よふかしのあじ   作:フェイクライター

53 / 146
第四十六夜「ゲームオーバーだ」

「8時の方角!」

「分かった!!」

 

 迫る吸血鬼の存在に気づいた沙原奏斗()が指示を飛ばせば、エマはすぐさま体勢を敵へ向ける。

 グッと俺を掴む力が強まった。

 漂うだけの浮遊感が急旋回による負荷に代わる。見下ろしていた街並みがいつの間にか頭上にあって、眼下には襲いかかった吸血鬼の姿が。

 

「ハッッ!!」

「グゥッ!」

 

 飛びかかってきた吸血鬼の行き先に俺たちの姿はなく、伸びた爪は空振るだけ。エマはその吸血鬼の胴を踏み台にして、進路を大きく変えた。

 蹴り出して俺たちの身体は、弾丸のような勢いで少し離れたビルの屋上へと向かう。

 

 激突する!

 

 普通であれば息を呑みかけるが、不要な心配は必要ない。

 エマは先程と同様巧みな体捌きで体勢を整えると、床にしっかりと両足をつけてキィーッとノイズを立てながら停止した。

 宙に浮かんでいて、かつ俺を抱えているにも関わらず、安定した姿勢制御に俺は思わず感嘆の息を漏らす。

 

「はぁ……ふぃ……奏斗くん大丈夫? 姫様抱っこ辛くない?」

「大丈夫、あと少しだし」

 

 息を切らして辺りを見渡すエマに訊ねる。

 

「ふぅ……ひぁ……」

「エマの方こそ大丈夫か?」

「……顔が痛い」

 

 チラリとエマの視線が止まったのは地平線の向こうに煌めく太陽だ。

 もう殆ど顔を出している太陽から射す光は吸血鬼にとって毒。動きも遅くなっているし、息が切れる事が多くなってきた。

 スマホで時間を確認すればあと3分ほどとはいえ、辛いことは事実だ。

 

「日の当たらない場所に逃げよう」

 

 俺がそう提案すれば、エマは少し考えてから「そうだね」と肯首した。数分前までならばこの案は通らなかったが今は事情が違う。

 

「せっかくみんなの連携が崩れてるから、今のうちに目につかない場所に隠れよう」

「これも全てあの吸血鬼殺しの探偵のおかげ、かな」

「だと思う。感謝しないとね」

 

 俺たちが引きつけた指示出し組の吸血鬼ふたりを探偵の元に誘導し、戦ってくれたおかげで吸血鬼たちは俺たちの居場所を正確に把握できなくなったようだ。

 実際、吸血鬼の数が半分以下。それどころか、ずっと俺たちを追っているふたりしか攻撃を加えに来ていない。

 探偵さんは何秒釘付けにしてくれたのだろうか。狙いは俺たちだから、そう長くは探偵さんと戦ってはいないと思う。

 俺としてはエマと自分への危機が減ってとても嬉しいのだけれど––––

 エマは探偵さんの自身への反応を見るに、吸血鬼だということを知らないだろうと結論づけていた。

 そのため吸血鬼を殺すの準備も持っていないだろうとも。

 

「……やるしかない」

 

 決意のある眼は揺らぐことはないけれど、小さく溢したエマの言葉からはどうしても憂いを感じる。

 逃走するために仲間に手を出すことはしていても、負わせているダメージは決して重いものではない。吸血鬼がすぐに復帰して追ってくるのが何よりの証拠。

 自分で振るう力は制御できる。

 しかし、それを他者に任せるときは違う。

 俺が事故にあったように他者の不注意、吸血鬼殺しでいえば殺意によって取り返しのつかないことになり得る。

 

「無事だといいな」

「うん。でも、今はまだ戻らない」

「相手がこのルールを守るかわからないのにか?」

「守るよ。士季くんたちはそういう吸血鬼(ヒト)だから。じゃなかったら、時間が経って話し合おうとした時に囲めばいいだけだし」

「……確かに」

 

 最初、こんな常識外の力を持つ吸血鬼がやられるイメージが湧かなかった。

 けれども今は違う。

 俺がなんとか攻撃を見切れている事実。

 あの探偵が吸血鬼を殺している事実。

 なにより俺が好きなエマが他の吸血鬼を信じているという事実。

 それが俺の中のイメージを覆そうとしてくれる。

 

「……なんか妬けるな」

「わぁ、いじけてる」

「うるさいなぁ……! こっち見んな」

 

 その信頼に妬いてる自分がなによりの証拠だ。

 だからエマが願っている限り、探偵が無事で、せめて吸血鬼も死なずにいて欲しいとは思う。

 

「そろそろ行こうか」

 

 その時、辺りの雰囲気が変わった気がした。

 背を押すような追い風から体を押さえつけるような向かい風になったからか、これから良くないことが起きるのでは?と不安になる。

 それは風向きだけが原因ではない。

 

「……なに?」

 

 エマが異様な気配を感じ取る。

 続いて俺もそれに気づいて、視線を追う。

 背後にいたのは真っ黒な人型。

 オーバーパーカーというなのだろうか?

 全身を覆う黒い衣がまるで影が持ち主を喰らって起き上がったかのようだ。身の丈に合わない装いが相手の輪郭を掴ませてくれない。

 フードを深く被って俯いた人型はピクリとも動かず、鼓動しているのかすら疑わしい。吸血鬼なら血がないだろうから当たっているかもしれない。

 

「吸血鬼か?」

「……? なにあれ」

 

 エマは理解ができないと顔に文字が浮かび上がるような困惑を示す。

 どうした、と聞くだけ無駄だ。知識がない者に尋ねたところで返ってくる言葉は一様であると、吸血鬼について知らない俺が一番わかっている。

 俺は黒ずくめに訊ねる。

 

「お前はなんだ?」

 

 黒ずくめの顔が上がる。

 応えてくれるのかと期待したが、目を合わせて無理なのではと考えがよぎる。

 

「……あんな鉄仮面…………吸血鬼の中ではトレンドなの?」

「そんなわけないよ–––!?」

 

 フードの下にあった顔は鉄の仮面で覆われていた。

 大きくて重厚感のある顔型の檻のような仮面は、まるで中世の拷問器具を思わせる形をしている。鍵をかけられたら最後、決して抜け出せない牢獄のようだ。

 一言つけるなら、センスない。

 

「っ……」

 

 ふと、一歩足が下がった。エマが後退した。

 合わせて鉄仮面が一歩だけ詰め寄る。

 離れては近づかれを幾度か繰り返すと途中で体が震えた。屋上の縁にエマの踵が当たった。ギリギリまで追い詰められたのだ。

 そこを好機とした鉄仮面は、懐に手を入れる。

 

「!?」

 

 その手を躊躇いなく突き出すと、銀色の影が俺たちに迫った。

 影がナイフだと理解したのは、咄嗟にビルの下に飛び降りたエマの頬に切り裂いた痕が残っていたからだ。

 切り傷はゆっくりと–––あくまで吸血鬼基準で–––治癒された。

 俺は押し黙るしかなかった。

 

「……ホントになんなんだ?」

 

 今までの吸血鬼は殺気のような迫力があった。

 しかし、奴は違う。

 淡々と決められた作業をこなすロボットが俺たちを殺すためだけにやってきたかのよう。迫力であれば通常の吸血鬼の方が上だが、怖さであれば確実に鉄仮面が上回っている。

 振り向けばいつの間にか肩に手を置かれているような。

 

「アイツもエマの仲間?」

「違う違う。あんなやつ居ない。居ない……」

 

 俺は鉄仮面を見上げる。

 檻の中から覗かせるふたつの眼の球がグリグリと動いて、俺たちを見つめている気配がした。本当に見えているわけではない。でも、そう思わされた。

 狙いを定めたのか奴もビルとビルの合間に飛び降りる。壁面を這うようにして降下する鉄仮面は、身体を俺たちに合わせると壁を蹴って加速した。

 見る見るうちに距離が縮まる。右手にはナイフが握られていた。そのナイフを握った手がパーカーの袖の中に隠れ、刃先が見えなくなる。

 俺を狙っているのか、エマを狙っているのか分からなくなる。

 この鉄仮面に慈悲という考えはないのだろう。

 他の吸血鬼のように捕まえたり痛い目を味合わせて眷属にさせようとするのではなく、完全に殺すという一択だけがある。

 

「ヒィッ–––」

 

 恐怖が胃液を吐き出すような声になって漏れ出した。それは鉄仮面を見ていたエマも同じだった。

 怯え()が全身に広がってガタッと体勢が崩れてしまう。

 その瞬間、鉄仮面が一気に壁を蹴った。

 

––––見えない

 

「ごめん! 奏斗くん!!」

「え!? オォォォ!?」

 

 目の前に鉄仮面が近づいたと気づいた瞬間に俺は空を独りで舞っていた。エマが俺を上空へ投げ飛ばしたのだ。

 ただでさえ下半身が使えないというのに、上空に昇る身体に強い風と圧がかかってバランスを大きく崩してしまう。

 

「この!」

 

 なんとか上半身だけで体勢を保とうとしながら、顔だけ振り向いてエマへ視線を落とした。

 直後、鉄仮面が突き出したナイフが奴の身体ごとエマを通り抜けた。

 スリ抜けだ。エマも吸血鬼だから透過が使えるんだ。

 安堵から小さく息を漏らすが、攻撃をやり過ごしたエマは唇を噛み締めながら苦しんでいた。

 

「そんなこと分かってる–––!」

 

 何か問いかけられたのだろう。

 反論するように吠えたエマが身体を捻ってスリ抜けた鉄仮面の右側頭部に向かって回し蹴りを放った。

 だが、鉄仮面はそれを読んでいたようにエマの足と自身の頭部の間にナイフを動かす。柄を右側頭部に当てるように構えられたナイフは、スリ抜けでその刃だけ躱されることを防いでいた。スピードに乗った脚の道筋を変更することもできず、エマはスリ抜けを使って攻撃自体を辞めてしまった。

 ふたりは地面に着地すると、鉄仮面はエマへ飛びかかりエマは俺に向かって飛翔した。

 

「クソッ!」

 

 敵の位置を伝達することは出来ても、それ以外は何も出来ないお荷物状態だ。位置の把握だって見切れたのは、先ほどまでの吸血鬼の手加減があったからなのだと、あの鉄仮面を見ていると思い知らされる。

 

「後もう少しだっていうのに……」

 

 もうすぐ俺たちの目的達成だが、奴を見ていると叶うとは到底思えない。

 呆然とした意識で俺は空を見上げる。

 藍色に染まっていた空はもうほとんどが蒼色に塗りつぶされていて、陽の光が差し込みヒラリと空の一点が煌めいた。

 その煌めきが落ちてきて、思わず俺はそれに手を翳す。

 同時に身体がガシッと抱えられた衝撃を受けて、バランス感覚を取り戻し安定した。

 

「大丈夫だった!?」

「あ、ああ……」

 

 俺を掴んだエマの問いかけに、曖昧に返すしかなかった。

 振り返れば、目と鼻を先に銀色のナイフが閃いた。鉄仮面は確実に俺たちを殺すという意志だけが感じられる視線で見上げていた。

 

「もうちょっと我慢してね!」

 

 そのまま青空を闊歩するように飛び跳ねて、辺り一帯にある電柱やビルの屋上を足蹴にして鉄仮面から離れる。

 俺は後ろを見続けていた。

 姿が見えなくても纏わりつくような視線が俺たちを追っているのが肌で伝わってくるんだ。

 エマも同じで、しきりに背後に視線を送っていた。

 だから、俺は思わず呟いてしまった。

 

「なぁ、エマと探偵さんで協力してあの吸血鬼だけでも殺せないのか?」

 

 相手も吸血鬼で、殆ど不死身の存在なのは分かっているが、それでも吸血鬼と吸血鬼殺しが組めばなんとかなるのではないかと考えてしまう。

 そして、俺は両手に隠し持っていた物の柄を強く握ってエマに見せた。

 

「それって、あの吸血鬼の……」

「ナイフだよ」

 

 握っていたのはナイフだ。

 空に煌めいていたのはナイフだった。それを俺は掴んでいたのだ。微力だけど、これがあればエマの力になれるかもと思った。

 エマの瞳が揺らいだ。

 傾きかけた決心に悪いとは思いつつも、俺は殺した方がいいのではと考えてしまう。

 

「吸血鬼にもエマみたいなヒトがいるのは俺が一番分かってる。……けど、やっぱり……怖いんだよ」

 

 覆されかけていた俺の中の吸血鬼という存在が鉄仮面のせいで完全に押し戻されていた。俺の意識を奪いかけた岡止も怖い。吼月の吸血鬼である蘿蔔はもっと怖い。目の前に迫ってくる脅威も怖い。

 このゲームに乗ったのは俺だけど、だからと言って死にたくはないし、エマにだって傷ついて欲しくない。

 

「……だからさ」

「出来ないよ」

 

 エマは俺の眼をしっかりと見つめた後、首を横に振った。

 

「さっき、あの吸血鬼さんに言われたんだ。『俺たちだって死にたくない。お前たちのせいで吸血鬼は探偵に殺される』って」

 

 エマが瞳が強く背後を見つめていて、そこにはあの鉄仮面がいた。淡々と俺たちを追い続け、また握ったナイフを引いてエマへ突撃してきた。

 

「こんっのっ!!」

 

 エマが身体を前傾姿勢に変えると、降下する速度が上がる。変速した俺たちはその勢いで紙一重め鉄仮面の斬撃を躱す。

 そのとき俺と奴がすれ違った。

 

「吸血鬼だって死にたくない」

「……っ」

 

 感情は見えないけれど、生への執着が分かる俺たちと同じく願いを持った真っ直ぐな声だった。

 ビルの屋上に着地したエマが続く二撃目を跳び上がって避ける。

 

「私は探偵さんを頼った。だから後戻りはしない」

 

 攻撃を辞めさせたいならば表に出ればいい。しかし、エマは人目を避けたビルとビルの間で、絶えず続く攻撃を躱しながら言葉を紡いだ。

 

「でも、死にたくない吸血鬼(ヒト)たちの気持ちも分かる……私も生きたいって願ったことあるからさ。殺すために探偵さんの力を借りたくない」

 

 死にかけたことがあるエマだからこそ一言一言に強い光があった。奴に怯えて刃を向けられたばかりだというのに、生きて欲しいと思える優しさがとても明るく見えた。

 そして、俺も死にかけたからその光に共感できた。

 

「安心して奏斗くんは私が守るから」

 

 大元を辿れば俺たちの願っていることが原因でこの騒動が起こっている。

 

 俺が吸血鬼になると言っていれば問題なくて。

––––なりたい訳じゃないのに。

 でもはルールで決まっていて

––––なら仕方ないのか?

 でもやりたいことが俺にもあって。

––––その願いが間違ってるのか?

 でもエマは受け入れてくれて。

––––そうだ間違ってない。

 でもエマが信頼する人は願いを否定していて。

––––岡止はエマの心配をしていて。

 だけど俺は自分もエマも死ぬのは嫌で。

––––当たり前だ。

 でもそれは吸血鬼だって同じで。

–––だから、あの鉄仮面だって必死で。

 

 考えれば考えるほど、なにも間違っていないとしか言えなくなってきた。

 こんなに同じことを思ってばかりの俺と吸血鬼。

 俺たちと吸血鬼のやり取りはどんな形で落ち着くのだろうかと考えてしまい、自然とナイフに目が移った。

 どうするのが正解だろう。

 個人的に言ってしまえば、鉄仮面が約束を守って俺たちを見過ごしてくれるとは思えない。

 思えないなら–––

 

「エマ、速度を落としてくれ」

「えっ……」

「頼む」

「……分かった」

 

 エマが身を翻すと、鉄仮面が俺たちと同じ高さまで上がろうとしていた。

 鉄仮面が俺たちの目線の高さに来るまで待ってから俺は、

 

「…………」

 

 カランッとナイフが地面に落ちた音が微かに耳朶を打った。

 突然自分へ身体を向けたのが気になったのか、ナイフを落としたことが気になったのか分からないが、薄らと困惑した様子だけは伝わってきた。

 

「あ、あの……! 鉄、仮面……さん?」

 

 その呼ばれ方に少し固まった吸血鬼は顎で続きを話せと促してくる。

 

「俺たちやりたいこともあって……死にたくもないんです。それは鉄仮面さんたちも同じで……考えてくることは大体同じじゃないですか! ですから……ここまで……やっておいてアレですけど……」

 

 言葉を閉じ込めるような粘ついた唾を飲み込んでから口を開いた。

 

「だから、少しお話できませんか? 知ればきっと……仲良くやっていける……」

「奏斗くん……」

「俺だってエマには死んでほしくない! 今はエマがあるから吸血鬼(アンタ)たちも死んでほしくないって思ってるけど、アンタのことも知れば、本当に死んでほしくないって思える日が来ると思うんだ!」

 

 都合が良すぎるのは分かっているけれど、でもきっと俺がやるべきはこれだから。

 

「そうか」

 

 鉄仮面はゆっくりと頷いて、ナイフを地面に落とした。

 俺の気持ちが伝わったんだと思った。

 エマもホッとしたようで安堵からか力が少し抜けた。

 

「だが、俺は化け物だ」

「え?」

 

 しかし、頷いたまま先ほどのエマのように姿勢を前に倒し、近場にあった電柱にすかさず飛び乗った。

 不味い–––脳裏にその言葉が浮かぶ前に鉄仮面は再び跳び上がった。今までよりも強い力で跳ねるその姿は、飛翔と評するべき速さだった。

 得物ではなく吸血鬼特有の剛腕を持って俺たちを殺さんと肉薄してきた。砲弾の如き速度を伴って放たれる一撃など想像もつかない。

 その光景にエマが真っ二つに切り裂かれる最悪のイメージが浮かび、本能的にエマの盾になるように鉄仮面に背を向けた。その上から包み込むようにエマが俺を抱いた。

 互いが互いを守ろうとして、瞼を強く閉じ唇を噛み締めた。

 

––––来るな!

 

 瞬間、身体の中を何かが横切った感覚に襲われた。

 

「ゲームオーバーだ」

 

 その声に、眼を開けてゆっくりと見てみれば、そこには俺たちを守るように立ち塞がるひとりの吸血鬼がいた。

 その姿に俺は強いギャップを覚えた。

 なぜなら、彼女は––––

 

「蘿蔔さん!!!」

 

 喜色に満ちたエマが呼ぶ名は間違いなくあの夜に午鳥という女性の腕を切り落とした吸血鬼であった。

 

「せっかく良い事を言ってくれたんだ。武器を振り翳すのは無粋だと思うけどな」

 

 鉄仮面の振り下ろされかけた腕を掴み、傘で突撃を抑えこみながら俺たちを守る後ろ姿は背丈以上に大きく見えた。

 

「ッ!!」

「往生際が悪いよ。キミみたいなのが居るから面倒な事が起こるんだ」

 

 力尽くで押し通ろうとした鉄仮面は遥か彼方へ蹴り飛ばされ、地平線の中に吸い込まれる。

 俺の眼前では、軽く靡いた黒髪の一本一本が顔を出し切った太陽に照らされ、流れ星の如く輝いていた。

 その持ち主は振り向き、俺たちに手を伸ばしてこう言った。

 

「大丈夫だった? ふたりとも」

 

 エマに恋している俺が見惚れてしまうほど明媚な微笑みが脳に焼きついた。

 

 

 

 

 なんとか間に合った……。

 エマちゃんたちと地上に降りた蘿蔔ハツカ()は心の内でそう呟いた。

 吼月くんと繋がっているらしい謎の吸血鬼の忠告を受けて、念の為急いで来たのが幸した。後少しであの吸血鬼にやられるところだったんだから。人通りや陽の当たり方などでふたりの進路を予測して駆けつけたけど、予想が外れていたら、あと一瞬でも遅れていたらどうなっていたことか……。

 ラインで吼月くんに『どこにいる』と送ってみれば、すぐに『車椅子を取りに行ってる』と返信が来た。

 ……そうだった。沙原くんの車椅子、広場に置きっぱなしだ。

 

『言いたい事が沢山あるんだ』

『なら、今日の夜に市民公園に来てくれ。そこでゆっくり話そう』

 

「まぁいいや。ショウくんめ……後で文句言ってやる……」

 

 僕は『分かった』と彼の提案を呑んだ。

 探偵さんのことも、この騒動のことも、なにより吸血鬼を日の下に駆り出すなんて、どう落とし前をつけたものか。

 お仕置きを考えている僕にエマちゃんが声をかけてきた。

 

「蘿蔔さん、ありがとうございます」

 

 ペコリと頭を下げたエマちゃんの顔には疲れが色濃く現れていた。日が当たる場所にも出て行かなきゃいけなかったし、疲れて当然だ。

 逆によく倒れないなと感心すらする。

 

「そ、その……」

 

 エマちゃんに抱えられている沙原くんが僕を見て、口をまごつかせていた。

 

「……ありがとう」

 

 一度息を吸ってから吐き出した感謝の言葉はどう伝えようか迷った末の素直なモノだった。

 

「ふたりが無事で良かったよ」

 

 僕もありのままを伝えると、照れを隠すように顔を背けた。

 その頬の赤みは僕に落ちた訳ではなく、恐怖を上塗りする衝撃によるものだと僕には分かった。萩凛さんの一件で沙原くんは僕へ恐怖を感じていたようだが、それも今ので消し飛んだようだ。

 怯えられるよりも、受け入れられる方がずっと良い。

 

「でも、探偵さんを引き入れた事はロン毛くんたちに謝っておきなよ」

「頼ったことは後悔できない……だから謝れないです。でも、これが終わったら我儘に付き合わせてしまったことは、ちゃんと頭を下げにいきます」

「そう、分かったよ」

 

 自分の願いをやり通そうとする芯のある眼。

 これならまだみんな納得してくれるだろう。

 一発ぐらい頬を叩かれた方がいいとは思うけど。

 

「それで最初から知ってたの? 探偵さんがいること」

「……い、いえ。協力してくれる人がいることしか知らなかったです」

 

 その答えに僕は驚くこともなく納得してしまう。吼月くんのことだから、エマちゃんが頼るしかない状況を作り出したのだろう。

 好意的に考えれば、人間を守ろうとする吸血鬼の存在を探偵さんに見せつけるために。

 敵対的に考えれば吸血鬼の存在の証拠を掴ませるために。

 

「あっ……」

 

 エマちゃんが空を見上げると、そこには3人の吸血鬼の姿があった。

 

「士季くん」

「蘿蔔さん」

 

 コツンと小さく音を立てて地上に降り立ったのは士季くんと萩凛さん、そして白山くんと呼ばれる青年だった。

 

「色々話したい事はあるけど、今は……」

「はい、分かってます」

 

 僕の話よりも優先すべきとかがある。

 エマちゃんはゆっくりと彼らの下に歩み寄る。

 

「士季くん、お話し聞いてくれる?」

 

 そう訊ねると、士季くんは「いや、必要ない」と答えた。

 それはエマちゃんの話を拒否している訳ではなく、既に要求を理解している穏やかな声色だった。

 

「なら、士季くんたちはエマちゃんたちの要求を呑むってことでいいかな?」

「一部は、です」

 

 その切り返しにエマちゃん達は息を呑む。

 

「今はまだ人間でいい。だが、俺たちとしては沙原くんには吸血鬼になってもらわなくちゃいけないのは変わらない」

 

 沙原くんはこの先どうなろうと眷属になるしかないのだから。

 その価値観は変わりはしないけれど、といって人間と吸血鬼でこれ以上のスレ違いが起こるのは許容できない。

 

––––気持ちよく吸血鬼になってもらうために、この1年で沙原くんにはエマちゃんと永遠に居たいと思わせよう。

 

 僕の意見に士季くんが頷いたのを見て、

 

「え? なんです?」

「???」

 

 僕は沙原くんに近づいて、微笑んだ。

 そして––––

 

「いただきます」

 

 僕の口の中が新鮮な生き血で満たされる。

 

「〜〜〜〜〜ッッッ!!!」

 

 血を啜る卑猥な水音が耳から彼を刺激し、痛みと快感が身体の内側からこの瞬間を焼き付けつける。

 吸血鬼に血を吸われるとはどういうことか。

 その喜びを強く印象付けるよう念を込めて僕は血を飲んだ。

 

「ぷはぁ〜……うん、唾つけさせてもらったよ」

 

 口を離せば、頬を朱に染めて首筋を抑える沙原くんと、驚愕で表情を引き攣らせて固まるエマちゃん達がいる。

 やっぱり、この事も聞かされてなかったのか。

 ちょうど良い薬にはなるかもね。

 後ろには、仕方ないだろうと頷く士季くんと白山くん。萩凛さんが羨ましそうに唇に指を当てる。

 

「私にやられてくれればいいのに」

「中立な僕の方が適任でしょ。沙原くんの血を僕に吸われて嬉しいよね、エマちゃん」

「〜〜〜!! こんなの寝取られだよ!!」

「なら、吸うしかないよね。今のままなら僕のモノだね。あ、そうだ。沙原くん、このまま僕の眷属になる気はあるかい?」

「……」

「ダメですよ! するなら私の眷属だから!!」

 

 固まった表情が茹ったように赤くなり、溶け出した感情が叫びを上げた。

 僕はひっそりと吸血の衝撃で口が利けなくなっている沙原くんには耳打ちする。

 

「エマちゃんに吸って貰えばもっと気持ちいいかもよ?」

「………っっ」

 

 エマちゃんに血を吸われた時の想像をした沙原くんは悶えてしまった恥ずかしさに打ちひしがれ、そしてエマちゃんにしてもらえたら嬉しいなと身体が勝手に身構えていた。

 それをエマちゃんは誤解してしまったらしく。

 

「え!? 奏斗くん!? 何言われたの!!」

「なんでもねぇよ!!」

「だったら教えてよ!!」

「エマだけには言わん! 知られたくない……!」

「ええーーー!!!?」

「ふふっ、あはは!」

 

 より一層赤みを増した沙原くんとエマちゃんを見ているのはとても微笑ましかった。

 その光景には、心のうちに吸血鬼になるのも良いと思える時がきっと来ると確信させる暖かさがあった。エマちゃんの優しさなら沙原くんも吸血鬼になりたいと思える。沙原くんならエマちゃんの眷属になりたいと焦がれる想いがある。

 

「さあ、みんな。今日はこれでお開きだ」

 

 吸血鬼に惹かれて、焦がれて一生を捧げていいと思った時こそが吸血鬼になる最高のタイミングだ。

 きっとこの暖かさが極まった時に訪れるモノ。

 吸血鬼の魅力で人間の道理なんて引っ込めさせよう。

 それで僕の望み通りだ。

 

 

 

 

 

 

「これから1年間、頑張ろうね」

 

 

 

 

 地面に背をつけた身体をゆっくりと起き上がらせる。街を飛びながら受けた猛烈な風で乱れてしまった髪を、片手で適当に整える。

 そして、先ほどのふたりの姿を思い出す。

 

「……良かったよ奏斗先輩、エマ」

 

 相手の声に耳を傾けようとする勇気と願いのために誰かを利用する胆力に、今になって僕は心打たれた。今になって強く胸を打つのはようやく感情が再起したからだろう。

 しかし、なにより絶景だったのは。

 

「ハツカ……」

 

 瞼を閉じれば僕の前に対峙したハツカの姿がありありと映し出される。

 僕の一撃を受け止めて、奏斗先輩とエマを守るその姿は正に《騎士(ライダー)》。理不尽に晒されるふたりの下に誰よりも速く駆けつけ、僕から護り通した。

 ヒトの中にある《普遍的な原型(アーキタイプ)》を彼らは待ち続けている。

 やはり彼はヒトだ。焦がれてしまうほどにヒトなんだ。

 

「やっぱりカッコいいよ。ハツカ」

 

 さて……車椅子を持って行ったら、今日も学校だ。

 陽の光を受けながら俺を大きく欠伸をした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。