タイトルは元ネタから。
時系列は原作最終回前のところです
その
「人間って大変だよねぇ……たった二日休んだらすぐに学校仕事で、やりたいこともままならないよねえ……その点、僕らはそんなものには囚われない。映画の内容と全く関係ない主題歌を聴きながら一日を潰しても浪費にすらないんだからね」
セミショートの黒髪を指で耳にかけながらハツカは、まるで青ざめた死人の顔色のように透き通った酒を間に隔てて夜守コウを覗き込んでいた。死んだ人間の血は、目の前の酒のように染まるのだろうかと、ふと思った。
そして、
「今の俺はそんな風に見えますか?」
「ふむ……」
カクテルグラスを退けてハツカは唸ってみせる。
「ハッキリしない。強いていえば、混沌としてるかな」
「曖昧ですね」
けれど、そうとしか形容できない言葉は正しくコウの心を捉えていた。より正確に捉える必要があるとしたら––––ハツカは鋭く煌めく牙を覗かせる。
「キミが吸血させてくれたら早いんだけどね」
血は吸血鬼にとって人の心をもっとも有効な手立てであるが、自分の存在を露呈させる諸刃の剣でもある。ただし、互いが認知している限りは磨き抜かれた刀身と変わらない。
それでも弱点はある。
「俺の血はナズナちゃんのものですから」
「取引でキミの血を呑ませてはくれないかな?」
「ダメです。俺の本心を知れるのは俺以上にナズナちゃんだけですから、今は出来なくてもそれは変わりません」
キッパリとした物言いに残念がるそぶりを見せつつ、ハツカは自分の中に青を取り入れていく。
「さて話は変わるけれど、ようやくお互いに自覚したらしいね」
「はい、少し……遅かった気がしますけど」
「両想いなのはいいことなんだけどね」
二人の顔色がかんばしく無いのには理由がある。
吸血鬼は好きな人の血を吸うと死ぬ。
更に踏み込んで言えば、両想いで吸血すれば人も死ぬ。
あくまで又聞きの状況からの推察ではあるけど、とハツカは零しながら鬱陶しそうに手のひらで髪を弄る。
真偽がどうであれ、結果として、夜守コウの想い人であり吸血鬼である七草ナズナは姿を消した。
「ハツカさんはいつから気づいてたんですか? ナズナちゃんが俺に……惚れてたこと」
惚気にも聞こえるそれは、直に聞いた者には冷え切った印象を与えるのには十分な強度があった。
「七草さんの家探しで僕の家に来た時かな。あの時点でいつもと様子が違うのは分かったし」
「そんな前にッ!?」
「秘密だよ。僕は言わないって約束したけど、彼女もキミとの口約束を破ったからね」
「いえ、約束としては『いつかまた』なんですけど」
「いいかい。『いつかの明日』とうたっていながら、その時が君の葬式だったら許されないんだよ!」
「は、はぁ……」
驚きにのけ反るコウだが、どうやらハツカもハツカで、ナズナに対する鬱憤が溜まっているらしく感じた。親代わりでもある本田カブラや、同じく保護者スタンスの平田ニコとは違い、明確な友達としての接する彼なりの苛立ちが垣間見えた。
ハツカは肩をすくめてから、気を取り直して言う。
「さて夜守くんは、恋心を経てどんな気分になったのかな?」
ハツカの問いにコウは暫くの間沈黙して、固まり始めたグチャグチャな感情をゆっくりと吐き出した。
「恋ってもう少し温かいものだと思っていました」
ナズナちゃんが綺麗だと思って、月に照らされた彼女をもっと見ていたいと強く願った。そしたら彼女が好きだと言ってくれた。
ぶちのめされるくらいに心が揺れて、同時に『両想いなんだかあ〜』と口から溢れ、自分の本心に気がついた。
その夜は手を繋ぐのも一苦労で、一緒に居るだけで照れてしまって、喜怒哀楽の全てが一緒くたになって襲いかかってくるようだった。
「酔いが回ったみたいなんです。酒飲んだことないですけど」
いずれ、醒める時が来る。
好きになれて嬉しいからこそ。
冷えて固まった思考がたどり着くのは往々にして現状への不平不満だ––––コウは脳裏に疲れ果てたコート姿の女性が立つ。
いつもならばニヤついた顔で浮ついた話を肴にするなり、『キミ、変なところで優等生だもんね』と茶化しそうなハツカも、グラスをテーブルに置いて双眸を真っ直ぐに据えて聴き入っていた。
コウは置かれたグラスに残った青の酒を見つめる。
「ハルカと殴り合ってから現実がドンドン見えるようになってきて、風邪を引いたみたいに漠然と『嫌だな』って感情が押し寄せてくるんです」
彼女の眷属になれずに、ましてや乾きすら癒さない不満も、
一緒に居ることが彼女を傷つける苦々しさも、
約束を果たせないやるせなさも、
全てが赤くなっていた心をドンドン青く染め上げていく。
「だから、ナズナちゃんもお互いにスッキリと終われる形でいなくなったんだと思います」
コウは鳴りを潜めたトランシーバーを見つめながら言う。別れ際の電車の中で唇を重ねて白ばむ空へ飛び上がっていく彼女のことを思い出す。
「これ以上、深入りしなければお互いに傷つくこともないから」
思い浮かべた少女の心根は分からない。
再び沈黙が場を支配する。
話が終わりを告げたことを理解したハツカは、鉄面皮の如き感情の無さで対面にいる。
「それでキミは納得しているの?」
「はい、ナズナちゃんが選んだことですから。そこは呑み込むつもりです」
その言葉はコウが思っているよりすんなりと口から出てきた。
ナズナの選択を尊重したい。
そんな思いもコウの中では大きいのだ。
「夜守くんも恋をして大人になったんだねえ」
「はは……大人かどうかは分からないけど、ナズナちゃんの想い自体を否定したくないですから」
嘲る口調のハツカに苦笑いを浮かべてコウは言葉を返す。
共感は示せるつもりだ。
彼女は今も自分以上の重圧に耐えているはずだ、と。
彼女の愛とか恋とかを理解できるようになったコウが、少しずつ成長しているのは純然たる事実で。
「なら、どうしてここに来たんだい?」
それは言の刃で刺す言い草だった。
「…………」
自然とコウは瞼を下ろした。
血は誰にも飲ませない。
その在り方は自分が七草ナズナの恋人である矜持であり、約束であり、未練でもあった。仮に目の前にある彼の手を借りればコウが吸血鬼になること自体は叶い、ナズナの傍にいてやることができる。
けれど、そんな裏切りは認めない。
ナズナがではなく、コウ自身がだ。
「俺が、俺を知る為に」
ナズナという彼女の隣を失うことでもうひとつ、欠けたものがある。
己への認識。自分の心の色。喜怒哀楽、自分がいったい何を感じているのか。吸血鬼は血を吸うことで人間の
それは記憶はその人が生きた時間であると同時に、想いの根源である。その記憶の見え方こそが血の味を左右する。
つい一年ほど前のコウは心が分からなかった。
愛も知らず、恋も知らず、好きも嫌いすらも分からなかった。だからこそ、夜守コウにとって吸血は自分を知る大切な行為でもあった。ナズナに追体験してもらい、
それしか心を確かめる術がなかったのだ。
貴重で有効な手段が消えた今、やらなければいけないことは回り道を歩くこと。考えて、言葉を重ねて––––既に自分の中で作られている本心を取り出すしかない。
故にこの問答は儀式である。
「恋は盲目という言葉がある」
暗闇の中で佇むコウの隣にハツカの口角が上がる音がひっそりと落ちた。その声は初めての夜に気分が舞い上がり、思わず溢してまう歌声のようだった。
「常々相手を無視した非道のひとつとして扱われることが多いが、それは物事の一側面でしかない」
チャプチャプと揺れる音がする。
まるで水面を歩いているかのような気分になってコウは暗闇の中を進んでいた。違う。すでに水の中だ。進む脚に、腕に何かが掠れる感覚があり、その都度嬉しくなったり辛くなったりした。
何かに満たされたそこが水槽なのか、泥沼なのか、清廉な湖なのかはコウには分からない。
「他人と関わる以上、傷つくだけじゃなくて傷つけてしまうことも受け入れないといけない。
勿論、他者の悲痛に鈍感になることではない。
時として傷つけることを厭わずやらなきゃいけないこともあるだけのことだ。盲目なのは時として最高の原動力になる」
闇を進んでいくと、何かにぶつかった。
「大切ならその分だけ労わってあげなきゃいけない」
それは自身より一回りか大きい鉄の塊だった。
「……酒って苦いですか? 甘いですか?」
「どっちも。だけど、キミが味わった酔いは今も続く一生物だ」
ぼんやりとした手つきで人差し指が鉄に触れた。それは当てもなく彷徨う動きではなく、まるで見知った動作を再現するもので––––パチリと塊に触れるとそれは振動し始める。
ガタガタと震えた鉄の塊の音はコウにとっての安寧だった。震源を求めて鉄塊を撫でていると、それは箱型で、下部に取り出し口があった。
出てきたものを拾い上げて、
(やっぱりプシュッて鳴るんだなあ)
ちっこい缶のプルタブを開けて、一気にあおった所で目を開けた。
「やることは変わらない?」
グラスを弄んでいたハツカがさも『分かっていたよ』と言いたげな微笑み浮かべながら問いかけて、コウは躊躇わずに肯首してみせた。
考えて、
考え抜いて、
元から決まっていた考えに立ち直る。
少しだけ賢くなってしまったコウはまわり道へて、ようやく答えを出す。
ふとコウは以前親友から聞いた今は亡き友の迷いに似てると思った。少しだけ–––相手の輝きが偽りだとしても––––憧れも通った道だと気づいて、コウは感慨深くなった。
「やることは変わりません。俺がナズナちゃんのそばに居たいだけです」
爽やかな口調で言ってのけるコウ。
それが嬉しいのか、ハツカは笑みをより深くしてから『なら決まりだね』と言い結ぶと、リズミカルな手拍子を鳴らす。
数秒遅れで部屋のドアが開く。
「コウピッピお久しぶりです」
「大変なことになっているらしいな」
そうして現れたのは切り揃えられた前髪に瞳を隠した少女––––ススキと、スラッとした長躯を屈ませながら部屋に足を踏み入れた眼光鋭い男性––––アサギだった。
どちらもコウと縁のある吸血鬼であり、
「ハツッピから話は聞いています。ナズナっちに寝込みを襲われた時の護身術をみっちり叩きんであげます!」
「トカレフも持ってきてあるからそっちも教え込んでやれるぞ」
ススキはストリートファイター、アサギはインテリではないヤクザ屋だ。荒事にはこれ以上ないほどに適任であった。
「七草さんの居場所は久利原の
「オレの情報網も提供する」
「これで異論はないかな?」
「ありがとうございます!」
謝意を込めて首を垂れるコウに、ハツカは自分を見るように言いつける。
「畏まらなくていい。キミが死のうと、七草さんが死のうと僕らは共犯だ。思う存分、キミの願い通りにやるといい」
「んっ……」
そう言い含めて、ハツカはグラスの端ををコウの唇に乗せて青い酒を一気に干させた。
甘くて苦々しい芳香とオレンジの爽やかな味わいが全身に染み渡る。美味しさの後に微かな苦味と酸味がやってきて、なおも後味がいい。
「よく飲めました。冷えてる酒も中々いけるだろ?」
美味しいかった。
人間にとって危険な信号すらも一つの味わいに昇華されていた。
「……ズルくないですか」
「騙されるのも階段のひとつだよ。自分の意思を押し通すのもね。それで、初酔いはいかがかな?」
「もう知ってる感覚です」
酔いは廻り続けてる。
「そうか」
空いたグラスを控えていた眷属に片づけさせてハツカは立ち上がる。
「それじゃあ、始めようか」
「約束通り立派な吸血鬼に育ててあげますよ!」
ハツカとススキの威勢の良さに応えるように、コウは自身の力の
「お願いしますッ!」
バチン!と音が鳴らした。
☆
そうして、時は経ち。
「…………よし」
肉付きの良い身体になり凛々しさを蓄えた笑みを、果てしなく心地よい青に染まった空に向けながらコウは空港に足を踏み入れる。
「必ず抱きしめにいくからなあ〜ナズナちゃん」
コイツは事件だ。
世界の果てであろうと追いかけてくる恋人の影を知らぬナズナにとって、目が醒めるほどの一大事だ。
なんせこれから世界中どこにいてもデートの途中になるのだから。
「目を白黒させるナズナちゃんの姿、楽しみだな〜」
これから年月が過ぎても会いに来ない恋人への挑戦状を叩きつける青年に、憂鬱な日々など存在しない。
ブルーマンデーは実質サザエさん酒と呼んでもいいと思うの