よふかしのあじ   作:フェイクライター

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第六十夜「ツーン……」

 パシャリ。

 シャッターを切る音と共に俺はピースサインを手で描く。スマホの中に切り取られた空間には、俺の他にミドリさんとアリサさん、そしてエマがメイド服姿で映っていた。

 スマホの持ち主であるアリサさんが満足そうに頷いた。

 

「うん、二人ともバッチリ」

「アリサさん、私にも見せてください!」

 

 撮り終えた写真を理世とアリサさんが一緒に眺める。

 鶯さんと別れ、ゔぁんぷに戻ると閉店後の片付けをした。清掃が終わると他の多くの従業員は帰宅したのだが、アリサさんやミドリさん、そして理世が意気投合したらしくメイド姿で自撮りをしていた。

 

「俺たちも写真に映って良かったんですか? 1日限りですよ?」

「いいのいいの。そういうのも含めてのものだから」

 

 撮影した幾つかはゔぁんぷのSNSに投稿する予定らしい。

 その流れで俺も記念に数枚だけ撮影することになった。集団撮影なんてクラス写真ぐらいなので、とても新鮮で貴重な体験だった。

 

「でもホントに1日だけのつもり? 多分アリサちゃんに聞けば男の娘系の良いメイド喫茶とかも知ってると思うけど」

「俺は別に女装が好きなわけではないんですよ……?」

「だってさ。残念だったね、アリサちゃん」

「えーー……吼月くんも筋がいいし、働いてくれたら推しにいくのにな〜」

 

 再び自撮りを再開していたアリサさんが相槌を打ちながら言う。

 彼女の趣味はメイドカフェ巡りなので知っていても不思議じゃない。俺がメイドをやることに否定的でないことから男の娘メイドも問題ないタイプなのだろう。

 

「でもハツカと居るんだし、そっちに傾くかもしれないから未来に期待だね」

「メイドになりたくなったらラインしてくださいね」

「あはは、その時が来たら考えますね」

 

 流石にもう人前で女装はするつもりはない。

 今後女装をしたとしても個人間で–––ハツカか理世に–––頼まれた時か、今回のように必要な時ぐらいだろう。

 二人の気持ちに俺はひとまず礼だけする。

 アリサさんは納得すると俺たちに提案する。

 

「そうだ。せっかくですし、ホールで写真撮りませんか?」

「私はさんせー!」

 

 アリサさんの提案に理世が手を挙げる。

 次いでミドリさんも「私も行く」と了承する。

 残るは俺だけなのだが、チラリと目だけを動かして少し離れた場所にいる一人を視界に収めたあと、俺は首を横に振る。

 

「俺はここで待ってますよ」

「そっか」

 

 少し残念そうにしているアリサさんの背中を理世が間髪入れずに押した。

 

「三人で行ってくるわよ。撮りたくなったら出てきてね」

「おう」

 

 理世のフォローを俺はゆっくりと頷いて受け入れた。

 そうして三人はスタッフルームから出て行く––––その途中、俺はミドリさんだけを呼び止めた。

 

「あの……ミドリさん」

「なに?」

「……さっきからハツカはどうしたんですか?」

 

 俺たちは揃って同じ場所へと視線を向ける。

 そこにはスタッフルームの長机に頬杖をつきながら、大きなジャッキに注がれた生ビールを乾そうとしているハツカの姿があった。酒が入って少し頬が赤くなっている。

 酔っているわけではなさそうで、瞳は綺麗なままで理性がしっかりと残っている。

 

「ホントに分からないの?」

「えっ、どういうことですか」

 

 俺はなにか気に障るようなことをしたのだろうか。

 けれども、思い当たる節がなくて悩んでいるとミドリさんが溜め息をつきながら口を開く。

 

「そりゃ一緒に来た子が自分を放って別の人の所に遊びに行ったらムカつくでしょ……というよりも、今のハツカは胃がキリキリして大変なんだよ。キミが私たちの敵と当たり前のように逢ってるんだからさ」

「酒は百薬の長って言いますもんね」

「そうじゃない」

 

 ドン引きしつつ眼を細めるミドリさんに俺は首を傾げて応じる。

 鶯さんに逢いに行ってハツカがストレスを感じる原因について俺は考える。

 今回はキチンと事前に連絡しているから自分勝手に動くのは当て嵌まらない。それに俺の理想を知っているハツカが俺の裏切りなんて見当違いなことを考えるとは思えない。かといって俺のことを心配するなんてありえない。俺の力のことを知っているのだから余計にだ。

 他にも心当たりがないか頭を中を捏ねくり回してみるが、皆目見当もつかない。

 

「本人同士で話し合いなさいよ。それが一番手っ取り早い」

「……そうですね」

 

 ミドリさんがスタッフルームを出て扉を閉めたあと、俺は直接ハツカに尋ねることにした。

 ハツカが座る椅子の真横にまで歩み寄れば彼は俺をそっと見上げて優しい口調で俺に言う。

 

「ショウくん、どうしたの?」

 

 柔らかい言葉に反したツンとした態度を向けられて、無自覚に悪いことをしたのではという考えが大きくなる。

 まるで俺を押し返そうとする雰囲気。

 女王様モードの時に何度か味わったことのある冷たく刺すような気迫とも違って、極々自然に嫌われてしまった思わせる態度だ。

 鼻にケチャップが付いているなんて冗談を言って、一度空気を緩和させることも考えるが、それだとふざけていると思われてしまう。それはハツカに対して失礼だ。

 

「ハツカはなんでツーンってしてるの?」

「ツーン……」

「悪いことをしたならちゃんと謝るから教えてよ」

 

 ハツカをジッとして見つめれば、彼は強かな笑みを浮かべて話に応じる。

 

「さて、なんでだと思う? 考えられるだけ言ってみなよ」

 

 俺はもう一度唸りながら頭を巡らせる。

 発端となったのは間違いなく鶯さんの件なのだろうが、怒る理由がわからない。けれど、関係しているなら口にだけはしておこう。

 

「えーと……鶯さんと会ったこと」

「キッカケはそれだね」

「ハツカのことを放ったらかしにしたこと」

「それも正解」

 

 ミドリさんの言葉も提示してみると正解の一つだったことに驚いた。ただそれは、正解が複数あることに驚いたのではなく、俺に放置されたことで何かしら感情が動いたことになる。

 

「その時の僕の心情を答えてみようか」

「国語のテストかよ……」

 

 俺が一時的に場を離れた程度でハツカが想うこととはなんだろうか。

 ミドリさんは、ムカつくでしょと言った。

 けれどもハツカは以前、マヒルと話しをするために俺を置いて外に出て行ったことがある。その事と合わせてみればお互い様にしかならない。

 それにあの時は反応を見るためにワザとやっていた所もあった。

 まるで俺がハツカに放置されたことで傷ついたり、嫉妬したりするのを望んでいたような。

 つまり俺をハツカに置き換えて考えた場合–––

 

「もしかして鶯さんに嫉妬したの? 俺が取られて」

「残念だけど違うよ」

「だよな。ハツカが俺にそんなこと思うわけないもんな」

「……」

 

 ハツカが1時間程度、鶯さんと会った程度で嫉妬するなんてありえない。

 

「でも、悲しかったよ」

「は?」

 

 一瞬だけ、交えていた視線が解けて遠くを見つめるハツカの顔は少し沈んでいる印象を受ける。

 芝居だろうと怪しむが、表情も視線も、声のトーンも全てを含めた機微が絶妙で嘘なのか本当なのか分からない。赤みがかった頬も邪魔をして真意が掴めない。

 どちらで考えても納得してしまうほどだから、余計にどう受け止めていいのか判断がつかなかった。

 

「キミの特別って相手を蔑ろにしていいって意味だったんだなってさ。僕としては結構嬉しかったんだけどな」

「そういうわけじゃ……」

「でも今のキミは僕に聞かなきゃ相手がどう思うからすら想像もできないんでしょ?」

「…………」

 

 重ねて責められるものだから戸惑ってしまう。

 ハツカが眷属予定程度に滲ませる想いではないと理解はしているけれど、あくまで自分の思考の中の話だ。

 俺が想定している以上にハツカは傷つきやすいのだろうか。

 あまり出さないだけでテンションは爆上がりする時もあるし、喜怒哀楽だってその内三つはコロコロと表情に出たりする。哀だけないなんてことはない。

 けれども理解できないことだって残っている。

 俺にハツカがそんな感情を向ける筈がないというのもそうだが–––それよりも、別に俺は彼との間にある約束を違えたわけではない。

 

「別に約束を破ったわけでもないじゃん。ちゃんと連絡もしたし、休憩時間をどう使おうと俺の自由じゃん」

「それって僕よりも探偵さんと居る方が大事だったんでしょ?」

「鶯さんのことは早めに手を打たないとなにするか分からないし。楽しみか危機管理かだったら後者の方が優先順位は高いだろ」

 

 一緒に夜を過ごそうと思えば会いに行けるハツカ。

 いつ帰ってくるのか、居たとしても応じてくれるのか分からない鶯さん。

 接触できる機会の希少性は比べるまでもない。

 

「少なくとも俺は間違ったことはしてないよ。あの人、独りにしてたらダメなタイプだから」

「旧友みたいに言うね」

「まぁ、似たタイプの人も知り合いにはいたからさ」

 

 チラつくのは俺を睨みつけるオバさんの顔だ。ベッドに横たわりながらも俺を呪い殺さんとばかりの気迫を持つ形相。

 そこだけはやっぱり似ている気がする。身を差し出さないと、気づいた時には目の前で亡くなってしまうような感覚がとてもそっくりだ。

 

「だから鶯さんに会いに行ったことを間違ってるなんて言うつもりはない」

 

 俺の決断に、信条に違う狂いは一切ない。

 

「……そっか、ちょっと残念だな。いや、結構残念だよ。理性の方が勝っちゃうんだもん」

「常に理性が勝つのがヒトである証拠だよ」

 

 俺の反論にハツカは薄らと小さく卑下するような笑みを浮かべる。

 どういう心境なんだろう。

 他人との価値観のギャップで寂しく感じるのは理解できる。

 自分を優先してくれると思っている相手が、違う相手を優先したら普通は悲しくなるらしいし、マスター曰く傷つくらしい。

 問題はハツカから俺への認識にその不安が適用されるかどうかだ。

 やはり俺を騙すためのハッタリなのか。ホントの本当に俺が鶯さんを優先したことが悲しかったのだろうか。

 

––––嘘に決まってるだろ。自分を意識させるためのハッタリだ。

 

 自分が悲しまれるような存在かと言われたら絶対にNo、ありえない。

 しかし今のままにしておくこともできない。

 元より自分の決断以外の要因で理世との関係が絶たれるのが嫌だったから、不信感を克服したいのだ。

 故に甘えは許されない。

 絶対に曖昧な答えは許さない。

 

「とはいえハツカが悲しんだのが嘘かホントか分からないけど、問題ないって後回しにしたのは事実だ。だから……今日、残りの時間は俺をどう扱ってくれてもいいよ」

 

 悲しかったというならその溝より多くの土を盛って山を作るぐらい埋め合わせはしてもいいとは思った。

 俺の言葉にハツカは意外そうにした後、薄っすらとした笑みに愉快さが加わえた。

 

「……いいよ?」

 

 それはどちらが上で、どちらが下にいるのか示せと暗に言うものだった。

 俺はハツカと対等な立場で居たいと思うのが、今回ばかりは無理だった。

 それでもいいと俺が受け入れてしまっていて、小さく、それでいてハツカにはっきりと伝わる声で立場を告げる。

 

「どうか俺をハツカ様の好きなように使ってください」

「そっかぁ、なら仕方ないね」

 

 ハツカはニヤッと少し意地の悪い–––それでいて蕩けるような笑顔を浮かべながら俺の耳元に口を寄せる。

 

「帰ったらたっぷりとお仕置きしてあげるから期待しててね」

 

 呟かれた声に頭から足先まで、体毛の一本一本が震える。

 その震えに名前をつけるのは今の自分の尊厳を守るために、誰にも–––もちろんハツカにも–––決してしたくないことだ。

 しかし、それは自ら口にしなければいいわけではない。

 

「嬉しそうだね。なんだったら今からでもお仕置きしてあげようか?」

「いいえ。結構です」

「拒否権があると思ってるの?」

「……何をするおつもりなのですか?」

「その綺麗な顔を足置きにでも使ってあげようかと思った」

「……わかりました」

 

 冗談めかしに言う彼に俺は尋ねる。

 

「聞きたいのだけど、実際どのくらい怒ってるの?」

「せっかくなら二足歩行禁止にして、タグつきのチョーカーでもつけてあげようかと思ったぐらいかな」

「俺に人間をやめろと言っているのか……?」

「お仕置きなんだから当然でしょ。キミにとって得になったら躾にならない」

「そこまで怒るの……?」

 

 今度は俺を押し潰さんとする冷淡な言葉を投げかけられ、本来持ってる筈の尊厳を剥奪される恐怖と羞恥のあまりに顔を背けかけてしまう。冷や汗が背中で大量に流れているのが伝わってくる。

 恐怖はまだどうとでもなる。しかし、恥ずかしさだけはダメだ。

 自分から口にすれば羞恥心は削れるのに、他人から指摘されると恥ずかしさが増すのは何故なのだろう。皮相であるという安心感があったからだろうか。

 もし理世やミドリさんに見られれば、とりあえず気絶する。

 

「僕に心配させたんだから当然の報いだよね? 親に眷属を見殺しにさせるなんて大罪だよ」

「え」

 

 心配させた–––思わず俺はハツカを見つめながら首をかしげる。

 ハツカは一転して柔和な笑みを浮かべる。

 

「僕はキミと違って探偵さんが人間には危害を加えないなんて思っていない。ショウくんがいくら死にそうにないとはいえ、キミは出会い頭に刺されてもおかしくないからね」

 

 ここでも認識の違いがあったか。

 けれどもハツカが最後に鶯さんを見たのは、俺を張り倒した時なのだから理解できる。

 それに自分の主義を矛として使われてしまってはどうしようもない。

 

「だから、キミを大切に想う僕の気持ちを置いていかないでね」

 

 今までで一番優しい声だった。

 多分、人生で一度だけ聞いた事があるような声。

 

「……うん、分かった」

 

 僕はそれを受け入れたいと強く思った。

 

「それで結局探偵さんとはうまくいったの?」

 

 話に区切りをつけてハツカが訊ねてきた。

 

「多少は進展したかな。まだ深くまで入り込めていないけど……でも、やっぱり鶯さんは根は善人だよ。だって、俺がナンパされた時助けてくれたし」

「な、ナンパ……!?」

「うん。メイド服で行ったから変な男たちに絡まれてさ」

 

 鶯さんと会う道中で起こったことを話すと、ハツカは絶句しながら声を張り上げる。

 

「やっぱり僕もついていった方が良かったじゃん! ねえ、ミドリちゃん!」

「ミドリさん!?」

 

 そして、彼は首を動かして部屋の出入り口に向かって声をかける。

 声に反応して扉が開くと陰に隠れるようにしてミドリさんが立っていた。乾いた笑みを浮かべながら彼女が部屋の中に入って、そっと俺の肩に手を置いた。

 

「あ、はは……」

 

 つまり、さっきの会話をミドリさんは聞いていたことになる。

 

「思った以上に調教されてたんだね」

「ううぅ–––! 待ってくださいミドリさん! 違うんですよ!!」

「違くないでしょ」

「ハツカは黙っとけ!」

 

 俺は赤面しながら長い……長い弁明が始まり––––

 

 

「さて、そろそろお開きの時間なわけだけども」

 

 

–––話の全容を聞いていた事もあって、思いの外弁明は早く終わった。

 

 そこからホールで写真を撮っていた理世たちと合流して、写真を撮った。

 やることを終えた俺たちにミドリさんが終わりを切り出した。

 

「吼月くんと理世ちゃん。こっちにおいで」

「なんですか?」

「ミドリちゃん、なになに?」

 

 手招きするミドリさんのそばに近寄る。

 

「はい、これ」

 

 すると、彼女はメイド服のポケットから色の異なるふたつの封筒を取り出した。今日はよく封筒を目にする日だなと思いながら、俺は理世と一度目を合わせる。

 お互い、どうするのコレ–––と戸惑った顔だ。

 その中身は十中八九、日給だろう。

 

「どうせ二人のことだから要らないって言いそうなので、ふたりはこの封筒を持ち帰るまでが仕事とする」

「そんな帰るまでが遠足みたいな……」

「ちゃんと受け取りなよ。自分たちが頑張った分なんだから」

「あと、理世ちゃんは吼月くんの個人撮影分の代金引いておいたから」

「分かりました」

 

 ミドリさんから封筒を押し付けられる。

 ただ手伝いをしただけなのに金銭を受け取るわけにもいかなかったが、返金拒否されてしまってはどうしようもない。多分ミドリさんのことだから、この場に置いていくと追いかけてきそうだ。

 理世と一緒にマジマジと封筒を見つめ––––同時に口を開く。

 

「貰いましょうか」

「ありがとうございます」

「よろしい!」

 

 澱みなく重なった声は思ったよりも快いものだった。

 

 

 そうしてお開きとなって、全員が店の外に出た。

 

「受け取ってしまったが……まぁ、今日の食費分を回収できたとしよう」

 

 吼月くんと倉賀野ちゃんがそれぞれの封筒を雑にポケットにしまうのを見ると、やはり不服なようすだ。さっきは少し嬉しそうにしていたのにも関わらず、どうして納得できないのだろう。

 ここまで来ると独善に思える。

 自分の行動にケチをつけられたくないのかもしれない。

 元々感謝や賞賛すら不純物と言うのだからあくまで自分本位の行動であり、本当は他人のことなんて知ったことではないのかもしれない。

 蘿蔔ハツカ()は心の中で首を振って否定する。

 

「食べてきたの?」

「夜中まで何も食べてなかったからさ。いや、軽くせんべいは口にしたけど」

「あんまり腹の足しにはならないよね」

「そうなんだよなぁ」

 

 間伸びした返事と共に彼は相槌を打つ。

 

「よし、みんなお疲れ様。また明日ね」

 

 ガチャリ。裏口の鍵を締めたミドリちゃんが言う。

 

「うん! 明日は休みだから……今度は会いに行くね」

「待ってますよ、お嬢様」

「私も明日また来ようかな〜……アリサさん、一緒に行きませんか?」

「なら19時にここで待ち合わせる?」

「そうしましょう」

 

 最後に軽く話だけして帰路に着く。

 各々が手を振りながら足を進め出すと、吼月くんが「そうだ」と呟いて倉賀野ちゃんの下へと駆け寄った。

 

「理世」

「どうしたの?」

「送ってくぞ。流石に夜中に一人はまずいだろ」

 

 彼の進言に倉賀野ちゃんは面食らって足を止める。振り向きはしてないが明らかに動揺していて、好きな相手からの誘いに頭を悩ませた。

 

「……」

 

 吼月くんの行動自体に間違いはない。女子中学生を真夜中にひとりで彷徨くのを黙認するのは人として問題がある。

 その点で言えば彼に好感が持てるが、納得いかないな。

 

「う〜〜ん……別に良いや。私のウチ、すぐ近くだし」

 

 悩んだ末に倉賀野ちゃんはひとりで帰ることにした。

 その選択に僕は少々驚いた。せっかく好きな相手に居られるチャンスなのに、と思ったが、今の吼月くんにただ送ってもらうだけでは友人から逸脱することはできない。

 夜だし強引に行く手もあるが、僕がいるからやめたのだろうか。

 ひとりで解釈していると、吼月くんもまた驚いていたが僕とは異なる箇所に疑問を持っていた。

 

「あれ? そうだっけ」

「そうそう、だから安心して。いざとなったら(ワン)ちゃんでも呼ぶわよ」

 

 犬ちゃんは警察ってことなんだろうけど……今時犬呼びする子も珍しいなと思わず口元が緩んでしまう。

 

「……分かった」

「私よりも制服のまんまのショウの方が心配よ」

「うっ……言い返せん」

 

 渋々と言った様子で頷いた吼月くん。

 

「困ったらちゃんと呼べよ、俺のこと」

「ふふっ、そうね。ショウならまた来てくれるわよね。じゃ、また明日」

「またな」

 

 互いに笑い合い手を振ったあと、今度こそ二人は別れる。

 本当に仲がいいなと思う。

 それと同時に僕の中の吼月くんという攻略ハードルが高くなった気がした。

 

「ごめんなさい、待たせちゃった」

 

 吼月くんが僕の下に駆け寄ってきた。

 

「いいよ。それぐらい」

「……ホント?」

「ホントだよ。嘘ついてどうすんのさ」

 

 ズイっと顔を寄せて、文字通り穴が開くほど僕の顔を見つめてくる。

 そんなに僕の言葉が信用ならないの?

 そう文句をつけたくなったが、先ほど吼月くんの気持ちに揺さぶりをかけたばっかりなので疑うのも無理はないか。

 

「そっか」

「わかればよろしい、行こうか」

「うん」

 

 ようやく僕らも帰路に着く。

 表通りに出て横並びになって歩き出す。

 

「結局どうだった? 僕の言葉、理解できた?」

「う〜〜ん……そうだねえ……」

 

 ふたりきりになった途端、吼月くんの口調が幼いものへと切り替わる。

 いつも思うがその一気にネジが緩むのはなんなんだ。気が緩んだなんてレベルではなく、突然酔い出してネジが飛んだみたいだ。

 

「褒める言葉や感謝が相手にキチンと伝わることは自分の存在感、俺に置き換えれば自己肯定感が増す。そしてその言葉を受けた側は無性に嬉しくなる。例えばやったことが本人にとって普通でも他人とは基準が違うし、相手が恩義を感じてるなら胸を張るのが礼儀。

 ミドリさんの話や今日の諸々の体験で出た解答かな」

 

 かと思ったら、ガチガチにスパナでネジが締められたような理屈を纏ったいつもの調子に戻る。

 ミドリちゃんが遠回しに答えを教えたのだろうか。

 感情的な回答ではないのは減点ポイントだが、頭で理解できたなら自ずと身体の方も慣れていくだろう。

 

「なら、沙原くんやエマちゃんの気持ちはわかったかな?」

「いいや。やっぱり違和感はあるし、共感はできてないよ。さっき封筒をもらった時はそこまででもなかったんだけど」

「流石に一晩では慣れないか」

 

 この子、自分はそんな存在じゃないと本能レベルにでも刻まれてるんのか?

 どんな生活を送ったらこんな価値観になるんだ。

 

「一応確認するけど僕にお仕置きされたいから嘘ついてるってわけじゃないよね?」

「そんな被虐趣味じゃないよ……」

 

 僕としてはまだ被虐趣味だった方が理解が早くて助かるのだけれども、血を吸っても似たような感情が返ってくるだけだろうな。

 

「そっか、ならご褒美はなしだね」

「仕方ないか。ハツカのメイド姿見たかったけどな」

 

 この間の応野くんの一件で頼んでくれたら着てもいいのだけど、吼月くんは忘れているのか?

 

「失敗は失敗だからね。でも–––」

 

 肩をすくめながら僕が言葉を紡ごうとするに被る形で吼月くんも口を開く。

 

「でも、ハツカのことを褒められると俺も嬉しいのはちゃんと分かった気がする。理由はまだハッキリしないけど、心が暖かくなって安心する。だからきっと……大切な人の良さだけは共感できるようになると思う」

 

 彼は真っ直ぐこちらを見て屈託のない子供らしい笑顔を浮かべる。

 無垢な顔がとても可愛らしくて理屈ばかりこねくり回す時の顔とは似ても似つかない。

 

「……」

「どうした? 真顔になって」

 

 思いがけない事をストレートに言ってくるキミが悪い。

 衝撃が僕の全身を駆け巡ったせいで彼の心配に反応できなかったのだが、ここで止まっていては僕の吸血鬼としての尊厳に関わる。

 

「そっか、良かったね」

「俺も少しはヒトらしくなったかな」

「なんだそれ。ま、そう言うことならショウくん、頭を下げて」

「え?」

 

 首を傾げながらも僕に従って頭を下げる。その頭に僕は手を置いて撫でれば、吼月くんは素直に受け入れる。

 うー、と小動物を想起させる鳴き声をあげる。

 

「これって褒められてるの?」

「そうだよ。嬉しい?」

「……よく……分かんない」

「その割には可愛らしい声を出してるよね」

 

 頭を撫でていた手を動かして、今度は喉元を指で撫でる。

 

「むにゅ……」

 

 ホント猫みたい。少し前までは飼い主以外には吠える忠犬タイプかと思ったけれど、彼は普通に飼い主にも爪を立てる猫だった。

 実を言うと僕は猫より犬派である。

 犬は人につき猫は家につくと言うように、吼月くんはまだ僕ではなく自分のセオリーの中で生きている。

 だが近いうちに犬にしてあげよう。

 

「……それでさ」

「どうしたの? ソワソワして」

「これ外でやってるのはお仕置き要素なの?」

「そんなわけないじゃん」

「でも流石に外でこれは恥ずかしいよ」

 

 また顔を赤らめる吼月くんを見下ろしつつ、僕はここからどうするか考える。いつも通り僕の家で躾けるのも悪くないが、僕も吼月くんの内情について深く知らなければならない。

 だから、僕はこう尋ねた。

 

「せっかくだし僕はショウくんの家に行きたいな」

「え」

 

 吼月くんの瞳が揺らいだ。

 瞬きにも満たないほどの間で、彼はその後すぐに「いいよ」と笑っていた。その微笑みは、とても歓迎しているようには思えなかった。

 

 

 

 

 私は歩きながら夜空を見上げる。

 建物に左右を遮られ、星々が流れる一本の道になっていた。

 とても……とても晴れやかな夜空を見る私はとても気分がいい。そこらの店で十数人でも男女をひっかけて、自分の虜にしたくなるほど天晴れな1日のスタートを切れそうだ。

 

「……蘿蔔ハツカね。最初は直接ミドリちゃんが呼んだのか、夜守コウ経由で添い寝屋ナズナ……もしくはこの間の小森工業の繋がりで平田ニコかと予想したけど、思わぬキャラが出てきたわ」

 

 本田カブラはショウの行きつけの病院じゃないし、マヒルくん繋がりの星見キクはあり得ない。星見は今の面子に仲間意識とかホントないし、身内の職場を律儀に覚えているタイプじゃない。

 ある意味一番妥当な人選……かも?

 

「どちらにせよ、私にとって都合のいいヒトだわ。–––ん?」

 

 ぺしゃり。足元で不快な音がなった。

 見下ろすとそこにあったのは葛の葉だった。

 誰かがここに種子でも運んだのだろうか。地面を這うよう葛のつるを目で追うと、地面の隅っこにあるアスファルトの割れ目から幾本もの葛が繁茂していた。

 

「あらあら、縁起が悪いわね」

 

 自分の苗字を冠する葉を踏むなんて–––不吉に思いながらもクスクスと小さな笑みが溢れて仕方がない。

 葛は無限だ。

 何度でも、何度でも壊されても成長し続ける。それこそ人間が恐れてしまうほどに。

 私は踏んだ葛の葉を強い踏み躙る。

 残ったのは当然バラバラになり土と葉が入り混じった残骸。けど、そうやって壊されても植物だった名残は見て取れる。葉はどんなことがあっても葉なのだ。壊れたとしても元の片鱗まで奪えない。

 

「それがたとえ……」

 

 言いかけた言葉を嚥下する。

 変革したとしても、私が好きになった理由に嘘偽りはない。

 指を見つめれば爪が伸びる。鋭く刃物のように尖った爪だ。その伸びた爪で左の薬指に一筋の傷をつければ、そこから血が滴れ落ちる。

 真紅に輝く宝石のような血だ。私が誇るこの世で一番綺麗な血だ。もしこの血を固めることができたなら一億の価値はあるだろう。

 

「ふふ」

 

 今日はこのまま帰るとしよう。余計な男や女を引っ掛けなくてもいい夢が見られそうだ。

 一度屈んでから葛の葉に手を伸ばす。

 時が戻ったように治癒した葛の葉を拾って、私は草笛を鳴らす。可憐な音色を聴きながら、美味しい血の味が口の中に微かに広がる。

 歩きながら楽しむこの一時は至福だった。

 

 

 

 今日の眠りはきっと素晴らしい。




 寒くなってきましたね。
 今年も残すところあと一ヶ月……早い……
 皆様、暖かくしつつ楽しい夜更かしをしていきましょう!
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