よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第五十三夜「チャンネル」

 ホテルで用事を済ませたあと、吼月ショウ()は約束通り小森工業高校に来ていた。着いたころには空は日の入りを果たし、帷が降りていた。

 事前にニコ先生には話を通してあり、以前奏斗(そうと)先輩と会っていた空き教室で待ち合わせをしている。道中で奏斗先輩と合流し、ガラリと空き教室の扉を横に滑らせれば、ニコ先生が椅子に座っていた。

 

「来たね」

「お待たせしました」

 

 頭を一度下げたあと、俺は教室へ足を踏み入れる。

 

「失礼します」

「どうして沙原くんが……?」

 

 続いて奏斗先輩も車椅子を動かして入ってくる。

 伝えたいことがありますとだけ連絡していたのもあり、奏斗先輩と一緒の来訪に彼女は微かに目を見張った。前髪で隠された片目も使って奏斗先輩を見つめていたので、彼女の驚きは大きかったようだ。

 

「椅子はあるから使ってくれ」

「分かりました」

 

 教室の中にはニコ先生と向かい合うように椅子が置かれていて、それに俺が座るとその横に奏斗先輩が車椅子を停める。

 

「それで話しっていうのは?」

「ざっくりと説明しますとね––––」

 

 脇目で奏斗先輩を見るニコ先生に、俺はここに至るまでの経緯(いきさつ)を話した。

 奏斗先輩が好きになった相手が吸血鬼–––止岐花(ときは)エマだったこと。奏斗先輩は吸血鬼になる気がないこと。その件で俺が相談を受けていたこと。ふたりの関係で他の吸血鬼たちと騒動を起こしたこと。折衷案としてこの一年間で眷属になるかを決めていくことになったなど。

 吸血鬼になる気がないと口にした辺りで、脳震盪でも起こしたのかと思うほど唇を噛み締めるニコ先生だが、説明が終わるまでは聞くに徹してくれた。

 

「やってくれたな吼月くん……!」

 

 聞き終えたニコ先生からは厄介ごとが増えたと恨めしそうに睨みつけられてしまった。

 ふたりの件は結果として皆が納得がいった事を悪く言いたくないので「はい、やりました」とニっと笑って返した。

 

「つまり沙原くんたちはキミとハツカの関係と似た状態というわけだな」

「ただ、俺と違って奏斗先輩はもうエマに恋はしてるので、あとは吸血鬼になりたいと思わさればいいだけ。俺よりはよっぽど楽だと思いますよ」

「それは沙原くんが夢よりもエマと一緒に居たいと思ったら、という条件つきだろ?」

「正解です」

 

 吸血鬼に分があるようにも語ってみせるが、大事な要素を理解しているニコ先生には幼稚なまやかしは通じない。

 回転させていた脳の動きを緩めるようにニコ先生はそっと鼻を鳴らした。

 

「分かった。ふたりのことは胸の中に入れて騒ぎにしないでおこう」

「てっきりすぐに落とすための動くのかと思ってました」

「やることはいつも同じだからな。それに吼月くんの言う通り、恋愛感情がある分楽とも言えるからな」

「まだ足りない、と?」

「もちろん」

「やっぱり眷属にするには恋させるだけでは足りないんですね」

「恋のその先。未来を捧げてまでついて行きたいと思わせないといけないからな」

 

 未来を捧げる。言いすぎた表現ではないだろう。

 本来あったはずの人間としての道を放棄させて、吸血鬼の道へと転進させるのだから。ある意味、眷属化を選べる時点で吸血鬼は皆、久利原たちのような価値観の片鱗を有しているとも取れる。

 その善し悪しは本人と、親吸血鬼によるものだと言うのは理解している。少なくとも久利原たちはとても幸せそうだ。悪いことばかりではない。

 逆に言えば加納のような結末があることも知っている。

 

「ふたりは元々知り合いなのか?」

「いいえ。日曜日に初めて話して、初めて一緒にバスケしました」

「すぐに打ち解けられるのはいいことだ。ふたりとも人とうまくやれるんだな」

「…………」

「どうしたんだ、奏斗先輩」

「ふむ」

 

 ニコ先生を見つめて固まっていた奏斗先輩がくっついていた上下の唇をようやく離す。

 

「平田先生、この間はありがとうございました」

「いいよ。教師としての勤めだ」

 

 背を押してくれた人に苦労をかけることも含め頭を下げる奏斗先輩に対し、ニコ先生は彼の負い目を拭うようにさっぱりとした応えをする。

 根からの教師なのだろう。凄くマトモだと思う。

 

「けどマジで吸血鬼なんですね。平田先生」

「まあね」

「歳はおいくつなんですか……?」

「マジか。聞くのか……!?」

「歳? ふふ、そんなものとっくに超越してるよ」

「かっけぇ––––!!」

「答えるのか……」

 

 答えになっているのか?という疑問はさておき、目の前に存在するファンタジーの塊(吸血鬼)が胸を張って答えるのを見て、童心に返ったように目を輝かせる奏斗先輩。

 堂々たるその姿は男から見てもかっこいいものだった。

 加えて––––

 

「そんな美女教師も蜘蛛が怖かったという人間らしいギャップもあっていいですね」

「ん? そのことも聞いたのか?」

「はい。ここに来る途中に奏斗先輩から。かっこいいスマートな立ち振る舞いからは想像できない姿を」

「ギャップがあって可愛いだろ?」

「ええ、妬みが生まれないほどに」

 

 一芸特化じゃ人は落とせない。克服はしているが、そうした一面も普段のかっこよさを引き立てるエッセンスになってより魅力を引き出すと彼女は言う。それを本人が言うかと脳裏によぎるが、彼女において実際間違いじゃないので口を噤む。

 曰くモテパワーマックスの秘訣らしい。

 

「蜘蛛の件は吸血鬼の頃の話なんですか?」

「いいや、人間の頃の話だ。弱点を消す時に軽く思い出してね。人間のアタシはハイキングが趣味だったようだ。もっとも、その記憶ももう殆ど朧げだが」

「思い出してもすぐに消えるんだ」

「ああ、殺される心配がなければ感傷に浸るにはいいものなんだがな」

 

 その思い出に浸った記念に新しい図鑑を買ったそうだ。蜘蛛の図鑑ではなくもっと枠を広げた生物の図鑑らしい。

 

「……」

 

 俺たちの話を聞いていた奏斗先輩が考え込むように壁にかけられた時計を見たあと、俺に視線を移す。

 

「俺もエマの弱点消すの手伝った方がいいか」

「そうだな。士季たちのことだから既に動いてる可能性もあるが、一度訊いてみるのはありだな」

「このあと訊いてみるかー。吼月、時計見せて」

「どーぞ」

 

 生まれた疑問を今日の予定に組み込む奏斗先輩に、腕時計を見せれば「あっ」と声を漏らした。

 

「もうそろそろエマとの待ち合わせの時間だわ」

 

 なら–––と俺は呟きかけたところで、ひとつ訊きたいことを思い出した。

 

「そうだ、ニコ先生」

「ん? どうかしたか」

「最後にひとつだけ訊きたいのですけどいいですか?」

「構わないよ」

 

 奏斗先輩に先に行くよう頼むと「正門の前で待ってるぞ」と言われたので、「すぐ追いつく」と返した。

 カラカラと回る車椅子の音が消えてから扉を閉じる。

 ふたりっきりになって教師と生徒が向かい合う。去年行った二者面談みたいだな、なんて考えながら背筋が伸びる。

 

「それで訊きたいことなのですが…………」

 

 訊こうとするが少し無礼ではないかと思い、間を作ってしまう。

 とはいえ、無駄な時間をニコ先生に使わせる訳にもいかないので、早速質問を投げかける。

 

「ニコ先生は自分の名前は好きですか?」

「ん? 好きだぞ。ニコ。いい名前だろ?」

 

 ニコ先生は内容に驚いたあと、名前通りニコっと笑いながら簡単に言い切った。

 

「それにしても、どうしてそんなことを訊きたいんだい?」

「先生と同じ音の名前の人間が居まして」

「その人はニコという名前が好きではなかった、と」

 

 俺はニコ先生にかいつまんで話す。

 以前、園田(そのだ)仁湖(にこ)という人と関わり、仁湖さんは自分の名前と親からの想いに引っ張られ、無理やり笑って過ごしていた。その反動により笑顔でいることが苦痛になっていた。加えてキラキラネームという側面もあり、自分の名前を呪いとまで言うようになった。

 

「なるほど……それは名前自体もそうだが、環境の問題に思えるな。しかも長い間、笑うように縛り付けられていたなら余計に心に来るし、その生き方が染みついてしまって抜け出せない。

 できるなら早い段階から親元を離れたほうがいいが––––」

 

 問題の核となっている部分をすぐさま見抜いたニコ先生はどうするべきだったか、今後はどうするべきかといった解決策を模索し、ひとりでぶつぶつと考え出してしまう。

 聞いてる分には興味深い話だが、奏斗先輩との約束もあるので切らせてもらおう。俺はパチンと手を鳴らす。

 

「お〜〜い、ニコ先生」

「あ、すまない。考え込むとついな」

 

 音に気づいたニコ先生が顔をあげる。

 

「その人はもう自立してるんだったな」

「ええ。一人暮らしのOLです」

「社会人なら家庭裁判で名前を変えるのもアリだと思うな」

「でも、名前や苗字を変えるのって結構手間かかるんですよね……パッパッと変えられるならいいんですけど」

「だがこれから先も束縛を感じるよりはマシだろ?」

「間違いないですね」

 

 ハハと口の端を弓形に曲げて笑っていると、ニコ先生は俺を見定めるように頭から足先まで眺めた。

 

「……今度はアタシから良いかな」

 

 ニコ先生が人差し指を立てた。

 

「ハツカのこと、キミはどう思っている?」

「……と、言いますと?」

 

 問いかける雰囲気自体は緩んだものに変わらないが、ニコ先生の目は真っ直ぐ俺を見据えた真面目なものだった。マヒルたちと話す時ようなおちゃらけた答えではいけないと思い、漠然とした範囲を絞るため彼女に訊ねる。

 

「吼月くんが感じてるままでいいのだが……そうだね。ここが可愛いなって思ったり、ここが良いなってところはどうかな?」

 

 率直な言葉が欲しかったようだが、感じたままと言われても広すぎて答えられないと俺の意図を読んだニコ先生は細かなモノに変えてくる。これなら答えられそうだと、俺は頷いた。

 

「クールだったり、マイペースなお転婆だったり雰囲気がコロコロ変わったりするのは可愛いですね。昨日なんて猫に避けられたんですけど少しショボンとしてて良かったですね。普段見ないハツカって感じで……ただ、猫より可愛いって言ったら少し不満そうにしてたのはなんでなんだろうって思ってます」

 

 いつもよりペラペラと褒め言葉が出てくる。

 基本的に綺麗と可愛いは別のモノでハツカの姿は綺麗に属するタイプだと考えているが、雰囲気がどうであれ楽しそうにしているハツカは可愛いと思う。

 訊ねられたことをそのまま答えていると、ニコ先生は驚いた様子で語る俺を見つめた。

 

「けっこうハツカのこと見てるな」

「もちろん。他者(ヒト)の良いところを探すのは人生を良いものにする秘訣ですから」

 

 良いところを見つけることができれば、その相手を肯定できる材料が増えることに繋がる。俺にとってはとても大事なことなのだ。

 

「ハツカといるのは楽しいかい?」

「楽しくなかったら一緒に居ないんですよ。勉強ってだけで傍にいるなら苦痛と眠気が襲ってきますから。ほら、好きでもないテレビを起きて見続けるって苦行じゃないですか?」

「好きじゃないなら別のチャンネルに替えるな」

「ですよね。嫌ならタイミングを考えて替えてますよ。まあ、少なくとも今は何をしていても楽しいです」

 

 学校と夜更かしの両立は難しい。授業中に寝かけてしまうし、以前とは全く違う生活リズムになっているせいで身体が追いついていないのも感じる。成長のために、この一年かテスト週間以外はコウのように学校をやめてしまえばいいのだが、そういう訳にもいかない。

 でも、やっていきたいと思っている。

 

「それにハツカに会いに行けば、楽しいことも新しいこともあると思っていますから」

 

 ハツカといて飽きることが想像できないのだ。

 思わず俺が微笑みながら答えれば、ニコ先生はおもむろに頷いた。

 

「なら、キミは大丈夫だ」

「……? それはどういう?」

「キミは眷属になれるってことかな」

 

 俺としては大丈夫ではないのだが、目的のうちのひとつが果たせる可能性があると言われれば嬉しくはある。

 しかし、この言い方。まるで俺を応援しているような–––もしかして、ハツカが不信感の話もしていたのだろうか。

 

––––悪いようにはならんだろ。

 

 視界が暗くなる。瞼が降りていたのだ。

 もしそうだとしても、ハツカが必要だと思って話した相手だ。それに自分としても尊敬できる相手だ。なら大丈夫だろうし、最悪ハツカのフォローが入るだろう。

 

「そうですか。良かったですね」

「ああ、ホントに」

 

 瞼を開ければ、ニコ先生が挑発するような笑みを浮かべている。

 

「なら、そろそろお開きにしようか」

「分かりました。今日はありがとうございました」

「いいよ。何かあったら頼ってくれ。ただし事、を起こすなら先に言ってくれ」

「分かりました」

 

 お互いの話が終わったところで終わりとなり、俺は頭を下げて教室をあとにした。小走りに奏斗先輩と来ているであろうエマの下へと小走りで向かっていく。

 

 

 

 

「自分へのノロケを聞いた気分はどうだい?」

 

 吼月くんが出ていったのを確認すれば、平田ニコ(アタシ)は窓の外にいる吸血鬼に声をかける。

 すればひとつの窓ガラスが波を打ち、広がった波紋の中を通り抜けるようにして人影が教室の中へと現れた。

 

「ま、悪い気はしないよね」

 

 その人影は蘿蔔(すずしろ)ハツカだ。

 先ほどの会話を外から隠れて聞いていたのだ。無論、始めからだ。

 着地したハツカは先ほどまで吼月くんが座っていた椅子に腰をかける。いつものように丁寧な所作で座るハツカだが、様子がいつもと違っている。

 

「……ん?」

 

 青いブラウスの上から黒いカーディガンを羽織っていて、下にはくるぶしまで隠れたスラックスを履いている。落ち着きのあるハツカに似つかわしい格好だ。

 そこまではいい。

 しかし、全体的に––––

 

「今日はやけに男っぽい格好だな?」

 

 元が美少女としてもやっていけるハツカだからか、どことなく男装の麗人のように思える。アタシは、ふむ、とハツカを見定めてしまう。もしハツカがウチの生徒として育っていたら目をつけていたかもしれないと思ってしまう。

 

「あ、これ? 今日はちょっと予定があってね」

 

 八重歯を見せるように笑うハツカはどこか楽しそうにポケットからスマホを取り出してくる。他の奴らと遊ぶ約束でもしているのだろう。

 アタシが頷くとハツカは話を切り出した。

 

「それで吼月くんと話してどうだった? 本当に人間不信だと思う?」

 

 居酒屋でハツカと飲みながらふたりの状況を聞いた時に吼月くんの症状については聞いていた。どこかでふたりっきりで話を聞いてみたいと思っていたのだが––––

 

「当たらずも遠からず」

 

 交わした口数は少ないが少なくとも人間不信とは思えなかった。

 

「やっぱり?」

「根本が人間不信ではないだろう。他者に対して何かしらの原因で拒否感が出てるのは事実だが、ハツカへの信頼はできているし、夜守くんや夕くんと違って今まで関わりのなかった沙原くんとも問題なく話せていた」

 

 そして、なにより彼が最後に見せた眼だ。

 

「ハツカから話を聞いたと匂わせた時の吼月くんは何かに怯えていたように見えた」

 

 瞼を落とす直前。多分人間では認識できないくらいの間しかなかっただろう。それでも間違いなく吼月くんの眼は潤んでいて、まるで膝を抱えて縮こまり泣き出す直前の子供のようだった。

 しかも勝手に話したハツカへ対してではなく、目の前にいるアタシに向けての想い()だった。

 

「ハツカが見てきたのもさっきのような症状だったのか?」

「もっと酷いよ。吐き気や動悸に汗をかいたり、顔が赤くなったりも……これは酒のせいかもしれないけど。出てくる症状としては彼が言う人間不信のモノではあるんだけど、原因がね」

「あくまで不信感と言っているのはあの子なのだろう?」

 

 アタシが訊ねればハツカは首を縦に振った。

 

「確かな原因があって人間への恐怖を感じている。そこから不信感に繋がっていると考えるのが妥当じゃないかなと僕は思ってる」

「今までは気づかなかったのか?」

「違和感は当然あったよ。けど、今までは漠然としか分からなかったのもあって否定できなかった」

「血を吸っても分からなかったんだっけ。なにか掴んだのか?」

「一応ね」

「……?」

 

 ハツカはとても受け入れ難いものがあると言わんばかりの歪んだ表情をしている。吼月くんの言う通り、クールな見た目と違って表情が豊かなハツカだが、考察する時に関しては冷静の一言のみだ。だから、ここまで感情を乗せることは珍しくアタシは首を傾げた。

 

「一番可能性があるとしら心的外傷ストレス障害(PTSD)だと……僕は思う」

 

 ハツカの言い分に「下手に不信感と括られるよりもしっくり来るな」とアタシは納得する。

 

「普通の子供がPTSDになるとしたらなにがあると思う?」

「そっちの路線で考えてるのか?」

「うん」

 

 ハツカは何か掴んでいるようでその補強としてアタシに訊ねてくる。今度はアタシが視線を落として考える。

 人がPTSD–––よりもトラウマの方が分かりやすいか–––に陥る原因は人によって多種多様だ。沙原くんの見に降りかかった交通事故を初め、災害や戦争といった命の危機。強姦のように人としての尊厳を著しく穢された時––––などなど。

 そして、子供がトラウマを抱くような被害に遭うとしたら、

 

「やはり学校での暴力か家庭での虐待じゃないか?」

 

 子供のトラウマはこの辺りが一般的だろう。学校内での事件の認知件数は数年連続で増えているし、一歳時にエアガンを打ったりする親も居る。

 特に虐待。

 先ほど吼月くんは親につけられた名前に対してどう思っているかアタシに訊ねた。あの子なら単なる知的好奇心の可能性も十分あるが、あの歳でキラキラネームでもない自分の名前を嫌がっているとしたら、相当複雑な家庭、ということになる。

 

「虐待、か……」

 

 ハツカは目を伏せながらアタシの話に納得して相槌を打つと、それに持論を付け加える。

 

「あの子の場合、イジメも虐待もあり得そうなんだよね」

「というと?」

「ショウくんは転校生なんだよ」

 

 つまりハツカは以前の学校で被害を受けて、小森に越してきた可能性があるわけだ。

 

「もしイジメも虐待も受けてたとしたら死にたくなる……かな?」

「この仮説が正しいなら、今はどうであれ当時は居場所がなかっただろうかな。死にたいと思った時ぐらいあるんじゃないか」

 

 最悪のケースとして簡単に口にはできるが、教師としても大人としても当たってほしくない仮説だ。しかし、ハツカには思い当たる節があるように何度か頷いて自分の中に落とし込もうとしている。

 そうなると謎は両方の被害–––少なくともハツカはそう睨んでいる–––が起きる原因だ。恐らくそれがトラウマのルーツになるのだろう。

 

「つまり吼月くんは自覚できていないが、確実に人に恐怖を覚える原因があるってことになる。ハツカは原因になりそうなモノを知っているんだろ? それはなんなんだ?」

 

 アタシが訊ねてもハツカは答えない。

 見れば唇が微かに動いている。ハツカは返答に困っているようで、言葉が足りず表現の仕方を探しているようだった。

 数秒後首を捻ったまま、アタシにはまだ答えられないと告げた。

 

「コレっていうものはあるんだけど、本当に原因になってるのかは曖昧なんだ。あまりにも突拍子もないことだし。だから、この事を話すのはまた今度でいいかな」

「……分かった。本当に確かめないといけないことが山ほどあるみたいだしな」

 

 ハツカが何を握っているのかは分からないが、それでも吼月くんの拠り所になっているのはハツカだ。

 他の吸血鬼や人間が下手に突くよりも彼の心の平穏は保たれるだろう。

 吼月くんが今の調子でハツカへ心を委ねてくれれば、問題は解決していくのではと思っている。眷属になることも含めてだ。

 

「さて頑張らないとな」

 

 ハツカはいつも以上に慎重に物事を見ようとしている。

 今までの相手はそれなりに社会を経験した人間だったが、今回は幼い男の子だ。ハツカなりにうまい攻め方を考えているのだろう。

 

「今日はありがとね」

「構わないさ。酒もあったら良い(さかな)に出来そうだったし、今後が楽しみだ」

 

 肴と口にして、吼月くんの自覚なきノロケでのハツカへの疑問を思い出した。

 

「ハツカってさ、ネコ嫌いだっけ?」

「好きだけど」

 

 猫は可愛い生き物の代名詞だ。悪い意味で使われたとは思えないのだが、何が不満だったのだろうか。

 ハツカも吼月くんの話を思い出したのかニヤッと笑う。

 

「猫より可愛いっていうのは、ふつう僕がショウくんに言うもんじゃん? 猫は愛玩動物なんだもん。鳴くのはあの子だよ」

 

 とてもハツカらしい答えにアタシはクスッと笑う。

 同時に吼月くんが眷属になり飼われた姿を想像し、人間にしてはかなり整った顔立ちもあって似合っていると思ってしまってまた笑う。

 

「まあ見てなよ。今《だけ》は楽しいなんてもう絶対に言わせないからさ」

「そうか。頑張れよ、飼い主さん」

 

 自信満々にハツカは手を振りながら校舎の外へとすり抜ける。夜の中に彼は落ちていき姿が消えた。

 今のふたりの様子なら、順調に進めば今回のような突拍子もないことを吼月くんが起こすことは少なくなるだろう。

 

「んん〜〜……アタシもそろそろ行くか」

 

 アタシも立ち上がり授業に向かった。




来月からリアル事情の影響で投稿が不定期になるかもしれません。
申し訳ございませんが、よろしくお願いします。
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