よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第四十五夜「心許せる」

 あと4分もしない内に日の出だというのにこの路地は本当に暗い。背の高いビルが所狭しと並び立つこの一帯。表の通りであれば、もうそろそろ人がやってくるだろう。

 吸血鬼の調査でいまの小森の街をくまなく見てみたが、朝の5時には人が動き出し、6時になればまばらだが会社に出勤する人の姿も多くなる。飯はコンビニの菓子パンやおにぎりだろうか。

 いやはや会社勤めの方々の早朝出勤には尊敬するしかない。

 かくいう探偵 鶯アンコ()も負けていないが。

 殆ど徹夜で路地裏を走っているし、飯もアンパンにコーヒー牛乳、それにケーキだ。

 

 それに、こんな朝早くから吸血鬼と命懸けの鬼ごっこをしている大人なんて私ぐらいなものだろう。

 

 吸血鬼(化け物)の鉤爪が暗闇の中で微かに煌めきながら私めがけて閃を描く。

 

「ふんっ!」

「!?」

 

 身体が後ろに倒れ込むような動きと腕捌きで、巴投げの如く後ろへ大きく吸血鬼を弾き飛ばした。特別な技術を使ったわけではない。自らの身体能力を過信し真正面から突き進む吸血鬼には、ただタイミングを合わせていなしてやればいいだけだ。

 それだけで奴らの攻撃は当たらない。

 

「どうだい私のなんちゃって巴投げは!」

 

 躱されたあげく、攻撃を利用され投げ飛ばされた吸血鬼が体勢を崩したままカッ!と目を見開いた。それを嘲笑うように私はギュッと右拳でガッツポーズを取ってみせる。

 突っ込んできたそのまま勢いを使われた相手はビルの壁面へと、レーザービームとも言えるほど真っ直ぐ進む。

 

「……ぐっ!!」

 

 呻き声をあげてめり込んだロン毛の吸血鬼の背後には、壁面に作られた大きなクレーターが生まれていた。まるで隕石でも激突したかのような凹みっぷりに投げ飛ばした私自身が少し背筋が凍る。

 その痕を見れば誰であって人間が受けていいものとは考えないだろう。

 

「じゃ、お先〜」

「この……待てッ……!!」

 

 丁字路の壁面に埋まる吸血鬼に手を振って走り去る。

 その右折方向の地面に置かれた真っ赤な光–––放置されてなお香ばしい匂いを発するタバコのものだ–––を私は踏みつけて、その光を消しながら走っていく。

 

「さっきの奴も今のロン毛もスリ抜けを使わなかったな。……使い手によって差があるのか」

 

 私が透過の能力を知ったのはごく最近。秋山(あきやま)昭人(あきひと)を殺そうとした時に、蘿蔔ハツカに妨害されたのがきっかけだ。

 これまで–––この10年間–––スリ抜けを使った個体はいなかった。差があるのもそうだが、吸血鬼によってはその能力の存在すら知らない個体もいるのだろう。

 それこそ吸血鬼にさせられた途端、親吸血鬼から見放されたりして。

 

「……気が滅入るな」

 

 面倒な力なのは間違いない。蘿蔔のように状況に合わせて冷静に使ってくるタイプの吸血鬼は余計に厄介だ。

 

「ああぁ〜……はっ、はっ、あははキッツ!」

 

 顔を少し後ろに向けて追っ手を見てみれば、追い縋るのはまだロン毛の吸血鬼だけ。

 奴だけであればスリ抜けで翻弄されることもないだろう。

 

「予行演習! 予行演習!!」

 

 所定ポイントに向かうために走って、今度は吸血鬼の攻撃を躱しながら近づけすぎず、かと言って離しすぎない距離を保ちながら疾走する。

 えずくように空気を求める肺に歳を食ったことを強く自覚させられる。今後のために少しトレーニングをした方が良さそうだな。

 

「鬼さんこちら〜」

「このクソ探偵!!」

 

 煽るように手招いてみれば、安い挑発に容易くノってくる。

 建物をすり抜けて襲ってくることもないのは、もし中に人がいた時にバレるのを危険視しているのだろうか。それに透過で私の左右を挟むビルの中に入っても、私の位置を知らせる眼がないのでは意味がない。

 奴らが私の前に訪れた時スマホを手にしていたのを見るに、彼らこそ沙原くんとあの女吸血鬼の居場所を知らせる役割を担っていただろう。

 

「これでふたりの手伝いになればいいけれど」

 

 問題はあの女吸血鬼。吼月くんからは止岐花エマと言われた女性。

 なぜ吸血鬼同士で追いかけあっているのか––––理由は思いつかないわけではない。

 吸血鬼の存在を知っている沙原くんは吸血鬼にとって危険な人間。彼が吸血鬼に恋をしていない、もしくは吸血鬼になりたくない––––前者より後者の方が可能性があるだろう–––と考えたとする。そして、沙原くんを連れてきた止岐花エマが彼を吸血鬼にしたくないと思ったのであれば、ふたりして逃げているのも納得がいくが。

 吸血鬼が人間を慮ったことをするだろうか?

 片方が吸血鬼だったとして、なぜ吼月くんは言わなかった?

 やはり吸血鬼の罠?–––だとしても、後ろの吸血鬼も私がいることを知らない様子だった。

 

 人間の為に命を張るような吸血鬼がいるとは––––

 

『よっす、先輩!』

 

 瞼の裏に編んだ銀色の髪を揺らす少女の姿が現れる。もう既に捨てはずの過去にも関わらず、古い記憶が再び滲み出てくる。

 必死に走ることで誤魔化した。

 酸素が不足気味の脳内では、考えても纏まった回答が出さない。

 

「今は考えても仕方ないか」

 

 託されたのは時間稼ぎなのだから。

 

「不味い時間が……」

 

 焦れた吸血鬼が速度を更にあげる。踏み出し方や目線から吸血鬼の攻撃を予測し、対処し続ける。

 何度か火のついたタバコを足で踏み消して走れば、辺りのビルの背が低くなってきた。先ほどよりだいぶ光が差し込むようになってきている。

 この時期には珍しい暖かい陽の光が私を導いてくれている。

 

「?」

 

 最後のタバコを踏み消して足を止める。

 振り返れば、よりハッキリと顔が見えるロン毛の吸血鬼が猛禽類を思わせる獰猛な目つきで私を見据えていた。

 ジリジリと地面を靴底で擦るように後退り立ち位置を考える。相手も間合いを見計らいながら近寄ってくる。

 そして、

 

––––これで……!

 

 投げつけたナイフの空を切る音が合図となり、獣が放つような戦意を身に滾らせた吸血鬼(化け物)は地を蹴った。

 ナイフを叩き落とし、瞬間移動かと思うほどの速さで私との距離を一気に縮めてくる。

 

「フッ!」

 

 自身の目的が果たされることを確信して後ろへ身を投げるようにして飛び退いた。間合いが狂い、私を裂くことなく煌めく爪は空振った。

 同時に右肩に軽い衝撃が走る。躱すために勢いよく飛び過ぎたからか、ビルの壁面に当ててしまったようだ。

 その明らかな隙を見逃す吸血鬼ではない。

 着地すると共にもう一歩深く踏み込んで、追い縋る。構えた右拳が私を穿たんと振りかぶられて–––––よし、と私は微笑んでいた。

 

 しかし、その微笑を掻き消すように黒い影が槍の如く私と吸血鬼の合間に割って入ってきた。

 

「!!」

「なっ」

 

 死角からの襲撃に私も奴も足を止めてしまう。空より降ってきたのは光を絶対に通さないと示すように真っ黒な傘であった。

 何がやって来たかが分かれば、次に目で追うのはその軌跡。自ずと傘の射線を見上げるのは自然な行為だろう。

 仰ぎ見るのはビルの上。

 そこに佇むのは女性か、男性か。

 

「まさかこんなことになっているなんてね」

 

 感情の起伏が見えないのにも関わらず、艶があって魅入られそうになる吸血鬼らしい優しい声に私は覚えがあった。

 その吸血鬼はビルの縁から臆することなく足を外すと、ふんわりとまるで風に乗っているかのように地上にまで降ってくる。顔を出し始めた朝日の薄らとした光が、奴をまるで天から遣わされた使者のように演出する。

 吸血鬼は人間を魅了する。

 一瞬、たった一瞬でも奴を–––蘿蔔ハツカを天使と称えてしまった自分が心底憎い。

 

「やあ、探偵さん」

 

 蘿蔔は傘がアスファルトに突き刺さった場所に降り立った。

 本当に来ていたのかと言いたげな目と視線を交えると、奴はしんどそうにため息をついた。

 私の方こそ内に秘めた苛立ちを吐き出したかった。吸血鬼が目の前に平然と立っているその事実すら心臓を杭で打たれるような事実だ。

 

「銭湯の時以来だな、蘿蔔ハツカ。私を助けてくれたのかい?」

「キミが死ぬ気だったならそうかもね」

 

 こうして、目を合わせるのは二度目になる。

 私は警戒心を高めて蘿蔔の隅々まで観察する。

 

「僕としては出来れば関わりたくなかったよ」

「私も殺すその瞬間以外関わるつもりはなかったよ」

「相変わらず悪趣味やめれてないの? 良いカウンセラーでも紹介しようか?」

「お前の女王様癖の方がよっぽど矯正した方がいいと思うがね。躾けてやろうか? 大根くん」

「キミの方こそ僕の眷属にでもなる? あ、七草さんでもいいけど」

 

 できれば蘿蔔から感情を引き出して手を出させたかったが、冷ややかな態度は変えられない。

 対して蘿蔔は容易く私の琴線に触れ、そして弾いた。

 

「少なくとも今よりは幸せになれるよ、無駄に吸血鬼を恨まずに済むからね」

「……無理だな」

「そう」

 

 恨んでいる相手と同じ存在になることが幸せになる方法だと語るその口は、歪みを認識せず真っ直ぐ私に言葉を飛ばしてくる。こんな捻じ曲がった奴が中学生を眷属にしようとしてるのかと思うとゾッとする。

 

「ショウくんに呼ばれたの?」

「クライアントの情報を漏らすとでも思ってるのか?」

「そういうのはいいから。沙原くんは探偵さんの居場所なんて知らないし、エマちゃんがわざわざ頼るとも思えない。なら、この二日間でやけに吸血鬼に詳しくなって、探偵さんの肩を持つようにもなった吼月くんぐらいだよ」

「そうか」

 

 蘿蔔から感じるそのしんどさの正体は眷属候補(吼月くん)への苛立ち。

 半月以上一緒にいるのにも関わらず、蘿蔔に恋心すら抱けていない少年が遂には私の元にまでやってきた。吸血鬼にとってこれ以上目障りなことはないだろう。

 その苛立ちはあの子の立場を明確にしてくれる。

 

「ひとまず難所は乗り越えたのかな。で、吼月くんはどうした?」

 

 蘿蔔がここに来たということは話し合いが終わったと言うことだろう。

 しかし、奴からの返答は私の考えを否定するものだった。

 

「さあ、知らないよ」

「は?」

 

 否定するどころか、我関せずといった態度で首を傾げてみせる。

 一瞬、最悪の光景が瞼の裏に映し出される。肉体の全ての血を吸い取られ、ミイラのような姿になった少年の姿を想像してしまう。

 返す言葉が喉から出てこない。

 

「なんで止めたんですか」

「ん?」

 

 私の意思を取り戻すきっかけはロン毛男の一言だった。

 男は爪を伸ばしたまま臨戦態勢を維持し続けている。

 戦う意志を示す男にとって吸血鬼の邪魔者である私を護るようなことは疑問でしかないだろう。

 

「決まってるでしょ」

 

 踵を返した蘿蔔が手を伸ばしたのは地面に落ちたナイフ。

 その瞬間、聞き馴染みのあるモノよりも力に満ちた音が鼓膜を揺らした。

 

「!?」

 

 振り向き様に投げつけられた銀色の刃が飛翔する。

 刃は私を突き刺そうと敵意という理性に従って向かってくる–––いや、違う。刃が撫でたのは私の頬から数ミリだけズレた空気で、本当に突き刺したモノはガシャンと背後で音を立てて崩れ落ちた。

 

「……」

「やっぱり」

 

 横目で地面を見てみれば、そこに落ちていたのはカメラだ。レンズが刃に貫かれていて、詳しく見なくてもお釈迦になっているのは分かるほどだった。

 敵意に当てられた空気を吸い込めばピリピリと身体を内側から刺激してくる。その刺激は全身の神経から脳に伝わり、目の前の吸血鬼は危険な存在であるとより強く認識させてくる。

 

「あのまま突っ込めば壁を壊した挙句、吸血鬼の痕跡を作るところだったんだよ」

 

 弓形に口元を曲げて微笑む蘿蔔にロン毛男は小さく頭を下げた。蘿蔔は私から目を逸らさず、すぐに頭を上げさせる。

 

「気づいてたのか?」

「まあ、あらかさまに誘導してたしね。探偵さんと吼月くんは……うん、ある意味似たモノ同士なのかもね」

「……?」

 

 吸血鬼と敵対しているのは同じだが、その他の素行に似通った部分なんて殆どない。

 こちらへの警戒は怠っている様子はない。

 隙があれば蘿蔔の目にでもナイフを投げつけてやろうかと考えたが、そう上手くはいかないな。

 

「ほら、行くよ」

「え、え?」

「彼女の目的が時間稼ぎなのは分かってるでしょ。いつまでも構ってあげる必要はない」

「でも」

 

 でも、殺してしまえば問題ない。

 力を持った化け物らしい奴の眼の奥に隠そうとしていた野蛮な意思が透けて見える。

 私に分かるのなら、蘿蔔にもその意思は汲み取れる。より深くその深層心理すら。

 

「でも、なに? できるの?」

 

 微笑みが消えた。瞳から光が消えた。

 圧政者の如きその有無を言わさないオーラで蘿蔔は相手の意志を踏み躙る。自分の望み通りにするために。

 あまりの威圧感にロン毛の男は一歩下がる。

 

「……分かりました」

「うん。もう一人の子は大丈夫、先に行ってる」

「本当ですか!」

「誰かが血を飲ませてくれたみたい。……エマちゃんたちは殺しちゃいけないよ」

「……! わかってます。吸血してもらえばいいだけですから」

 

 喜色染んだロン毛男は足に力を込めて、跳び立とうと––––させない。

 

「行かせない」

「それはこっちの台詞だよ」

 

 ロン毛男を空いた右手で掴もうと駆け出す。しかし、それよりも先に蘿蔔が地面から引き抜いた傘の先を私の前へ突き出して妨害してくる。

 その一瞬でロン毛男は空へと舞い上がった。

 私が苦々しく舌打ちだけして、すぐに対象を切り替える。

 左手に持ったナイフを蘿蔔の目に向かって投げつける。が、当然それは奴の顔をすり抜ける。

 

「効かな–––」

 

 それは1本目のこと。

 すり抜けたナイフの後に続くように、もう一本のナイフが現れた。既に透過を解除した奴は驚きを隠せない。

 その眉間を穿つようにナイフが飛翔する。

 

「!」

 

 奴は一撃を避けて、撤退するつもりだったのだろう。

 既にスリ抜けを解いていた蘿蔔は反射的に傘を引き戻すと、斬りあげるようにナイフを天へと弾く。キンッと軽薄な音が武器の心許なさを表した。

 私はそれで構わなかった。

 傘が奴の視界を覆った瞬間、その懐に地を滑るような足運びで入り込む。接近に気づかない蘿蔔は後退することもできない。

 

「–––––ッ!!」

 

 吸血鬼は弱点がない限り暴力では殺せない。

 しかし、いま重要なのはそこではない。

 吸血鬼の急所は()()()()()ということだ。腕や脚であれば斬られても痛いが治るし平気な奴らが多い。けれども、鳩尾を蹴れば苦しむし、目を抉られれば–––それはさっきの吸血鬼の仲間で実証済み。

 

 ならば、男の象徴にして生き物としての弱点であるソレを潰せばどうなるか?

 

「なっ……!?」

 

 蘿蔔の股下に入った右脚をひと思いに振り上げる。

 

–––ブッ潰れろ!!

 

 瞬間、伝わってきたのは想定外の感触だった。本来弱点を蹴り砕くはずの足先ではなく、向う脛に衝撃が走る。ガンと骨に響くような痛みに足が震える。

 寸前のところで脚を押さえていたのは傘だ。逆手に持ち替えた傘を直ぐに下げて私の攻撃を防いでみせたのだ。

 

「大人しく悶絶しとけよ吸血鬼」

「いや……そこは反則でしょ」

 

 ここで終わりではない。

 すぐさま次の一手を打つ。

 コートの内ポケットに入れていた奥の手を取ろうと手を伸ばす。

 

「フッ!」

「!?」

 

 しかし、私の動き出しよりも早く蘿蔔は傘を使って私の脚を薙ぎ払った。払われた脚は傘と共に蘿蔔の身体をすり抜ける。バランスを失った身体は重心を保てなくなり、左肩を下にして倒れていく。

 受け身を取ろうとするが、地面についた手も傘で払われた。

 硬いアスファルトに身体を打ちつけて軋むような痛みが襲う。取り込んでいた酸素が一気に吐き出されるのが分かる。

 それでも思考は生きてる。体勢を整えようと–––

 

「もうやめておきなよ」

 

 叶わなかった。

 首筋にひんやりとした傘の先端が添えられた。鋭利に尖ったその凶器は、少し力を入れれば容易く私の首の皮膚を裂くこともできる。

 せめての抵抗として、私を睥睨する化け物を睨みつけて問いただす。

 

「殺すか?」

「前にも言ったよね、僕らにヒトを殺す趣味はないって。相手が探偵さんでも吼月くんでもそれは変わらない」

 

 そんなわけが無い。

 知っただけで人間を化け物に変えてくるお前たちが言えたことじゃない。中学生の子供たちを化け物に変えるだなんて。

 それを容認してるお前らは存在自体が歪んでいるんだ。

 吸血鬼は憎まなければいけない悪だ。

 

「お前らは生きてるだけでヒトを殺してるんだよ!」

 

 現に吼月くんは吸血鬼になることを望んでいないのだから。

 蘿蔔の物言いだげな目線が私の髪の毛から足先までの隅々を這っていく。ロン毛の男に向けたような圧政者の瞳に違いを見出すとするならば、なにかに心が揺れている様子だった。

 

「それならどうして無理やりにでも吼月くんを止めなかったの?」

「……ッ」

 

 また喉に息が詰まって、言葉を無理やり吐き出そうとすれば餌付くような声を漏らすだけになった。昨日感じたことを口にするだけなのにも関わらず何故か声が出ない。

 

「吸血鬼と話し合いなんてできない。吸血鬼を信用しちゃいけない。キミがかけそうな言葉は数あるだろうけど、本当に危険だと思ってるなら当然止めるよね?」

「……」

「私が行けばかえって立場が悪くなる、とでも考えてたの?」

 

 不本意に私の意思を語ったのは蘿蔔で、

 

「でもそれ、本心じゃないでしょ」

「何が言いたい」

 

 その意思は正しくないと切り捨てられた。

 そして、『吸血鬼殺しとか本当はどうでも良くなってるんじゃないの?』と奴は私の心の片隅に追いやっていた感情を引き摺り出してきた。

 

「何を言って……!」

「もっと具体的に言ってあげようか? キミは全ての吸血鬼を恨めない。それどころか–––」

「黙れ!!」

 

 ポケットに入ったナイフを取り出そうとするが、首に添えられていた傘が過敏に動き、私の手を弾いた。

 

「ナイフも弱点も使わせない」

 

 反撃を許されず、蘿蔔を睨みつけることしかできない。

 

「あっくんを殺しに来た時、別れた後を狙えばいいのにわざわざ番台で待ち伏せしてたのは、どう考えてもキミのメリットに合わない。現に夜守(やもり)くんや(せき)くんの対処もしてる間に、僕がセリちゃんを呼べたわけだしね」

「……桔梗セリはお前が呼んだのか」

「そ。しかも、襲撃がキッカケで僕に吸血鬼の弱点を看破された。僕らを甘く見たのかもしれないけど、そうでなくても分の悪い闘いだ。

 それにキミが本当に吸血鬼(僕ら)を不幸にしかしないと思っているなら、僕があっくんを助けるために夕くんを盾にすることも視野に入れられるはず。

 人間を殺さない主義ならなおさら」

「そんなことをすれば彼はキミらを裏切るぞ」

「いいや、彼が惚れてるのはキクちゃんだ。吸血鬼だからじゃない。実際彼は友達が吸血鬼に襲われた上でキクちゃんの眷属になろうとしてる」

 

 苦し紛れの反論は容易く切り返されてしまう。

 どの道(セキ)マヒルくんは吸血鬼側の人間だ。仲間を助けるための演技として切り抜けられるだろう。

 

「キクちゃんと無関係なあっくんの腹を、容赦なく滅多刺しにしてる探偵さんが吸血鬼を憎んでいないわけがない。けれど心の中には確実に甘さがある。だから、キミは吼月くんを独りで行かせることができてしまった」

 

 殺し続けてきて理解は出来ていたが後に引けなくなったのか、実際に私が受けた優しさなのかは、蘿蔔には知る由がないこと。

 

「だけど、キミが心許せるとしたなら、それは……」

 

 奴は話を締めくくるために思わぬ名前を突き出してきた。

 

 沈み震える怒りすら、晴れやかな気分に変えるその名は––––

 

「七草ナズナ、じゃないかな」

 

 

 

 

 蘿蔔ハツカ()の違和感が確信に変わったのは吼月くんが士季くん達の前に独りで現れた時だ。

 不可解で鮮烈な登場だったため、そちらへ意識が向かってしまうが肝心なのは、人間である吼月がひとりで吸血鬼と話し合いに来たいう点だ。

 

『彼女に人間は殺せない』

 

 深夜にやり取りしたこの言葉に僕は頷くことはできない。探偵さんが現れなかったのも吼月くんの願いかもしれない。

 けれども吼月くんが息が苦しくなるほど彼女の主義を信じようとしているのだ。危険に晒される子供を見て見ぬふりをする大人に、身を切られるような想いを抱くはずがない。

 吼月くんは知ってか知らずか、身をもって証明してみせた。

 

 ならば、探偵さんが吸血鬼を恨みきれない理由があるはず。

 

 コテージで探偵さんの話をした時の七草さんの物言いたげな呆けた顔。

 飲み屋でニコちゃんが見せた七草さんの友達への反応。

 そして、探偵さんの七草さんへの言葉。

 

 総合した結果、探偵鶯アンコは七草ナズナの友達だと悟った。

 せっかく巡り合わせなのだから尋ねてみたくなった。

 

 僕の問いに探偵さんは唇を噛み締めることで応えた。

 

「やっぱりそうなんだ」

「いつから気づいてた」

「探偵さんが夜守くんに『七草ナズナは元気か?』って聞いたでしょ。あの時からだよ」

「……七草の話はするモノじゃないな」

 

 胸に手を当てて吐き出す息には昔を懐かしむような温かさはなく、悲壮感だけが含まれているように思えた。

 彼女らはどんな関係だったのだろう––––それを推察するには僕では力不足だ。

 

「私をどうするつもりだ?」

「何度も同じことを言わせないでくれる。僕らにヒトを殺す趣味はない。眷属にするのも……」

 

 僕は探偵さんともう一度目を合わせる。戦意はもう感じられない。

 吸血鬼への怒りという唯一の光が消し去られて、諦めが満ちる澱んだ瞳が僕を見る。

 

「その目だからやっぱりいいや」

「私の目のどこが悪いんだ」

「色だよ」

 

 声と同じく得体の知れないナニカを感じさせる瞳。初めは吸血鬼殺しとしての狂気から放たれる光によるものだと思ったが、本当に恐ろしかったのはその奥の闇だ。

 

 その目には見覚えがあった。

 見たのはいつだろうと記憶を辿ると、脳裏に映し出されるのは初めて吼月くんと出会った時。

 雑居ビルから飛び降りた彼を助けようとして、見つめてしまった瞳の闇だった。誰も気づけないビルとビルの合間の闇に容易く同化してしまうような生気のない瞳。

 

「キミのそんな目はあまり好みじゃないんだ。今にも死にそうな目は」

 

 探偵さんが吼月くんの話に乗った理由には自殺願望もあったのかもしれない。もちろん僕の憶測でしかない。

 

「……」

 

 その闇に差はあるけれど、間違いなく同じ種類の瞳。

 子供がビルから身を投げて自殺するような闇を抱え続ける探偵さんがおかしいのか。探偵さんと同じ闇をあの歳で、一瞬だとしても抱いた吼月くんがおかしいのか。

 少なくとも、二人とも病んでいるのは確かだ。

 

「そんな眼をするくらいなら、吸血鬼殺しなんて辞めてなにか楽しいことでも見つけたら? 見たところキミまだ二十歳後半ぐらいだし、やれることは沢山ある」

「……」

「僕らも、もうキミには関わらないからさ」

 

 ここから先、探偵さんの領域に入るべきではない。

 僕は彼女に背を見せる。

 

「それじゃあ、僕はムカデ確保に行かなきゃいけないから」

「なぜムカデ……」

「吼月くんがそう言ったんだよ。……そうだ、七草さんに伝えておきたいことはある?」

 

 暫し、友人への言伝を待つ。

 せめて、それぐらいはしてあげよう––––

 

「そうだな……」

 

 その甘さが仇となった。

 金属と汗で湿った生地が擦れる音がしたと思い、慌てて探偵さんに振り向く。

 銃を真っ直ぐ僕に構えていた。消えていた殺意が再び灯っていた。落ち着いた動作で撃鉄を起こ終え、引き金に指を添えた姿を見て、思わず息を呑む。

 

「死ね」

 

 絶対的な殺意が僕に当てられる。

 僕か? 違う、僕じゃない。

 もう誰に向けたのか理解できていない意志が牙を剥いて、夜明けの街に炸裂音が響く。

 何発も。

 

 

 弾数を優に超える数十発の炸裂音が鼓膜を破らんと流れ込んできた。

 無数の火花が目を焼かんと僕らの間で溢れ出した。

 

 

 

「––––!?」

 

 膨れ上がった光と異様な炸裂音に銃撃ではないと理解させられる。

 ふたりして目を覆い、耳を抑えて鳴り止むのを待つ。やがて路地裏に静寂が戻ると、目を守っていた腕を退ける。

 目の前には……般若が立っていた。

 

「ふたり揃って子供に化かされるなんて面白いわね」

 

 真っ黒なコートは飛び散っていた閃光でよりハッキリと輪郭を持つ。僕の首筋を撫でる生暖かい風が緩やかにコートをなびかせる。

 自らが僕らの境界線だと示すように突然現れた。

 

「……誰だ」

「さあね、誰でしょうね」

 

 身の丈よりもあるロングコートに身を包み、顔は般若の仮面とフードで隠されていてどんな人相をしているのか全く分からない。

 まるで本物の妖が現れたかのような事態に僕らは戸惑う。

 ただ雰囲気で分かるのは、彼女が吸血鬼であるということだ。

 

「吸血鬼か」

 

 呆けた顔から復讐者の顔に変わった探偵さんが問いただすと、彼女は肯首した。

 

「ただし、貴女と同じく吼月くんから命令を受けてきた者のよ」

 

 ……もしかして、この吸血鬼が吼月くんに情報を流した存在か?

 

「どういうことだ」

「簡単よ。貴女を守れと言われてきたのよ」

「お前が守ったのは吸血鬼(蘿蔔)だろ!」

「いいえ。私は貴女を守ったのよ、死なせないようにね」

 

 般若が僕を訝しむように一瞥した。

 彼女の言う通り、あの一発を受けていたら、今後のことを考えて探偵さんに傷を負わせるぐらいはしていたかもしれない。

 

「鶯アンコ、少なくとも今は手を引きなさい。そしたら今後楽になるわよ」

「誰が吸血鬼の言うことなんて!」

 

 探偵さんは銃の照準を今度は般若に合わせて引き鉄に指をかけ直す。

 しかし、それよりも早く般若が探偵さんの背後に回り込みポケットから取り出したハンカチで鼻と口を覆った。

 

「ッ!?」

「はい、おやすみ」

「ぅッ……っ…………」

 

 銃を構えていた腕がダラリと力無く垂れ、身体を彼女の胸に預けてしまう。般若を睨みつけていた双眸もゆっくりと瞼を下ろして閉じられた。

 ハンカチを探偵さんの顔から離す。

 見れば何かの液体を湿らせたシミが見受けられる。ドラマみたいに睡眠薬でも染み込ませていたのだろうか。

 

「寝てる時ぐらい良い夢みなさいよ」

 

 その願いが本物なのか僕には分からない。

 胸の中で眠る彼女を労る般若は口に指を這わせて、探偵さんの口角をあげさせる。強張った表情が歪められていく。作られた笑みでなければとても良い寝顔だと僕は思った。

 探偵さんの小さな寝息が路地裏に消えていく。

 般若は銃を回収し探偵さんのコートの中に戻すと、軽々と右肩に担いで立ち上がる。手脚が力無くだらんと垂れ、般若が身じろぎするだけで揺れる。

 飛び立たんと脚に力をこめる彼女を僕は呼び止めた。

 

「待って」

「なに?」

「探偵さんをこっちに渡して欲しい。彼女は危険すぎる」

「なるほど」

 

 心底めんどくさそうに僕を見つめてくる般若は、少し考え込むと相槌を打った。そして再びコートの中に手を突っ込んで銃を引き出して、僕に向けてきた。

 

「バン」

「は!?」

 

 引き鉄が躊躇わず引かれ、カチッという音に僕は思わず固まってしまう。

 しかし、その銃口から飛び出したのは僕を殺すための弾ではなく、真っ赤でか細い炎だった。

 まるでドッキリのネタバラシをされた時のような肩透かしを喰らった僕は呆然と般若を見つめた。

 

「馬鹿ね。普通の人間が拳銃なんて持ってるはずないでしょ。気が動転してオモチャに頼ったのよ」

「……驚かせてくれちゃって」

 

 火を消した銃をクルクルと指で一度回してからコートの中にしまって般若は続ける。

 

「小森湯でのことを気にしてるなら忘れていいわよ」

 

 般若は見通していると言わんばかり態度で、僕がずっと気にしていたことを容易く言い当てた。

 

「この()は貴方の弱点を持っていないもの。持っているなら既に使ってるわよ」

「……そう。よく知ってるね」

「最後に––––」

 

 彼女はできるだけ優しい声音で僕にこう言った。

 

「吼月ショウとは今後一切関わらないことね」

「どういうこと?」

「私の優しさよ」

 

 士季くんを殴り飛ばした力のことなのか、探偵さんに会いに行ってしまうような無鉄砲さのことなのか。それとももっと別のことなのか。

 適切な理由は僕には分からないけれど、それでも彼女の願いは受け入れなれない。

 

「だったら無理だよ。ショウくんは僕の眷属になる」

「せいぜい後悔しないようにね」

 

 危険なのは貴方が一番分かっているでしょうに、とため息をついて般若は再び脚に力を込める。

 

「じゃあね。早く追いかけないと––––エマちゃんたち、殺されるよ」

「ッ!? それはどういう!」

 

 夜明けの空へ溶け込んだ般若が何かを放り投げてきた。何本もの紙筒が紐で括り付けられ、火がついた尾を持つ––––いわゆる爆竹であった。

 閃光と爆発音が目と耳を再び眩ませる。

 鳴り止んだ時には既に姿はなく、追うことは叶わらない。

 

「……行くしかない」

 

 僕もすぐに夜明けの空へと跳び立った。




 今日のギーツの話で、五十鈴大智への感想で『異種族(人間)の方が自分たち(怪人)について詳しいことがある』ってのを見て、探偵さんを思い出してしまった。
 悔しい……めちゃくちゃ悔しい……

 銭湯で襲撃されたとき、セリちゃんは連絡を受けて駆けつけたのか、はたまた、元々メンヘラしながらあっくんをつけてきていたのか。
 正解は……

 
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