よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第五十九夜「今はまだフリーなんです」

 俺と鶯さんは店員や数少ない客の視線を浴びながらファミレスの中を歩いていた。喫煙席ということで他の人の目線を遮る壁もあり、ふたりでテーブルを囲った時には周りの人たちの眼は消えていた。

 

「ご注文がお決まりになりましたら、そちらのタブレットからお願いします」

「分かりました」

 

 最後の店員も立ち去って、残ったのはタブレットを手に取った俺と口をモゴモゴと動かしている鶯さんだけだ。

 

「酒飲みます?」

「飲まん。まず私は弱いんだ」

「へえ〜……」

「なんだ。胃が軟弱とでも言いたいのかい?」

「いいえ。酔った姿も見てみたいなって思いました。その時の鶯さん、もっと可愛いのかなって」

「絶ッッ対に飲まん!!」

 

 朱の入った頬を鎮めるように彼女はお冷を手に取って、グイっと一気に飲み干した。空けたコップをテーブルに叩きつけて、そっぽを巻いてしまう。

 気を紛らわせようとしたのだろうが、顔の赤みは増すばかりだ。

 

「酒はともかく……とりあえず俺は頼み終えましたけど、鶯さんはなに食べますか? 焼売とか」

「ツマミじゃないか。キミだけ頼めばいい」

「……分かりました」

 

 注文を終えた俺はタブレットを元の場所に戻すと、俺は鶯さんを見つめ直した。

 

「それで俺はなんで呼ばれたんですか?」

「ようやくだな。キミを呼び出したのはコレが理由だ」

「……?」

 

 恥ずかしさを消した真剣な顔になる鶯さん。

 彼女はコートの胸ポケットの中に左手を突っ込んで、懐から取り出したのは封筒だ。俺が学校帰りに彼女が住まうホテルの郵便受けに入れたものだった。

 そっちから出すんだと思いながら彼女を見つめる。

 それはすでに封が切られており、彼女が雑にテーブルの上を滑らせれば中身がパラパラと撒き出される。出てきたのは一万円札が数枚。中にはまだ結構な数が入っているので、封筒には厚みがある。

 

「これはいったいなんなのだね?」

「依頼料です」

「依頼料?」

「依頼した奏斗先輩たちの件の料金を支払っていなかったので–––」

 

 そう言いかけたところで俺は口を閉じて考える。

 

「五十万では足りませんでしたか!? すみません。命を張ってもらったのにこんなハシタ金しか用意できなくて……自宅ですぐ出せたのがこれだけだったので……」

 

 言い訳がましくなってしまうが本当のことなのだ。

 

「あ。以前事故にあった時の慰謝料だったそうでして、別に怪しい金がではないですよ!」

「逆に怪しく思えてくる……が–––」

 

 なにか言いたげな鶯さんだったが、深入りすることを避けて彼女は言う。

 

「それは返す」

「ダメですよ。俺はあくまで個人ではなく、吸血鬼殺しの鶯探偵事務所に依頼して命まで張ってもらったんですから。無銭は認められないです」

「私が良いと言ってるんだから問題ないのだよ」

 

 鶯さんの意思ならば頷くしかなくなるので、こちらとしてはかなり困る。彼女とは金でもなんでも良いから最低一つでも明確な繋がりを残しておきたいのだ。

 やはり依頼した段階でキチンと話を詰めておくべきだった。

 

「それにもう金なんて使う予定なんてないしな」

 

 独り言を呟くような、今すぐにでも消え入りそうな声を聞きながら俺は手に持った封筒を見やる。

 使う予定がない。

 社会の中で生きていくならばあり得ないことだが、それを言われてしまえば俺が取るべき手段は一つになる。

 

「だったら俺を雇ってくださいよ。その給料としてなら、返金を認めましょう」

 

 俺の言葉に彼女は目を丸くしてハテナを浮かべる。

 

「つまり探偵として雇えと?」

「そうではなくて。この格好を見たら分かりません?」

 

 いま一度見せつけるようにして、俺は両手をソファについてゆったりと全身を見せつけるような姿勢を取る。

 そんな姿の俺を鶯さんは一瞥してから声を張り上げる。

 

「まさかキミをメイドとして雇えというのかい!?」

「鶯さんが俺をメイドとして使いたいならそれで構いませんよ。炊事洗濯やゴミ出し。それから書類整理や椅子までなんでも。どんな風に使っていただいても構いませんよ」

 

 鶯さんが望むなら、メイドとして下僕になったり、サンドバッグといった扱いをされても俺は構わない。あくまで男子にメイド服を着せる趣味が彼女にあるのならばだが。

 個人的には召使いというよりも家事代行サービスくらいを想像していたのだが、今回は服装が悪かった。だってメイド服だもの。

 

「マッサージはダメですよ。俺よりも適任がいますから」

 

 俺はマッサージだけは禁止した。

 それを鶯さんにすべきなのはナズナさんだからだ。

 けれども、彼女が反応したのは椅子という言葉。

 

「い、椅子ぅ?」

「あ、すみません。ウチのハツカがよく久利原にやらせているので」

「アイツらの所にいると毒されるぞ……?」

「でもクッキーとかケーキとか、菓子系作るのも楽しいですし、メリットとデメリットの帳尻はうまく合わせられてますよ」

「嫌ならやめればいいじゃないか……」

「自分から言い出したのに引っ込んだら負けた気がするんです–––!!」

 

 拳を握る俺をよそに、鶯さんは俺のメイド服姿をまじまじと見つめている。

 

––––そんなに似合ってるのだろうか……?

 

「鶯さん?」

「あ、んん!」

 

 鶯さんは咳払いを繰り返したのちに俺にもう一度告げる。

 

「いいと言っているだろう。結局返すならいま全部持っていけばいいだろ」

「そうしたら鶯さんに暇ができないじゃないですか」

「……? 生憎探偵っていうのは年がら年中潤ってるというわけでは」

「でしたら、休日はなにしてるんですか?」

 

 俺が尋ねれば、鶯さんは答えにくそうに目線を逸らしながら「吸血鬼の情報収集とか、捕獲や討伐とか」と口にした。

 それがあくまで昆虫標本ならぬ吸血鬼標本みたいなものであれば、まだ悍ましい趣味程度で済んだかもしれないが、彼女の働きの範疇としては仕事である。

 

「それ仕事じゃないですか」

「いや! 私にも–––」

「あんな私物が何もない部屋で趣味があるは無理があると思いますけど」

「……うるさい。悪かったな、趣味が吸血鬼の拷問だけで」

 

 取り繕おうとする鶯さんだが、無趣味という事実を否定できず肩を落としてしまう。瞳が見えなくなるほど目元に濃い陰がかかる。

 かなり気分が落ち込んでいるようで、元々気にしていたことのようだ。

 家族を殺されてからずっと吸血鬼を殲滅することだけ考えていて生きていたとなると、俺の心の内にも暗い靄がかかる。

 

「今はない、ってだけですから大丈夫ですよ。これからは時間作って楽しいことを増やしながら願いを叶えましょう」

 

 暗くなっていた顔がキョトンとした、聞き間違いかと疑うような表情に変わって俺を捉えてくる。

 

「何か変なこと言いましたか?」

「キミは……ん、いや。なぜキミはそこまで私に構う? 同情か?」

「すっごく今更ですね」

 

 間違いなく同情もあるけれど、俺の意思は既に伝えている。

 

「さっき酔った姿を見たいと言ったのと同じですよ。鶯さんには楽しく笑ってる姿が可愛いし、似合うと思うから」

 

 そして、その妄想は裏路地で高笑いをあげた時に確信した。

 

「だから、俺は俺の理想の世界のためにあなたに尽くします」

 

 鶯さんが幸せになることは俺の願いの一片である。

 自分が幸せになれるからこそヒトは他人の幸せを願う余力が生まれてくる。過去とのケリをつけて、これから幸せになることができたら、きっと鶯さんもナズナさんもコウも、そしてハツカも笑える世界になる。

 その為に必要ならば彼女の望みは出来る限り叶えるつもりだ。

 

「それに俺は鶯さんの話を聞くの好きですし、一緒に居てもいいなって思ってます」

 

 不確定な情報の中で、矜持と優しさから俺の依頼を呑んでくれた鶯さんならば、問題ないと試してみる価値はある。

 

「つくづくキミは……」

 

 鶯さんはその先の言葉を呑み込むと、首を微かに振ってから唇を歪める。意識して敵であろうとするような顔だ。

 

「どうせ」

「あ、そうだ」

 

 言いかけた声を塗り替えるように俺は手を鳴らして話を遮る。そのまま彼女の話に割り込んで語り始める。

 

「鶯さんは好きな食べ物とかありますか? 和食なのか洋食なのか……中華なのか。俺はやっぱり量が多い中華系、宮保鶏丁とかが好きなんですけど、鶯さんはどうです?」

「……私はこれといって特に」

「それは勿体無いですよ! 胃袋を満たすのは人が良くなる原動力なんですから! すっからかんだと身体中痛くて痛くて仕方がないですし」

 

 ほんと、あの苦痛だけはもう体験したくないな。

 独り言を呟くように口にしていると、視界の端で店員がコチラに近づいてくるのが分かった。

 俺たちの下にやって来た店員は「お待たせしました」と断りを入れてから、テーブルに皿を置く。

 持って来たのは焼売とか辛味チキンだ。

 俺はテーブルに備えられた小皿と箸をふたつずつ取り出す。

 

「深夜に肉か」

「背徳的でいいですよね。はい、どうぞ」

 

 箸を割って小皿に焼売をひとつ乗せてから鶯さんの前に差し出した。彼女は目を疑うような素振りを見せる。

 

「いや、だから私は」

「いいじゃないですか。楽しみを見つける為にとりあえず、ここでひとつ! 試してみるのも」

 

 俺は鶯さんにも楽しく生きる術を見つけてほしい。それが食事かスポーツ、読書なのか、はたまた一緒に居たい人といることなのか。

 それは分からないけれど、少なくとも考えるキッカケぐらいは作りたい。

 俺の提案を拒絶するわけでもなく、鶯さんが目線を落として焼売を見つめた。

 どうするか悩む彼女の最後のひと押しとして俺は箸を置く。

 

「ここの焼売、美味しいんですよ」

「そうなのか」

 

 悩んだ末に鶯さんは箸を手に取る。

 俺も自分の小皿に焼売とチキンを乗せてから、

 

「「いただきます」」

 

 手を合わせて食べ始めた。

 

 

 

 

「ここのイカの箱舟も美味しいですね。甘辛いタレとチーズが合っていて」

 

 ふたりで食べ始めた後、少しずつ単品のメニューが運ばれて来た。すでに焼売と辛味チキンの皿は回収されるだけの時間が流れている。

 

「ああ、そうだな」

 

 だというのにさっきの緩和しそうな空気はどこへやら。俺たちの間には停滞した雰囲気が漂っていて、俺はどうしたものかと考えあぐねていた。

 無言の時間が多いものだから、メインとして頼んでいたミートドリアも食べ終えてしまっていた。

 鶯さんと一緒にいられる時間も残り少ないというのに、この体たらくとは自分が恥ずかしい。

 

「今日はどこに行ってたんですか?」

「名古屋」

「名古屋ですか! あそこはひつまぶしとか美味しいですよね!」

「……」

「……」

 

 なんとか話題を広げようとするが、何故か俺を訝しむような目で見られてしまう。

 初めて一緒に飯に行った時のマヒルや他の奴らと違って、吸血鬼という明確に話題になりそうなものはあるが、趣味を作ろうというのに吸血鬼の話をするのは如何なものだろうか。

「何か最近好きなものあります?」と訊いても、曖昧な回答が返って来そうだ。

 

「七味か辛子いります?」

「……辛子が欲しい」

「どうぞ」

 

 俺は常備されている辛子が入った小袋をひとつ手渡した。

 小袋を開けて小皿に辛子を出すと、半分だけ残っていたイカリングに辛子をつけて頬張った。微かに口角があがり、ちゃんと美味しいと感じながら噛み締めているのもを見ると、今も悪くはないとは思う。

 悪くはないが、これでは一過性の興味になってしまい持続せず、趣味探しもこの場限りのことになってしまいそうだ。

 できれば俺が促さことなく、自分の手で注文用のタブレットを手に取って欲しいのだが––––

 

「なあ吼月くん」

「は、はい!?」

「そんなに驚かなくていいじゃないか」

 

 突然声をかけられて背筋をピンと張って彼女を見る。

 

「わざわざ私に遠慮していいぞ。元々キミは蘿蔔たちの弱点を私が持っているか確認する為に来たんだろう? 吸血鬼の話でもなんでも構わんよ」

「ありゃ、バレてましたか」

「探偵を欺こうなんて早いのだよ」

「ハツカの弱点は消し炭にしているので最終確認程度なんですけどね。ただ鶯さんの口から聞きたくて」

 

 けれども、弱点の仕組みがバレてからそれなりに経っているし、もし弱点を持っているならミドリさんにしろニコ先生にしろ、もう襲っているはすだ。

 その事を彼女に告げると、

 

「チッ」

 

 鶯さんが小さく舌打ちした。

 吸血鬼に対して不快感が根強く残っているのがよく分かる。

 

「やっぱり持ってないんだ」

「……」

 

 イエスともノーとも言えない顔で鶯さんは俺を見るが、目線が俺の顔を直視できていないことから図星なのだろう。

 

「そうだな。だとしたら、どうする?」

「お話しした通り手を組んで欲しいですね。呉越同舟。弱点を持っていないのならハツカも受け入れやすいでしょうし、手を組んでる間、鶯さんこことは俺が守りますから」

 

 変わらない俺の案に少し驚きの色が鶯さんの顔に浮かぶ。考え込んだあと、彼女はその疑問を素直にぶつけて来た。

 

「やはりキミとは相入れないな。そこまで吸血鬼に入れ込むにも関わらず、私にも手を貸そうとする? それに私を守るだなんて」

「現状アキラが吸血鬼に襲われてたんですよ」

「朝井アキラか」

 

 鶯さんは思い耽るように目を閉じる。

 

「ええ。加納のような吸血鬼が居ると、いつ理世や他の生徒たちが危機に晒されるか分かりませんから対策は練っておきたいんです」

「この間も言っていたな。生徒会長だから、だったか」

「それは鶯さんに納得してもらうための大義名分でもありますけどね。普通、知ったなら動くべきです」

「子供が出る幕ではないよ」

「でも、鶯さんだけでも解決しないでしょ?」

 

 鶯さんが眉間に皺を寄せる。しかしそれだけで、返す言葉も出ないのか彼女は合わせた唇をモゴモゴと蠢かさる。

 事実とはいえ十年間頑張っても問題解決の糸口すら見出せていないのだ。それを理解はできても納得はできないというのが彼女の実情だろう。

 気に食わないから吸血鬼と手を組まないのは、家庭崩壊だけが原因じゃなくて今までを否定することになるからかもしれない。

 彼女の背景的に仕方ないのだが、吸血鬼の話題になるとやはり暗くなるな。半分近くは俺のせいなのだけれど。

 

「ホント、キミと蘿蔔の関係は歪だな。敵でもあり味方でもあるなんて」

「……? 鶯さんからは俺たちはどう見えてるんです?」

「そうだな––––」

 

 煙を上げたまま灰皿に置かれていたタバコを咥えると、彼女は毒を身体に取り込んでからそれを吐き出す。

 頭が冴えたのだろう。俺を見つめて推論を語りだす。

 

「出会いは夜守くんと同じく深夜徘徊をしていたところ偶々出会い、行動を共にした後、血を吸われて蘿蔔が吸血鬼だと気がついたと言った所か。蘿蔔は七草と違って吸血のために誘い込む場所が確定していないから……眷属の宇津木あたりにでも車を走らせて、そこで吸われたのかな」

「……」

「路上で、しかも車の中で無理やりとは強姦魔な奴らだな。吸血は痛かっただろ? 怖くなかったのか?」

「どうだったかな……怖いとはなんか違う感じだったと思います……」

「……それでキミはこの間蘿蔔を利用しているといったが、それは吸血鬼の特性である人を騙す、言い換えれば信頼させる信頼する術を学ぶためかな。対人恐怖症なのだから、わざわざそんなことしなくてもいいだろうに。

 倉賀野理世をフッたのもそれが原因だろ? 一年以上ともに過ごして無理だった女子もいるのに奴もよくやるな」

 

 概ね……いや、それ以上に合っている。

 なぜそこまで知っているのかと言いたくなるほど自分が曝け出されていて、彼女のことが怖くなってしまう。

 動悸が早くなり、呼吸が浅くなるのが自分でも分かった。

 

「よく見ているのは特撮番組と昼にやっている料理番組。この間言っていた『ぶっ潰す力』云々もいまやってる作品のキャラの口癖?らしいな。厨二病なのかい? まあキミは仕方ないところもあるか。あとは音羽探偵–––」

「凄いですね。殆ど合ってます」

 

 そこまで知られているのなら後は予想がつくので、鶯さんの話を遮って、いや割り込んで中断させた。

 

「俺は吸血されるの好きですよ」

「……もしかして痛いのが好きになって乗り越えたのかい? はやく癖を捨てないとドMってことになるぞ。私のメイドになりたいのもそれが理由なのかい?」

「いや! あ、まあ……でも! 吸血って痛いのと気持ちいいの同時に来るじゃないですか」

「アレは基本的に痛いだけだった気が……」

 

 鶯さんに虐げられるのが好きなのかと言われるとショックを受ける。いや、ハッキリと否定できなかった俺が悪いし、その気が出てきているのでなんとも言えない。

 

「あれ? もしかして鶯さんって血、吸われたことあるんですか?」

 

 彼女の言いぐさに違和感を覚えた俺が尋ねると、鶯さんが気まずそうにイカリングを頬張った。それから暫く黙ったかと思うと、唐突にため息をつきつつ首を縦に振った。

 

「七草に血を吸ってもらったよ」

「吸ってもらったんですね」

 

 単純な餌だったのか、眷属予定だったのかは図りようがないが、それでも鶯さんはナズナさんに血を吸われるのは認めているようだった。

 少なくとも一緒にいた頃は。

 

「鶯さんの血は美味しいんですか?」

「どうだろうな。七草から血の感想をもらった記憶はないし、今は不味いからな」

「血って不味くなるんですか?」

「一年以内に吸血鬼化しなかった者は眷属になる可能性がゼロになる。そんな人間の血を吸わないように本能レベルって訴えてるんだろう。キミだって好きこのんで不味いものを食べやしないだろう?」

「……そうなんだ」

「蘿蔔にずっと自分の血だけ飲ませようなんてことはできないのだよ」

 

 その指摘に喉元が痛くなる。

 彼女の話が本当ならば、少々俺の計画にも変更が必要かもしれない。

 

「なる気がないキミはまだ良いが、どうであれ吸血鬼になるのはオススメしないよ」

「人間を騙す悪だからですか?」

「それもあるが、吸血鬼になれば狂うからだ」

「というと?」

 

 俺は首を傾げて尋ねた。

 

「本田カブラなんかがいい例だが、相手が好きでその相手も自分の気持ちを理解しているのに恋人同士にもなれない。それ故に恋愛感情を拗らせて歪んでいく。

 あの女は吸血鬼への初恋を拗らせて他人(ヒト)の男を取るようになったからな」

「……ああ、不倫」

「そうだ。それだけで家庭は容易く壊れるからな」

 

 本田カブラという吸血鬼には会ったことがないが、鶯さんの地雷を踏み抜くタイプなのは確かだ。

 以前ハツカが言っていた寝取り好きの吸血鬼は本田のことだろう。

 そして拗らせている吸血鬼といえば、俺にも心当たりがあった。

 

「拗らせているといえば蘿蔔の眷属たちもか。でもアレは通常の恋慕と括るのは違うが……」

 

 ハツカに従順で嫌われることを極度に嫌う久利原たちもそうだ。

 言いつけを守れば褒美が貰えて、破ればお仕置きされる。ハツカのイメージを借りればペットと称するのが相応しいのは分かる。

 

「けど、久利原たちにも純粋な恋心も残ってたと思いますよ。他の二人がハツカと付き合ったら殺すと言ったり、時間が経ちすぎて動けない関係になってるから俺の方が有利だとか」

「ふぅん」

 

 鶯さんは心底意外そうに相槌を打つ。

 

「前者はともかく吼月くんの方が有利だ、なんてあの蘿蔔狂いの奴らが口にするのかな? 私には到底想像できないのだが」

「でも実際に言われましたよ?」

「それはキミを焚き付けるための撒き餌じゃないのか」

「ハツカの魅力を信じてる久利原がわざわざ言いますかね? だって俺の背を押さないと、ハツカが落とせないって暗に示してるようなものですよ。そんなハツカを貶すようなマネをする方こそ解釈違いというか」

 

 だから俺はあの時の久利原の言葉をすんなりと肯定できたのだが、もしかして違ったのだろうか。

 

「例えば蘿蔔が、夜守くんや夕くんの血を吸ったら嫌にならないかい?」

「特には。相手が吸血鬼になる事を望んでいないのに自分に恋してる人間の血を吸うこと以外はアイツの自由ですし」

「それだろう」

「???」

「吼月くんには独占欲というのがまるでない。如何に吸血鬼(蘿蔔)が魅力的でも、キミにエンジンが乗っていないのならどうしようもない」

 

 まるで悪いことのように言われている独占欲のなさ。

 独占欲の有る無しを気にしたことはないが、現時点でハツカが望んで眷属にした三人がいるのに俺がでしゃばると雰囲気が崩れる。見た目としては歪な関係をしているとはいえ、四人で上手くやっているのだから水を差す理由もない。

 

「恋愛感情は独占欲の発露でもある。それに歯止めがかかっているのではキミが恋をすることはないだろう」

「悪いことなんですか?」

「とても良いことだ。吸血鬼にならないのだからね。ある意味で、恋愛感情がない夜守くんよりも安心できる」

 

 ここでコウを引き合いに出されるのは、アイツがナズナさんを呼び捨てにすると無意識レベルで殴る男だからか。

 あの時の拳はかなり痛かった。

 ホント人間に殴られたのか怪しいレベルだった。

 

「俺は久利原たちと違ってハツカのダチになりたいだけですから別に構いませんけど」

「キミは本当に吸血鬼と友達になれると思っているのか?」

「鶯さんだってナズナさんと友達だったんでしょ?」

「っ……」

「ナズナさんはナズナさん。星見キクは星見キク。ハツカはハツカ。一人が悪さをするから全員同じなら、とっくに社会なんて崩壊してますよ」

 

 それは俺が一番分かっている。

 

「よく言うでしょ。少ない悪人のために大勢のいい人を見捨てるわけにはいかないんだって」

「……そうか」

 

 俺の言葉に鶯さんは残念そうにしていた。

 その顔はどこか俺の価値観と他人の価値観が離れていることに寂しさを覚える時のものに近い気がした。

 

「なら、キミに放ったらかしにされている吸血鬼はなにを思っているんだろうね」

 

 意地悪そうに訊ねる彼女はどこか虚勢を張っているように思えた。

 

「大丈夫ですよ。休憩時間まではハツカから指示を受けてませんし、今はまだフリーなんです」

「でもギリギリだろう」

「まあ、そうですね」

 

 スマホの時間を確認すればあと5分以内にここを出ないと間に合わない。テーブルの上の皿はすべて空になっているのでいつでも店は出られる。

 しかし、進展もないまま鶯さんを独りにはしたくない。

 

「そうだ! 吸血鬼に拷問するのも好きなんですよね?」

「ん? まぁ、それは好きだな。スッキリする」

「だったらいい手があります」

 

 自信満々に口にする俺に若干引きながら鶯さんは恐る恐る耳を傾ける。

 

「メイド喫茶に行けばいいんですよ」

「馬鹿なのかね」

「酷い!?」

 

 的確なツッコミに俺は思わずガーンと項垂れてしまう。

 

「まあ話だけは聞いてあげよう」

「……ミドリさんは鶯さんが吸血鬼殺しなのを知っています。もし、そんな相手をお嬢様と呼んで接客しなきゃならなくなったら、結構屈辱だと思うんです」

「ふむ」

「想像してください。吸血鬼特有の可愛らしい顔が驚きと恐怖で歪むんですよ。しかも客だからミドリさんからは手出しできない……更に今ならハツカも付いてきます。内心ビビりながら鶯さんとチェキを撮らざる終えないふたり。チェキの間なら体に触れることもできるので、頭に手を置いたり首を掴んだりすることも可能。煽るには適切だと思います」

 

 吸血鬼への嗜虐心やマウントを餌に釣ろうという策だ。

 厳密に言えばハツカはメイドじゃないのだが、俺が頼めばやってくれなくもないと思う。というかせっかくなので、理世とハツカの並んだメイド姿が見たい。

 俺の願望込みの作戦だった。

 その作戦を聞いた鶯さんの評価は–––

 

「いい性格してるよ。楽しそうだ」

 

 と、割といい評価だった。

 

「なら!」

「ダメだな」

「クソめ! やっぱりナズナさんとコウが居ないとダメか!!」

「居たら余計に行かんよ」

 

 この最後の案が却下されてしまえば現状打つ手はない。そして、時間も押していて次の手立てを考える余裕もなかった。

 張り詰めた表情の鶯さんを見ながら、俺は仕方がないと納得をつけてソファから立ち上がる。

 

「タイムアップですね。また会いましょう」

「もう来るな」

「いいえ。次も貴女から来させますよ」

 

 タブレットに表示された金額だけは確認して、そのまま立ち去ろうと背を向ける。その前に俺は思い出して鶯さんへ顔だけ動かす。

 

「そうだ。鶯さんが助けたアキラですけど、お陰様で元気にやってますよ」

「……そうか」

 

 別れの直前とはいえ緩んだ顔が見れたのは良かった。

 

 

 

 

 吼月くんがいなくなってから鶯アンコ()はタバコを咥えて肺いっぱいに煙を吸い込んだ。

 

「蘿蔔と小繁縷の恥ずかしがる顔か……見に行けば良かったかな」

 

 今更ながらに後悔しながら、私は吼月くんについて考える。

 彼は自分が危険な立場にいることを自覚しながら、それを当然のことのように受け入れている。それどころか自ら、危険な場所に立ち入っている。

 吼月くんが蘿蔔と関わった時点で吸血鬼に深入りするのは確定していたのだ。

 後戻りできるタイミングがあったとすれば、蘿蔔が吸血鬼だと気づいた時。そこで無視されしていれば、関わることもなかったかもしれない。

 

「……いや、違うか」

 

 吼月くんが沙原くんと出会ったのは蘿蔔が原因ではないらしい。

 どちらかというと彼自身に起因している。クラスメイトが倉賀野理世をフッたことに疑問を持って、探りを入れるためにあの市民公園にある体育館に連れて行ったのだ。

 どちらにせよ彼は吸血鬼に関わることになったのだ。

 

「まったくもって嫌な道だな」

 

 人と関わることに抵抗を覚えるのは事実だろう。実際、私が対人恐怖症と口にした時に反応があった。しかし、彼は容易く他人と過ごせている。それは即ち普通の生活なら送れるレベルにまでなったという証左であり、不必要に触るような部分ではない。

 なにより彼は率先して他人を助けようとする。人間でも吸血鬼でも関わらず、勿論私にもだ。

 それが嫌かと言われると否定しよう。

 

「ここまで他人(ヒト)といるのは何年ぶりかな」

 

 確かに彼と居るとペースが乱されて、上手く行かないので対抗心が燃えてしまうのはある。蘿蔔の仲間でもあるのは確かだから。

 しかし、楽しくはあった。

 夜守くんと茶はしたことあるが、ここまでしっかり他人と食事するなんて久しぶりだった。

 目的を果たそうとしながらも彼には、私を籠絡しようなんて気配はなかったし、寧ろ気遣われていた方だろう。子供に気を遣わせるなんて大人として情けないが、それだけに私のことを考えながら一緒に居てくれる人と過ごすのは十年近く感じていなかった。

 そんなキミを私が頼れば快く手を貸して、それどころか文字通り従者として働いてくれるだろう。

 彼の理想の世界から外れない限り。

 けれども、私は吼月くんとは居られない。

 

「私はキミのようにはなれないよ」

 

 彼の思想はポジティブで絶えず前を見ようとするものだ。

 七草は七草だというのも。

 全員が悪人じゃないというのも。

 居たい相手と居ればいいという持論も。

 私には理解できないくらいに真っ直ぐで綺麗なものだった。

 だって、彼は––––

 

「……」

 

 左胸ポケットからスマホを取り出して、電源を入れる。

 メモ用のアプリを開くと、その中には今日、名古屋に行って調査してきた内容が記されていた。

 私はゆっくりとスクロールして眺めて、数分かけて読み切ったそれに堪らず顔を覆ってため息をついた。

 

––––なんで化け物って言われてイジメも……周囲から虐待も……ましてや……

 

「化け物なんてありえない。吸血鬼どもの戯言なんて信じないが……七草という前例も……」

 

 私が漏らした息が感嘆のものだったのか、呆れだったのかは自分でもわからない。

 唯一言えることがあるとしたら、吼月くんは乗り越えたのだろう。

 それこそ過去に置き去りにしてしまうほどに。

 

「そうじゃなかったら私に脚を触れるなんてこと許すわけないよな」

 

 私と彼は違う。私に吼月くんを理解することはできないし、吼月くんも私を理解することはできない。

 停滞している者と乗り越えた者の差が確かにある。

 それが境遇なのか、他者の力があることに由来するのはわからない。

 

「……いいよな、キミは。死にたくなるような夜なんてないんだろうな」

 

 夜守くんもそうだが、私は彼らが心底羨ましくなってしまう。

 キミらのように過ごせたらどれだけ良かっただろうか。

 再びタバコの煙で肺を満たす。

 

「ふぅ–––ん……?」

 

 息を吐いたときに目についたのは注文用のタブレット。吼月くんが触ってから電源が入ったままになっていたようだ。

 それを見ていると吼月くんの優しい声が脳裡で響く。

『いいじゃないですか。楽しみを見つける為にとりあえず、ここでひとつ! 試してみるのも』

 自然と自分の腕が動くことに驚きながらも、止めることはなくタブレットを手に取った。

 

「……」

 

 その画面に触れて、悩む。

 私が目の前に置き忘れられた封筒に気付くのはもう少し後だった。

 

 

 

 

「良かった」

 

 タブレットを眺めながら真剣に悩む鶯さんを見て吼月ショウ()は思わず微笑んでしまう。

 それだけ確認し終えて、ようやく俺は本当に店内を立ち去る。

 

「またいらしてくださいね、メイドさん」

「……はい、機会があれば」

 

 メイドとして過ごした俺は最後まで男と気付かれることもなかった。

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