楽しんでいただけたら幸いです。
俺が歩き出した時、ハツカたちと
近くに事情を知らない人間はいない。出入り口からも結構離れているから、人に聞かれる心配もなかった。
「性懲りも無くまた来たの?」
「呼ばれたのさ。キミの眷属候補にね」
近づけば4人が俺に視線を移した。
「くくく……っ」
「なにがおかしいのかな? 吼月くん」
「いえ、すみません鶯さん。ちょっと黒幕っぽく笑ってみたかったので」
笑いを堪えるように口元に手を添えていれば、今にも弾丸が飛び出しかねない迫力を持った静かで鋭い眼力が俺を貫く。
その視線は鶯さんだけではない。ハツカや士季たちからも敵愾心の籠った目が向けられる。
「あ、本当にいる」
「こ、こんばんは」
「……こんばんは、沙原奏斗くん」
俺に続いてやってきたエマと彼女に車椅子を押されてやってきた奏斗先輩が鶯さんと視線を交える。鶯さんの瞳には、どろっとした砂糖の主張が激しいコーヒーのように猜疑心がたっぷり溶かされていた。
「ショウくん。これはどういう–––」
「俺が教えた。それでいいだろ」
俺が事実を簡潔に伝えると、鶯さんは自身のコートの内ポケットに雑に手を突っ込み一枚の紙を取り出した。
「私のコートにこんな紙が入っていた。『今晩21時に市民公園の体育館前で会いましょう』とな。私を眠らせた吸血鬼が入れていったのだろう」
眠らせた吸血鬼。カオリのことだろう。
「これもキミが奴に命令したことか?」
「ええ、奴とは今回目的が合致しましてね。その流れで。そんな紙切れなどなくとも鶯さんであれば、ここを突き止められると俺は思っていますが」
誇張でもお世辞でもなく俺はそう思っているのだが、鶯さんは「そうか」と淡々と言葉を返す。
「吼月くん、少々癪だが蘿蔔と同じ質問をしよう。これはどういうことだ?」
「聞きたいことはこの体育館に詰め込めないほどあるでしょう。なぜ奏斗先輩がここにいるのか、なぜ吸血鬼と仲良くしているのか、なぜ普通にハツカや士季たちに監視された状況なのか。
ええ、沢山あるでしょう。お訊きください。ゲームの主催者である俺にはその問いに答える義務がありますから」
しかし––––と指で鶯さんが言葉を紡ぐ前に、シッと口を閉じてほしいというジェスチャーをする。
その後、俺は奏斗先輩とエマへ目を向けると彼らも怪訝そうに俺を見る。鶯さんへの敵意ではなく、俺に対して「お前何やってんの?」と言いたげなものだった。それはハツカたちも同じく。
「ふたりも訊きたいことはあるだろうけどどうする?」
「分かってるよ」
「俺も行く」
ふたりはそのまま鶯さんの目の前へ近寄った。鶯さんがその気になれば、一呼吸でエマの喉元を刺したら抜けるほどの距離だ。
一撃の距離であるのはエマも同じで、鶯さんも気を張っているのが解った。
だからこそ、彼女たちがかける言葉には意味がある。
「ありがとうございました」
「……は?」
自然と声が重なった感謝の言葉に鶯さんは事態を把握できないかのようで、脱力した口から一言だけ溢した。手に持っていたカップを落とし、割ってしまったことにすら気付かないような硬直のまま、吸血鬼殺しの探偵は呆然としていた。
ただ一点。自身に頭を下げた吸血鬼を見下ろしている。
「おいふたりとも!?」
彼らに待ったをかけるように声を張り上げたのはエマの親である士季だ。
「探偵さんの手を借りるって最後に決めたのは私なんだし、感謝はしないのは無礼だよ」
「俺も実際助けてもらったし」
「いや、お前らなぁ……相手は俺たちの敵だぞ!?」
「それはどうかな?」
また、くくく、と不敵に笑ってみせれば全員の視線が俺に集まる。
「さてさて、鶯さん。これはどういうことか……簡単ですよ。叶えたんだ、人間と吸血鬼が笑い合える世界を!!」
その結末は大切な人と一緒に歩んでいける結末だ。そして、より多くの道を選べる結末でもある。
俺の物言いに感情を取り戻した鶯さんは、煙草を取り出し一服。天まで登る煙を吐き出してから、努めて冷静に対峙する。
「私の下に来たときは沙原くんの夢を奪わせたくないと言っていただろ。吸血鬼と一緒にいるなら現状は変わらない。眷属にされる可能性はだって残ってる」
「いいや、大きく変わったよ。あの段階では吸血鬼のルールで、奏斗先輩は吸血鬼になることを強いられていましたから」
「……っ」
「貴女の協力もあって、奏斗先輩自身の意思で人間のまま生きるか、吸血鬼になるかを選べる世界になったのだよ!」
あとはふたりがこれからどうしていくかによるが、人間も吸血鬼も彼の視点からは善し悪しはつけられないだろう。
「まず考えてもみてください。吸血鬼になれば、今まで以上のスペックで立ち回ることができるし、ちゃんと自分の脚で立つことができる!! 空だって跳べるし、普段の生活だってより便利になる!!
なにより不老! それがあれば奏斗先輩はずっと
奏斗先輩が人間で居たい理由は周知の通り。
だが、士季の言う通り吸血鬼になることにも確かなメリットが存在する。
「こんな人智の及ばないチカラ。使うか使わないかをたかだか数日で決めなきゃいけないなんて……おかしいとは思わないかい?」
俺の言葉に奏斗先輩が首を傾げる。
「え? 待って、俺を吸血鬼にしない為に動いてくれてたんじゃ……」
「誰もそんなことは言っていない。俺に味方も敵もない。人間も吸血鬼も分け隔てなく、ただみんなが自分の意思で道を選べればそれでいい」
吐露した考え方にこの場にいる殆どの者は面喰らっている。奏斗先輩たちの視点では俺は味方に属していたのだろうが、本当は味方でも敵でもないのだ。
ただひとり、ハツカだけは知ってるよと言わんばかりに不敵に笑う。
「人間のままならその脚は治らない。とはいえ、吸血鬼になればエマへの想いも家族への感情もゆっくりと忘れてしまうから、これから一年、吟味しろよ?」
「……なんかめっちゃお膳立てされてる気がする」
「アンタの為の計画なんだから当然だろう」
ニヤッと笑ってみせれば、奏斗先輩はどう返すか少し迷ってから照れるように笑った。
「『悪い吸血鬼を倒したい』という言葉はなんだったんだ?」
「ん? 言っただろ、叶えたって」
過ぎ去った過去として俺は【悪】を示す。
たったひとつの道だけしか見ようとしない化け物の思考はもうここには存在しないのだ。
「ハツカ、奏斗先輩を吸血した理由は?」
「吸血は快感を伴う–––時々いるのさ、吸血で虜にされる人間も。結局、沙原くんはエマちゃんに落ちてるんだから、一年ぐらい猶予があっても変わらないさ」
最後には吸血鬼を選ぶ。選択の結果そうなるとハツカに信じている。
絶対的な吸血鬼の魅力を自負として体現し続ける、ヒトであるハツカらしい答えでとても良い。
「なら、士季は?」
「……知ってるだろ」
「士季の口から直接聞きたいな〜〜」
一度言い淀んでから、顔を逸らしながら答えた。
「まあ、人間のままでも……良いかなって」
エマの想定通りの答えにハツカは驚愕に顔を染め、士季の後方に控える午鳥は困惑を極めた顔を片手で覆い隠そうとしていた。
そして、鶯さんは驚きと戸惑いに、今までの常識がひっくり返される拒否感をかき混ぜた表情を表に出していた。
「……ホント、なに考えてるの士季くん?」
「でも蘿蔔さん……吸血鬼にめっちゃ怖がってるのにエマのことだけはちゃんと好きでいてくれたり、エマが傷つくなら探偵に会いたくないって言っていう子だし……」
俺の血を浴びて見た記憶を自身の中でもう一度想い起こしながら、士季は奏斗先輩が人間で居ても良いかもしれない理由を連ねていく。
その途中、俺を見て–––
「よく分からない吸血鬼からエマを庇おうとしてくれるような子が、わざわざエマを危険に晒すようなことはしないでしょうし」
「彼がどうであれ眷属にしないといけないのは変わらないわよ?」
「解ってるよ。だから、ちゃんと吸血鬼になりたいと思えるようにするんだからさ」
自分の感情をどう整理していいか分からなくなってきた士季は頭を抱えた。その悩みは健全でとてもヒトらしい揺れ動きであった。
「やはり吸血鬼も外傷での変革よりも、内障での変革の方が効くみたいだな」
「……士季くんになにをしたの?」
「俺がやったというよりは単なる自滅かな。士季は俺の腕を裂いて
告げた言葉にハツカは原因を悟った。
「吸血には二つの性質がある。ひとつはエネルギー補給。吸血鬼だからね、血を吸わなければ生きていけない。そして、もう一つが感情の取得だ」
彼らは吸血によって吸った相手の感情や思考、一部の記憶すら読み取ってしまう。その余りにも深い理解は、他者と同化すると言い換えてもいい。
血に含まれる感情や思考が大きければ大きいほど、吸血鬼本人の新たな価値観を付与できる。抵抗することすらできずに、感情の波に曝されるのだ。
だからこそ、奏斗先輩とエマに直接話たことは俺にとって大きな意味があった。
そう語れば士季が一杯食わされたと言わんばかりの顔で俺を見た。
「あれも織り込み済みだったのかよ」
「ふっ、化かされたな」
俺の中のプランZだかな。
指で作ったキツネを鳴かせながら俺は鶯さんを見る。
「ね、倒せたでしょ? 吸血鬼を知った以上、絶対に眷属にするって常識」
「たったひとりじゃないか」
無意味さを含んだその言葉を俺は首を横に振る。
「まずはひとりだよ。俺の血にも、理性にも限度があるけど、まずはひとりに伝えてそこから新しい考え方を広げる努力していくさ。士季に理解してもらえたんだ。今は端から端まで手が届かなくても、いつかはきっと常識が覆る」
ヒトが自覚してキチンと選び取ることができれば、より善いモノへと移りゆく。
「けれど、感情だけでは納得できない
しかし、これはあくまで吸血鬼であるエマが1年間一緒に居て、大丈夫って実感があるからできる裏ワザだ。誰を信頼するかは吸血鬼側で新しい線引きを作る必要がある。
それを考えるための一年でもある。
「俺も吸血鬼になる気はないからな。万が一、片方が落ちても問題はない」
「え? 蘿蔔さんの眷属になるんじゃないの!?」
「なんないけど」
エマや奏斗先輩が驚く後ろで、午鳥も「吸血の約束してるじゃ–––」とハツカに話しかけている。何度もこのくだりを見る辺り、吸血鬼を知っている時点で眷属になるという考え方が強く根付いているのだろう。それもこの一年で変えてやる。
ここまで話した上でハツカが疑問を突きつけてくる。
「そこまで考えてるなら、なんで探偵さんなんて呼んだのさ」
鶯さんと共にカオリに会っているハツカからすれば、わざわざ探偵に頼む必要なんて見つからない。人間を守るスタンスの彼女であれば、時間稼ぎもやってくれただろう。
扱い方を間違えれば余計にエマと奏斗先輩の立場を悪くするのだから、身体にできた小さな膿のように触らずがベストだ。
「吼月くん。キミも……私が間違っていると言いたいんだな」
誰かに自分の願いを否定されたことがあるのだろう。そのことを思い出し、落胆したように鶯さんの声が重く、そして暗くなった。
「いいや、命をかけたアンタの理想の世界も立派だよ。だけど、貴女のやり方では足りないものがある」
彼女の予想に反した答えが、瞳孔の境目すら分からない真っ黒な眼に微かな光を生み出す。
「ひとつお聞きしましょう、鶯アンコさん。ハツカは強かったですか?」
「…………」
鶯さんはハツカを一瞥した後とても不服そうに沈黙し、
「だったらそのチカラ、貴方の手で使ってみる気はありませんか?」
「……どういうことだ」
俺の進言に鶯さんは思わずフィルターを強く噛み、顔が歪に捻じ曲がった。
「吸血鬼の力を使う? なにを馬鹿なことを言って!」
「馬鹿な事ではありませんよ。鶯さんはひとりで吸血鬼と戦っているんですよね?」
彼女はゆっくりと首を縦に振る。
もの寂しい人の出入りがない部屋を見て協力者が少ない、または居ないことは予想できていたし、時間稼ぎでひとりだったから間違いない。
「現状のやり方を見てもワンオペは明らかにキャパオーバーです。ですから、吸血鬼を呼び出したり、捕まえるぐらいは同スペックの吸血鬼たちに任せましょうよ。その方が楽ですよ」
「は!?」
なにも人間である鶯さんがわざわざ危険な真似をする必要はないんだ。独自の情報網やスリ抜けという能力がある以上、吸血鬼に任せた方が得策だ。
「それに鶯さんが元々狙ってるのはひとりでしょう? もしその吸血鬼を殺すのが絶対条件なら、吸血鬼パワーで首を跳ね飛ばせばいいわけだし。自分で仕留めたいなら吸血鬼が拘束しつつチェンソーで––––」
午鳥を見る限り再生能力自体は高いけど、俺のように血を使って身体が能動的に修復することも無いだろう。あくまで【不死と評していい】のが吸血鬼であって、完全な不死ではない。
「お前……怖いこというなよ……」
「殺す選択を取るなら確実に殺せるのを選ぶだろ」
「いやまず同族殺しさせるなよ!」
「なら俺やるけどスリ抜けだけは対策しないとな……」
「そういうことじゃねえ! まず殺せねえから!!」
辺りを見ると吸血鬼たちが絶句していた。午鳥は実際俺に首を折られたからか少し怯えながら首をさすっている。
「まず、シレっと僕らが手伝う前提で話してるの?」
そう問いかけて来るのはハツカだ。
協力してもらう
「鶯さんを産むような吸血鬼がいるから面倒なことになるんだろ? 本来、人間と吸血鬼がいがみ合う必要なんてないんだ。そのために士季たちだって集まってるんだから」
「俺たちは平穏に暮らしたいだけだからな」
「だろ?」
そのために彼らだって悪目立ちする吸血鬼は懲らしめているという。
「だから、吸血鬼にとっても悪い話じゃないと思うんだ。鶯さんは吸血鬼による被害を無くしたい。吸血鬼としても人間と対立して平穏を壊したくない。人間も吸血鬼も同じモノを求めてるんだから、手を組めばどちらも被害を最小限にできる!」
鶯さんも士季たちもただ生きていたいだけなんだ。
同じ方向を見ているなら敵対していても一緒に歩んでいけると、俺はそう考えている。
「吸血鬼はいるだけで悪なんだ。人を騙すことを正としてる化け物などと手を組めるわけがない」
尻すぼみになりそうな声を腹に力を込めて、なおも彼女は吸血鬼と対峙する。
「いるだけで悪なら、奏斗先輩もコウもマヒルも、吸血鬼と一緒にいようなんて思わないよ。絶対的な悪っていうのはいるだけで誰からも忌避される存在なんだから」
吸血鬼と一緒にいて楽しいという者たちが確かに存在するんだ。
「鶯さんだってエマが奏斗先輩を人間のまま居させようとしたの見たでしょ? 士季は俺が血を噴き出した時に慌てふためいてさ、ハツカなんて殺される寸前の奏斗先輩とエマの前に身を投げ出したんだよ? 吸血鬼のルールのせいで霞んで見えるけど、善意は間違いなく人間と変わらない。
少なくとも、ここにいる奴らは化け物じゃなくヒトだよ」
「そんなことは–––」
「ない、なんて言わせないよ」
俺が奏斗先輩に目を向ければ、俺の言葉を認めるように何度も頷いてくれた。
「蘿蔔さんは本当に俺を助けてくれたんです!」
一度ハツカへ視線が移った彼女の瞳を俺は強く見つめる。彼女の瞳がまるでヒビが入ったように歪んで、間違いなく彼女の中の常識が音を立てて崩れ始めていた。
「さて、次は現実性の話だ。吸血鬼の被害をなくす為に吸血鬼を皆殺しにする……これは事実上、不可能だと俺は思っています」
その一言は鶯さんの心を壊す可能性を秘めていると知ったうえで、俺は続ける。
俺の手元にある情報で吸血鬼が死ぬと確定している方法はふたつ。
ひとつめは弱点を使った襲撃。
一番有効打とされているが、何年生きているか分からない–––エマや士季ですら40年以上前––––敵の人間だった頃の遺物を全個体分、探し出すなんて不可能だ。
ふたつめは吸血鬼に10年、血を吸わせないことだ。
吸血衝動を抑え込んで吸血せず10年経てば、エネルギーが足りなくなり勝手に死ぬ。これなら弱点がない吸血鬼も殺せる。
しかし、全個体に適応させるとなれば、人間社会に吸血鬼の危険を露呈させることが必要になる。
俺で言えばハツカの吸血姿を暴露することがそれにあたる。
ただ、この作戦は前者以上に色々問題がある。
吸血鬼の手によって話を有耶無耶にされることを無視しても、話を信じて誰も夜に出歩かなくなるなんてことはない。
当然、身を案じる人もいるだろうが、吸血鬼に好奇を抱くものも少なくないだろう。ファッション吸血鬼などと言い出して、吸血鬼の真似事をする者も現れるだろう。マウライのように吸血鬼警察の如く確証もないのに私刑を行う者まで現れるだろう。
もしここに、人間はそこまで愚かではない、という人が居るなら敢えて言おう。
–––––【人間も愚かだ】
だから絶対にそうなる。吸血鬼を理由に人間同士で勝手に攻撃し合う。
そう考える自分にため息をつきたくなる。いつも通り内心で強く否定してくれればとても嬉しいのだが、都合よくそう思うこともない。
ともあれ、どんな方法でも吸血鬼を絶滅させることは不可能だ。
「だったら君ならどうする?」
「忘れさせるんだ。今の世界なんて」
「ふっ」
俺の言葉を聴き、鶯さんは呆然としたのちに笑い始めた。俺の思想は愚かだと、無謀だと馬鹿にする嘲笑が夜に響く。
「子供の妄言だな。そんなこと出来るわけがない」
確かに無駄に壮大で、眩暈がするようなる事だけど––––それでも、俺は知っている。
「いいや、行ける気がするよ。優しい貴女がいれば」
「何を言って……?」
「だってアンタがやってきたこと全てが切り札なんだから! 鶯アンコォ!!」
俺は胸を張って叫んだ彼女の名は夜の静寂を揺るがした。その声を聴き街が目覚めたように風が叫び、鳥が飛び立ち、木々が唸る。
––––彼女は家族を失ったヒトたちの話に耳を傾けて、悲しみを知っている。
「その血を飲めば、悲しむ誰かが居ることを知る」
左腕につけた腕時計を取ってポケットにいれる。
自分の言葉が地についたモノだと信じるためにゆっくりと着実に彼女の下へと歩き出す。アスファルトが熱で溶け出したような不安が足元から伝わる。
––––彼女は吸血鬼になって消えた人たちを追いかけて、知らずに吸血鬼にされた者の怒りを知っている。
「その血を飲めば、
朧げながらもしっかりと進みつづけ、体感ではとても長い時間をかけて彼女の目の前にやってきた。目の前で揺れる火に身体が震える。
––––彼女は人間を吸血鬼から守ろうとしてきて、襲われた者の恐怖を知っている。
「その血を飲めば、自分たちの力を知る」
それが出来るのは吸血鬼殺しの鶯アンコであり––––
「人間の証である鶯さんの真っ赤な血に流れる祈りが必要だ」
人間の血が吸血鬼を変えるのは実証済み。
だから––––俺は彼女の本当の名で呼んだ。
「貴女の意志で世界を変えろ……
その瞬間、叫びを上げる風が、響く鳥の羽ばたきが、大きくしなる木々の音が俺の言葉をかき消していく。それでも彼女にだけは明瞭に伝えられた。
「なんでそのことまで……」
ありえないと言わんばかりの顔で俺を見る彼女に、誤魔化すように微笑んで話を続ける。
「吸血鬼を全て殺すことは出来ないけれど、その価値観なら貴女の血で創り変えることができる。士季たちと協力すれば、より多くの吸血鬼に理解してもらえる。新しい常識が広がっていけば血を超えて理解してもらえる。悪い吸血鬼と戦うしかない時も、ハツカたちと力を合わせればきっと命を危険に晒す必要なんてない」
吸血鬼同士で対峙すれば彼らの枠組みだけでも問題があると理解してもらえる。人間への被害は血で理解させられる。
「復讐をしたい相手がいるなら手伝います。鶯さんが今もなお追っているならば、その吸血鬼はまだ同じことを繰り返しているのですから。な、士季?」
「…………お灸ぐらいは据えておくべきだと思う」
「私も手を貸してもらった恩返しはしたい」
頭を掻きながら応える士季とすぐに首を縦に振るエマ。彼らの返答でやはりその吸血鬼は殺した方がいい存在なのだと理解した。
「これが俺たちの答え。鶯さんも、ハツカも、奏斗先輩もエマも士季も……みんなみんな前に進んで、平穏な幸せを掴むための答え。
俺が貴女に渡せる
俺はハツカと鶯さんを一瞥する。
これならば、ハツカは殺されずに済むし、鶯さんの復讐も果たせて全ての吸血鬼に殺意を抱こうとしなくて済む。
タバコごと唇を噛み締めてながら自分の価値観に苦しむ彼女へ俺は手を伸ばして、
「受け取ってくれますか?」
その手が繋がるのをジッと待った。
命を賭けてどんな手段を使ってでも吸血鬼を殺すと言った鶯さんならば、きっとこの手は掴んでくれる。
彼女にだって叶えたいことがあるのだから。
この手は利用する価値がある。
「私は……」
そして–––––彼女の手が伸びて
パチンと俺の手が払われた。
なにが起こったのか理解できず首を傾げていると、少し焦げた臭いが鼻を刺すと同時に俺は押し飛ばされてしまう。
鶯さんがタバコを握った手で突き飛ばしたのだ。
か細い火の粉のような小さな力。けれど、抵抗する発想も暇もなかった俺は簡単に倒れて、地に背を打ちつけた。
「吼月!」
「吼月くん!?」
「っ……!?」
押し倒された俺に奏斗先輩とエマが駆け寄る。
すぐ顔を上げてみれば、肩を震わせて俺を睨みつける悪鬼のような顔の女性がそこにいた。般若よりも恐ろしい怒り。苦痛に歪むその顔を見た途端、俺の中に寂しさが湧いてきた。
「何度も言わせるな!! 吸血鬼は存在してるだけで人間を不幸にする!! だから吸血鬼は皆殺しにしなくちゃならないんだ!!」
––––ヒトを不幸にするのは悪意であって、吸血鬼か人間かという外面ではないですよ?
––––なんで自分を追い込むことばかりするの?
––––復讐だけ考えてたら次にやること見つからないよ?
心の声を抑え込んで、俺は彼女を肯定する。
「それがアンタの道を選ぶならそれを認めるよ。だけど–––」
彼女を否定する言葉を容易く飲み込めたのは、自分を縛り付けてるように叫ぶ彼女がとても痛々しく思えたからだ。
まるで自分の意思で叫んでいないような、そんな錯覚。
「だけどじゃない! 子供のキミには分かりやしないさ!」
そんな彼女の姿になぜか既視感を覚えていた。
「10年……10年だ。奴を……お前たち吸血鬼を追い続けてきたんだ……中途半端なところで終われるか!!」
「だったら俺もその復讐に相乗りしよう。だから俺は貴女にも」
–––恨みを捨てて、笑顔で幸せになってほしいんだ。
そう叫ぼうとする俺の前に1人の陰が立ち塞がった。俺を庇うようにハツカが立っていた。
「もういいよ、ショウくん」
いいわけがない。
すぐに立ち上がって彼女に駆け寄ろうとするのが、それはハツカの腕によって制止させられる。
普通であれば聞く必要なんてない。
けれど彼の瞳には強い力が宿っていて、それは任せろと雄弁に語っていた。まるで魅了されたように俺は足を止める。
「じゃあね、裏切り者の吼月くん。吸血鬼になれるキミは敵だ」
断言できる事実を話しても彼女は信じないだろう。
鶯さんは踵を返して、足早にこの場を去ろうとする。拒絶されたのだとひしひしと伝わって来る。
なら、敵なりのやり方で彼女を変えてやる。
「鶯アンコ–––」
そんな彼女の背にハツカはとある名を投げかけた。
「七草さん、泣いてたよ」
凛とした芯のある声色が波紋のように一帯に広がれば、ざわめく夜が声に応じ静かになった。まるでハツカがこの場を一帯を支配したかこのように。あるいは鶯さんの心の内を表したかのように。
鶯さんの足がピタリと止まっていた。
––––……そうなのか
ハツカが任せろと思わせたのは他でもない。彼女が本当に頼るべき相手がいるからだ。
それがコウを変えたナズナさんだというならば、彼女の居場所がそこにもあるならば、ハツカたちと組めと無理強いをする意味などない。
「蘿蔔ハツカ、止岐花エマ……もうお前らには関わらない。お前らを殺すのは私ではないからな」
鶯さんはそれだけ告げて、逃げ出すようにまた歩き始めた。
とても重い足取りだったのは言うまでもなく、最後の言葉も強がりにしか俺には思えなかった。
ハツカもそう感じて「強がりだね」と呟いた。
「いつでも待ってますからね〜〜〜!!!」
遠ざかる彼女にそれだけは覚えていて欲しくて、俺は場所を憚らず叫んでいた。
そして、声が夜空に吸い込まれ消えると、力が抜けた俺は地面に座り込む。本当なら倒れ込みたかったがここで背をつけるのは情けない。
複数の足音がコチラに向かって来るのを感じながら、ただぼぉっと空を仰げば真っ暗な星空があった。
当然だが、俺は満足していなかった。
望み通りに行かないのはハツカとの約束を破ってしまったから–––––のかもしれない。
「大丈夫か吼月!」
「問題ない、眠たいだけだ。士季、悪いがもう少し鶯さんを落とすのに時間をくれ。ナズナさんにコンタクトを取って」
「ねえ、ショウくん」
澱んだ夜空を遮るようにハツカが顔を出した。呆れたと感心が入り混じった表情をさせながら、冷たい目で俺を睥睨する女王の姿がそこにはあった。
それすら独特の美しさを持っているのだから凄いと思う。
「やりすぎ」
「今回の騒動の根本はあの人が敵対してるからだ。なら、それを消さなきゃ解決にはならないだろ」
「キミはいつも欲張りすぎなんだよ。あと地雷めっちゃ踏んでた」
「ハツカみたいな奴もいるって、悪だけじゃないって分かってもらうには絶好のタイミングだったんだよ」
俺の返答に肩をすぼめてため息をつくハツカは、周囲の温度を簡単に下げてしまう眼光で見下ろしてくる。
「……ころっ……怒らないのか?」
「今後たっぷりお仕置きするからいいよ。叱ったとしても、キミの性分は簡単には変わらないでしょ?」
「よく分かってらっしゃる」
ハツカの冷たい視線がとても好ましかった。ハツカやエマたちを危険に晒した上でこんな失敗してしまったことと、俺の生き方に順じた行動することを別で考えてくれている。
だからこそ、より強く自分の失敗が大きくのしかかり、身に沁みる。
「アレはもうボクらの手ではどうしようもない。けど、キミが彼女を追い詰めてくれたおかげで、少なくとも僕やエマちゃんたちの安全は確保できた。そこだけは褒めてあげる」
伸びてきたハツカの手が俺の頭の上に置かれて、小刻みに動き始めた。
「追い詰めるじゃダメなんだよなぁ……」
「褒めてるんだから素直に受け取りなよ」
「あはは」
頭を撫でられると罪悪感が生まれる。俺は『ごめんなさい』という苦い言葉を笑いながら頑張って噛み殺していた。
まだ終わってないのだ。
しかし……鶯さんも笑顔でいて欲しかったのに、結果としてハツカたちを危険に晒しただけの俺の行動に価値は有ったのだろうか。
価値なんてあるはずがない。
「ありがとう、ハツカ」
「どういたしまして。キミも頑張ったね」
この言葉がどう伝わったかは分からない。
ただ微笑んでくれた彼がいるだけで、許されない満足感が身体に広がった。
どう見たって本心ではない。
それでも––––
ここで3話も一区切り。
次回からもよろしくお願いします!