャツを着ているのか分からず目を瞬かせる俺。脳が理解に追いつかず眉間に皺を寄せて頭を抱えて絶句する白山。

 

 スッと隙間風が首を撫でる。

 眉間の皺を広げて、頭を抱えてから。

 

 

 

「なんだお前えぇぇええええ!!!?」

 

 

 

 白山の叫び声が夜明けの街に響き渡る。

 

 

 

 

「ふっ、着てきて正解だったな」

 

 無惨に散り散りになって地べたに落ちてるジャージの布切れなどを見下ろす。腰を屈めて俺は破片を手にする。

 そんな俺を訝しむように見つめるのは白山だ。

 

「自分、まだ納得してないんですけど……」

「そうだろうけど」

「いいよ、いま納得しなくても。納得させるから」

「その必要はないじゃない」

 

 待ったをかけるように声を上げたのは午鳥で、おもむろに士季へと歩み寄る。彼女が妖艶に笑う様はどこかハツカと同じ余裕を感じられる–––いや、それよりは下だな–––その原因に気づいた俺はハッと立ち上がる。

 目に入ったのは士季の口元。

 その端についている赤い液体。

 

「その血、あの子のでしょ? なら、これを飲めばあの子の考えてること大体分かるでしょ」

 

 腕を修復する時に回収し損ねたのであろう血がしっかりと付着していた。

 その血を指で掬い取ると瞳を半月状に歪ませる。嗜虐心に満ちた目で血を眺めているのが背を向けられていても伝わってくる。

 

「士季くん。美味しかった?」

「……美味かった」

「そう。なら、試食させてもらうわね」

 

 赤く濡れた指先を伸ばした舌に這わせようとして–––

 

「ダメ」

 

 俺はその手をガシッと掴んでへし折るような力で彼女の手首を捻る。

 

()たたた……!!」

 

 正しく間一髪、あと数ミリで舐められるところだったので、俺の心臓がバクバクと高鳴っていた。焦る鼓動が納まらない間に、指先についた血を空いている片手で拭い取った。

 午鳥はそれを見て、ああぁと残念そうにしょぼんと肩を落とした。

 

「いや、なんで止めたんだよ。知ってもらった方が吼月にも得だろ」

「俺の血はハツカだけのモノ。ハツカだけが飲むものと約束している。だから–––ダメだ」

 

 一度、呼吸をして溜めを作ったあと、より強い口調で却下した。

 納得してくれただろうかと三人を見ると、俺が想像していたのとは違う口をポカンと開けた間の抜けた様子で見つめ返してきた。

 やはり最初に口を開いたのは午鳥である。

 

「えっ……とぉ……つまり、この間嫌がってたのも、それが本当の理由?」

「ああ」

「士季くんは飲んだじゃない。なら、私が飲んでも誤差でしょ」

「士季が血を取り込んだのは、戦いの中で俺から勝ち取ったことだ。だが、アンタは違う。飲みたいならせめてハツカの許可をもらうんだな」

「硬くない……?」

 

 ここまで言うと瞼を何度も上下に動かしながらも渋々納得してくれたようだった。

 けれども、同じ話を続けていれば午鳥がどうにかして俺の血を飲もうとしてくるのは目に見えていたので直ぐに話題を切り替える。

 

「で、士季」

「ん?」

「さっき、だが、と言いかけたな。探偵の件だろ?」

「! ああ……」

「鶯アンコへの一手なら既に講じてある。見てないのか?」

「見えたのは沙原くんやエマのことだけだ」

 

 となれば、吸血で知れる範囲は限られる。可能性とすれば、吸われた時に強く思っていたことに起因する記憶が見える、などだろうか。

 それを確かめる術は俺にはないので、腕時計を見ることにした。

 首を傾げる3人を気にせず、腕時計を見ればまだ50分まで数分残っている。完璧、予定通りだな。

 

「さて、時間は残ってるからお前らも早くエマを追えよ?」

「いや、お前らの目的は……」

「さっき午鳥も言ってただろ。優先すべきはエマを追いかけることで、ゲームは50分まで逃げ切れるか、だ。沙原を吸血鬼にしたいならさっさと向かうのをオススメするよ」

「キミが邪魔をしてたんだろうが」

「俺の目的に必要だったからな。もう足止めする必要はない」

 

 ベゼルを回して、再びスイッチを押し込んだ。

 

「また……」

 

 ひとりか。あるいは全員が溢したのか。

 恐らく彼らの中では俺は吸血鬼なのだろう。カオリと同じく何故か誤解しているようだ。

 窓を開けてその縁を足場にして俺は跳ぶ。

 

「日が昇るまで遊ぼうぜ」

 

 それこそ、吸血鬼の如く跳躍して空を舞う。

 俺は掌の中にある破片を見つめる。

 それはカメラの残骸だ。

 

 

 

 

 吼月が飛び去ったあと、午鳥が俺に尋ねてきた。

 

「とりあえず、なにを見たか教えてちょうだい」

「分かってる。跳びながら話そう、来てくれた他の吸血鬼にも連絡が必要だろうし」

 

 ふたりは頷いて、一緒に壁をすり抜けた。

 

「そういえばアイツ、なんか名前呼びしてきたな…………」

 

 なぜだろうか?

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